疲れるのでは――という予感がある。本も読めない気がする。しかし、書籍は常備薬と同じだ。手の届くところに活字がないと不安になる。
とか言って、荷物てんこ盛りのザックにわざわざ本を(しかも2,3冊!)詰めてしまうのが本書の主人公。
でもまぁ、同じように本も読み、山も登る人間としては大いに共感してしまったりもします。
僕にとって本は常備薬というより、水筒に詰めた飲み物みたいなイメージですけど。
水分や食料と一緒で定期的に活字を摂取する感じですね。
……のっけから余談に逸れましたが、今回読んだのは北村薫の『八月の六日間』。
40代独身の女性編集者が、五つの山に登る山行の連作短編形式の物語です。
“日常の謎”の生みの親
今や大人気の米澤穂信をはじめ、推理小説の一ジャンルとして確立した感さえある“日常の謎”。
もう少し間口を広げて“ライトミステリ”なんて呼び方をしたりもしますが。
その生みの親こそが北村薫。
先日長々と書いてしまった「新本格ムーブメント」のさなかにデビューした北村薫が、デビュー作『空飛ぶ馬』で投じたのが“日常の謎”でした。
人も死なず、刑事も警察も名探偵も登場せず、日常の中で起こる不可解な謎に主題を置いた北村薫は、新鮮さと驚きをもって推理小説の世界に迎えられていったのです。
僕の持論としては綾辻行人から始まる新本格推理小説の作家陣から、密室・名探偵といった従来の本格推理の枠を飛び出そうとデビューしてきたのが麻耶雄嵩や二階堂黎人で、実際に殻を打ち破る役目を果たしたのが京極夏彦であり、森博嗣だと思っています。
それぞれ“妖怪”や“理系”といった本格推理+αの要素を加えて、市民権を得られるエンターテインメントに昇華させていった、と。
でも考えてみると、誰よりも先に本格推理小説の新境地を切り開いた人間としては、北村薫を挙げるべきでしたよね。
“日常の謎”よりも何よりも、推理小説に従来とは異なる要素を加えた先駆者と呼べるかもしれません。
そうしていつの間にか、北村薫は推理小説出身ながら第141回直木賞を受賞する程の市民権を得る作家となっていたのでした。
……ちなみに僕、そう書いておきながら直木賞受賞作である『鷺と雪』はまだ未読だったりします。
全三作の『ベッキーさんシリーズ』の三作目とあって、どうせ読むのであれば最初から読まないとなぁ、と思っているうちに時間が過ぎてしまった感じです。
いい加減、読まないとなぁ。
比較的ライトな登山
一応本書のタグとして「山岳小説」を入れたのですが……。
もしかしたら山岳小説ファンの方には怒られてしまうかもしれません。
実際に本書、硬派な登山者からは叩かれたりもしているようですので。
というのも、本書で書かれている山行はかなりライトな登山です。
率直に言えば素人っぽい、歯に衣着せずに言えばある意味では無謀な登山が書かれています。
上記のような硬派な登山者からは「こんなの真似する奴が出てきたらどうするんだ」といった厳しい意見もあるようです。
特に登山計画――日程や行動時間、自身の体力の捉え方等、といった部分が批判されているようですね。
擁護する訳じゃないですけど、別にしっかりと模範的な登山の物語を書こうとしたわけではないのでしょうから、個人的には別に問題ないと思うんですけど。
実際山に行けば、この人大丈夫かな?と心配になってしまうような人もたくさんいます。
地図も何も持たず、無邪気に「ここからどっちに行けばいいですか?」なんて聞いてくる人はザラですし、人気もなく、遅い時間に頼りない足取りで「今日は○○小屋まで行くんだよー」なんてニコニコ言うおじいさん、おばあさんも多いです。その足取りじゃ日が暮れちゃうんじゃないかな、なんてその都度心配になります。
批判する方は実際にそういった楽観的な、逆に言えば無計画な登山者に会って肝を冷やした経験があり、その上で怒っているのかもしれません。
とはいえしっかり計画して経験も積んだ上級者しか山登りを楽しんではいけません、なんていうのも本末転倒ですしね。
とにかく僕としては、もっともっとたくさんの人に、気軽に登山を楽しんでほしいと思うわけです。
その意味で本書はもっと評価してあげたいですよね。
硬派な山行を読みたければ、『孤高の人』や『神々の山嶺』をはじめいくらでもあるわけですし。
山と向き合う中で起こる感情の変化
その上で本書の読みどころとしては、上記のような事になろうかと思います。
一人の女性が、忙しい日々の中でスケジュールを調整しては、度々山へと出かけて行く。
準備や実際に登山の楽しみはもちろんですが、それまでの日常の中で様々な出来事を経験しているわけです。
仕事上、プライベート上、悩みや苦しみ、悲しみもあれば楽しかった事もある。
登山をしていると、たった一人で黙々と歩みを進める中で、そんないろいろな心の変化に向き合わざるを得なかったりします。
日常的に周囲を取り巻く情報や雑音から隔離されて、じっと自分と物言わぬ自然と向き合っているうちに、喉に引っかかった魚の骨のような記憶がいつの間にか溶けてしまったりする事もあるのです。
本書の主人公も、山に登りながら、様々な出来事に想いを馳せます。
そんな心模様こそが、本書の読みどころなのです。
よし、山へ行こう!
読む前からわかっていた事なんですけどね。
こういう本を読むと、無性に山登りに行きたくなってしまうんです。
奇しくも今週末は三連休。
どうやら台風も通り過ぎて、週末は天気も悪くなさそう。
なので久しぶりに山登りに行って来ようと思います。
どの山にしようか、と迷うところからが登山の楽しみとも言えると思うんですが……かねてより行きたいと思っていた尾瀬の至仏山に行ってみようかと思っています。
しかも日帰りの弾丸強行スケジュール。
今から楽しみで仕方がありません。
早く行きたい~。