鏡に映った東京タワーを見ながら微笑んでいるオカン。窓から直接それを見ているオトン。そして、そのふたりと、ふたつの東京タワーを一緒に見ているボク。
なぜか、ボクたちは今、ここにいる。バラバラに暮らした三人が、まるで東京タワーに引き寄せられたかのように、ここにいた。
リリー・フランキーの本です。
俳優でありイラストレーターでありエッセイストでもある彼が、雑誌に連載していたエッセイをまとめたもの。
小説というよりはリリー・フランキーの自伝そのもの、といった内容です。
ただし本書、2006年の第3回本屋大賞受賞作品。
どうして芸能人が自分について書いたエッセイが本屋大賞を受賞したのか。
そんな興味もあって、つい手に取ってみました。
リリー・フランキーの自伝 × → オカンの生涯 ○
リリー・フランキーというのはサブカルの人、というイメージがあります。
芸術大学を出ているという事もありますが、イラストや音楽等々、アートに関わるものであればなんでも手掛けていて、俳優活動ですらアーティストの延長としてやっているんじゃないか、というイメージ。
好きな芸能人は?と聞かれた時にリリー・フランキーと答えれば、「こいつちょっとわかってるな」と思わせられるような。
本書にもそんなサブカルの匂いがぷんぷんしています。
上京したばかりの若き著者は大学にも通わずにパチンコ屋に入りびたり、行き場に困った後輩を部屋に招いて共同生活を始めたり、空腹に耐えかねて腐ったハムを口にし、食中毒にもだえ苦しんだり。
常に金がないと困窮した生活を送りつつも、友人たちとともに刹那的で退廃的なその日暮らしを繰り返したり。
東京にごまんといる「売れないアーティスト」のイメージそのものとも言える生活が、これでもかと言わんばかりに描かれているのです。
その前後に描かれているのが、女手一つで著者を育てたオカンと、たまにしか現れないヤクザまがいのオトン。
特にオカンは幼い著者を連れて親せき宅を転々と渡り歩き、決して裕福とは言えない中で一心に著者に愛情を注ぐ様子が繰り返し描かれます。
やがてオカンの状況をきっかけに数年ぶりの親子の共同生活が始まり、入れ替わり立ち代わり訪れる著者の友人たちに囲まれて東京で楽しく暮らすオカン。しかし、以前手術した甲状腺ガンは克服したはずでしたが、少しずつ体調に違和感を覚え始め……。
そうして読んでいく内に、気づきました。
本書はリリー・フランキーの自伝の体裁をとっていますが、同時に子どもを産んでから病に倒れるまで、オカンの母としての生涯を描いた本でもあるのです。
サブカル+ベタ=?
本書はとにかく「泣ける本」として有名だったそうです。
泣き顔を見られたくなければ電車で読むのは危険
とまで言われたそうですが。
先に述べたサブカル感を別にすると、物語の構造としては至って平凡なものです。
一身に愛情を注いでくれた母が病に倒れ、死へと近づいていく。
対象が恋人であるか母親であるかの違いだけで、物語の構造としては本書でさんざん挙げてきた『風立ちぬ』や『世界の中心で愛を叫ぶ』、『100回泣くこと』と一緒ですね。
平凡で普通の毎日の積み重ねの後に、病と死という喪失感を描く事で読者の涙を誘う、というベタ中のベタです。
でもね。
わかっちゃいるけど、感動しちゃいますよね。
もしかしたら本書がほぼ実話をベースにしているという点も手伝っているのかもしれないけれど、誰がどう考えても「良い人」であるオカンが無常にも病に侵されていく様には、胸が締め付けられてしまいます。
息子であるリリー・フランキーが抱く後悔や悲しみも胸に迫るものがあります。
僕は基本、本を読んで泣く事はないのですが、本書を読んでいる時はつい涙ぐんでしまいました。
ここ数年の間に祖父をはじめ、叔母や伯母と立て続けに親類の死を目にしているので、その時の記憶がよみがえってしまうのです。
特に叔母は末期の膵臓がんで、発見時にはステージⅣ。
一縷の望みをかけて挑んだ抗がん剤治療もほとんど効果はなく、緩和治療の後僅か数ヶ月で死去、というオカンと似た状況でもありました。
もし叔母が自分の母親だったら。
オカンが自分の母親だったら。
そう投影せざるを得ないのです。
読む側の年齢や経験にもよるのかも
僕としては非常に胸を打たれ、読んだ後にもしんみりしてしまうような感動を得た本書だったのですが、アマゾンをはじめとするレビューを見ると残念ながら低評価とするものもあるようです。
でもそのほとんどは「ただの自伝だった」というような内容が多いようです。
勝手ながらたぶんそれって、若い人の感想なんじゃないかなーなんて思ったりします。
実際に近しい人が病気で亡くなる、といった経験をしていないと、本書の感動ポイントには刺さらないのかもしれません。
ある程度年齢を重ねないと、親のありがたみのようなものもなかなかわかりませんしね。
ましてや親元を離れて心機一転、自分の力で一旗揚げようと頑張っている最中の若い人にとっては、田舎で待つ親の心なんて想像しえないのかもしれません。
僕はここ数年で、親戚の死にも遭った事で、ようやく親のありがたみがわかる年齢になりつつあるのだと思います。だから、本書が刺さった。
人生100年時代と言われていますが、実際には80を前に亡くなる人も少なくはありません。
高齢者が起こす自動車事故も頻発し、社会問題化したりもしています。(←これってただ単にその世代のドライバー人口が多いからじゃねーの、なんて思ってたり。。。)
65歳以上だと7人に一人が認知症を発症だとか。
あれやこれやを鑑みると、親に残された時間って多いようで、意外に少ないのかもしれない、なんて思い始めたりします。
自分たちで旅行に行ける年齢の限界が仮に75歳だとして、一年に1回だけ旅行をプレゼントしてあげたとしても、旅行に行ける回数ってあと何回なのかなぁ、なんて数えてみたり。
どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと。
上記は非常に印象的な本書の中の一節です。
オカンが入院する日、著者の心情を描いた一文だと思うのですが。
でもきっと、オカンも同じ想いを著者に対して抱いているのだと思うのです。
どれだけ愛情を注いだとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと。
きっとそれこそが、親の心情なのだと思います。
看取る息子と、旅立つ母親。
そのどちらにも共感できてしまう僕にとって、本書は涙なくしては読めない物語でした。