札幌人は、ヨサコイが嫌いなことをひとつのステータスにするふしがある。ヨサコイの話をすると田舎者として見られるのは、職場の洗礼で嫌というほど味わっていた。
田丸久深さんの『YOSAKOIソーラン娘』を読みました。
初めて読む作家さんです。
訳あってよさこいを題材とした創作物を探していたのですが、これが意外と少ないんですよね。
以前札幌のよさこいソーランではなく、高知のよさこいを題材とした『夏のくじら』という作品は読んだ事があったのですが、どうやら小説物としては本書『YOSAKOIソーラン娘』と『夏のくじら』が全て、と言っても過言ではないようです。
(もし他にお心あたりの方がいれば教えて下さい)
漫画・アニメになると『ハナヤマタ』という超がつく程有名な作品もあるんですけどね。
『ハナヤマタ』自体は非常に良く出来た作品だと思うのですが、よさこいそのものというよりはよさこいを軸とした学園モノといった方が良さそうな構成で、実際によさこいを練習したり、踊ったりと必死に打ち込む場面というのは意外と少なかったりします。
メンバーもたったの五人しかいませんし。
なのでよさこいを描いた作品としては、ちょっと物足りなさを感じてしまったりするわけです。
尚、僕がどうしてこんなアニメを知っているかというと、『ハナヤマタ』の原作漫画を描いた作者浜弓場双さんが、僕が敬愛する角川つばさ文庫の看板作品『四年霊組こわいもの係』の挿絵も担当されているからです。
とっても今風のかわいらしい絵を描かれる作家さんですよね。
その他にも『落ちこぼれフルーツタルト』や『小さいノゾミと大きなユメ』作品も描かれています。
興味のある方は、そちらもどうぞ。
まぁ、『ハナヤマタ』については直接本書に関わるところではありませんので程々にしておくことにして……前置きが長くなりましたが、 今回の主題である『YOSAKOIソーラン娘』についてご紹介したいと思います。
YOSAKOIソーラン祭
本書の舞台は札幌。
就職のため南日高町から引っ越し、四年が過ぎた満月は行きつけとなっていた居酒屋はねかわでの縁がきっかけで、大郷通商店街で再結成するというよさこいチーム「DAIGOU」に参加する事になります。
このYOSAKOIソーラン祭。
知らない方のために簡単にご紹介しておくと、札幌で毎年六月に開催されるイベントです。
毎年全国から約300組近いチームが参加し、市内に用意された幾つものステージやパレード用に封鎖された大通りを、五日間かけて踊り明かします。
そもそもの成り立ちは1991年に高知のよさこい祭りを見た大学生が札幌に持ち帰り、実行委員会を立ち上げたのが始まりとされています。
回を重ねるごとにスケールを増し、現在では本場よさこい祭りにも負けない一大イベントへと膨れ上がりました。
よさこい自体に興味も感心もなくとも、札幌のYOSAKOIソーラン祭の名前だけは聞いた事がある、という人も少なくないでしょう。
本書はそんなYOSAKOIソーラン祭を、実際に参加する札幌市民の目線で描いたという意味でも興味深い作品となっています。
というのも、僕達外部の人間がイメージする表面的な華々しさとは裏腹に、YOSAKOIソーラン祭を取り巻く地元の人々のリアルな心情がありありと描かれているからです。
アンチYOSAKOI
主人公である満月は、子供の頃からヨサコイ中継を楽しみにし、有力チームの名前や特徴をそらで説明する事ができるぐらい、ヨサコイが好きでした。
そんな彼女が札幌に出て来て直面した現実は、想像以上に強いヨサコイへの逆風でした。
冒頭に引用した一文の通り、札幌市民の間ではヨサコイに否定的な意見を持つ人も少なくありません。
本書の中ではむしろ、それが圧倒的なマジョリティーであるとして描かれます。
「ヨサコイなんて音楽がガンガンうるさいだけで、やる意味がわかんないです。当日も見に来てくれって言われてますけど、あたし、絶対行きません」
かつてはさまざまな曲で朝から晩まで行われていたテレビ中継も、徐々に縮小された。アレンジに凝りすぎて本来のヨサコイやソーラン節を見失うチームを嫌がる声も上がった。インターネットの掲示板には批判の声が相つぎ、真相のわからない誹謗中傷もでっち上げられた。YOSAKOIソーラン祭りは市民の祭りではない、ただの金稼ぎの手段だ。踊りもただのダンスコンテストだ。そんな声もあちこちで上がり、とある企業が行った『ヨサコイは好きか嫌いか?』というアンケートでは若干数ではあるが『嫌い』が上回る結果になった。
「まったく、ヨサコイの日は地下鉄に踊り子たちが乗り込んでくるから嫌なのよ。音楽が響いて仕事にも集中できないし。出勤するのが憂鬱だわ」
「もう、駒場さん。そんなこと言ったらヨサコイ隙に嫌われちゃいますよ」
「……だって、わたしの職場はみんなヨサコイが嫌いなのよ。ヨサコイに出たなんて知られたら、なに言われるかわかんない」
駒場というパワハラ気質のある上司のせいでただでさえギスギスしがちな満月の職場においても、ヨサコイの話題が上がる時は決まって否定的な論調ばかり。
そんな中でヨサコイを踊る事になった満月は、ひた隠しにするようにこそこそと、チームの活動に参加を続けます。
一方で、チームリーダーである太陽をはじめとする「DAIGOU」の面々は、非常に前向きに、精力的にヨサコイに取り組んでいきます。
当初「DAIGOU」の再結成時には商店街の人々から反対意見等の抵抗もあったと言いますが、彼らは苦労を微塵も感じさせません。
踊りの練習だけではなく、衣装小物の製作やブログ・SNSを駆使した情報発信など、それぞれがプライベートな時間を削り、協力して進めていくのです。
毎日が憂鬱でアンチヨサコイの巣窟のような職場と、いつも前向きで和気あいあいとした「DAIGOU」のキラキラした時間とが、明暗の対比をくっきりと浮かび上がらせながら交互に描かれて行きます。
地域小説としても秀逸
札幌市民がYOSAKOIソーラン祭に対して抱くネガティブな印象は非常にリアルで、外部からはうかがい知れない内面的な心情をまざまざと知る事ができます。
更に他にも、本書には地域ならではといった心情・場面が多数登場します。
羊羹ツイストのようなご当地パンだったり、アメリカンドッグにグラニュー糖をまぶして食べるといった秘密のケンミンショーのようなご当地要素は枚挙にいとまがありませんし、主人公満月の元彼・真明は札幌市民の特権階級意識を絵に描いたように嫌らしい男です。
札幌生まれの札幌育ちは、道内のほかの市町村について知らなすぎる。
という言葉通り、札幌市民は札幌以外には全く興味がない都会人なのだと満月は言います。
出自が札幌ではないというだけで相手は途端に興味を失い、道内一の都市としてなんでも揃う札幌こそが至上であり、札幌で生まれ育った自分はそれだけで相手よりも上の存在であると自信満々に見下してくるような、エゴイズムの塊。
元彼はまさにその権化のような男で、田舎者の満月を嘲り、馬鹿にする事で自尊心を保つような最低な人間でした。
しかし満月もまた、田舎から誰も知る人のいない札幌に出て来てすぐの頃であり、寂しさを紛らわせるように真明の言いなりになっていたのです。
札幌市民のエゴイズムを感じさせる真明だけではなく、後輩である森や他の人間からも垣間見る事ができます。
一方でそれは、田舎者である満月のただの劣等感の現れではないのか、とも思えるのですが、そんな風に思わせる心情描写もまた、小説としては秀逸であると言えるでしょう。
そして迎えるYOSAKOIソーラン祭当日
ソロメンバーの一人として選ばれた満月には、チーム内からも嫉妬の目が向けられたり、祭当日にシフトインさせられそうになったり、さらには太陽との関係がぎくしゃくしてしまったりと、様々な紆余曲折を経ながら迎えたYOSAKOIソーラン祭当日。
それまでコツコツと積み上げられてきた物語に比べると、当日の風景は味気ないぐらいに淡々と、呆気なく描かれて行きます。
しかしもちろん、物語としては何の波乱もなく踊って終わり、というわけにはいきません。
「DAIGOU」をハプニングが襲い、それは満月自身にも大きな影響を与えます。
さらに職場の同僚達との歪な人間関係や、回想として描かれてきた元カレ・真明のその後の姿等、張り巡らされた伏線が一つ一つ丁寧に回収されていきます。
社会人×スポ根……?
終盤は夢中になって読みふけるほど、久しくなかった興奮を味わわさせてくれる良書だったのですが、Amazonの評価数等あまり多くないのが残念なところ。
やはりこれはヨサコイというブームを過ぎた感のある題材である事も大きな要因の一つだと思うのですが、加えて主人公が二十代半ばの社会人女性というのも難しい点なのでしょう。
冒頭にご紹介した『ハナヤマタ』は中学生の女の子達が主人公。
その他、スポーツ等を題材とする作品の多くは、中高生やせいぜい大学生といった若い世代が中心となる事がほとんどです。
大人になってからのスポーツものというとレジェンド級の実在の選手をモデルとするケースが多く、そうなると創作物というよりはドキュメンタリーに近いものになりがちです。描かれるテーマも、過去の自分との戦いや家族愛といったものになるでしょう。
二十代中盤の一般的な社会人を中心に、スポーツや文化的な活動を描く作品ってあまり見ないんですよね。
つまり、需要が少ないと言い変える事もできます。
ましてやヨサコイという、現在ではだいぶ下火となった題材でもありますし。
映像化等の話題でもない限り、なかなか手に取られにくい作品なのでしょうね。
だからこそ当ブログでは、ぜひとも本書を推したいと思います。
よさこいに興味があろうとなかろうと関係なく、非常に楽しめる人間ドラマです。
若干ラノベタッチで、読みやすい文体である事も付け加えておきましょう。
下火下火と書いてきましたが、札幌や他の全国各地でも、まだまだよさこいに取り組む人々はいますからね。
YOSAKOIソーラン祭自体は、コロナ禍で二年連続の中止となってしまいましたが、今この時も、もう一度踊れる日を夢見て日々練習に取り組む踊り子達がいるのです。
札幌までは行けなくとも、もし地元でよさこいのステージがあれば、僕もまた見に行ってみたいと思います。
今の世の中の暗い雰囲気を、明るさ100%のよさこいで吹き飛ばして欲しいものです。