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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『ぼくらの秘島探検隊』宗田理

「去年おれたちが戦った相手は、親や先公だった。こんなのは言ってみりゃ戦争ごっこだ。しかしこんどはちがう」

 

宗田理『ぼくらの秘島探検隊』を読みました。

いや~、盲点でした。

ここしばらく沖縄に関する作品を探して読んでおきながら、本作の事をすっかり忘れていました。

 

僕が『ぼくら』シリーズにハマって読んでいたのは確か小学校高学年~中学生ぐらいの間で、特に『ぼくらの秘島探検隊』は大人気映画『ぼくらの七日間戦争』の続編『ぼくらの七日間戦争2』として映画化もされたという、『ぼくら』シリーズの中でも割と代表作に近い作品なはずなのですよね。

そもそも僕が『ぼくら』シリーズを読み始めたきっかけを説明しておくと、たまたまテレビで見た映画『ぼくらの七日間戦争』がすごく印象に残っていたんです。子ども達が廃工場に立てこもって大人と戦うという構図がカッコよくて、夢にまで見るような憧れの作品でした。

するとある日の事、兄が一冊の本を借りてきたんですね。それが『ぼくらの最終戦争』。何かと思えば、あの映画の続編じゃないですか。それをきっかけに、しかもそれ一冊だけではなく、『ぼくら』シリーズというシリーズ作品である事を知ったのです。

 

僕の中でとっても印象的な単発映画だった『ぼくらの七日間戦争』がシリーズ作品と知り、すぐさま本屋に走りました。そこで最初に手に取ったのが、本書『ぼくらの秘湯探検隊』だったのです。

 

本当に本書については、語り尽くせない思い出ばかりです。

僕にとっては初めて自分で購入した『ぼくら』シリーズであり、映画でしか味わえないと思っていたあの興奮を再び蘇らせてくれた作品でもあります。

 

考えてみると、僕の頭の中に断片的に刻まれている「イリオモテヤマネコ」や「ハブ」、「ミミガー」や「シーサー」といった沖縄に関する用語は、本書によってもたらされたものなんですよね。

『ぼくらの秘島探検隊』を通じて、僕の中での「沖縄」が形成されたと言っても過言ではないぐらいの作品なんです。

 

そんなわけで前置きが長くなりましたが、『ぼくらの秘島探検隊』の内容についてご紹介していきましょう。

 

それまでのあらすじ

前段階として、『ぼくら』シリーズにおける本書『ぼくらの秘島探検隊』の位置づけについて説明しておきます。

ぼくらの七日間戦争』から始まる『ぼくら』シリーズの中で、本書は第十作目となります。

ただし、時系列としては中学二年生の夏休み。第四作『ぼくらのデスマッチ』に続くエピソードです。

もともと時系列がちぐはぐに出版されてきた『ぼくら』シリーズは、基本的に一話ごとに完結し、どこから読んでも楽しめるようになってはいるのですが、本書の場合、前エピソードとなる『ぼくらのデスマッチ』との関係は切っても切り離せないものです。

 

というのも『ぼくらのデスマッチ』では、『ぼくら』シリーズにおいて初めての”死”が描かれているんですね。

それによりぼくらは――特にひとみは大きな心の傷を負ってしまいます。

その傷をいやすためにと、銀鈴荘の瀬川とさよが費用を工面してくれて、ぼくらは―沖縄旅行へと乗り出すわけです。

表向きな目的は銀鈴荘に住む金城まさの故郷である八重山の神室島を、リゾート開発の手から守るという理由ですが、その裏には慰安旅行的な側面もあるのです。

『ぼくらのデスマッチ』についての詳しい内容は割愛しますが、中学一年生のぼくらが二年生となり、また一歩大人の階段を登るきっかけとなった出来事を描いたエピソードとなっていますので、興味のある方はぜひそちらもお読みください。

 

 

 

相手はリゾート開発事業者⁉

今回ぼくらが暴れる舞台となるのは、那覇からさらに西南、台湾にほど近い八重山諸島にある神室島、という島です。

東京から船で四十時間以上かけて那覇へ。

さらに十三時間かけて石垣島へと渡った後、さらに船に乗った先が神室島。日本の最果てと言っても過言ではなく、まさしく秘島と呼ぶのに相応しい島です。

 

本書が発行されたのは1991年。

1987年に制定されたリゾート法(総合保養地域整備法)により日本は全国的に空前のリゾート開発ブームを迎えていました。

沖縄もまた1990年に沖縄トロピカルリゾート構想を掲げ、ホテルやゴルフ場、マリーナが続々と開発されていったのです。

そして開発の手は、今回の舞台となる神室島にまで及んでいました。

 

土地買収の攻勢に遭い、島に残るのはわずかに八家族。

この夏休みで廃校が決まり、中学生が3人、小学生が4人いる子ども達も休みが終わると島を出る事が決まっています。

唯一残るのは、金城まさの娘、美佐の家だけです。

 

当初は丁寧なお願いから始まり、法外な値段でもって立ち退きを迫った開発業者も、強情な美佐たちをどうにかして追い出そうと、間違えたフリをして畑をブルトーザーで潰したり、露骨な嫌がらせを仕掛けてきています。

目には目を、イタズラにはイタズラを、というのがぼくらのモットー。

英治達は開発業者を懲らしめてやろうと、闘志を燃やします。

 

開発業者が持つ唯一のボートの舵をロープで結び、発進した途端、舵がもげるように仕向ける事で、そのまま海で漂流させたりします。

さらに、唯一の飲み水であるタンクを出しっぱなしにして水切れにしたり、ブルトーザーや軽トラックの燃料タンクに黒砂糖をぶち込んで、走れなくしたりします。

もちろん、『ぼくらの七日間戦争』同様、大人達との直接対決だってあります。

 

大人になった今では、「いや犯罪でしょ」「いくら相手がヤクザまがいでも逮捕されるでしょ」とツッコミたくなってしまうようなイタズラばかりですが、子どもの頃は胸をわくわくさせながら、痛快に感じていたのを思い出しました。

 

子ども相手にも手を抜かない宗田理

大人の目線で改めて『ぼくら』シリーズを読むたび、大人と子どもの狭間を生きる『ぼくら』の描き方が絶妙だな、と思わされます。

 

「十人が白いシーツをかぶって、あの面をつけて夜中に奴らを脅かすんだよ。絶対おどろくぜ」

 

などと他愛もないイタズラを思いつくかと思えば、

 

「あいつを一人にすりゃいいんだよ」

「どうやって?」

「私たちがやろうか?」

 ひとみは、そういいながら、形のいい足を、ことさら見せつけた。

 

相手の親分に色仕掛けをしようなどと、成熟しつつある自分達の身体の変化もちゃんと理解していたりします。

終盤、ひとみ達女子が掴まり、見張り役の交代にいったはずの部下が戻って来ないのを案じた開発業者の間でも、こんなやり取りがあったりします。

 

「いえ、若い娘が四人に、こっちが四人だから、もしかしたら……と思ったんですが」

 

明らかに性的なものを示唆する台詞です。

『ぼくら』シリーズはポプラ社角川つばさ文庫といったジュニア向けレーベルでも出版され、対象年齢層を小学生~高校生ぐらいの子どもとしながらも、彼らの間に存在する性的価値を包み隠さず描いているのが、印象的ですね。

昨今では子ども向けの作品となれば、どうしたってそのあたりは見て見ぬフリをしたり、ない物として扱ったりするのが一般的かと思うので、今読むと余計に新鮮に感じられます。

 

『ぼくら』と相対する敵役の大人にしても、キャラクター像としてはアニメチックかつコミカルでありながら、背景は以外にも現実的です。

今回の敵役である桜田組は、自社建設したマンションの販売不振により経営難に陥り、大手丸田組の下請けとしてリゾート開発を請け負ってます。

ヤクザ紛いの手口で地上げ行為を行うのも、見返りとして丸田組に借金を肩代わりしてもらおうという魂胆があるわけです。

一方、親会社である丸田組は、政治献金と脱税で揉めている真っ最中。

そんな彼らが沖縄の大事な自然を破壊し、静かに暮らし続けたいと願う住民の生活を脅かして、リゾート開発を行っている。

『ぼくら』が戦うのは、池井戸潤も真っ青の<社会悪>だったりするのです。

 

『ぼくら』シリーズというと大人との破天荒な対決シーンが際立って見えますが、各作品に込められた<社会悪>が重要なのだと思います。誰が見ても悪いものは悪い。しかしながら、大人達は見て見ぬフリをしたり、他人事として目を背けたりする。そんな理不尽さと正面から戦ってくれるのが『ぼくら』なのです。

だからこそ、本シリーズは子ども達の胸を捉えて離さないのだと思います。

 

とはいえやっぱり子ども向けです

あんまり持ち上げると実際に読んだ人から「読んでみたら子供だましみたいな小説じゃないか」と怒られたりしても困るので、『ぼくら』シリーズについて書く際には念のためお断りしています。

『ぼくら』シリーズはやはり、あくまで『ぼくら』と同じ年代を生きる子ども向けなのだと思います。

 

ひとみらが乗って来た飛行機や船に偶然桜田組の親分が乗り合わせたり、大人が落ちて抜け出せないほどの落とし穴や罠がいとも簡単に、幾つも出来上がったり、子ども達のイタズラに引っ掛かった大人達が呆気なく降参したり。

ご都合主義の数々によって作品が成立しているのは否めません。

 

それでもやっぱり、僕が子どもだった頃にはそんなの気にもせずに夢中になって読んだんですよね。一冊約300ページを、買ってきたその日に一気読みするぐらい熱中して読んだのを、今でも覚えています。

それはあくまで子どもだったからであって、同じような興奮を大人になってから得ようというのは、難しいのでしょうね。

 

大人になり、令和の時代を生きる僕からすると、那覇から船で十三時間の離島でリゾート開発とは正気の沙汰とは思えません。でももしかしたら、当時の空気感はそれが当たりまえだったのかもしれないとも思うのです。

日本においては1986年12月から1991年2月をバブル景気と呼んでいますから、本書が書かれた当時はバブル最盛期~末期の頃でしょう。リゾート開発以外にも、インフラもない地方の山奥を原野商法で売り捌いていたような時代です。そしてその多く企業が、バブル崩壊後に破綻していきました。丸田組も桜田組も、最後のババをひいたバブルの犠牲者だったのかもしれません。

 

きっと本書の後日譚を描くとすれば、丸田組は政治献金・脱税がバレて破綻→他の大手ゼネコンに吸収合併。桜田組も呆気なく破綻し、住民のいなくなった神室島には開発途中で放棄された荒地が広がる。その後、中国企業が二束三文で土地を買い占め、大規模太陽光発電所が建設。島一面に真っ黒なソーラーパネルが……なんて、夢の無い話ですね。

目をキラキラと輝かせて『ぼくら』の冒険に胸を躍らせていた少年が、つまらない大人になってしまったものです。

では。