昨日、私は拳銃を拾った
『銃』は引用の言葉より始まる170ページの中長編物語。
第34回新潮新人賞の受賞作であり、『土の中の子供』で第133回芥川賞を受賞した氏のデビュー作でもあります。
中村文則の作品を読むのはこれで二作品目。
ブログやSNSを継続して見ていただいている方はご存知だと思いますが、
この一つ前に『去年の冬、きみと別れ』を読んでいます。
間もなく劇場公開される『去年の冬、きみと別れ』を読むに際して、著者の他の作品も読んでみるべきかなぁと思った次第です。
その意味で、デビュー作である『銃』を手に取りました。
一人称だが客観的な文体
『銃』は主人公である“私”が銃を拾うところから始まり、そこからの日々が淡々と記し続けられます。
“淡々と”というのがミソで、主人公にはおよそ感情の起伏らしきものが感じられません。
一人称であるにも関わらず、まるで三人称のような、他の誰かの行動を語っているかのように客観的に文章が綴られています。
私はよく、そういった漠然とした理由で行動することがあった。思いつくままに道を変え、明かりの消えた商店街を抜け、小さな公園の脇道を通った。駐車してある白いワゴンの下に、小さな猫がいたことをよく覚えている。猫は私をその場所からじっと見ていた。私はよく、何かが起こる前に猫に見つめられることがあった。
これは確かに、『去年の冬、きみと別れ』の主人公の語り口と重なる部分が感じられます。
こういった文体こそが中村文則の特徴なのでしょうか?
また、同時収録されている短編『火』にも同じような雰囲気が感じられます。
主人公が誰か(おそらく精神科医?)に向けてただただ独白を続ける作品ですが、これは『去年の冬、きみと別れ』で木原坂雄大が“きみ”に向けて記した手紙にも似たものを感じます。
『銃』と『去年の冬、きみと別れ』の間には約10年の月日が存在しますが、デビュー当初から『去年の冬、きみと別れ』を書く下地が既に出来上がっていたのかもしれません。
ストーリーではなく濃密な文章を楽しむ作品
アマゾンのレビューを見ると、こちらも平均で☆3.5と賛否が分かれているようです。
一部作中に登場する銃の描写が本物ではなくモデルガンを元にしていると叩いている人たちもいるようですが、小説でその辺の詳細さってそこまで必要ないんじゃないかな、と個人的には思ったり。
ネジの位置が違うとか構造的に無理があるとか、そこを突っ込んで低評価つけてもねって感じです。
引っかかる人には引っかかってしまうのかもしれませんけど。
それよりも多いのは「ストーリーが陳腐」とか「稚拙な文章」とか。
まず前者についてなんですが、これはそう言われても仕方ないとは思います。
又吉直樹の『火花』の時にも見られた現象ですけど、一般的なエンターテインメントに読みなれた方の場合、主に“文学”と言われるような作品を読んだ際に似たような批評をされるようです。
どんでん返しとか、逆によくある予定調和的なハッピーエンドとか、そういうものを期待してしまうんですね。
『火花』に対しても「おそらくこれは面倒を見てくれた仲の良い先輩よりもいつの間にか自分が売れてしまって、バチバチ火花を散らすようなそういう作品なんだろうな」と想像ちゃうんですよね。
でも又吉さんはそんなよくあるエンターテインメントとしての小説は書かなかった。
『銃』も同じでしょう。
ある日突然、銃を手に入れてしまった少年。
そこからどんな物語が広がるか。どんな事件が巻き起こるか。
そんな期待を胸に手にとってしまいます。
残念ながら本書はそういうよくあるエンターテインメントとしての小説ではありません。
そういう物語であれば、新潮新人賞には選ばれていないでしょうから。
なのでそういう物語を求められているのだとすれば、避けることをおすすめします。
井坂幸太郎や乙一のようなしっかりと期待に応えてくれる本を選ぶべきです。
濃密過ぎる文章
さて、後者の「稚拙な文章」という点についてです。
説明よりも先に、画像を一枚アップします。
本書を開いてみたところです。
おわかりかと思いますが、とにかく濃密です。
余白がほとんどない。
これはたまたま開いたページがそうだった、というわけではなく、ほぼ全般に渡って同じような状況です。
本書は170ページというページ数で言えばそう多くはない作品ですが、ページ内が九割方文字で占められている事を鑑みれば、実質的には300ページ前後の作品になるんじゃないでしょうか?
文字が多いからどうだという意味でもないんです。
問題はその内容ですね。
冒頭の通り、基本的には主人公の一人称で物語は進みます。
でもその間、会話らしいものもほとんど存在しないんです。
必然的に文章は主人公の目で見たものと内面の心模様に関するもので占められます。
銃を手に入れ、それが主人公の胸の内や実生活にどんな影響を及ぼしていくか。ほぼそれだけで170ページが書き込まれています。これって個人的にはとんでもなく凄いことだと思います。同じストーリーとプロットを渡されて物語を書けと言われたとしても、きっとこんな作品にはならない。おそらく半分の量にも満たないかもしれない。
それだけ詳細で綿密に、時にしつこすぎるぐらい、心理描写に費やしているんです。
あとがきで著者が「エネルギーに満ちた作品」と自ら形容する意味もわかる気がします。
『去年の冬、きみと別れ』の次に読むべき作品?
実はここが重要で、劇場公開によって『去年の冬、きみと別れ』を読む人は増えると思います。
僕と同じように、初めて中村文則の作品を手にするという方も。
『銃』を手に取ったのも、実はそういう方に「二冊目としてこういう作品があるよ」とおすすめ出来たら良いかな、と。
でも大いに悩ましいところですね。
正直に言うと、一般受けする作品とは思わないです。
ただ思うところは上に書いたので、その上で読んでいただく分には楽しんでいただけるんじゃないかな、と思います。