とある県の山間に、時の流れから取り残されたような美しく小さな町がある。
緑の木々に取り巻かれ、その枝葉や蔓の作る緑色の波にいまにも吞み込まれてしまいそうな、静かで小さな町だ。風に鳴る葉擦れの音は、いつも潮騒のように、あるいは子守歌のように、この町とそこに住むひとびとと包み込んでいる。
冒頭の引用で始まる本書『桜風堂ものがたり』。
文章がとても美しいです。
先日読んだ『鋼と羊の森』を思い起こせます。
また、少し読み進むと“序章”と名づけられた本章は小さな子猫の視点だという事がわかります。
ここまで読んで、悟りました。
間違いなくこの本は、僕に合う本です。
地方の老舗書店で働くカリスマ書店員たち
序章と幕間に現れる子猫の他は、銀河堂という書店を舞台にしています。
主人公一整はそこの文庫担当。
控え目で一人を愛する雰囲気がありますが、隠れた名作を見出す才能があると言われています。
その他にも銀河堂には業界の風雲児と呼ばれた店長をはじめ、ラジオ番組まで持つ文芸担当や、雑誌に書評を寄せたりする外国文学担当と、カリスマ店員だらけの書店です。
ところがひょんなことから、一整は銀河堂を去る事になってしまいます。
失意の中、一整はブログ仲間である地方の名店桜風堂店主の下を訪ね、病に倒れた店主の代わりに桜風堂を任せられる事になる――簡単に言うとそんなお話です。
人気店である銀河堂と、地方の個人店としての桜風堂、同じ書店でありながら大きく異なる二つの店の様子が生き生きと描かれています。
本屋を舞台にした物語、というのも昨今では増えていますが、非常に楽しんで読ませていただきました。
何せあとがきにもありますが、本書を書くにあたって実際の書店員の方々から取材をしたり、原稿を下読みしてもらったりとかなり書店員の方のチェックや意見が入っているようなのです。
本屋好き、というただそれだけでも読んでみる価値は大いにあります。
主人公が見出した『四月の魚』
主人公が銀河堂を去る前に、『四月の魚』という一冊の本を見出しました。
一昔前に活躍した脚本家が著者なのですが、小説家としては無名に等しいために刊行予定の本のリストでは目立たない扱いになっています。
一整はその中から、ピンとこの本に惹かれるのです。
しかし、実際に銀河堂で売り出しを手がける前に店を離れる事になってしまいます。
ですが一整が去った後も残った書店員たちは彼が取り上げようとしていた『四月の魚』を売ろうと努力します。さらにそこに出版元の営業マンや本好きの女優まで加わり、『四月の魚』は思いがけず大きな波となって世の中に広まりを見せるのです。
この『四月の魚』を巡る奇跡こそが著者の書きたかったところなのかもしれません。
読む前にあとがきを読もう
正直なところ、都内ならばいざ知らず他の中都市に銀河堂のようなカリスマ店員が多数存在する書店があるとは思えません。
一人ならばいざしらず、複数人存在するとあっては行き過ぎです。
また、『四月の桜』を巡るムーブメントについてはご都合主義と言われても仕方がないかもしません。
そんな人こそ、まずあとがきを読んでみて下さい。
実際には、こんなにラッキーな流れで一冊の本が売れていくことはないでしょう。
と本人の口から潔いばかりのコメントが書かれています。
その後には、次のように続きます。
――けれど、わたしはこの物語の中で、一応は、「ぜったいにありえないこと」は書いてはいません。だから、どこかの街のどこかの書店で、この物語のようなささやかに幸せな奇跡が起きたことがあるかも知れないし、これから先の未来に起きるかも知れないな、とは思っています。
作者はちゃんと自覚の上でこの物語を書かれていますので「現実離れしている」なんて否定する事がナンセンスですね。
書店を巡る小さな奇跡(ひとつだけではなく、いくつもの奇跡が重なっている)を美しい文章を楽しみながら、見守って下さい。
2017年本屋大賞ノミネート作品
本書は2017年本屋大賞のノミネート作品でした。
この年は恩田陸『蜜蜂と遠雷』が直木賞とのW受賞を果たしています。
ちょっと相手が悪かったですね。『蜜蜂と遠雷』、良かったですもん。
しかもこの年は森絵都『みかづき』、塩野武士『罪の声』、小川糸『ツバキ文具店』、村田沙耶香『コンビニ人間』とかなり豊作の年となっています。
どれが大賞獲ってもおかしくないじゃん、的な。
そんなわけで本書は結果的に五位に終わっています。
また次のノミネートの際には是非頑張って欲しいものです。
ちょっと個人的なことがらを最後に
本書を読んでいる中で、ふと、少し昔の事を思い出してしまいました。
それというのもこちらの一文。
怒りの声というのは何回聴いても慣れることがないのだな、と思った。そして、ぼんやりと、ひとは自分が正義の側に立っていると思うとき、容赦なく言葉のつぶてを投げることができるのだな、と思った。
とある事件に巻き込まれた後にぽつりと漏らされた一整の感慨です。
この一文が妙に胸に突き刺さり、何度も読み返している内に、七年前を思い出してしまったのです。
それは2011年3月、東日本大震災と原発事故があってすぐの事――。
細かくは明かしませんが、僕は被災地と呼ばれる場所で働いていました。
震災後すぐに、職場でとある電話をいただいたのです。
電話の主は東京にお住まいの方でした。原発事故の被害の様子をテレビで見ての、お怒りの電話でした。
「あなたたちは何かしていないんですか? 何かできることはないんですか? なんで何もしないんですか?」
約30分に渡り、電話の主は僕に向かって怒りをぶちまけました。
一応書いておきますが、僕の職場は原発とは何も関わりはありません。公共機関でもなく、ただの一民間企業です。
一応所在地である行政とは連絡を取り合い、幸いにも職場の水道は無事でしたので、欲しいという近隣の方には無料で譲ったりといった活動はしていると伝えましたが、電話の主はそんな事では納得がいかなかったようです。
そんな事じゃない、と。
とにかくテレビでやっていた震災の中のとある一事象にだけことさら拘れられている様子で、それに対する協力姿勢がない事に対してお怒りでした。
僕の自宅のあたりも震度六強ぐらいはあったなので、屋根瓦が落ち、窓からはアルミサッシが飛び出して、棚も冷蔵庫も何もかも倒れ、エアコンはダクト部分だけでかろうじて壁からぶら下がっているようなさんざんな有様でした。
水道も電気も止まり、ガソリンもない中でしたが、やむを得ない事情もあり責務として働いていたのです。
「すみませんが、私も一応被災者なんですけど……」
電話の最中、喉元まで出かかった言葉は、最後まで自分の心の中にしまう事に成功しました。
ですが、電話を切った後でなんとも言えないやるせなさに襲われました。
電話の主は、あくまで「正義」の為に、自らの「正義」の第一歩として、僕の働く会社に文句を言いたかったのでしょう。
でも「正義」ってなんでしょうね。
……この事に限らず、「正義」を振りかざす人々の恐ろしさを当時は本当に肌で感じました。
被災地に住んでいるというだけで心無い言葉を浴びせられる事も一度や二度ではなかったですから。
本当に正義って怖いです。
すっかり余談になってしまいましたが。
『桜風堂ものがたり』ほのぼのとして文章も美しく、穏やかに楽しめる本でした。
本好きの方、本屋好きの方はぜひお試し下さい。