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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『パッとしない子』辻村深月

「子供の頃は、あの子、パッとしない子だったんだよね。『銘ze』でデビューして、うちの小学校の出身だって聞いても、『え? あの子が?』って思っちゃったくらい。あの代だったら、目立ってたのはもっと別の子たちだったんだけど」

辻村深月『パッとしない子』を読みました。

 

こちら、元々は『嚙みあわない会話と、ある過去について』という短編集に収録されている作品らしいのですが、KindleではKindle Singlesというとして1話のみで切り売りされています。

切り売り、という表現にはネガティブイメージもあるかと思いますが、音楽に例えれば短編集=CDアルバム、短編=曲のようなもの。現在の音楽業界は月額聞き放題のサブスクか、または一曲ごとの販売が基本となっていますから、小説業界も同じような流れになって行くのかもしれませんね。

実際にKindle Singlesは米国で「電子書籍リーダーを買うべき最大の理由」と評価されたそうですよ。

 


……とまぁいきなり脱線してしまいましたが、このKindle Singlesに収録されている作品も、僕が登録しているKindle Unlimitedでは無料(月額定額)で読む事ができるのです。

 

と言っても本音では一話こっきりの読み切り短編とか、あんまり読む気がしないなぁと思わないでもなかったのですが。

 

ちょうど時間が空いたので、隙間時間にさっくり読んでみようと思った次第です。

 

 

人気タレントの昔は「パッとしない子」だった

主人公は小学校で教員を務める松尾美穂。

彼女の勤務先に、かつての教え子であり、現在はアイドルグループとして活躍する高輪佑がやって来ます。

よくある母校訪問的なテレビの企画です。

 

厳密には美穂が担任していたのは佑の三つ年下の弟なのですが、兄である佑も知らないわけではありません。運動会の入場ゲートのデザインで迷っていた佑の背中を押してあげたというのが、美穂の持つ唯一のエピソード。

 

そして佑について聞かれる度、美穂が常套文句のように口にするのが「パッとしない子」だったというもの。

佑は昔は目立つ子ではなく、今のようなトップアイドルに登り詰めるなんて想像できなかったというのです。

 

やがて撮影当日を迎え、高輪佑が学校にやって来ます。

テレビに出るのは美穂とは別の教師が受け持つクラスです。しかし撮影が終わり帰り間際、美穂の姿を見つけた佑は自ら美穂に近づき、少しだけ二人きりで話す時間を取って欲しいと持ち掛けます。

 

娘が大の佑ファンである事も手伝い、ドキドキした気持ちで二人きりの面談に臨む美穂。

しかし佑は、思いも寄らない質問を美穂にぶつけます。

 

 

※以下ネタバレ注意※

 

 

鈍感と繊細の狭間から生まれるもの

本書で描かれる人間模様は、あまりにも残酷で、あまりにも醜いものです。

そして教師とはどれほどまでに因果な商売なのかと、考えさせられずにはいられません。

 

美穂はおそらく、そう常識外れな教師ではないでしょう。

誰もが既視感のある、どこの学校にでも一人はいそうな、一般的な教師像の一つです。

若く美しい時分、憧れのお姉さんのように子供たちからチヤホヤされ、そんな自分に対して無意識にほんのちょっとだけ天狗になっていた。自分をチヤホヤして周囲に群がってくる子供たちが可愛くて、彼らばかりが目に入ってしまい、その影で悩みや痛みを抱えていた子どもに気付いてあげる事ができなかった。気付こうとしていなかった未熟な自分。

 

そんな若き日の自分を、当時の教え子から徹底的に非難され、糾弾される。

 

どちらが正しくて、どちらが悪いとか、どちらに感情移入するかといった話は抜きにして、あまりにも美穂は報われないように感じてしまいます。彼女を慕い、彼女に憧れて教師になるような子だって、ちゃんといるのです。

でももしこんな目に遭ったとしたら、次の日以降も教師を続ける自尊心やモチベーションは、完全にすり減って無くなってしまうのではないでしょうか。

もちろんそれこそが、佑の目的だったのかもしれませんが……。

 

一方で僕には、佑や弟の気持ちもよくわかります。

僕の小学校二年生の時の担任は、何故か僕に対してだけ非常に当たりが強いように感じる先生でした。同じような失敗や悪戯に対しても、みんなの前で徹底的につるし上げるような真似をされた記憶があります。

どうして僕にだけあんな風に強く当たったのか、何が原因だったのか、当時も今も、僕にはとんと見当もつきません。

唯一心当たりがあるとすれば、「きっとあの先生は僕が嫌いだったんだろうな」という点だけです。

 

もしかすると事実は異なるのかもしれませんが、意外と子供の頃って、大人のそういう不平等さみたいなものに敏感なのかもしれません。

学校に限らず、兄弟との関係なんかでも、子どもってよく口にしがちですもんね。「なんで僕だけ」「私だけ」って。常に自分だけが貧乏くじを引いているような被害妄想。

 

でもそうして一年や二年、苦手な先生と過ごす時間って意外と後々まで引きずるんだろうなと思います。僕もまだ鮮明に覚えていますし、関係性の度合いによっては、恨み骨髄に死ぬまで引きずる事だってあり得ると思います。

本書に出て来る佑や、その弟のように。

 

 

他者の否定

あとは表題にも関わるところですが、知人について聞かれた時、マイナスイメージが付くような言葉は避けるべきなのだと、本作を読んで改めて再認識させられました。

結構ありますよね。「前に一緒に働いていた〇〇さん、知ってる?」と前職の同僚について聞かれたり。

そういう時、皆さんはどんな風に答えますか?

真っ先に口をついて出るのは、相手の長所?

それとも短所?

 

相手による、と言いたくなるところでしょうが、意外とこれ、質問に答える人物の人柄が現れやすいタイミングに思います。

あくまで僕の経験上ですが、知人について聞かれた際、「あの人はとっても優秀な人ですよ」と肯定的に語る人には人格者が多いように感じます。

対して「あの人は色々と問題が多くて」と否定的な話をする人は、決まってニヤニヤと嫌らしい笑顔を見せるか、表情を曇らせ、語るのも嫌だというような苦虫を噛み潰したような顔を見せます。本人は気づいていないのでしょうが、いずれも非常に醜い表情です。

 

教え子や知り合いに対して「パッとしない子だった」と答える美穂は、同じように醜い顔つきだったのではないでしょうか。

 

若い頃ならばいざ知らず、ある程度の年齢になったからには、誰かの事を尋ねられた際には十分に配慮した返答をするように配慮したいですね。どう回り回って当事者の耳に入るかわかりませんし、相手を貶めているつもりで、より以上に自分の心証を悪くしているかもしれません。

美穂は何よりも公職にある身なので、誰よりも気を付けるべきだったのでしょうが、教職とはいえ人間ですからね。すっぽり気が抜け落ちてしまう事だってあるのでしょう。

 

 

短編と侮らず読むべし

ここまでつらつらと思い付くままに書いて来ましたが……間違いなく言えるのは、短編一つでここまで色々と考えされられる作品というのも非常に稀有だという事です。

本作に対し、Amazonのレビュー等々では「後味が悪い」という感想が非常に多いのですが、単なるバッドエンドですっきりしないという後味の悪さとは大きく意を異にしています。

 

誰が正義で、誰が悪なのか。あるいは何が正義で、何が悪なのか。

どこまでが許されて、どこからが許されないのか。

 

きっと読者一人ひとりにとって答えは違っていて、そもそも明確な答えすら一人では導き出す事のできない問題を、あまりにも鮮やかに浮き彫りにしているのです。

その結果、読み終えた後も正解を見出せないまま、もやもやと自分の胸の内に生まれた割り切れない思いと向き合う事になります。

 

長編小説やせめて中編ならともかく、僅か42ページの短編でここまでもやもやさせられるとは……げに恐ろしきは辻村深月の技量。

短編だからと侮らず、ぜひ一度は呼んでみる事をおすすめします。

 

電子書籍代の202円を払う価値はある作品だと、断言しておきましょう。

 

また、「どうしても実本じゃないと読みたくない」という方は、下記の短編集『嚙みあわない会話と、ある過去について』をどうぞ。

 

 

 

『かもめ達のホテル』喜多嶋隆

だから、宣伝のたぐいは、一切していない。インターネットで検索しても、出てこない。そんなうちのホテルにやってくるお客の中には、世間の目をのがれて、という場合も少なくない。ヨットのかげで風を避けているカモメたちのように……。

喜多嶋隆『かもめ達のホテル』を読みました。

 

たまたま石ノ森章太郎の『ホテル』のように、一つの施設を舞台として様々な事件が巻き起こるような連作短編ものを探していたところ、検索結果に引っ掛かったのがこちらでした。

葉山の海の側にある、隠れ家のような小さなホテル……なかなか惹かれるではありませんか。

 

初めて見る作家さんだったのでざっくり調べてみたところ、喜多嶋隆氏は1981年(昭和56年)著作 『マルガリータを飲むには早すぎる』 で小説現代新人賞受賞。以来四十年に渡り数々の作品を残して来た大ベテランだという事で、安心して読んでみる事にしました。

惜しいかな、せっかく契約したKindle Unlimitedには登録がありませんでしたので、代わりにebookjapanで半額クーポンを利用し、319円での購入となりました。

 

さて、内容に触れていきましょう。

 

 

舞台は女手一つで経営するプチホテル

舞台となるのは、葉山の海の側にある小さなホテル……とは名ばかりの、民宿・ペンション的な宿泊施設です。

元々は現在のオーナーである美咲のひいお爺ちゃんが旅館として開業したものを、祖父がホテルに建て替え。さらに父親が修行先だったホノルルのリゾートホテルを模して改装を施したというもの。

部屋数は海側・山側にそれぞれ4部屋ずつの計8室と言うのですから、ホテルというよりはまさしくペンションです。イメージ的には、一昔前に流行った“プチホテル”を名乗るペンション、もしくは別荘地によくある“オーベルジュ”といったところ。

 

従業員もオーナーである美咲の他には、昔からの友人であるマイが客室係のアルバイトとしてお手伝いしてくれるだけ。料理やサービスといった接客は、全て美咲一人でこなしているようです。

ですので物語は必然的に美咲と利用客、そこにマイを加えた三人の関係性から生まれるものとなります。

 

 

3人の訳あり客

本書の中身は三話の連作短編形式をとっていますので、例によって各章ごとにあらすじをご紹介します。

 

『たとえ18歳に戻れなくても』

最初にやってくるのは、何やら謎めいた男。大沢、と記名する様子を見ただけで、美咲は相手が偽名を使っていると察します。

さらに偽名・大沢は、葉山の海際にあるホテルでわざわざ山側の部屋を希望。ますます怪しさが募ります。

どうやら誰かを待っているのではないか、という美咲とマイの予想通り、彼は自分がゴシップ誌のスクープカメラマンであり、交際が噂される芸能人カップルを待ち伏せしている事を明かします。

そんな彼も、最初からスクープカメラマンを目指していたわけではなく、元々はもっと純粋な気持ちでカメラマンを目指していた時代があり……という一人のカメラマンの葛藤を描いた作品。

 

 

『心の翼が折れた時』

次にやってくるのは小久保という男。以前プロゴルファーを目指していたマイは、彼をひと目見るなり現役の著名なプロゴルファーであると見抜きます。

本来であればツアーを回っているはずの時期にも関わらず、ひと目を避けるように滞在を続ける小久保。

彼はクラブをうまく振れなくなるという、誰にも言えない心の病気を抱いていました。

しかもそのきっかけは、大事な大会の前、妻と事に及ぼうとした際にうまく行かなかった事――つまりインポテンツを発症したのをきっかけに、クラブを振れなくなってしまったというのです。

原因を知ったマイは「わたしが彼を治してあげる」と自信満々に言い出し、美咲もまた、「彼を誘惑するの?」と応じます。

計画は成功し、マイは小久保の部屋に泊まり込むようになります。結果として、小久保の病気は――というなかなか大胆なお話です。

 

 

『この夏も、いつかは思い出』

三人目の客は真希。同じ葉山町内に住む30代半ばの女性。

彼女は米軍基地で働くマイクとともに、度々泊りがけのデートにやってきます。

真希は米兵に日本語を教える講師の仕事をしていて、生徒としてやってきたマイクと恋に堕ちたのです。

しかし真希には、離婚調停中の夫がいました。

きっかけは夫の浮気でしたが、夫は警察に兄を持ち、少しでも自分に有利な条件を引き出すため、真希に男の気配がないかチェックしています。

真希とマイクは夫の目から逃れる隠れ家として、ホテルを利用していたのでした。

しかしある日、外国人によるコンビニ強盗事件が発生。マイクは容疑者の一人として疑いを掛けられてしまいます。

事件があった当日の夜、ホテルに泊まっていたマイクのアリバイを証明できるのは美咲と真希のみ。しかしそれは、同時に警察を通じて夫に真希の交際を教える事になってしまいます。

果たして、真希の下した決断とは――。

 

 

ex.美咲の恋人裕作の行方

三つの物語の合間合間に挿入されるのが、オーナーである美咲自身の抱えた悩み。

ホテルには度々、顔見知りと見られる警察がやってきます。美咲は冷たくあしらいますが、一体何があったのか、という点が連作短編の主題として存在しているのです。

 

美咲には昔から同じ葉山で生まれ育った恋人の裕作がいますが、彼は勤務先の上司に汚職事件の罪を被せられ、捜査の手から逃れるためにマグロ漁船を乗り継ぎ逃亡を続けています。

パスポートを使って外国に逃げたわけではないので、警察はまだ裕作が国内にいるものと信じ、きっと恋人の美咲の下へやってくるだろう、もしかしたら美咲は裕作の行方を知っているにも関わらず、隠匿しているのないかと疑いを掛けているのです。

美咲と裕作は一体どうなるのか。裕作に対する嫌疑が晴れ、美咲の下に帰って来る日は来るのだろうか、という点も見逃せないところ。

 

それ以外にも、友人であるマイの生い立ちやプロゴルファーを目指した経緯等々、短編作品のメインである宿泊客のエピソードの合間に、美咲やマイのエピソードが混ざり込んで来たりします。

それがまぁ、なかなかの分量がありまして……本作の半分は、彼女達の過去に関する話と言っても良いかもしれません。

 

 

……で、どうなの?

小説を読んだ感想で一番大事なのって、面白いか、面白くないか、という点に尽きると思います。

じゃあ本作はどうなのかというと……正直微妙でした。

 

Amazonの数少ないレビューにも散見されるのですが、やはり一番は主人公である美咲の人間性

客に対し平気でため口を使い、食事を提供した横で、それが当然の事であるかのように自分も食事を始める。マイまで引き込んで一緒になって酒を酌み交わす。客に対する態度というよりは、泊りにきた友達の相手をしているかのような振る舞いです。

外国のゲストハウスのようなイメージを書きたかったのかもしれませんが、それを葉山でやるのはちょっと違和感しかないですよね。せめてもう少し歳を重ねたマダム的な主人公ならば許されるかもしれませんが……20代そこそこの女の子の接客としてはあまりにもリアリティーを欠きます。

にも関わらず、広告もなしに芸能人が有名人が次々とやって来るという謎の人気ぶり。と言っても常に部屋は半分も埋まらず、閑古鳥が鳴くような状況。

……このホテル、なんで経営成り立ってんの? と。

 

追いかけている芸能人カップルがこのホテルに来るはずだ、と狙いを定めたカメラマンの根拠も不可解ですし、二話目に至っては、妻がいるという客に対して従業員(オーナーの親友)が公然と言い寄り関係を結ぶという目茶苦茶な倫理観。三話目に至っては、離婚協議中で夫の監視下にあるにも関わらず若い男と関係を結ぶ節操のなさ。相手が若い外国人男性である必然性もなく、おそらくその方がファッショナブルだからというイメージのみで形成されたキャラクター設定としか思えません。

別に不倫が駄目、浮気は許せない! などと声高に騒ぐつもりはないのです。江國香織の『東京タワー』はじめ、素晴らしい作品も多数ありますし。

 

ただし、本書で描かれる不貞関係はあまりにも軽いノリで、馬っ鹿じゃねーの! と悪態をつきたくなるぐらい、登場人物達は安直に禁忌を犯します。

相手が有名人だからといって、既婚男性を相手にする場合には多少なりとも葛藤や躊躇を抱いて欲しいのです。「インポが原因かもしれないから私が一発やって治るか確かめてみるわ」「頑張れー」じゃあ、今時十代二十代の若い子達でもドン引きです。

イケメン外人にいい感じに迫られたからってホイホイ身を任せるようじゃ、遅かれ早かれ旦那にバレたんじゃないの? それをあたかも悲劇の主人公かのような顔をされても、自業自得としか言いようがありません。

 

秘め事が面白いのは秘め事だからであって、公然と明るく行われても何の味わいもないのです。

 

著者の年齢が年齢だから仕方がないのかもしれませんが、全体的に時代錯誤な倫理観と昭和のファッショナブルさに彩られた、1980年代テイストの物語と理解して読むべきなのかもしれません。

 

文章の癖

喜多嶋氏の書く文章は初めて読んだのですが、非常に癖が強いという点も留意が必要かと。

 

偽名・大沢の方は、食事つきで予約していた。夕食は、6時半から。わたしは、5時半頃に厨房に入った。彼は、和食を予約していた。わたしは、小坪の漁港からきた食材で準備を始めた。きょう、メニューの中心は、天プラ。

 

短文。そして目につくのは小刻みな句読点。

なんだか片言の日本語みたいで、読みにくくないでしょうか?

 

エンジン音が消えた。運転席から、1人の男がおりてきた。若い。まだ二十代だろうか。とにかく背が高い。白いポロシャツ。ベージュのコットンパンツをはいている。彼は、あたりを見回しながら、ゆっくりと歩いてくる。ホテルの玄関を入って来た。わたしは、受付カウンターの中にいた。

 

この不思議な文章が、最初から最後まで続きます。

人によるのかもしれませんが、僕の場合はこのせいで一連の動きが頭の中で滑らかな映像にならず、コマ送りの四コマ漫画みたいになってしまいました。

特徴的な文章を書く作家さんは多数いれど、その中でも間違いなく上位に入る癖のある文章だなぁと感嘆してしまいました。

 

 

ebookjapan

さて、最後に今回初めて利用した電子書籍サービス「ebookjapan」について触れておこうと思います。

数ある電子書籍サービスの中で、「ebookjapan」はyahoo系列に属し、支払いにpaypayも利用できたりします。ほぼ日常的にクーポンが配信され、paypayの大型イベントpaypayジャンボの対象サービスになったりするのも面白いところ。

 

 

 

本書に興味は持ったけれど、Kindle Unlimitedには収録されてないし、定価で買うのはちょっと抵抗があるなぁ……と思っていたところ、ちょうど半額クーポンを持っていたので、試しに使ってみたのです。

 

そしたらまぁ驚く事に……

 

すこぶる操作性が悪い!怒

 

電子書籍アプリといえばKindle青空文庫しか使った経験がなく、マーカーを引けたり、栞を挟めたりとむしろ実本より使い勝手がいいんじゃないかぐらいに感心していたのですが、このebookjapanのアプリは全然違いましたね。

 

とにかくレスポンスが悪い。

1ページめくるごとにカクカクする。

 

これは僕が読書用に使っている旧端末のスペックが良くないせいもあるのかもしれませんが、Kindleは平気なんです。

性能の問題なのだとすれば、テキストのみのビューアーにどんだけのスペックを求めるの?

 

しかもピンチアウト・ピンチインで自由にフォントサイズを変えられるKindleと違い、フォントサイズは固定で選べるのは行間の幅と縦・横の表示。あとは背景の色のみ。

Kindleになれた身からすると、目茶苦茶使い難かったです。

 

なので今後はあまり使う事もないだろうと思います。

半額クーポンは魅力的なんですけどね。

今回同様、どうしても読みたい本がKindle Unlimitedに収録されていない場合に、使用を検討するレベルかと思います。

 

あーebookjapanで連載されている『キン肉マン』は大ファンですのでそちらは欠かさず読み続けますが。

ジェロニモ、今度もまた噛ませ役なのかなぁ。

 

 

 
 
 
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『琴乃木山荘の不思議事件簿』 大倉崇裕

「山には、その手の怪談が付きものなんだ。この山域も、決して多くはないが、人が亡くなっている。霊気のようなものが、溜まるんだな」

大倉崇裕『琴乃木山荘の不思議事件簿』を読みました。

著者の大倉氏は1997年に第4回創元推理短編賞佳作を受賞し、『三人目の幽霊』で作家デビューを果たして以来、「このミステリーがすごい!」や「本格ミステリ・ベスト10」にも度々名を連ねるミステリ作家。

とはいえ本作で初めて名前を知った、というのが正直なところです。

 

本書を読むに至った理由も、前記事『ほま高登山部ダイアリー』同様、Kindle Unlimitedのおすすめに出てきたから、というもの。こうして全く知らなかった作品に触れられるというのも、Kindle Unlimitedに登録したメリットと言えそうです。

 

それでは、内容についてご紹介していきましょう。

 

登山×日常の謎=ライトミステリ

舞台は竜頭岳の麓にある琴乃木山荘。

主人公はそこで働く棚木絵里。

山荘には日々様々な人が訪れ、数々の不思議な出来事に見舞われます。おっとりとした性格ながら人望の厚いオーナーや、探偵役である同じスタッフの石飛とともに、事件の謎を解き明かしていくミステリ短編集。

登場する謎は登山にまつわる小話といったところで、人が死んだりするわけではありませんので日常の謎カテゴリに分類されるのでしょう。

 

早速下記に簡単な概略を記します。

 

第一話 彷徨う幽霊と消えた登山者

 ある夜、同僚のまゆみが森の中で人魂のような光を見たと言います。また、小屋の近くの森の中で連日同じ男を見た、とも。人魂と男の正体は?

 

第二話 雪の密室と不思議な遭難者

 誰もいないはずの離れの小屋の中に、光が見える。絵里達が駆け付けてみると、高熱に苦しむ一人の男が寝込んでいた。施錠されていた小屋に勝手に入れるはずはなく、周囲の雪には足あとも見当たらない。男の正体とは?

 

第三話 駐車場の不思議とアリバイ証明

 友人とともに登山から戻ってみると、駐車場に停めた車の位置が来た時とは変わっていたという男。一体誰が、なんのために、どうやって車を動かしたのか?

 

第四話 三つの指導標とプロポーズ

 小屋の裏で一人、プロポーズをするはずの相手が来ないと嘆く男。一方で絵里は、石飛から指導標の一つに悪戯がされていると教えられる。石飛が言うには、去年も一昨年も、三つある別の指導標が同じように悪戯されていたらしい。

 

第五話 石飛匠と七年前の失踪者

 琴乃木山荘を訪れた三人の男女。七年前、彼らと一緒にとあるテント場でキャンプをしていた河内が、テントも荷物もそのままで行方を晦ましてしまった。河内は三人を架空の投資話で騙しており、三人は河内の行方を捜しているのだという。

 

第六話 竜頭岳と消えた看板

 ある夜石飛が見上げると、小屋の上部に掲げられていた琴乃木山荘の看板がなくなっていた。巨大な木の板で作られたもので、大の男が数人がかりでようやく運び上げたようなものだ。絵里は石飛とともに、消えた看板の謎を追う。

 

第七話 棚木絵里と琴乃木山荘

 琴乃木山荘で働く絵里の元に、江島健人がやってくる。彼の妻里水は絵里の元上司で、小さな出版社を経営していたが、不幸な事故によって急逝していた。現在は他の出版社で働く江島は、絵里に自分の下で働くよう決断を促しにやって来たのだ。一方絵里は、事故の直前に里水から送られてきたメールの謎が解けずに引っ掛かっていた。

 

……とまぁ、全部で七話。

語り手である棚木絵里の、ベールに包まれていた下界での生活についても最終話で明かされ、物語としては大団円といったところです。

一方、石飛についてはまだまだミステリアスな点も多いのですが……物語の完成度を損なうようなものではありませんし、次回作を書く上での材料も残したかったのかもしれません。

 

 

 

ミステリとしては……

そもそも本書、レーベルはヤマケイ文庫こと山と渓谷社という、推理小説としては似つかわしくない版元から発行されています。

元々は山岳雑誌『山と溪谷』に連載されていたものをまとめたそうです。

そういう意味で色々と異端な点が多い作品だったりします。

 

言い換えると、中途半端な面も多かったりして……。

 

山岳小説として考えた場合、これは間違いなく物足りないでしょう。架空の舞台である竜頭岳の舞台設定もいまいち伝わって来ません。場所はある程度曖昧にボカすにしても、険しい山なのか、ビギナー向けの山なのか、周囲の山やルートとはどんな位置関係にあるのか、その多くが曖昧です。

それに伴い、琴乃木山荘の山小屋としての役割もいまいち伝わって来ません。

これはちょっと説明すると長く、くどくなってしまうので割愛しますが……山小屋って山頂付近だったり、長い縦走ルートの中途だったり、もしくはすぐ側で温泉が湧いていたり、いずれもそこにある理由や必然性があったりするんですが、琴乃木山荘に関してはどうもそれが感じられない。

先代が好きで、その場所に山小屋を建てて営業を始めたら、続々と好きな人が集まってくるようになった……という、山小屋というよりは旅館のようなノリに感じてしまうのです。

肝心の山小屋業務についても、調理・受付といった言葉で触れられるのみで、具体的な働きぶりが見えて来ません。また、客についてもモブとして描かれるのみで、どんな過ごし方をしているのか触れられる事はありません。

ですから余計に琴乃木山荘という施設の特徴のようなものが見えてこないのです。

その場所に絵里や石飛が惹かれて集まってくるような、もう少し説得力のある魅力を伝えて欲しかったな、というのが残念な点です。 

 

また、推理小説として読んだ場合ですが――これも残念と言わざるを得ないでしょう。

ネタバレを承知で、第一話を例に挙げます。

読みたくないと言う方は、読み飛ばして下さいね。

 

第一話の謎は、夜に森の中を彷徨う白い光と毎日見る男の正体ですが、白い光はまゆみ同様、男の正体を不審に思った石飛が夜にその場所を確認しに行ったものだとわかります。

男は息子と琴乃木山荘でキャンプをするという約束をしたものの、腰を痛めて重い荷物を運べなくなってしまい、やむなく毎日少しずつ小分けにして荷揚げしていたというのでした。

だったら荷物は山荘で預かってあげるし、なんなら後で下まで下ろしてあげるよ……というハートフルなストーリーなんですが。。。

 

……まぁ、無理ありますよねぇ。

重い荷物も持てないほど腰を痛めた人が、少量の荷物とはいえ毎日山を登り下りするなんて。

山小屋スタッフとしては「そんな状態で無理して山でキャンプなんかするもんじゃない」と諫めるべきでしょう。子どもとの約束を守りたい親心はわかりますが、いくらなんでも手間とリスクの配分を見誤ってるよな、と。

 

 

……とまぁ、上記の例からもわかる通り、全体的に謎に対する解答がちょっとしっくり来ないものばかりです。

平たく言えば、納得が行かない。

上の第一話同様、どうやってそれを行ったのかという「how」の部分についてはそれなりに理論的に説明がなされているとは思いますが、なぜやったのかという「why」、つまり動機との釣り合いが取れていない。

何度も小分けにして荷揚げしていた、だから毎日見るのはその人だった、まではいいんです。その理由が「子どもとキャンプの約束をしていたのに腰を痛めて重い荷物を持てなくなったから」と言われるとなんじゃそりゃ、と。

 

そんなことのためにそこまでするかー、と突っ込みたくなるというか、半ば呆れてしまうような理由ばかりなんです。

七話中一話だけ、というわけではなく、基本的に七話全て似たような傾向なのが残念なところ。

 

山小屋×日常の謎という発想はあまり見ないし、可能性は無限大に広がっていると思うんですが、なかなかどうして、せっかくのアイディアを上手く活かせていないな、という感想でした。

本作も続編……無いみたいですね。

 

ゆるキャン△』や『ヤマノススメ』が漫画・アニメで盛り上がっているように、小説業界にもそういったアウトドアを題材とした名作が生まれて欲しいと切に願ってしまいますね。

 

 

 
 
 
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『ほま高登山部ダイアリー』細音啓

「嬉しいな、わたし知らなかったよ。冬嶺くんも登山が好きなんだよね? わたしもなの! ここ受験する前から登山やってみたくて!」

細音啓『ほま高登山部ダイアリー』を読みました。

レーベルはガガガ文庫。久しぶりのライトノベルという事になります。

とはいえ一時期やたらと読み漁っていたのもスターツ文庫などのライト文芸レーベルが多かったので、純粋なライトノベルとなるとおそらく今年3月に読んだ『はめふら』以来となりますので、懐かしさすら覚えます。

 

ちなみに本書を読むに至った経緯を説明しておくと、以前の記事で書いた通り、今月からAmazon Kindle Unlimitedなるサブスクに登録しました。

月額990円という定額で好きな本が読み放題という事で、気の向くままヤマケイ文庫の作品や趣味の登山雑誌なんかを読み漁っていたのですが、何故かオススメに登場したのが本作。

 

どうやら登山を題材としたライトノベルのようなのですが、2017年発行以来、明らかにシリーズ作品を匂わせているにも関わらずいっこうに続編が刊行される気配がないのが非常に気になるところ……。

とはいえせっかく毎月定額のサブスクに登録しているのだから、こういうものにも手を出してみようと思った次第です。

 

今や漫画業界では『ヤマノススメ』や『山と食欲と私』といったライトハイキング系の山登り作品に加え、『ゆるキャン!』などのキャンプやアウトドアを扱った作品がヒットして久しいのですが、考えてみると小説界隈では『氷壁』や『孤高の人』といったガチクライマーを扱った名作が多い反面、ライトな作品って少ないんですよね。

というか、皆無に等しい状況。

 

そんな中、登山を題材としたライトノベルとして唯一存在するのが本作だったりします。

 

それでは早速内容に触れてみたいと思います。

 

 

告白→勘違い→登山部に入部する事に

本作は主人公である冬峰冬馬が、中学時代から思い続けてきたヒロイン乃々星縁に告白するシーンから始まります。

しかし縁は「登山が好き」だと勘違い。

高校に進学したら登山部に入りたいとかねてより思い続けてきた縁は、冬馬もまた登山を志す同士だと早とちりし、一緒に見学しようともちかけます。

そこへ登場したのが変人部長こと御傘マリ。

ひと目見て冬馬の想いを見抜いたマリは、もっともらしい理由を並べて冬馬を登山部へと誘います。

冬馬はなし崩し的に、登山部への仮入部をすることに――。

 

……とまぁ、どこか既視感のあるはじまりとなっています。

ライトノベルの分類については不勉強ですが、いわゆる「学園モノ」というやつでしょうか。

 

登山部には三年生のマリの他に二年生のハーフ美女・水守ガブリエッラが在籍しており、彼女はまるで天使のような外見の持ち主。おまけに巨乳。食いしん坊でおっちょこちょいで運動は大の苦手。

演劇部にも所属し、どこかずる賢いマリとはまるで正反対の性格をしています。

一方、ヒロインこと乃々星縁は実戦空手の道場に生まれ、幼い頃から想像を絶するような空手の修行を積んできた和風美人。

この三人とああだこうだとやり取りしながら、物語は進んで行きます。

 

「学園モノ」かつ「ハーレム系」……かな?

 

 

覚悟はしていたけど……

まぁほぼほぼ登山とは無関係な話です。

 

みんなでトレーニングする→女の子達のジャージ姿がうんたらかんたら

みんなで登山用具の買い物に行く→女の子達の私服がうんたらかんたら

実際に登山に行く→女の子達の登山ウェア姿がうんたらかんたら

 

……とまぁ、やたらと女の子達の外見についての描写が多い。

しかもどうしてかヒロイン役である縁よりも、ガブリエッラに対するものが多いんですよね。

 

登山でもなく、冬馬と縁のラブコメでもなく、可愛いポンコツであるガブリエッラを愛でる事に大半を費やす本。

彼女に惹かれない読者にとってどんな感想になるかは、書くまでもありませんね。

 

女の子達の外見やおっちょこちょいやドジに関するエピソードを省いてしまえば、ストーリーとしてはかなり貧弱です。

しかもそのストーリーも、ほぼガブリエッラのドジや微エロエピソード塗れで、肝心要のトレーニングの内容や、登山用品の選択に関する真剣さはまるで伝わって来ません。

 

最後の登山では「登山には不向きである」という事を実際に体験するために、山頂でカレーを作ります。

カレーは粘度が高く、食後の始末が大変だというのが不向きな理由。

しかしながら、キャンプや山小屋で提供される食事のイメージからビギナーはカレーを選択しがちなのだとか。

 

……は?

未だかつて、山頂でカレー煮るやつなんて見た事ないんですが。

 

例えばこれが「ほま高登山部伝統の山頂飯だ~!」とか謎の風習をでっち上げ、しかも目茶苦茶美味しくて感動するようなエピソードでもあれば違ったのかもしれませんが、あくまで「カレーついたままの鍋を背負って下りるの大変だよね。ペーパータオルで拭いてもゴミになるよね」という教訓を得るためだけの地味な調理実習なのです。

味に感動するような描写は一切なく、代わりにあるのは多すぎる量をひいひぃ言いながら平らげるシーンだけ。

 

最終的に冬馬は登山部への入部を決めますが、その理由も「中学校時代に少しだけ所属した運動部は理不尽な上下関係に苦しんで辞めたけど、登山部のアットホームな雰囲気も悪くないと思った」という地味な理由。

特に山登りで感動したとか、魅力に目覚めたというわけではないのです。

 

あまりにも山の魅力について描かれる場面が少なすぎて、ちょっとよく理解できないんですが……著者はどうして登山を題材にした作品を描こうとしたのでしょう?

 

上に挙げた『ゆるキャン△』にせよ『ヤマノススメ』にせよ、『山と食欲と私』にせよ、根底には題材するキャンプや登山に対する愛情があったと思うのですが、本書にはそれがさっぱり感じられません。

けいおん!』的な学園モノに便乗するにあたり、昨今流行りと言われている登山を使ってみようかでも思ったのでしょう。

 

結局のところ、本書の魅力というのはヒロインでもない脇役のハーフ美女・水守ガブリエッラを好きになれるかどうかという点にのみかかっていると言っても過言ではありません。

まぁキャラクター性については登場人物それぞれが、アニメをそのままノベライズしたような強い個性を放っているのは間違いありませんが。

それだけ、で最初から最後まで楽しく読める作品というのもなかなか難しいのでしょうね。

 

一話打ち切りも納得の仕上がりでした。

 

登山を題材にしたライトノベル、需要ありそうだけどなぁ。

誰か面白い作品を書いてくれないものかしら?

 

 

 
 
 
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『新編山のミステリー 異界としての山』工藤隆雄

幽霊がゆっくりと常連のほうを見た。目があった。背筋が凍るような寂しそうな目をしていた。何かいいたそうな、問いかけたそうな表情だった。

引き続きヤマケイ文庫さんから、工藤隆雄『新編山のミステリー 異界としての山』を読みました。

登山や山に関わるオカルト・超常現象的な逸話を集めた本です。

 

というと同じヤマケイから出版されているベストセラー『山怪』があまりにも有名ですね。

 

『山怪』は山に関わる様々な不思議な話を集めた本で、第三巻が発行される程の人気シリーズとなっているのですが、いかんせんカテゴリーとしての「山」が良くも悪くもあまりにも広すぎたりします。

登山に限らず、マタギや猟師等、山とともに暮らす人々の体験談や逸話が多く収録されているのです。

「現代版遠野物語」の呼び名通り、それはそれで非常に興味深いものなのですが、ヤマケイ=登山といった印象だけで手に取ってしまうと肩透かしを食う結果になりかねません。

 

その点本書に登場するのは、登山者や山小屋の主人の体験談が主であり、より登山に近い環境から集められたエピソードが楽しめます。

 

 

4章56話の作品たち

本書に収められた不思議な話は、それぞれテーマの異なる4章に分けて収録されています。

 

  • Ⅰ 山の幽霊ばなし
  • Ⅱ 人智を超えるもの
  • Ⅲ 自然の不思議
  • Ⅳ ひとの不思議

 

なかでも一番盛り上がるのはやはり「Ⅰ 山の幽霊ばなし」でしょう。

長年数々の登山者を泊め、時には遭難や事故に関わるケースの多い山小屋には、幽霊の話はつきもの。

主人や従業員が在住する山小屋はもちろん、緊急用に設置された避難小屋を興味本位で覗いてみたところ、なんとなく背筋やひやっとするような、薄気味悪い感覚を覚える事は登山をかじった人間であれば誰しもが経験のあるところかと思います。

 

全10話の幽霊ばなしはどれも夏の夜にふさわしい作品ばかりですが、個人的には特に第10話「避難小屋の怪」がおすすめです。

 

避難小屋に到着した男が、ロフト式の上部に居場所を決めてうたたねをしていると、いつの間にか他のパーティがやってきて食事を始めています。誰もいないものと思い込んでいたパーティは、男を見ておばけだと勘違いしてしまうというお話。

なかなか秀逸なオチまでついていて、ちょっとした際に披露する怪談話としては最高と言えるでしょう。

 

「Ⅱ 人智を超えるもの」では、捜索隊がいくら探しても見つけられなかった遺体を、ふらりとやってきた身内がまるで最初から知っていたかのように簡単に発見してしまう話や、UFO・神様・天狗といった神秘的な話で占められています。

 

「Ⅲ 自然の不思議」は助けを求める声のように聞こえる鳥の鳴き声や、空を飛んでいるように聞こえるキツネの鳴き声、不思議な木との逸話、天狗らしき音の正体や突然移動した大岩等々、こちらもタイトル通り動物や植物といった自然にまつわる話です。

 

「Ⅳ ひとの不思議」はまるで死にに来たかのような登山者たちや、殺されたのではないかと疑わしい遭難遺体、山小屋を訪れた心優しい少年が実は窃盗の常習犯だった、道路も道もない山の奥深くに放置された車の謎等々、人間にまつわる不思議な話を集めたもの。

 

いずれも趣深いエピソードばかりなのですが、やはり山のミステリーの華と言えるのは一章の「山の幽霊ばなし」と言えるでしょう。

逆に言うと、一章が盛り上がった分、残る三章はちょっと物足りなさが残ってしまったかな。

 

しつこいようではありますが、僕個人としてはとにもかくにも第10話「避難小屋の怪」を読めただけでも非常に満足していますので、立ち読みでも結構なのでぜひ一読をおすすめします。

きっと誰かに話して見たくなる事は請け合いです。

 

それでは短いですが、今回はこのへんで。

 

 

 
 
 
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『ドキュメント 単独行遭難』羽根田治

道に迷ったら沢を下っていってはならない。来た道を引き返せ――

 

さて、前回の『ドキュメント 道迷い遭難』に引き続きヤマケイ文庫からのご紹介。

今回読んだのは『ドキュメント 単独行遭難』。

『道迷い遭難』と同じ羽根田治の遭難シリーズです。

 

『道迷い』に対し、今度は『単独行』。

非常にわかりやすい事この上ないですね。

それでは前置きはそこそこに、内容についてご紹介しましょう。

 

単独行遭難の7つのドキュメント

本書に収められているのは、登山に関わる様々な遭難の中でも「単独行遭難」にテーマを絞った7つの話。

 

例によって以下に概要を記します。

 

『奥秩父唐松尾山 2008年5月』

 ゴールデンウィーク中に一ノ瀬高原作場平駐車場から唐松尾山に登り始めた斎藤(57歳)は、過去二度登った事のある慣れた山であるにも関わらず、例年にない残雪にも惑わされ、下山中に誤って北斜面に延びる枝尾根に入り込んでしまう。

 方向感覚を失い、三、四時間も彷徨った末、斎藤は見つけた沢を下って行く。道迷いの末に沢下りを選択する危険性は理解していたにも関わらず、この時点では本人はまだ正しい方向に進んでいると認識していたのだ。

 しかし間もなく日没を迎え、ビバーク

 翌日初めて確認したコンパスで、自分が見当違いの方向に進んできたと尻、大きなショックを受ける。

 まだ雪の残る山中の彷徨は四日間に及び、幻覚を見、熊にも遭遇し、と数々の壮絶な体験の末、無事ヘリコプターに救助されたのだった。

  • 通いなれた山域という過信。
  • 迷った後で取り出したコンパス
  • タブーである沢下り

本章もまた、数々の教訓に満ちた話だった。

 

 

『北海道・羅臼岳 2011年6月22日』

約三週間の北海道バイクツーリングに訪れた黒田(38歳)は、ビジターセンターの職員にも相談し、軽アイゼンでも大丈夫だろうという確認を取った上で羅臼岳へ挑む。

途中、雪渓の上に地図には無いルートを辿る足あとを見つけた黒田は、頂上までの最短ルートに違いないと判断。途中誤りに気付き引き返す途中で、足を滑らせしてしまう。

本人談で200メートルもの長い距離を滑落したものの、奇跡的に怪我一つ負わずに済に、正規ルートへ復帰。しかし大きく時間をロスしてしまう。そのまま下山するつもりだったが、山頂を目の前にした黒田は気が変わってピークを目指す事に。これによりさらに余計な時間を消費してしまう。

急な雪渓への恐れから、登って来た羅臼温泉側ではなく、ウトロ側へ抜けるようルートを変更したが、途中再び見通しの悪い林の中に迷い込んでしまう。

携帯電話の電波を探すため、ザックを置いて小ピークの上に立ち、所属する山岳会の所轄警察と電話でやりとりを交わす黒田。しかしその間に夕闇に包まれ、自分がザックを置いてきた場所を見失ってしまう。

ザックには大事なツェルトまで入っていたというのに、これにより黒田は着のみ着のままでのビバークを余儀なくされる。

翌朝、明るくなるのを待って警察に再度連絡。「動かずに待て」と指示を受けるが、あまりの寒さに耐えきれず、黒田は行動を開始する。

すると一時間半も歩いたところで、ひょっこり木下小屋の裏手に飛び出してしまった。

そうして自力下山を果たしたものの、既に捜索隊は捜索を開始し、連絡を受けた家族は北海道まで駆け付けようと空港で出発待ちをしているところだった。

 

  • 安易にルートを外れる判断ミス
  • 時間がないのに頂上を目指してしまった判断ミス
  • 大事なザックを身体から手放した判断ミス

 

元々斎藤の経験や技量的に、残雪期の羅臼岳を単独で挑めるものなのかどうか、というそもそもの疑問もだが、全般的に呆れる程の判断ミスの積み重ねによって事態の深刻化を招いた逆の意味での好例と言える。

 

 

秩父両神山 2010年8月』

お盆に両神山を目指した多田(30歳)は、家族に具体的な山名も告げず出発。用意してきた登山届は登山口のポストを見落とし、提出しないままになってしまう。

順調に登頂を遂げた後、来た道ではなく、七滝沢ルートを行こうと思い付いた多田は、途中斜面で足を滑らし滑落。約40メートルを転げ落ち、気づいた時には左の足の脛から骨が飛び出す解放骨折の重傷を負っていた。

しかし携帯電話の電波は繋がらず、通りかかる人もいない。

母親から届けを受けた警察が捜索隊を出し、母親の証言から両神山に登ったらしいと見当を付けたものの、問題はどのルートから登ったのか、という点だった。

捜索は難航し、多田は実に十四日間という期間を山中で過ごすことになった。

 

  • 単独行は遭難すると救助が難航するという好例
  • 必ず登山届を出し、周囲の人にも計画の詳細を告げておくべき 

 

尚、本事件は奇跡の生還劇として様々なメディアに取り上げられているので、一例を下記に貼っておきます。

 



 

北アルプス・徳本峠 2007年8月』

本章は遭難者の男性(50歳)による一人称の手記形式で記されている。

島々谷から徳本峠へ、一泊二日または二泊三日で歩く予定をしていた男性は、二日目の朝、小南沢への徒渉店に着く。橋は道から落ちており、少しもどって河原からいけば問題なく渡れるにも関わらず、うかつにも崩壊した橋に近づいてしまう。

そこで、残っていた橋の残骸の崩落に巻き込まれてしまった。

右足はあらぬ方向を向き、動かそうとすると激痛が走る。

男性は身動きを取れぬまま、誰かが通りかかるのを待つ事になった。万が一、沢が増水しておぼれ死んだとしても流されないようにと自分の体をロープで橋の踏み板と結びつけた。さらに用意していたツェルトやエマージェンシーブランケットを身体に巻きつけ、ビバークの準備を整えた。

そうして男性は足を折ってから実に29時間という長い時間をたった一人で過ごした後、たまたま通りかかった登山者に発見される。

 

  • 不安定な場所にわざわざ足を踏み入れた
  • 前章同様、登山届を出していなかった
  • 予定していたコースは台風の被害等により入山禁止となっていた

 

本章については上記のような不注意はもちろんだが、男性の充実した装備や落ち着いた行動がリスクを最小化したという点についても大いに教訓となる。

 

 

加越山地・白山 2011年8月9日』

若い頃から登山に親しみ、経験を積んできた越村(41歳)にとって、白山の一般コースの中でゴマ平避難小屋から白川郷へ抜ける来た北縦走路だけが道のコースだった。

二日目、余裕の行程だからと油断していた越村は、ゴマ平避難小屋まであとわずかという急な下り坂で、うっかり転倒・滑落してしまう。

翌朝には腫れも痛みも弾いており、予定通り白川郷を目指して進むものの、途中で登山地図の時間を二時間と二十分で見間違えていた事に気付く。しかも発汗により予想以上にバテてしまい、標準コースタイムを二倍近くかけて歩くような有様だった。

無理をして歩き続けていると、突然ふくらはぎの筋肉をつってしまう。しばらくして治まったかと思えば全身の筋肉を次々とつり、部分的な痙攣は全身へと広がり、歩くどころではなくなってしまった。

携帯電話で救助を要請し、越村はヘリコプターで搬送。診断結果は熱中症だった。

 

  • コースタイムの見間違い
  • 熱中症は荷物が多すぎた事も原因の一つだった。仲間がいれば分担できた。

 

越村は事故の翌週同じコースに挑み、無事白川郷まで下山を果たしたという。

なんと言ってよいものか……まぁ、色んな意味で豪胆な人物。

 

 

北アルプス・奥穂高山 2011年10月』

宮本(26歳)は、二泊三日で奥穂高から西穂高への縦走を計画。

しかし二日目、穂高岳山荘に泊る予定を変更し、一気に西穂高山荘まで行こうと軽はずみに決断する。

そこに気のゆるみがあったと本人が言う通り、ジャンダルムを過ぎて間もなく、バランスを崩して5メートル程滑落してしまう。しかもその際、大きな岩に思い切り股間を叩きつけてしまった。激痛に耐えて恐る恐る見てみると、性器からは大量の出血が。

登り返す事はできないと判断した宮本は、再び滑落しそうになりながらも逆に下りていく事を決断した。二時間かけて開けた場所までたどり着いたところで、救助を要請する。

ちょうど岳沢小屋からも見える位置だったため、小屋の小屋番ともやり取りを重ね、寒さに震えながら一晩をビバークして過ごし、翌日ヘリコプターにより救助された。

 

  • 余裕をもった計画を
  • 滑落場所から降りる決断は、場合によってはより重大な事故につながった可能性も

 

本章は他の話に比べると「うっかり足を滑らして滑落し、救助された人の話」に漢字てしまうのですが、年間に何件も同じような「うっかり」で命を落とす人がいるという穂高岳あたりの山行というのはやっぱり怖いですね。

 

尾瀬尾瀬ヶ原 2010年1月』

社会人山岳部に所属する森廣信子(54歳)は、年末年始を利用してラッセルのトレーニングを目的に尾瀬へと向かう。

行程は尾瀬戸倉から入って尾瀬ヶ原を横断し、景鶴山へと登った後、外田代に下りて山ノ鼻から鳩待峠へ、というもの。

装備も経験も万端。本書の中で一番のガチクライマーと呼べそうな森廣は、しかし尾瀬で思いも寄らぬ大雪に見舞われる。

景鶴山の手前でビバーク中、あまりの降雪に撤退を決心する森廣。しかし、胸まで潜るような積雪に、一日で一キロそこそこしか進む事ができなかった。結局一日、二日と必死に進み続けるものの、下山予定日である三日には帰れなくなってしまう。

森廣にとっては雪によって計画が遅れているだけで、危険もなければ自分が遭難しているという意識も無かったのだが、事前に提出していた登山計画書を元に、麓では救助部隊が出動していた。

結果として下山予定日から二日後の一月五日、田代原のあたりを下りていくところを彼女を探して来たスノーモービルと遭遇。森廣は不本意ながら捜索隊に救助される事となった。

 

  • 本人的には遭難したつもりはないが、救助騒ぎに発展してしまった
  • 下山予定日・予備日の設定が身近過ぎたのでは
  • いずれにせよ無事で済んだのは良かった

 

この森廣氏、後に「会の代表に言われたから仕方なく提出したけど、こんな騒ぎになるなら出さなきゃよかった」と笑うような人物。

ベテランのガチ登山者とはいえ、いずれもっと大きな事故を起こしそうな予感しかしません。

 

 単独行についての是非

前回の『道迷い遭難』では、様々な遭難の中でも「道迷い」の割合が非常に多いというお話でしたが、では『単独行遭難』はどうなのかという点を、本書の最終章にあたる「単独行についての考察」から抜粋します。

 

 警察庁の統計によると、2002(平成14)年度の遭難者数は1631人で、死者・行方不明者は242人。このうち単独行での遭難者は381人、死者、行方不明者は100人となっている。その十年後の2011(平成23)年、遭難者数は約1.4倍の2204人、死者・行方不明者は約1.1倍の275人、うち単独行の登山者は約2倍に増えた761人、単独校の死者・行方不明者は約1.5倍の154人である。

 この数字からは、2011年の遭難者の三人にひとり(約34パーセント)が、死者・行方不明者に限るとその半数以上(約56パーセント)が単独行者だという現実が浮かび上がってくる。

 

遭難するのも、その結果として死者や行方不明となってしまうのも、単独行者の割合が非常に高いという事がわかります。

そのため一部都道府県や山岳地域では、「できるだけ一人での登山は避けるよう」呼び掛けているところも少なくありません。

それなのに、単独行を選ぶ登山者はむしろ増える一方。

 

本書の中でも触れられていますが、理由は明白です。

 

気楽だから

 

というのが一番の理由。

 

誰かと一緒だと何かあった時に安心と言えるかもしれない一方で、ペースが合わなかったり、性格が合わなかったりすると、せっかくの山行そのものが台無しに確立も高いのです。状況によってルートを変える、なんて事も一人ならなんの躊躇もいりませんが、複数だとそうは行きません。

これは山中だけではなく、下山後の行動も一緒です。お腹が空いていないのに付き合いで食事をしなければならなかったり、逆に温泉に入って汗を流したいのにできなかったりという残念な経験を持つ人も多いと思います。

 

自分と同じぐらいの体力の持ち主で、一緒にいて気が楽で……というパートナーが見つかる人はなかなか稀有だと思います。

複数での登山を選ぶ方は、感動の共有や何かあった時の安心といったものの代償として、様々な我慢を強いられていたりもするのです。

 

本書はそんな単独行のメリットとデメリット両面についてしっかりと触れられており、一概に単独行そのものを批判するものではありません。

むしろ本書を読む事で再度単独行のリスクを認識し、しっかりと準備や計画をもって登山に臨もうという登山者は増えるのではないでしょうか。

 

ヤマケイのドキュメントシリーズだけあって、今回も非常に勉強になりました。

 

 
 
 
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『ドキュメント 道迷い遭難』 羽根田治

 しかも、これからかかるであろうコストは、まったく道であるにもかかわらず、どうしても過少に評価しがちになる。人は、そこまでにかけてきたコストが大きければ大きいほど、これからかかるであろうコストを相対的に小さく考える傾向にある。来た道を引き返してまた最初からやり直すコストに比べたら、強引にでも下ってしまうコストのほうが小さいはずだと思ってしまうのだ。

羽根田治『ドキュメント 道迷い遭難』を読みました。

 

登山雑誌でも有名な山と渓谷社のレーベル「ヤマケイ文庫」からの作品。

僕も一応山歩きの愛好家として常々ヤマケイ文庫の作品に興味はあったのですが、ニッチな分野のせいか中古市場が値下がりせず、一般的な図書館にもあまり蔵書がないため、なかなか読む機会を得られずにいました。

 

ところが最近、ちょっとあるものに手を出してしまいまして……。

というのがこちら。

 


Kindle Unlimited!!!

 

常々気にはなっていたんですが、たまたま別に登録していたサブスクのサービスを解約したことも重なり、だったら月990円だし登録しちゃおうか、と。

新作の追加が遅いとか漫画が少ないとか色々と欠点も多いKindle Unlimitedですが、特に新作にこだわらない僕のような読書家にとってはあまり気にもならないんですよねー。

 

むしろ本作のように、今まで読みたかった本を手軽に読めちゃうというのはメリットだらけだったりして。

 

なのでせっかくKindle Unlimitedに登録したにも関わらず最初に選んだ本が、話題書や新作ではなく、本書のようなニッチな本になってしまいました。

ブログのPV数やアクセス数だけ考えれば、受賞作品や映像化作品だけを読んで記事にしていった方が圧倒的に伸びるのですが、当ブログに関してはもはや読書ノートの代わり・個人的な忘備録と化しているので、とにかく読みたい作品をを好きなだけ読んでいくことにしたいと思います。

 

道迷い遭難の7つのドキュメント

本書に収められているのは、登山に関わる様々な遭難の中でも昨今特に件数が増加している「道迷い遭難」にテーマを絞った7つの話。

社会派小説のような体裁でありながら、いずれも実際の事件を扱ったドキュメントです。

下記に概要を示します。

 

南アルプス・荒川三山』

 主人公は当時52才の島田。

 登山口のポストに投函した計画書には、三伏峠から小川内岳、板屋岳を経由して荒川三山まで、三泊四日の行程を記入していた。

 しかし、場合によっては赤石岳まで足を延ばし、小渋に下りることも想定。

 結局三日目の朝、荒川小屋で目を覚ました島田は雨のせいもり、小渋へ降りることにする。

 そうして広河原小屋まで差し掛かったあたりでおかしいと思ったものの、どうせ広河原まですぐだろうからとそのまま突き進む。やがて、沢を下って行った島田は高さ二メートルほどの滝に行く手を阻まれる。横に垂れていたワイヤーに掴まり降りるも、手を滑らし落下。降りた先は、滝の途中にあるテラスの上。

 上ることも下りることもできなくなった島田は、無謀にも5メートルほどの高さから滝壺へと飛び降りる選択をする。

 結果、左足の踵を圧迫骨折。

 満足に身動きもとれなくなってしまい、 その後救助隊が駆け付けるまで、九日間もの間を沢の中でビバークして過ごす事になる。

  • 登山計画の変更による捜索の難航
  • 雨の中ザックから出すのが億劫だからとせっかく携帯してきた地図を確認しない
  • 道迷いに気づいたのにそのまま突き進む
  • 怪我を顧みないほどの判断力の低下(パニック)

 幾つもの要因が積み重なった典型的な道迷い遭難。

 

 

北アルプス常念岳

 主人公は当時26歳の奥原。

 年末年始を利用し、三十日は中房温泉から燕山荘、大晦日は大天荘、元旦は常念小屋、二日に蝶ヶ岳ヒュッテ、三日に上高地という四日間の常念山脈単独縦走を予定していた。

 元旦、天候が回復するのを待ち大天荘を出発した奥原は、途中突風や予想外のラッセルに苦しめられながらもなんとか常念小屋に到着。しかしながら小屋の中も底冷えがひどく、寒さに震えることとなる。この時すでに、左手の指先は凍傷が侵攻しつつあった。

 翌二日、再び出発した奥原は常念岳の山頂に立ったものの、その後襲い掛かる強風に堪らず縦走路から外れた樹林帯へと逃げ込む。視界ゼロの中、胸まである積雪に埋もれ、方向すらも見失ってしまう。

 観念してテントを設営、雪の中でのビバークを余儀なくされる中、奥原は常念小屋へ引き返すのではなく、そのまま谷を下るという最悪の選択をしてしまう。深い積雪を進み、再びビバーク

 そうして一月四日、遂に目の前を深い滝に遮られてしまう。

 そこで奥原は、前出の島田同様、滝壺に飛び降りるという無謀な行動を取ってしまうのである。

 怪我こそ負わずに済んだものの、玄関の冬山で尻まで水に浸った奥原は、以後、さらにひどい悪寒に苛まれることになる。手足の凍傷も悪化の一途を辿る。

 

ムキになって力を入れた瞬間、左手の指先にプチッというような感覚を覚えた。はめていた手袋を取ってみると、中指と薬指の指先の皮と爪が剥がれ、肉と骨が見えていた。驚いて手袋を振ってみると、剥がれた皮と爪がぽろっと落ちてきた。

 

 まさに凄惨。

 その後も奥原は何度も滝壺にはまり、沢で足を濡らしながら進み、1月6日、ようやく横尾山荘に到着。誰かがデポしていった食料を口にし、薪に火を入れて誰かが来てくれるのを待つところを、蝶ヶ岳登山の帰りに立ち寄った飯塚夫妻に発見されることになる。

 飯塚が朝になるのを待ち、翌日救助要請に下りることに。

 悲惨なのはその夜。温まり、血行が良くなった奥原の足に激痛が走ることになる。

 

〈ゾウに足を踏みつぶされているような激痛で、とても我慢できるレベルではなかった。今度あの激痛が襲ってきたら、耐えられる自信はない。おそらく気が狂うだろう〉

飯塚と香代子は、とても寝るどころではなかった。香代子が言う。

「一晩中、悲鳴を上げてましたね。『もう切ってくれ~』って叫んでました。そんなに痛いものなのかなあって思いました。 

 

 救助ヘリがやってきたのは翌一月七日。

 ひと月の入院の後、足はなんとか助かったものの、両手の六本の指先を切断。親指と小指だけが残った。

 

 一話目同様、楽観視による行動がさらに悪い事態を招き、ドツボに嵌まっていくという象徴的な道迷いの話。

 

 

南アルプス北岳

 主人公は当時59歳の鶴田。

 9月1日、広河原から白根御池小屋に一泊、二日目は北岳山荘に泊るという二泊三日の単独山行を予定する。

 そもそもがこの時点で無謀な計画で、何しろ鶴田は北岳肩ノ小屋から山頂まで標準コースタイムの倍の時間を要するような体力の持ち主。一般的に登山ガイドに掲載されているような標準コースタイムは、標準と言いつつもかなり余裕を持った時間で計算されています。登山者の多くを占める中高年が歩いても、極端に時間を見誤る事の無い様、といえばわかりやすいでしょうか?

 にも関わらず、倍はかかり過ぎです。この時点で、鶴田にとって北岳は体力に見合わない無謀な挑戦だった事がわかります。

 なんとか北岳山荘にたどり着いたまでは良かったものの、隣の男性客のいびきがうるさく、疲労困憊の体に睡眠不足まで重なる。

 朝食もとらずに5時半に小屋を出発。ところが途中の標識を見て予定変更。水場までの行き止まりの道を近道だと思い込み、そのまま沢へと入って行ってしまう。そして足を滑らせ、3,4メートル滑落。

 道迷いに気付くも、体力の限界に近づいていた鶴田には、せっかく降りてきた一時間の道を登り返す事など考えられない。そのまま下り続けて行けば登山道に出るだろうと決断し、雨の中道なき沢を進む。

 やがて日が暮れ、ビバーク

 明けた翌日、大見直して斜面を登り返す鶴田。ところがあと10メートルも登れば尾根というところで、再び後戻りを始める。そのさ中、バランスを崩して再び滑落。以後は、沢を上流に遡るという行ったり来たりを繰り返す。

 さらには熊との遭遇。

 ビバークを繰り返しながら少しずつ沢を下った鶴田は、最終的にたまたま写真撮影のために皮を遡上してきた望月に発見される事になった。

 

 個人的に山登りに出掛けた際、誰もが知るような百名山でも、鶴田のような足取りの覚束ない高齢者が単独でヨロヨロと歩いているのを見る機会は良くある山登りは個人の自由ではあるが、自分の体力に合った山を選択するようにしたい。

 

 

『群馬・上州武尊山

 主人公は当時34歳の吉田香。

 尾瀬高原ホテルで働く友人、深田洋子の部屋を拠点に、吉田は上州武尊山へと出かける。

 季節は5月も末。山頂付近にはまだ残雪のある時期である。

 普段からマラソン等のトレーニングにも取り組んできた彼女は、どの山もコースタイムのほぼ3分の2で歩くことを目標とする健脚を誇る。

 穂高山山頂にも順調に到達するものの、その下山途中、「新緑と川の流れが美しく、ほんとに天国みたいなところでした」と言う遊歩道のようなきれいな川に迷い込んでしまう。本人は道迷いに気付きながらも、下って行く先に建物の陰が見えた事もあり、行けるのではないかと思い込んでしまった。

 沢はどんどん険しくなり、数メートル滑落。落ちた場所は7、8メートルの急斜面で沢の下流は崖。登り返そうと何度チャレンジしても這いあがれない。

 仕方なく、吉田はその場でのビバークを決断する。

 翌朝、何度目かのチャレンジでようやく斜面を上がったものの、上は背丈以上もある笹藪。藪漕ぎの繰り返しで遭難は3日目を迎え、一時は遺書を書くほどの弱気にも襲われた。しかし4日目、遂に吉田は自力で林道へとたどり着き、たまたま通りかかったバイクに救われたのである。

 吉田本人による反省は、「地図を携帯していなかったこと」と「下調べが不十分だったこと」。さらには以降はライターや発煙筒、テープを持参し、迷いそうなときにはテープでマーキングする習慣も身に付けた。

 

 いずれにせよ彼女の一番の失敗は、やはり「迷ったにも関わらず引き返さなかった」という点にあるだろう。先の三話同様、迷っている事を自覚しているにも関わらず引き返すタイミングを見失ってしまう事から、事態が悪化の一途を辿っている。

 原理原則として「迷ったらまずは現在地が確認できる場所まで戻る」は登山の鉄則である。

 

 

『北信・高沢山』

 主人公は当時45歳の高橋と、15歳の三女。

 5月24日、彼らは二人の姉と妻との計5人で、野反湖のハイキングに出発している。

 弁天山を過ぎた分岐で昼食の後、妻と上の二人の姉は「疲れたから引き返す」と湖畔の道を降り、高橋と末の娘だけが先の高沢山を目指す。

 想定外の残雪に驚くも、二人は問題なく高沢山山頂へ。その後、戻ろうか逡巡しながらもさらに先の三壁山を目指す事に。そのまま野反湖へ出ようと考えたのである。

 しかし残雪でわかりにくい上、登山コースではないテープにも気を取られ、二人はさらに雪深い北側の山中へと入って行ってしまう。やがて、足を滑らした娘とともに数十メートル滑落。ピッケルもアイゼンもない二人は登り返す事もできず、そのまま沢沿いに下りていく事になる。

 日没を迎え、二人はビバークを決意。

 翌日は雪渓を進む危険を察知し、藪の斜面を登り返す事に。

 沢を下っては行き詰まり、藪をこいで別の沢に出て再び降り始める。二人は実に三日間、山中でのビバークを余儀なくされたが、たまたまたどり着いた尾根で携帯電話の電波がつながった事で妻に連絡。四日目の夜も山中で明かした後、遭難五日目にして無事救助される。

 

 そう登山慣れしていない家族が、「低い山だから大丈夫」と下調べも装備も不十分なまま登山に出掛け、道迷いに遭うケースは昨今では増加傾向にあるように思えます。

 ましてや五月の末、残雪もある山を選択したのは完全に父親の失敗でしょう。実際下山した彼らは多くの報道陣に囲まれ、高橋は記者会見を行う事態に陥っていますが、まぁどんなに叩かれてもやむなしかな、と。

 

 季節が早すぎて、他の登山客がいなかったのも原因の一つかもしれません。もし慣れた登山者とすれ違っていたら、親子をひと目見て「引き返したほうがいいですよ」と忠告していたかもしれませんし。

 この親子は特に怪我もなく済んだから良かったものの、そのまま親子ともども帰らぬ人に……というニュースも少なくないですからね。

 家族の思い出を作るためのせっかくのレクリエーションなのですから、悲しい目に遭わぬよう準備は万端に、安全第一を心掛けて欲しいものです。

 

 

『房総・朝綿原高原』

 こちらの主人公となるのは月刊誌「新ハイキング」をきっかけとしたハイキングクラブの一行30人。

 中高年のパーティが大量遭難に陥るという、センセーショナルな事件。

 しかも舞台は房総。

 最高峰でも408mしかない千葉県内の低山歩きで起きたというのが特筆すべき点。

 時は11月の末、予定していたのは里川温泉から石尊山に登った後、札郷分岐、小倉野分岐、横瀬分岐を経て麻綿原高原まで、約四時間の行程。山歩きとして、四時間は決して長い道のりとは言えず、ちょっとした軽登山と言ってもよいレベルだと思われる。

 しかし実のところ、あまり標高の高くない低い山こそ道迷いが生じやすいのは登山者ならばよく知るところ。

 人里に近い山は、山菜採りやきのこ狩りの他、渓流釣りや林業従事者のような様々な目的の人々が入るため、獣道のような踏み跡があちこちにできていたりする。

 おまけにそれぞれがそれぞれの目的のためにテープを貼ったり、杭を立てたりといった事をするので、テープを目印に進んでいたらとんでもない場所に出てしまった……という事も少なくない。

 

 彼らもまた、三度道迷いを繰り返す間に日没を迎えることに。メンバーの中には疲れが見える人もいたため、ビバークを決意する。

 これまでの遭難例と大きく違うのは、彼らには余裕があったという点。

 道迷いといっても怪我を負っているわけではなく、深い沢の中で脱出できずにあがいているわけでもない。あくまで「暗くなってきたから」「これ以上歩くとけが人が出る可能性があるから」と、大事をとった選択がビバークだったというだけ。

 予定が変わり、心配する家族を思いながらも、彼らは枝を集めて焚火を起こし、思いががけないビバークを和気あいあいと過ごす事に。翌朝には沢から水を汲んで焚火を消し、痕跡を残さないようにと丁寧に片づけをする一幕も。

 翌日六時半に行動開始し、二十分ほど歩いて尾根に出たところで無線と携帯がつながるように。家族に無事を連絡できてほっとしたのものの、彼らの想像以上に、事態は深刻化していた。

 バスの運転手から通報を受けた鴨川警察署は捜索を開始し、警察官のほか、機動隊員や消防隊員も出動し、最終的には延べ三百人という大掛かりな捜索隊が出動していただ。さらに、ニュースを聞きつけたマスコミも続々と現地に。

 迎えに来た消耗団員とともに下山を始めた彼らと、いくつものテレビカメラが待ち受ける。朝綿原高原ではさらに大勢の報道陣が殺到し、彼らにマイクを突き付け、質問と非難とを次から次へと浴びせかける。

 

 最終的には、リーダーである島田とサブリーダーの二人が、記者会見を行う事に。

 会見の場では彼らに情け容赦ない批判がぶつけられ、島田が半ば逆ギレしたことでいよいよ炎上。彼らにとっては遭難といっても特段危険があったわけではなく、あくまで大事をとって一晩山の中で明かしたというだけ。捜索隊などなくとも難なく自力で下山できたという認識なのだから、自分達のあずかり知らぬところで話が大きくなっている事が疑問でしかなかったのだろう。

 

 ただし、後日島田自身も後日自分の非を認める発言もしている。

 下山日時がズレるのは山登りにつきものとはいえ、大勢の山行である以上、そうした場合の対処法や連絡手段を決めておくべきだったと思われる。

 11月末とはいえ、山慣れしている人にとって16時や17時の夕暮れぐらいであればまだまだ行動できる時間帯。みんなにビバークを命じる一方、リーダーなりサブリーダーなり、選抜した一人ないし二人に、先行して山を降りさせるという事だって考えられる。もし本当に自力下山の自信が百二十パーセントあったというのであれば、個人的にはそうすべきだったと思う。

 そうして警察なり関係者なりに状況説明ができていれば、そこまで大事にはならずに済んだであろう、と。

 深刻な遭難事件ではない一方、色々と教訓も多い話。

 

 

『奥秩父・和名倉山』

 主人公は当時38歳の尾崎葉子。

 ゴールデンウィークに合わせ、4月29日から2泊3日で和名倉山へ登る計画を立てる。

 新地平から笠取山を経て将監小屋で一泊、翌日は和名倉山をピストンして将監小屋でもう一泊。飛龍山から丹波へ下山しようというのがその計画。

 しかし、出発当日、踏切事故により足止めをくらい、しょっぱなから計画が狂ってしまう。

 バスの時刻が合わないため、翌日出直すことに。

 となると行程自体が合わないため、1泊2日に練り直す必要があります。そこで、難路で情報は少ないものの、和名倉山からそのまま秩父湖へ抜けるコースへと変更することに。

 

 和名倉山までは特に問題なく進んだものの、さらにその先で、尾崎は視界の効かない笹藪に苦しめられる。ときどき笹につけられたテープを目印に辿って行くが、実はこれは沢登りの愛好家が勝手に設置した正規の登山ルートへ出るための目印だった。

 この辺りは沢登りの人気ルートとなっていて、あちこちに登山者のテープと、沢登りのテープが入り乱れる状態になっていたのだ。

 尾崎は知らず知らずのうちに沢へと導かれてしまったのである。

 ここまで取り上げられてきた道迷い同様、尾崎もまた、道迷いに気付きながらも予定通り下山したい一心で、そのまま沢を下る決断をしてしまう。ところどころテープがあり、そこはまだ登山道だと信じて疑わなかったが、たまたま現れたロープにコブが結ばれていないのを見て、自身も沢登りの経験がある尾崎は正規ルートではないと気づくに至った。

 登山ルートではなく、沢登りのルートだとしたら下れない、と確信したのだ。

 沢を離れ、できるだけ尾根筋を選んで下って行く。しかし、辿りついた枝尾根の末端が崖になっているのを見て、尾崎は再び自分の失敗に気付く。

 崖の下は秩父湖

 道路は対岸にあり、そこに下りるためには橋が架かっているところに出る必要があった。

 愕然としつつも、現在地を把握した尾崎はやむなくビバーク。翌日はひらすら目指すべきルートを進み、正規の登山道に出る事ができた。彼女の遭難はすでに通報され、捜索隊やヘリコプターが出動する事態に発展していたものの、彼女は自力下山を果たしたのである。

 

  • 急な日程変更による事前情報の少ないルートへの変更
  • 山行計画を誰にも知らせていなかった
  • 登山地図における破線ルート(難路)のレベルの読み違い 

 

山崎は登山者としては非常に高い技量と経験を持つ人物であったにも関わらず、このような窮地に陥った点はよくよく理解すべきだろう。

これまでのケースでもあったが、あまり人気のないコースというのは特に気を払う必要があるように思える。事件が起きるのはそういったルートばかりだ。

登山者が多ければ自然とルートファインディングも楽になるし、仮に事故や道迷い、熊の出没などがあったとしても、互いに助け合いや情報交換をすることもできる。

よっぽど自信or怪我や遭難しても平気だという覚悟がない限り、あまり人が通らないようなルートは避けたほうが良い。

 

 

yamap

非常に教訓の多い本書ですが、最後に個人的にお知らせ。

スマートフォンが世に出て以降、登山アプリも多いのですが、昨今一番利用者が多いと思われるのがこの「yamap」。

上の作中にもたびたび登場したコースタイム入りの登山地図を無料で閲覧・ダウンロードできる上、山登りの最中にはスマホGPSにより実際に登山地図上で現在地を確認しつつ、歩いてきたログを記録する事ができます。

 

この「ログを記録する」というのがアナログな登山地図にはない部分。

紙の登山地図の場合、二次元の地図と目の前の風景や道標を参考におおよその現在地を自分で推定しなければなりませんが、yamapに関しては要するに車のナビゲーションシステムと同じなので、一目見ただけで現在地がわかります。

現在地が登山道から外れているかどうか迷った際も、考えるまでもなく一目瞭然で確認することができるのです。

 

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上は実際に記録中のスマートフォンの画面です。

市街地なので登山ルートはありませんが、画面下部に歩き始めてからの時間や距離、さらに標高まで表示されているのがわかります。

 

現在地だけではなく、標高までわかるというのがこれまた便利で、標高〇〇mの山に対し、自分がいまどのあたりまで登ってきているのか、あとどのぐらいの高さを登らなければならないのかがわかります。

地図を上から見下ろした水平距離と、標高差による垂直距離まで、かなり正確に自分の現在地を把握できるのです。

 

さらに、実際の山行時には歩いてきた道のりも青いラインで表示されていきます。

なので道迷い等によって引き返さなければならない時も、容易に自分の足取りを辿る事が可能です。

 

いつの間にか往路とは別の道に入り込んでしまい、気づかぬまま進んでしまった。一体どこで間違えたのか、どのぐらい戻ればいいのかといった疑問も、GPSのログがあればすぐ確認できますね。

僕の例でいえば、一度だだっ広いガレ場の中で深い霧に包まれてしまい、完全に方向感覚を失ってしまった事があります。その際はひたすらスマホの画面と照らし合わせながら目標物のある場所まで移動する事で事なきを得ました。

 

「山に行く際にはちゃんとした登山地図を!」

と昔ながらの教訓として唱える人はまだまだ多いですが、使いこなせもしない地図やコンパスを持っていたところで何の意味もありません。

もちろんスマホを故障や紛失してしまった際に供えて紙の地図を備えておくに越したことはありませんが、個人的には普段使いとしてyamapのようなスマートフォンアプリの活用を強くおすすめします。

 

なお、yamapでは記録をサイト上に残し、広く公開するというブログのような使い方も可能です。

公開せずとも、記録を終えた時点で自動的にデータはサイト上にアップロードされますので、個人的に見返して後から見返す事も可能です。

 

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上は山形県の月山に登った際のもの。

登山地図上の青いルートが実際に歩いたログ。

その他タイムや標高差、消費カロリーなども記録されているのがわかります。

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こんな風に、各ポイントごとのタイムもわかりますので、後々振り返る事も容易です。
実際にこれらの記録は、行方不明になった遭難者の足取りを追う際に活用されたりもしているようです。

 

活動データの地図の中にはカメラのマークがたくさんありますが、こちらはスマホのカメラで撮影したポイントを表わすもの。

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画像も活動記録と合わせてサイト上に保存され、しかも地図上のどの場所で撮影したかまでわかるという具合です。

こうなると他の人の記録を見るのも楽しくなってしまいますね。

 

さらにさらに付け加えると、yamapの登山地図は無料でダウンロードする事が可能です。

登山という性質上、携帯電話の電波が届かない山もまだまだ多いのですが、事前に地図をダウンロードしておけば当日は電波がなくても問題なく動作してくれます。

本来であれば道の駅やビジターセンター等で無料の地図を探すか、書店でなかなかの値段がついた専用の地図を購入しなければならない事を考えると、無料で地図が利用できるのはかなり画期的ですよね。

 

登山を計画する段階でyamapの地図を開き、ルートやコースタイムを確認し……という登山者も、現在ではかなりの数存在するはずです。

 

そんなわけでかなり蛇足が長くなりましたが……遭難を防ぐための一つの予防策として、僕はスマートフォンアプリ「yamap」をおすすめしたいと思います。

山であろうと、というよりも、山だからこそスマートフォンは誰しもが必ず携帯しているはずなので、せっかくだからアプリを利用してより便利に、安全に山登りを楽しみましょう。

 

ただし、バッテリーの消耗は気になりますので、必ず予備の充電器を忘れずに。

 

 

 
 
 
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