夢を見る力を失った人生は地獄だ。夢はこの世界の不条理を忘れさせてくれる。夢はこの世界が生きるに値するものだと信じさせてくれる。そうやって自分をだましおおせて死んでいけたらそれで本望だと私は思っている。
パソコントラブルに加えてゴールデンウィークを挟み、長らく更新が途絶えてしまっていたブログですが、ぼちぼち再開していきたいと思います。
その間に読んだままブログに書いていない作品もあるのですが、とりあえずはたった今読み終えたばかりの本から紹介します。
笹本稜平の『還るべき場所』。
俗にいう“山岳小説”というジャンルの物語ですね。
山岳小説といえば新田次郎が有名ですが、最近では笹本稜平の右に出る作家はいないのではないでしょうか?
夢枕獏の『神々の山嶺』もありますが、夢枕獏の場合には元々他のジャンルを得意とする作家さんですし。
山岳小説というなかなか読者層が限られるジャンルではありますが、その層の中において笹本稜平は絶大なる信頼と人気を誇っています。
以前『春を背負って』という同著者のブログも書いていますので、興味のある方はそちらもどうぞ
K2に魅せられた人々
物語は本作の主人公翔平がK2未踏ルートにおいて、最良のパートナーであり最愛の恋人・聖美を失うところから始まります。
失意の中で登山から離れていた翔平は、山仲間である亮太から公募ツアーの協力を求められます。
亮太は翔平や聖美とともにK2に挑んだ友人でもあり、現在はトレッキングツアーを主催する会社を設立しています。亮太はブロードピークへの公募ツアーの後、再び二人でK2に挑もうと持ち掛けるのです。
迷いつつも、亮太の提案を受け入れる翔平。
一方でもう一人、対照的な人物が現れます。
とある電子機器メーカーの社員である竹原。
竹原はその昔、父を山で失い、自身もまたK2へ挑み、目の前で仲間を失うという経験をしています。
翔平同様、以降は山から離れていた竹原でしたが、社の創業者である神津から山登りの指南を求められます。
神津は自社開発のペースメーカーを心臓に埋め込んだ上で、世界最高峰であるエベレストに登ろうと試みるのです。
そして竹原の協力もあり、実際にエベレストに登頂し、続いて同じ八千メートル峰であるチョー・オユーも制覇。
そんな神津が次のターゲットとして定めたのがブロードピーク。
竹原と神津は、亮太の主催するブロードピーク遠征に参加する事になります。
こうしてそれぞれがそれぞれの想いを胸に、K2へと集まるのです。
協力者と敵対者
亮太たちは旧知の間柄であるキース率いる「アグレッシブ2008」と協力し、ブロードピークに登るためのルート工作に取り掛かります。
少人数のパーティで一気に山頂を目指すアルパインスタイルとは異なり、亮太や翔平が実施するのはお金を貰って頂上まで参加者を導く公募登山。
膨大な費用がかかる代わりに、危険な箇所にはロープやはしごを張り巡らし、比較的容易に山頂まで登れるよう手伝うという至れり尽くせりの登山です。
しかし一方で、虎視眈々とチャンスを狙う敵対パーティが一組。
アルパインスタイルを自称しつつ、その実キースや亮太たちが拵えたロープやはしごを利用して登ってやろうというハイエナのような連中です。
長い時間をかけて準備を進め、遂に登山へと突入する翔平たちですが、やはりハイエナたちはその期を逃しません。
テントに用意した酸素ボンベを盗んだり、せっかく構築したロープを切ってしまったりと悪事を働きます。
一方で、翔平たちよりも先に出発したキースたちは天候の急変に見舞われ、山頂付近で身動きが取れないという遭難状態に陥ってしまいます。
キースたちの救援に乗り出しつつ、下からやってくるハイエナたちにも脅かされる翔平たち。
単純な山岳小説とは言えないスリルとサスペンスに、後半は読む手が止まらなくなってしまいました。
主役を食う男“神津”
終盤から一躍主人公の座を脅かす存在感を放ち始めるのが、電子機器メーカーの創業者である神津。
ブロードピーク攻略中、血のつながった甥の手によるクーデターで神津は代表取締役会長の座から追い落されてしまいます。
しかし神津は持ち前の辣腕で、国外にいながらにしてクーデターに対する反撃に転じます。
加えて胸に埋め込まれたペースメーカーには致命的な欠陥がある事実も。
いつ爆発するかわからない時限爆弾を埋め込まれたような体でありながら、神津は公募登山のゲストという立場から時には翔平を支え、むしろ引っ張るような存在感を表します。
冒頭の引用文も神津の言葉。
仮に映像化されるとするならば、きっと味のあるベテラン俳優が演じる事になるのでしょうね。
おそらく本書の中で読者に一番深い印象を与える登場人物でしょう。
山岳小説というニッチなジャンル
何度も書いてきていますが、山岳小説というジャンルは非常に狭いです。
山岳小説と聞いて挙げられるのは新田次郎『孤高の人』や井上靖『氷壁』、沢木耕太郎『凍』、夢枕獏『神々の山嶺』といったところで、それらを読んだ後は新田次郎の山岳ものや、山と渓谷社が発行するヤマケイ叢書を細々と読むのが通例のようです。
一般的に親しまれるジャンルではないけれど、求める人々にとってはあまりにも作品数自体が少ないものなのです。
そんな中において、今も現在進行形で新たな山岳小説を生み出し続けてくれる笹本稜平は希望の星とも言えます。
現在では先の四作に並ぶ程の作品は生み出せていませんが、いずれ山岳小説の代名詞となるような大作を書き上げてほしいものです。
……しかしながら、K2だのエベレストだの雪山だのと言われても一般的にはやっぱり馴染みのない世界ですよね。
どこか違う世界の話のように感じてしまいます。
でも今は空前の登山・アウトドアブーム。
なんとなく登山に興味はあるんだけど……という方も少なくないと思います。
実は僕も、ちょくちょくと山登りを楽しむ週末ハイカーだったりもします。
せいぜいグリーンシーズンの無雪期に、近隣の山々に出向くぐらいですが。
そんな方々におすすめなのが、下記の本。
漫画です。
漫画なんですが、何が面白いって山岳漫画でありながら、主題が山ではなく食だったりするんです。
まるで食べるために山に登るという主人公の楽しみ方を読めば、自分も真似してみたいと思ってしまいますよ。
WEBコミックなので下記サイトでは実際に連載中の作品を読むこともできます。
ぜひ一度試してみてくださいね。
■『孤高の人』新田次郎
実在の登山家加藤文太郎の生涯をモチーフにした作品
■『氷壁』井上靖
昭和30年に穂高岳で起きたナイロンザイル切断事件を元にした作品。