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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『田舎教師』田山花袋

かれは将来の希望にのみ生きている快活な友だちと、これらの人たちとの間に横たわっている大きな溝を考えてみた。

「まごまごしていれば、自分もこうなってしまうんだ!」

大好きな田山花袋です。

いまいち読書が進まない中でも、スマホKindleアプリで細々と読み続けていたのがこちら。

実は昨年年初にも一度手をつけていた作品だったんですが、環境の変化やら何やらでばたばたしている内に中途半端になってしまっていました。

先日長い時間をかけて『私本太平記』を読み終えた後、Kindleに何も入っていないのがどうにも落ち着かなく、何かないかなと探している中でふと思い出し、改めて読み直してみる事にしました。

田山花袋と言えばとにもかくにも『蒲団』が有名です。

作家である自分にあこがれてやってきた女弟子にほれ込んでしまった上に失恋。勝手に抱いた裏切られた感と嫉妬心に燃えて追放した挙げ句、弟子が使っていた蒲団に顔をうずめてのた打ち回るという「決して人には見せられない姿」をさらけだした今読んでもとてつもないインパクトを与えてくれる作品。

 

ただ、あまりにも『蒲団』が有名過ぎて、他の作品の話題が聞こえてこないんですよねー。

その中においても、田山花袋の代表作として名高いのがこの『田舎教師』。

今回は途中で投げ出す事なく最後まで読み切りましたので、しっかりとブログに残したいと思います。

 

 

あらすじ

学校を出たばかりの文学青年林清三は、生活の為に羽生の田舎の教師として働き始めます。当時の教員は今よりもずっと位も低く、免許も「必要ならとればいい」ぐらいのものでしかありません。

 

かれは将来の希望にのみ生きている快活な友だちと、これらの人たちとの間に横たわっている大きな溝を考えてみた。

「まごまごしていれば、自分もこうなってしまうんだ!」

 

同僚・先輩である教師たちの酒飲み話を聞きながら、一方で清三は上記のように危機感を募らせます。今ある現状は、清三にとって納得できるものではないのです。

友人の父の紹介で職に就いたにも関わらず、清三は文学への情熱を捨てきれません。むしろ教員はあくまで一時的な仮の姿であって、いつかは一旗揚げてやろうという若者特有の希望に満ち溢れています。

 

度々学生時代の友人たちと集まっては、今でいう同人誌のような「行田文学」の発行に関わったりと、精力的に活動していきますが、僅か四号で廃刊となったのをきっかけに、友人たちも少しずつ離れて行ってしまいます。夢見心地な学生気分からようやく目が覚めて、各々が現実的な着地点へと半ば強制的に落ち着いていくようにも感じられます。

また、友人である郁治が「Artの君」と呼ぶ美穂子に想いを募らせている事を知ります。実は清三もまた、美穂子に対しては以前から恋心を抱いていました。親友から相談を受け、自分の心を言い出せない清三。清三の心をよそに、郁治と美穂子の恋は進展していきます。これをきっかけに、清三は郁治と距離をおくようになり、やがては故郷である行田からも疎遠になっていってしまいます。

 

文学の道がとん挫し、失恋も重なった清三は女遊びに手を出し、周囲から借金を重ねる腐敗した生活へと陥ってしまうのです。

ところが入れあげていた遊女が何も告げずに身ぬけし、志した音楽学校の試験においても失敗した清三は、突如心を入れ替え、品行方正な田舎教師へと立ち直りを見せます。貧困にあえぐ実家の両親を支えながら、教師として勉学と研究に励む清三でしたが、彼の身にはいつしか病魔が迫っており……

 

 

ここではないどこかを夢見る若者

清三の姿は、現代の若者にも通じるところが多いようです。

当時の文学者とは、現代でいうアーティストや芸能人といった意味合いに近いでしょう。

いつか名をあげて有名になってやる、という想いを抱きながら、明確に挫折するわけでもなく、フェードアウトするかのように人並みの生活に落ち着いていく人々は、今も昔も多かったわけです。

そうして夢見た世界とは大きく異なる小さな現実の中で短い一生を終えていく一人の若者の姿を、田山花袋は書きたかったのでしょうね。

 

また、友人の心に気兼ねして自身の恋をひっそりと終えてしまう無常さにも心を打たれてしまいます。実際にこうして恋を恋にする事もできずに終えてしまう人は、いったいどれだけいる事でしょう。さらに清三には決して悪いとは思えない縁談が持ち込まれたりもしますが、他人から見ればなんとも小さなこだわり、葛藤によって無下にしてしまったりもします。当時は年頃になれば縁談が飛び交うのは当然の時代であり、清三が気のないそぶりを見せている内に、相手はさっさと別の相手の元へ嫁に出されてしまったりします。なんとももったいない、残念な選択ばかりしてしまう清三青年ですが、だからこそ妙にリアリティに溢れているように感じられます。

 

物語の終盤、かつて教え子であった一人の少女が、大人の女となって清三の前へと現れます。ひそやかに手紙等をやりとりする二人ですが、やはりここにも、煮え切らないまでも確かに存在する“ラヴ”が感じられます。病により清三が去った後、彼女らしき人物が羽生の同じ学校で教鞭をとっている様子が聞かれるのが、唯一の幸いでしょうか。

 

大望を抱きながら、何も果たせずに消えて行った清三青年。でも少なくとも一人の少女の胸には、彼の教師としての姿がしっかりと刻まれていたのでしょうね。

 

 

羽生に行きたい

『蒲団』にも見らえた事ですが、田山花袋の文章は非常に写実的というか、情景描写が鮮やかに描き込まれているのが象徴的です。

あんまり細かいので引用するのも憚られますが、とりあえず一文だけ。

役場はその街道に沿った一かたまりの人家のうちにはなかった。人家がつきると、昔の城址でもあったかと思われるような土手と濠とがあって、土手には笹や草が一面に繁り、濠には汚ない錆びた水が樫や椎の大木の影をおびて、さらに暗い寒い色をしていた。その濠に沿って曲がって一町ほど行った所が役場だと清三は教えられた。かれはここで車代を二十銭払って、車を捨てた。笹藪のかたわらに、茅葺の家が一軒、古びた大和障子にお料理そば切うどん小川屋と書いてあるのがふと眼にとまった。家のまわりは畑で、麦の青い上には雲雀がいい声で低くさえずっていた。

丁寧というか細かいというか。

とにかく一つのシーンを描くのに、目に映ったもの、起こった事を全て書いているという印象です。このため、読んでいて頭に浮かぶ映像が非常に明瞭となります。清三の過ごした当時の羽生の街並みや生活の様子等が、ありありと想像できるようです。

 

『蒲団』のイメージから私小説の印象がぬぐえない田山花袋ですが、本書については別のモデルが存在するというのも興味深いところ。

主人公・林清三のモデルは小林秀三という青年であったと言われています。若くしてこの世を去った小林青年の日記に目を留めた田山花袋が、小説として昇華したものです。田山花袋自身は、作中で原杏花という人物として登場しています。清三の住んでいた成願寺も、建福寺という名で今も実在し、小林青年の墓も残ってるそうです。その他、弥勒小学校の跡を示す石碑や作中に登場する小川屋の資料館等があり、羽生では町おこしとしてPRも行っているようです。


花袋麺や花袋せんべい、田舎教師最中といったお土産まであるとなると、一度行ってみたくまってしまいますね。

埼玉って正直言うとあんまり観光のイメージないんですけどね。秩父の方ばかりで。

でも羽生なら東北自動車道沿いですし、結構気軽に行けちゃいそうですよね。

 

ちなみに『田舎教師』を書くに至った経緯については、田山花袋自身が『『田舎教師』について』という随筆(エッセイ?)を残しており、こちらも青空文庫Kindleで読む事ができます。

 

 

変態・田山花袋

さて、『田舎教師』を読み終えたとなると気になるのがKindle枠の空き。

吉川英治の『新・平家物語』がインストールされたまま放置されていたりするんですけどね。こちらは取り掛かるには覚悟が必要なので今しばらくおいておくとして。

 

やっぱり花袋を読むと、次も花袋にしたくなりますね。

青空文庫って今現在も大量の作品が作業中とされているものだから、ふと気づくと新しい作品がアップされていたりします。

そんな中で次に読むとすれば……やっぱり田山花袋らしい変態作品が良いですよね。

 

一体どの作品を選んだかは、記事にするまでお楽しみに。

 

https://www.instagram.com/p/BweEu5JhSq3/

#田舎教師 #田山花袋 読了#蒲団 のせいで変態のイメージの強い田山花袋ですが、こちらは実在した青年の日記を元にした作品だけに、変態色は薄め←花袋らしい緻密な情景描写と、今の若者にも通じる「ここではないどこかを夢見る青臭さ」が非常に瑞々しく感じられました。今の自分を仮の姿だと思いたい現実逃避。受け入れたくない目の前に広がる未来像。もうホントみんなもっと花袋読んでよ。読もうよ。とりあえず蒲団から。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『御城プロジェクト:RE ~CASTLE DEFENSE~』仁科朝丸

城娘。

人間を襲う異形の怪物『兜』に対抗しうる力を持つ、数少ない存在。

底知れぬ大軍と激甚の破壊力を有して押し寄せる兜の軍団を、城娘たちは塞き止め、打ち返し、時に斬り伏せ、時に射落とす。 

 えーと……コホンコホン。

わざわざブログ記事に書くほどでもねー。。。なんて思いつつも、せっかく読んだので一応。

 

先日ブログの記事でも触れましたスマホゲーム『御城プロジェクト:RE』のノベライズです。

『御城プロジェクト:RE』とは次々と押し寄せる敵キャラに対して味方の城娘たちを配置し、巨大化や計略(スキル)なんかを使いながら殿を守りきるといういわゆるタワーディフェンスもののゲームで、日本各地、さらに世界各国に実在する城をモチーフにした“城娘”たちが非常にユニークだったりします。

『艦これ』の艦娘や『刀剣乱舞』の刀剣男子に代表される擬人化ものの一つと言えば良いでしょうか。

 

城と言えば先日テレビ朝日系列で『お城総選挙』が放送されましたが、当然の如く、総選挙にランクインしたような著名な城も登場します。

例えば一位となった姫路城。

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さらに二位の大坂城はこんな感じ。

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……完全に趣味の世界、ですねw

 

とはいえ姫路城を見ればなんとなくわかっていただけるかもしれませんが、実際の城の特徴や歴史等々をモチーフとしながら、城娘さんたちがデザインされていたりします。

大坂城に至っては「お前、本当に城か?」というツッコミも否めませんが。

 

人吉・佐賀・彦根・防己尾・三原・雑賀・石山御坊・館山

さて、真面目に作品について紹介しますと、本作は『御城プロジェクト:RE ~CASTLE DEFENSE~』のノベライズと言いつつ、外伝的な位置づけになろうかと思います。

ゲームのストーリーからは少し離れ、それぞれの城娘たちにスポットを当てた短編集となっています。

一つ目が佐賀城を主役に、人吉・彦根が登場する話。

佐賀城普請直後の大火にちなんで火の扱いが不器用だったり、鍋島化け猫騒動にちなんで猫が大の苦手だったり、城のエピソードはしっかりと書く城娘に反映されています。本作ではそんな佐賀城が猫嫌いを克服しようとする日常的な様子が描かれています。ちなみに彦根城は「彦根藩の2代目藩主・井伊直孝が雨宿りの際に白猫に手招きされて落雷を辛くも回避出来たという逸話」にちなみ、ゲーム上では猫のスキルを使うキャラクターだったりします。

 

二つ目は唯一シリアスで、原作ゲームにも関わりの深い三原城の話。

ゲームシナリオに登場する城娘たちは、最初は記憶を失くしていますが、殿たちに救出されることで城娘としての本来の人格を取り戻します。三原城はそんな、殿たちに助けられる前の記憶喪失の間に起きた出来事を防己尾城を相手に振り返っているのです。

異形の怪物『兜』たちが人里を襲い、村が炎に包まれ、幼い子が死の意味も知らないまま避難させられる……そんなゲーム中でもあまりないシリアスさが垣間見られます。

 

そして三つ目は雑賀城。

アイドルと自称してやまない石山御坊(上の大坂城の下位互換キャラ・見た目はほぼ同じ)のファンだというのはゲーム中でも知られた雑賀城のファンですが、初登場のキャラクター館山城の、「他の城娘たちと仲良くなりたい」という悩みにこたえるうちに、石山御坊とともに三人で踊る事になってしまいます。

踊りを通してお互いを理解し合い、城娘としても結び付きが強くなる三人。

 

そうして最後は、本作のナビゲーター役でもある千狐の目線で、襲い来る『兜』に立ち向かう城娘たちの様子を描いています。ゲーム中で城娘たちは“巨大化”する事によって能力値が上がり、体力も回復していくのですが、殿の命令がないと巨大化できないという設定はうまく考えましたね。

殿=プレイヤーですから、確かにプレイヤーが操作しない限り城娘たちは巨大化できないわけです。なるほどなるほど。

 

尚、作中で三原城がお世話をする「食いしん坊の城娘」が誰の事かわからず調べましたが、どうやら岩国城のようですね。イベント限定でもらえるキャラ。僕はその頃プレイしていなかったのでピンと来ませんでしたが。

上記のようにそこそこプレイしていてもわからないエピソードが混じっていたり……そういう意味では、原作ゲームのプレイヤーでもない限り読んで面白い小説とは言えなさそうです。

 

 

どうしてこのキャラを選んだの?

ただ不思議なのは登場するキャラクターたち。

正直言って、みんな微妙なんですよね。

唯一三原城だけはシナリオ中ドロップする事で全プレイヤーに行きわたる(≒ガチャでなくとも手に入る)中レアキャラクターとして馴染みも知名度もありますが、佐賀城にせよ雑賀城にせよ、ゲーム中ではそう使用頻度の高いキャラクターではありません。石山御坊も悪くはありませんが、前述の通り大坂城の下位互換といった性能で、大坂城を手に入れてしまうと出番がほぼなくなってしまったりしまいます。唯一彦根城だけは、ほぼプレイヤーの全員が入手する強くて便利なキャラクターと言えるでしょうか。防己尾城に至ってはゴミ……もといほとんど使われる事もない弱小キャラ。

 

本ゲーム中にも人気投票というイベントがありますが、常に上位入賞の彦根城以外は掠りもしていません。

ノベライズにあたっては、人気のあるキャラやせめて馴染みのあるキャラクターを使用した方が良かったんじゃないかなぁ、なんて思ってしまいます。

一応「メインヒロイン」と呼ばれる柳川城もいるんですけどね。本作中ではそれらしき人物が一瞬登場しただけで終わってしまいましたし。

 

佐賀城とか、はっきり言ってだいぶマニアックな人選。

僕はちょうど佐賀城を育てていたところだったのでそれなりに楽しめましたが、あんまり使っているプレイヤーもいないだろうな、と思います。

こういうゲームのキャラとしては致命的な事に、見た目もあまりよろしくないですし。

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せめてもうちょっと見た目が良ければ、育てて使おうというプレイヤーも増えるのかもしれませんが。いわゆる趣味枠にも該当しそうにないですよね。

 

 

おまけ付

なお、本作にはおまけがついています。

ゲーム内で、小説にも登場した新城娘館山城がもらえるシリアルコード付。

基本的に僕は無課金派なのでゲーム内で課金したりはしないのですが、小説にシリアルコード付いてるのってちょっと魅力的に感じました。どうせ本は読むし、そこにキャラまで付いてくるなら嬉しい。

正直性能はあまり良くなくて、ゲーム内でも使うかっていうと微妙なんですが。

 

ちなみに本書は一冊680円の税別で、殿(←プレイヤーのこと)たちの中には5冊買って五体の館山城を重ねて限界突破して、完凸させる(※わかる人にはわかる)強者もいるようですが、流石にそこまでやる殿もそんなにはいないんじゃないかなぁ。

最近のスマホゲームって3,000円、5,000円、10,000円ぐらいのお得なセットなんかが販売されていて、買っている人も少なくはないらしい。だからこそ各ゲーム会社も儲かっているんでしょうけど。

そんな風にして何千円も、下手したら万単位で課金してガチャ回して、それでも欲しいキャラはなかなか手に入らなかったりして……という経験者から見ると、たかだか四千円弱でそこそこのキャラが揃えられるというのは意外と安上がりに感じられたりするそうです。

 

身近なところでは毎週変わる特典が欲しいがために毎週末同じアニメ映画を観に行くという人間がいましたが、昔のビックリマンチョコや今のアイドルCDにもつながるおまけ商法は、なかなかに強烈な魅力を持つようですね。

本作もそれこそビックリマンチョコを食べるように、軽い感じで消化しました。

ちょうど読書に飽いてきていただけに、こういう読書も良かったかもしれません。

 

あんまりマニアックな本やゲームの話ばかりだと呆れられてしまいそうなので、そろそろちゃんとした作品でも読もうかな、という気になってきました。

https://www.instagram.com/p/BwYA0_aBPKE/

#御城プロジェクトre #城娘草紙 #仁科朝丸 読了ラノベ。というかスマホゲームのノベライズというマニア向け本。しかも本ストーリーからは外れた外伝的短編集。登場するのも人気ランキングに掠りもしない低レア不人気キャラばかりという斜め上な設定。うーん、マニア向け。まぁ実際にゲームをプレイしているマニアだからこそ手を出してみたんですが。そうでもなきゃ読まないし読めないし。最近下降気味の読書熱の代わりに読んでみました。今なら☆6の限定城娘 #館山城 のシリアルコード付。……ってこの子の性能も微妙なのね。ゲームもそろそろ飽きてきたぞー。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『同族経営は、なぜ3代で潰れるのか?』武井一喜

「売り家と唐様で書く三代目」

……ご無沙汰しています。

最近、めっきり読書から離れがちな日々が続いています。

 

仕事だったり、仕事に関わる勉強だったり、前回のブログでも挙げたスマホゲームだったり、理由は色々と挙げられるんですが、なんだか本を読んでもいまいち心に響かなくなってきてしまっています。

昨年一年間はかなり充実した読書ライフを過ごしましたから、その反動と言えるのかもしれません。

 

そんな中でも一応は細々と読み続けてきたのが本書『同族経営は、なぜ3代で潰れるのか?』。

以前からちょくちょく触れてきたいわゆる「事業承継」系の著書ですね。

 

なぜ3代で潰れるのか。

 

冒頭の引用の通り、二代目・三代目で事業が破たんするケースは世の中に多々見られます。金持ちの息子として甘やかされてわがままに育ち、大人になっても親の脛を齧りながら、家業よりも政治や遊び、投資や新事業などに浮かれて、肝心の家を取り潰してしまうのいうのがステレオタイプな三代目像でしょう。

昨今においてもファミリー企業のお家騒動や後継者の巻き起こした汚職事件といったニュースも頻出しています。

 

とはいえ、上記のステレオタイプな見方で片づけられてしまうケースが一般的で、「なぜ3代で潰れるのか」という点について深く掘り下げた本というのは珍しいのではないでしょうか。

三代目が陥りがちな罠、やってしまいがちな失敗……実例をもってそれらを分析してくれているのだとすれば、こんなに面白そうな本はありません。

実際、アマゾン等の評価はどれも良いものばかり。

期待して、読んでみましょう。

 

 

やっちまった

せめて書店で流し読みでもしてから買えばよかったですねー。

僕は上記のように「なぜ3代で潰れるのか」という書名にもなっているテーマについて期待していたのですが、

 

よくある書名詐欺でした。

 

本書は前半部において、国内外における「ファミリービジネス」について整理・分析し、同族企業の利点について述べています。

世界中にもファミリービジネスで成功した大企業や著名ブランドも多く、一般企業に比べて業績に優れたファミリービジネスも多い、と。

高度成長期以後、仕事と家庭を分離させるような動きが広まってきたが、必ずしも切り離す必要はなく、むしろファミリービジネスである事を受け入れた上で、未来へ向けて継続させていく努力をすべき。

 

でまぁ、そこからつながるのは事業承継の話。

社内にプロジェクトチームを作るとか、社長自身が目標を定めて動かないと事業承継は進まない、とか。

 

なのでどんなに読み進めても、「なぜ3代で潰れるのか」という点についてはほとんど触れられません。

 

やっちまったなぁ。

 

 

分類=整理・分析?

やっちまった点はもう一つあって……この本、

 

コンサル本

 

なんですよ。

著者はファミリービジネスを対象としたコンサルタンティング会社の代表。

 

僕はコンサル本を非常に毛嫌いしていまして。

だって彼らは当事者ではないですからね。実際に悩んだり苦しんだりした経験があるわけではないんです。だから著作を読んでもどこかで見聞きした話の上辺だけをなぞるようなものが多くて、心にガツンと響くようなものは少ない。

 

その意味では本書もほぼ同様。むしろ「どこかで見聞きした話の上辺」すらも少ないと感じました。

 

「〇〇に必要なのは三つの××だ」とか「△△は四つのパターンに分類される」とか、分けたり、パターン化したそれぞれについての説明に終始するばかり。

 

極端に言うと「経営者の血液型は四種類に分けられます。A型は几帳面でB型は自分勝手、O型は大ざっぱでAB型は分裂症」みたいなものですね。だからなぁに?っていう。

講演会やセミナーでよく見られるパターンですね。60分とか90分とか、与えられた時間の中で聴衆を飽きさせないために、テーマを三つ、さらに三つを四つと分割しながらスライドに映しだしながら説明していく手法。あれを本にまとめた感じです。

 

とりあえず時間いっぱいはきれいに収まるのだけど、かといって聞き終わった後に何も残らない。……で、結局言いたい事ってなんだったの? 3代で潰れる原因ってなんだっけ? なんて狸に騙されたような気分で帰る羽目に遭います。

 

ただでさえ読書に飽いてしまっているというのに、こんな本を手に取ってしまったのが運の尽き。

零細・家族経営企業をテーマとした事業承継系の本ではいまいち「これはいい!」と絶賛できるような本には出会えていないのですが、せめて下記の本の方が、実際の経営者目線で書かれているのでためにはなるかもしれません。

久しぶりの記事がこんなんでなんとも微妙な気分ですが。。。

まぁ、きっとそのうちまた寝る間も惜しんで読み続けてしまうような作品に出会える事でしょう。

 

https://www.instagram.com/p/BwS-kllhp3T/

#同族企業はなぜ三代で潰れるのか? #武井一喜 読了やっちまったなぁ。俗に言う #コンサル本 でした。しかも実例はほとんど挙げられないという珍しいコンサル本。ファミリービジネスについて分類、分類を重ねてまとめた講演会のプレゼンテーションを本にしたような内容です。肝心の「なぜ三代で潰れるのか」についてもほぼ触れられず。Amazon他の評価は良かったんですが。これだからネットの衝動買いは怖い。ビジネス書系はやっぱり実本を見て買わなきゃ駄目ですね。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい.. ※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『くちびるに歌を』中田永一

奇跡的に声が合わさり、ほんの短い時間だけその感覚につつまれる。そのとき自分の声が、自分の声ではなくなるような気がした。たしかに自分が口を開けて発声しているのだけど、何かもっと大きな意思によって背中をおされるように歌っているようにおもえる。周囲にひろがるのはだれの声でもない。全員の声が合わさった音のうずである。それはとてもあたたかくて、このうずのなかにずっといたいとおもえる。その瞬間だけは、孤独もなにもかもわすれる。

 

また時間が空いての更新となってしまいました。

前回の記事から実に十日。

年度末も重なり、それなりに忙しかったという言い訳もあるのですが……実はだいぶ長い間放置していた『御城プロジェクトRE』というスマホアプリを再開してしまい、すっかり嵌まってしまっていました。

 

どんなゲームかwikipediaから抜き出してみると、「少女キャラクターへ萌え擬人化された、かつて日本に存在した城郭(一部海外の城もある)を扱ったブラウザゲーム。」という非常にマニアックな匂いのするものだったりします。

しかしながら先日テレビ朝日系列で開催・放送されたお城総選挙にも出てきたような城も当然の如く登場したり、さらに個人的には歴史小説に嵌まっていたりといった事も合わさって、城プロ(※御城プロジェクトREの略称)熱が再燃してしまったわけです。

加えて現在、三周年記念キャンペーンを開催中。

4月8日(月)まで毎日10連ガチャが無料になるというこれまでにない大盤振る舞いを行っているんです。

 

……ってなんかアフィサイトみたいなノリになってしまいましたが。

 

3周年記念キャンペーンも残りわずか数日ですし、今更紹介しても意味ないですよね。

まぁでも普通に面白いゲームだと思うので、お暇な時にでもお試し下さい。

 

 

……で、ここからが本題。

 

 

今回読んだのは中田永一くちびるに歌を

前回の『ぼくらの最終戦争』に引き続き、中学生を主人公とした青春小説です。

 

2012年の本屋大賞4位にランクインしており、その後漫画化、映画化とメディアミックスも発展した人気作品。

 

中田永一といえば『百瀬、こっちを向いて』や『吉祥寺の朝日奈くん』の作者であり、乙一の別名義としても知られています。僕は元々乙一アンチだったんですが……といった下りは『吉祥寺の朝日奈くん』の記事に書きましたので気になる方はそちらをどうぞ。

 

 

それでは本作の中身について触れていきたいと思います。

 

NHK全国学校音楽コンクールを目指す島の少年少女たち

長崎の五島列島のとある島という、かなりローカルな土地が舞台となっています。

合唱部の顧問をしていた松山先生が産休に入ってしまい、代わりにやってきたのが松山先生の旧友である柏木ユリ。東京でプロのピアニストとしても活動していた美人の到来は、中学生たちに大きな刺激をもたらします。

結果として、それまでは女子しかいなかった合唱部に男子の入部希望者がやってくる事に。

 

女性三部合唱でそれなりに完成に近づいていたはずが、混成三部への変更を余儀なくされた上、美人教員目当てで入部してきた男子部員たちは不真面目さも際立ち、合唱部は女子と男子の間で反目し合うという困った事態に進展してしまいます。

男子抜きでNコンに出たいと抗議する女子生徒たちの前で、柏木は混成三部で出場すると言い切ります。「誰も切り捨てない。全員で前にすすむ」と。

 

中学三年、最後のNコンに向けて顧問の交代・男子の入部・男女間の確執と問題山積の合唱部部員たち。

さらに個々に抱えた問題や悩みも合わさり、複雑な青春模様を描いていきます。

 

手紙 〜拝啓 十五の君へ〜

本作で重要な題材となっているのがアンジェラ・アキ『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』

実際にNコンの課題曲になった他、様々な場で合唱されるケースも多いため、耳にした事のある人も少なくないと思います。

15歳の僕が未来の僕に向けて現在の不安や悩みを書いた手紙を歌にしたもので、合唱曲としてだけではなく、一般的にも名曲として知られています。

 

そして本作でも同様に、顧問である柏木ユリは生徒たちに未来の自分へむけて手紙を書くように宿題を出します。

彼らがどんな手紙を書いたのか。

胸に秘めた悩みや想いはなんなのか。

それが本作においては先に読み進める上での重要なフックの一つとなっています。

 

入れ替わる視点

さて、問題となるのがこちら。

読み始めてすぐに戸惑いを覚えるはずなのですが、本書は元から合唱部の部員である仲村ナズナと、新たに合唱部に入部した桑原サトルという二人の視点から成り立っています。

仲村ナズナは部長である辻エリの友人であり、さらに男子部員たちの核ともいえる向井ケイスケとも幼馴染みという言わばバランス調整役として。

桑原サトルは陰気な地味で目立たないキャラでありながら、なりゆきで合唱部に入部することになってしまうというスポ根ものにありがちな主人公役として。

さらに二人はそれぞれに複雑な家庭の事情も抱えており、彼らの視点で物語は進んで行きます。

 

……で、この“視点が入れ替わる”というのが曲者で、三人称ではなくそれぞれ一人称なのです。つまり、“僕”“わたし”の視点で地の文も書かれていくというもの。

他にも同様の技法で描かれた名作は多いのですが、避けられない難点としてとにかく読みにくい

 

例えば

四月に入り、体育館で始業式がおこなわれ、校長先生が臨時の音楽教師を紹介した。その人は柏木という苗字で、凛としたたたずまいは大勢の目にやきついたことだろう。背が高く、すらっとした輪郭に、腰まである長い黒髪が印象的だった。柏木先生は僕たちと同様に五島列島の出身だった。

上記の文章なんて、“僕たち”という言葉が出てくるまでは、始業式や柏木ユリを見ている“目”がナズナなのか、サトルなのかわからない。

上記の例のように、読んでいる側としては、視点が誰の視点なのか定まらないまま読み進めなければならないという場面にちょくちょく遭遇する事になります。読んでみればわかりますが、これって結構ストレス

 

加えてこちらには作者が乙一だという認識がありますからね。

中田永一名義でもいわゆる○○トリックの技法が使われるケースは多々存在します。あえて視点をボカして描いたおくことで、後々「実はあの時の視点はナズナだったんです」みたいなどんでん返しがあるんじゃないかと身構えてしまいます。

 

被害妄想かもしれませんけど。

 

でもやっぱり、この作品に関しては三人称で描いた方が良かったんじゃないかと思えてしまいます。ミステリ的な技法を使った余計な仕掛けがないのだとしたら、余計に三人称で描いた方が良かったのにな、と。そうすれば作中ではいまいち不明瞭に終わってしまった柏木ユリの心情にももう少し深く踏み込めたのかもしれないのに。辻エリやケイスケといった他の登場人物に然り。もっと他のみんなについても深堀して欲しかったなぁ、と。

 

そういう意味では似たような作品の例を挙げれば、朝井リョウの『チア男子!』は終盤、メンバーたちの心境が怒涛のように明らかになる様子は圧巻でした。ああいうのを読んだ後だと、ちょっとなぁ。。。ただ、あれはあれで書き込みが多すぎて中盤過ぎるまでは退屈だったりもするんですけど。

 

 

実際、新垣結衣主演で上映された映画版では、原作の主人公二人を差し置いて柏木ユリを主人公として大きく改変されたそうで。まぁそうだろうな、と頷いてしまいます。それぞれが抱えた悩みや葛藤も、おそらく柏木ユリが一番大きかったんじゃないかな、なんて勝手に推測してしまったり。彼女はナズナやサトルのフィルターを通した姿しか描かれませんから、本当のところはわからないままなんですけどね。

 

かといって、読者である僕が大人だからそう思うだけなのかもしれません。

同年代の少年少女にも愛される本作は、大人である柏木ユリの複雑な事情や悩みよりも、ナズナやサトルの等身大の悩みに主題を置いた方が共感されやすいのかもしれませんし。

 

なんだかとりとめもなくなってきてしまいました。

 

なんとなく、満足できる読書にはならなかった事はおわかりいただけるでしょうか?

やっぱり『新・平家物語』読みはじめちゃおうかなぁ。

 

あ、最後に付け加えておきましょう。

本作の156ページで登場する方言「みんのみんにみじょかもんばしとるねえ」は、「右の耳に可愛らしいものつけてるね」という意味だそうですよ。

では。

 

https://www.instagram.com/p/Bv21kXwlThW/

#くちびるに歌を #中田永一 読了#乙一 の別名義で #本屋大賞2012 で4位の作品。新垣結衣主演で映画化もされているそうです。長崎の五島を舞台に、Nコンを目指す中学生たちを描いた作品。産休に入った顧問の代わりに美人ピアニストがやってきて、それまでは女子しかいなかった合唱部に男子が入部。女子と男子の間に対立が生まれ……的な。アンジェラ・アキの『手紙〜背景十五の君へ〜』が題材として使われ、実際に未来の自分に向けた手紙が作中でも重要な位置を持ちます。ただ、男女二人の主人公の視点から一人称で目まぐるしく入れ替わる構成はすごく読み辛かった。どっちの視点かわからず戸惑う場面も多々。もっと多くの人々の内面を掘り下げる上でも三人称で書いた方が良かったと思います。全体的にキャラ設定も定型的だし、中田永一にしてはちょっといまいちだったかなぁ。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

 

『ぼくらの最終戦争』宗田理

つらいこともありました

楽しいこともありました

あっという間に三年過ぎて

すてきな仲間になりました

僕の住んでいる地方では、つい先日公立小・中学校の卒業式が行われました。

今年は梅の花が咲くのも早いし、どことなく春めいていて、いつになく卒業ムードが強く感じられる気がします。

 

そんなわけで、ふと思い出したのが本書『ぼくらの最終戦争』。

ぼくらの七日間戦争』から始まる宗田理のぼくらのシリーズにおいて、ぼくらの仲間たちが中学を卒業するという節目の作品です。

僕のぼくらのシリーズとの出会いについては下記『ぼくらの天使ゲーム』の記事に書きましたので、興味のある方はこちらを先にどうぞ。

 

……で上にも書いた通り、僕がぼくらのシリーズを読むようになったきっかけが、兄が買ってきたこの『ぼくらの最終戦争』だったわけです。

それ以前から子供たちが廃工場に立て籠もり、大人と争い、最後には戦車で街中を走り回るという『ぼくらの七日間戦争』の映画は何度か目にしていましたので、「あの映画に続編がある」というだけで僕にとっては衝撃だったんですよね。

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この「子どもたちだけでとんでもない事をしている」という映画の雰囲気は子供心に惹かれてやまない魅力に溢れていましたし

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ラストは確か、「次は国会議事堂だっ!」なんて飛び上がって終わりでしたから。

もしかして続編あるのかな?

続き見たいな。

なんて常々思っていたのです。

 

そんな僕が、七日間戦争が続編どころかシリーズ作品である知り、本屋にズラリと並んだそれらを目にした時の感激ったらありゃしません。

ぼくらの七日間戦争』の表紙なんて映画そのものでしたし。

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もう「これだこれだっ」ってわくわくしちゃいました。

 

 

終戦争のあらすじ

さて、だいぶ脱線しましたが本筋に戻りまして。

本書『ぼくらの最終戦争』はいつもの河川敷にぼくらが集まるところから始まります。

七日間戦争の舞台となった廃工場が対岸に見え、小説版ラストでは菊池英治が「おーい解放区ぅ、バイバイ!」と手を振ったあの場所。

しかし、あれから二年が経った現在、既に廃工場は取り壊され、代わりにマンションが建築されています。

 

中学三年生の12月、受験を控えたぼくら。沢山の思い出を一緒に残してきた彼らも、それぞれ別々の学校を受けようとしています。シリーズ読者にとっては気がかりとなるひとみも、カトリック系の女学校への進学をあっさりと決めてしまいます。

英治とひとみは、違う高校に通う事が決定的になってしまうんですね。

 

そんな彼らに対し、後輩たちは「卒業式になにかするんですよね?」と期待を膨らませます。受験を目の前にし、内申書という弱みのあるぼくらも最初は「何もしない」と及び腰ですが、やがて「やろうか」に変わり、「やろうぜ」となり、「待ってました」に変化します。これでこそぼくらの仲間たちです。

 

本書で英治たちが企てるのは「教師を全員丸刈りにする」という悪戯。

ルミの父・為朝が出所してきたもののすぐ失踪してしまうという事件も重なり、準レギュラー矢場により背景にはぼくらも過去に関係した事件・団体が見え隠れする事もわかって、誘拐やヤクザとの抗争も絡まり合っての事態へと発展します。

 

本作で一番の活躍を見せるのは瀬川。本書では、解放区以来の戦友である瀬川老人の独白が目につきます。瀬川は卒業を迎えるぼくらの成長に目を細め、一方で自身の身体の衰えも感じつつ、ぼくらとともに敵に向かっていきます。

 

 

ひとみ×英治

正直なところ、本作で繰り広げられる悪戯や戦いに関してはそう目立ったものではありません。シリーズ作品の中でも地味な内に入るのではないでしょうか。

ところが前出の瀬川目線の独白であったり、これまでのシリーズや今後に繋がるエピソードが多いのが特徴です。

 

特に、シリーズ中ずっと気がかりなのが菊池英治と中山ひとみとの関係性。

 

英治がひとみに対して好意を寄せているのは明らかである一方、ひとみの気持ちに関しては読者もまた、英治とともに煙に巻かれ続けてきました。少なからず好意があるように思えますが、かといって告白や恋人といった進展を望んでいるようには思えません。

中学生活も残りわずかとなり、別の高校へと進む事が決まった二人。二人の仲を進めるために残された時間もあと僅か。結局ひとみの気持ちはどこにあるのか。英治は何か行動を起こすのか。

……なんて、当時ハラハラしながら読み進めたのを鮮やかに思い出してしまいます。

 

本書は特にひとみに対する英治の心理描写が多いんですよね。

「ひとみ、好きな人がいるんです」

と西脇先生に告げる純子の言葉にドキッとしてしまったり、自分より先にひとみの進路を本人から聞いていた柿沼に嫉妬したり。

 

でも英治はひとみに直接電話したりしますから、当時の僕にとってはとてもうらやましく思ったのを覚えています。中学生ぐらいだと、同級生の女の子に電話をかけるなんて気軽にはできませんよねぇ。

 

そんな諸々の甘酸っぱい恋の話なんかを、現実の自分に置き換えながら思いを寄せるというのも少年少女が本書の虜になる理由だったりするんでしょうね。

 

本書のラストでは、あの河川敷で、「おーい解放区ぅ、バイバイ!」に代わる言葉を英治が叫びます。

英治君、事ある度に河原で叫ぶから、僕も一時期川に向かって叫びたい衝動に駆られていた時期がありました(笑) 僕の実家の近くの川は荒川ほど広くない上、人口も車通りも格段に少ないので、叫んだりしたら目立って仕方ないんですけどね。

 

英治の叫びは一番最初に引用した「つらいこともありました」の詩と合わせて、頭から離れない名言の一つなのでぜひ引用したいところなのですが、未読で楽しみにしている人がこの記事に触れる事もあるかもしれませんので自重しておきます。

実際、『ぼくらの天使ゲーム』『ぼくらのC計画』の記事は安定してアクセス数のあがる良記事だったりするんですよね。読書感想文目的の中学生あたりが検索したりしてくれるんでしょうか?

だったらなおさら、ネタバレは控えないといけませんね。

 

思い入れもあってついつい長くなってしまいましたが、最後に書いておくとすれば本書『ぼくらの最終戦争』はぼくらのシリーズを追いかけてきたファンにとってはターニングポイントとなる作品ではあるけれど、全く無関係な人が突然手を出すのはおすすめしないという事。

ましてや大の大人が予備知識もなく手を出す作品ではありません。

前出のように悪戯の内容も控えめですし、全体通してやはりご都合主義感は否めません。大人になってから改めて読むと、本書についてはシリーズ中でも余計にその傾向が強く感じられます。なんの思い入れもない大人がたまたま手に取って読んだとしたら、後悔しか生まないかもしれません。

 

ぼくらのシリーズそのものが、大人が手を出すべき本ではないのかもしれませんけどね。

 

でもやっぱり、映画版『ぼくらの七日間戦争』はもう一回見たいなぁ。

 

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#ぼくらの最終戦争 #宗田理 読了つらいこともありました楽しいこともありましたあっという間に三年過ぎてすてきな仲間になりました卒業シーズンに触発されてふと思い出して読んでみました。『ぼくらの七日間戦争』から始まる #ぼくらのシリーズ 中において、ぼくらの仲間たちが中学校の卒業式を迎えるというターニングポイントとなる作品。とはいえ他のシリーズ作品に比べると敵も悪戯も控え目で、むしろ受験や卒業による別れ、瀬川さんの老い、英治とひとみの関係などに重きが置かれているように感じます。シリーズファンはいいけど、そうでなければ取り残されるのは間違いなし。そもそも大人が読むような本でもない。とはいえ夢中になって読んでいた子どもの頃を思い出して妙にセンチメンタルな気持ちになりました。英治に影響されて妙に川原で好きな子の名前を叫びたくなったあの頃(笑)今となっては物足りないけど、僕に読書の楽しさを教えてくれたぼくらの仲間たちに改めて感謝です。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい.. ※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『恩讐の彼方に』菊池寛

槌を振っていさえすれば、彼の心には何の雑念も起らなかった。人を殺した悔恨も、そこには無かった。極楽に生れようという、欣求ごんぐもなかった。ただそこに、晴々した精進の心があるばかりであった。

再び青空文庫から菊池寛恩讐の彼方にを読みました。

私本太平記』を読み終え、次の『新・平家物語』に取り掛かるまではひとまず間を空けようと考えているのですが、いったん習慣づいてしまうと、スマホに電子本が一つも入っていないのがどうにも落ち着かず。

未読のものから何か適当なものを……と探している内に見つかったのが菊池寛でした。

 

菊池寛といえば文芸春秋の創設者であり、直木賞芥川賞の設立者として知られています。名前は超がつくほど有名。

 

いかんせん……どんな作品を書いていた人なのか、ちょっと思い当たらなくないですか?

そんな興味もあり、今回は『真珠夫人』と並ぶ彼の代表作の一つ『恩讐の彼方に』を読むことにしました。

 

 

主殺しから改心・罪滅ぼしの旅へ

物語は主人公である市九郎が、主人から殺されそうになる場面から始まります。

愛妾であるお弓と密通していた罪を問われ、手討ちにされそうになった市九郎ですが、反撃に出た際、つい主人を逆に殺してしまうのです。

 

お弓とともに逃げ出す市九郎は、行く先々で人々を騙し、旅人を襲う悪事を重ねながら生き延びようとします。ところがそんな日々も長く続かず、罪を罪とも思わぬお弓の悪女ぶりに愛想を尽かし、自らの罪業を償うために出家し、名を了海と改めます。

 

そうして全国行脚の旅に出る了海は、一年に幾人もの犠牲を出すという難所・鎖渡しに当たります。高さ五丈(=約15m)もの絶壁を危なげな桟道を頼って渡らなければならないのです。やっとの思いで渡りきった了海は、これこそが自身の求めていたものであると閃きます。

 

了海は近くの羅漢寺を宿所とし、鎖渡しの岩盤にトンネルを開けるべく、採掘を始めるのです。当初は奇人を見るような目で見ていた近郷の衆も、月日を経るに従って深く掘り進められる隧道に眼を見張り、了海のために食事を運んだり、石工衆を集めて手助けしたりします。しかし、そうして大人数で挑んでも遅々として進まぬ工事に意気消沈し、やがて了海は再び一人ぼっちの採掘作業に戻り……かと思うと、再び村人たちが手を貸し、といったやり取りを数度。月日は18年を過ぎた頃、ついに郡奉行が協力に乗り出し、工事は加速度的に進展を見せ始めます。

 

ところが、そこへ現れたのが中川実之助。了海に殺された主人・三郎兵衛の息子です。当時三歳だった彼は、柳生道場で免許皆伝の修行を積み、父の仇討ちのため諸国を巡っていたのです。石工を指揮し、採掘を進める大将こそ自らの仇と悟り、満を持してやってくる実之助でしたが、目の前に現れた了海は長年の採掘作業により痩せさらばえ、足腰も経たず、目すら耄碌してしまった乞食のような姿に唖然とします。

 

了海は自分こそ仇に間違いないと、甘んじて実之助の刃を受けようと申し出ますが、周囲の石工たちが阻みます。彼らにとって、既に了海は菩薩の再来とも仰がれる存在。トンネルの開通もあと幾ばくも無いところまで差し迫った今命を奪うのはあまりにも慈悲がないと止めるのです。実之助も彼らの嘆願を受け、トンネル開通までの間、了海の命を預けると約束します。

 

人々の手前嘆願を受けいれたものの、長年追い求めていた仇を目の前にしながら目的を果たせなかった実之助は、闇に乗じて了海の命を奪ってしまおうと心に決め、夜更けにトンネルへと忍び込みます。しかし、他の人工たちが休む中、たった一人昼も夜もなくただひたすらに経文を唱えながら鉄槌を打ち付ける了海の姿に、胸を打たれます。

 

翌日から採掘する人工の中には、実之助の姿も見られるようになりました。自分も手を貸す事で、一日でも早く復讐の日がやってくるよう手を尽くそうと考えたのです。

了海が穴を掘り始めてから21年、実之助が加わってから一年半の月日が過ぎたある日、ついに了海の振るったノミが岩盤を突き抜け、トンネルは開通を見ます。約束通り、「お切りなされい」と申し出る了海でしたが、実之助の恩讐は成し遂げられた偉業の脅威と感激に打ちのめされ、二人は手を取り合って感涙するのでした。

 

ザ・王道

読み終わった感想ですが……いや、これスゴいですよ。

ザ・王道といった感じです。

 

不意に犯してしまった罪をきっかけに悪の道を転げ落ち、そこから改心を見せるものの、過去を知る人物が現れ、罪を問い……ってもうこれ、未だに使い倒され続ける王道パターンじゃないですか。

こりゃあ小説としても劇としても人気出ますよね。今読んでも普通に面白いですもん。

 

事実関係だけ見れば悪いのは間違いなく了海だけど、ひたむきに罪を償うために生きてきたその後の人生を知っている分、もう十分贖罪は果たしたのではないかと思えてくる。しかしながら、親を殺された実之助が同じだけの時間をかけて仇討ちを志してきた気持ちもわかる。読者にもたらす、どちらが正しい、正しくないでは割り切れない複雑な感情。

 

いやぁ、本当に本作、完璧ですよ。

 

付け加えるならば、上記のような内容が短編ですっきりとまとまっているのも素晴らしい。

余計な記述は一切なく、テンポよく物語が進んで行って、潔く終わる。

 

最近の小説の中には無駄に引き延ばしたようなだらだらした作品が多いだけに、このケレン味のなさが非常に気持ちよく感じられました。

紙の本で約25ページ、青空(Kindle)で無料という手軽さでもありますので、ぜひオススメしたい一作です。

 

 

名勝耶馬渓・青の洞門

ちなみにですが、本作にはモデルが存在するようです。

九州大分の名勝、耶馬渓にある青の洞門が了海の掘ったトンネルであり、その採掘を指揮した禅海和尚こそが了海のモデルとなっているそうです。

実際には禅海和尚は托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工を雇って事業を進めたそうなので、了海のように自らの肉体を酷使しながら掘ったわけではないそうですが。

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菊池寛の作品のモデルとなっている事もあって、かなり有名な観光スポットのようですね。

僕は東北住まいで、西日本にはほとんど馴染みがないので知りませんでしたが。

 

そういう意味では、すでに青の洞門の存在を知っている、言った事があるという人の本が、本作は楽しめるかもしれません。

 

 

初めて読んだ菊池寛ですが、思いの外良かったです。

スマホでの青空読書はまだしばらく続きそうなので、そのうち『真珠夫人』の方にも手を出してみたいと思います。

いずれ『新・平家物語』にも取り掛からないと。

 

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#恩讐の彼方に #菊池寛 読了文藝春秋の創始者だとか、芥川賞・直木賞の創設者だとは知っていましたが、肝心の作品についてはさっぱり覚えがなく。私本太平記が終わってスマホのkindle枠が空いたのではじめての菊池寛に挑戦してみました。 主殺しを犯してしまった市九郎は悪の道を転げ落ちた挙げ句、出家して了海と名を改め、贖罪の旅に出ます。鎖渡しと呼ばれる一年に何人もの犠牲者を出す難所にたどり着き、隧道を作るためにたった一人、岩盤を掘削しはじめます。最初は馬鹿にしていた村人たちも少しずつ心を開き、賛同者も現れたりしますが固い岩盤の穴掘りはなかなか進みません。18年が過ぎ、奉行所の助力を受けて完成に近づき始めたその頃、了海の前にかつて殺した主人の息子である実之助が仇討ちに現れ…… いやぁ、目茶苦茶良かったです。今でも十分に通じる王道小説。紙換算で僅か25ページという短編にも関わらず、無駄な記述のないシンプルな文章ですっきりまとまっていて気持ちが良い事この上ありません。菊池寛、凄いですね。他の作品も読んでみたいと思います。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『光の帝国』恩田陸

矢田部さん、『常野』という言葉の由来を知ってますか? 権力を持たず、群れず、常に在野の存在であれ。そういう意味だそうです。

恩田陸常野物語シリーズ一作目『光の帝国』です。

前回のブログにも書きましたが、ようやく『私本太平記』を読み終えたにも関わらず、続いて『新・平家物語』に手を出したい衝動に駆られています。というか、既に全巻セットをポチッてしまいました。

だって全16巻セットで99円ですよ……。

衝動買いするにはあまりにもハードルが低すぎます。

 

とはいえ『私本太平記』ですらなんだかんだ約ひと月もかかってしまったというのに、さらに長い『新・平家物語』になんて手を出した日には、さらに長い時間かかりっきりになってしまうのは間違いありません。

とりあえずその前に、幾つか積読の方を昇華しつつ、現代小説を楽しんでしまおうというわけです。

 

さて何を読もうか……と本棚を眺めると、やはり最初に目についたのは恩田陸

蜜蜂と遠雷』も『夜のピクニック』も『チョコレートコスモス』も良かった。

 

手が伸びてしまうのは必然ですよね。

 

 

不思議な力を持つ常野の人々 

本書は基本的には全10作の短編集の体裁を取っています。

一つ一つの話は非常に短く、あっという間に読み終えてしまうのですが、各話に共通して登場するのが“常野”という不思議な土地であり、その血をひく不思議な能力を持った人々。

途方もない記憶力を持つ家族や、予知・千里眼的な能力を持つ人間等、彼らの持つ不思議な能力は多種多様に及びます。

そんな彼ら本人であったり、彼らに関わる人々のちょっとした物語の数々が収められた作品です。

 

とはいえ正直なところ、“常野”というキーワードを除けば、特に何らかのテーマが流れているわけではありません。

本書を読んだ限り、”常野”が一体なんなのかなんの為に存在する(した?)のか、全くわからないままです。

あくまでその力の不思議さ、神秘さを楽しむだけの物語のようです。

 

常野物語はこの後『蒲公英草紙』『エンド・ゲーム』と続いていきますので、あくまで常野物語シリーズ全体の序章的な位置づけとしてとらえた方がいいのかもしれませんね。

 

各話のまとめ・登場人物

シリーズ序章という事で実際に『蒲公英草紙』、『エンド・ゲーム』にも繋がる話・登場人物もいるようですから、簡単に各話をまとめておきたいと思います。

 

『大きな引出』

 本や音楽を「しまう」暗記能力を持った春日一家の話。

 主人公である光紀他、父と母、姉・記美子。

 

『二つの茶碗』

 青年・篤が未来を見る能力者・美耶子と出会い、結ばれる話。

 ラスト、篤は選挙事務所の手伝う事に。

 

『達磨山への道』

 神隠しの山であり、人生の転機にある人間には、重要なものが見えてしまう山。

 

『オセロ・ゲーム』

 拝島暎子と娘・時子。不意に遭遇するナニモノかと「裏返し」「裏返される」戦い。

 夫は数年前に失踪。ラストでは時子が「裏返す」能力に覚醒する。

 

『手紙』

 常野について調べる寺崎。百年以上前から同じ姿で存在する「ツル先生」を追う。

 ついに達磨山でツル先生に会う。

 

『光の帝国』

 ツル先生が山の中で始めた学校に、1人二人と子供たちや先生が増えていく。

 対象を「燃やす」能力者・信太郎。やがて常野の人々を狙う軍に見つかってしまう。

 

『歴史の時間』

 亜希子は転入生の記美子と出会い、忘れ去っていた「飛べた」という昔の記憶を取り戻す。

 

『草取り』

 記者である私は、都内の様々な場所に生える謎の赤い「草」を取る男の取材をする。

 

『黒い塔』

 亜希子は喫茶店で自分の持つ念動力の力に気づく。篤は政治家として美耶子とともに選挙活動中。美耶子の制止を聞かずバスに乗った亜希子は崖崩れに襲われ、「時を戻す」能力に目覚める。

 

『国道を降りて…』

  フルート奏者・美咲とチェロ奏者・律。律は重要な事はどこにいても「聞こえる」能力の持ち主だった。

 

このうち 「しまう」暗記能力を持った春日一家が『蒲公英草紙』、拝島暎子と娘・時子の「裏返す」戦いが『エンド・ゲーム』に繋がっているようです。

 

 

結論として

面白か、面白くないか、という点を書いておかないといけませんよね。

個人的にはかなり微妙です。 

 

微妙の本意的な意味ではなく、昨今使われているネガティブな意味での微妙と思っていただいて差し支えありません。

 

小説というよりは、映画の前の予告を見せられているイメージです。

断片的に切り貼りされた映像とテキストが踊って、なんとなくこんな映画なんだろうな、という予告が次々と流れるあの感じ。

だから面白いとか面白くないとか以前に、そもそも作品として未完の状態にあるんじゃないか、と。

 

だいぶ前に書いた大塚英志の『キャラクター小説の作り方』の記事からの抜粋を再び抜き出しますが、

ただ単に「左右の目の色が違うゴーストバスターの少年が戦うお話」と「左右の目の色が違うがゆえにゴーストバスターにならなければならなかった少年が葛藤しつつ戦うお話が全く違うのはわかりますよね。「左右の目の色が違うこと」というキャラクターの要素と「ゴーストバスターをする」というドラマの骨格が自然に結びついていることが大切なわけです。その手続きを怠らなければ、そこにはもう「物語」が成立しかけているはずです。 

こんなふうにぼくの作品でもどうにか上手くいった作品は主人公の外見的、身体的な特徴(多重人格とか全身が人工身体とか)がその主人公のその後の行動、つまり「物語」に自然に結びついているのです

まさしく、本作ではこれのダメなパターンなんですよね。

「しまう」能力も「裏返す」能力もなんのために、どうして存在するのかがさっぱりわからないままなんです。

上記の例で言えば「左右の目の色が違うキャラクターがゴーストバスターをする」だけの短編と言えばよいでしょうか。

せっかくの面白そうな設定が物語に結びついていないため、物語としてとてもとても浅いままで終わってしまうんです。

 

それこそが僕が上に「序章的な位置づけ」と書いた理由なんですが。

今後シリーズ作品がどんどん刊行されて、世界観が決まっていけば「始まりの物語」として価値も大きく変わるかもしれませんが、本作だけ読んでもそう深く楽しむ事ができないと言って間違いないでしょう。

『蒲公英草紙』や『エンド・ゲーム』では能力を絞り込んでより深い世界観で書き込んでいるようですから、そちらを読めばまた変わってくるかもしれませんね。

どちらもAmazonのレビューを見るとあまり評価が高くないのが気がかりなところですが。。。

 

恩田陸の初期作品はどうしても伏線の未回収やプロットの粗さが目立つだけに、今後発表する作品はしっかりと作り込んだ上質なもの期待したいですね。

なんだったら『蜜蜂と遠雷』の続編なりアナザーストーリーを書いてくれてもいいんですけど。