好きになったら、運よくたまたま男だったっていうだけよ。二分の一の確率。あたしの言ってる意味、わかる?
第6回小説すばる新人賞を受賞した村山由佳が、『天使の卵―エンジェルス・エッグ』に続いて集英社から発表した2作目がこの『BAD KIDS』。
20年近く経ち、改めての再読です。
男と女、二人の高校生を主人公とした愛と性の物語
写真部の部長、都。
ラグビー部の隆之。
この二人が主人公で、それぞれの視点から交互に物語は紡がれている。
都は学園祭で自分の「事後」っぽい写真を展示して物議を醸すような不良とはまた違った意味での問題児。隆之の写真を撮るのが好きで、その為に隆之が胸に秘めたある想いすら切り取ってしまう。それは……
同性であるチームメイトへの恋
隆之は同じチームメイトに恋心を抱いていた。
都が写し出した写真から、秘めていた感情を都に見抜かれてしまった事に気づく隆之。当初は都にたっぷりの羞恥心を覆い隠すような嫌悪感を示したものの、都もまた20歳も年上のカメラマンとの複雑な恋を抱えている事を知り、お互い寄り添い、助け合うように交友を深める事となる。
あの文化祭の日からひと月半しかたっていないのに、僕は彼女の精神的なバイオリズムが完璧につかめるようになっていた。都も、たぶん同じだと思う。
理由はまったく単純だった。
僕らは、同類だったのだ
恋人でもないのに、なぜか寄り添ってしまう男女。
若かりし頃には誰しも経験のある関係かと思います。
今思い返すと甘酸っぱいような気持ちになりますが、当時は仲の良かった女友達との関係に重ね合わせて、深く共感したものでした。
それぞれが迎える決断のとき
やがて二人は、自分の恋にけじめをつけようと決心します。
なんともやるせなく、切なくなるような場面が続きます。
特に年上のカメラマンに翻弄され、都が心身ともに揺さぶられてしまう様は、僕にとって非常に心苦しいものでした。
無理やりにではあっても、彼があたしに言わせた言葉のほとんどはまぎれもない事実だった。事実と違うものがあるとすれば、それは、別れたことを後悔しているという言葉だけだった。あたしが後悔しているのは、彼と別れたことではなくて、出会ったことだったからだ。
はじける瞬間、北崎は最後に一度だけ、「都」とあたしの名前を呼んだ。たったそれだけのことに、あたしは息が詰まるほどの屈折した満足を覚えた。
北崎は、自分のものじゃなくなったから、またあたしが欲しくなっただけなのだ。あたしに対する影響力がまだ有効かどうか試しに来て、結局大いに満足して帰って行っただけのことだ。
読書ノートに残した引用を書き出すだけでも、ため息が出るくらい投げやりで諦観的な言葉が続きます。
都はまだ18歳の高校生なのを思うと、なおさらです。
作中で都とカメラマンの関係は「ヤマアラシのジレンマ」と現されます。
「互いに寄り添い合おうとすると、自分の針毛で相手を傷つけてしまうため、近づけない」なんて、悲しすぎる関係だと思いませんか。
王道の恋愛小説、そして官能小説作家の片鱗
改めて読み返してみると「こんなに軽かったっけな?」と疑問に思ってしまうぐらいあっさりと読めてしまいました。
当時読んだ程の衝撃はありませんが、やはりこれはこれで良書だと思います。思い出補正も若干あるかもしれませんが。
『ダブル・ファンタジー』のブログにも書きましたが、この作品を最初に読んだ時、僕はまだ都や隆之と同じぐらいの年齢でした。だからこそ、彼らの痛みや苦しみが本当によく理解できて、感情移入しまくってしまいました。
今読み返してみると、『天使の卵―エンジェルス・エッグ』の解説で書かれていた通り、確かに“ベタ”です。「恋愛」と「青春」と言えばもれなく付いて来るようなテーマで作り上げられたような小説です。更に言えば「不良に襲われている女の子を身を挺してかばう男」という昭和チックな展開までしっかりと盛り込まれています。
でも、当時はそれが良かったんです。
“ベタ”を“ベタ”として定石どおりに、まっすぐな「王道の恋愛青春小説」を書いてくれる事こそが村山由佳という作家の良さでした。
尚、『ダブル・ファンタジー』以降は官能小説として新たな境地を見せる村山由佳ですが、本書の中にもしっかりとその片鱗は見えています。都と北崎の性描写は十代の頃は赤面せずにはいられないぐらい生々しいものでしたし、都と隆之の間に交わされるちょっとした慰め合いのような描写についても、当時はかなり衝撃的だったものです。
その辺りはご自身で読んでお確かめになって下さい。