近づいて、フカシとヨーコが手を振ると、西之園萌絵は、両手を顔の横で広げてみせた。人類は十進法を採用しました、というジェスチャではない。
以前他の記事で書いたのですが、僕は綾辻行人をはじめとする“新本格ブーム”で推理小説に嵌まり、新旗手として登場した京極夏彦・森博嗣のブレイクについていけず、推理小説から離れて行った人間です。
そこから何年もの年月を経て、たまたま手に取った米澤穂信『インシテミル』で推理小説熱を刺激され、再び推理小説を読むようになりました。
森博嗣単体で言えばデビュー作である『すべてがFになる』しか読んだ事がなかったのですが、改めてS&Mシリーズを順を追って読んでいるところです。
と言っても前作『封印再度』を読んだのが2017年2月ですから、牛歩のごとくゆっくりとしたペースで追いかけている事になりますが。
森博嗣初の短編集
ただただ刊行順に『封印再度』の次は『まどろみ消去』というだけで購入して積読化していたのですが、読み始めて初めて気づきました。
これ、S&Mシリーズじゃないんだ……。
短編集の認識はあったのですが、てっきりS&Mシリーズの短編集だとばかり思い込んでいました。
11作の短編の中でS&Mシリーズに関わるのは2作のみ。
後は全く関係のないオリジナル作品となっています。
以下、ざっくりあらすじ。
『虚空の黙祷者』
夫が殺人容疑を掛けられたまま失踪して5年、仕事の都合で引っ越しの機会を手にしたミドリは、夫の友人であり被害者の息子である住職に挨拶に向かう。家を処分するというミドリに対し、住職は自分が買うと言い、さらにはミドリにプロポーズを告げる。
『純白の女』
人里離れた屋敷にやってきたユカリが散文的に夫に向けて日々の生活や想いを綴っていく。「夫は殺人を犯した」と言う彼女の真意は。
『彼女の迷宮』
サキは作家の夫が海外出張に出ている間に、勝手に夫の物語を好き勝手な内容に書き換え発表してしまう。帰宅した夫に咎められた、彼女がとった行動とは。
『真夜中の悲鳴』
泊まり込みで卒業研究に没頭する大学院生のスピカは、実験の中で不可解な現象が起きている事に着目する。解明を目指す彼女の身に、恐ろしい事件が迫り……。
『やさしい恋人へ僕から』
同人活動をする僕の前に、ファンだというスバル氏が現れる。スバル氏は僕の家に転がり込み、なし崩し的に一緒に日々を過ごす。
『ミステリィ対戦の前夜』 ※S&Mシリーズ
ミステリィ研究会の創作ミステリ発表合宿に参加させられた西之園モエ。その夜、みんなが寝静まった頃、一人酒を飲む部長の岡部から勧められ、焼酎を口にするモエ。その焼酎には薬が混入されており、目を覚ましたモエの前にはナイフが突き刺さったまま絶命した岡部の姿が。
『誰もいなくなった』 ※S&Mシリーズ
ミステリィ研究会が主催したミステリィツアー。屋上に見張り役を置き、ツアー一向が近くのマンションの屋上から見下ろしたところ、たき火を囲んで踊る30人のインディアンの姿が。ところが戻ってみるとインディアンはおらず、見張り役たちは誰も出入りしていないと証言する。インディアンたちはどこから現れて、どこに消えてしまったのか。
『何をするためにきたのか』
平凡な学生生活を送るフガクの前に現れるワタル。フミエという女の子、ゲンジという坊主が次々とフガクの元へとやってくる。大学の隣の空き地から地下へ降りる階段を進み、広がる迷宮の中には魔物が現れ……。
『悩める刑事』
夫の仕事の話を聞きたがる推理小説マニアのキヨノに求められるまま、夫であるモリオは殺人事件の様子を披露する。
『心の法則』
モザイクアートが趣味のモビカ氏の元を訪れる僕。そんな僕に、モビカ氏は歯のような大きさの石が欲しいと言う。
『キシマ先生の静かな生活』
犀川先生と並ぶ変人助手、キシマ先生に盲信する僕。キシマ先生はどうやら計算機センタの沢村さんに想いを寄せているよう。
やっちまったな
この本のすごいところはですね……どうしようもないやっちまった感で満載なところです。
簡単に言うと、よく本出版できたなというレベルで残念な作品でいっぱい。
どの作品も一般的な短編推理とは違います。
遠からず近からずなところで乙一の『GOTH』に近いものがあるかな。
あんまり言うとネタバレになってしまうので控えますが、いわゆる文章だったり、視点だったり、妙なところにトリックが仕掛けられている系の作品ばかり。
ただ、遠からず近からずと言ったのは……スゲー下手くそです。
一読しても意味のわからないものばかり。
驚いて前のページを見返す……というのではなく、「はぁ?」とあきれ返る感じ。
でもってちゃんとオチがあればいいのですが、「オチがないのがオチ」的なメタ系作品もあったりして。もう勘弁して、状態。
当時、森博嗣は妙に人気ありましたからね。
本を出せば売れる、雑誌に掲載すればその雑誌が売れる、という状態だったのでしょう。
内容に関わらずとにかく書け、とにかく出せ、とにもかくにも世に送り出せというバブリー状態で出されたのが本作だった、と。そんな大人の事情が透けて見えるクオリティです。
森博嗣という人気作家の名前に釣られて本作を手にした人は、どんな気持ちだったんでしょう。仮に本作が森博嗣に触れる最初の作品だったとしたら……と想像するだけで寒気がします。
実際こうして水準以下の作品を量産していった結果、森博嗣の名前はどんどん出版界の中で下火になっていってしまったのでしょうね。
前述の通り僕はようやくS&Mシリーズを追いかけ始めた段階で、その後発表されたGだのVだのスカイクロレラだのというシリーズに関しては予備知識すらない状態です。いずれS&Mシリーズを読破した後にはそれらの作品にも手を伸ばしたいと思ってはいるのですが……特に話題になったという作品も聞かないだけに、怖い気もします。
森博嗣の代表作って、どんなに作品を出しても未だに『すべてがFになる』のままですもんね。
『封印再度』までは(『すべてがFになる』のインパクトには劣るとしても)それなりに楽しめてこれただけに、先が心配になります。
いくらなんでもこんなにひどい作品を出しているとは思わなかったなぁ。