いじめかセックス。これが子どもの自殺の重大な動機であることはまちがいない。
宗田理です。
思い起こすだけで、感慨深くなってしまいます。
というのも宗田理の「ぼくらのシリーズ」は僕が小学校時代にがっぷりとのめり込んだ作品でもあるからです。
本を読む楽しさを教えてくれたのも、「ぼくらのシリーズ」でした。
様々な倫理上の観点から今では地上波放送される事もない映画『ぼくらの七日間戦争』が夜のロードショーで度々放映去れていた頃。
子どもたちが大人を相手に戦い、最後には戦車に乗って町を暴走する姿は子供心をがっちりと掴み、離さない魅力がありました。
たまたま兄がシリーズ作品である『ぼくらの最終戦争』を買ってきたのを期に、「ぼくらのシリーズ」との付き合いが始まりました。
『ぼくらの七日間戦争』から、シリーズ全巻を貪るように読み始めたのです。
本作『ぼくらの天使ゲーム』は『ぼくらの七日間戦争』に次ぐシリーズ二作目。
当時はまだシリーズ化は予定しておらず、あくまで『七日間戦争』の続編として書かれた本だったそうです。
廃工場に立てこもり、大人たちと明るく楽しく、壮絶な戦いを広げた「ぼくら」のその後へと繋がるターニングポイントと呼べる作品です。
コミカルとシリアスの両立
『ぼくらの七日間戦争』しか知らない方も多いと思うのですが、その後彼らは二学期に入ってすぐクラス替えによりバラバラにされてしまいます。
当然の事ながら、年度中のクラス替えなんて普通ならばあり得ない話ですが、彼らのやった事を考えれば仕方のない処置ともいえます。
首謀者の少年院行きや保護観察処分、全員が別の学校へ転校させられてもおかしくはない事態ですよね。
しかし彼らは早速始業式の日に河川敷に集まり、新たな悪戯の打ち合わせを行います。
そこで発案されるのが「天使ゲーム」。
「一日一善運動」と題し、みんなで親切なことをしようというものです。
ところが彼らの事ですから、普通に大人の喜ぶような事をするはずがありません。
父親の煙草を水浸しにしたり、酒にしょうゆを入れたり、ひどいものになると親が夜中にSMプレイを楽しんでいるところを警察に通報したりします。
「善意でやっているから正面から怒るわけにもいかない」という大人の微妙な立場を上手く利用した悪戯です。
なかなか面白いことを考えますよね。
しかし途中から物語は思わぬシリアスな展開を迎えます。
三年生の先輩が妊娠してしまい、親には言えないので、産婦人科の息子である柿沼に彼氏だと偽装してもらおうというのです。
先輩の両親には隠し通したまま、中絶手術をしようという面々。
しかし先輩は「赤ちゃんを産む」と言い出し、失踪したかと思うと、校舎の屋上から投身自殺をしてしまいます。
序盤の大人に悪戯をして楽しむ子どもたちと同じ世界とは思えないような暗い展開です。
このコミカルとシリアスの両立こそが、宗田理の醍醐味でしょう。
一方で、同級生の朝倉佐織の父親が経営する銀の鈴幼稚園はヤクザの嫌がらせにより倒産の危機に。
となりにある永楽荘アパートもヤクザに立ち退きを迫られ、石坂さよというおばあちゃん一人になってしまいます。
ヤクザは土地を買占めようとたくらんでいるのです。
そこに「ぼくら」が登場。幽霊アパートに偽装した永楽荘アパートにヤクザを呼び込み、悪戯を震え上がらせます。
直、この時登場した石坂さよさんは七日間戦争以来の付き合いである瀬川さんと一緒に、この後のシリーズにおける重要な脇役キャラとして活躍する事となります。
更に死んだ先輩の事件を調査する中で、同じヤクザの関係が浮かび上がってきます。
真実を明かし、ヤクザを懲らしめようと立ち上がる「ぼくら」の面々。
以後、「ぼくらのシリーズ」は第一作である『ぼくらの七日間戦争』の理由なき戦いから成長を見せ、誰かのために戦うぼくらの物語へと発展していきます。
あくまで子ども向けです
今読み返しても楽しく読めるのですが、やはり今になってみると非常に軽い物語です。
漫画かアニメかというぐらい、悪い言い方をすればご都合主義で出来上がっています。
大人たちが単純で騙されやすく、子どもたちの悪戯に簡単に引っかかってしまうのも、子どもの目から見たときには楽しめたのですが、自分が大人になってみると複雑なものです。
しかしながら上に書いた通り、そんな天真爛漫・純粋無垢そうな子どもたちが先輩の中絶の相談をしたりと意外と大人な面も見せたりします。
大人と子どもの同居するアンバランスな子どもたちです。
でも自分達の中学生の頃を思い返してみても、中学生なんてそんなものなのかもしれません。
性の事や世の中の理不尽さのようなものも理解はしているんだけど、小学生の頃から続く子どもとしての立ち位置も体に染み付いてしまっているような、複雑な年頃。
そんな「ぼくら」を鮮やかに描き出した宗田理さんは、やはり素晴らしい作家さんなのでしょうね。