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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『マディソン郡の橋』Robert James Waller

〈この曖昧な世界では、これほど確信のもてることは一度しか起こらない。たとえ何度生まれ変ったとしても、こんなことは二度と起こらないだろう〉

ロバート・ジェームズ・ウォラーマディソン郡の橋』を読みました。

今さらご紹介するまでもなく、滅茶苦茶有名な作品ですよね。

ブックオフなんかに行くと未だに100円コーナーに並んでいるのを見ますし、僕の実家にもなぜか本が会った事を覚えています。

当時は読む気もしなかったのですが。

ふと思い当たり、今さらながら読んでみる事にしました。

 

あらすじ

主人公のフランチェスカは農村で暮らす平凡な主婦。

同じく平凡な夫リチャードとの間に、二人の子供に恵まれ、平々凡々と暮らしています。

そんな穏やかな毎日を送る中、夫が子供を連れて旅行に出かけたある日、激震が走ります。

カメラマンであるロバート・キンケイドが道を尋ねにやって来るのです。

ひと目見て、二人は恋に落ちてしまいます。

フランチェスカは率先して道案内に乗り出し、撮影が済んだ後は、キンケイドに食事を振る舞います。

そのまま何事もなく一度は別れを告げる二人でしたが……後ろ髪引かれたフランチェスカは、翌朝彼が再び訪れるであろう橋のたもとに、置き手紙を残すのです。

キンケイドは手紙の誘いに応じて再び彼女の家を訪問。そして――互いの間に迸る想いを抑えきれなくなった二人は、溺れるような四日間を過ごします。

フランチェスカ四十五歳、キンケイド五十二歳で初めて経験する、奇跡的で運命的な巡り合いでした。

 

リチャード達が帰るという日、キンケイドはフランチェスカに一緒に来ないかと提案しますが、残された夫や子どもを懸念した彼女は、苦渋の中、彼の申し出を断ります。

そうして二人は永遠の別れを告げるのですが、以後の人生も、二人で過ごした四日間と相手の事を想いながら生きるのでした。

 

……とまぁ、ざっくりあらすじをまとめてみると、なかなかに微妙な物語です。

要するに「家族の不在中、たまたま訪れた旅人と恋に落ち、その秘密の恋が忘れられない主婦の話」いう事にでもなりましょうか。いわゆる”不倫モノ””不貞モノ”の代名詞とも呼べる作品と言えそうです。

 

実際に不倫した芸能人なんかはマスコミや世間から袋叩きに遭い、仕事も干されるといった致命傷を負うわけですが、一方で不倫を題材にした小説・マンガ・ドラマといった創作物は、現在においても常に一定の人気を集め続けています。

不倫・不貞を許せないものとして位置づけつつも、ある意味では誰しも心の奥底では不倫願望のようなものを抱いており、退屈な日常を一変させる王子様やお姫様の登場に憧れている事の証明だったりもするのだと思うのですが、そこには一つ、共通する重要な条件があるようです。

ただただ性欲だけを理由にとっかえひっかえ男漁り、女漁りを繰り返すような物語はあまり見られないんですね。そういった作品はエロ本・官能小説ぐらいでしょうか。いずれにせよ一般大衆向けには受け入れられないようです。

 

では人気の作品は何が違うのかというと……傍からみれば不純・不倫・不貞な関係なれど、本人達にとっては至って純愛であるという点でしょう。

 

不純な関係の間の純粋な愛

本書の中でも、家族のいない間に間男を自宅に引きずり込んだフランチェスカはとんでもないあばずれのようにも思えます。しかしながらあえて彼女を擁護しておくと、フランチェスカの行動はあくまでキンケイドを想う心からやむなく発してしまったものなのです。

それまでの四十年以上にもわたる人生の中で、いや、その後の人生も含めたフランチェスカの生涯において、たった一度だけ訪れた運命の出会いこそが、キンケイドでした。

彼女が結婚し、子どもを産み、四十五歳になった今になってキンケイドとの出会いが訪れたのは、運命のイタズラとでも言う他ありません。当事者たる彼ら二人も、夫や子どもに対する裏切り行為にあたるなんて事は重々承知の上で、それでも互いの想いを抑える事ができないのです。

 

この「わかっていても止められない」「不純な関係だけど想いは純愛」的な構図こそが人気の秘訣なのでしょう。

 

なおフランチェスカは夫や子どもとの生活を守る選択をしますが、以後もずっとキンケイドを想い続けます。

彼とダンスを踊った時に着たワンピースを大事にしまい、彼と歩いた場所を訪ね、あの夜と同じようにブランデーを傾けては、忘れられない四日間に想いを馳せたりします。

 

そんなフランチェスカの姿は、いじらしくもあり、美しくも見えるのでしょう。

沢山の人の共感を呼び、本作は世界的なベストセラーとなりました。

 

 

運命のイタズラ……で許容できますか?

ただし、批判を恐れず断言してしまえば、流石に時代遅れな点も否めません。

上にも一度触れましたが、現代において不倫は禁忌です。薬物違反や人身事故等によって刑事罰を受けた芸能人が簡単に復帰を遂げる一方、不倫のスキャンダルを報じられた芸能人は、より長い期間干された状態が続いたりします。

もちろん芸能人がイメージ商売であるという点も重要ですが、一般社会においても、数年前から比べれば不倫に対するイメージは格段に悪くなっていると言って間違いないでしょう。

 

フランチェスカとキンケイドは、運命のイタズラによって不幸なタイミングでの出会いを果たしました。

あと二十年早ければ。もっと若かりし頃に二人が出会う事ができていたならば。

きっと二人はもっと自然な形で、もっともっと大きな幸せを手に入れる事ができていたはずです。

しかしながら全ては運命のイタズラのせい……という解釈が許されたのは、やはり本書が書かれた1990年代という時代だからこそ許された部分もあるでしょう。

 

googleで『マディソン郡の橋』と入力するとサジェストに「気持ち悪い」という言葉が出てきます。

本書発行から30年が経ち、現代を生きる人々にとっては真っ当な感覚と言えるかもしれません。

 

夫も子もある身で、その日出会った相手に一目惚れするだけに留まらず、自宅に招き入れてあちこちで性行為を行う。

あまつさえそれらを美しい思い出として書き留めた上、自分の子ども達に遺して死んでいく。

母親が死んだと思ったら、残された手帳から生々しい不倫の一部始終とともに、「私を愛しているのなら私のしたことも愛しなさい」などという手紙が見つかるのですから、自分の身に置き換えてみたらおぞましいどころの騒ぎではありません。

気持ち悪い、というのは極めて自然な感想であって、運命のイタズラなんだからしょうがないね、最期まで想い合っていた二人は美しいね、と済ませられる人はかなりの少数派なのではないでしょうか。

遺された二人の子どもはもちろん、妻の秘めたる想いに薄々感づきながら、先に旅立っていった夫のリチャードを不憫に思う人も多い事でしょう。

もちろん、現代日本と1990年代アメリカでは感覚も大いに違うのでしょうけど。

 

二人の関係が純愛だったとも、結局ただの不貞だったとも、僕はどっちの感覚も理解できる年齢なので、読むタイミングとしては非常に良かったな、と感じています。

まぁただやはり昨今の小説に比べると全体的にちょっと単純だし、あっさりし過ぎているかなぁという感覚でした。そのせいか、二人が結ばれるまでの過程も拙速に感じてしまったようです。

その点、映画版はだいぶ原作とも違っているようですし、メリルストリープとクリントイーストウッドの演技で、どこまで説得力を持たせられるものなのか非常に気になります。

時間が空いた時にでも、観てみたいと思います。