『君の名残を』浅倉卓弥
――行けども悲しや行きやらぬ君の名残をいかにせん
新年初にして、久しぶりの記事です。
浅倉卓弥『君に名残を』。
映画『君の名は。』以後、一時タイムリープものに嵌まり、筒井康孝の『時をかける少女』や半村良『戦国自衛隊』、古典名作と言われる広瀬正『マイナス・ゼロ』等々を読み漁っていた時期があるのですが、その延長線上で手に入れ、積読化していた本です。
『君の名は。』が2016年ですか。
流石に手に入れたのはそれよりもだいぶ後の事ですが、我ながら長々と積読化してしまったものです。
それには一つ訳があり、本書は簡単に言うと、高校生の男女が平家物語の世界にタイムスリップしてしまうというタイムリープもの。
ところが僕自身、平家物語に関して全く教養がない。
戦国時代や幕末の小説は無数に読めど、それ以前というのはなかなか食指が伸びなかったのです。
さて、全く知識がない中で『君に名残を』を読んで楽しめるのかどうか。
であれば、まず先に原本となる『平家物語』等々を読む必要があるのではないかと考えたわけです。
そんなわけで他の小説も読みながら、吉川英治の『私本太平記』を読み、その後『新・平家物語』にチャレンジしていました。
『私本太平記』が13章、『新・平家物語』24章と、今まで読んだ中では『会津士魂』『続・会津士魂』に次ぐ超々大作でしたので、昨年の大半はこれらを読んだような結果になってしまいました。
しかしながらこれらを読む中で、幕末にさんざん楠木正成が尊王の象徴のように崇められ、大して足利尊氏が逆賊と罵られるに至った経緯であったり、漫画やアニメなどにもさんざん転用されてきた義経の鵯越えや壇ノ浦、屋島の戦いにおける那須与一の逸話、弁慶が泣きながら義経を棒で打つ勧進帳等々、およそ平安から室町幕府成立に至るまでの流れやエピソードについても学びなおせたように感じています。
そうして予備知識もしっかりと蓄えた上で、満を持して『君に名残を』に取り掛かりました。
武蔵坊弁慶・巴御前
冒頭は剣道に勤しみ、お互い惹かれ合う高校生の男女が登場します。
男の名は武蔵。
女の名は友恵。
ある雨の日に二人は赤い雷に襲われ、目が覚めた時にはそれぞれ別の見知らぬ場所にいます。
友恵が目覚めた先は、駒王丸をはじめとする少年たちが躍動する山の中。
やがて友恵はその場所が木曽と呼ばれる地域であり、駒王丸はやがて木曽義仲と呼ばれる武人に成長する少年だと気づきます。
友恵が現代で身に着けた剣術は少年たちのかなうところではなく、駒王丸は友恵に剣を教わり、やがて元服した後には友恵を自らの妻として貰いたいと申し出ます。
もうお気づきですね?
女ながらにして自ら刀を手に木曽義仲に並んで戦場に建つ女武者、巴御前の誕生です。
一方で武蔵はというと、人里離れた山野の中で親のいない少年少女を養う1人の老僧の下へとたどり着き、彼らとともに日々を過ごしていきます。
しかしながら、そこへ現れたのは鎧兜に身を包んだ武者たち。
彼らは源氏の祖である源義朝の血をひく子どもを探し、やってきたのです。彼らの探す駒王丸はいませんが、老僧をはじめ少年少女たちは無残にも殺戮されてしまいます。
間一髪一命を取り留めたのは武蔵の他、静という少女1人のみでしたが、二人で彷徨ううちに静は何者かによってさらわれてしまいます。
武蔵は静を探して京へと上り、大きな橋のたもとで武者たちを襲います。
そこへやってきたのが少年牛若。
牛若の家臣となった武蔵は、やがて武蔵坊弁慶と名乗るようになります。
あと1人、四郎という少年もいるのですが、正直なところ彼は話の本筋にあまり関係ないどころか、いてもいなくても良かったんじゃないかと思われる程度の存在ですのでとくには触れません。
彼らが呼ばれた理由、そしてその先の運命とは?
本書の主題はまさにこれですよね。
どうして武蔵と友恵という二人がタイムリープしてしまったのか。
誰が、なんのためにそうしたのか。
この先二人を待ち受ける運命がどうなるのか。
知っての通り、弁慶も巴御前も史実(とされている内容)に基づけば、幸福とは言えない未来へと突き進んでしまう事になります。
木曽義仲は呆気なく討ち死にしてしまいますし、弁慶は義経とともに平泉で果ててしまうのですから。巴御前もまた、木曾義仲没後は消息不明とされています。
果たして武蔵と友恵も、史実に沿った運命に進んでしまうのか。
過去へタイムスリップする物語においては必ず避けては通れない命題ですよね。
『戦国自衛隊』では主人公がいつの間にか織田信長の役目を果たしているという事に気づかされます。歴史を変えようとしてもどこかで辻褄が合わされてしまう。歴史は帰る事ができない、というのが『戦国自衛隊』の答えでした。
さて、本書『君に名残を』はどうなったか。
その答えは未読の方のためにも伏せておきたいとは思うのですが
……まーぶっちゃけ、肩透かしです。
作者の頭の中では上に挙げた主題に対し、明確な答えを示したつもりなのかもしれませんが。
上下巻合わせて1000ページも費やしたとは思えないぐらい、読者としては残念な内容でした。
以下悪口
とにかく文章が読みにくいです。
最初の内は特に、場面が次々切り替わって誰の視点で何を言っているのか戸惑う事も多々。
武蔵や友恵の視点を中心に描けばまだよかったのでしょうが、度々周辺人物たちにも支店が飛ぶのが余計に混乱に拍車を掛けます。
そもそも周辺人物の視点で書いちゃったら本作の意味がないわけです。現代人の視点で過去を語るからこそ面白みが出てくるはずなのですが、当時の人々の視点で物語が動いている間は劣化版平家物語にならざるを得ないわけです。
実際本書は、その情報いらなくね?このエピソードいらなくね?といった内容が大半を占めます。
まさしく『平家物語』を圧縮・コピペしたような内容であったりして。
一つ一つの出来事に武蔵や友恵の意志や行動が反映してくるのであれば面白くもなりそうなものですが、彼らはあくまで武蔵坊弁慶であり、巴御前としての立場をなぞるものでしかありません。それじゃタイムリープした意味なくない? 作品として何を書こうとしているのかボケ過ぎてない?
木曽義仲が平家追放後、逆に京を追われるに至っては「私と一緒に逃げよう」と言い出す始末。そこまで至っても征夷大将軍たる義仲を駒王丸呼ばわりし、周囲の諸将の誰よりも側にいる割に、いつまでも愛だの恋だのの話から離れようとはしません。
沢山の命を奪い、奪われ、苦しい想いをさせたはずの家臣や仲間たちに対する想いが語られる様子は全くないのです。
その後も、どうにもピントのズレたような心理描写ばかりが進みます。
戦国の世に移り、友恵も武蔵も戦乱を通して数限りない命を奪ってきたにも関わらず、自らの仇討には固執し続けたり。
友恵は義経こそ義仲の仇と恩讐に燃え、武蔵もまた、その昔自身が過ごした山里を襲ったのが平知盛だと判明すると、何を先おいても仇討ちを果たそうと燃えます。
その辺って、戦争している内にもう少し意識が変ったりしそうなものですけどね。自分たちも大量虐殺繰り返してるわけですから。持ちつ持たれるというわけではありませんが、じゃあ自分はどうなんだと自己を顧みるような場面があってしかるべきかと。
何よりも残念なのは、この時代の人々と繋がっていく様子がほとんど見られないところです。友恵は義仲と、武蔵は義経とのみそこそこ心を通わせていきますが、周囲の人間と打ち解けたり、友情を築いたりといった様子がありません。
一方でタイムリープ前の武蔵や友人にはいつまでも心を惹かれていたり。
2人とも高校生でタイムリープしていますから、終盤は同じぐらいの月日を過去で過ごしている計算になります。それでもまだ、高校生時代の人間関係にのみ捉われ、生まれ変わってもまた同じ場所で……みたいな感覚って、ちょっと理解できません。
学生として一緒に学校に行ったり部活動したり、といった現代の生活に比べれば、文字通り生死を潜り抜けるような日々を過ごしている過去においては人間同士の結びつきも強固なものになりそうなものですが。
ましてや同時に過去にタイムリープさせられたとはいえ、十年以上会う事のなかった相手と再会したからといって、周囲の誰よりもその相手に肩入れしてしまうなんていうのも想像できないんですよね。高校の同級生と三十超える歳になって再会して、しかも時代が違うとなれば容姿だってお互い気づきえないぐらい変わっていて当然だと思います。
この辺までくれば読んでいる人も少ないでしょうからネタバレしちゃいますけど、過去に武蔵と友恵が招かれた理由が剣の技術のため。彼らが未来から運んできた800年かけて磨かれた剣術が、義仲と義経を強くした……なんて言われましても。
高校生の彼らがほんの数年で学んだ剣術で天下が左右されるなんて。
とにもかくにも最後まで見届けようと読んだ本でしたが、肩透かしでしかなかったですね。
こういう本をオススメしちゃう書評サイトとかって、ちょっとどうかと思います。