僕たちは不安でたまらない。今あるこの感情も、やがて稀薄になっていくのだろうか。はなればなれになって、おぼえている輪郭も、声も、あいまいになっていくのだろうか。でも、もしそうならなかったとしたら? 東京で暮らす自分の心にいつまでも彼女がいたとしたら? 四国で子どもをそだてている彼女の心が、何年たってもうつろうことなく澄みきっていたら?
中田永一の『吉祥寺の朝日奈くん』です。
前回のブログでは「僕は伊坂幸太郎と合わない」ことについて長々と書いてしまいましたが、実は僕、乙一に対しても苦手意識を持っていました。
最初に読んだ彼の作品は『GOTH』。
面白いと評判で手にしてみた作品は、ミステリでいうとあるトリックを駆使した短編集でしたが、そのあまりにも「狙いすぎた感」に僕は辟易してしまったのです。
明らかにアンフェアなものも多かったし。
「おいおい、明らかにここ曖昧にしてあるじゃん。こりゃあずるいよ」
と読みながらついつい愚痴らずにはいられませんでした。
それからはしばらく乙一から離れていたのですが、再度読み始めるきっかけになったのは『百瀬、こっちを向いて』。
そうとは知らず読んでエラい嵌まってしまい、読後に調べてみたら……「乙一の別名義」!
完全にしてやられたケースですね。
『百瀬、こっちを向いて』をきっかけに乙一に対する苦手意識に疑問符がついてしまい、「もしかしたら良い作家さんなんじゃないだろうか?」と思って読んだのが『夏と花火と私の死体』。
そしてインスタグラムのフォロワーさんに勧められた『暗いところで待ち合わせ』。
感想は上記リンク先を確認していただければわかりますが、まーすっかり乙一という作家への評価が逆転してしまったわけです。
めちゃくちゃ面白い作家さんじゃん。
伊坂幸太郎もそんな逆転を期待してるんですけどねー。
残念な事に、どうしても合わない状態が続いてしまっています。
それぞれの恋愛模様を描いた5作の短編集
さて、本作『吉祥寺の朝日奈くん』の話題に入りましょう。
こちらには恋愛をテーマにした短編が5つ収められています。
『百瀬、こっちを向いて』もそうでしたが、どうやら中田永一名義の場合には恋愛小説家としての作風が強くなる傾向があるようですね。
とはいえ、中身はあの乙一。
恋と愛の間にちょっぴりミステリ風味を加えてしまっていたりするのが、特徴であったりもします。
1話目『交換日記はじめました!』
中学生の遥が始めた交換日記がテーマ。セリフや本文はなく、日記そのものを読んでいるかのように、文章と日付、書いた人の名前が記されていきます。最初は遥と圭太から始まった日記は、途中から同級生の鈴原さんが混ざったり、遥の妹の有紀やお母さんが混ざったり。やがて、日記帳はいつしか全く見ず知らずの他人の手に渡ります。沢山の人と時間を介した日記はどんな物語を紡ぎだすのか。
――きちんとした小説の形式は取っていないにも関わらず、思わず夢中になってしまいます。
2話目『ラクガキを巡る冒険』
中学校の頃、学校に忍び込んでクラスメイト全員の机にラクガキをした千春。実家へ帰省した際、当時のマッキーで出てきたのをきっかけに、千春は遠山君の身元を探り始める。遠山君こそ、ラクガキの共犯者だった。
――本作の中では一番小粒かな?ミステリ風味がマイナスに作用してしまった悪例かも。
3話目『三角形は壊さないでおく』
高校に入学してすぐ、廉太郎はクラスメートのツトムと意気投合する。親友となった二人の前に現れたのは、クラスメイトの小山内さん。常に消極的で他人に譲ってしまう廉太郎は、ツトムと小山内さんの恋を応援しようとするが……。
――これはミステリ風味はほとんどなし。淡い青春時代の恋愛物語として純粋に楽しんで貰えれば。
4話目『うるさいおなか』
頻繁におなかが鳴ってしまうという悩みを抱えたハラナリストの高山さん。一生懸命他人には知られないよう隠そうとするものの、春日井君だけが敏感に高山さんの腹の音を聞きつけ、しかも興味を持ってしまう。
――これもミステリ風味なし。ただし、物語としてはやはり小粒。
5話目『吉祥寺の朝日奈くん』
ラストを飾るのは表題作。吉祥寺の喫茶店に努める山田真野と、その店に通い詰める朝日奈くんとの物語。喫茶店で起こるある事件を経て、その後ばったり献血先で出くわす二人。連絡先を聞き出そうとする朝日奈くんに、山田さんが差し出した左手の薬指には指輪が光り……。
――既婚者との禁断の恋模様を描く本作ですが、切なさや焦れったさについつい感情移入してしまいました。乙一、こんな大人な恋も描けるのね。それに加えて乙一らしい遊び心も物語を壊さない範囲で発揮していて、中田永一作品の醍醐味を味わえる作品かと思います。
乙一らしさはちょっと控えめ?
『百瀬、こっちを向いて』はミステリ風味、遊び心とでも形容すべき仕掛けが必ず仕掛けられていましたが、本作では少し控えめに感じられました。
とはいえ特に仕掛けらしきものも見当たらなかった『三角形は壊さないでおく』も、作品としての完成度は決して低くなく、純粋な青春恋愛小説として楽しめました。『GOTH』の例ではありませんが、あまり遊び心を尽くし過ぎてしまうと読者も身構えてしまうので、あったり無かったりするぐらいでちょうど良いのかもしれません。
それにしても、表題作『吉祥寺の朝日奈くん』は中田永一らしさがよく出た作品だったと思います。
非常に僕好みの作品でした。
いやぁ、読んでよかったです。
ちなみに本作、2011年には劇場版も公開されているようですね。
結構短めの短編なだけに、映画化するほど尺がもったのか心配。
変に肉付けして膨らませてなければいいんですけど。
予告編を見る分には、役者さんも演技も作品の雰囲気もちょっと原作とは違うかなぁ、なんて。
その内気が向いたら見てみましょうか。