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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『壬生義士伝』浅田次郎

「吉村、死ぬな」

本音の一言が喉からすべり出たとき、俺ァやっとわかったんだ。そうさ、やつは俺の、俺たちみんなの良心だったんだ。

 

壬生義士伝』を読みました。

常々耳にしてはいたんですよねー。

映画化・漫画化・舞台化と広がりも大きい作品ですし。

 

ただ、いかんせん新撰組の話らしい、という事以外にはなにも知らず。。。

新撰組司馬遼太郎の『燃えよ剣』や『新選組血風録』、子母澤寛新撰組三部作『新選組物語』『新選組遺文』『新選組始末記』などは読んだもののだいぶ昔の話なので、そのうち再読しようかと思っていたのですが、今回は未読の『壬生義士伝』を手に取ってみました。

 

だいぶ想像からはかけ離れた展開に面食らってしまいましたが。

 

 

義士・吉村貫一郎

物語は大阪の南部藩蔵屋敷に、満身創痍の武士が転がり込んでくるところから始まります。

時は幕末。

鳥羽伏見の戦いにおいて、薩長連合が掲げた錦旗を前に幕府軍が予想外の大敗を期した直後の事。

よく見れば武士がまとった浅黄色の羽織は、新撰組に間違いありません。

彼は以前脱藩した南部藩の者だと出自を明かし、その上で帰藩したいと願い出ます。――つまり、命乞いにやってきたのです。

 

漫画『竜馬がゆく』でお馴染みですが、この時代における脱藩はそれだけで死に相当する罪とされます。

藩の追跡からもまんまと逃げおおせ、新撰組として好き勝手暴れまわった挙句、さらに錦の御旗に対して刃を向けた罪人が、恥も外聞もかなぐり捨ててかつての故郷に助けを求めてきたのです。

一見情けないこの男こそ、本書の主人公である吉村貫一郎

 

しかしこの段階では旧幕府派か新政府派か旗色を明らかにせず、中立を保って情勢を見極めようとしていた南部藩にとっては、お尋ね者の新撰組残党など迷惑以外のなにものでもありません。

切り捨てるわけにも他藩へ差し出すわけにもいかず、仕方なく屋敷内に受け入れられた吉村貫一郎でしたが、蔵屋敷の差配役(一番の責任者)は奇しくも旧知の間柄である大野次郎右衛門でした。

これ幸いと竹馬の誼みを持ち出して助けを求める吉村に対し、大野は「恥知らず」と面罵し、「腹を切れ」と冷たく言い放ちます。吉村はうなだれ、肩を落としつつ大野の命を受け入れます。

 

ここまでがプロローグとも言うべき冒頭のシーン。

 

吉村貫一郎とはいったい何者なのか。

彼の身に何があったのか。

吉村と大野との関係とは。

 

短いシーンの中に生まれる沢山の疑問と謎を紐解いていく、長い長い物語の始まりです。

 

 

取材・独白形式

物語は記者(取材者?)と思わしき人物を前に、過去に吉村その他の人物に関係のあった人々が答える形でつづられていきます。

合間合間には、最期の時を前に吉村自身が過去を回想し、故郷に想いを寄せる場面も挿入されます。

 

1人目に登場する語り手は元・新撰組の居酒屋主人で、当時吉村と同じ時を過ごしたという人物です。彼の名前は結局わからずじまい。

彼の口からは吉村が金にがめつく、給金を手にした側から故郷へ送金する様子が語られます。ならず者たちの集まりの中で、一風変わった吉村の姿も見受けられます。

 

2人目は建設業の主人である桜庭弥之助。南部の出身であるという彼からは、吉村の幼少期から脱藩まで、足軽でありながら藩校の助教・師範代を務めていた吉村のアンバランスな生活ぶりが主に語られます。

生徒たちは皆吉村よりも格上の身分の子弟ばかりで、一度藩校を出れば上下が逆転する。教師として敬われつつも、一方では貧乏侍と見下される吉村。

北辰一刀流の剣術を修め、学問に秀でたにも関わらず、食うにも困るような身分しか与えられなかった当時の困窮した藩の財政状況が垣間見られます。

さらに桜庭からは吉村の息子である嘉一郎と、大野の息子である千秋の関係も語られます。

 

3人目は新撰組池田七三郎と続き、4人目に登場する人物こそ新選組副長助勤にして三番隊隊長・斎藤一

物語はこの辺りから各段にヒートアップします。

スパイとして伊東甲子太郎率いる御陵御士に潜り込み、池田屋事件坂本竜馬暗殺事件と、新撰組にまつわる有名な逸話が続々登場し、特に坂本竜馬については浅田次郎目線での解釈が披露されていきます。これが非常に説得力に溢れていて、ある意味本作の一番の読みどころ

冷徹で他の隊士をも寄せ付けない殺人マシーンのような印象の齋籐に対し、吉村は情に厚く理に厳しく人間味溢れた印象で、斎藤は何かと吉村を毛嫌いし、生理的に反発を覚えます。二人は終始、水と油のように相反する存在として描かれていくのです。

 

最大の見どころは鳥羽伏見の戦い

錦の御旗を前に、会津藩新撰組も戦意を喪失。「退くな!」と命じる土方の声も届かず、一斉に後退を始める。

その中でたった一人、吉村だけが脇差を抜いて立ち向かうのです。

 

新選組隊士吉村貫一郎、徳川の殿軍ばお勤め申っす。一天万乗の天皇様に弓引くつもりはござらねども、拙者は義のために戦ばせねばなり申さん。お相手いたす」

 

咄嗟に飛び出そうとする斎藤は、永倉と原田に止められてしまいます。羽交い締めにされながらも「死ぬな、吉村」と叫び続ける斎藤。……映像作品を見た事はありませんが、間違いなく見せ場の一つでしょう。

吉村に敵愾心を抱いていたはずの齋籐が「死なせてはならない」と思ってしまう。吉村の持つ不思議な魅力の一端を示す重要なエピソードです。

 

 

吉村は義士なのか

続いて語り手は大野次郎右衛門の息子である大野千秋に代わり、大野家の中元を務めていた佐助、そして最初に登場した新選組の生き残りである居酒屋店主、さらに吉村貫一郎の次男へと代わっていきます。

ここからは主に鳥羽伏見以後、吉村の遺族たちの様子が語られています。

 

ただ……うーん、、、斎藤一の語りが盛り上がり過ぎただけに、トーンダウンが否めませんでした。

吉村貫一郎も鳥羽伏見で官軍に立ち向ったところまでは格好良かったんですけどね、その後で故郷に命乞いしていた事を考えると、なんとも複雑です。

 

本書は吉村貫一郎「幕末に似合わぬ家族愛・人間愛に溢れた人物」として書こうとしています。

でもだったら、どうしてたった一人官軍に立ち向かうような真似をしたのでしょうね? 個人的にはそこがいまいち理解できません。

新選組の他の隊士にも「死ぬな」と教育してきた吉村です。沢山の人を斬ったのも「自分が死にたくないから」と言います。故郷に残してきた家族を養うためには、死ぬわけにはいかないからです。

 

繰り返しになりますが、だったらどうして一人で官軍に立ち向かったのでしょう? もちろんこのシーンがあったからこそ吉村が“義士”であった証明になるのですが、それまでのエピソード中にも、特に徳川に対して義を唱えるような人物像は見受けられないんですよね。

この場面においては、吉村は気が触れていたとしか思えません。

言い方を変えれば、この場面のみ吉村のキャラが崩壊していた、と言えるかもしれません。

見せ場としては途轍もなく格好良いシーンではあるのですが。

 

実際、その後瀕死の吉村は恥も外聞もかなぐり捨てて、己の主家である南部藩に助けを求めるという行為に出ています。斎藤一の心に強く刻まれる程、たった一人で掲げた“義”とはいったいなんだったのか。後で変心するぐらいならなんで決死の抵抗を試みたのか。吉村貫一郎は本当に“義士”なのか一体誰の為に、何のために掲げた“義”だったのか、疑問であると言わざるを得ません。

 

ちなみにストーリー的にも、ほぼ史実をなぞった斎藤一編までと異なり、以後は創作色が強くなってしまいます。

象徴的なのが大野千秋で、彼には最初から付き従う妻の姿が描かれます。読んでいるうちに、どうやらこの妻は吉村貫一郎の娘であり、大野千秋の親友である吉村嘉一郎の妹・みつである事がわかってきます。

鳥羽伏見で幕府軍が大敗後、吉村貫一郎は死に、南部藩に帰った大野千秋の主導により南部藩奥羽越列藩同盟の一員として徹底抗戦の道を歩みます。隣国秋田や津軽への侵攻がそれです。

父の脱藩以後、世を忍ぶように生きてきた息子・吉村嘉一郎は主藩への“義”のため、その戦陣へと駆けつけようとするのです。その際、どうしても納得してくれない妹・みつの身を案じて、親友である大野千秋の下を訪ねてきたのでした。

 

大野千秋はみつを説得、嘉一郎を送り出します。その後、あろうことか嘉一郎の母を訪ね、みつを嫁にもらいたいと願い出るのです。

 

……あれれれれ?

 

この辺は本当に滅茶苦茶なんですよね。

大野家と吉村家の間にある格差という大きな溝については、ここまでも繰り返し繰り返し語られているのです。

大野家は藩の重役も務める四百石取りの上士。かたや吉村家は二駄二人扶持の足軽。元を辿れば大野次郎右衛門も吉村と同じ貧困の出でしたが、大野家に跡継ぎ問題が発生し、棚から牡丹餅的に藩の重鎮にまで上り詰めたのでした。

幼少時をともに過ごした二人は親友とも呼べる間柄ではありますが、社会的な身分においては口をきく事も許されないような上下関係が存在するのです。

 

だからこそ、剣にも学問にも秀でた吉村貫一郎は貧困から脱する事もできず、脱藩するしかなかった。大野次郎右衛門にも、吉村の禄を増やす程の便宜を図ることはできなかった。

この物語のそもそもの始まりは当時の身分制度・格差に起因していたはずなのです。

 

ところが、大野千秋という人物はあろうことか足軽の娘を己の一存で嫁に貰ってしまう。おいおい、脱藩した重罪人の娘じゃないか。だいぶ格下な上、教養も何もない足軽の娘じゃないか。

 

だったら最初っからそうしろよー!

 

吉村貫一郎を登用できないのなら、息子・嘉一郎を大野家の養子に入れた上でどこか跡取りに困る武家に婿に出すとか。実際直江兼続なんかは似たような手段で家老入りを果たしたわけですし。

どうも舞台が南部藩に移ってからは、話の整合性が取れていないように感じてしまいます。

大野千秋の回想によると、吉村貫一郎が家族を引き連れて大野家に貰い湯に来ていたような記載もありますし。

上士の屋敷に足軽が、ねぇ……。風呂を借りられる、貸せる間柄ならやっぱりもうちょっとどうにかできたんじゃないかと思えてしまいます。他にも部下である足軽は多数いたでしょうし、昔の誼で吉村貫一郎にだけ風呂を貸していたとすれば、周囲からは白眼視されてしまいますもんね。出自にいわくつきの大野次郎右衛門に対する家中の風当りだって強まる事でしょう。

 

嘉一郎はその後、南部藩が恭順するに至った後もたった一人函館に渡り、五稜郭において最後まで南部藩の“義士”として戦い続けます。

 

「出立の折、御組頭様より頂戴した幟旗でござんす。二十万石はこんたな足軽ひとりになってしもうたが、わしは南部の武士だれば、たったひとりでもこの旗ば背負って戦い申す。二十万石ば、二駄二人扶持にて背負い申す」

 

五稜郭の戦いも見せ場の一つなのかもしれませんが、正直この頃にはだいぶテンションが下がっていました。 

嘉一郎は脱藩して藩に迷惑をかけた父の罪を背負っています。さらにそんな父が送金してくる汚れた金に育てられたという負い目も負っています。それらが彼を、南部藩のために戦おうを駆り立てた原因なのです。

でもそもそも父が脱藩した原因については疑問符がついてしまっているからなぁ。

その上、妹はあっさりと上士の家に嫁入りしていたり。

さらに、嘉一郎の弟は父と同じ吉村貫一郎の名を継ぎ、さらに大野次郎右衛門の尽力もあって戦後、裕福な家に面倒を見てもらい、立派な大人に大成していたり。

 

そんな事できるなら最初から……

 

 と思わざるを得ません。

 

 

一つ一つの見せ場は素晴らしい

 

……というわけで読み終えた『壬生義士伝』。後半はボロクソ書いてしまいましたが、読み終えた後も見せ場の一つ一つは鮮やかに脳裏に蘇ってしまいます。

鳥羽伏見で薩摩軍相手に見えを切る吉村貫一郎であったり、五稜郭で最期を飾ろうとする吉村嘉一郎であったり、はたまた京の町で躍動する斎藤一であったり。

一つ一つの見せ場の描き方が、とにかく上手だなぁ、と。

 

残念なのは全体を通しての軸がブレている感じがする事。

吉村貫一郎・嘉一郎を悲劇の親子に仕立てる代わりに、息子・貫一郎やみつを救ったという感じなんですかねぇ。

戊辰戦争後、会津藩をはじめ官軍に刃向った藩はかなり苦労も多かったはずなんですが、その辺りのエピソードが少なかったのもちょっと物足りないか。

 

会津藩で言えば最後の家老であった山川大蔵(浩)なんかは戦後も斗南での再起や西南戦争への参戦と勇躍していますから、大野千秋も藩重役の子弟として、さらには抗戦を煽った戦犯の息子として、南部藩の再興を担う役割も少なくなかったはずなんですが。本作においては、風当りの強い賊軍の子弟の一人として生きる事で精いっぱいだったようですね。

本来であれば罪人である脱藩足軽の子弟よりも優先して救うべき相手は無数にあったはずなんですけど。

子どもの頃の友情を優先して、目の前の藩士たちを後回しにするのは“義”と言えるのかどうなのか。やはり疑問なところです。

 

あとは吉村貫一郎脱藩以後、家族を支えてくれた伯父夫婦やその家族がどうなったのかも気になるところ。

名を受け継いだ子・吉村貫一郎もその後はだいぶ疎遠になっていたようですし。

 

全体を通して、とにかく吉村と大野の友情さえ美しければそれで良い感が否めませんでした。

本書は子母澤寛の『新選組始末記』を元にしているというのは有名な話ですが、南部藩や大野との友情エピソードなどは割愛して、新選組でたった一人義士として薩摩に立ち向かった吉村貫一郎を描くだけにとどめた方が、全体としての完成度は高かったのではないかと思えてしまいます。

もちろん、その背景を膨らませたからこそ『壬生義士伝』が生まれたんでしょうけど。

 

うまくまとめられれば映像作品の方が面白いかもしれませんね。

今度見てみる事にします。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bxi8_gjBvYn/

#壬生義士伝 #浅田次郎 読了#第13回柴田錬三郎賞 受賞作品映像化、漫画化、舞台化と派生も多い有名な作品。取材者(=子母沢寛?)に対して語るような独白形式の文章が独特。上巻の後半から語り手が斎藤一になる辺りが最高潮で、その後は尻すぼみな印象。四百石取りの旧友を持ってしても二駄二人扶持の貧困を脱する事のできない環境こそが全ての原因であったはずなのに、後半の語りを読むと上士の家に風呂を借りたり、上士の息子は罪人である脱藩足軽の娘を己の一存であっさり嫁に迎えたりと色々破綻してくる。あれ?吉村と大野の間にある身分の垣根ってもっともっと大きいはずじゃなかったっけ?だったらもうちょっとなんとかできたはずだよなぁ。貫一郎はまだしも、息子の嘉一郎を大野家の養子に迎えた上で他家に婿に出す、とかね。貫一郎が脱藩する前に娘を嫁に入れて親族化しちゃうとか。一つ一つの見せ場はものすごくよく出来ているんですけどね。薩摩軍にたった一人で立ち向かう吉村貫一郎とか。ただ、全体で見るとどうも整合性がとれていない気がして残念でした。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『チョコレートゲーム』岡嶋二人

「なんでも、みんなジャックのせいだ、とか言っていたらしいです。妹が聞いた言葉ですがね」

「みんなジャックのせいだ……」

岡嶋二人『チョコレートゲーム』を読みました。

岡嶋二人作品を読むのは『クラインの壺』、『99%の誘拐』以来です。

東野圭吾の『パラレルワールド・ラブストーリー』が間もなく公開という事で話題を呼んでいますが、クラインの壺』はパラレルワールドを描いた作品としては間違いなく『パラレルワールド・ラブストーリー』よりも数段上の作品ですので、ぜひ読んでみて下さいね。

岡嶋二人の最高傑作として挙げる人も少なくありませんよ。

 

その他、岡嶋二人作品としてはデビュー作の『焦茶色のパステル』をはじめ競馬もの、そして誘拐ものが有名ですが、今回読んだ『チョコレートゲーム』はその中でも異色の青春もの

とある中学校の3年A組の生徒に間に起こる連続殺人をテーマとした、第39回日本推理作家協会賞長編部門受賞作です。

 

 

大ざっぱなあらすじ

主人公は小説家の近内泰洋。彼には中学三年になる一人息子の省吾がいますが、ある日、妻から不登校が始まっていると知らされます。

学校に行くと家を出ても、実際には行っていなかったり。さらに、体に大きなアザを作ったり、食事も摂らなかったりと、不審な行動が続いています。心配する両親に、省吾はかえって苛立ちをぶつけるばかり。

 

そんな中、省吾のクラスメートである貫井直之の殺人事件が報じられます。

全身に多数の打撲を負い、学校近くの工場の空き地で遺体となって発見されました。

ちょうどその夜は、省吾が家に帰らなかった日と重なっています。

 

さらに浅沼英一が死亡。

やはりその近くでも省吾らしき姿の目撃証言が出ます。

 

省吾の潔白を信じ、身を案じる近内をよそに、遂には省吾もまた、遺体となって発見。

それまでの二つの事件とは異なり、自殺らしき死に様に、全ての事件は省吾の手によって行われたものとして処理されます。

 

しかしながら、納得のいかない近内は周囲から「殺人者の親」として煙たがられながらも、たった一人で真相解明に臨みます。

 

 

とにかく巧み

解説にも触れられているのですが、とにかく推理小説として上手。

 

直之が持っていたという二百万円もの現金。

直之が死の直前、震えながら繰り返していた「みんなジャックのせいだ」という言葉。

生徒たちがひた隠しにしようとする「チョコレートゲーム」の謎。

 

散りばめられた数々の伏線や謎をフックにぐいぐいと物語を読み進めさせ、登場人物たちは読者の興味や疑問、期待といった感情を裏切る事なく、一つ一つしっかりと解き明かしていってくれます。

 

最終的に全ての謎が解明してみると取り立てて“驚愕のトリック”があるわけでもなく、物語全体の印象としては凡庸な推理小説と言わざるを得ませんが、とにかく構成力が抜群でした。

他にもこの時期の本格推理小説にありがちのやや機械的な人物描写といった難点もありますが、推理小説としては読んでいて楽しいものです。

犯罪者の息子を持つ父親の葛藤や苦悩、中学三年生という年齢相応の複雑な人間模様……なんてところまで望んでしまうのは高望みしすぎかな。

最近冷めつつある読書熱にはちょうど良いバランスの良書でした。

 

https://www.instagram.com/p/BxOtCgHhk66/

#チョコレートゲーム #岡嶋二人 読了#第39回日本推理作家協会賞受賞作 名門中学3年A組で起こる連続殺人事件。生徒たちがひた隠しにする「チョコレートゲーム」と、死んだ生徒がうわ言のように繰り返していた「全部ジャックのせいだ」という言葉。自分の息子は本当に連続殺人犯なのか。 ……と事件の真相究明に向かう一人の小説家の話。トリックというか物語的には凡庸。特に際立ったものがあるわけではありません。この時期の本格ものにありがちな機械的な人物描写も玉にキズ。でもトータルで見ると不思議と秀作。それもこれも構成がとにかく素晴らしい。次々に生まれる謎をフックにグイグイ読ませ、登場人物たちは期待を裏切らずに真相に向かって進んでいくシンプルさと安心感。岡嶋二人は良いですね。なお、映画化で話題の #パラレルワールドラブストーリー を読んでみて微妙だったという人には岡嶋二人の #クラインの壺 がオススメです。同じパラレルワールドをテーマとした作品ながらクラインの壺は目茶苦茶ハマりますよ。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『天地人』火坂雅志

「あまり、事を急がぬほうがいい。急げば、足元をすくわれることもある。天の時、地の利、人の和、この三つが合わさったとき、はじめて物事は動くものだ」

2009年大河ドラマ天地人』の原作小説を読みました。

妻夫木聡主演でかなり人気のあった大河ドラマだという認識はあるのですが、いかんせん、全く観ていません。

なので事前知識としてあるのは「直江兼続上杉謙信の子孫・上杉景勝の右腕」という事に加え、先日読んだ山岡荘八伊達政宗』から「米沢の上杉と仙台の伊達でかなりバチバチやりあっていたらしい」という知識ぐらい。

一通り信長・秀吉・家康と続く戦国時代については司馬遼太郎を中心に読んだはずなのですが、いまいち同時代における上杉家や直江兼続って印象にないんですよね。

 

ちなみに、武田信玄上杉謙信についてもほぼ触れていません。

伊達政宗も先日ようやく読んだぐらいですし、基本的に戦国時代において蚊帳の外に置かれていたっぽい東日本の武将に関しては触れてこなかったと言ってよいかもしれません。

 

上杉家の衰退

本書は上杉家のライバルである武田軍が、織田・徳川連合軍に大敗を喫した長篠の戦のあとから始まります。

信玄の跡を継いだ武田勝頼はこの敗戦をきっかけに多くの武将を失い、周辺国からの圧力にも捺され目に見えて勢力を失いつつあるのです。

謙信を御館様に据える上杉家ではそんなかつてのライバルの衰退を横目に、日増しに勢いづく織田信長を敵対視。将軍家である足利家を敬う姿勢が見られます。

 

「信長の行為は、義にあらず」

 

武力を持って天下を治めようとする信長を、謙信はそう断じます。

 

人が人であることの美しさ

 

上杉家の家訓とも言える“義”を貫き、謙信は足利家に忠心を誓おうというのです。

 

 

しかしやがて、上杉家も不幸に見舞われます。

御館様である謙信の死。

それにともない、景勝と景虎という二人の息子による家督争いというお家騒動の勃発。

 

景虎には北条・武田が支援を表明し、追い詰められた景勝のためにと、兼続が打ち出した起死回生の奇策こそが宿敵である武田との和睦

それぞれが危うい立場に立たされた息子たちは歩み寄りを見せ、危機を乗り越えた後には景勝と勝頼の妹、菊姫との婚姻が結ばれるほどの蜜月関係へと転じます。

景虎は滅び、上杉景勝はついに家督相続を成し遂げます。それとともに、兼続は若干二十一歳にして家老に就任。さらに名家である直江家に婿入りする事で直江の名跡も継ぎ、景勝の右腕として、上杉家の大黒柱としての長い活躍の日々が始まるのです。

 

しかし、そう時を置かずして織田信長の手により武田家が滅亡。

かつて栄誉を誇った武田家が呆気なく消滅してしまった事に、上杉家でも危機感を募らせます。

信長は武田に次いで、当然の如く上杉家にも侵略の手を向けます。

圧倒的な武力を持つ織田軍の侵攻に、上杉家は苦しい戦いを強いられます。追い詰められ、万事休すに思われたその時、天下は突如揺るがされる事となります。

明智光秀謀反による、信長の死。

 

狼狽を隠せない織田軍は潮が引くように撤退し、上杉家はあと一歩のところで幸運にも難を逃れる事ができました。

さらに、光秀を討ち果たしたのは大方の予想に反して羽柴秀吉織田家の筆頭家老であった柴田勝家を差し置いて、天下は秀吉の手中へと転がり込みます。

 

目の前で二転三転する天下の情勢の最中、兼続は上杉家の存続へ向けて思案し続けます。そこへ対比するように描かれるのが、真田昌幸をはじめとする真田家。周囲を北条や武田、徳川に囲まれた小国真田家は生き残るために、風見鶏のように主君を変えてきた御家柄。義を重んじる上杉家とは対照的な存在です。

そんな真田家は、徳川から軽んじた扱いを受ける事に耐え兼ね、対抗策として上杉家との同盟を企てます。しかし、義を重んじる上杉が真田を信用するはずがない。そうとしった昌幸は、息子である幸村を人質として上杉家に差し出す事で、同盟を成立させるのです。

そんな幸村を手厚く遇する上杉家の“義”を、幸村自身も感化されていきます。

 

もうおわかりでしょうが……幸村がここで学んだ“義”こそが、豊臣家の家臣として最後まで戦い抜いた幸村の“義”に繋がっていくわけです。

 

理想論者から現実主義者への転換

ここからは大きく割愛しますが、“義”を掲げていたはずの上杉景勝も、自ら越後までやってくる秀吉の人たらしによって丸め込まれ、大阪城へ参謁、豊臣家に臣下の礼をとる事となります。

しかし秀吉が死に、家康と豊臣家への間に不穏が空気が流れはじめると、再び戦乱の世に。

上杉家は家康に対して断固として抵抗し、豊臣家への義を貫く姿勢を表明。兼続は秀吉亡き後、豊臣家の実務を掌握する石田三成と親交を深め、ともに徳川を討とうと企てます。

 

そんな上杉家に対し、家康は討伐の兵を向けます。ところが、上杉に目が向いた隙を見て石田三成が動いたことから、事態は急変。対上杉のために集められた軍勢は一転して西へと向けられます。

上杉と徳川との戦が始まった後、呼応して決起するはずであった三成の動きに「早すぎる!」と嘆く兼続でしたが、持ち前の機転を利かせ、今こそ好機であると景勝に進言。

今徳川の背後を突けば、徳川は西と東に大きく戦力を割く事となり、家康を仕留める絶交の機会となり得るというのです。

ところが景勝は首を縦に振りません。

退却する敵の背後に矢弾を撃ちかけるのは、義に背くというのです。

これまで阿吽の呼吸を見せていた主従はここで初めて意見の相違を見せ、兼続は忸怩たる思いで景勝の意に従います。

 

結果、徳川軍と豊臣軍とは関ヶ原に相まみえ、僅か一日にして西軍は惨敗。

石田三成を下した徳川家康は天下を手中に収めます。

混乱のさ中、福島において伊達軍を撃退した上杉軍は、このまま上方へ上って徳川を討とうと俄かに活気づきますが、景勝は家臣たちを諌めます。もはや天下が決したとして、徳川に和議という名の恭順を申し出るのです。

最後まで徳川に反旗を掲げた上杉家は当然の如く減封。会津から米沢へと再び異封を余儀なくされるのです。とはいえ、兼続の奔走もありお家断絶は免れ、ぎりぎり家臣も養える三十万石を確保する差配ぶり。

 

以後、上杉家は徳川家に従い、大阪冬の陣・夏の陣においても徳川の武将として大阪城の攻め手に加わります。

一方で、真田幸村らは豊臣への忠義を貫くべく、冬の陣においては真田丸にて奮戦し、敗北の決していた夏の陣において華々しく討ち死にを遂げます。

 

本書において、夏の陣の直前に幸村と兼続とが人知れず邂逅を果たします。

“愛”を掲げる兼続に対し、幸村がその意を問うというもの。

 

「それは、民を深く憐れむ心。すなわち仁愛だ」

 

兜の前立てにまで“愛”を掲げた戦国武将として直江兼続は知られていますが、その昔、上杉謙信から受け継いだ“義”はある意味理想論のようなもの。日々刻々と変わる戦国の世の中で、直江兼続は“義”ではなく“愛”を第一に貫くことで上杉家を存続させる事に成功しました。

“義”と“愛”とは、ある意味では理想と現実のようなものなのかもしれません。

誰しもが若い内には夢や希望といった理想に向かって生きようと志しますが、歳を負うに従い、目の前の現実に沿った生活へと変化していくものです。

直江兼続の生き様も、まさにそれと同じなのではないでしょうか。

 

織田信長の家臣であったはずの秀吉に下り、家康に就き従い、それでも上杉家を存続させようとした兼続は、“義”を捨て“愛”に生きた、理想論よりも現実論を取ったと言えるでしょう。

 

 

直江兼続に人気がない理由

しかし直江兼続という武将、大河ドラマが始まるまでは知らないという人も多かったと思います。

かくいう僕もそのうちの一人です。

 

仮に真田幸村と比べてしまえば、圧倒的に幸村の方がファンが多く、書籍や映像、演劇といった創作物への展開も多いでしょう。

世の中には判官びいきという言葉がありますから、戦国の世をうまく渡りきった直江兼続よりは、戦国武将として華々しく散った幸村に人気が集まるのは仕方のないところです。

 

しかしながら、比較対象として伊達政宗はどうでしょう?

米沢・仙台と同じ東北の武将であり、いずれも信長・秀吉・家康といった三傑に反目しながら天下を夢見、最終的には彼らの軍門に下ったという似たような境遇にありながら、傾奇者として名をはせた政宗に対し、兼続には地味なイメージがあります。

というものやはり、最初から功利に聡い存在として周辺各国の侵略に精を出し、時には恥を忍んで頭を下げ、と自らをさらけ出して戦国に向き合った政宗には裏表のある狐狸のような印象を持ちつつも、実に人間味臭い魅力があります。政宗は最初から利用できるものはなんでも利用してやろうという狡猾さがあふれ出ています。

それにに対し、“義”という理想論を掲げたにも関わらず最終的になし崩しに軍門に下ってしまう上杉家の変心ぶりは、真面目一徹な人間が汚職を犯したような不快感が伴ってしまいます。不快とまでは言い過ぎかもしれませんが、「口ではうまい事言っていたけど結局みんなと一緒だよね」という幻滅。

 

幕末において、最後まで徳川家に忠義を尽くし敗れた会津藩と、有事のための親藩であるにもかかわらず早々と降伏した徳川御三家に近いものを感じます。

政治家なんかでも、特に何事もなく任期を満了して引退した人間よりも汚職や権力闘争に関わった人間の方が後世にもてはやされたりしてますし、「成功」と「後の世の扱い」は必ずしもイコールではない、といったところでしょうか。

 

前に青葉城跡にも行ったし、今度は米沢神社にでも行ってみようかな。

あ、ゴールデンウィーク中は除きます。

ゴールデンウィークはせいぜい山登りに行くぐらいかなぁ。

 

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#天地人 #火坂雅志 読了#nhk大河ドラマ 原作。大河化されたのは今から10年前なんですねー。僕は見たことがないし直江兼続についてもほとんど知らないままの読書でしたが、なかなか楽しめました。とはいえ当初は上杉謙信から教わった「義」を唱えていたはずの兼続や景勝が時代の流れとはいえ、結局は秀吉に折れ、家康に下りと現実路線でお家の存続に奔走する様はちょっとがっかりかな。最終的には上杉家の捕虜時代に「義」を学んだ真田幸村が一番「義」を貫いて討死するという。そりゃ幸村人気出るわ。兼続歴史に埋もれるわ。という感想。基本的には謙信以後の上杉家没落の物語なんだよなぁと改めて認識しました。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『少女病』田山花袋

こみ合った電車の中の美しい娘、これほどかれに趣味深くうれしく感ぜられるものはない

花袋です。

今回読んだ『少女病』は代表作『蒲団』と並び、田山花袋の“変態”を大いに確立した作品の一つ。

 

こんなものが青空文庫なら無料で読めちゃうんだからすごいですよね。

分量的にも少し長めの短編というところで、サクッと読み終えてしまえます。

 

できる事なら、毎日揺られる通勤電車の中ででも読んで欲しい作品です。

 

どんな変態?

『蒲団』では自分に憧れてやってきた女弟子に恋心を抱き(妻子ある身←)、大作家に対する尊敬と男女の愛情とを自分に都合よく解釈して勝手に盛り上がった後、女弟子に彼氏がいるとわかっては国元の親まで呼びつけて糾弾・破門・追放した挙げ句、女弟子が使っていた蒲団の匂いを嗅いでもだえ苦しむというどうしようもなく醜い中年男性の姿が描かれていました。

『蒲団』はとにかく読んでいて最初から最後まで主人公である作家(花袋自身の投影と言われる)の気持ち悪さがにじみ出る変態本でした。

 

さて、本書ではどうか。

 

主人公の杉田古城は出版社に勤めるサラリーマン。自らも筆を取る作家の端くれだったりもします。

 

年のころ三十七、八、猫背で、獅子鼻で、反歯で、色が浅黒くッって、頬髯が煩さそうに顔の反面を蔽って、ちょっと見ると恐ろしい容貌、若い女などは昼間であっても気味悪く思うほど

 

という、見た目はいわゆる“キモいおじさん”そのものです。

この主人公もまた、『蒲団』の主人公同様、結婚して家庭を持つ立場にあります。

 

しかし彼の趣味というのが、冒頭に引用したような少女観察

主に通勤電車の中で遭遇する女学生たちに目を走らせては、ああでもないこうでもないと批評眼を働かせるのです。その内容というのが、下記のようなもの。

 

縮緬のすらりとした膝のあたりから、華奢な藤色の裾、白足袋をつまだてた三枚襲の雪駄、ことに色の白い襟首から、あのむっちりと胸が高くなっているあたりが美しい乳房だと思うと、総身が搔きむしられるような気がする。

 

はい、変態決定!

だいぶヤバいですよね。

読んでいて寒気がします。

 

何がヤバいってこの主人公の場合、若い女の子を「きれいな顔してるなぁ」「笑顔の可愛らしい子だなぁ」と愛でるといった生易しいものではなく、明らかに性的な目で見ている

その上で、美しい少女たちが、妻子がいて魅力も損なわれてしまった自分のものになる事はもう絶対にないと絶望したりもします。そもそもの外見描写を見る限り、例え若かったとしてもこの男のものにはなりそうもない気がしますが。

 

そんな彼にも、ただ一人、特に心に残る少女がいます。以前一度だけ電車で乗り合わせた少女で、そのあまりの美しさにもう一度会いたいと願いますが、どうしてかその少女を再び見る機会はありません。

ある日のこと、ついに少女を発見します。夢中になって少女を観察する杉田古城でしたが、あまりにも没頭するあまりに気が緩み、そこにアクシデントも重なって……物語の最後は、非常にあっけない幕切れを遂げてしまいます。

 

 

今もいる、よね

『蒲団』にも負けず劣らず、本書の主人公である杉田古城は最初から最後まで変態度MAX、不快感全快の気持ち悪さを感じさせてくれるのですが、でも、ふと改めて思い返してみると、杉田古城のような人物、現代においてもごくごく日常的に見られるような気がします。

電車やバスの車内で、道端で、たまたま通りがかった少女たちをなんとも言えぬいやらしい視線で追いかけるおっさん。そのおっさんの視線に気づき、「ねえ、あの人……」とひそひそ耳打ちしあう別の女性グループ。

 

一応弁解しておくと、男たるもの、見目麗しい女性がいればつい目で追ってしまうのは仕方のない事です(断言)。男性だけではなく、女性にも同じような傾向は見られますよね。対象が異性に限らず、物にせよ事にせよ気になれば目で追う。当たり前の事です。

でも、なんですかねぇ。あの、他人から見てもわかるいやらしい目つき。絶対いやらしい事想像してるなぁ、ってわかっちゃう表情。あれって、本書に登場する杉田古城のような妄想を膨らませているんでしょうね。

繰り返しになりますが、大なり小なり、誰しも身に覚えのある事だとは思うんですけどね。

 

そういう醜さを包み隠さず文章化してしまうところこそが、田山花袋の凄さであり、人気の要因だと思うんですが。

 

青空文庫・古典文学の入門書として

前回の『田舎教師』に続き田山花袋の『少女病』をご紹介しましたが、花袋は普段本に読みなれない人にもぜひおすすめしたい作家のひとりです。

よく「本を読む」と志した若者がいきなり夏目漱石太宰治に手を出してあっけなく撃沈、というエピソードを聞きますが、そういう人にも勧めたいですね。漱石や太宰に手を出すぐらいなら、花袋を読め、と。

 

また、今は青空文庫で気軽に古典名作を楽しめるようになりましたが、こちらもやはり無料に惹かれて手を出してみたにも関わらず、『こころ』や『人間失格』を数ページ読んで「やっぱり古典は合わない」と投げ出す人が多いようです。

正直、漱石とか太宰とかって、今の若者が読んで共感できるものだとは思えないんですよねー。やたらと死にたがる感じとか。書生とかいう意識高いニートの心情とか。

その点、好きな女の匂いの残る蒲団でもだえるとか、同じ電車に乗り合わせた女子高生に萌えるとか、そういう他人の様子を見て気持ち悪く感じるとかって、現代でも非常にわかりやすいテーマだと感じます。

 

現代社会だとスマホは基本的に常に持っていますし、日常生活の中で隙間時間というのもたっぷりあるので、Kindleに青空の無料本を突っ込んでおくっていうのは結構有意な気がします。

空き時間にスマホでやるSNS、ゲーム、ニュースサイトの閲覧、まとめサイトの閲覧に加えて、青空文庫で読書ってどうでしょう?

実本での読書が好きという人も、TPOによってはいちいち本を持っていってられない、本を開きにくいという場面も少なくないかと思いますが、スマホなら常に持っているし、本が開きにくいような場面でも普通に読めたりしますし。本が読めるところでは実本、読めない場面では電子と使い分け、併読するのも悪くないですよ。

 

田山花袋の他、芥川龍之介なんかもなかなか面白い短編がそろっていておすすめです。絵本でも読むような気分で読む事ができます。『鼻』や『芋粥』、『地獄変』の他、個人的には『蜜柑』も好きです。

梶井基次郎の『檸檬』はラストシーンにおいて、沢山の本の中にポツンと置かれる爆弾に見立てた檸檬の色彩の鮮やかさが有名ですが、それに似たような鮮やかな情景を、宙を舞う蜜柑に感じる事ができます。さらに言えば、『檸檬』は檸檬爆弾を置くに至った主人公の鬱屈した感情というのが現代においてはいまいち共感しにくいんですよねえ。その点、『蜜柑』は爽やかな青春の1ページが感じられてわかりやすいと感じられるはずです。

 

とはいえ、僕自身としては青空もちょっと打ち止めかなぁ、と。

短編だとあっさりしすぎてちょっと物足りなく感じるようになってきてしまいました。

黒死館殺人事件』や『ドグラ・マグラ』に手を出そうかと思わなくもないのですが、それだとちょっと重すぎるし。『真珠夫人』も気になるけど、やっぱりちょっと重いかな。最近ご無沙汰気味の実本の方に注力してみようかと思ってます。

 

今は歴史小説読んでるんですけどね。

そちらももうすぐ読み終えるかと思いますので、次の記事はそちらになろうかと思います。

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#少女病 #田山花袋 読了満員電車の中で乗り合わせた女学生を観察しながらエロい妄想を膨らませるキモいおっさんの気持ち悪い話。最初から最後まで不快感全開の代表作 #蒲団 に匹敵する変態本です。まぁでも、今もいるよねぇ。通りがかった女子高生をものすごくいやらしい視線で追いかけてるおっさんとか。その後もずっとチラチラ盗み見てたり。周囲では気づいててうわぁってひいてるけど本人は気づかないのか、気にしてないのか。それにしても今読んでも共感できる田山花袋って凄い。若い子が無理して太宰とか漱石に手を出しても途中で放り出すのは目に見えてるから、花袋から初めてみたら、とおすすめしたいものです。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

 

『田舎教師』田山花袋

かれは将来の希望にのみ生きている快活な友だちと、これらの人たちとの間に横たわっている大きな溝を考えてみた。

「まごまごしていれば、自分もこうなってしまうんだ!」

大好きな田山花袋です。

いまいち読書が進まない中でも、スマホKindleアプリで細々と読み続けていたのがこちら。

実は昨年年初にも一度手をつけていた作品だったんですが、環境の変化やら何やらでばたばたしている内に中途半端になってしまっていました。

先日長い時間をかけて『私本太平記』を読み終えた後、Kindleに何も入っていないのがどうにも落ち着かなく、何かないかなと探している中でふと思い出し、改めて読み直してみる事にしました。

田山花袋と言えばとにもかくにも『蒲団』が有名です。

作家である自分にあこがれてやってきた女弟子にほれ込んでしまった上に失恋。勝手に抱いた裏切られた感と嫉妬心に燃えて追放した挙げ句、弟子が使っていた蒲団に顔をうずめてのた打ち回るという「決して人には見せられない姿」をさらけだした今読んでもとてつもないインパクトを与えてくれる作品。

 

ただ、あまりにも『蒲団』が有名過ぎて、他の作品の話題が聞こえてこないんですよねー。

その中においても、田山花袋の代表作として名高いのがこの『田舎教師』。

今回は途中で投げ出す事なく最後まで読み切りましたので、しっかりとブログに残したいと思います。

 

 

あらすじ

学校を出たばかりの文学青年林清三は、生活の為に羽生の田舎の教師として働き始めます。当時の教員は今よりもずっと位も低く、免許も「必要ならとればいい」ぐらいのものでしかありません。

 

かれは将来の希望にのみ生きている快活な友だちと、これらの人たちとの間に横たわっている大きな溝を考えてみた。

「まごまごしていれば、自分もこうなってしまうんだ!」

 

同僚・先輩である教師たちの酒飲み話を聞きながら、一方で清三は上記のように危機感を募らせます。今ある現状は、清三にとって納得できるものではないのです。

友人の父の紹介で職に就いたにも関わらず、清三は文学への情熱を捨てきれません。むしろ教員はあくまで一時的な仮の姿であって、いつかは一旗揚げてやろうという若者特有の希望に満ち溢れています。

 

度々学生時代の友人たちと集まっては、今でいう同人誌のような「行田文学」の発行に関わったりと、精力的に活動していきますが、僅か四号で廃刊となったのをきっかけに、友人たちも少しずつ離れて行ってしまいます。夢見心地な学生気分からようやく目が覚めて、各々が現実的な着地点へと半ば強制的に落ち着いていくようにも感じられます。

また、友人である郁治が「Artの君」と呼ぶ美穂子に想いを募らせている事を知ります。実は清三もまた、美穂子に対しては以前から恋心を抱いていました。親友から相談を受け、自分の心を言い出せない清三。清三の心をよそに、郁治と美穂子の恋は進展していきます。これをきっかけに、清三は郁治と距離をおくようになり、やがては故郷である行田からも疎遠になっていってしまいます。

 

文学の道がとん挫し、失恋も重なった清三は女遊びに手を出し、周囲から借金を重ねる腐敗した生活へと陥ってしまうのです。

ところが入れあげていた遊女が何も告げずに身ぬけし、志した音楽学校の試験においても失敗した清三は、突如心を入れ替え、品行方正な田舎教師へと立ち直りを見せます。貧困にあえぐ実家の両親を支えながら、教師として勉学と研究に励む清三でしたが、彼の身にはいつしか病魔が迫っており……

 

 

ここではないどこかを夢見る若者

清三の姿は、現代の若者にも通じるところが多いようです。

当時の文学者とは、現代でいうアーティストや芸能人といった意味合いに近いでしょう。

いつか名をあげて有名になってやる、という想いを抱きながら、明確に挫折するわけでもなく、フェードアウトするかのように人並みの生活に落ち着いていく人々は、今も昔も多かったわけです。

そうして夢見た世界とは大きく異なる小さな現実の中で短い一生を終えていく一人の若者の姿を、田山花袋は書きたかったのでしょうね。

 

また、友人の心に気兼ねして自身の恋をひっそりと終えてしまう無常さにも心を打たれてしまいます。実際にこうして恋を恋にする事もできずに終えてしまう人は、いったいどれだけいる事でしょう。さらに清三には決して悪いとは思えない縁談が持ち込まれたりもしますが、他人から見ればなんとも小さなこだわり、葛藤によって無下にしてしまったりもします。当時は年頃になれば縁談が飛び交うのは当然の時代であり、清三が気のないそぶりを見せている内に、相手はさっさと別の相手の元へ嫁に出されてしまったりします。なんとももったいない、残念な選択ばかりしてしまう清三青年ですが、だからこそ妙にリアリティに溢れているように感じられます。

 

物語の終盤、かつて教え子であった一人の少女が、大人の女となって清三の前へと現れます。ひそやかに手紙等をやりとりする二人ですが、やはりここにも、煮え切らないまでも確かに存在する“ラヴ”が感じられます。病により清三が去った後、彼女らしき人物が羽生の同じ学校で教鞭をとっている様子が聞かれるのが、唯一の幸いでしょうか。

 

大望を抱きながら、何も果たせずに消えて行った清三青年。でも少なくとも一人の少女の胸には、彼の教師としての姿がしっかりと刻まれていたのでしょうね。

 

 

羽生に行きたい

『蒲団』にも見らえた事ですが、田山花袋の文章は非常に写実的というか、情景描写が鮮やかに描き込まれているのが象徴的です。

あんまり細かいので引用するのも憚られますが、とりあえず一文だけ。

役場はその街道に沿った一かたまりの人家のうちにはなかった。人家がつきると、昔の城址でもあったかと思われるような土手と濠とがあって、土手には笹や草が一面に繁り、濠には汚ない錆びた水が樫や椎の大木の影をおびて、さらに暗い寒い色をしていた。その濠に沿って曲がって一町ほど行った所が役場だと清三は教えられた。かれはここで車代を二十銭払って、車を捨てた。笹藪のかたわらに、茅葺の家が一軒、古びた大和障子にお料理そば切うどん小川屋と書いてあるのがふと眼にとまった。家のまわりは畑で、麦の青い上には雲雀がいい声で低くさえずっていた。

丁寧というか細かいというか。

とにかく一つのシーンを描くのに、目に映ったもの、起こった事を全て書いているという印象です。このため、読んでいて頭に浮かぶ映像が非常に明瞭となります。清三の過ごした当時の羽生の街並みや生活の様子等が、ありありと想像できるようです。

 

『蒲団』のイメージから私小説の印象がぬぐえない田山花袋ですが、本書については別のモデルが存在するというのも興味深いところ。

主人公・林清三のモデルは小林秀三という青年であったと言われています。若くしてこの世を去った小林青年の日記に目を留めた田山花袋が、小説として昇華したものです。田山花袋自身は、作中で原杏花という人物として登場しています。清三の住んでいた成願寺も、建福寺という名で今も実在し、小林青年の墓も残ってるそうです。その他、弥勒小学校の跡を示す石碑や作中に登場する小川屋の資料館等があり、羽生では町おこしとしてPRも行っているようです。


花袋麺や花袋せんべい、田舎教師最中といったお土産まであるとなると、一度行ってみたくまってしまいますね。

埼玉って正直言うとあんまり観光のイメージないんですけどね。秩父の方ばかりで。

でも羽生なら東北自動車道沿いですし、結構気軽に行けちゃいそうですよね。

 

ちなみに『田舎教師』を書くに至った経緯については、田山花袋自身が『『田舎教師』について』という随筆(エッセイ?)を残しており、こちらも青空文庫Kindleで読む事ができます。

 

 

変態・田山花袋

さて、『田舎教師』を読み終えたとなると気になるのがKindle枠の空き。

吉川英治の『新・平家物語』がインストールされたまま放置されていたりするんですけどね。こちらは取り掛かるには覚悟が必要なので今しばらくおいておくとして。

 

やっぱり花袋を読むと、次も花袋にしたくなりますね。

青空文庫って今現在も大量の作品が作業中とされているものだから、ふと気づくと新しい作品がアップされていたりします。

そんな中で次に読むとすれば……やっぱり田山花袋らしい変態作品が良いですよね。

 

一体どの作品を選んだかは、記事にするまでお楽しみに。

 

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#田舎教師 #田山花袋 読了#蒲団 のせいで変態のイメージの強い田山花袋ですが、こちらは実在した青年の日記を元にした作品だけに、変態色は薄め←花袋らしい緻密な情景描写と、今の若者にも通じる「ここではないどこかを夢見る青臭さ」が非常に瑞々しく感じられました。今の自分を仮の姿だと思いたい現実逃避。受け入れたくない目の前に広がる未来像。もうホントみんなもっと花袋読んでよ。読もうよ。とりあえず蒲団から。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『御城プロジェクト:RE ~CASTLE DEFENSE~』仁科朝丸

城娘。

人間を襲う異形の怪物『兜』に対抗しうる力を持つ、数少ない存在。

底知れぬ大軍と激甚の破壊力を有して押し寄せる兜の軍団を、城娘たちは塞き止め、打ち返し、時に斬り伏せ、時に射落とす。 

 えーと……コホンコホン。

わざわざブログ記事に書くほどでもねー。。。なんて思いつつも、せっかく読んだので一応。

 

先日ブログの記事でも触れましたスマホゲーム『御城プロジェクト:RE』のノベライズです。

『御城プロジェクト:RE』とは次々と押し寄せる敵キャラに対して味方の城娘たちを配置し、巨大化や計略(スキル)なんかを使いながら殿を守りきるといういわゆるタワーディフェンスもののゲームで、日本各地、さらに世界各国に実在する城をモチーフにした“城娘”たちが非常にユニークだったりします。

『艦これ』の艦娘や『刀剣乱舞』の刀剣男子に代表される擬人化ものの一つと言えば良いでしょうか。

 

城と言えば先日テレビ朝日系列で『お城総選挙』が放送されましたが、当然の如く、総選挙にランクインしたような著名な城も登場します。

例えば一位となった姫路城。

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さらに二位の大坂城はこんな感じ。

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……完全に趣味の世界、ですねw

 

とはいえ姫路城を見ればなんとなくわかっていただけるかもしれませんが、実際の城の特徴や歴史等々をモチーフとしながら、城娘さんたちがデザインされていたりします。

大坂城に至っては「お前、本当に城か?」というツッコミも否めませんが。

 

人吉・佐賀・彦根・防己尾・三原・雑賀・石山御坊・館山

さて、真面目に作品について紹介しますと、本作は『御城プロジェクト:RE ~CASTLE DEFENSE~』のノベライズと言いつつ、外伝的な位置づけになろうかと思います。

ゲームのストーリーからは少し離れ、それぞれの城娘たちにスポットを当てた短編集となっています。

一つ目が佐賀城を主役に、人吉・彦根が登場する話。

佐賀城普請直後の大火にちなんで火の扱いが不器用だったり、鍋島化け猫騒動にちなんで猫が大の苦手だったり、城のエピソードはしっかりと書く城娘に反映されています。本作ではそんな佐賀城が猫嫌いを克服しようとする日常的な様子が描かれています。ちなみに彦根城は「彦根藩の2代目藩主・井伊直孝が雨宿りの際に白猫に手招きされて落雷を辛くも回避出来たという逸話」にちなみ、ゲーム上では猫のスキルを使うキャラクターだったりします。

 

二つ目は唯一シリアスで、原作ゲームにも関わりの深い三原城の話。

ゲームシナリオに登場する城娘たちは、最初は記憶を失くしていますが、殿たちに救出されることで城娘としての本来の人格を取り戻します。三原城はそんな、殿たちに助けられる前の記憶喪失の間に起きた出来事を防己尾城を相手に振り返っているのです。

異形の怪物『兜』たちが人里を襲い、村が炎に包まれ、幼い子が死の意味も知らないまま避難させられる……そんなゲーム中でもあまりないシリアスさが垣間見られます。

 

そして三つ目は雑賀城。

アイドルと自称してやまない石山御坊(上の大坂城の下位互換キャラ・見た目はほぼ同じ)のファンだというのはゲーム中でも知られた雑賀城のファンですが、初登場のキャラクター館山城の、「他の城娘たちと仲良くなりたい」という悩みにこたえるうちに、石山御坊とともに三人で踊る事になってしまいます。

踊りを通してお互いを理解し合い、城娘としても結び付きが強くなる三人。

 

そうして最後は、本作のナビゲーター役でもある千狐の目線で、襲い来る『兜』に立ち向かう城娘たちの様子を描いています。ゲーム中で城娘たちは“巨大化”する事によって能力値が上がり、体力も回復していくのですが、殿の命令がないと巨大化できないという設定はうまく考えましたね。

殿=プレイヤーですから、確かにプレイヤーが操作しない限り城娘たちは巨大化できないわけです。なるほどなるほど。

 

尚、作中で三原城がお世話をする「食いしん坊の城娘」が誰の事かわからず調べましたが、どうやら岩国城のようですね。イベント限定でもらえるキャラ。僕はその頃プレイしていなかったのでピンと来ませんでしたが。

上記のようにそこそこプレイしていてもわからないエピソードが混じっていたり……そういう意味では、原作ゲームのプレイヤーでもない限り読んで面白い小説とは言えなさそうです。

 

 

どうしてこのキャラを選んだの?

ただ不思議なのは登場するキャラクターたち。

正直言って、みんな微妙なんですよね。

唯一三原城だけはシナリオ中ドロップする事で全プレイヤーに行きわたる(≒ガチャでなくとも手に入る)中レアキャラクターとして馴染みも知名度もありますが、佐賀城にせよ雑賀城にせよ、ゲーム中ではそう使用頻度の高いキャラクターではありません。石山御坊も悪くはありませんが、前述の通り大坂城の下位互換といった性能で、大坂城を手に入れてしまうと出番がほぼなくなってしまったりしまいます。唯一彦根城だけは、ほぼプレイヤーの全員が入手する強くて便利なキャラクターと言えるでしょうか。防己尾城に至ってはゴミ……もといほとんど使われる事もない弱小キャラ。

 

本ゲーム中にも人気投票というイベントがありますが、常に上位入賞の彦根城以外は掠りもしていません。

ノベライズにあたっては、人気のあるキャラやせめて馴染みのあるキャラクターを使用した方が良かったんじゃないかなぁ、なんて思ってしまいます。

一応「メインヒロイン」と呼ばれる柳川城もいるんですけどね。本作中ではそれらしき人物が一瞬登場しただけで終わってしまいましたし。

 

佐賀城とか、はっきり言ってだいぶマニアックな人選。

僕はちょうど佐賀城を育てていたところだったのでそれなりに楽しめましたが、あんまり使っているプレイヤーもいないだろうな、と思います。

こういうゲームのキャラとしては致命的な事に、見た目もあまりよろしくないですし。

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せめてもうちょっと見た目が良ければ、育てて使おうというプレイヤーも増えるのかもしれませんが。いわゆる趣味枠にも該当しそうにないですよね。

 

 

おまけ付

なお、本作にはおまけがついています。

ゲーム内で、小説にも登場した新城娘館山城がもらえるシリアルコード付。

基本的に僕は無課金派なのでゲーム内で課金したりはしないのですが、小説にシリアルコード付いてるのってちょっと魅力的に感じました。どうせ本は読むし、そこにキャラまで付いてくるなら嬉しい。

正直性能はあまり良くなくて、ゲーム内でも使うかっていうと微妙なんですが。

 

ちなみに本書は一冊680円の税別で、殿(←プレイヤーのこと)たちの中には5冊買って五体の館山城を重ねて限界突破して、完凸させる(※わかる人にはわかる)強者もいるようですが、流石にそこまでやる殿もそんなにはいないんじゃないかなぁ。

最近のスマホゲームって3,000円、5,000円、10,000円ぐらいのお得なセットなんかが販売されていて、買っている人も少なくはないらしい。だからこそ各ゲーム会社も儲かっているんでしょうけど。

そんな風にして何千円も、下手したら万単位で課金してガチャ回して、それでも欲しいキャラはなかなか手に入らなかったりして……という経験者から見ると、たかだか四千円弱でそこそこのキャラが揃えられるというのは意外と安上がりに感じられたりするそうです。

 

身近なところでは毎週変わる特典が欲しいがために毎週末同じアニメ映画を観に行くという人間がいましたが、昔のビックリマンチョコや今のアイドルCDにもつながるおまけ商法は、なかなかに強烈な魅力を持つようですね。

本作もそれこそビックリマンチョコを食べるように、軽い感じで消化しました。

ちょうど読書に飽いてきていただけに、こういう読書も良かったかもしれません。

 

あんまりマニアックな本やゲームの話ばかりだと呆れられてしまいそうなので、そろそろちゃんとした作品でも読もうかな、という気になってきました。

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#御城プロジェクトre #城娘草紙 #仁科朝丸 読了ラノベ。というかスマホゲームのノベライズというマニア向け本。しかも本ストーリーからは外れた外伝的短編集。登場するのも人気ランキングに掠りもしない低レア不人気キャラばかりという斜め上な設定。うーん、マニア向け。まぁ実際にゲームをプレイしているマニアだからこそ手を出してみたんですが。そうでもなきゃ読まないし読めないし。最近下降気味の読書熱の代わりに読んでみました。今なら☆6の限定城娘 #館山城 のシリアルコード付。……ってこの子の性能も微妙なのね。ゲームもそろそろ飽きてきたぞー。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『同族経営は、なぜ3代で潰れるのか?』武井一喜

「売り家と唐様で書く三代目」

……ご無沙汰しています。

最近、めっきり読書から離れがちな日々が続いています。

 

仕事だったり、仕事に関わる勉強だったり、前回のブログでも挙げたスマホゲームだったり、理由は色々と挙げられるんですが、なんだか本を読んでもいまいち心に響かなくなってきてしまっています。

昨年一年間はかなり充実した読書ライフを過ごしましたから、その反動と言えるのかもしれません。

 

そんな中でも一応は細々と読み続けてきたのが本書『同族経営は、なぜ3代で潰れるのか?』。

以前からちょくちょく触れてきたいわゆる「事業承継」系の著書ですね。

 

なぜ3代で潰れるのか。

 

冒頭の引用の通り、二代目・三代目で事業が破たんするケースは世の中に多々見られます。金持ちの息子として甘やかされてわがままに育ち、大人になっても親の脛を齧りながら、家業よりも政治や遊び、投資や新事業などに浮かれて、肝心の家を取り潰してしまうのいうのがステレオタイプな三代目像でしょう。

昨今においてもファミリー企業のお家騒動や後継者の巻き起こした汚職事件といったニュースも頻出しています。

 

とはいえ、上記のステレオタイプな見方で片づけられてしまうケースが一般的で、「なぜ3代で潰れるのか」という点について深く掘り下げた本というのは珍しいのではないでしょうか。

三代目が陥りがちな罠、やってしまいがちな失敗……実例をもってそれらを分析してくれているのだとすれば、こんなに面白そうな本はありません。

実際、アマゾン等の評価はどれも良いものばかり。

期待して、読んでみましょう。

 

 

やっちまった

せめて書店で流し読みでもしてから買えばよかったですねー。

僕は上記のように「なぜ3代で潰れるのか」という書名にもなっているテーマについて期待していたのですが、

 

よくある書名詐欺でした。

 

本書は前半部において、国内外における「ファミリービジネス」について整理・分析し、同族企業の利点について述べています。

世界中にもファミリービジネスで成功した大企業や著名ブランドも多く、一般企業に比べて業績に優れたファミリービジネスも多い、と。

高度成長期以後、仕事と家庭を分離させるような動きが広まってきたが、必ずしも切り離す必要はなく、むしろファミリービジネスである事を受け入れた上で、未来へ向けて継続させていく努力をすべき。

 

でまぁ、そこからつながるのは事業承継の話。

社内にプロジェクトチームを作るとか、社長自身が目標を定めて動かないと事業承継は進まない、とか。

 

なのでどんなに読み進めても、「なぜ3代で潰れるのか」という点についてはほとんど触れられません。

 

やっちまったなぁ。

 

 

分類=整理・分析?

やっちまった点はもう一つあって……この本、

 

コンサル本

 

なんですよ。

著者はファミリービジネスを対象としたコンサルタンティング会社の代表。

 

僕はコンサル本を非常に毛嫌いしていまして。

だって彼らは当事者ではないですからね。実際に悩んだり苦しんだりした経験があるわけではないんです。だから著作を読んでもどこかで見聞きした話の上辺だけをなぞるようなものが多くて、心にガツンと響くようなものは少ない。

 

その意味では本書もほぼ同様。むしろ「どこかで見聞きした話の上辺」すらも少ないと感じました。

 

「〇〇に必要なのは三つの××だ」とか「△△は四つのパターンに分類される」とか、分けたり、パターン化したそれぞれについての説明に終始するばかり。

 

極端に言うと「経営者の血液型は四種類に分けられます。A型は几帳面でB型は自分勝手、O型は大ざっぱでAB型は分裂症」みたいなものですね。だからなぁに?っていう。

講演会やセミナーでよく見られるパターンですね。60分とか90分とか、与えられた時間の中で聴衆を飽きさせないために、テーマを三つ、さらに三つを四つと分割しながらスライドに映しだしながら説明していく手法。あれを本にまとめた感じです。

 

とりあえず時間いっぱいはきれいに収まるのだけど、かといって聞き終わった後に何も残らない。……で、結局言いたい事ってなんだったの? 3代で潰れる原因ってなんだっけ? なんて狸に騙されたような気分で帰る羽目に遭います。

 

ただでさえ読書に飽いてしまっているというのに、こんな本を手に取ってしまったのが運の尽き。

零細・家族経営企業をテーマとした事業承継系の本ではいまいち「これはいい!」と絶賛できるような本には出会えていないのですが、せめて下記の本の方が、実際の経営者目線で書かれているのでためにはなるかもしれません。

久しぶりの記事がこんなんでなんとも微妙な気分ですが。。。

まぁ、きっとそのうちまた寝る間も惜しんで読み続けてしまうような作品に出会える事でしょう。

 

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#同族企業はなぜ三代で潰れるのか? #武井一喜 読了やっちまったなぁ。俗に言う #コンサル本 でした。しかも実例はほとんど挙げられないという珍しいコンサル本。ファミリービジネスについて分類、分類を重ねてまとめた講演会のプレゼンテーションを本にしたような内容です。肝心の「なぜ三代で潰れるのか」についてもほぼ触れられず。Amazon他の評価は良かったんですが。これだからネットの衝動買いは怖い。ビジネス書系はやっぱり実本を見て買わなきゃ駄目ですね。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい.. ※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。