『海の見える理髪店』荻原浩
青色の絵の具の塗り残しに見える入道雲が屋根の上で両手を広げている。誰かをハグしようとするみたいに。
僕は実は、荻原浩という作家を非常に苦手としています。
とは言っても読んだ事があるのは処女作である『オロロ畑でつかまえて』ぐらい。
かの作品の(僕的にはくすりとも笑えない)ユーモアと現実離れした安っぽい漫画のような世界観に全くついて行けず、それ以来彼の作品を手に取る事はありませんでした。
つい最近『神様からひと言』を読みましたが、それもどうやら第155回直木賞を取ったらしいという情報を受け、とあるブログで紹介されているのを見て、なんとなく手に取った、というのが実情です。
インスタグラムには『神様からひと言』の感想を載せていますが、
本作はたまたまとある書評ブログで紹介されていた事もあり手に取ってみました。直木賞も取った作者だし、作風も変わってるかもしれませんし
結果……あんまり変わってないですね笑
……とまぁ、結構マイナスな感想を残しています。
ただ、『神様からひと言』も2002年の作品ですからね。『オロロ畑でつかまえて』で第10回小説すばる新人賞受賞を受賞し、デビューしたのが1998年。どちらかというと初期の作品です。
デビューからかれこれ20年。
淘汰の激しい出版業界で沢山の作品を発表し続け、山本周五郎賞や山田風太郎賞といった賞も受賞されています。そして遂には直木賞まで。
第155回直木賞を受賞したという本書『海の見える理髪店』はきっと僕の知らない荻原浩を感じられるはず。
そう思い、手に取りました。
三度目の正直です。
6話の短編集
表題作『海の見える理髪店』を全6話の短編集となっています。
連作短編とは異なり、それぞれの作品に繋がりはありません。完全に独立した作品です。
「海の見える理髪店」
大物俳優や政財界の名士が通いつめたという伝説の床屋。とある事情により都内から海の見える田舎へと店を移したその場所に、主人公の僕が訪れるというもの。
「いつか来た道」
家を出て十六年。弟に求められて母親に会いに帰ってきた主人公。絵描きを生業とし、昔からあれこれと口うるさい母親と再会するものの、以前とは違う母親の姿に気づくに連れ、主人公の心持ちも変化をしていく。
「遠くから来た手紙」
仕事ばかりの夫と口うるさい義母に反発し、子供を連れて実家に帰った祥子。弟夫婦が生活を築く中で自分の居場所を確保しようともがきながらも、心中では夫が迎えに来る事を心待ちにしている。そこに夫からのメールがとどくのだが……。
「空は今日もスカイ」
親の離婚で母の実家に連れられてきた茜は、家出をして出会ったフォレストとともに海を目指す。ビックマンとの出会いとフォレストの体に隠された秘密。
「時のない時計」
父の形見を修理するために時計屋に足を運ぶ。話好きな店主から昔話を聞かされる内に、父との思い出を少しずつ思い出していく。
「成人式」
五年前に事故で死んだ中学三年生の娘。その悲しみを引き摺ったまま日々を過ごしてきた夫婦の下に、娘宛の成人式のカタログチラシが届く。憤慨する夫婦であったが、二人は娘の代わりに成人式に出席する事を思いつく。振袖と袴を身に着けて、だ。
感想から言ってしまうと、表題作である「海の見える理髪店」はびっくりするぐらい良かったですね。ほぼ店主の一人語りと、それを聞く僕の心理描写で構成されていますが、いつものユーモアが一切封印されているのがとても良かったです。
また、物語が進むに連れて「もしかして……」と読者に一つの関係性を匂わせ、終盤のちょっとした台詞で確信を抱かせます。残った僅か数行の中から読み取る事の出来る意味や余韻が心地よい読後感を生み出します。その辺りのバランス間がとにかく上手い。本当にびっくりしました。
続く「いつか来た道」もまた、同じような雰囲気を持つ作品です。母親との辛く苦々しい思い出の中に、母娘にしか分かり合えない絆の強さのようなものを感じさせられます。俗に言う“行間を読ませる”作品といえるでしょう。
ところが個人的には、「遠くから来た手紙」「空は今日もスカイ」「成人式」に関してはああ、いつもの荻原浩が出た……と思えてしまって、ちょっと拍子抜けしてしまいました。コメディというかブラック・ユーモアというか皮肉というか。この軽さが良いという人がいるのもわからないではないんですけどね。僕的には苦手な作風です。
残る「時のない時計」については両者の中間といったところ。行間を読ませるような作品でありながら、時折ブラック・ユーモアめいた台詞も混じったり。とっても良い作品だと思うので、ストレートに王道の文学小説として書いていただけるときっともっと楽しめたんじゃないかと思うんですが。
加えてもう一つ驚いたのは、冒頭の引用のような豊かな表現が多かった事。
こういった独特な表現を用いる作家だとは思っていませんでした。
アスファルトに降り注ぐ日射しはまるで黄金色の針だ
こういう表現をするイメージじゃないんですよね。
この辺りも知らない間に、荻原浩という作家が進化を続けていた成果なのかもしれないと思いました。
直木賞は短編? それとも本全部?
本作を読むと、「直木賞とったのって結局最初の「海の見える理髪店」という短編? それとも本まるごと全部が対象?」という疑問を持たれる方も少なくないと思うのですが、答えは「本丸ごと全部が大賞」です。
新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)のなかから、最も優秀な作品に贈られる賞です
とありますので、『海の見える理髪店』は単行本として受賞をしたんです。
尚、直木賞に関しては選評の概要も公開されていますので、こちらを見ていただくとより受賞理由も明確になると思います。
それにしても他の候補者の評価が低いですね。
今回の作品に限られるかもしれませんが、選評を見るにつけ“文学”としては評価しにくいという評価であったという事がわかります。
さて、今回の『海の見える理髪店』は前段階での苦手意識に反し、なかなかの満足感でした。
Twitterのフォロワーさんからは「新刊の『海馬の尻尾』が面白いらしい」と情報をいただいていますので、いずれそちらも読んでみたいと思います。