「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです」
2018年最後の締め括りとして選んだのは、森絵都さんの『みかづき』でした。
2017年本屋大賞では『蜜蜂と遠雷』に次ぐ二位にランクイン。
更に来春からはNHKでドラマ化も決定!
加えて元々僕の森絵都さんに対する評価って、こんな感じ。
森絵都という作家は、うまい。
それが僕の印象。
童話作家出身だけあって難解な言葉や言い回しを使わず、とっても読みやすく優しい文章。それなのに頭に浮かぶイメージはとても鮮烈。どうしてこんな文章が書けるんだろうと不思議になる。
上記は以前書いた『つきのふね』の記事からの抜粋ですが、御覧の通り、とにかく信頼が厚い作家さんなんです。
ひとつ前に読んだ本がちょっといまいちで……だからこそ余計に、最後には間違いない本を選びたいと思っているさ中、『みかづき』を選んだのはある意味必然でした。
親子3代続く教育一家の大河ドラマ
時は昭和35年。
小学校で用務員として働く大島吾郎はひょんなことから勉強について行けない子たちに補修を行うようになります。
吾郎の才能を見出した千明は彼に開校する塾の経営者となるよう半ば強引に誘います。
それはつまり、シングルマザーで娘を抱える千明と家庭を築く事でもあります。
自身の起こした不祥事により学校にいられなくなった吾郎は千明とともに塾の経営へと乗り出します。温和で教えるのが上手な一方で経営にはからきし弱い吾郎と、授業は吾郎に及ばないが経営に強い千明とのタッグは上手く作用し、塾の経営は少しずつ軌道に乗り始めます。
ところが出だしこそ好調なものの、すぐさま同業者との争いが活発化し、千明が吾郎には一切の相談もせずに別の塾との共同経営を持ち出した辺りから二人のすれ違いが始まり、やがて吾郎は妻である千明の手により塾長の座から追われる結果に。
そこから吾郎が中心であったはずの物語は千明が中心に回りはじめ、塾は拡大路線へ。さらに次女の蘭が経営に参画。蘭は千明譲りの強引で勝気な性格で千明とはまた異なる塾運営へと踏み出そうと躍動します。
最終的に千明の孫である一郎が登場。一郎は塾に通えるだけの経済力を持たない家庭の子供を対象に、ボランティアによる無償の教育サービスを立ち上げようとします。
上記のような親子三代、50年にも及ぶ教育とのかかわり合いが時代ごとの教育本心や世相を絡めながら、濃厚な密度で描かれているのが本書なのです。
面白いか、面白くないか
……とはいえ、結構読むのに時間がかかってしまったんですよねぇ。
読み始めたのが12月28日で、あんまり本気になってしまうと翌年までもたないと思ってスロースタートで読み始めた事もあったのですが。
予想外に年末年始が慌ただしく、読書の時間が取れなかったり。。。
でもやっぱり一番の理由は、いまいち物語に入り込めなかったんですよねぇ。
塾や教育とテーマにいまいち興味が持てなかったのか?
決してそういうわけではなかったと思うんですが。
最大の原因は、とにかく作品全体が“暗い”という事。
森絵都さん、一体どうしちゃったの?と思えるぐらい雰囲気が暗い。
最初の主人公である吾郎や長女の蕗子と、物語の中ではどちらかというと善人的立ち位置の人々が早々とフェードアウトしてしまって、千明や蘭といった野心的な人間が中心になってしまったのが要因かと思いますが。
まぁ決して善悪と簡単に色分けはできないんですけどね。吾郎に任せていたら塾は続かなかったかもしれないし、リアルな世の中的にも経営に弱い善人なんてカモにしかなりませんからね。
現実的に考えれば、千明や蘭が主導権を握るのは妥当なのかもしれませんが。
それでも戦後50年を描いた500ページ近い大作を読むのであれば、やっぱりハートフルで温かい愛のある物語を読みたいかなぁ、なんて思ってしまいます。
決して本作が冷たいわけではないんですけどね。
あと、もしかしたらですけど、森絵都さんって少年少女を主人公にした作品の方が上手いんじゃないかなぁなんて疑念も生まれてしまいました。
これはあくまで僕の中の疑問なので、これから他の作品も読んで確かめなければなんとも言えませんけど。
『みかづき』タイトルの意味
最後に、『みかづき』のタイトルの意味について書いておきます。
作品序盤で千明の口から、作品そのものを表すかのような言葉が発せられています。
「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです」
学校教育に対して不信感を抱く千明は、それに対する存在として塾を立ち上げようと志しています。
そして終盤に登場するのがこちらの文章。
「常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない」
序盤では塾を月になぞらえましたが、その月は決して満月ではなく、満ちようと努力を続ける三日月である、と言うのです。
森絵都さんらしさが発揮された非常に豊かな表現に感じられますね。
ただ月とはいえ、やっぱり全体的に暗い感じなのはどうなのか。
千明をはじめ、吾郎にしても娘たちにしてもあんまり幸せそうじゃないんだよなぁ。
人生を楽しんでいる感じでもないし。
その辺が朝ドラじゃなくて土曜ドラマ枠になってしまった理由だったりするのかなぁ。
ちょっと森絵都さんらしくないように感じました。