『密室殺人ゲーム王手飛車取り』歌野晶午
〈しかし、このゲームは僕ら五人が謎解きを楽しむためのものであり、世間に対して何かをしようとしているのではない〉
今回読んだのは歌野晶午の『密室殺人ゲーム王手飛車取り』。
歌野晶午と言えばなんといっても『葉桜の季節に君を想うということ』が代表作に挙げられますよね。
『葉桜の季節に君を想うということ』はフェアか、アンフェアかと推理小説ファンの間で大論争を呼び、未だに名作・問題作として「読むべき推理小説」に挙げる声も少なくありません。
とりわけ「よく似た作品」として挙げられる『イニシエーション・ラブ』が映画化された2015年には人気が再燃したと感じたものです。
新本格推理小説ブームの次男坊
さて、そんな歌野晶午氏に対して、僕の中では綾辻行人・法月綸太郎・我孫子武丸と並ぶ講談社新本格推理小説四兄弟の次男坊としての印象が強く残っています。
この「新本格推理」ブーム、綾辻行人の二作目である『水車館の殺人』の帯に使用されたのを皮切りに、当時の編集者宇山日出臣が仕掛けたというのが始まりとされています。
講談社からは未だ名作と呼び声の高い『十角館の殺人』で一大センセーショナルを巻き起こした綾辻行人を筆頭に、続いてデビューしたのが歌野晶午。そして法月綸太郎・我孫子武丸と続きます。さらに麻耶雄嵩や二階堂黎人、次いで森博嗣や京極夏彦が登場する訳ですが、どうも1990年以降のデビュー組からはちょっと毛色が違ってしまいました。
麻耶雄嵩のデビュー作『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』では処女作にして名探偵メルカトル鮎が死ぬ、というとんでもない事態が起こってしまいますし、1990年デビューの太田忠司は後に“ジュブナイルミステリ”と呼ばれる少年探偵が特徴でした。二階堂黎人は鼻につくお嬢様探偵だったり。
森博嗣や京極夏彦はいうに及ばず、後発組に関しては時代の要請もあってか「純然たる本格推理小説」の枠を飛び出し、キャラクター等の突拍子もない設定や荒唐無稽な奇をてらったストーリーを取り入れたよりエンターテインメント性の高い、一般向けの娯楽小説として昇華されていったと感じています。
逆に言うと、「エラリイ」だ、「カー」だ、「読者への挑戦状」だ、「ノックスの十戒」だ、「ヴァン・ダインの20則」だと小うるさくこだわったのは島田荘司を筆頭に綾辻行人・歌野晶午・法月綸太郎・我孫子武丸に創元社から同時期にデビューした有栖川有栖を加えたあたりまでかな、と。
僕は彼らの作品を貪るように次々と読み漁っていたのですが、後にデビューしてくる作家たちの作風の変化に違和感を感じてしまい、やがて推理小説熱は冷めてしまいました。
そうしてしばらく離れている間に、いつの間にか彼らも本格推理小説の枠から飛び出して、様々な方向性を模索していたのでした。
ゲームの脚本やクイズ番組の監修などでいち早く才能を開花させた我孫子武丸。
ただの麻雀マニアに零落れているかと思いきや『another』で再ブレイクを果たした綾辻行人。
法月綸太郎同様、本格推理小説を書き続ける傍ら、映像化や漫画家、舞台にドラマにとメディアミックスに勤しんだ有栖川有栖。
そして――
僕の中で唯一、「ぱっとしない」と思われていたのが歌野晶午だったのです。
早々とシリーズを捨てた歌野晶午
歌野晶午は1988年に『長い家の殺人』でデビューしました。
以降は名探偵・信濃譲二を中心とした『白い家の殺人』『動く家の殺人』の家シリーズを展開してきましたが、三作目の『動く家の殺人』でシリーズは一旦途絶え、『ガラス張りの誘拐』、『死体を買う男』、『さらわれたい女』と年一冊のペースで刊行し、そこから『ROMMY』まで3年近い休眠状態に入ってしまいます。
名探偵・信濃譲二、僕は好きだったんですけどね。
何せ堂々と大麻を所持し、使用するような男でしたから。
大麻は煙草よりも有益で健康被害も少ない。外国では認められている国も多い。
王道を地で行くような法月綸太郎や有栖川有栖よりも、そんな持論を展開する名探偵の個性溢れる姿が気に入っていました。
結局三作目『動く家の殺人』において大麻所持の疑いで逮捕、呆気なく名探偵は退場、となってしまうのですが。
実は、ここが意外と問題だったと感じています。
新本格推理小説ブームとは、名探偵ブームの再来だったと言い換える事もできます。
館シリーズの御手洗潔であり、法月綸太郎であり、有栖川有栖であり、鞠小路鞠夫といった現代に現れた名探偵を愛でるブームでもあったのです。
ところが、歌野晶午は早々と名探偵を捨ててしまった。
『動く家の殺人』の新装版では、わざわざ前書きとして作者が
信濃譲二を退場させるために書いた作品である。
と書いているほどですから、自ら望んで名探偵を捨ててしまったのです。
ところが読者側としては困ってしまいます。
『ガラス張りの誘拐』、『死体を買う男』と新作が刊行されても、慣れ親しんだ名探偵・信濃譲二は出てこないんですから。
「あれ?」
「一話完結もの? シリーズじゃないの?」
と思われちゃいますよね。
当時は新本格推理に湧き、そこかしこで「本格推理小説とは?」「名探偵とは?」といった議論が活発化していたような時期ですから。
少年漫画誌に例えれば、一話完結の作品なんて読み切り作品みたいなものなんです。
次週に続くわけでもない、読み飛ばしてもなんら問題のない作品。
ええ、はっきり言いましょう。
僕は買いませんでした。
僕は名探偵・信濃譲二であり、「家シリーズ」の再開を待っていたんです。
当時、そうではない作品に金を払って買う価値があるだなんて微塵も思いませんでした。
ましてや文壇には次々と新しい作家がデビューし、新たなシリーズが生まれていましたからね。
気持ち的にはそちらに手が伸びてしまいます。
……結果的に言うと、その後手にした太田忠司も麻耶雄嵩や二階堂黎人も、僕の欲求を満たすには至らなかったんですけどね。
そうして森博嗣や京極夏彦に進んだ結果、当時の僕には難しすぎてさっぱり理解ができず、読んでも全く面白さを感じられず、推理小説自体から離れてしまう結果となったのですが。
大進化を遂げていた歌野晶午
僕が再び歌野晶午作品を手にしたのは2015年。
それは『葉桜の季節に君を想うということ』。
いや、びっくりしましたね。
話題になる理由もよくわかったし、論争が起こるのも理解できた。
でも、久しぶりに推理小説を読んで全身が震えるほどの衝撃を受けました。
あの歌野晶午が、まさかこんなにもとんでもない作品を生み出していたとは。
いち早く名探偵シリーズものから脱却し、方向性を模索してきた苦労が実を結んでいたようです。
慌てて調べてみると、その後も「このミステリーがすごい!」や「本格ミステリ・ベスト10」に入賞するような作品を次々と発表しているんですね。
都度、アリ?ナシ?といった論争が起きたりもしているようですが(笑)
そんな中で一際目を惹いたのが、本格ミステリ・ベスト10で2008年6位、2010年1位、2012年8位と好評化が続く、本作『密室殺人ゲーム王手飛車取り』をはじめとする「密室殺人ゲーム」シリーズでした。
実際の殺人を元に繰り広げられる推理ゲーム
ネット上で出会った“頭狂人”、“044APD”、“aXe(アクス)”、“ザンギャ君”、“伴道全教授”という5人が、殺人事件の推理ゲームを行うというのがおおよそのあらすじです。
奇妙なニックネームに加え、ダースベイダーやジェイソン等、身バレしないようコスプレをしてチャットに臨む5人の姿も異様ですが、何よりも恐ろしいのはゲームは実際の事件を元にしているというもの。
つまり、5人の中で出題者に選ばれた者は実際に殺人を犯した上で、その事件の手口や意図等を出題するのです。
最初に出題者となったaXeは次々と連続殺人を犯します。被害者に共通点は見当たらず、唯一の手がかりは意図的に操作された時計のみ。
一見無関係に見える被害者たちのミッシングリンク(=隠された共通点)を探る事こそが、他の4人に与えられた課題。
なかなか謎を解けない4人の為に、aXeは一人、また一人と罪を犯し、彼らにヒントを提示します。逆に言うと、ヒントを提示するために被害者を増やしていく、という展開。
かなり異常ですよね。
ですが彼らは和気あいあいとゲームとして楽しんでいるのです。
「おお、探偵たちよ。三人目も死なせてしまうとはなさけない」
「ドラクエかよ」
ついつい笑ってしまいました。
続いて出題者に選ばれたのは伴道全教授。
こちらは流れ的に急遽出番が回ってきたという様子で、昔ながらの時刻表トリックが提示されますが、簡単に見破られてしまいます。
三人目の出題者はザンギャ君。
密室化した自宅アパートの中で起きた殺人事件。被害者は男性で、切り取られた首は部屋の花瓶の上に生けられていた。胴体は離れた公園に置かれた衣装ケースから発見。部屋の外では道路工事が行われており、目立つ動きをすればすぐさま作業員に見つかってしまう。
どうやって重い胴体を公園まで運んだか、というのがザンギャ君の問題です。
四人目は再び伴道全教授でしたが、今度は飛行機を使ったアリバイの問題。海外にいた伴道全教授には殺人は不可能なはずでしたが……今回もあっさりと看破されてしまいます。伴道全教授の回は口直し的な位置づけだと思えてきます。
そして五人目こそが044APD。
刑事コロンボの愛車のナンバーから取ったというニックネームから“コロンボ”と呼ばれる彼は、これまでの問題においても明晰な頭脳と切れ味鋭い推理を見せ、どうやら他のメンバーからも一目を置かれている様子。
そんな彼が用意した問題は、とある住宅の中での殺人事件。殺されたのはその家の主人だけで、妻と子は無事。朝、起こそうとした妻が死んでいる主人を発見したという。
問題なのはその住宅。警備員が常駐するという高級住宅地の中にあり、さらにホームセキュリティも完備。二重の密室を乗り越え、他の住人に気づかれる事もなく、コロンボはどうやって主人を殺害したのか。
この難題にいよいよ物語は盛り上がりを見せ、続く六人目は本作の主人公である頭狂人の出番。
ここまでは連作短篇集的に物語が続いて来ましたが、ここから一気に大きく展開する事になります。
さらにクライマックスに至る一連の流れは、まさに「読む手が止まらない」状態となってしまいました。
とんでもない作品でした。
読み終わってすぐ、続編である『密室殺人ゲーム2.0』と『密室殺人ゲームマニアックス』をポチってしまうぐらいの興奮。
個人的には『葉桜の季節に君を想うということ』と同じぐらい、いや、フェアさで言えば本作の方が素直に受け入れられるという点で上回る面白さに感じました。
エンディングに賛否両論はあるようですけどね。
でもその手前で十分楽しませてもらえたので、僕としては非常に満足です。
むしろ「次作を読まなきゃ」と期待感を誘発してくれたという点では、感謝したいぐらい。
だって上に書いた通り、名探偵・信濃譲二の「家シリーズ」は期待に反してあっさりと完結されてしまったというトラウマがありますからね。
推理小説って感想書きにくいですよね
何を書いてもネタバレになっちゃいますし。
『十角館の殺人』、『迷路館の殺人』で一生消すことのできないであろう衝撃を受けた自身の経験から、素晴らしい作品であればある程、ネタバレはしたくないんです。
ネットでも、下手すりゃリアル書店の棚でも時々ありますよね。
「○○トリック特集!」
「驚愕のどんでん返し○選!」
とかね。
いやいや、トリックがわかって読む推理小説とかつまんねーでしょ。
どんでん返しがあるとわかって読んだら身構えちゃいでしょ。
っていう。
もうアホか、と。
そこで紹介されているのを目にした時点で、もう半分面白さ損なわれちゃってますよ。
そういう意味では、全く何の予備知識もない状態で『十角館の殺人』や『迷路館の殺人』を楽しめた僕は、かなり幸運だったなと感じます。
そんなわけで、本作に関してもざっくりと一連のあらすじ的な部分だけをご紹介するに留めました。
僕の推理小説熱に再び火を点けてしまった本作 『密室殺人ゲーム王手飛車取り』、詳しくはぜひご自身の目で確かめていただきたいと思います。
最後に……
歌野晶午って格闘技好きなんですかね?
「〈ヒョードルvsミルコ CMのあとすぐ!〉とテロップが出て、CM明けに試合が始まるかね。CM明けはヒョードルの過去の試合のダイジェストだ。次のCM明けはミルコの生い立ちをまとめたVTRだ。その次のCM明けこそはと思ったら、ズールなんていうブラジル人が出てくる。結局一時間待たされて、ヒョードルvミルコのゴングが鳴るわけだ。テレビ番組の煽りなんて、みんなこんなものではないか。へたしたら〈このあとすぐ!〉でさんざん引っ張ったあげく、番組の最後に試合のさわりだけやって、〈次週、ノーカット放送!〉なんてテロップを臆面もなく出す」
僕も格闘技やプロレスが好きなので、この辺のくだりには爆笑してしいました。
上にご紹介したドラクエのくだりもそうですが、ちょいちょい挟まれている小ネタにも笑わされてしまいます。
歌野晶午って、こんなユーモラスな一面もあったのね。
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