「一緒に生きることと一緒に生きることは、必ずしも同じじゃない」
……困りました。
ブログを読んで下さっている方はお気づきと思いますが、当ブログの一番上にはその本の中で一番ぐっと来た引用を入れるようにしています。
ところが本作『東京タワー』に関しては、それが沢山あり過ぎてどれにしようか迷ってしまいました。
「詩史さんは何でも持っている。お金、自分の店、そして夫」
「いつからだろう。一体いつから、食欲まで忘れるような状態になってしまったんだろう」
「人妻を誘うのは簡単だ。あのときもいまも、耕二はそう思っている。あのひとたちはたのしみに飢えているのだ。密やかなたのしみに、日常からの脱出に」
「恋はするものじゃなく、おちるものだ」
「年上の女は無邪気だ」
「女は年をとるにつれて無邪気になるのだ」
「誰と暮らしていても、私は一緒に生きたい人と一緒に生きる。そう決めているの」
「捨てるのはこっちだ、と決めていた。でも、捨てることは、いつも痛み以外の何物でもなかった」
「自分でも奇妙なことに思えたが、喜美子を失ったというよりも、自分を失ったような気がした」
改めて、江國香織は上手だな、と思ってしまいます。
『東京タワー』は透と詩史、耕二と喜美子という二組のカップルを描いた物語です。
ただ、詩史と喜美子は既婚者である点がちょっと違った点です。
透は盲目的に詩史との関係継続を望み、利己的な耕二は喜美子に去られ、さらに大切であったはずのガールフレンド由利にも捨てられます。透は詩史と一緒に行き続ける為に詩史の店で働く事を選び、耕二は新たな女性をターゲットに定めるところで物語は終わります。
どれもハッピーエンドとは言えません。
透の選んだ道も茨のような険しい道です。
強いて挙げれば、これまで同様に店も夫も透も手にしたままの詩史の一人勝ちに思えなくもありませんが、物語を読んだ上で考えるとそんなに簡単にも言えなさそうです。
詩史もまた、しがらみや打算や利己や様々な思いの中でもがき苦しみながら生きている。少なくともそう感じてしまいます。
一点……個人的に気になるのは、こういった若い異性との不倫を描く作品って多数あるとは思うんですが、男女逆だったらどうなるんでしょうね?
ある意味詩史や喜美子は作者自身の投影と受け入れられても仕方がありません。
(透や耕二にだって投影してるのは間違いないのですが“一般的に”です)
もし書いているのがおっさんで、おっさんと女子高生の不倫関係を描いた作品だったら……耕二のようにモテモテの女子高生に手玉に取られたり、透のように一途な女子高生に想われる話だったとしたら。
おぉっと、つい身震いしてしまいます。想像してはいけませんね。
でも、僕は男だからそんなところまで考えを膨らませてしまうんですが、この『東京タワー』を女性から見たらどう思うんでしょう? 羨ましい、いいなぁ、私にもこんな男の子がいたらなぁ、と思うんでしょうか? それとも「江國香織の妄想気持ち悪っ」となるのでしょうか?
ぜひ聞いてみたいところです。
……そういえば本作は黒木瞳とジャニーズの岡田准一、松本潤の主演で第ヒットとなりましたね。書いていてまだ観ていないのを思い出しました。
近い内に見てみたいと思います。