洗面所の鏡に、ナイフを持った私が映る。笑っている。私は人を殺せる。ナイフを持っている私は、その気にさえなれば、いつでもだれかを殺せる。
今回読んだのは重松清『ナイフ』です。
本作は第14回(1998年) 坪田譲治文学賞受賞作品でもあります。
重松清の名前はよく目にしていて、ファンの方も多いと聞くのですが、不思議と縁のない作家さんです。
以前に『流星ワゴン』を読んだ覚えはあるのですが、内容に関してはさっぱり思い出せず……amazon等であらすじを読めば「ああ、そんな話だったかな」とは思うのですが、あらすじに書いている以上の事は全く思い出せない。
そういうわけでいまいち手ごたえというか、食指が伸びない作者でもあります。
とはいえ本書『ナイフ』は重松清作品の中でも多く取り上げられていたような気がして、多数の積読本の中から今回読んでみる事にしました。
イジメを題材にした5つの短編集
僕、てっきり長編作品だと思い込んでいたのですが、短編集だったんですね。
表題作『ナイフ』はその内の一作でしかない。
ちなみに一作目は『ワニとハブとひょうたん池で』というお話。
主人公の女子中学生ある日突然「あんた、今日からハブだから」と言い渡されます。
最近では聞かなくなりましたが、“ハブ”とは「仲間はずれ」に近い言葉。
クラス全員からハブにされ、自殺を強要するような手紙が自宅のポストに投げ入れられたり、学校に置いてある持ち物が壊されたり、汚されたりといった嫌がらせが繰り返され、その度に、傷つき、悲しみながらも一方で強がり、虚勢を張って何でもないと自分に言い聞かせるように、日々を乗り越えていく主人公。
……まー、憂鬱な話ですね。
二作目の『ナイフ』では主人公が父親へと変わります。
ある日突然息子の様子がおかしくなり、妻とともに様子を探ると、どうやらイジメに遭っているらしいという事がわかる。
父親の遺伝のせいか、身長が小さい事に起因しているらしい。
担任の教師は「イジメでなくイタズラだ」と言い張り、むしろ息子自身が部活動で後輩に暴力を振るっていると明かす。
同級生から受けるイジメのストレスを、後輩にぶつけているのか。
そんな中で父はある日ナイフを手に入れます。
お守りのようにナイフを肌身離さず持ち歩く事で、自分が強くなったような気分になり、気が大きくなる父。
ところがそれは周囲に対する高圧的な態度として現れ、会社の部下や周囲の人間から疎まれたりします。
やがて父は息子がイジメに遭う場面に遭遇し、ポケットの中でナイフを握りしめたまま、イジメっこである不良たちに詰め寄りますが……。
……とまぁ、こんなところでやめておきましょう。
以下三作。『キャッチボール日和』『エビスくん』『ビタースィート・ホーム』のいずれも、上記のようなイジメにまつわる話です。
読んでいてどんどん陰鬱になってしまいます。
一点付け加えておくとすれば、ナイフを手にした事で気が大きくなるという『ナイフ』の物語は以前読んだ中村文則の『銃』を想起させた、という点でしょうか。
もちろん『銃』の方が圧倒的に後から発表されてますが。
イジメ(※昭和の)
これは作者の年齢や発行された時期(1997年)からいって仕方のない事ですが、本書に登場するイジメの数々には(※昭和の)という注釈が欠かせません。
現代においてはイジメもSNS等を駆使したより陰険なものに姿を変えていると警鐘を鳴らされていますが、文字情報とはいえ改めて前時代的なイジメに触れてみると、これはこれで非常に気分の悪いものです。
何よりも今ではあまり見られない「直接的な暴力」が多い。
公衆の面前でたたいたり、殴ったりといった暴力はもちろんだし、目の前で物を壊したり、汚したりといった暴力もあります。酷いものになると、みんなが注目する中で自慰行為を強制されたり……といった描写も。
こういうのって最近では減っているんですよね。
昔よりもさとい子供たちは、あまりにも加害者と被害者の構図が明確過ぎるこういったイジメを避けるようになっています。むしろこういった暴力を振るう子は「空気が読めない」「理解できない」存在としてかえって孤立してしまったり。
だからこそ余計に、文字情報とはいえ読んでいて不快でしたね。
ここに書かれているようなイジメの数々は、今現在であれば教師や周囲が止めて当然の行為ですから。それらが公然と行われ、周囲も受け入れてしまっているという状況に対しては理解しがたい嫌悪感しか生まれません。
もちろん、特攻服を着た上で、違法改造した車に乗って暴走するような新成人が未だに存在するわけですから、今もまだ日本のどこかにはこういったイジメが起こっているのかもしれませんけど。
嫌悪感=つまらない ではない
補足しておくと、決してつまらなかったわけではありません。
終始嫌悪感ばかりが先に立ってしまい、楽しく心地よい読書にはなりませんでしたが、こうして改めて振り返ってみると、読んでよかったと思います。
確かにこういう時代は、あったんですよね。
先日教師が生徒を殴った動画がネット上で出回り、一時は教師を非難する声が集まりましたが、次第に事実関係が明らかになるに連れて生徒側が教師の暴力を誘発したとして、逆に生徒側が叩かれる炎上騒ぎになりました。
動画を使って、しかも撮影した一部だけを切り取って自分たちに都合よく印象操作を行うとは、イジメも本当に巧妙になったものです。
上記はメディアを通す事で被害者と加害者が逆になるという有名な風刺画ですが、Web 2.0以降、全ての人々が情報の受け手ではなく送り手となる事で、メディアが行っていたような印象操作を高校生が駆使する時代になってしまったのだと、改めて実感します。
昔は直接的な暴力に対してのモラルが低く、公然と暴力を振るわれた。
現代では暴力のリスクが高まり、よりわかりにくい形で相手を傷つける手段が発達している。
どちらの方が良い、悪いと一概には言い難いですが、色々と考えさせられる読書になりました。
……うーん、、、深い。