「明治維新にも奥州諸藩は、ただちよつと立つて裾をはたいて坐り直したといふだけの形で、薩長土の各藩に於けるが如き積極性は認められない。まあ、大過なく時勢に便乗した、と言はれても、仕方の無いやうなところがある。」
『津軽』は太宰治の小説……とされているものの、基本的にはエッセイ または 紀行文と呼べるものだと思う。
実際に三週間、故郷である津軽半島を巡った内容をまとめた話だ。
各地を巡り、懐かしい人々との再会を惜しみ、最終的には自分の乳母を見つける。
ただそれだけ。
人々との邂逅や、冒頭の引用のような所感がまとめられているだけ。
これが小説であるのかどうか、意見が分かれるところだと思う。
そもそも僕は、太宰が苦手だ。
お笑い芸人であり芥川賞を受賞した又吉直樹は中学校の頃に『人間失格』を読んで衝撃を受けたというけど、僕にはただただ読みにくいだけで何の感慨も浮かばなかった。
又吉直樹(ピース)の名言コラム「確かにお前は大器晩成やけど!!」
幼少期からやたらと女にモテる男が女に乱れ乱されながら大人になり、最終的に女で命を失う話。そんなつまらない概略しか思い出せない。
『斜陽』も読んだけど、これが良いのか悪かったのか、未だによくわからない。当時、その時代の空気に直に接していた人たちにとっては、その時代の空気感をよく現した名作だったのかもしれない。そんな風に想像する他はない。今読み返したところで、特に際立って胸を打つようなものも無かった。
唯一『女生徒』だけが、当時男性作家がうら若き乙女になり切って心模様を描くというのが画期的な事だったのだろうな、と感心を誘った。女心に詳しい太宰だからこその物語だったのだろう。
ただ、今『津軽』を読んでやはり再認識した。
僕は太宰が苦手である。
でも又吉氏に言わせると、「共感できない」「苦手」と感じるのも文学だと言う。「つまらない」と知る事も文学なのだと。ソースは思い出せませんが、それを聞いて以降、こういった古典文学に対する向かい方が楽になったのを覚えています。
だから僕は、これからも太宰の未読分を読んでいくつもりです。
多分合わないとわかってはいるのですが。