しかも、これからかかるであろうコストは、まったく道であるにもかかわらず、どうしても過少に評価しがちになる。人は、そこまでにかけてきたコストが大きければ大きいほど、これからかかるであろうコストを相対的に小さく考える傾向にある。来た道を引き返してまた最初からやり直すコストに比べたら、強引にでも下ってしまうコストのほうが小さいはずだと思ってしまうのだ。
羽根田治『ドキュメント 道迷い遭難』を読みました。
登山雑誌でも有名な山と渓谷社のレーベル「ヤマケイ文庫」からの作品。
僕も一応山歩きの愛好家として常々ヤマケイ文庫の作品に興味はあったのですが、ニッチな分野のせいか中古市場が値下がりせず、一般的な図書館にもあまり蔵書がないため、なかなか読む機会を得られずにいました。
ところが最近、ちょっとあるものに手を出してしまいまして……。
というのがこちら。
Kindle Unlimited!!!
常々気にはなっていたんですが、たまたま別に登録していたサブスクのサービスを解約したことも重なり、だったら月990円だし登録しちゃおうか、と。
新作の追加が遅いとか漫画が少ないとか色々と欠点も多いKindle Unlimitedですが、特に新作にこだわらない僕のような読書家にとってはあまり気にもならないんですよねー。
むしろ本作のように、今まで読みたかった本を手軽に読めちゃうというのはメリットだらけだったりして。
なのでせっかくKindle Unlimitedに登録したにも関わらず最初に選んだ本が、話題書や新作ではなく、本書のようなニッチな本になってしまいました。
ブログのPV数やアクセス数だけ考えれば、受賞作品や映像化作品だけを読んで記事にしていった方が圧倒的に伸びるのですが、当ブログに関してはもはや読書ノートの代わり・個人的な忘備録と化しているので、とにかく読みたい作品をを好きなだけ読んでいくことにしたいと思います。
道迷い遭難の7つのドキュメント
本書に収められているのは、登山に関わる様々な遭難の中でも昨今特に件数が増加している「道迷い遭難」にテーマを絞った7つの話。
社会派小説のような体裁でありながら、いずれも実際の事件を扱ったドキュメントです。
下記に概要を示します。
『南アルプス・荒川三山』
主人公は当時52才の島田。
登山口のポストに投函した計画書には、三伏峠から小川内岳、板屋岳を経由して荒川三山まで、三泊四日の行程を記入していた。
しかし、場合によっては赤石岳まで足を延ばし、小渋に下りることも想定。
結局三日目の朝、荒川小屋で目を覚ました島田は雨のせいもり、小渋へ降りることにする。
そうして広河原小屋まで差し掛かったあたりでおかしいと思ったものの、どうせ広河原まですぐだろうからとそのまま突き進む。やがて、沢を下って行った島田は高さ二メートルほどの滝に行く手を阻まれる。横に垂れていたワイヤーに掴まり降りるも、手を滑らし落下。降りた先は、滝の途中にあるテラスの上。
上ることも下りることもできなくなった島田は、無謀にも5メートルほどの高さから滝壺へと飛び降りる選択をする。
結果、左足の踵を圧迫骨折。
満足に身動きもとれなくなってしまい、 その後救助隊が駆け付けるまで、九日間もの間を沢の中でビバークして過ごす事になる。
- 登山計画の変更による捜索の難航
- 雨の中ザックから出すのが億劫だからとせっかく携帯してきた地図を確認しない
- 道迷いに気づいたのにそのまま突き進む
- 怪我を顧みないほどの判断力の低下(パニック)
幾つもの要因が積み重なった典型的な道迷い遭難。
主人公は当時26歳の奥原。
年末年始を利用し、三十日は中房温泉から燕山荘、大晦日は大天荘、元旦は常念小屋、二日に蝶ヶ岳ヒュッテ、三日に上高地という四日間の常念山脈単独縦走を予定していた。
元旦、天候が回復するのを待ち大天荘を出発した奥原は、途中突風や予想外のラッセルに苦しめられながらもなんとか常念小屋に到着。しかしながら小屋の中も底冷えがひどく、寒さに震えることとなる。この時すでに、左手の指先は凍傷が侵攻しつつあった。
翌二日、再び出発した奥原は常念岳の山頂に立ったものの、その後襲い掛かる強風に堪らず縦走路から外れた樹林帯へと逃げ込む。視界ゼロの中、胸まである積雪に埋もれ、方向すらも見失ってしまう。
観念してテントを設営、雪の中でのビバークを余儀なくされる中、奥原は常念小屋へ引き返すのではなく、そのまま谷を下るという最悪の選択をしてしまう。深い積雪を進み、再びビバーク。
そうして一月四日、遂に目の前を深い滝に遮られてしまう。
そこで奥原は、前出の島田同様、滝壺に飛び降りるという無謀な行動を取ってしまうのである。
怪我こそ負わずに済んだものの、玄関の冬山で尻まで水に浸った奥原は、以後、さらにひどい悪寒に苛まれることになる。手足の凍傷も悪化の一途を辿る。
ムキになって力を入れた瞬間、左手の指先にプチッというような感覚を覚えた。はめていた手袋を取ってみると、中指と薬指の指先の皮と爪が剥がれ、肉と骨が見えていた。驚いて手袋を振ってみると、剥がれた皮と爪がぽろっと落ちてきた。
まさに凄惨。
その後も奥原は何度も滝壺にはまり、沢で足を濡らしながら進み、1月6日、ようやく横尾山荘に到着。誰かがデポしていった食料を口にし、薪に火を入れて誰かが来てくれるのを待つところを、蝶ヶ岳登山の帰りに立ち寄った飯塚夫妻に発見されることになる。
飯塚が朝になるのを待ち、翌日救助要請に下りることに。
悲惨なのはその夜。温まり、血行が良くなった奥原の足に激痛が走ることになる。
〈ゾウに足を踏みつぶされているような激痛で、とても我慢できるレベルではなかった。今度あの激痛が襲ってきたら、耐えられる自信はない。おそらく気が狂うだろう〉
飯塚と香代子は、とても寝るどころではなかった。香代子が言う。
「一晩中、悲鳴を上げてましたね。『もう切ってくれ~』って叫んでました。そんなに痛いものなのかなあって思いました。
救助ヘリがやってきたのは翌一月七日。
ひと月の入院の後、足はなんとか助かったものの、両手の六本の指先を切断。親指と小指だけが残った。
一話目同様、楽観視による行動がさらに悪い事態を招き、ドツボに嵌まっていくという象徴的な道迷いの話。
主人公は当時59歳の鶴田。
9月1日、広河原から白根御池小屋に一泊、二日目は北岳山荘に泊るという二泊三日の単独山行を予定する。
そもそもがこの時点で無謀な計画で、何しろ鶴田は北岳肩ノ小屋から山頂まで標準コースタイムの倍の時間を要するような体力の持ち主。一般的に登山ガイドに掲載されているような標準コースタイムは、標準と言いつつもかなり余裕を持った時間で計算されています。登山者の多くを占める中高年が歩いても、極端に時間を見誤る事の無い様、といえばわかりやすいでしょうか?
にも関わらず、倍はかかり過ぎです。この時点で、鶴田にとって北岳は体力に見合わない無謀な挑戦だった事がわかります。
なんとか北岳山荘にたどり着いたまでは良かったものの、隣の男性客のいびきがうるさく、疲労困憊の体に睡眠不足まで重なる。
朝食もとらずに5時半に小屋を出発。ところが途中の標識を見て予定変更。水場までの行き止まりの道を近道だと思い込み、そのまま沢へと入って行ってしまう。そして足を滑らせ、3,4メートル滑落。
道迷いに気付くも、体力の限界に近づいていた鶴田には、せっかく降りてきた一時間の道を登り返す事など考えられない。そのまま下り続けて行けば登山道に出るだろうと決断し、雨の中道なき沢を進む。
やがて日が暮れ、ビバーク。
明けた翌日、大見直して斜面を登り返す鶴田。ところがあと10メートルも登れば尾根というところで、再び後戻りを始める。そのさ中、バランスを崩して再び滑落。以後は、沢を上流に遡るという行ったり来たりを繰り返す。
さらには熊との遭遇。
ビバークを繰り返しながら少しずつ沢を下った鶴田は、最終的にたまたま写真撮影のために皮を遡上してきた望月に発見される事になった。
個人的に山登りに出掛けた際、誰もが知るような百名山でも、鶴田のような足取りの覚束ない高齢者が単独でヨロヨロと歩いているのを見る機会は良くある山登りは個人の自由ではあるが、自分の体力に合った山を選択するようにしたい。
『群馬・上州武尊山』
主人公は当時34歳の吉田香。
尾瀬高原ホテルで働く友人、深田洋子の部屋を拠点に、吉田は上州武尊山へと出かける。
季節は5月も末。山頂付近にはまだ残雪のある時期である。
普段からマラソン等のトレーニングにも取り組んできた彼女は、どの山もコースタイムのほぼ3分の2で歩くことを目標とする健脚を誇る。
穂高山山頂にも順調に到達するものの、その下山途中、「新緑と川の流れが美しく、ほんとに天国みたいなところでした」と言う遊歩道のようなきれいな川に迷い込んでしまう。本人は道迷いに気付きながらも、下って行く先に建物の陰が見えた事もあり、行けるのではないかと思い込んでしまった。
沢はどんどん険しくなり、数メートル滑落。落ちた場所は7、8メートルの急斜面で沢の下流は崖。登り返そうと何度チャレンジしても這いあがれない。
仕方なく、吉田はその場でのビバークを決断する。
翌朝、何度目かのチャレンジでようやく斜面を上がったものの、上は背丈以上もある笹藪。藪漕ぎの繰り返しで遭難は3日目を迎え、一時は遺書を書くほどの弱気にも襲われた。しかし4日目、遂に吉田は自力で林道へとたどり着き、たまたま通りかかったバイクに救われたのである。
吉田本人による反省は、「地図を携帯していなかったこと」と「下調べが不十分だったこと」。さらには以降はライターや発煙筒、テープを持参し、迷いそうなときにはテープでマーキングする習慣も身に付けた。
いずれにせよ彼女の一番の失敗は、やはり「迷ったにも関わらず引き返さなかった」という点にあるだろう。先の三話同様、迷っている事を自覚しているにも関わらず引き返すタイミングを見失ってしまう事から、事態が悪化の一途を辿っている。
原理原則として「迷ったらまずは現在地が確認できる場所まで戻る」は登山の鉄則である。
『北信・高沢山』
主人公は当時45歳の高橋と、15歳の三女。
5月24日、彼らは二人の姉と妻との計5人で、野反湖のハイキングに出発している。
弁天山を過ぎた分岐で昼食の後、妻と上の二人の姉は「疲れたから引き返す」と湖畔の道を降り、高橋と末の娘だけが先の高沢山を目指す。
想定外の残雪に驚くも、二人は問題なく高沢山山頂へ。その後、戻ろうか逡巡しながらもさらに先の三壁山を目指す事に。そのまま野反湖へ出ようと考えたのである。
しかし残雪でわかりにくい上、登山コースではないテープにも気を取られ、二人はさらに雪深い北側の山中へと入って行ってしまう。やがて、足を滑らした娘とともに数十メートル滑落。ピッケルもアイゼンもない二人は登り返す事もできず、そのまま沢沿いに下りていく事になる。
日没を迎え、二人はビバークを決意。
翌日は雪渓を進む危険を察知し、藪の斜面を登り返す事に。
沢を下っては行き詰まり、藪をこいで別の沢に出て再び降り始める。二人は実に三日間、山中でのビバークを余儀なくされたが、たまたまたどり着いた尾根で携帯電話の電波がつながった事で妻に連絡。四日目の夜も山中で明かした後、遭難五日目にして無事救助される。
そう登山慣れしていない家族が、「低い山だから大丈夫」と下調べも装備も不十分なまま登山に出掛け、道迷いに遭うケースは昨今では増加傾向にあるように思えます。
ましてや五月の末、残雪もある山を選択したのは完全に父親の失敗でしょう。実際下山した彼らは多くの報道陣に囲まれ、高橋は記者会見を行う事態に陥っていますが、まぁどんなに叩かれてもやむなしかな、と。
季節が早すぎて、他の登山客がいなかったのも原因の一つかもしれません。もし慣れた登山者とすれ違っていたら、親子をひと目見て「引き返したほうがいいですよ」と忠告していたかもしれませんし。
この親子は特に怪我もなく済んだから良かったものの、そのまま親子ともども帰らぬ人に……というニュースも少なくないですからね。
家族の思い出を作るためのせっかくのレクリエーションなのですから、悲しい目に遭わぬよう準備は万端に、安全第一を心掛けて欲しいものです。
『房総・朝綿原高原』
こちらの主人公となるのは月刊誌「新ハイキング」をきっかけとしたハイキングクラブの一行30人。
中高年のパーティが大量遭難に陥るという、センセーショナルな事件。
しかも舞台は房総。
最高峰でも408mしかない千葉県内の低山歩きで起きたというのが特筆すべき点。
時は11月の末、予定していたのは里川温泉から石尊山に登った後、札郷分岐、小倉野分岐、横瀬分岐を経て麻綿原高原まで、約四時間の行程。山歩きとして、四時間は決して長い道のりとは言えず、ちょっとした軽登山と言ってもよいレベルだと思われる。
しかし実のところ、あまり標高の高くない低い山こそ道迷いが生じやすいのは登山者ならばよく知るところ。
人里に近い山は、山菜採りやきのこ狩りの他、渓流釣りや林業従事者のような様々な目的の人々が入るため、獣道のような踏み跡があちこちにできていたりする。
おまけにそれぞれがそれぞれの目的のためにテープを貼ったり、杭を立てたりといった事をするので、テープを目印に進んでいたらとんでもない場所に出てしまった……という事も少なくない。
彼らもまた、三度道迷いを繰り返す間に日没を迎えることに。メンバーの中には疲れが見える人もいたため、ビバークを決意する。
これまでの遭難例と大きく違うのは、彼らには余裕があったという点。
道迷いといっても怪我を負っているわけではなく、深い沢の中で脱出できずにあがいているわけでもない。あくまで「暗くなってきたから」「これ以上歩くとけが人が出る可能性があるから」と、大事をとった選択がビバークだったというだけ。
予定が変わり、心配する家族を思いながらも、彼らは枝を集めて焚火を起こし、思いががけないビバークを和気あいあいと過ごす事に。翌朝には沢から水を汲んで焚火を消し、痕跡を残さないようにと丁寧に片づけをする一幕も。
翌日六時半に行動開始し、二十分ほど歩いて尾根に出たところで無線と携帯がつながるように。家族に無事を連絡できてほっとしたのものの、彼らの想像以上に、事態は深刻化していた。
バスの運転手から通報を受けた鴨川警察署は捜索を開始し、警察官のほか、機動隊員や消防隊員も出動し、最終的には延べ三百人という大掛かりな捜索隊が出動していただ。さらに、ニュースを聞きつけたマスコミも続々と現地に。
迎えに来た消耗団員とともに下山を始めた彼らと、いくつものテレビカメラが待ち受ける。朝綿原高原ではさらに大勢の報道陣が殺到し、彼らにマイクを突き付け、質問と非難とを次から次へと浴びせかける。
最終的には、リーダーである島田とサブリーダーの二人が、記者会見を行う事に。
会見の場では彼らに情け容赦ない批判がぶつけられ、島田が半ば逆ギレしたことでいよいよ炎上。彼らにとっては遭難といっても特段危険があったわけではなく、あくまで大事をとって一晩山の中で明かしたというだけ。捜索隊などなくとも難なく自力で下山できたという認識なのだから、自分達のあずかり知らぬところで話が大きくなっている事が疑問でしかなかったのだろう。
ただし、後日島田自身も後日自分の非を認める発言もしている。
下山日時がズレるのは山登りにつきものとはいえ、大勢の山行である以上、そうした場合の対処法や連絡手段を決めておくべきだったと思われる。
11月末とはいえ、山慣れしている人にとって16時や17時の夕暮れぐらいであればまだまだ行動できる時間帯。みんなにビバークを命じる一方、リーダーなりサブリーダーなり、選抜した一人ないし二人に、先行して山を降りさせるという事だって考えられる。もし本当に自力下山の自信が百二十パーセントあったというのであれば、個人的にはそうすべきだったと思う。
そうして警察なり関係者なりに状況説明ができていれば、そこまで大事にはならずに済んだであろう、と。
深刻な遭難事件ではない一方、色々と教訓も多い話。
『奥秩父・和名倉山』
主人公は当時38歳の尾崎葉子。
ゴールデンウィークに合わせ、4月29日から2泊3日で和名倉山へ登る計画を立てる。
新地平から笠取山を経て将監小屋で一泊、翌日は和名倉山をピストンして将監小屋でもう一泊。飛龍山から丹波へ下山しようというのがその計画。
しかし、出発当日、踏切事故により足止めをくらい、しょっぱなから計画が狂ってしまう。
バスの時刻が合わないため、翌日出直すことに。
となると行程自体が合わないため、1泊2日に練り直す必要があります。そこで、難路で情報は少ないものの、和名倉山からそのまま秩父湖へ抜けるコースへと変更することに。
和名倉山までは特に問題なく進んだものの、さらにその先で、尾崎は視界の効かない笹藪に苦しめられる。ときどき笹につけられたテープを目印に辿って行くが、実はこれは沢登りの愛好家が勝手に設置した正規の登山ルートへ出るための目印だった。
この辺りは沢登りの人気ルートとなっていて、あちこちに登山者のテープと、沢登りのテープが入り乱れる状態になっていたのだ。
尾崎は知らず知らずのうちに沢へと導かれてしまったのである。
ここまで取り上げられてきた道迷い同様、尾崎もまた、道迷いに気付きながらも予定通り下山したい一心で、そのまま沢を下る決断をしてしまう。ところどころテープがあり、そこはまだ登山道だと信じて疑わなかったが、たまたま現れたロープにコブが結ばれていないのを見て、自身も沢登りの経験がある尾崎は正規ルートではないと気づくに至った。
登山ルートではなく、沢登りのルートだとしたら下れない、と確信したのだ。
沢を離れ、できるだけ尾根筋を選んで下って行く。しかし、辿りついた枝尾根の末端が崖になっているのを見て、尾崎は再び自分の失敗に気付く。
崖の下は秩父湖。
道路は対岸にあり、そこに下りるためには橋が架かっているところに出る必要があった。
愕然としつつも、現在地を把握した尾崎はやむなくビバーク。翌日はひらすら目指すべきルートを進み、正規の登山道に出る事ができた。彼女の遭難はすでに通報され、捜索隊やヘリコプターが出動する事態に発展していたものの、彼女は自力下山を果たしたのである。
- 急な日程変更による事前情報の少ないルートへの変更
- 山行計画を誰にも知らせていなかった
- 登山地図における破線ルート(難路)のレベルの読み違い
山崎は登山者としては非常に高い技量と経験を持つ人物であったにも関わらず、このような窮地に陥った点はよくよく理解すべきだろう。
これまでのケースでもあったが、あまり人気のないコースというのは特に気を払う必要があるように思える。事件が起きるのはそういったルートばかりだ。
登山者が多ければ自然とルートファインディングも楽になるし、仮に事故や道迷い、熊の出没などがあったとしても、互いに助け合いや情報交換をすることもできる。
よっぽど自信or怪我や遭難しても平気だという覚悟がない限り、あまり人が通らないようなルートは避けたほうが良い。
yamap
非常に教訓の多い本書ですが、最後に個人的にお知らせ。
スマートフォンが世に出て以降、登山アプリも多いのですが、昨今一番利用者が多いと思われるのがこの「yamap」。
上の作中にもたびたび登場したコースタイム入りの登山地図を無料で閲覧・ダウンロードできる上、山登りの最中にはスマホのGPSにより実際に登山地図上で現在地を確認しつつ、歩いてきたログを記録する事ができます。
この「ログを記録する」というのがアナログな登山地図にはない部分。
紙の登山地図の場合、二次元の地図と目の前の風景や道標を参考におおよその現在地を自分で推定しなければなりませんが、yamapに関しては要するに車のナビゲーションシステムと同じなので、一目見ただけで現在地がわかります。
現在地が登山道から外れているかどうか迷った際も、考えるまでもなく一目瞭然で確認することができるのです。
上は実際に記録中のスマートフォンの画面です。
市街地なので登山ルートはありませんが、画面下部に歩き始めてからの時間や距離、さらに標高まで表示されているのがわかります。
現在地だけではなく、標高までわかるというのがこれまた便利で、標高〇〇mの山に対し、自分がいまどのあたりまで登ってきているのか、あとどのぐらいの高さを登らなければならないのかがわかります。
地図を上から見下ろした水平距離と、標高差による垂直距離まで、かなり正確に自分の現在地を把握できるのです。
さらに、実際の山行時には歩いてきた道のりも青いラインで表示されていきます。
なので道迷い等によって引き返さなければならない時も、容易に自分の足取りを辿る事が可能です。
いつの間にか往路とは別の道に入り込んでしまい、気づかぬまま進んでしまった。一体どこで間違えたのか、どのぐらい戻ればいいのかといった疑問も、GPSのログがあればすぐ確認できますね。
僕の例でいえば、一度だだっ広いガレ場の中で深い霧に包まれてしまい、完全に方向感覚を失ってしまった事があります。その際はひたすらスマホの画面と照らし合わせながら目標物のある場所まで移動する事で事なきを得ました。
「山に行く際にはちゃんとした登山地図を!」
と昔ながらの教訓として唱える人はまだまだ多いですが、使いこなせもしない地図やコンパスを持っていたところで何の意味もありません。
もちろんスマホを故障や紛失してしまった際に供えて紙の地図を備えておくに越したことはありませんが、個人的には普段使いとしてyamapのようなスマートフォンアプリの活用を強くおすすめします。
なお、yamapでは記録をサイト上に残し、広く公開するというブログのような使い方も可能です。
公開せずとも、記録を終えた時点で自動的にデータはサイト上にアップロードされますので、個人的に見返して後から見返す事も可能です。
上は山形県の月山に登った際のもの。
登山地図上の青いルートが実際に歩いたログ。
その他タイムや標高差、消費カロリーなども記録されているのがわかります。
こんな風に、各ポイントごとのタイムもわかりますので、後々振り返る事も容易です。
実際にこれらの記録は、行方不明になった遭難者の足取りを追う際に活用されたりもしているようです。
活動データの地図の中にはカメラのマークがたくさんありますが、こちらはスマホのカメラで撮影したポイントを表わすもの。
画像も活動記録と合わせてサイト上に保存され、しかも地図上のどの場所で撮影したかまでわかるという具合です。
こうなると他の人の記録を見るのも楽しくなってしまいますね。
さらにさらに付け加えると、yamapの登山地図は無料でダウンロードする事が可能です。
登山という性質上、携帯電話の電波が届かない山もまだまだ多いのですが、事前に地図をダウンロードしておけば当日は電波がなくても問題なく動作してくれます。
本来であれば道の駅やビジターセンター等で無料の地図を探すか、書店でなかなかの値段がついた専用の地図を購入しなければならない事を考えると、無料で地図が利用できるのはかなり画期的ですよね。
登山を計画する段階でyamapの地図を開き、ルートやコースタイムを確認し……という登山者も、現在ではかなりの数存在するはずです。
そんなわけでかなり蛇足が長くなりましたが……遭難を防ぐための一つの予防策として、僕はスマートフォンアプリ「yamap」をおすすめしたいと思います。
山であろうと、というよりも、山だからこそスマートフォンは誰しもが必ず携帯しているはずなので、せっかくだからアプリを利用してより便利に、安全に山登りを楽しみましょう。
ただし、バッテリーの消耗は気になりますので、必ず予備の充電器を忘れずに。