よく思うのです。事実はひとつしかありません。事実はひとつしかないけれど、その事実をどう見るのか、どう読むのかについては幾通りもの視点があります。
今回はまた、先日読んだ『はじめての福島学』に続き東日本大震災・原発事故関連書籍となります。
『はじめての福島学』は2015年の発行でしたが、こちらの『知ろうとすること。』は2014年と、さらに古い本となります。
糸井重里さんについては「ほぼ日」をはじめテレビ等への出演も多いのでご存じの方も多いとは思いますが、早野龍五さんについては知らない人も少なくはないのかな、と思います。
まずは簡単に、早野龍五さんについて説明した方がよいかもしれません。
暗闇の中を照らす一筋の光
Cs137が出す662 keVのガンマ線を確認したという意味か.福島第一原子力発電所.Cs137は天然には存在せず,Sr90とともにウランの核分裂で生じる代表的な放射性同位元素.
— ryugo hayano (@hayano) 2011年3月12日
上記のツイートをきっかけに、それまで3,000人程度だったフォロワー数が15万人に激増したというエピソードを持つ人物。
当時は地震により引き起こされた津波の衝撃的な映像がメディアを通じて報道される中、紛れるようにして福島第一原子力発電所の電源喪失のニュースが報道されていたさ中。
原発の危機を多くの人が認識したのは、3月12日の水素爆発の映像がテレビで放映されてからでしょう。
原発は放射能の状況を少しでも知ろうとTwitterの中で情報集めに奔走する人々の中で、突如としてリツイート数が膨れ上がり、拡散したのが早野龍吾さんの存在でした。
本書の中にも詳しく書かれていますが、早野龍五さんは原子核物理学を専門としており、当時はジュネーブにあるCERN(欧州合同原子格研究所)に在籍していた研究者。
原子力発電所の事故と直結する研究をしていたわけではなく、いわば畑違いではあったものの、自らの経験と知識を元に原発事故の情報やデータを分析し、デマや有象無象の情報が飛び交う混乱の最中に淡々と「事実だけ」をツイートし続けていたのでした。
批判を恐れずに言うと、当時のテレビは何も役に立ちませんでしたからねー。
ひとかけらでも情報を得ようとテレビを点ければ、わかっているんだかわからないのだかはっきりしないコメンテーターや学者さんたちが一様に「怖いですね」「どうなるかわかりませんね」と恐怖を煽るような番組ばかりを続けていましたから。
そんな中で早野龍吾さんのツイートというのは、まさしく「暗闇を照らす一筋の光」のように、渦巻く情報の中から有意なものだけを選別し、そこから読み取れる事実だけを伝えてくれました。
僕も震災後一週間は片時もスマホから離れず、ツイッターにかじりついてできる限りの情報を得ようと努めたのでした。
僕と同じような思いで過ごした人々も少なくないはずなのですが、いつしか生死を脅かすような危機を脱し、震災前と変わらぬ日常を送るようになってからは、ほとんどツイッターを開く事もなく、早野龍吾さんのツイートを目にする機会もなくなってしまったのです。
そうしてしばらく時間が経った今だからこそ、震災後三年目に書かれた本書を読もうと思えたのでした。
震災当時から早野龍吾氏の行動と考えを追う
簡単に言うと本書は上記のような内容です。
糸井重里さんがインタビュアーとなり、原発事故の際にツイートを始めた早野龍吾さんの心境やそれからの行動について紐解いていったもの。
実際に早野龍吾さんはツイッターだけではなく、給食陰膳調査やホールボディーカウンターの測定、福島の高校生のCERNへの招へいなど、様々な行動をされてきました。
どこまで政府の施策に関わっていたのかわかりませんが、公として、民として、時に立場を変えながら積極的に福島県民の内部被ばく・外部被ばくの調査と現状分析に協力してきたのです。
陰膳調査やホールボディーカウンター、ガラスバッヂ調査等、福島県民を対象に様々な調査が行われる中で、「モルモットにされている」なんて悪しざまに言う人もいましたが、早野さんなんかはそもそも専門外の人なのでそんな事を積極的にやる理由もないんですよね。
まぁ、そういう事を言う人というのは「裏で金が動いてるんだ」とか自らの空想しか信じないような人たちでしょうから、気にする方が無駄なんですけど。
こうして改めて読んでみると、震災から8年近くが経とうとしていますが、少し懐かしい思いすらしてきます。
ついこの間起こった出来事のような気がしていたけど、いつの間にか長い月日が流れていたんだな、と。
そして本書に出ているような様々な取組や調査がいくつもいくつも積み重なって、今日の平穏な日々が取り戻されたんだな、とつくづく思い知らされます。
今更早野氏のツイッターを再びフォローして、毎日追いかけよういう気にはなりませんけどね。
むしろそんな日々は二度と戻ってこない方が良いのかもしれません。