――のぼう様
とは、「でくのぼう」の略である。それに申し訳程度に「様」を付けたに過ぎない。
安能務『封神演義』を読み、ついでに藤崎竜の漫画版『封神演義』、さらに『Wāqwāq(ワークワーク)』、『かくりよものがたり』とフジリュー作品にのめり込む内に、頭の中がすっかりファンタジー路線に切り替わってしまいました。
漫画を読むかたわら、同時進行で重松清『ナイフ』を読んでいたのですが、やっぱりもっとファンタジーテイストなものを読みたい気持ちが膨らんでジリジリと焦れるばかり。
やっとのことで『ナイフ』を読み終えたので、満を持して手に取ったのは和田竜『のぼうの城』。
イヤミスブームのきっかけとなった本屋大賞受賞だったかもしれず、そういう意味では手強い相手でしたね。
ただ、本屋大賞を機に『告白』を手に取った読者の方々の反応はどうだったんでしょうね。
やっぱりハッピーエンドや読後感の気持ち良い作品の方が、万人受けするんじゃないかと思ってしまうんですが。
石田三成による忍城水攻め
太閤秀吉の軍勢が関東地方を納めていた北条氏の討伐に乗り出した事で、北条氏の支配下にあった忍城は危機に陥ります。
当時の城主であった成田氏長は主だった兵を連れて北条氏政の治める小田原城へ籠城。
残されたのは成田長親を筆頭に数人の家老とわずかに50人ばかりの手勢のみ。
一方、城攻めにやってきたのは石田三成・大谷吉継・長束正家と後世まで名を残す堂々の武将たち。
氏長は北条氏の籠城に応ずる裏で秀吉に恭順を示し、忍城に残した家臣たちには降伏を言い残したはずが……あれよあれよの間に徹底抗戦へ。
忍城を意外と手強いとみた三成が繰り出した秘策が、秀吉の備中高松城にあやかった水攻め。
僅か五日で28kmにも及ぶ長大な石田堤を築き上げ、利根川と荒川から引きこんだ水により忍城の城下は一気に水浸しに。
忍城は一転して窮地に追いやられますが……実は最後の最後まで落ちなかったというのがこの忍城の最大の逸話だったりもします。
この辺りは史実として残っており、決してネタバレには値しないと思いますので思い切って書いてしまいますが。
とんでもない人数を動員して行われた秀吉の東征軍は瞬く間に北条氏の支城を次々と落とし、北条氏の本城ですら呆気なく落城したのにも関わらず、忍城は最後まで秀吉軍の攻勢に耐えきったのです。
結果的には本城である小田原城が落ちた事で、忍城も開城に至るのですが……僅か少数の兵で圧倒的に数で勝る秀吉軍にどう打ち勝ったのか、驚天動地の水攻めにどう立ち向かったのかが、本書の見どころなのです。
説得力……
結果的には、残念ながら物語としては物足りないと言わざるを得ません。
三家老の奮戦ぶりや三成の水攻めは大いに読み応えがあるのですが、いかんせん、致命的な欠点となるのが本書の主役である“のぼう”こと成田長親。
何をやるにもうまく行かず、足手まといにしかならない事からでくのぼう――略して“のぼう”と言われる長親ですが、城の配下や農民にまで「のぼう」扱いされる始末。
陰口ではなく、本人を目の前に誰もかれもが「のぼう」と呼び、彼もそれを一切気にする様子も見せずに受け入れています。
時代的にありえないですよね。
長親は殿様の従兄弟ですから。
こののぼう、序盤の描写からするととにかく駄目過ぎる。
田植えの手伝いすら農民から迷惑がられる始末だというのだから、どれだけ要領の悪い人間なのかわかりますよね。
しかし彼が、城代として秀吉軍の使者に相対し、降伏で半ば定まっていた城内の機運を一切無視する形で「戦う」と抗戦を告げてしまったりするのです。
元より武士として無条件降伏に不服でもあった兵たちはここぞとばかりに奮起し、農民たちもまたそんな彼らに従い、戦いへの参加を決意します。
彼らのモチベーションとなるのが、のぼうこと長親の人望、だったりするんですが。
……うーん。
序盤の扱いを読んだ中では、どうして長親にそこまで人望が集まるのかいまいちよく理解できないんですよね。
でくのぼうで、田植えすら拒否られるほどの無能。
よく言われる「ちょっと欠点があるぐらいの方が人に好かれるよね」という話では収まらないぐらいの無能なはずなのです。
存在すら煙たがられるような無能。
足を引っ張るぐらいなら見てろ、と常に蚊帳の外に置かれるような存在。
そうなると人望が集まるどころか、普通に嫌われてしまったりするんじゃないか、と思ったりするんですが。
一事が万事、本書については長親の人望がフックになって物事が進んで行きますので、肝心要のその部分に説得力が欠けてしまっているのが致命的な欠陥だったりします。
恋愛ものの作品で、どこに魅力があるかさっぱりわからないヒロインに対して一方的に主人公が惹かれたりするいまいちな作品がよくありますが、あれに近いものがあるかもしれません。
ちょうど先日まで読んでいたフジリュー版の漫画『封神演義』における太公望の立場こそが、本書でいう成田長親と重なる部分が多い故に、余計に引っかかってしまったのかもしれませんね。
才覚や能のある人間が、愚者を演じつつもその実誰よりも深い計略を働かせている、という。
長親にせよ太公望にせよ、実際には賢者なのか愚者なのか判断がつかなかったりするのですが。
でも、少なくとも本書の長親に関しては徹底した愚者としか感じられない人物像だったはずなんですけどねー。なので要所要所で妙に賢者っぽくなられると、違和感しかないのです。こういう事ができるのなら、そもそも農民からも家臣からも「のぼう様」扱いもされてないよなーなんて。
もうちょっと「実はキレ者」的なエピソードが幼少期から幾つかあったりしても良かったと思ってしまいます。あくまででくのぼう扱いだったはずなのに、突然人が変わったようにキレキレになられても読者はついていけませんよ。
まぁでも、石田三成や大谷吉継といった武将をはじめ、勇壮な三家老の活躍ぶりや、有名な水攻めエピソードも相まって、物語としては中盤を過ぎればそれなりに面白く読めてしまうのが評価の難しいところかもしれませんが。
今回は手近にある本の中から歴史小説を選びましたが、次はもっと本格的なファンタジーを読む予定です。
僕も楽しみですが、みなさんもお楽しみに。