「やっぱり、冒険よね、
人生に必要なものは。」
120年後に作動するという絡繰りを探るという謎に対し、旧家ご令嬢二人と理系男子二人が挑む。
簡単に言うと『カクレカラクリ』はこんな感じ。
元々デビュー作である『すべてがFになる』を読んで以来、僕には一つの疑問がありました。
とんでもないお嬢様西之園萌絵、優秀過ぎる犀川創平、人間離れした真賀田四季博士、濃すぎるキャラの国枝助手。
これって
……ラノベっぽい。
綾辻行人を筆頭とする新本格推理ブームがひと段落した頃、彗星のごとく現れたのが理系ミステリの旗手こと森博嗣だと記憶しています。
思い起こせば新本格推理作家として次々と文壇デビューする若手作家たちに例外なく突き付けられた批判の矢と言えば、「人間が描けていない」という点。
江戸川乱歩や横溝正史から始まった「謎」を主とした推理小説に、松本清張らが現代社会の闇や時事を持ち込んで社会派推理小説へと昇華させました。少年小説やパズルゲームの延長でしかなかった推理小説を、松本清張が文学として認知させたのです。
そうして築き上げた文学としての地位を、再びパズルゲームに貶めるのか、というのが批判の大部分だったと認識しています。
新本格推理は完全に「謎」メインの作品ばかりでしたからねー。
それが良かったんですけど。
森博嗣はそれを逆手に取ったと言えます。
そもそも文学的である事を捨てたんです。
アニメのようなキャラクター造形を持ち込んで、一般大衆向けのエンターテインメントとして地位ではなく人気を手に入れた。
京極夏彦も同じように言えると思います。京極堂や榎津なんて明らかに現実離れしたキャラクターですから。
森博嗣は「理系」、京極夏彦は「怪奇系」なんて分類されたりしますが、僕からすると違います。どちらも従来の推理小説からより「エンタメ色」「キャラクター色」を濃くした作品なんです。
……推理小説について書きだすと長くなるのでこのへんでやめておきますが。
さて、本作『カクレカラクリ』に戻ります。
ただ、正直そんなに書く事もないんですよね。
人が死にません。
理系の坊ちゃん型もただただ穏やかな性格です。
コカ・コーラタイアップなので所々にコーラが登場します。
ほのぼのとした雰囲気のまま、推理を楽しめます。
のけぞるような謎かどうかは……読んでみてのお楽しみ。
僕はちょっと違った意味でのけぞりましたけど。
それにしても森博嗣、大量に本は出しているけど『すべてがFになる』以来これといってヒット作を聞かない。
僕もS&Mシリーズすら全部読めていないのだけど。
いずれ犀川と萌絵の結末ぐらいは見届けなくちゃならないと常々思っています。