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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『坂の上の雲』司馬遼太郎

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

 

今年に入ってから沖縄関連の小説を紹介して以来、すっかりブログの更新が途絶えていましたが……実は『坂の上の雲』に挑戦していました。

竜馬がゆく』や『飛ぶが如く』をはじめ、司馬作品はたくさん読んできたつもりだったのですが、どうも明治以後の話には食指が伸びず……今回沖縄の歴史についての作品を読む中で、改めて明治・大正・昭和に至る近代日本の歴史について学び直す必要性を感じたのです。

 

その点『坂の上の雲』は維新の混乱も冷めやらぬ中、新政府が日清戦争日露戦争へと突入していくというまさに恰好の教科書でした。司馬史観という言葉がある通り、司馬作品の内容をそのまま正史として受け取ってしまうととんでもない誤解を生んでしまうという危険性はあるのですが、危険性を認識した上で読む分には問題ないでしょう。

 

そんなわけで読み始めた本作。せっかく盛り上がって来た場面で急に脱線したり、同じようなエピソードが何度も繰り返されたりという久しぶりに触れる司馬作品あるあるのお陰でいまいち興が乗らない時期もあったりしましたが、約二か月半ほどかけてようやく全八巻を読み終える事ができました。

前置きはこの辺りまでにして、読後の再整理と備忘録を兼ねて、各巻ごとの大雑把なあらすじをまとめておきたいと思います。

 

坂の上の雲 一

まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている。

あまりにも著名な書き出しから、本作は始まります。

佐幕派として明治維新の賊軍の地位に貶められた伊予松山藩は経済的に困窮しており、本作の主人公である秋山好古・真之の家も貧乏でした。

無料で入れる師範学校ができると耳にした兄・好古は大阪へ出、ただし年齢が満たなかったためにまず教員試験を受け、見事合格。その後年齢を偽って師範学校に入学・卒業し、教員としてそれなりの高給を得る資格を得たにも関わらず、続いて士官学校へと入学を果たします。後世の今でこそ秋山好古は日本騎兵の祖と言われますが、士官へと至る足跡の中に、軍人・軍隊への嗜好などは一切なく、あくまで生きるため、より多くの給金を得るために軍人への道へ進んだ事がわかります。

とはいえそれは偶然・たまたまといったものではなく、当時の時代背景として、薩長閥のような強い力を持たない地方の貧乏士族が立身するためには、公職である教員か、はたまた士官を目指すしかないという現実があったのです。

ある意味必然として好古は陸軍へと入り、後を追うようにして東京へ出た真之も一時は大学予備門へと進みますが、結局は中退して、海軍兵学校へと転身します。中学から大学予備門までずっと同学であった幼馴染みの正岡子規と、一時はともに文学の道を志そうと約束しますが、子規を裏切り、今生の別れを告げるのです。

 

その後、好古やフランスへ留学し、先進的な騎兵について学びます。この事が、やがて好古を日本騎兵の父としてその創設を一挙に担う立場へと押し上げる事になります。

一方その頃、子規は肺結核を病み、喀血をするほどの病状へと陥っていました。故郷松山へ帰り、療養する子規の下へ、兵学校の真之がお見舞いにやってきます。二人はここで数年ぶりに再会を果たすのでした。

 

坂の上の雲 二

子規は再び、母と妹とともに帰京します。

新聞「日本」に入社し、編集者として働く事になります。

 

そして早くも物語は、日清戦争へと入ります。

韓国で反乱がおこり、その平定のために韓国政府は清に救援要請を行うのです。清国の朝鮮半島出兵を危ぶんだ日本は、「韓国における日清両国の勢力均衡を維持」という閣議決定の下、自分達も兵を送り出します。

時の首相伊藤博文陸軍大臣大山巌も非戦派で、特に戦争の勃発を恐れた伊藤は戦争だけは逃れようと必死でもがきます。ところが彼らの思惑とは別に、陸海それぞれで予期せぬ交戦が始まり、ついに日清戦争の火ぶたが切って落とされてしまうのです。

この戦いには秋山好古・真之の兄弟もまた参戦していました。

真之の属する日本海軍は、黄海決戦において清国艦隊を打ち破ります。しかし全てを沈没させるには足らず、残った七隻は旅順へと逃げ込んでしまいます。これによって制海権を得た日本は、あらたに大軍を満州へと送り込みます。好古の騎兵第一大隊もそのまた、陸路にて旅順を目指していました。

そうして半年はかかると言われた旅順要塞は、僅か一日で陥ちてしまうのでした。

 

一方その頃、次々と従軍記者として出て行く同僚達を横目に見ながら、子規もまた、自ら従軍したいという欲を膨らませます。しかし子規の健康状態では、従軍は叶うはずもありません。

子規はこの戦によって日本が滅びるのではないか、自分達の生命も脅かされるのではないかと恐れを抱く一方、新聞に寄せられる戦勝の報告に安堵したりします。文字通り一喜一憂し、自分の知る真之やその兄が従軍していると思うと、居ても経ってもいられなくなるのでした。

子規だけではなく、内地で見守る国民全員が、戦勝の知らせに熱狂せずにはいられなかったのです。維新から二十七年がたち、奇しくもこの戦争をきっかけに、明治以前にはなかった「国民」という観念が日本に浸透しはじめ、いつしか国民戦争の様相を呈していました。

やがて従軍記者の動員がかかり、子規は懲りずに立候補の手を挙げます。今度こそ、子規の希望が受け入れられ、従軍が決まりました。宿願叶った子規は、意気揚々と東京を離れるのでした。

 

日本軍は陸・海ともに威海衛攻撃を決定します。

政権末期にあった清国は陸・海の足並みがそろいません。連日の水雷攻撃で次々と艦艇を失い、呆気なく砲台を捨てて逃げ去った陸軍のせいで、港内は終日砲弾を浴びせられる状況へと陥ります。

隊司令官である丁汝昌は降伏を決意し、日本軍へ軍使を派遣すると同時に、自らは毒を仰いで自殺しました。

これにより戦意を喪失した清国との間に講和談判が始まります。そのため、子規の従軍は戦場となった各地を軽く周った程度で、あっという間に終わってしまいました。

 

下関に戻って来た子規は、自分では歩けないほどに自分の病が重くなっている事に気づきます。

伊予松山に返って来た子規は、中学の英語教師として赴任してきた夏目漱石の家の一階を間借りするようになります。

子規の影響で、漱石もまた本格的に俳句を始めるようになりました。

そんな子規のところへ、休暇をとった真之が帰省がてら立ち寄ります。二人はつい先日の戦と今後の日本の行く末について、感想を述べあうのでした。

 

再び東京へ出た子規は、結核性の脊髄炎という痛みに苦しむようになります。

真之はそんな子規を訪ね、アメリカ行きを告げます。真之はアメリカで海軍について学び、米西戦争にも観戦武官として乗船を許されます。そこで過去の無敵艦隊であったスペインが大敗を喫するのを目撃する幸運を得るのでした。

 

そしていよいよ視点はロシアへ。大津事件で切りつけられて重傷を負って以来、日本人を猿呼ばわりして嫌悪するニコライ二世と、その腹心であるウィッテが登場します。

日清戦争の勝利と引き換えに、日本は清から遼東半島を得ましたが、ロシア・ドイツ・フランスによる三国干渉により、すぐに返還せざるを得ませんでした。ところがその後、ドイツはすぐさま自ら膠州湾を奪うという暴挙に出ました。ロシアもまた、遼東半島を制圧してしまおうというのです。

ウィッテはロシア内において数少ない日露戦争反対派でしたが、彼の反対も空しく、ニコライ二世は兵を極東へ送り込むと決定します。

そうしてロシアは遼東半島へ進出し、旅順・大連を占領します。

 

清では義和団事件が勃発し、国内は大いに荒れます。外国公館が襲われ、公使が殺される事件が相次ぎ、首都北京はおよそ二十万人の義和団により略奪、放火が繰り広げられます。さらには清国政府も義和団と手を握るという事態に発展しました。

これに対し、他国からの要請もあって日本は兵を送り鎮圧に乗り出します。

その裏でロシアもまた、義和団鎮圧を名目に満州に出兵します。そしてあろうことか、そのまま満州に居座ってしまったのです。

 

坂の上の雲 三

本作における三人の主人公のうちの一人、正岡子規がこの世を去ります。

真之は出張中の電車内で、乗り合わせた客の会話から死を知ります。

高浜虚子や碧梧桐らは、子規の葬儀は質素に行う意向でしたが、ふたを開けてみれば百五十人もの会葬者が訪れました。

その中には真之の姿もありました。

 

満州に居座ったロシアと日本の間で、争点となるのは朝鮮の扱いでした。ロシアが朝鮮半島を狙っているのは公然の事実でしたが、日本としてはロシアとの緩衝地帯としての意味合いでも朝鮮半島は重要であり、またあわよくば経済的市場としても活用したいと考えていたのです。

朝鮮半島を巡り日露の関係が目に見えて悪化する中、なんとしても戦争だけは避けたい伊藤博文は、首相の座を下りてもなお、外交手段でもってロシアとの軋轢を回避したいと考えていました。

英独日の三国同盟や、いっそロシア自身との同盟を模索するのです。

日本にとって一番の理想は、当時世界随一の国力と文明力を誇るイギリスとの同盟を結ぶ事でしたが、まるで夢物語に過ぎないと最初から無理と諦めているような状況でした。

ところが半ば試しに接触してみたところ、イギリスは驚くほど積極的に、日英同盟に向けて前向きに捉えてくれるのでした。

その好感触ぶりに、伊藤は水面下で進めていた日露同盟を破棄。日英同盟が結ばれる事になりました。

 

日露の開戦が近いと想定していた日本海軍では、戦争に向けた人事が水面下で進められていました。

司令長官には閑職にあった東郷平八郎を抜擢し、全作戦を行う参謀として秋山真之を置く。

また陸軍では、参謀本部次長田村怡与造の逝去に伴い、現役の内務大臣・台湾総督である児玉源太郎が自ら降格し、その任に就く事になりました。

この人事は、日本の対露戦への決意を世界に向けて知らしめるものになりました。

そして明治三十七年、日本はロシアに対して国交断絶を通告し、ついに日露戦争が開戦します。

 

日露戦争における日本軍の狙いは最初から明確で、極めて短期的にはなやかな成果をあげて、有利な条件で和平に持ち込むというものでした。

どんなに考えても五分五分、よく行って六分四分まで持ち込めれば上々という戦力差がある上、致命的な財政難に窮する日本にとって戦争の長期化は是が非でも避けなければならなかったのです。

 

真之ら連合艦隊は出向します。目的は旅順艦隊のせん滅です。

まずは仁川港外において、ロシアのワリャーグ・コレーツの二艦と戦闘になり、仁川港内に逃げ帰らせる事に成功しました。艦が傾くほどのダメージを受けていたワリャーグは自らキングストン・バルブを抜いて沈没。コレーツも火薬庫に火を転じて爆沈と、規模は小さいながらも、日本人がヨーロッパ人を相手にした初めての海戦で、完勝を飾る結果となりました。

 

さて、ロシアの極東艦隊のほとんどの旅順港内にありました。

かつての日清戦争の頃とは比較にならないほどの要塞化が進んだ旅順港に、日本艦隊は近づく事すらできません。しかしロシアはバルチック艦隊を遥かヨーロッパから極東へ向かわせています。バルチック艦隊が合流する前に、極東艦隊だけでも潰しておきたいと言うのが日本の狙いでした。

一方ロシアからすれば慌てて戦いに挑む必要はなく、数の上で有利な状況を作るためにもバルチック艦隊の到着を待つつもりでした。そのため港内深くにひきこもり、日本の誘いには乗ろうとしません。

日本は闇夜に乗じて水雷艇を送り込んだり、旅順口に古船を沈めて閉塞させたり、といった作戦を実行します。特にこの閉塞作戦は、多数の決死隊を必要とする恐るべき作戦でした。

 

海軍に対し、日本陸軍が行動を開始したのはやや遅れての事です。

黒木為楨を大将とする第一軍は次々と朝鮮半島に上陸し、鴨緑江を目指しました。ロシアとしては旅順にひきこもっている極東艦隊こそがこの上陸を阻む役割を果たすものとして捉えていたがため、予想に反し日本軍の上陸を阻むものはありませんでした。

鴨緑江を挟んでロシア軍、日本軍が対峙するも、第一戦となった鴨緑江渡河戦はロシア軍が逃げ出し、続く九連城も呆気なく捨て去る始末となりました。日本軍は出だしから快勝を重ねます。

初めて足止めを食らったのは、金州南山における戦いでした。南北を分断され、旅順の孤立化を恐れたロシア軍は、南山を要塞化して日本軍を待ち構えていたのです。この構築した陣地に立てこもり、敵を迎え撃つという戦法こそがロシア軍の常套手段でした。

南山の要塞は協力で、五時間砲兵が撃ち続けても、砲火が静まる様子はありません。

たった一日で、日清戦争で消費した全砲弾量を越えてしまった日本軍は、銃剣突撃という肉弾戦に出る他なくなってしまいます。しかしロシア軍が装備した機関銃を前に、日本兵は瞬く間に粉々にされてしまうのでした。

この状況を打破したのは、東郷艦隊によう海上からの艦砲射撃でした。ロシア軍の露天砲はことごとく破壊され、続けて陸上から一点集中攻撃を繰り出す事で、ようやく南山を落とすに至ります。

 

海上では、日本の連合艦隊と旅順艦隊との駆け引きが続いています。

日本の艦隊が攻撃を仕掛けると、ロシア艦隊が呼応するように向かってきます。しかし互いに決めた安全ラインより踏み込む事はなく、距離を隔てたまま砲弾を交わしては引き返す、という追いかけっこに終始します。

ロシア艦隊の動きに規則性があると気づいた日本は、そのコース上に水雷を仕掛ける事にしました。果たして、出てきたのは猛将と名高いマカロフ中将の旗艦ペトロパウロウスクでした。

いつも通り、港外で起こった小競り合いに飛び出したペトロパウロウスクは、東郷の主力艦隊の出現を見て退却します。しかしその時、旗艦ペトロパウロウスクは水雷接触し、あっという間に沈んでしまうのでした。

 

坂の上の雲 四

満州に上陸した陸軍は、遼陽の大会戦が近づいていました。

ただしそこで表面化したのは、旅順という要害の存在でした。

当初陸軍では遼東半島の根本さえ分断してしまえば旅順など放っておいても勝手に朽ち果てる、と想定していました。

しかしこのまま放っておけばやがて到着するバルチック艦隊とともに、ロシア海軍は数に物を言わせて日本艦隊を沈め、日本海制海権を奪いに来る。そうなれば今後の輸送手段は途絶え、満州に上陸した日本陸軍も孤立してしまいます。

とはいえ肝心の旅順艦隊は港内に引きこもったまま全く出て来ようとしません。かくなる上は陸上から旅順要塞そのものを襲撃する以外に、旅順艦隊を沈める手段はありません。

ここで初めて、まず旅順こそ攻略しなければならないという手抜かりに、日本は気づいたのでした。

旅順攻略のためにと、急ごしらえで編成された第三軍の司令官こそ、ある意味本作の影の主人公とも言える乃木希典だったのです。

 

旅順艦隊に対しては、ロシアの大本営からウラジオストックへ退避せよ、との命令が下ります。

同じ旅順にいるロシア陸軍からも、なぜ海軍は港を出て統合と戦わないんだ、という批判が強まります。陸軍からすると、海軍がいるせいで旅順全体が日本軍の標的にされているんだ、という思い込みもありました。

旅順艦隊司令長官ウィトゲフトは、ついに出て行かざるをえない状況に追いつめられます。戦うためではなく、ウラジオストックへ逃げるための航海の中で、黄海決戦が始まるのです。

一隻でも逃がしてしまえば後々まで海上輸送を脅かす脅威になるとして、必死で砲弾を浴びせる日本に対し、ロシア側は逃げながら砲を撃つという消極的な戦いに終始します。その結果、運命の一弾が旗艦ツェザレウィッチに命中。ウィトゲフト以下幕僚は砕け散り、艦長や操舵員も命を落とします。

旗艦と司令長官を失った旅順艦隊は混乱に陥り、ほぼ全滅に等しい損害を負いました。

黄海決戦はその下馬評を覆し、誰の目にも信じがたい事に日本の圧勝にて幕を閉じたのです。

 

その後、旅順艦隊を迎えにやってきたウラジオ艦隊もまた、上村彦之丞中将率いる第二艦隊と戦闘。いわゆる蔚山沖海戦にて、ウラジオ艦隊もほぼ壊滅的ダメージを負います。

これによって回航中のバルチック艦隊を除くロシア海軍はほぼ全滅しますが、沈没させられないまま取り逃した船も多く、以降も日本軍は修理を終えたロシア艦船が再び現れるのではと疑い続ける事になります。

 

陸軍は遼陽会戦に臨みます。

ここで好古ら騎兵隊が偵察部隊として活躍を見せます。しかしながらせっかくの偵察の成果を作戦に活かしてもらえないといった日本陸軍のちぐはぐさが目立ちます。

日本軍は前哨陣地と思い込み首山堡に臨みますが、ロシア側は首山堡を防衛線と捉えて強力な要塞化を施していました。事前に騎兵の諜報によって予測は立っていたはずなのですが、この見込み違いが、日本に大苦戦を強いらせます。最終的には攻城砲の導入と黒木軍の太子河渡河による不意を突いた強襲によって、戦況を好転させます。

これに衝撃を受けたロシア満州軍総司令官クロパトキンは一転、全軍に黒木軍への総攻撃を命じます。しかし天王山たる饅頭山を黒木軍に奪われたと知った途端、あっさりと遼陽を捨て、奉天への敗走を決めるのです。

 

旅順の乃木軍では8月19日、第一回の総攻撃が始まります。

わずか六日間で15800人という大量の死傷者と引き換えに、敵に与えた損害は小塁ひとつ抜けないという軽微なものでしかありませんでした。

以後旅順では、ただひたすらに肉弾攻撃を行っては大量の死傷者を出すという、もはや作戦とは呼べないような無為な突撃が繰り返されるようになります。

二〇三高地を落としさえすれば、そこから港内に残る旅順艦隊を砲撃する事ができる。旅順艦隊さえせん滅できれば、旅順攻略の作戦目的は達成できる。だから二〇三高地を攻めろ、という東京の大本営の依頼に対しても、乃木軍は頑として聞き入れず、正面からの攻撃ばかりを続けます。そんな乃木軍のやり方に方々から批判が募るも、現地の作戦は現地にまかせるという原則が邪魔して、満州軍総司令部も強く言う事ができませんでした。

 

司馬氏によると司令官乃木・参謀伊地知はあくまで薩長藩閥人事によって選ばれたものであり、無能と無能が合わさった事で不幸にも旅順の悲劇が生まれた、という論調に終始します。

この辺りは後に多くの批判・反論を巻き起こすいわゆる司馬史観によるものですね。

 

10月、シベリア鉄道を利用した大量補給によって増強を果たしたクロパトキンは、いよいよ攻勢へと転じます。

一方、遼陽の日本軍は兵・砲弾の数ともに補給がままならず、攻め入ろうとするロシア軍に緊張が走ります。沙河戦の始まりでした。

南下する大量のロシア軍に対し、日本軍は細く長く北上する事で少数をもって包囲するという奇策に出ます。日本にとっては紙一重の戦いが続きますが、これを救ったのはまたもクロパトキンの退却癖でした。奥軍の奮闘により戦線に一部ほころびが出たと知るや否や、戦力的に圧倒的優位に立っているにも関わらず、退却へと転じてしまうのです。

沙河会戦は日本軍に約二万人、ロシア軍に約六万人の損害を出し、両軍ともに体制立て直しのため、ここからしばらく沙河の対陣と言われる冬営のにらみ合いが続くようになります。

 

この頃ロシアでは、10月15日、ついに司令長官ロジェストウェンスキー率いるバルチック艦隊ウラジオストックへ向けて出港します。

一万八千海里を大艦隊を率いて航海するというのは史上初の試みである上、いつどこで日本の水雷艇に襲われるかわからないという妄想に憑りつかれ、この艦隊は行く先々で民間船を誤射したり、英国からの妨害を受けたりといったトラブルに苛まれ、文字通り順風満帆なものではありませんでした。

旅順では11月26日、第三次総攻撃が行われます。これは旅順の死闘の象徴的な存在として有名な白襷隊によるものでした。しかし、この突撃も三千人中約半数が一挙に死傷するという損害を出すに終わるのでした。

 

坂の上の雲 五

旅順のふがいなさに業を煮やした満洲軍総参謀長児玉源太郎は、自ら旅順へと乗り込みます。二〇三高地攻めに戦力を集中させ、活路を切り開こうというのです。

児玉の機転や兵の奮戦の甲斐ありついに日本軍は二〇三高地の占領に成功します。旅順港を見下ろせる二〇三高地を観測所とする事で、二十八サンチ榴弾砲を山越えで港内に撃ち込む事が可能になり、しかもほぼ百発百中で残る旅順艦隊を沈める事ができたのでした。

さらには市街地も同様に砲撃する事で、ほぼ旅順は陥落したも等しい状況に陥ります。

 

乃木希典が遺した高名な爾霊山の詩は、陥落から幾日後の十二月十日の夜に作られたそうです。

 

爾霊山険豈難攀

男子功名期克艱

鐵血覆山山形改

萬人齊仰爾霊山

 

爾霊山は嶮(けん)なれども豈(あに)攀(よ)じ難(がた)からんや 

男子功名艱(かん)に克(か)つを期す 

鉄血山を覆うて山形(やまがた)改まる

万人斉(ひと)しく仰ぐ爾霊山

 

爾霊山が二〇三高地を指している事は言うまでもありません。

 

旅順陥落がほぼ確定した事で、旅順港にへばりついていた連合艦隊も一時日本へ戻り、艦船の修理に取り掛かります。

その間も真之の頭の中は、バルチック艦隊との決戦でいっぱいでした。

しかし当のバルチック艦隊は、苦難の航海を続けていました。

劣勢が続く戦況を受けて、同盟国であるはずのフランスですら、手のひらを返したように非協力的な態度に出はじめたのです。裏には日本の同盟国である英国の恫喝がありました。

そのため石炭等の補給作業すら港外で行わなければならない上、長期間の航海により故障も相次ぎます。ロシア大本営は、バルチック艦隊の航海はあくまで現場任せであり、何ら支援の手を差し伸べてはくれないのでした。

 

追いつめられた旅順要塞司令官のステッセルが降伏を決意したのは、1月2日のことでした。

乃木とステッセルが直接顔を合わせた水師営の会見では、明治天皇の意志でもって、敗軍の将であるステッセルにも帯刀が許されました。

また、居合わせた外国人記者からの撮影の要請にも、乃木はステッセルらにとって恥が残るような写真を撮らせる事は拒否し、会見後、同列に並んだ写真のみを許可しました。

撮影された写真と経緯については世界各国に配信され、日本の武士道精神を世界に知らしめる結果となりました。

 

坂の上の雲 六

日ロ両軍が冬営しているさ中、好古の騎兵隊は盛んに敵陣奥深くまで騎兵斥候活動を行っていました。

冬の間はロシア軍は動かないという総司令部の甘い予測を覆し、ロシア軍が好古のいる沈旦堡・黒溝台へと迫りつつありました。好古は前々からその気配を察知し逐次報告を入れていたのですが、総司令部はそんなはずはないと一蹴してきたのです。

救援に向かった立見中将率いる弘前師団は情報の誤りから秋山好古らと連携もできないまま包囲され、その救援に向かった木越らもすぐさま窮地に陥るという大混乱ぶり。

この黒溝台会戦において、日本軍は出だしから遅れた上、その対応に戦力の逐次投入という最大の愚を犯してしまいます。

日本はかろうじて持ちこたえているだけで、もうあと一押しで壊滅という瀬戸際にありましたが、この窮地を救ったのも、いつものクロパトキンの撤退癖でした。大山・児玉が偽装工作として施した中央への攻撃に対し、クロパトキンは過敏に反応し、日本が中央を抜こうとしているとして全軍に撤退を命じたのです。

この作戦の主導者であるグリッペベルグは「ロシア帝国の敵は日本人にあらず、クロパトキンである」と大いに怒り狂い、欧露へ帰ってしまいました。

 

一方、バルチック艦隊は二ヵ月ともいう長期間にわたり、マダガスカル島の漁港で足踏みしていました。旅順艦隊が全滅したという報告を受け、どうすべきか本国に確認求めていたのです。

このままウラジオストックへ進むべきか、本国へ引き返すべきか。

それに対し、ロシア皇帝は予想外の回答を返します。戦力にならない老朽艦であるとしてロジェストウェンスキーがわざわざ置いて来た旧艦で第三艦隊を結成し、バルチック艦隊に合流させた上でウラジオストックを目指せというのです。

一路ウラジオストック入りをバルチックにとって、性能に劣る第三艦隊は足手まといでしかありません。しかし帝政ロシアはニコライ二世による独裁政権であるがため、大本営の決定には大人しく従うほかありませんでした。

 

満州ではいよいよ奉天会戦が迫ります。

旅順から北上し、ようやく合流を果たした乃木の第三軍に命じられたのは、最左翼をひたすら北西にまわって敵の背後を目指すという揺動作戦でした。

右に鴨緑江軍、左に乃木軍を進めて敵を引き付けた上で、中央を主力部隊でもって一気呵成に突破させるという算段です。

要するに乃木軍は黒木・奥・野津らが戦果をあげるための囮になれ、と命じられたに等しい事になります。旅順の苦しい戦いに続き、乃木は不遇の宿命を抱いているようです。

しかしながら乃木は不平も要望も一切唱える事なく、粛々と命令に従うのでした。

 

※他、本巻には明石元二郎が欧露において不平党・反露党と結び、ロシアを内部から崩壊させるための諜報・揺動活動を行う様子にかなりのページ数が割かれていますが、本筋にはほとんど影響はないとの判断から割愛します。

 

坂の上の雲 七

日露戦争における最後の会戦とも言うべき奉天会戦が開幕。

先に書いた通り、乃木軍はあくまで囮となり、中央に構える黒木軍・奥軍・野地軍Rが本体として中央を突破する、というのが当初の作戦でした。

この時好古はというと、乃木軍のさらに最左翼として、率先して敵の背後を突くべく突き進む立場にありました。

クロパトキンは旅順を陥とした乃木軍に対して最大の警戒を抱いていましたが、その乃木がどこに出てくるかがわかりません。乃木を恐れるあまり、最初に鴨緑江軍が東部戦線において火ぶたを切った途端、それが乃木軍だと早とちりして十分すぎる量の増援部隊を送りこんでしまいます。

やがて本物の乃木軍が逆の西部戦線にあると気づくと、せっかく送り込んだ戦略予備軍を東から西へと大転換させます。

乃木軍の戦闘行軍は凄惨なものになりました。敵の裏へ回ろうとする乃木軍に対し、ロシア軍もぐんぐん伸長して侵入させまいとします。乃木軍はどんどん北へ北へと伸びる形になります。戦線は薄く長く伸びるばかり。その分、各戦線が手薄になっていくのは言うまでもありません。

一方日本軍が本命と定めた中央陣地は旅順を彷彿とさせるような鉄壁の要塞と化しており、ロシア軍の数は日本軍の想定を大きく超えていました。戦局は硬直状態どころか、ややもすれば日本は劣勢となる危機にさらされ、いつしか囮役であったはずの乃木軍が敵の側背を突けるかどうかが勝敗の分かれ目になってしまいます。

しかもクロパトキンは、乃木軍こそ日本の主力であると見誤ったまま、どんどん戦力を投入し続けます。陽動役としての戦力しか持たない乃木軍にとってはたまったものではありません。

しかし苦しい苦しい戦いをかろうじて潜り抜けた好古率いる騎兵隊は、ついに奉天北方へと抜け出します。その事が退避癖のあるクロパトキンを大いに刺激しました。

鉄道線路を遮断される、と恐怖に陥ったのです。

さらには乃木軍に注力し過ぎた故に中央部の戦力低下が目立ち始め、いつ抜かれるかという不安もクロパトキンを襲います。自分で兵を動かし、手薄になった戦況を見て不安になるというのが、クロパトキンの不思議なところです。

各戦線においては五分以上の、日本にとってはいつ破られるかという紙一重の戦いを繰り広げておきながら、クロパトキンは突如退却を命じます。

一度は運河付近まで、とされた退却は、結局のところ奉天を捨てて70km北方の鉄嶺までと覆されます。

これまで同様、クロパトキンにとってはあくまで態勢を立て直すための積極的退却というのが言い分ですが、陣地を捨てて退却するというのは兵にも大きな負担がかかりますし、士気も下がります。実際にロシア軍の退却は大量の損害を生み、敗軍そのものと化しました。

敗走に次ぐ敗走でロシア軍将校の権威は失墜し、軍紀は乱れ、多数の逃亡兵も出る始末。

日本軍の追撃は鉄嶺に拠ろうとしていたクロパトキンをさらに変心させ、遠く公主嶺まで逃亡する事になります。ここで日本軍の兵力も底をつき、追撃をあきらめざるを得なくなりました。

奉天会戦のあと、陸軍大臣のサハロフは「われわれは負けた」と公言し、クロパトキンは解任され一軍司令官の位置に落とされました。

奉天会戦を終えた総参謀長児玉は、これが潮時と日本への帰国を決意します。一国も早く講和へと動くよう、本国に促すためです。

アメリカのルーズヴェルトらをはじめ様々な手でロシアに講和を求めますが、ロシアはまだ敗戦を認めません。結論は来たるべき海戦の結果に委ねられる運びとなりました。

 

肝心のバルチック艦隊は、ネボガトフ少将率いる第三戦艦戦隊と合流を果たし、ウラジオストックへ向けて前進します。ロシア本国からはなんの支援もなく、いつ来るのか、どこで会えるのかといった具体的情報を互いに知らぬまま、手探り状態の中の奇跡的な邂逅でした。

しかしロジェストウェンスキーは、ネボガトフに対し特に迫りくる日本軍との海戦に備えて戦略をすり合わせるようともしません。彼が命じたのは、ネボガトフ艦隊の煙突を全て黄色に塗りつぶす事でした。

黄色の煙突はバルチック艦隊のシンボルであると同時に、後に日本軍が敵味方を見分けるための目印として大いに役立ちました。

 

待ち受ける真之は、バルチック艦隊がどの航路をとるかだけが心配で、悩める日々を送っています。

当たり前に考えれば対馬海峡を通るはずですが、太平洋側を回ったり、あるいはバルチック艦隊が分散して別の航路もとる、という可能性も否定できません。大して日本の海軍は、その全ての船を沈める事だけが目標であり、一隻でも討ち洩らせば失敗である、と捉えています。

しかしバルチック艦隊は定石通り、真之ら連合艦隊が待ち受ける対馬海峡へと向かうのでした。

やがて互いの位置は互いに知るところとなり、ついに日本海海戦の機運が高まります。

 

坂の上の雲 八

最初にバルチック艦隊を発見したのは、日本の哨戒船信濃丸でした。

「敵艦隊見ゆ」の一報を受け、巡洋艦和泉が急行。以後和泉はバルチック艦隊に並走し、その位置や速度、陣容に至るまで、無線で知らせ続けます。これに対し、ロジェストウェンスキーは存在を知りながら放置するという不可解な処置を取ります。

もちろん無線は、東郷や真之らが乗る旗艦三笠にもたらされました。

いよいよ出撃という時、大本営に送られた電報こそ、かの有名な下記の一文です。

 

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

 

これを見るために全八巻もの長い長い物語を読み進めてきたかと思うと、感無量ですね。

遂に出撃した連合艦隊は、敵前で突如Uターンを繰り出します。敵の進路を横一文字に遮断しようというのです。回頭中は無防備で敵砲に晒されるという大きな欠点を持つのですが、ロシアは砲撃な下手な上、風下に立ち、波も荒いために致命傷は追わずに済みます。

そして三笠が正面を向いた時、今度は敵艦隊も三笠の標的となるのです。

こうして常に敵の全面を抑え込む事で、敵を取り逃がす事なく追い詰めていく。後に乙字戦法と呼ばれる手法でした。

日本は下瀬火薬という特殊な砲弾を使用していた他、個々に砲撃を行うロシア海軍とは異なり、砲術長の砲火指示によって一斉に同じ目標に向けて砲弾を放つという組織的な手法を編み出していました。これにより、日本の放つ砲弾は面白いようにバルチック艦隊を襲い、ロジェストウェンスキーの乗る旗艦スワロフも、戦艦オスラービアも、瞬く間に火炎に包まれました。

戦闘開始三十分をもって、日本海海戦の大勢は決してしまったのです。

 

途中、スワロフの回頭が故障だと気づかず、三笠ら第一艦隊は一緒になって回頭してしまいます。それにより、敵から離れてしまうのでした。

しかしながら第二艦隊戦艦出雲の参謀佐藤鉄太郎・司令長官上村彦之丞らは舵の故障と見抜き、半ば命令を無視する形で独走。第一艦隊と入れ替わり、第二艦隊がロシア艦隊の矢面に立ちます。。

ロシア艦隊は戦いを捨て、ただひたすらに北へ遁走しようとしますが、佐藤は食らいついて放しません。そこへ三笠ら第一艦隊もようやく戻ってきました。さんざんい砲火を浴びせられ、ロシア艦隊はほぼ海面に漂う残骸とでも言うべき姿に変わっていました。

 

以後、いったん日本軍から離れた旗艦スワロフは同じくはぐれていた駆逐艦ペドーウィと合流し、重症を負っていたロジェストウェンスキーはペドーウィへと移ります。しかし間もなく日本船に見つかり、ペドーウィごとロジェストウェンスキーは捕虜となってしまいます。

ロシア艦隊において唯一軽症のまま残っていたのは、ネボガトフ率いる第三艦隊の五艦だけでした。しかし彼らもまた日本軍に発見され、降伏を決意します。

この時ネボガトフらは降伏を示す信号旗や白旗を掲げますが、日本軍は気づかないまま容赦なく砲弾を浴びせます。

全く抵抗を見せない敵艦隊の異常に気付いた真之は東郷に「降伏している」と告げます。それでも平然として射撃を続ける東郷に真之は叫びます。

 

「長官、武士の情けであります。発砲をやめてください」

 

しかしながら艦は停止しておらず、しかも砲門は三笠に向けられていたままでした。そのままでは国際法に則った正式な降伏の意志表示にはならない、というのが東郷の言い分でした。

その後、使者としてネボガトフの船に向かった真之は、甲板に横たわった死骸の前にひざまずいて黙祷します。それを見て、ロシア兵の目からも反抗の色が消えたのでした。

 

戦後、佐世保へと収容されたロジェストウェンスキーを東郷らが見舞います。

ルーズヴェルトの仲裁により、米国のポーツマスにて講和条約が調印され、日露戦争終結します。

その後、三笠は佐世保港内で自爆し、海底に沈んでしまいました。火薬庫が爆発したためと言われており、339人もの死者を出す大事故でした。

 

本作の終幕間近、凱旋した真之が子規の墓を見舞う場面が描かれます。

戦後、真之は満49歳で没します。

好古は糖尿と脱疽のため左足を切断し、それでも手遅れとなり71歳で没しました。

 

乃木・乃木・乃木

さて、一通り筋書きをまとめたところで、蛇足とは思いつつも読み終わっての読後感を記しておきたいと思います。

全八巻の本作には、良くも悪くも非常に個性的な登場人物たちが描かれます。秋山好古・真之、正岡子規ら三人の主人公らは元より、ステッセルロジェストウェンスキーといった敵将も人間臭く、不完全なところがかえって魅力的です。

ところが不思議なもので、読後に一番胸に残っているのは誰だろうと考えてみると、乃木希典だったりするのです。

作中作者によりボロクソに貶され、叩かれ、救いようのない愚かな将軍として描かれ続ける乃木希典ですが、不思議と彼が戦後英雄視され、神として祀られるに至った気持ちもわかるような気がします。

本人にとっては悲運以外のなにものでもなかったでしょうが、振り返ってみれば、難攻不落の要塞旅順攻略の指揮を命じられたのも、奉天において囮役のはずが主力部隊と化してしまったのも、全てが乃木希典という人間が”持っている”天運だったのでしょう。

 

日本の連合艦隊司令官として、時の海軍大臣山本権兵衛は当時閑職にあった東郷平八郎を抜擢します。その決め手となったのは、運のツキがいいという一点にあったと、司馬氏は言います。

その点行く先々で苦難を与えられ、多大な損害を出しつつも結果としては乗り越えてしまうのいうのも、乃木希典の持ち合わせた運のツキなのではないかな、と思えるのです。

 

何よりも上司の命令には決して逆らわず、不平も唱えず、上からの叱責も下からの不満も、全て自分一人で受け止めてしまう姿に現代の中間管理職のおじさんにも似た悲哀を感じずにはいられません。そのくせ降伏した敵将には決して恥をかかせまいと尽力する度量の広さ。これを武士道と呼ぶのかもしれませんが、どうにも男心をくすぐられてしまいます。

 

一番最初に書きましたが、そもそも本作を読むに至った目的は「明治~昭和の時代を改めて勉強する」という点にありましたので、そういう意味ではまだまだ不十分であり、もう少しこの辺りの時代について描かれた作品を読みたいな、という気持ちがあるのですが、一方で乃木将軍について書かれた作品も気になってしまいます。

司馬遼太郎の『殉死』も未読ですし、乃木夫妻が殉死した後は乃木文学なる言葉が生まれる程、様々な関連作品が生まれたとか。ちょっと気になってしまいます。

 

いずれにせよ三ヵ月近く嵌って来た長編作品を読み終えたので、心機一転、自由気ままな読書を楽しみたいと思います。

それでは。

 

 

『ぼくらの秘島探検隊』宗田理

「去年おれたちが戦った相手は、親や先公だった。こんなのは言ってみりゃ戦争ごっこだ。しかしこんどはちがう」

 

宗田理『ぼくらの秘島探検隊』を読みました。

いや~、盲点でした。

ここしばらく沖縄に関する作品を探して読んでおきながら、本作の事をすっかり忘れていました。

 

僕が『ぼくら』シリーズにハマって読んでいたのは確か小学校高学年~中学生ぐらいの間で、特に『ぼくらの秘島探検隊』は大人気映画『ぼくらの七日間戦争』の続編『ぼくらの七日間戦争2』として映画化もされたという、『ぼくら』シリーズの中でも割と代表作に近い作品なはずなのですよね。

そもそも僕が『ぼくら』シリーズを読み始めたきっかけを説明しておくと、たまたまテレビで見た映画『ぼくらの七日間戦争』がすごく印象に残っていたんです。子ども達が廃工場に立てこもって大人と戦うという構図がカッコよくて、夢にまで見るような憧れの作品でした。

するとある日の事、兄が一冊の本を借りてきたんですね。それが『ぼくらの最終戦争』。何かと思えば、あの映画の続編じゃないですか。それをきっかけに、しかもそれ一冊だけではなく、『ぼくら』シリーズというシリーズ作品である事を知ったのです。

 

僕の中でとっても印象的な単発映画だった『ぼくらの七日間戦争』がシリーズ作品と知り、すぐさま本屋に走りました。そこで最初に手に取ったのが、本書『ぼくらの秘湯探検隊』だったのです。

 

本当に本書については、語り尽くせない思い出ばかりです。

僕にとっては初めて自分で購入した『ぼくら』シリーズであり、映画でしか味わえないと思っていたあの興奮を再び蘇らせてくれた作品でもあります。

 

考えてみると、僕の頭の中に断片的に刻まれている「イリオモテヤマネコ」や「ハブ」、「ミミガー」や「シーサー」といった沖縄に関する用語は、本書によってもたらされたものなんですよね。

『ぼくらの秘島探検隊』を通じて、僕の中での「沖縄」が形成されたと言っても過言ではないぐらいの作品なんです。

 

そんなわけで前置きが長くなりましたが、『ぼくらの秘島探検隊』の内容についてご紹介していきましょう。

 

それまでのあらすじ

前段階として、『ぼくら』シリーズにおける本書『ぼくらの秘島探検隊』の位置づけについて説明しておきます。

ぼくらの七日間戦争』から始まる『ぼくら』シリーズの中で、本書は第十作目となります。

ただし、時系列としては中学二年生の夏休み。第四作『ぼくらのデスマッチ』に続くエピソードです。

もともと時系列がちぐはぐに出版されてきた『ぼくら』シリーズは、基本的に一話ごとに完結し、どこから読んでも楽しめるようになってはいるのですが、本書の場合、前エピソードとなる『ぼくらのデスマッチ』との関係は切っても切り離せないものです。

 

というのも『ぼくらのデスマッチ』では、『ぼくら』シリーズにおいて初めての”死”が描かれているんですね。

それによりぼくらは――特にひとみは大きな心の傷を負ってしまいます。

その傷をいやすためにと、銀鈴荘の瀬川とさよが費用を工面してくれて、ぼくらは―沖縄旅行へと乗り出すわけです。

表向きな目的は銀鈴荘に住む金城まさの故郷である八重山の神室島を、リゾート開発の手から守るという理由ですが、その裏には慰安旅行的な側面もあるのです。

『ぼくらのデスマッチ』についての詳しい内容は割愛しますが、中学一年生のぼくらが二年生となり、また一歩大人の階段を登るきっかけとなった出来事を描いたエピソードとなっていますので、興味のある方はぜひそちらもお読みください。

 

 

 

相手はリゾート開発事業者⁉

今回ぼくらが暴れる舞台となるのは、那覇からさらに西南、台湾にほど近い八重山諸島にある神室島、という島です。

東京から船で四十時間以上かけて那覇へ。

さらに十三時間かけて石垣島へと渡った後、さらに船に乗った先が神室島。日本の最果てと言っても過言ではなく、まさしく秘島と呼ぶのに相応しい島です。

 

本書が発行されたのは1991年。

1987年に制定されたリゾート法(総合保養地域整備法)により日本は全国的に空前のリゾート開発ブームを迎えていました。

沖縄もまた1990年に沖縄トロピカルリゾート構想を掲げ、ホテルやゴルフ場、マリーナが続々と開発されていったのです。

そして開発の手は、今回の舞台となる神室島にまで及んでいました。

 

土地買収の攻勢に遭い、島に残るのはわずかに八家族。

この夏休みで廃校が決まり、中学生が3人、小学生が4人いる子ども達も休みが終わると島を出る事が決まっています。

唯一残るのは、金城まさの娘、美佐の家だけです。

 

当初は丁寧なお願いから始まり、法外な値段でもって立ち退きを迫った開発業者も、強情な美佐たちをどうにかして追い出そうと、間違えたフリをして畑をブルトーザーで潰したり、露骨な嫌がらせを仕掛けてきています。

目には目を、イタズラにはイタズラを、というのがぼくらのモットー。

英治達は開発業者を懲らしめてやろうと、闘志を燃やします。

 

開発業者が持つ唯一のボートの舵をロープで結び、発進した途端、舵がもげるように仕向ける事で、そのまま海で漂流させたりします。

さらに、唯一の飲み水であるタンクを出しっぱなしにして水切れにしたり、ブルトーザーや軽トラックの燃料タンクに黒砂糖をぶち込んで、走れなくしたりします。

もちろん、『ぼくらの七日間戦争』同様、大人達との直接対決だってあります。

 

大人になった今では、「いや犯罪でしょ」「いくら相手がヤクザまがいでも逮捕されるでしょ」とツッコミたくなってしまうようなイタズラばかりですが、子どもの頃は胸をわくわくさせながら、痛快に感じていたのを思い出しました。

 

子ども相手にも手を抜かない宗田理

大人の目線で改めて『ぼくら』シリーズを読むたび、大人と子どもの狭間を生きる『ぼくら』の描き方が絶妙だな、と思わされます。

 

「十人が白いシーツをかぶって、あの面をつけて夜中に奴らを脅かすんだよ。絶対おどろくぜ」

 

などと他愛もないイタズラを思いつくかと思えば、

 

「あいつを一人にすりゃいいんだよ」

「どうやって?」

「私たちがやろうか?」

 ひとみは、そういいながら、形のいい足を、ことさら見せつけた。

 

相手の親分に色仕掛けをしようなどと、成熟しつつある自分達の身体の変化もちゃんと理解していたりします。

終盤、ひとみ達女子が掴まり、見張り役の交代にいったはずの部下が戻って来ないのを案じた開発業者の間でも、こんなやり取りがあったりします。

 

「いえ、若い娘が四人に、こっちが四人だから、もしかしたら……と思ったんですが」

 

明らかに性的なものを示唆する台詞です。

『ぼくら』シリーズはポプラ社角川つばさ文庫といったジュニア向けレーベルでも出版され、対象年齢層を小学生~高校生ぐらいの子どもとしながらも、彼らの間に存在する性的価値を包み隠さず描いているのが、印象的ですね。

昨今では子ども向けの作品となれば、どうしたってそのあたりは見て見ぬフリをしたり、ない物として扱ったりするのが一般的かと思うので、今読むと余計に新鮮に感じられます。

 

『ぼくら』と相対する敵役の大人にしても、キャラクター像としてはアニメチックかつコミカルでありながら、背景は以外にも現実的です。

今回の敵役である桜田組は、自社建設したマンションの販売不振により経営難に陥り、大手丸田組の下請けとしてリゾート開発を請け負ってます。

ヤクザ紛いの手口で地上げ行為を行うのも、見返りとして丸田組に借金を肩代わりしてもらおうという魂胆があるわけです。

一方、親会社である丸田組は、政治献金と脱税で揉めている真っ最中。

そんな彼らが沖縄の大事な自然を破壊し、静かに暮らし続けたいと願う住民の生活を脅かして、リゾート開発を行っている。

『ぼくら』が戦うのは、池井戸潤も真っ青の<社会悪>だったりするのです。

 

『ぼくら』シリーズというと大人との破天荒な対決シーンが際立って見えますが、各作品に込められた<社会悪>が重要なのだと思います。誰が見ても悪いものは悪い。しかしながら、大人達は見て見ぬフリをしたり、他人事として目を背けたりする。そんな理不尽さと正面から戦ってくれるのが『ぼくら』なのです。

だからこそ、本シリーズは子ども達の胸を捉えて離さないのだと思います。

 

とはいえやっぱり子ども向けです

あんまり持ち上げると実際に読んだ人から「読んでみたら子供だましみたいな小説じゃないか」と怒られたりしても困るので、『ぼくら』シリーズについて書く際には念のためお断りしています。

『ぼくら』シリーズはやはり、あくまで『ぼくら』と同じ年代を生きる子ども向けなのだと思います。

 

ひとみらが乗って来た飛行機や船に偶然桜田組の親分が乗り合わせたり、大人が落ちて抜け出せないほどの落とし穴や罠がいとも簡単に、幾つも出来上がったり、子ども達のイタズラに引っ掛かった大人達が呆気なく降参したり。

ご都合主義の数々によって作品が成立しているのは否めません。

 

それでもやっぱり、僕が子どもだった頃にはそんなの気にもせずに夢中になって読んだんですよね。一冊約300ページを、買ってきたその日に一気読みするぐらい熱中して読んだのを、今でも覚えています。

それはあくまで子どもだったからであって、同じような興奮を大人になってから得ようというのは、難しいのでしょうね。

 

大人になり、令和の時代を生きる僕からすると、那覇から船で十三時間の離島でリゾート開発とは正気の沙汰とは思えません。でももしかしたら、当時の空気感はそれが当たりまえだったのかもしれないとも思うのです。

日本においては1986年12月から1991年2月をバブル景気と呼んでいますから、本書が書かれた当時はバブル最盛期~末期の頃でしょう。リゾート開発以外にも、インフラもない地方の山奥を原野商法で売り捌いていたような時代です。そしてその多く企業が、バブル崩壊後に破綻していきました。丸田組も桜田組も、最後のババをひいたバブルの犠牲者だったのかもしれません。

 

きっと本書の後日譚を描くとすれば、丸田組は政治献金・脱税がバレて破綻→他の大手ゼネコンに吸収合併。桜田組も呆気なく破綻し、住民のいなくなった神室島には開発途中で放棄された荒地が広がる。その後、中国企業が二束三文で土地を買い占め、大規模太陽光発電所が建設。島一面に真っ黒なソーラーパネルが……なんて、夢の無い話ですね。

目をキラキラと輝かせて『ぼくら』の冒険に胸を躍らせていた少年が、つまらない大人になってしまったものです。

では。

 

 

『琉球の風』陳舜臣

――明国を親とし、薩摩を兄とする。

 

陳舜臣琉球の風』を読みました。

タイトルからもわかる通り沖縄を舞台とした作品ですが、太平洋戦争に関連した『太陽の子』や『首里の馬』とは少し扱っている時代が違います。

本作で描かれているのは江戸時代初期――それも関ヶ原が終わり、天下を取った徳川家康征夷大将軍の座を二代目将軍秀忠に譲り、徳川の治世をいよいよ盤石のものにしようというそんな時代の沖縄を舞台としています。

 

早速あらすじを……といきたいところではありますが、まずは予備知識として沖縄の状況について説明しておきましょう。

 

 

当時の琉球について

当時の沖縄は琉球王国という独立した国家でした。

日本と中国の半ばに浮かぶ琉球は、明王朝と交易を行う海洋国家として、独自の文化を築いていたのです。

明に貢物を持っていくことで、その見返りとして、様々な物品を明から恩賜として賜る。手に入れた貴重な珍品を、大和の国をはじめ周辺諸国に売る事で、琉球は大きな利益を得ていました。これを朝貢貿易と呼びます。

 

当時の明王朝冊封といって明が許可を与えた国としか貿易を許しませんでした。

ちなみに日本本土との関係はというと、少し前に豊臣秀吉が行った朝鮮出兵のわだかまりが根強く残っていますので、貿易など許されるはずもありません。

唯一琉球だけが、公的に明と交易を行う権利を持っていたのです。

 

これは諸外国にとっても似たようなもので、鎖国状態にあった日本をイメージするとわかりやすいかもしれません。

当時明と交易できる相手は限られており、それがために明から運ばれる産品は珍重されていたのです。

世界的に見れば当時は大航海時代で、アジアの周辺各国ばかりではなく、ヨーロッパのオランダ・イギリス・スペイン等も含め、世界中の多くの国々が明と仲良くなりたいと望んでいたのでした。

 

そこに目を付けたのが、明との国交回復・交易開始を目論んでいた徳川家康

関ヶ原の敗戦から財政に貧窮していた薩摩藩もまた、起死回生の手段として琉球を狙っていました。それ以前から薩摩藩琉球を「付庸国である」と主張していたのですが、交易から得られる利益を自藩のものにするためにも、より実質的に支配下に置こうと考えたのです。

利害が一致した事で、家康は薩摩の琉球攻めを許可します。それどころか、元々は控えめに大島(奄美)攻めを願い出た薩摩の背中を押し、一気に本丸である琉球まで攻め入るよう焚きつけたのです。

 

第二尚氏王統の成立以来、琉球には100年以上戦はありませんでした。

さらには琉球王国は軍隊や武力・武器すら持っていません。唯一、独自の護身術として琉球空手が発展するのみです。幕末の動乱を掻い潜った粒ぞろいの薩摩兵と衝突すれば、結果は見るまでもありません。

 

平和な楽園琉球に忍び寄る、薩摩の侵攻と徳川幕府の影。

本書は琉球側の視点からその前後を描いた作品となっています。

 

 

琉球攻め前夜

物語は1606年。薩摩の琉球侵攻から遡る事3年前から始まります。

那覇市の隣、久米村に住まう震天風という老人の元に、本書の主人公格となる啓泰やその弟・啓山、羽儀・阿紀の姉妹、奇羅波丸・巴知羅といった若者たちが集められます。

 

震天風は啓泰の亡き父の盟友であり、琉球や日本のみならず、呂宋(ルソン・フィリピン)や安南(アンナン・ベトナム)などを股にかける交易集団の首領の一人とされる人物でした。

彼は集まった若者たちに「五年以内に薩摩が攻めてくる」と告げるのです。

 

震天風は若者たちに覚悟を決めるよう促し、若者たちはそれぞれに琉球の未来へ向けて動き出します。

阿紀は三司官(幕府でいうところの老中格)となった謝名親方に従い、彼の養子となった上で宮女として王宮に仕える事になります。

啓泰もまた、謝名親方の密命を帯び、震天風とともに明国へ渡る事になります。

 

そこで出会った謝汝烈から伝えられた「既に亡びかけている明の中に南海王国という新たな国をつくる」という考えは、その後の啓泰の人生に大きな影響を与えるのです。

 

謝名親方をはじめ、薩摩の侵攻を阻止すべく様々な策を練りますが、結局そのどれもが実を結ぶ事なく、決戦の時を迎えます。

抗戦派とされる謝名親方・浦添朝師をはじめとして迎え撃つ準備を進めますが、結果としてはあくまで「最低限の抵抗はしたぞ」という面子を守るためだけの細やかな戦いに終わり、ほぼ全面降伏に近い形で琉球は陥落。

 

琉球王・尚寧は薩摩預かりとなり、三司官のうち謝名親方・浦添朝師もまた、薩摩に幽閉される事となります。

徐々に状況を受入れ、態度を軟化させていく浦添朝師とは裏腹に、ひたすら囚人としての身分を貫き続けます。

やがて「島津の琉球侵攻は、他国の侵略ではなく、附庸国の奉仕によって懲罰を受けた」とする起請文は歴史の捏造であるとして署名を拒んだ謝名親方は、薩摩の手によって処刑されます。

最期まで己を曲げる事のなかった不屈の剛直さに、薩摩の人々の中にも同様を寄せる人は少なくありませんでした。

 

そして――大島や琉球各地には薩摩の役人が逗留するようになり、年貢を計算するための検知が行われ……と薩摩の実質的な琉球支配に向けた準備は着々と進んでいきます。

 

啓山は羽儀とともに大和へ渡り、琉球舞踊を元にした芸の技を磨きます。

一時は医者の道へ進もうとした啓泰は、商人になると翻意し、沖縄を中心とした南国の島々を舞台に国籍を問わない貿易集団を作ります。

琉球のために生きてきた彼らは、琉球に囚われずにそれぞれの道を歩んで行くのです。

 

 

薩摩支配後の琉球

薩摩の支配後、表向きには独立国としての体裁を保ちつつ、徳川幕藩体制に組み込まれた琉球は諸外国との仮面外交や、重税に苦しんだはずなのですが、本書において薩摩支配後の苦しい状況というものはほとんど描かれません。

ただ淡々と、水が染みるように薩摩に侵食されていく様が描かれるのみです。

当時先頭に立って琉球の政治を担っていた親方衆やその仲間たちが次々とこの世を去ると、啓泰らの世代は自らの信条の下、それぞれ思い思いの道を生きていきます。

 

琉球王国を扱った作品という意味では、琉球陥落~謝名親方の死までがクライマックスなのでしょう。少なくとも僕は、そう感じました。

あるいは作品そのものが、琉球というよりは琉球と明の間の広い南海を描きたかったのか。

 

なので薩摩支配後~琉球処分の期間については、また別の作品を探した方がよいのかもしれませんね。僕はまだ未読ですが、池上永一テンペスト』あたりが良さそうです。

とはいえ『テンペスト』、評価があまりにも二分されるので手を出すのがはばかられるのですが。

 

とりあえず沖縄に関する作品としては、この後にもう一冊だけ読んで終わりにしようかなぁと思っています。

その昔読んだ作品で、それなりに思い入れもあったのですが、すっかり記憶から消えていた盲点とも言えそうな作品でした。考えてみると、僕の中にある「イリオモテヤマネコ」や「ミミガー」、「シーサー」、「ハブ」といった断片的な沖縄知識の多くが、その作品によって形成されたものなんですよね。

次回紹介するその作品は一体なんなのか……ぜひご期待いただきたいと思います。

 

打ち切り大河ドラマ

最期に念のため触れておこうと思いますが、本作『琉球の風』はあのNHK大河ドラマ化もされていたりもします。

1993年1月~の放送枠です。

とはいえ一つ伝説がありまして『琉球の風』は6月までの僅か全31回で終わるという、NHK大河ドラマ唯一の半年作品なのです。

 

www2.nhk.or.jp

 

主演はジャニーズの東山紀之

今では「打ち切りだったの?」といぶかしむ声もあるそうですが、あくまで予定通りだったことがわかっています。平均視聴率は17.3%、最高視聴率は24.1%だったそうなので、今なら大ヒット・大人気ドラマと呼ばれる事間違いなしです。

その当時から、既に大河ドラマも試行錯誤を繰り返していたのですね。

 

とはいえ動画を見る限り、今とはエキストラの数も舞台装置の豪華さも比較になりませんね。その代わり、往年の大河といった風情で全体的に薄暗い印象ですが。

 

www.pref.okinawa.lg.jp

今年令和4年は本土復帰50周年にあたります。

春以降、きっと沖縄の露出も増えてくることでしょう。本書をはじめ、沖縄関連作品にも注目が集まるかもしれません。

皆さんも今のうちからぜひ、予習・復習はいかがでしょうか。

それでは、また。

 

 

『首里の馬』高山羽根子

「いえ、いえ。孤独だからなんていう要素が理由になる仕事は、厳密には世の中にありません」

 

高山羽根子首里の馬』を読みました。

前回『太陽の子』の記事で書きましたが、急遽会社で沖縄旅行に行くことになりまして。

沖縄に対して「首里城」「ひめゆりの塔」「美ら海水族館」といったキーワードしか浮かばず、それぞれについても具体的にどんな場所で、どんな魅力があるのかもさっぱりわかっていない僕は今、沖縄について知る努力を続けています。

その方法として、自称”本の虫”としてはネットの海を検索したり、その結果浮上した沖縄の魅力をPRするYOUTUBEチャンネルや観光ガイドブックを見るよりも、沖縄に関係する小説を読んだ方がいいな、と思った次第です。

 

そこで手近なところでまずKindleUnlimitedから『太陽の子』を読み、続いて本作『首里の馬』をチョイスしました。

なんせ本作、第163回(令和2年/2020年上半期)芥川賞受賞作という事で、沖縄を舞台とした作品の中では最新の文学小説と言っても過言ではないでしょう。

 

台風があきれるほどしょっちゅうやって来るせいで、このあたりに建っている家はたいてい低くて平たかった。

 

冒頭から始まる、沖縄の家屋や風景に関する詳細で、それでいて作者の考察も含まれた描写は、今の沖縄を知りたいと渇望する僕にとって大いに期待を膨らませてくれるものでした。

試し読みで公開されている冒頭の数ページを読んで、確信しました。

この作品は絶対に読んだ方がいいな、と

 

謎過ぎる主人公の生活風景

物語は主人子の未名子による一人称で、淡々と進められていきます。

旧外人住宅の名残を残すコンクリート造の建物に私設の資料館を開き、沖縄の資料を収集する民俗学者の順さんの下へ通っては、資料の整理を手伝っています。

と言っても順さんと雇用関係にあるわけではなく、あくまで自主的に、ボランティアとしてお手伝いしている、という間柄にあります。

中学生のころ、県外から家族で沖縄へ引っ越してきた未名子は学校を休みがちになり、代わりにこの資料館へと通うようになりました。それからずっと、時間があれば資料館へ通う、という生活を続けています。

 

とはいえ、二十代半ばになった今、未名子はちゃんと働きに出て、たった一人で自立した生活を送っています。

上の資料館との関わりもなんとも奇妙に感じますが、未名子の仕事というのも、非常に風変りなものなのです。

 

問読者(トイヨミ)、という仕事

未名子の職場は、那覇市内の雑居ビルの中にまるで隠れ家のように存在しています。

この職場の様子というのも、怪しさに満ち溢れています。

 

なにも考えずに見渡せば、ここは標準的な事務所に見える。ただ注意深く見れば、ふつうに人が働いている場所とはちがう印象を受ける部分があちこちにあった。

だからここはゲーム画面の背景としてCGで再現されたり、あまりに人間のことを知らない別の知性体が、地球の人間が働いている場所というのはこんなものだろうと見よう見まねで作り上げたりしたオフィスみたいだ

 

このあたりの表現って個人的にはとっても好きでして。

読んでいるだけで胸がざわつくような、芥川賞的な匂いに満ち溢れた文章に感じます。

 

さらにおかしなことに、そこで働くのは未名子一人だけ。同僚はいません。

唯一面接の相手であったカンベ主任だけが、電話などにより遠隔で指示・サポートをしてくれています。

その仕事内容というのも、世界中のどこかから繋がった相手に、三つのキーワードによるクイズを出題する、というもの。

 

「小さな男の子、太った男。――そしてイワンは何に?」

 

カンベ主任によると、未名子の仕事の正式名称は「孤独な業務従事者への定期的な通信による精神的ケアと知性の共有」というのだそうです。

それが言葉通りそのままの仕事なのか、はたまた実は他に隠された意味があるのか、未名子は知りません。

当然ながら、僕達読者もわかりません。

未名子と画面で繋がった一人の外国人が、一対一でクイズを行い、時に世間話を交わす様子が描かれるのみです。

 

そして画面の上から伝わる相手にも、どこか不穏な様子が伺えます。

本書の中で主に未名子の相手として現れる相手は三人だけですが、全員が、閉鎖された狭い部屋の中にいるようにそれとなく感じられます。

もしかしたら未名子は、本人も知らない内にとんでもない悪事や、国家機密に関わるような重要な任務に関わっているのではないか――そんな疑念がどんどん膨らんでいってしまいます。

 

迷い込む宮古

作中三分の一を過ぎた頃、帰宅した未名子の自宅の庭に突如現れるのが馬。

通常の馬よりも小柄なその馬が、その昔沖縄競馬に使用された宮古馬であると未名子は気づきます。

馬はそのまま未名子の家に居つき、やむなく未名子は自宅の中へと招き入れます。いったんは警察に引き渡し、自然公園に保護される宮古馬ですが、ある日未名子は再び宮古馬を取り戻すべく行動に出ます。

そうしてガマという自然洞窟に宮古馬を隠した上で、毎日のように馬に乗るべく練習を重ねるのです。

 

三題噺の答え

私設資料館。

問読者。

宮古馬。

本書は主にこの三つの舞台・場面によって構成されているのですが、それによって導き出されるもの≒作者の書きたかったものという事になろうかと思います。

では、その答えは……というと、正直ワカラナイとしか言いようがありません。僕の読解力が足りないだけかもしれませんが。

 

資料館と問読に共通しているのは「情報」なのだとは思います。

しかもその情報はいずれも「他者から見れば価値の有無すら判定できない情報」です。資料館に集められた莫大な資料は順さんが理由あって集めたものなのでしょうが、未名子にはそれがいつか役に立つものなのか、保存し続ける価値のあるものなのかもわかりません。

クイズも同様でしょう。断片的に提示される三つのキーワードから一つの答えを導き出すという、非常に特殊なクイズに答える能力やそれに要する知識は、他者にとっては必要性の薄いものです。

 

両者に共通しているのは、それを大切に思い、ひたむきに集めている人がいるという点。

そしてその人の身に何かが起こったり、その人が興味を失ってしまえば、途端に価値は失われ意味をなさないものになってしまう点でしょう。

 

他者から見れば何の価値もないそれらの情報は、果たして本当に価値のないものなのか。そこに込められた執念や愛着とでも言うべき想いは、いつか他の誰かに必要とされる日がくるのではないか。そんな想いを描きたかったのかな、というのが個人的な見解です。

 

まぁそういう意味では本書……非常にわかりにくいですよね。言い方を変えれば、不親切とも言えます。ライトノベルやアニメ、テレビドラマに例を挙げるまでもなく、昨今の創作物は非常に親切丁寧に、物語の背景や登場人物の心情まで描いてくれますから。

それに比べ本書は読者側が作者の意図や登場人物の心の動きを想像し、補完しながら読み進めていくしかない。難解……という言葉は使いたくないのですが、純文学的な作品だな、と思います。

 

宮古馬の役割

それにしても大きな謎として残るのは、題名にもなっている馬の役割。

物語に突如現れた馬は、主人公によって警察に引き渡されたり、連れ戻されたり、乗られたりと様々な扱いを受けるものの、資料館に遺された情報をどうするのか、という物語の主軸とも言える話とは関連性がないようにも思えてしまいます。

 

これについての僕の見解はというと、宮古馬は上に書いた「誰かにとって必要だけれど、他者にとっては価値の判断がつかないもの」の象徴のような存在なのだと思います。

実際に宮古馬は、失われた沖縄競馬をはじめ、古くからの沖縄の歴史や文化の一旦を担う貴重な存在です。

ですが未名子は、最初馬と遭遇してもそれが一体何なのか理解できませんでしたし、自ら警察に引き渡してしまいました。薄気味悪いとすら思ったはずです。

宮古馬は、順さんが残した膨大な数の資料と同じなのでしょう。

 

順さんの身に危機が迫り、資料館の処置をゆだねられた未名子が資料を電子的アーカイブとして残そうと決断したように、未名子は宮古馬を連れ戻します。さらに乗りこなせるようにと、宮古馬に乗る練習を重ねます。

その姿は、順さん亡き跡も島の情報を集め、残して行こうと決めた未名子の心持ちにも通じるように思えるのです。

 

最終的にはそれなりに馬にも乗れるようになり、道行く人はそんな未名子と宮古馬を見て、見て見ぬフリをする人もいれば、まれに微笑みかけてくれる人もいる。

こんな些細な描写からも、やはり宮古馬は順さんが遺した資料と同じ「誰かにとって必要だけれど、他者にとっては価値の判断がつかないもの」なのだと思います。

 

あるいはそれは……度重なる飢饉や戦争に脅かされてきた沖縄の歴史・情報そのものを暗示しているのかもしれません。

興味もなく、必要性も感じない人は存在すら気づいてくれない。でも、まれに興味を持ち、自ら欲してくれる人もいる。その時、その人の役に立つのであれば、大事に残していく意味はあるのではないか――

少なくとも未名子は、それらを大事に受け継いでいく、と決めたのでしょう。

 

「わかりにくい」を愉しもう!

さて、最後に本書の最大の謎である「にくじゃが」「まよう」「からし」については、what3wordsという位置情報システムに当てはめると「首里城」を意味します、という点だけを簡潔に書いておいて。

 

先日『ケイコ目を澄ませて』という映画を観てきました。

僕が今一番ハマっている女優・岸井ゆきのの主演作で、実在する耳の聞こえないボクサーの自伝を原作としています。

 

happinet-phantom.com

 

この作品……最近では様々な賞に輝き、その度にメディアで報じられるなど話題になっているのですが、はじまった瞬間からその世界観に飲み込まれました。

 

音。

 

とにかく、音の表現が素晴らしいのです。

耳の聞こえない主人公との対比なのでしょうか。ボクシングジムでミット打ちをする音や縄跳びをする音、シューズの鳴る音、人の声、息遣い、風、排気音、電車等々、スクリーンの向こうから生の音が伝わってきます。

一方で、映画には切っても切り離せない存在であるはずのBGMや効果音は一切ありません。あくまでカメラが切り取った音を中心として、映画がつくられているのです。

 

さらに驚いたのは、主人公のケイコに一切台詞がない事。

耳が聞こえない=喋れないのだから当然なのですが、通常だとそれを補うべく、本人や他者のモノローグのような形で心情を語ってくれる作品がほとんどかと思います。最近の親切丁寧なドラマや映画であれば、普通に喋れる主人公であってもいちいちモノローグを入れて、全ての情報を包み隠さず伝えてくれるのが普通でしょう。

しかし本作には、モノローグと呼べるものすらありません。

 

つまり、ケイコの心情は観客に対して一切説明される事のないまま、彼女の表情や動き、周囲の人々の立ち居振る舞いでもって察する他ないのです。

でも不思議と、観ている側に伝わるんですよ。

映画側からの説明は一切ないので、こちらが受け取ったものが実際に監督や演者が意図したものなのかどうか確証を得る事はできないのですが、全体を通して、ケイコの身に起こった出来事や、それによって起きたケイコの心情の変化を感じられるのです。

 

僕はこの映画を観ながら「すごく純文学的だな」と思いました。

『ケイコ目を澄ませて』を観た事で、逆に「純文学のあるべき姿」を知らされた想いです。

 

その後で読んだからかもしれませんが、『首里の馬』にも『ケイコ目を澄ませて』と似たものを感じました。

確かに一見、わかりにくい。

観る人によってはあまりにも不親切だと、拒絶反応を巻き起こすかもしれない。

実際に一緒に見に言った同伴者は「よくわからない映画だった」と不満顔でした。でも「わからなかった部分」をお互いに「多分こういう事だよね?」と想像し、補う合う中で、そういう楽しみ方もあると理解してくれたようです。

 

きっとそうしてもう一度、二度と繰り返し見れば(読めば)、一度目とは違ったものが見えてくるのだと思います。

全てを余さず描き出してくれる作品の方が今は主流だし、そういう作品でないと商業ベースのヒット作品にはなかなかなり得ないという事も重々承知しているのですが、そうではない味わい方をする作品もあるのだと、受け止めて欲しいものです。

 

 

『太陽の子』灰谷健次郎

「知らなくてはならないことを、知らないで過ごしてしまうような勇気のない人間に、 わたしはなりたくありません。そんなひきょうな人間になりたくありませ ん」

 

灰谷健次郎の『太陽の子』を読みました。

1978年の出版なので今から約50年近く前の作品ですね。

ですが、なぜかしら見覚えのあるタイトル・著者名に感じます。

 

ちなみに僕、本作は(内容までは知らないにしても)誰もが一度は耳にしたことがある有名な作品というイメージがあって、芥川賞か何かの文学賞を受賞した作品なのだと思い込んでいたのですが、全くそんなわけでもないのですね。

にも関わらず、多くの人々がきっと題名ぐらいは見た事がある作品となると、いろいろと興味深い物があります。

 

なぜ僕が本書にたどり着いたかという経緯から説明しますと、勤務先で今度沖縄に行く事になりまして。

ですが僕にとって沖縄とは、高校時代に修学旅行で行った記憶が薄っすらとあるだけで、あとは特別これといった知識も情報もないんですね。

テレビやメディアでは日本有数地の観光地として度々沖縄を取り上げますが、会社の旅行ではシュノーケリング熱帯雨林のハイキングといったアクティブな自然体験をするはずもなく。。。首里城は火災で全焼して再建中。となると、必然的にひめゆりの塔美ら海水族館国際通り散策のようなベタな観光地巡りになるわけです。と言われても別に水族館なんてどこも似たり寄ったりだし、朝昼晩しっかり用意されている団体旅行では食べ歩きにも限度があるし。なんて冷めた感情しか浮かばなかったり。

 

このままじゃマズいよなぁ、行くからには事前に「ここに行ってみたい」「こんな文化を体験してみたい」というような知識を仕入れておくべきだよなぁ、と考える中で、やはりここは大好きな読書から……沖縄を題材にした小説から沖縄を知る、というのが僕にとって一番良い方法なんじゃないかと思い立ったわけです。

そうしてKindle Unlimited収録作品の中から、おそらく一番有名で、一番評価が高いであろう本書をチョイスしたのでした。

 

――長々前置きしましたが、ここから本書の内容について改めて記していきたいと思います。

 

 

舞台は沖縄……ではなく神戸

本作の主人公は小学六年生の女の子、ふうちゃん。

彼女の両親は沖縄生まれですが、現在は神戸に移り住み、「てだのふあ・おきなわ亭」という沖縄料理のお店を営んでいます。

そこはギッチョンチョンやゴロちゃん、ギンちゃん、昭吉くん、ろくさんといった常連が毎夜のように訪れ、賑わいを見せています。ただし、すぐに気になるのは……常連客のほとんどがどうも、沖縄生まれの人たちばかりだという点。

不思議じゃないですか?

なぜ神戸の港町に沖縄料理の店があり、さらには沢山の沖縄出身者が集まるのでしょうか。

 

――そんな些細な疑問ひとつひとつから、僕は今まで沖縄の歴史というものをあまりにも知らなさ過ぎたと思い知るようになるのでした。

 

戦後の沖縄県民たち

本書は第二次世界大戦から30年後の神戸を舞台にしています。

終戦は1945年8月ですので、1975年頃という事になります。ちょうど本書の発行された時期と重なりますね。

 

ちなみに補足しておくと、終戦後、沖縄の施政権はアメリカが握っていました。

簡単に言うと、アメリカに占領された領土だったわけです。

沖縄の返還・本土復帰が叶ったのは終戦から約30年後の1972年(昭和47年)5月。

つまり時代背景として、本書の登場人物たちは沖縄返還から僅か数年の時代を生きている事になります。

ただし、本書の中には沖縄返還が云々といった経緯は一切記されていません。登場人物たちの口ぶりから察するに、おそらく返還からある程度の時間が過ぎているのだろうな、と想像するばかりです。

 

上記のような前提を元に、再度「どうして神戸の街に沖縄?」という疑問に戻ると、どうやら時代背景として、この頃は沖縄を出て大阪や神戸といった西日本の大きな町に出稼ぎ・移住する人が少なくなかったようなのですね。

チャイナタウンや県人会ではありませんが、見知らぬ土地に移り住んだ人々が、自然と惹かれ合い、身を寄せあっていたという状況があるようです。神戸の町において「でだのふあ・おきなわ亭」はその中核施設とも呼べる役割を果たしていたのでした。

 

故郷の沖縄の思い出話に花を咲かせ、時に喧嘩をしたり、涙を流したりしながらも、笑顔溢れる「てだのふあ・おきなわ亭」を中心に描いた本作は、表面的には『男はつらいよ』にも似た昭和的下町人情物語にも見えます。

ところがその土台には、沖縄が歩んできた辛く苦しい歴史に翻弄される人々が描かれていたのでした。

 

未だ戦争の影に脅かされる人々

登場人物たちには、様々な形で戦争の影響が残っています。

ふうしゃんのお父さんは、精神病です。原因や理由については具体的に明かされる事はありませんが、戦争のせいでおかしくなってしまったようです。ふうちゃんは三十年前にはまだ生まれていなかったはずなのに、迫りくる戦火から守らなければならないという使命感に突き動かされ、時々発作を起こしてしまいます。

ギッチョンチョンのお姉さんは、ある日自ら命を絶ってしまいました。ギッチョンチョンにも具体的な理由はわかりません。でも、お姉さんはずっと、何か辛い思いをしていたようです。

ろくさんは戦争の時に左腕を失いました。今でも時々、ミチコという女性の名前をつぶやきながら泣く事があります。

神戸に生まれ、自ら神戸党を自認するふうちゃんにとって、自分が生まれる前の沖縄で何があったのか。みんなが何に苦しめられているのか、知るはずがありません。ですがお父さんをはじめ、「てだのふあ・おきなわ亭」の人々との交流の中で、ふうちゃんは少しずつ沖縄に興味を持ち、自分の知らなかった沖縄を知ろうと試みるようになります。

 

そんなふうちゃんは、キヨシ少年とたまたま出会う事によって、さらに深く沖縄と結びついていきます。

沖縄で生まれ、神戸に来たものの、母親から捨てられ荒んだ生活を送るキヨシ少年は、当時の沖縄人に向けられる世間の目を体現する存在です。

自ら望んで悪党をつるみ、平気で人の物を盗み、仕事も長続きしません。

しかし、彼は本当に生まれながらにして悪党なのでしょうか。

キヨシ少年が逃げ出した料亭の女将は、こんな風に彼を詰ります。

 

「やっぱり、オキナワモンはあかん」

 

おそらくこれこそが、当時全国津々浦々に飛び散った沖縄の人々を苦しめた世間の目であり、声だったのでしょう。

ギッチョンチョンのお姉さんもまた、そのために命を絶つほどに追いつめられてしまったのかもしれません。

もちろんわれらがふうちゃんは、「わたしも、わたしのおとうさんもおかあさんも、沖縄です。オキナワモンいうてなんや知らんけど、沖縄の人はみんなあかんのですか」と食って掛かるのですが。

当時の状況をまるで知らない僕が、女将の一言で察したように、小学六年生のふうちゃんもまたこの一件によって、沖縄に向けられる差別的な感情の存在に気づいたと言えるでしょう。

 

沖縄戦の悲惨さ

ふうちゃんは沖縄党のギッチョンチョンにお願いして、沖縄についての本を見せてもらいます。

そこにはあまりにも悲惨過ぎる戦争の写真がありました。

 

艦砲射撃と爆撃によって、月のクレーターのように穴だらけになった荒涼とした風景。

すきまもないほど海を埋め尽くす艦船。

道や田畑を駆けまわる戦車。

 

ふうちゃんはギッチョンチョンに問いかけます。

 

「どこで戦争しとるん?」

「戦争やねんから鉄砲で撃ちあうんやろ。大砲で撃たれたら大砲で撃ちかえすんやろ。戦車は戦車で、飛行機は飛行機でやりあうのが戦争やろ」

 

子どもの目はあまりにも純粋で、正直ですね。

ふうちゃんの目から見た沖縄戦は、一方的に沖縄が攻撃されているだけに映ったのでしょう。

 

沖縄の人々の実に三分の一が死んだ。

せまい洞穴の中で火炎放射器に焼かれて死んだ。

手りゅう弾で自決した。

 

戦争の現実を初めて目にしたふうちゃんは、思わず嘔吐してしまいます。

それほどまでに、初めて知る沖縄戦は鮮烈なものでした。

 

自戒を込めて

……とまぁおおよそのあらすじはここまでとしておきます。

人情味あふれる「てだのふあ・おきなわ亭」の日常シーンが、少しずつ凄惨な沖縄戦と結びついていく様子は鳥肌ものです。

いつも陽気に、笑顔で楽しく暮らしている人々だからこそ、その裏側に隠された悲劇や、未だなお残り続ける差別がまざまざと浮かび上がります。

 

本書が名作として長く読み継がれる理由が、よくわかりました。

 

僕は今まで、あまりにも沖縄について知らな過ぎました。

改めて自分の無知を恥じる想いです。

 

僕は小学六年生のふうちゃんと共に、沖縄戦の歴史に初めて触れ、同じように衝撃を受けました。

本書を読んで以降も、空白だった沖縄戦についての知識を少しでも埋めようと、学び続けています。

 

youtube上にも、海賊版かもしれませんが過去に沖縄戦を取り上げたドキュメンタリーが多数存在します。

そこで改めて沖縄戦について学びなおし、本当に衝撃を受けました。

 

最初から沖縄は本土攻撃までの時間稼ぎのための捨て石だった。

米兵に捕まれば乱暴され、命はない。捕虜となるぐらいなら自ら死を選べと植え付けられた民間人。

実際に米兵ではなく、友軍によって命を奪われた民間人も多い。

子どもや赤ん坊を「殺してしまえ」と命じられ、泣く泣く自らの手にかけた親も。

 

書き切れないほど多くの悲劇がありました。

実際に経験した人たちにとっては、地獄そのものとしか言いようのない極限状態でしょう。

これまで全く興味を持たなかったのが、本当に申し訳なく思います。

 

そんな学びもあり、今回しばらく寝かせていた当ブログを再び再開するに至りました。

もちろんブログの更新が途絶えている間も読書は続けていましたので、また折を見て少しずつご紹介していけたらと思います。

 

とりあえず勢いで書いた本記事も、ちょくちょく見直して加筆修正していけたらな、と。

それでは、また。

 

 

 

 

 

『とらドラ!』竹宮ゆゆこ

「俺は、竜だ。おまえは、虎だ。
――虎と並び立つものは、昔から竜と決まってる。
だから俺は、竜になる。
お前の傍らに居続ける」

竹宮ゆゆことらドラ!』を読みました。

そろそろkindle Unlimitedの解約を考えていまして……というのも、ちょっとめぼしい本は読みつくしてしまった感があるのです。

 

もちろん角田光代をはじめ、僕が好きな作家さんでまだまだ未読の作品も残ってはいるのですが、同じ作者の作品ばかり読み続けるのもなんだかなぁ、と思いまして。

なんかないかなー、面白そうなのないかなー、とひたすら検索していたところ、行きついたのがこちらの作品。

 

あまりライトノベルが得意ではない僕でも、『とらドラ!』が名前は聞き覚えがありました。

引き続き異世界転生やら悪役令嬢やらといった作品が続くライトノベル業界において、恋愛モノの作品として根強い人気を誇る作品なのでしょう。

とはいえ、よくよく調べてみれば初出が2006年3月……だいぶ古いですね。

 

まぁいずれにせよ物は試し。

読んでみることにしましょう。

 

最恐ヤンキー×手乗りタイガー

主人公の高須竜児は父親譲りの鋭い目つきのせいで、最恐ヤンキーとして周囲から恐れられています。

一方、逢坂大河は誰かれ構わず噛み付く性質から、手乗りタイガーとして同じく畏怖されています。

 

誰もいない放課後の教室で、竜児は大河にばったり遭遇してしまいます。

なんと大河は、竜児の親友である北村祐作と間違えて、竜児の鞄にラブレターを入れていたのです。

その夜、過ちに気づいた大河は竜児の家にバッド片手に忍び込み、竜児ものともラブレターを亡き者にしようと企てるのです。

 

……とまぁ、序盤のあらすじはそんなところ。

 

周囲からは恐怖の対象としておそれられる竜児が、実は母親想いで料理も得意な優しい男であり、手乗りタイガーこと大河もまた、不器用でドジなだけの女の子だったり……そんな二人が互いの恋を実らせようと共闘していくうち、お互いが特別な存在になっていたということに気づくというラブコメテンプレ的な作品です。

 

 

ラノベでした

大人になってしまった僕からすると、特に深い感想もなく……「最初から最後まで想像した通りのラノベでした」という陳腐な言葉しか出てきません。

序盤のほんの数ページを読んだだけで、最終的にどうなるか想像ついちゃいますし。

 

古き良きラノベですよね。

 

既存のアニメや漫画をノベライズしたかのような、破天荒で突拍子もない展開が続くライトノベル

それでも物語の筋はちゃんと通ってるし、アニメや漫画を読むようにサクサク読み進めることができるでしょう。

 

まぁでも、本書を読んでやっぱりKindle Unlimitedを解約する決意は固まったかな。

僕は本の虫なので、常に読みかけの本が側になければ気が済まないタイプなのですが、それにしても、読む本はなんでもいいというわけではありません。

 

そこにはやはり、今まで読んだことのないような興奮や、味わった事のない読後感を追い求めたいのであって……必死に探して検索して、妥協の上で本作のような自分にとってあまりモチベーションの上がらない本に手を出してしまうのは、自分にとっても、作品に対しても失礼だな、と改めて思いました。

 

そんなわけで短いですが、今回の記事はおしまいです。

読みたい本を、読みましょう。

 

 

 
 
 
 
 
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『ひそやかな花園』角田光代

「ねえ樹里、はじめたら、もうずっと終わらないの。そうしてもうあなたははじめたんでしょ。決めたときにはもう、はじまってる。悩んでる場合じゃないわよ」

 

角田光代『ひそやかな花園』を読みました。

角田光代といえば、当ブログにおいても既に5冊をご紹介しているという、僕にとっては大好きな作家の一人。

 

linus.hatenablog.jp

特に『八日目の蝉』を読み、映画版を観た際の衝撃というのは未だ冷めやらぬ興奮として残っており、さらにここ最近では『愛がなんだ』の原作小説と映画が良すぎて、主演女優である岸井ゆきのにもハマってしまい……などという角田作品とのエピソードについては過去記事にもさんざん書いてきましたので、割愛させていただきます。

 

さて、本作。

何をさておき、まずは公式のあらすじを引用させていただきます。

 

幼い頃、毎年サマーキャンプで一緒に過ごしていた7人。
輝く夏の思い出は誰にとっても大切な記憶だった。
しかし、いつしか彼らは疑問を抱くようになる。
「あの集まりはいったい何だったのか?」
別々の人生を歩んでいた彼らに、突如突きつけられた衝撃の事実。
大人たちの〈秘密〉を知った彼らは、自分という森を彷徨い始める――。

 

ヤバくないですか?

『八日目の蝉』における宗教団体でのエピソードや、スティーブン・キング的な暗さを彷彿とさせ、これだけ読んでも絶対面白いって確信しちゃいますよね?

ましてや作者はあの角田光代

 

今まで気づかなかったのがもったいないぐらい、興味をそそられます。

 

早速、内容についてご紹介していきましょう。

 

 

7人の少年少女たちの断片的な記憶

冒頭から、子どもたちのおぼろげな、しかしキラキラとしたキャンプの記憶が断片的に語られます。

彼らはそこで初めて会った子どもたちと、川で泳いだり、バーベキューをしたり、出しものをしたりと、楽しいひと時を過ごしたのです。

一年に一度だけ、夏休みに突然訪れるその非日常的なイベントは、子どもたちにとって特別な体験でした。

 

しかしある日突然、キャンプはなくなってしまいます。

夏休みに入り、その日がくるのを今か今かと待ち続けていたにも関わらず、とうとうキャンプは実施されないまま、夏休みは終わってしまうのでした。

 

そのまま二度とキャンプは実施されず、彼らは大人になってしまいます。

 

そして描かれる、大人になった彼らの姿――。

 

いじめられっ子として卑屈な人生を送る者。

親を失くし、一人ぼっちを紛らわせるためにと次々と家出少女を泊める者。

ミュージシャンとして名を馳せるものの失明の可能性を伴う難病に苦しむ者。

突如豹変する夫との関係に悩む者。

不妊に悩む者。

 

ひゅんなことから彼らは互いの存在を知り、一人、また一人と再び繋がりを取り戻していきます。

そしてあのキャンプに隠されていた衝撃の事実へとたどり着くのです。

 

 

物足りない

……で、キモとなるのはやはり「衝撃の事実」の部分ですよね。

これがまぁ正直、物足りないという感想になるわけです。

 

『八日目の蝉』の影響もありますが、一番想像しやすいのは「宗教の集まりだった」という結論。

親たちは信者同士で、しかもオウム真理教をオマージュしていたりなんかしたら展開としては滅茶苦茶盛り上がっちゃいますよね。

遺された子どもたちは、あの事件で逮捕された幹部たちの子どもだった……しかし当人たちはそのことを知らない、とか。

 

子どもたち目線で語られる序盤からは親たちの考えや関係性が全く掴めないせいで、読者側の妄想がどんどん膨らませられてしまいます。

その意味では角田光代、やっぱり滅茶苦茶腕のいい作家さん。

 

ただ繰り返しになりますが、残念なのは着地。

衝撃の事実って、そっち???と完全に肩透かしを食った気分になってしまいました。

 

自分のルーツを探るという観点で掘り下げると、なかなか面白い題材だとは思うんですが……父とは、親とは、といったテーマを描くとするならば是枝裕和監督の『そして父になる』の方がストレートに胸に響いたかな、と。

 

再会した七人が期待通り慣れ合わないどころか余所余所しかったり、一向に距離が縮まらないどころか広がる一方だったり、という人物模様も生々しくて面白いのですが……そのせいで、衝撃の事実を受け止めた後の展開が散逸的になってしまった印象を受けました。

七人それぞれが期待するところも、受け止め方も、その先に望むものも違い過ぎて、てんでバラバラに物語が進んでいった、という感覚。

子どもの頃のほんの短い時間を一緒に過ごしただけなんだから、他人で当たり前。足並みそろわなくて当たり前なのは生々しいんですけど、小説である以上、そこに七人が手を取り合えるような共通の目的を見出して欲しかったと思います。

 

あとは一応、補足として本作に関するインタビュー記事のリンクを載せておきます。

 

 

短いですが、本作に関してはこんなところで。

 

 

 
 
 
 
 
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