続いてのご紹介は藤野可織『パトロネ』です。
藤野さんはあまり知られていないような気がしますが、2013年『爪と目』で第149回芥川龍之介賞を受賞された方です。
なお本作に収録された『パトロネ』は第34回野間文芸新人賞、『いけにえ』は第141回芥川龍之介賞の候補作としてそれぞれノミネートされた作品でもあります。野間文芸に芥川と聞くと、純文学系の匂いがぷんぷんして来ますね。
ところがどっこい、ちょっとイメージと違っていたりするのです。
私は誰?
表題作『パトロネ』は一人の女性視点で語られます。
妹が同じ大学に入学したのを機に同居を開始した私が主人公なのですが、もうなんかのっけから関係性がおかしいのです。私は妹に対し、ロフトの上と下での棲み分けを提案します。
私は妹に、ロフトには決して上がらないように厳命した。妹は返事もしなかった。聞こえなかったのかと思って、私はもう一度、やや声を大きくして繰り返した。妹はやはり返事をしなかった。意図的に無視しているのだった。
妹の態度があまりにも冷たすぎます。この前後も私である姉の側から一方的に妹に呼びかけるばかりで、姉妹の間に会話が交わされる描写は一切ありません。妹はかたくななまでに姉を無視し続けます。
この二人、なんだか変だなぁと思っていると主人公からも妹について不思議なエピソードが語られます。
私は妹がここにやってくるまで、自分に妹がいたことすらほとんど忘れていた。妹は、夢で会った人や子どものころに観たアニメの登場人物と同じくらい非現実的な存在だった。
改めて読み返してみると、序盤に重要な伏線が幾つも張られていた事が確認できます。
この後、私は妹が入った写真部に入り、妹よりもむしろ部室に入り浸るようになります。また、皮膚炎を患い病院に通う事も。妹は写真部を退部し、どんどん人格が変わって行くようにも思えます。
ロフトの上から妹を見下ろし、ああでもないこうでもないと鑑賞する私はすごく意地悪そうです。最初は愛想のない妹だなぁと思いましたが、読み進める内に嫌らしいのはむしろ姉だと思えてきます。
いや、そもそもこの姉妹はおかしい。
やがて部屋からは妹が消え、その代わりにりーちゃんと呼ばれる小学一年生の少女が現れるあたりから物語は急展開を始めます。宿題合宿のためにこの部屋に来たというりーちゃん。
仮に子どものはなしが真実だとしても、どうして私の部屋がその宿題合宿所に選ばれたのか、そしてどうしてりーちゃんのお父さんが鍵を持っているのか、さっぱりわからない。
本人である私ですらわからないんですから、読んでいる側としては完全にちんぷんかんぷんです。
妹にそうしてきたように、りーちゃんに干渉しまくる私。ところが突然舞台はパリに飛び、知らないフランス人の幽霊に出くわしたりします。
そうこうしているうちに再び部屋に戻り、りーちゃんが具合悪そうにしているところで物語はおしまい。
……正直言って言いですかね?
わけわからん。
はじめこそ純文学にありそうな「ねじれた姉妹の関係を描いた作品」なんだと思って読み始めましたけれど、読めば読むほどわけがわからなくなりました。思い描いていたイメージがボロボロと崩れ、かといって裏側から別なイメージが浮かんでくることもなく終わってしまった印象。
わけがわからん作品だなぁという感想のまま次の『いけにえ』を読み、星野智幸氏の解説を読んで……おいおいおい、ちょっと待て。そういう事だったの? と慌てて読み返す始末。
それでもいまいち把握できず、いろんな方のブログやレビューから断片的に情報を繫ぎ合わせて行って、ようやく朧気に物語の構造が見えてきた次第。
全貌がしっかり把握できたのは、こうしてブログを書くために読み返しながら整理して初めてでした。
つまり今、ようやく腹落ちしたという状況笑
これ難しいですねー。
ちゃんと意図を理解できなければ単純にわけわからん話で終わっちゃいますし。正直そこまでヒキのある話ではないから、ほとんどの人はサクッと読み捨てるだけでそこまでせずに終わってしまうんじゃないかな?
せめてあとがきや解説でもうちょっと親切にネタバレしてくれたら良かったんですけどね。
とはいえ、全てが見えてくると不思議と癖になる魅力が溢れてくる作品です。
『イニシエーション・ラブ』や『葉桜の季節に君を想うということ』とはまた違った意味で、もう一度読み返したいと思いました。
いやー、すごく味がある。
僕は好きですね。
ちゃんと理解した後だから言える話ですけど笑
いけにえ
一緒に収録されているのが『いけにえ』。
第141回芥川龍之介賞の候補となった作品です。
子どもが独り立ちし、夫と二人暮らしをする主婦・久子が主人公。
久子はある日出掛けた美術館で二匹の悪魔を見たのをきっかけに、美術館の監視員ボランティアに登録します。展示室の片隅にじっと座っているあれですね。
誰にも気づかれないのか、はたまたみんな気が付かないフリをしているだけなのか。跋扈する悪魔の様子を観察する久子ですが、ボランティアが始まって三ヶ月後、遂にかは行動に出ます。
彼女の目的は、悪魔を生け捕りにする事だったのです。
こちらは『パトロネ』に比べるとわかりやすいホラー作品となっています。
とはいえ、芸術に対する理解が全くない久子の展示物に対する感覚や、学芸員とのやり取りなど、『パトロネ』にも通じる滑稽さが滲んでいたりします。やはりその筆致には卓越したものがあると感じました。
わかりにくい、あるいはわからない
『パトロネ』も『いけにえ』も、いずれの作品も作中で明確な答えが語られる事はありません。
ここ数年でやたらと「伏線回収」という言葉を目にする機会が増えたように感じていますが、さっくり言ってしまえば本作に関しては「投げっぱなし」と取られてもおかしくない。
事実、『パトロネ』を初読した際には僕もそう感じましたし。
ただまぁ本作に収録された二作に関しては、というか藤野可織という作者について言えば、文学なんですよね。芥川賞にノミネートされるような文学作品。
謎かけと伏線回収をメインとしたエンタメ小説ではないという線引きが、読む側にも必要なのだと思います。
僕がよく読む作家さんの例でいえば、初期の恩田陸なんかは結構多かったですけどね。伏線の投げっぱなし。
恩田陸の場合には読者を先へと誘うためのフックとして謎、伏線のようなものをまき散らしつつ、結局最後まで回収されなかったりしたので、あれは単純にストレスだと思うのですが。
本書で言えば『パトロネ』の私は誰か、妹とは誰だったのか、『いけにえ』の悪魔はなんだったのか、久子は何者? といった謎はあくまで舞台装置みたいなもので、答えを解き明かすのが主軸ではありませんからね。むしろ読者に余韻のようにもやもやを残す事を狙って書かれているのかと。
とはいえ現在、創作物と名の付くものにはとかくわかりやすさが求められています。この辺りは詳しく説明せずとも、昭和歌謡とJ-popの歌詞の違いが度々話題になるように、皆さんもご存じかと思います。
そういうご時世の中で、本書のようなわかりにくい作品はきっと大衆受けはしないのだろうなぁと思ったりもしました。
僕自身は、第149回芥川賞を受賞した『爪と目』あたりは読んでみたいなぁと思います。