角田光代『私はあなたの記憶のなかに』を読みました。
以前にも『庭の桜、隣の犬』の記事で書きましたが、映画化もされた『八日目の蝉』を読んで以来、角田光代は僕が大好きな作家の一人です。
『八日目の蝉』は原作も、映画版もちょっと内容が違っていて、それぞれが素晴らしい名作となっていますので、未読の方にはぜひおすすめしたい作品の中の一作です。
さて、今回読んだのはそんな角田光代が描く短編集。
早速内容をご紹介していきます。
”記憶”をテーマに描かれた八つの短編
本作に収められた八つの短編は、いずれも“記憶”をテーマとして描かれたものです。
いつものように簡単にあらすじを記します。
『父とガムと彼女』
父の葬儀の席上、久しぶりに見つけた初子さんの姿とともに甘ったるいガムの香りを思い出す。私が小学校四年生の頃までのおよそ三年半、気が付けば家に来ていた初子さんは、もしかすると父の恋人だったのだろうか。
『猫男』
恋人との旅先で、十八歳の時、人生で初めて中華料理のフルコースを食べさせてくれたK和田君の事を思い出す。他人の弱さに共振し、自分をすり減らす優しさだけが取り柄のK和田君は、大学を中退してそのまま行方知らずになっていた。
『神様のタクシー』
寮で同室の先輩ハミちゃんはルールに厳格過ぎるが故にみんなから煙たがられる厄介者。しかし、彼女とは対照的にお洒落で目立つ泉田さんが学校を辞めそうと知ると、ハミちゃんは妙に泉田さんを気にする素振りを見せる。
『水曜日の恋人』
お母さんには、イワナさんという若い恋人がいた。中学生の私は、高校生か大学生ぐらいのイワナさんと母との関係を不思議に思いつつも、自然に受け入れていた。
『空のクロール』
一度も泳いだ経験のない私が、高校入学を機に水泳部に入部する。同級生の梶原さんはそんな私が泳ぐ姿を「瀕死の老人が泳いでるみたいだから」とババア呼ばわりし、いつしかそれは私のあだ名になる。
『おかえりなさい』
二十歳の頃のぼくは、友人の勧めで宗教団体のパンフレットを訪問配布するというアルバイトを始める。そんなある日、たまたま訪れた一軒の家で、年老いた老婆がぼくを「おかえりなさい」と恋人を迎えるかのようにもてなしてくれる。
『地上発、宇宙経由』
大学生の晶に、知らない主婦ちひろから間違えてメールが届く。どうやら元の恋人宛と察した晶は、元恋人のフリをしてやり取りを重ねる事に。携帯メールが普及し始めた頃を舞台に、メールが結び合わせる現在や過去の人間関係の絡みようが楽しい作品。
『私はあなたの記憶のなかに』
表題作。さがさないで、という書き置きを残していなくなった妻を探し、思い出の場所を尋ねる夫の話。
角田光代の持ち味は短編でも全開
いやぁ、良かったです。
正直、とんでもなく胸に響くような作品はありませんが、どれもこれも角田光代らしいどこかダークで、ほろ苦くて、ビターな香りの漂う作品ばかり。
『八日目の蝉』もそもそも「不倫相手の赤ん坊をさらって自分の子どもとして育てる」という大きな捻じれから始まるわけですが、物語が進むにつれて、誘拐犯と被害者の構図であるはずの主人公ど子どもの間に実の親子とそん色ない絆のような物が芽生えてくるという、なんとも説明できない複雑な気持ちにさせられる作品でした。
本作に収録された作品にも、同じような構図が垣間見る事ができます。
『父とガムと彼女』や『水曜日の恋人』では、親の愛人という捻じれた関係にある人物と子どもが、傍目には完全におかしな間柄であるにも関わらず、当事者たちはなんの違和感もなくやり取りを重ねていきます。この「傍目にはおかしい状況なのに、当事者達にとっては至って普通」という状態を描くのが、角田光代は本当に上手いです。
個人的なイチ押しは『おかえりなさい』。
痴ほう症の老婆が、見ず知らずの若い男に亡き夫の姿を重ね、甲斐甲斐しくお迎えする様には胸を撃たれるものがあります。罪悪感を抱きながらも、訪問を重ね、勧められるがままにもてなしを受ける大学生の心持ちも非常にリアルなものです。
浦島太郎のような二人の関係がどのような結末を辿るのかは……ぜひとも実際に読んでいただきたいと思います。
角田光代、やっぱり良いですね。
久しぶりに小説らしい小説を読んだ、という実感が湧いています。
まぁ、あまり万人受けする作風ではないのかもしれませんが……個人的には地道に応援していきたいと思います。