「知らなくてはならないことを、知らないで過ごしてしまうような勇気のない人間に、 わたしはなりたくありません。そんなひきょうな人間になりたくありませ ん」
灰谷健次郎の『太陽の子』を読みました。
1978年の出版なので今から約50年近く前の作品ですね。
ですが、なぜかしら見覚えのあるタイトル・著者名に感じます。
ちなみに僕、本作は(内容までは知らないにしても)誰もが一度は耳にしたことがある有名な作品というイメージがあって、芥川賞か何かの文学賞を受賞した作品なのだと思い込んでいたのですが、全くそんなわけでもないのですね。
にも関わらず、多くの人々がきっと題名ぐらいは見た事がある作品となると、いろいろと興味深い物があります。
なぜ僕が本書にたどり着いたかという経緯から説明しますと、勤務先で今度沖縄に行く事になりまして。
ですが僕にとって沖縄とは、高校時代に修学旅行で行った記憶が薄っすらとあるだけで、あとは特別これといった知識も情報もないんですね。
テレビやメディアでは日本有数地の観光地として度々沖縄を取り上げますが、会社の旅行ではシュノーケリングや熱帯雨林のハイキングといったアクティブな自然体験をするはずもなく。。。首里城は火災で全焼して再建中。となると、必然的にひめゆりの塔や美ら海水族館、国際通り散策のようなベタな観光地巡りになるわけです。と言われても別に水族館なんてどこも似たり寄ったりだし、朝昼晩しっかり用意されている団体旅行では食べ歩きにも限度があるし。なんて冷めた感情しか浮かばなかったり。
このままじゃマズいよなぁ、行くからには事前に「ここに行ってみたい」「こんな文化を体験してみたい」というような知識を仕入れておくべきだよなぁ、と考える中で、やはりここは大好きな読書から……沖縄を題材にした小説から沖縄を知る、というのが僕にとって一番良い方法なんじゃないかと思い立ったわけです。
そうしてKindle Unlimited収録作品の中から、おそらく一番有名で、一番評価が高いであろう本書をチョイスしたのでした。
――長々前置きしましたが、ここから本書の内容について改めて記していきたいと思います。
舞台は沖縄……ではなく神戸
本作の主人公は小学六年生の女の子、ふうちゃん。
彼女の両親は沖縄生まれですが、現在は神戸に移り住み、「てだのふあ・おきなわ亭」という沖縄料理のお店を営んでいます。
そこはギッチョンチョンやゴロちゃん、ギンちゃん、昭吉くん、ろくさんといった常連が毎夜のように訪れ、賑わいを見せています。ただし、すぐに気になるのは……常連客のほとんどがどうも、沖縄生まれの人たちばかりだという点。
不思議じゃないですか?
なぜ神戸の港町に沖縄料理の店があり、さらには沢山の沖縄出身者が集まるのでしょうか。
――そんな些細な疑問ひとつひとつから、僕は今まで沖縄の歴史というものをあまりにも知らなさ過ぎたと思い知るようになるのでした。
戦後の沖縄県民たち
本書は第二次世界大戦から30年後の神戸を舞台にしています。
終戦は1945年8月ですので、1975年頃という事になります。ちょうど本書の発行された時期と重なりますね。
ちなみに補足しておくと、終戦後、沖縄の施政権はアメリカが握っていました。
簡単に言うと、アメリカに占領された領土だったわけです。
沖縄の返還・本土復帰が叶ったのは終戦から約30年後の1972年(昭和47年)5月。
つまり時代背景として、本書の登場人物たちは沖縄返還から僅か数年の時代を生きている事になります。
ただし、本書の中には沖縄返還が云々といった経緯は一切記されていません。登場人物たちの口ぶりから察するに、おそらく返還からある程度の時間が過ぎているのだろうな、と想像するばかりです。
上記のような前提を元に、再度「どうして神戸の街に沖縄?」という疑問に戻ると、どうやら時代背景として、この頃は沖縄を出て大阪や神戸といった西日本の大きな町に出稼ぎ・移住する人が少なくなかったようなのですね。
チャイナタウンや県人会ではありませんが、見知らぬ土地に移り住んだ人々が、自然と惹かれ合い、身を寄せあっていたという状況があるようです。神戸の町において「でだのふあ・おきなわ亭」はその中核施設とも呼べる役割を果たしていたのでした。
故郷の沖縄の思い出話に花を咲かせ、時に喧嘩をしたり、涙を流したりしながらも、笑顔溢れる「てだのふあ・おきなわ亭」を中心に描いた本作は、表面的には『男はつらいよ』にも似た昭和的下町人情物語にも見えます。
ところがその土台には、沖縄が歩んできた辛く苦しい歴史に翻弄される人々が描かれていたのでした。
未だ戦争の影に脅かされる人々
登場人物たちには、様々な形で戦争の影響が残っています。
ふうしゃんのお父さんは、精神病です。原因や理由については具体的に明かされる事はありませんが、戦争のせいでおかしくなってしまったようです。ふうちゃんは三十年前にはまだ生まれていなかったはずなのに、迫りくる戦火から守らなければならないという使命感に突き動かされ、時々発作を起こしてしまいます。
ギッチョンチョンのお姉さんは、ある日自ら命を絶ってしまいました。ギッチョンチョンにも具体的な理由はわかりません。でも、お姉さんはずっと、何か辛い思いをしていたようです。
ろくさんは戦争の時に左腕を失いました。今でも時々、ミチコという女性の名前をつぶやきながら泣く事があります。
神戸に生まれ、自ら神戸党を自認するふうちゃんにとって、自分が生まれる前の沖縄で何があったのか。みんなが何に苦しめられているのか、知るはずがありません。ですがお父さんをはじめ、「てだのふあ・おきなわ亭」の人々との交流の中で、ふうちゃんは少しずつ沖縄に興味を持ち、自分の知らなかった沖縄を知ろうと試みるようになります。
そんなふうちゃんは、キヨシ少年とたまたま出会う事によって、さらに深く沖縄と結びついていきます。
沖縄で生まれ、神戸に来たものの、母親から捨てられ荒んだ生活を送るキヨシ少年は、当時の沖縄人に向けられる世間の目を体現する存在です。
自ら望んで悪党をつるみ、平気で人の物を盗み、仕事も長続きしません。
しかし、彼は本当に生まれながらにして悪党なのでしょうか。
キヨシ少年が逃げ出した料亭の女将は、こんな風に彼を詰ります。
「やっぱり、オキナワモンはあかん」
おそらくこれこそが、当時全国津々浦々に飛び散った沖縄の人々を苦しめた世間の目であり、声だったのでしょう。
ギッチョンチョンのお姉さんもまた、そのために命を絶つほどに追いつめられてしまったのかもしれません。
もちろんわれらがふうちゃんは、「わたしも、わたしのおとうさんもおかあさんも、沖縄です。オキナワモンいうてなんや知らんけど、沖縄の人はみんなあかんのですか」と食って掛かるのですが。
当時の状況をまるで知らない僕が、女将の一言で察したように、小学六年生のふうちゃんもまたこの一件によって、沖縄に向けられる差別的な感情の存在に気づいたと言えるでしょう。
沖縄戦の悲惨さ
ふうちゃんは沖縄党のギッチョンチョンにお願いして、沖縄についての本を見せてもらいます。
そこにはあまりにも悲惨過ぎる戦争の写真がありました。
艦砲射撃と爆撃によって、月のクレーターのように穴だらけになった荒涼とした風景。
すきまもないほど海を埋め尽くす艦船。
道や田畑を駆けまわる戦車。
ふうちゃんはギッチョンチョンに問いかけます。
「どこで戦争しとるん?」
「戦争やねんから鉄砲で撃ちあうんやろ。大砲で撃たれたら大砲で撃ちかえすんやろ。戦車は戦車で、飛行機は飛行機でやりあうのが戦争やろ」
子どもの目はあまりにも純粋で、正直ですね。
ふうちゃんの目から見た沖縄戦は、一方的に沖縄が攻撃されているだけに映ったのでしょう。
沖縄の人々の実に三分の一が死んだ。
せまい洞穴の中で火炎放射器に焼かれて死んだ。
手りゅう弾で自決した。
戦争の現実を初めて目にしたふうちゃんは、思わず嘔吐してしまいます。
それほどまでに、初めて知る沖縄戦は鮮烈なものでした。
自戒を込めて
……とまぁおおよそのあらすじはここまでとしておきます。
人情味あふれる「てだのふあ・おきなわ亭」の日常シーンが、少しずつ凄惨な沖縄戦と結びついていく様子は鳥肌ものです。
いつも陽気に、笑顔で楽しく暮らしている人々だからこそ、その裏側に隠された悲劇や、未だなお残り続ける差別がまざまざと浮かび上がります。
本書が名作として長く読み継がれる理由が、よくわかりました。
僕は今まで、あまりにも沖縄について知らな過ぎました。
改めて自分の無知を恥じる想いです。
僕は小学六年生のふうちゃんと共に、沖縄戦の歴史に初めて触れ、同じように衝撃を受けました。
本書を読んで以降も、空白だった沖縄戦についての知識を少しでも埋めようと、学び続けています。
youtube上にも、海賊版かもしれませんが過去に沖縄戦を取り上げたドキュメンタリーが多数存在します。
そこで改めて沖縄戦について学びなおし、本当に衝撃を受けました。
最初から沖縄は本土攻撃までの時間稼ぎのための捨て石だった。
米兵に捕まれば乱暴され、命はない。捕虜となるぐらいなら自ら死を選べと植え付けられた民間人。
実際に米兵ではなく、友軍によって命を奪われた民間人も多い。
子どもや赤ん坊を「殺してしまえ」と命じられ、泣く泣く自らの手にかけた親も。
書き切れないほど多くの悲劇がありました。
実際に経験した人たちにとっては、地獄そのものとしか言いようのない極限状態でしょう。
これまで全く興味を持たなかったのが、本当に申し訳なく思います。
そんな学びもあり、今回しばらく寝かせていた当ブログを再び再開するに至りました。
もちろんブログの更新が途絶えている間も読書は続けていましたので、また折を見て少しずつご紹介していけたらと思います。
とりあえず勢いで書いた本記事も、ちょくちょく見直して加筆修正していけたらな、と。
それでは、また。