世界はこんなにも音楽で溢れているのに
本作『蜜蜂と遠雷』の主人公の一人、栄伝亜夜の台詞です。
実はこの言葉、だいぶ序盤で出てきます。
単行本39ページ。栄伝亜夜の登場直後の事です。
読書ノートに書き取るために貼っていた付箋を読後見返して、初めて気づきました。
思わず「なんだ、最初から気づいてたんじゃん」と呟いてしまいます。
ちゃんと序盤から伏線を張り巡らせていた作者にも、脱帽です。
『蜂蜜と遠雷』、読み始めるとやめ時が見つからなくて困る。
— ライナスの毛布@読書垢 (@s_b_linus) 2018年3月15日
と思わず呟いてしまうほど、熱中して読みふけってしまった作品でした。
第6回芳ヶ江国際ピアノコンクール
上記のピアノコンクールが小説の舞台です。
第一次から第三次までの予選を経て、本選まで。約二週間に及ぶ長い戦い。
敢えて「戦い」という言葉を使いましたが、ここに書かれているのは間違いなく「戦い」です。
ピアノコンクールという舞台設定の為なんとなく認識がズレてしまいますが、実は物語の構造としては非常にオーソドックスな形態です。
- とある「大会」を舞台に「選手」たちが「戦いを繰り広げる。
- 「選手」の中には雑草型から天才肌、エリートまで多種多様なキャラクター。
- 勝負の行方を混乱させるダークホースの存在。
皆さんの頭の中にも何がしかの作品が思い浮かんだかもしれません。
主にそれはスポーツや格闘技を主題にしたものが多いかもしれませんが、意外と名作だったりするのではないでしょうか?
『蜜蜂と遠雷』もそんな構造を利用して書かれた作品です。
面白いのは間違いありません。
四人の主役
芳ヶ江国際ピアノコンクールには90名が参加しますが、その中で主役級として扱われるのは下記の四人
「栄伝亜夜」
消えた天才少女。マネージャーであり指導者であった母の死とともに表舞台から姿を消した。
名門私立音大の学長に見初められ、再びステージに立つ。
「マサル・カルロス・レヴィ・アナトール」
名門ジュリアード音楽院に所属する優勝候補。
「高島明石」
楽器勤務のサラリーマン。年齢制限ぎりぎりでコンクールに最後の勝負を賭ける。
「風間塵」
養蜂家の父を持ち各地を点々とする少年。伝説の音楽家ユウジ・フォン・ホフマン唯一の弟子。
それぞれがそれぞれの想いを抱いてコンクールに挑みます。
とりわけ異彩を放つのは風間塵でしょう。
物語は無名の新人である彼が芳ヶ江国際ピアノコンクールの選考オーディションに登場するところから始まります。
審査員の常識を覆す演奏を見せ、彼がユウジ・フォン・ホフマン唯一の弟子である事が明かされます。
登場の段階から、彼は「他とは違う存在」であると示されるわけです。
しかしながらその後の物語は亜夜・マサル・明石の三人のそれぞれの視点へと、目まぐるし視点を変えながら進んでいきます。
特に多いのは明石であり、亜夜の視点でしょうか。
明石は上で言う「雑草型」の苦労人です。他の天才やエリートに対し、一般人の延長線上のキャラクターとして彼が描かれているように感じられます。
意外と重要なのは明石ともう一人、亜夜の付添い人として登場する奏。
彼女もまた、彼らとは一歩距離を置いた読者に近い視点で物語を語ってくれます。
亜夜・ユウジ・塵の三人はコンクールを争うライバル同士でありながら、日が進むに連れて交友を深め、いつの間にか友達同士のような仲の良さを見せ始めます。
この子たちは、自分たちがどんなにめぐまれているか分かっているのだろうか
自分に音楽の才能が本当にあるのかどうかと悩み、日々長時間の練習をして、それでもミスするかうまく弾けるかと胃の痛い思いをして眠れぬ夜をすごし、おのれの平凡さに打ちのめされながらも音楽から離れることができない無数の音楽家の卵たちの気持ちが。
奏は、自分がひどく冷静な気持ちで二人を見ていることを自覚していた。海辺で感じたような天才たちへの羨望や寂しさもあるのだが、どこかで奇妙な憐憫めいたものを覚えていることも承知しているのだ。天才たちへの無邪気さ。天才でない者の感情の綾、機微といったものが分からないことへの憐れみだろうか。
奏や明石がいるからこそ、現実離れした天才たちと読者とのバランスを上手くとってくれているように感じます。
成長の物語
序盤に物語の構造分析をしてしまいましたので、ある程度予想されてしまうところではありますが、「戦い」でありながら、戦いの内容よりもむしろ登場人物たちの成長を描いた作品です。
主役となる四人もですし、奏をはじめ周囲の人間もそう、審査する立場である音楽家たちも同様です。
二十日間のコンクールを通し、それぞれが想い、それぞれが成長を重ねていきます。
特に亜夜の成長は目覚しいものです。
元「消えた天才少女」として迷いの中コンクールの舞台に立った亜夜は、風間塵の自由奔放なピアノに触発され、その度ごとに大きな飛躍を見せます。
コンクールの合間に描かれる風間塵とのセッションの様子は、物語の一つの山場と読んでも過言ではないでしょう。
四人が主役と書きましたが、読み進めていく内に確信を抱きます。
真の主役は栄伝亜夜、彼女だ、と。
逆にちょっと物足りないのはマサルでしょうか?
天才肌の亜夜や塵に対し、日常的な人間性にも優れた正統派のピアニストとしての立ち位置で描かれているようですが、あまりにも型に嵌まり過ぎてしまって、マサルに関しては音楽に対する思いや人生観のようなところまでは深く書き込まれず、その為ちょっと薄いキャラクターになってしまっているような感が否めません。
もう少しマサルにも悩みが葛藤、劣等感みたいなものがあっても良かったと思うんですけどね。
そこまで書いたらただでさえ厚い本書がさらに分厚くなっちゃうか。
音を外に連れ出す
風間塵が師であるホフマンの言葉として繰り返し持ち出すのが「音を外に連れ出す」というテーマです。
彼はコンクールに勝つことよりも、そちらを重視しているようにも見えます。
本選まで残っても彼にとってのメリットは「ピアノを買ってもらえる」という事だけですからね。
そんな彼のピアノに刺激を受けるのが栄伝亜夜。
彼女もまた、風間塵とは違ったアプローチかもしれませんが「音を自然に返す」事を意識し、最後の最後にその真理にたどり着きます。
本来、人間は自然の音の中に音楽を聴いていた。その聞き取ったものが譜面となり、曲となる。だが、風間塵の場合、曲を自然のほうに「還元」しているのだ。かつて我々が世界の中に聞き取っていた音楽を、再び世界に返している。それが、彼の独特の音と、譜面に書かれている音符であるのに不思議と即興性をかんじさせるところに繋がっているのだろう
終盤、風間塵はピアノで亜夜に語りかけます。
おねえさんなら、一緒に連れ出してくれると思ったんだけどな。
あたしが?
うん。音楽を世界に返してくれるって。
それまでにも風間塵はなぜか栄伝亜夜にだけ心を開き、親近感を抱いているような素振りを見せます。
どうして彼女だけが特別なのかが、冒頭の引用に繋がります。
亜夜は最初から、「世界に音楽が溢れている」事を知っていたんです。
そんな亜夜だからこそ、塵は心を開き、一緒に音楽を世界に返してくれる仲間として認めていたのでしょう。
正直、これは読書ノートを書くために読み返して初めて気づいた事です。
読み返さなければ、どうして塵がそこまで亜夜を認めたのか気づかないままだったでしょう。
読み返すって、やっぱり大事。
恩田陸は心理描写が素晴らしい
僕にとって恩田作品はこれで三作目となります。
一作目はデビュー作である『七番目の小夜子』。
綾辻行人『Another』に影響を与えた事でも有名な作品。
そしてもう一作は映画化もされた『夜のピクニック』。
特に後者は心理描写が秀逸でした。
何せ歩行祭という24時間歩き通すイベントが舞台ですから。
基本的には歩き続けるだけで、その中で同級生たちとのやり取りや自分の中での心模様を描いた作品。
ですがらクライマックスを迎えた時のカタルシスは本当に心地よいものです。
そうそう、この展開を待ってたんだよ、と。
もし良ければこちらもご覧になってみて下さいね。
■『七番目の小夜子』
■『夜のピクニック』