「泣かないのもそのためだ。わたしが泣いたら全部、本当のことになってしまう。だから泣けないのだ」
本作『スキップ』は北村薫の人気シリーズ「時と人三部作」の第一作目になります。
十年以上が経っての再読となるのですが、残っているのはじんと胸に響くような話だったという感覚だけで、肝心の中身についてはほとんど記憶から消えてしまっていました。
そもそも北村薫という作家について説明すると、その昔、新本格推理ブームの頃に綾辻行人・法月綸太郎・我孫子武丸・歌野晶午・有栖川有栖といった作家とともにデビューしたのが北村薫。レーベルも創現推理文庫という当時はかなりマイナーなレーベルでした。確か島田荘司か綾辻行人のあとがきか解説、エッセイで名前を知り、北村薫を手に取った僕はあまりのテイストの違いに驚きました。
人の死なない推理小説――今で言う米澤穂信にも繋がるいわゆる「日常の謎」というジャンルの草分け的存在がこの北村薫です。
さらに北村薫が推理小説とは異なる物語にチャレンジしたのが「時と人三部作」。
三部作ともに、その名の通り“時間”と“人”をテーマとした作品になっています。
第一作目となる『スキップ』は高校2年生17歳の真理子が、昼寝から目覚めると25年後の世界に飛んでしまうという衝撃的な話。よくあるタイムトリップやタイムトラベルとは異なります。真理子自身も25年分成長しており、結婚して夫も子どももいる主婦になってしまっているのです。17歳から42歳へ。青春の最も輝かしい時代であろう25年分の人生をスキップしてしまった事になります。
真理子がスキップした原因は何なのか。元の時代に戻る事はできるのか。
推理小説やSF小説であれば上記の謎解きがメインとなるでしょう。きっと何かのショックで25年の記憶を失ってしまったとか、そのトリガーは夫の不倫だったりするんじゃないかなんて。ついついそんなベタでどろどろしたストーリーを思い描いてしまいます。
しかし、これは推理小説ではありません。その事を認識させられたとき、僕らは傷つき、愕然とせざるを得ません。
本作で真理子は失われた年月の大きさを思いながら、突然の環境の変化に戸惑い、迷いながらも、それでも前向きに生きていこうと真理子は決意して生きていきます。ひたすらにその様子が描かれるだけです。
……すごく、胸を打たれます。
読んだ後、なんともい言えないやるせない気持ちにさせられます。
この先、残りの二作を読むのが恐ろしく思えるほどのやるせなさです。
勘違いして欲しくないのですが、決して悪い作品ではないんです。むしろ名作と言ってよいでしょう。発表後20年が経とうというのに、色褪せる事もありません。
また、北村薫さんは文学部出身の元高校教諭とあって、表現の鮮やかさも特徴の一つです。
「クレヨンで描いたような明るい柄のセーターに青磁のスラックス」
「机から顔を上げ、虹色のうさぎでも見るような目で、こちらを見た」
「その言葉が唇からもれた瞬間、わたしの体の芯を、どうしようもなくせつないものが、流れ落ちるように素早く走り抜けた」
さらに作中には『君の名は』という作品が登場しますが、これは昭和に流行したラジオドラマだそうです。
松竹による映画化では“真知子巻き”を流行らせたそうです。
同名の映画でそれぞれ違った流行をもたらすなんて面白いですね。
こういった薀蓄に出会えるのも読書の醍醐味の一つだと思っています。
ぜひ一度読んでみる事をおすすめします。