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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『小さな会社★儲けのルール』竹田洋一・栢野克己

なにはともあれエンドユーザーにできるだけ近づき、接近戦を目ざそう。 

しばらくぶりですが、今回読んだのは『小さな会社★儲けのルール』。

以前読んだ『小さな会社の稼ぐ技術』と同様、栢野克己氏の著書であり、中小零細企業がとるべきランチェスター戦略を生かした経営手法について書かれた本です。

まぁあんまりブログウケはしそうになり本ではありますが、出版不況が叫ばれる昨今において2002年の初版以降増刷に増刷を重ね、新版として2016年に刷新した後もさらに増刷、増刷。

実は実は、その界隈ではベストセラーにもなるバイブルとして知られています。

 

 

言うまでもない事ですが、世の中に会社と呼ばれるものが数多くあります。それと同じ数だけ、社長や経営者と呼ばれる人たちも沢山います。

割合で言えば、中小零細企業の経営者の方が圧倒的大多数となるのです。

その中で順風満帆・わが社はうまく行きすぎて何の悩みも苦しみもないという会社になるとほんの一握り。

どこの中小零細企業も、必死で目の前の仕事を消化しつつ、日々将来の不安に怯えているのが現状でしょう。

 

そんな経営者に向けられた沢山の指針が、この本には書かれているのです。

 

ランチェスター戦略とは

詳しく書いてあるサイトや本はたくさんあるのでそちらをご覧いただくとして、当ブログを読んでくださっている方の為に簡単に言うと、“弱者の兵法

元々は戦争における数・道具・距離等の要素が及ぼす勝敗への影響を数字化した考え方なのですが、ビジネスへと転換されて以後はほぼ上記のような意味で使われています。

 

同じ人数でも相手よりも兵器が優れている場合、損害は小さくて済む。人数が多ければさらに存在は小さくなる。大人数かつ優れた兵器で、相手から離れた位置から攻撃できればこれは一方的な虐殺ですが、戦果としては快勝・大勝利と言えるでしょう。

 

これを小規模事業者と大企業の構図に当て嵌めるとどうなるか。

 

莫大な人数で高品質低価格な商品を、ありとあらゆるメディアに広告を投下して絨毯爆撃のように、日本全国・世界規模で攻め進んで行く大企業に、小規模事業者が立ち向かう術はあるのか。

 

あります。

 

簡単に言うと、“一対一の局地戦に持ち込む”という事ですね。

漫画やドラマで見た事があるでしょう。大量の敵に追われている主人公が密林や袋小路の奥にあえて逃げ込み、一対一に持ち込むシーン。まさにあれがそうです。

 

ビジネスで言えば、“営業エリアを極限まで絞り込む”という事に該当するでしょうか。

 

全国的な知名度や情報量では太刀打ちできないかもしれませんが、自分の住んでいる町では大企業に匹敵する知名度を確保する事は可能です。情報量においても、絞り込まれたエリア内においては、インターネットや大企業の抱えるビッグデータにはないような微細なものまで精通する事ができます。

 

さらに重要なのは、“武器を絞り込む”という点。

局地的な一対一の白兵戦に持ち込んだところで、あれもこれもと道具を抱えていてもどれも使いこなせないのでは意味がありません。

刀ならば刀、鎗ならば鎗と、自分が自信を持って戦いに臨める武器に絞り込んで、戦いに出るのです。

 

事業も同様で、あれもできます、これもできます、なんでもありますでは大企業やインターネットに太刀打ちできるはずがありません。

なんでもありますをウリにしてきた大手百貨店ですら、閉店・廃業が続く時代です。

エリア同様、販売する商品(技術)はできるだけ絞り込んで営業する。

 

本書の中では障碍者に特化した旅行代理店や、すそ上げ専門に特化した洋服リフォーム店、短髪専門の理髪店などが挙げられています。

 

さらに客層を絞り、営業戦略にも小規模事業者ならではのアナログ的手法があったり……と様々なアイディアが紹介されています。

 

侮るなかれ

本書に書いてある事は、一消費者としてみればごくごく当たり前の事ばかりです。

商品を絞り、エリアを絞り、対象を絞り、大手がやりたがらないアナログ的な手法で営業する。

 

一見しただけだと、こんな事すらわからないような会社はつぶれた方が良い、なんて思ってしまうかもしれません。

 

でも、そうとも言い切れないのです。

なぜかと言えば、実際には真逆な経営をしている会社の方が圧倒的に多いからです。

 

地方からわざわざ首都圏・大都市圏に向けて人手と手間を掛けて営業しているような中小零細企業はゴマンとあります。

商品を絞る=売るものが少なくなる=客が減ると恐怖から、逆に商品を増やしていってしまう会社の方が多いのも事実です。

 

間違いなくこの商品に絞った方が良い、と実績や経験、社内外からの情報からわかりきっているにも関わらず、既存の商品に携わる人々や思い出といったしがらみに縛られ、動き出せない企業ばかりなのです。

もしかしたら大手企業の方がそういった傾向は強いかもしれませんね。明らかに不採算事業にも関わらずストップする事ができず、最終的に会社の社運を左右するほどの巨額損失を計上してしまうケースはここ最近でも枚挙に暇がありません。

 

いち消費者として見れば一目瞭然なのですが。

自分が当事者になってみると、眼が曇ってしまうというのが実情なのかもしれません。

 

自分が現在置かれた立場、とっている行動が、傍目に見ても間違いのないものなのかどうか。

そういった客観的な観点を維持するためにも、本書のような本を読む事は必要なのかもしれませんね。

 

https://www.instagram.com/p/B6b-DmslzHU/

#小さな会社儲けのルール #竹田陽一 #栢野克己 読了以前読んだ #小さな会社の稼ぐ技術 同様、中小零細企業がとるべきランチェスター戦略について書かれたベストセラー。商品を絞り、エリアを絞り、対象を絞り、大企業がやりたがらないアナログ的な営業で地域一番店を目指す。いち消費者としてみればごくごく当たり前でむしろ反するような会社って一体何考えてんの?と思いがちなんですが。意外と会社の中に入ってみると、できなかったりするんですよねぇ。これまでの歴史とか経験とか人とか思い出といったしがらみが邪魔して、絞るどころかどんどん広げる方に行ってしまったり。自戒の意味も含め、客観的な観点を維持していく意味でも、時々こういった本を読むのは必要だと感じました。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『炎の経営者』高杉良

しばしば「私は損をしてでもこの仕事はやります」というふうな表現をする人の話を聞くが、損を続けて事業が成り立つわけのものでなく、現在損をしていても、将来その欠損を補って大きく利潤をもたらす目標があってこそ事業が成り立つことは、いまさら私が言わなくとも当然のことである。

経済小説の大家、高杉良の『炎の経営者』を読みました。

 

過去にもたびたびブログ記事にしていますが、僕は同じく経済小説の旗手である城山三郎作品が好きです。


それから海老沢泰久さんも好きですね。

記事として書いたのは上記の『F1地上の夢』だけですが、辻調理師専門学校の創業者である辻静雄について描かれた『美味礼賛』はこれまでの人生の中で何度も繰り返し読み返したバイブルでもあります。

 

高杉良に関しては、以前に取り上げたのはワタミグループの創業者渡邉美樹について書かれた『青年社長』。

今でこそブ○ック○業のイメージの強いワタミですが、野心と情熱を持って飲食経営に打ち込む渡邉美樹が重ねてきた苦労や失敗も包み欠かさず書かれているとあって、非常に興味深く、さらにワタミに対するイメージも少なからず変えられる良書でした。

残念ながら城山三郎海老沢泰久も既にこの世の人ではなくなってしまっていますので、今も尚新たに執筆活動を続けれられている高杉良は他に代えがたい存在でもあります。

 

日本石油化学のパイオニア

本書の主人公は八谷泰造。

大阪の小さな町工場から始まり、世界的な石油化学工業『日本触媒』を築き上げた伝説の経営者です。

 

戦前戦中から始まる本書の日本はまだまだ世界から技術的に遅れをとっており、産業技術といえば欧米各国から技術を教わるような時代。

そんな中で八谷は石油化学という分野に希望を見出し、国産の独自技術にこだわって事業を展開していきます。

 

知り合いの知り合い、といったレベルの大企業の経営者を電車の中で待ち伏せて資金提供を直談判してみたり、旧満州鉄道の技術者を大量採用したりと、金に糸目をつけず、なりふり構わずといった風情で技術開発と事業の拡大に勤め、三井・住友・三菱といった旧財閥系の企業と比較されたり、小さな会社が国産技術にこだわるのは無謀だと揶揄されたりしながらも、着実に実績と成果を重ねて成功していきます。

 

世界の中でもトップクラスに位置する現在の石油化学工業の黎明期がこうして築かれていったと知るのにも適しているかもしれません。

 

途中工場で死亡事故が起きたりといった失敗もありますが、基本的には全てがあまりにも純情にうまく行きすぎて、読んでいる側としては社歴年表を文章化して読まされているような味気無さすら感じてしまうところが玉にキズ、でしょうか。

 

昔剛腕・今老害

八谷泰造という人物は昭和の日本男児をそのまま絵に描いたような人物。

一心不乱に仕事に打ち込み、部下や取引先とも豪快に渡り合いながら、麻雀やゴルフに誘い出したり、ある時は従業員の宿舎に押しかけてみたりと快活な日本男児です。

 

一方で娘たちには一階の自分たちの寝室をふすま一枚隔てた部屋しか許さず、何かと言えば小言で縛り付ける頑固親父の姿もまま見られます。長男が第一志望に再チャレンジするための浪人を申し出ても、許さん、こっちの大学に行けの一点張り。

糖尿病を発病しても食事制限は在宅時のみ。

会食やイベントとなれば病気の事などいざ知らず、好き勝手に食い、制限されているはずのアルコールも飲みます。

 

身を案じた妻が自宅からウイスキーを隠そうものなら探し出し、返せ返さぬの押し問答。

 

病はやがて入院を勧められるほどに悪化しますが、社長の身ではそれもままならないとして断り続けます。

糖尿病の悪化が影響してか、時折繰り返される心臓発作。身辺に看護師をつけ、薬剤や注射を処方して乗り越えていきますが、ほんの少しの距離の歩行すら困難になるほどに体は病に蝕まれていってしまいます。

 

それでも入院しようとはしません。

家族が止めようが部下が止めようが、社内外の行事に出席し続けようとします。

 

予想通り、最後は自身の机に座ったまま心不全に襲われ、呆気なくこの世を去ってしまいます。

 

炎の経営者と言えば聞こえは良いですが、八谷泰造を現在に蘇らせたとしたら“老害”と呼ばれるのは間違いありません。

一方で、命を惜しむことなく、ただただ石油化学の発展に尽力し続けた姿は幕末の維新志士たちの姿と重なるものがあります。

 

今の日本があるのは、彼らのような日本男児の無謀とも言える生き様のお陰かもしれませんね。

 

https://www.instagram.com/p/B563zTrlrVZ/

#炎の経営者 #高杉良 読了#城山三郎 にも似た #経済小説 #ノンフィクション 作品。主人公は日本触媒の創業者である八谷泰造。名だたる大企業が欧米諸国の技術に頼り切る中で、小さな町工場から国産にこだわり石油化学工業を発展させてきた伝説の経営者です。戦前〜戦後の伝説的人物だけあって人生を仕事に捧げ、病に侵されようとも身体を労ろうともせず、禁止されているアルコールを摂取し続けて最終的には社長室のデスクで亡くなるという破天荒ぶり。妻や子ども達にも従順さを押しつけ、最後まで妥協しない暴君ぶりを見せつけます。現代日本では老害扱いは間違いありませんが、命を惜しむことなく情熱に尽力し続けるその姿は幕末の維新志士に通じるものがあるようにも感じられます。今の日本は彼のような古き良き(悪き?)日本男児によって作られてきたのだと改めて思わされました。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『雪月花黙示録』恩田陸

「行くわよ、フランシス」

「ええ、ジュヌヴィエーヴ」

「一回、こういうのやってみたかったのよね」

「月に代わっておしおきよ(二人でハモる)」

のっけから妙な会話を引用してしまいましたが。

映画公開でも話題になった『蜜蜂と遠雷』でお馴染み恩田陸さんの作品『雪月花黙示録』を読みました。

蜜蜂と遠雷』の映画、良さそうですよね。

www.youtube.com

亜夜役の松岡茉優マサル役の森崎ウィン、明石役の松坂桃李と、よくぞここまでハマった配役をしてくれたというものです。

まぁ明石役はもうちょっと年長者でも良かったかなと思わなくもないですが。

 

そのせいか、最近当ブログの中でも『蜜蜂と遠雷』に良く似た恩田陸作品である『チョコレートコスモス』のPVが伸びています。


さらに、恩田陸のもう一つの代表作である『夜のピクニック』に引きずられてか、それに似たデスゲーム系のホラー小説『死のロングウォーク』の記事も妙に見られるようになっていたり。

 

 

やはり映画や原作を読んだ人たちが、あの感動や興奮を味わいたいと『蜜蜂の遠雷』に似た恩田陸作品を探しているのでしょうね。

 

だからというわけではないのですが、恩田陸作品を読みました。

 

まぁ、、、ところが……。

 

冒頭の引用文を読んで嫌ぁな感じをした人もいるのではないかと思うのですが。

悪い予感はまさしく大当たりでした。

 

和風アクション×SF

物語はミヤコと呼ばれる都市を舞台としています。

冒頭から蘇芳と萌黄という二人の少女が突然竹刀で打ち合うような展開から始まり、登場人物たちは古き良き日本の武を重んじるような世界なのだという事がわかります。

 

彼女たちが通うミヤコの最高学府、光舎では会長選挙が始まります。

光舎の会長選挙はミヤコ全体の権力者を決定する伝統的なイベントでもあるそうです。というのもミヤコは後者で学問を究める若者たちを中心に自治権が発達し、その周囲に町が発展する形でこんにちの姿を築き上げてきたから、という謎ロジック。

 

会長選挙には蘇芳と萌黄と同じ春日家から、現職の紫風という少年が立候補し、連覇を狙います。他には改革派から1人と、帝国主義者に近いと噂される及川道博。

道博はほぼ同名の某タレントをイメージしてか、派手好きなアイドル風の自意識過剰少年であり、女子生徒から黄色い声援を集める一方で、蘇芳には積極的にアプローチを掛けていたりします。

 

紫風の屋敷が襲撃を受けたり、立会演説会では紫風が刺客に襲われたり。

蘇芳が竹藪の中で謎のダイオードロボット(≒今でいうVR的なもの?)に襲われたり。

道博はUFO型の乗り物に乗って空を飛びまわったりもします。

 

まぁとにかく蘇芳を中心に、SF的近未来世界の中で女子高生が剣を持って大暴れするような和風ファンタジーものなのです。

 

恩田陸はシンプルなものを読め

↑が全てですね。

 

恩田陸作品には当たりハズレがあります。

それもかなり。

 

蜜蜂と遠雷』や『夜のピクニック』のように最初から最後までうまくまとまるものもあるのですが、張り巡らされた伏線が最後まで回収されずに放り捨てられてしまったり、詰め込み過ぎた要素がまとまりきれずにとっ散らかったままになってしまったり、昭和の漫画やBLものを彷彿とさせるような作者の趣味に走り過ぎてしまったり、といった作品も多いのです。

 

本書は上記のような恩田陸の悪いところを集約してしまったかのような作品でした。

 

ミヤコを中心とした都市、という設定からまず無理がありましたし、帝国主義との対立構造についてもいまいちピンと来ないまま。ミヤコの中で彼らがどうして剣の道に重きを置いているのかや、発達しているはずの近代科学との関係性といったものも説明のないままに物語だけがぐいぐい進められてしまいます。

 

やたらと昭和のアイドル的なキャラクターを演じる及川道博を初め、登場人物たちもステレオタイプを切って貼ったかのような記号的な人物ばかり。主人公格である蘇芳はやたらと酒を愛し、酒を欲しがるという一体どこを狙ったか理解しかねるようなキャラクター造形も。

 

SFであったり、剣であったり、色々と盛り込み過ぎてしまった結果、収まりが付かずに破たんしてしまったようにしか思えません。アマゾンのレビューなどでは「ラノベ」などと悪い意味で切って捨てているものも見受けられますが、昨今のラノベ界のクオリティの高さを考えると、「ラノベ」と呼ぶのも憚られます。

強いて挙げれば勢いで書き出して勢いで書き上げた「なろう小説」といったところでしょうか。

 

ちょっと悪く書き過ぎてしまったかもしれませんが、一つだけ言えるのは恩田陸作品に関しては「シンプルなものを読め」という事。

 

蜜蜂と遠雷』=ピアノコンクール

夜のピクニック』=夜通し歩き続ける歩行祭

チョコレートコスモス』=演劇オーディション

 

こういうシンプルなものほど、恩田陸の良さは発揮されると感じます。

 

そこに超能力やSF、ミステリといった要素が複合的に加わってくると、どうもまとまりきれずに破たんしてしまう傾向にあるように思えます。

蜜蜂と遠雷』でも感情移入しやすい明石や亜夜に比べ、ちょっと神秘的なニュアンスを取り入れた風間塵のエピソードは浮いている感じがしましたし。

 

とはいえまだまだ恩田陸作品の全てを読んだわけではないですからね。

既に積読もありますし。

また他の本も読んで、良いものがあればご紹介したいと思います。

 

 

https://www.instagram.com/p/B5W2MvSFiPU/

#雪月花黙示録 #恩田陸 読了UFOを乗り物にしVRロボットが襲いかかる中、女子高生が剣で戦う和風SFアクション。恩田陸にしては珍しい題材なのですが正直企画倒れ。ちょっと褒めるところが難しいぐらい残念な本でした。色々と当たり外れも激しい恩田陸ですが、読むのをやめたくなったのはこれが初めて。ブログにも書きましたがやっぱり恩田陸はシンプルな話を書いた方がいいですね。コンテストとかオーディションとか夜通し歩くだけのイベントとか。SFとか超能力とか謎解きとか扱う要素が多くなると作品の質が落ちる傾向にあると感じます。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『一瞬の光』白石一文

白石一文『一瞬の光』を読みました。

通常当ブログの最上部にはその本の特徴的・印象的な一文を引用するという形を取っているのですが、本書に関しては何度も何度も見返して探したのですが、結局どうしても該当しそうなところが見当たらないので省く事にします。

 

だって無かったんですよ、本当に。

 

派閥抗争×二男二女の恋愛模様

大企業社長の腹心を務めるエリートサラリーマン橋田浩介が主人公。

異動したばかりの人事部では反体制派の上司がいたりとちょっとしたストレスはあるようですが、社長の姪を恋人に持ち、基本的には順風満帆。

そんな彼が、男に絡まれているところを助けた縁で、女子大生・中平香折と出会う事になります。

異常に怯えを見せる香折には壊れた家族環境があり、浩介は彼女の就職活動を支援したり、新しいマンションを提供したりと親身に世話を焼くように。

 

香折には彼氏がおり、浩介との間には肉体関係のないプラトニックな関係が続きますが、同時に浩介は恋人である瑠依と親密さを増し、香折もまた新たな彼氏を見つけます。

しかしながら、それでも浩介と香折は互いに特別な関係を続けようとします。

 

一方で浩介の属する現社長派にも看過できない事件が発生し、浩介は派閥抗争の大きな波へと立ち向かう事になります。

 

あらすじだけ読むと、そこそこ面白そうに思えるんですけどね……

  

 

小説版『島耕作』(劣化)

簡単に言うとコレでした。

ただし、現行版『島耕作』ではありません。

連載開始当初の『課長島耕作』です。

 

  • 大企業における派閥抗争
  • 執拗なラブシーン
  • ドンペリや高級外車のバブリー感

 

幾つか要素だけ抜き出しただけでも島耕作感がありますね(笑)

 

社長にも愛人がいて、その腹心の上司にも愛人がいたり。

上司と愛人との揉め事にまで主人公が奔走したり。

そういえばこんなの、ずっと昔に島耕作で読んだっけな……なんて既視感がぬぐえませんでした。

 

しかしながら『島耕作』は現在も連載が続く指折りの人気作品でもあります。

その人間模様や象徴的なシーンの多さには舌を巻くものがあります。

登場人物の中にはかなり破天荒なキャラクターも多いですが、それが逆に味となり、登場人物たちの盛衰を感情移入しながら見守った読者も少なくないでしょう。

 

翻って本書を見た場合、“似た系統の作品”だけに劣化具合がより鮮明になってしまいます。

本書の登場人物たちも破天荒ではありますが、感情移入するどころか敬遠したくなるようなサイコパスばかりなのです。

 

 

サイコパスな主役男女

そもそも香折との出会いからしてヤバい

バーで飲んだ帰りに、路地の暗がりでもみ合う男女を浩介が見かけるところからスタート。

仲裁に入った浩介は、即座にためらいもなく男の腕をねじ上げ、腹部に膝蹴りを食らわせるという大立ち回りを演じます。

 

いやいや、大企業の現役エリート社員が暴力はいかんでしょ(笑)

 

その後、香折との関係が始まるのですが、この導入部がかなり強引

浩介がなぜ香折を放っておけなくなってしまったのかという理由がかなりおざなりなので、突然ほぼ見ず知らずの女子大生の世話を焼き始める主人公の行動に戸惑いを隠せません。

家賃のほぼ半分を自らが負担する形で引っ越しを手伝うに至っては、正気の沙汰とは思えなくなってきます。一部上場企業のエリートというのは、課長クラスでも30代でも月々数万円をポンと出せる程の給料を貰えているのでしょうか?

 

本書は浩介の一人称で書かれていますが、自分について説明する際のなんら衒いのない形容にも必見です。

女性というのは、私にとっては自然に近づいてくるものだった。自分から近づいたことはなかった。せいぜい選択する程度で、好きになられて好きになった。だが、私はいつも思っていた。どうして彼女たちはこんな私を好きになるのだろうかと。

 

私は子どもの頃からずば抜けた秀才として通してきた。

 

鼻につくどころの騒ぎじゃありませんね。

さらに、かつての恋人恭子との二回目のデートではこんな会話も

 

「橋田さんの方こそ、彼女はどんな方なんですか」

「さあ、沢山いるから、何て言っていいか分からない。学生の頃から付き合ってる人もいるし、仕事先で知り合った人もいるし、それに女子大生もいるしね。その子は銀座の店でアルバイトしてて、つい最近知り合ったんだけどね」

「へえ、そんなにいっぱいの人と付き合ってるんだ」

「まあ、付き合ってるってわけでもないけど。時々呼び出して飯食ったり、セックスしたりするってとこかな。それにしたって忙しいしね。たまに時間ができたらって感じ」

 

……これが狙っている女性との二度目のデート時の会話だというのだから、正気が疑われますよね。

そうかと思えば、友人の遠山が死んだ後、その妻である千恵が半年後に再婚をしようとした際には、たった半年で他の男と暮らすなんて、と激昂したり。。。

 

自意識過剰で自分には甘い癖に、他人には厳しいという最悪の人間性なのです。

 

更に、最初に香折に絡んだマスターを組み伏せて後も、カラオケボックスでちょっかいを掛けてきたチンピラ少年を路上で執拗に暴行したり、自分を裏切った社長にナイフを突きつけて暴行した挙げ句土下座を強要したりと、やたらと刃傷沙汰を好む側面もあったりします。

 

腕っぷしが強い=格好いいというかなり古臭い世界線の上で作られた物語のようです。

 

さらに、香折というヒロインがかなりの曲者

DV被害に遭うばかりか現在も実の兄に着け回されるというかなり複雑な家庭環境を抱えているのですが、浩介にやたらと信頼を寄せたかと思えば彼氏がいたり、さらにいつの間にかその彼氏とは別れて新しい彼氏ができていたりと、驚きの尻軽ぶりを見せます。それも香折の部屋を訪れていた浩介と、やってきた新しい彼氏がばったりご対面して、初めて知るような顛末。

DVの事は初めて浩介に話したと言ったかと思えば、過去の恋人にも話してきた事が明るみになったり。全く信用のおけない虚言癖が疑われるような一貫性のない発言にも驚かされます。

 

読めば読むほど、どうして浩介が香折を大切に思えるのか謎が深まるばかりです。

放っておけないと言う意味がわかりません。

DVの家族から逃げ回り、言い寄る男には次々と体を許し、さらに嘘をつきまくるというかなりヤベーやつとしか思えないのです。

香折の長所と呼べそうなところどうやら見た目が良いらしい、という点ぐらい。

そのルックスを武器に次々と男を引き寄せては、嘘や気のある素振りで翻弄する魔性の女としか思えません。

 

さらに浩介・香折の最大の被害者が、彼らの恋人である瑠依と柳原。

瑠依は社長の姪であり、お嬢様育ち。学生時代に雑誌の表紙を飾る程に容姿端麗で、浩介に負けずとも劣らない大企業務め。料理が大好きで献身的に浩介のお世話をしてくれます。しかもエッチです。

 

柳原もまた頼りなさげではありますが、大企業勤務で学生時代にはラグビーを経験。彼もまた甲斐甲斐しく香折に寄り添おうとします。外見上はあまり触れられませんのでそう優れてもいないのかもしれませんが、至って穏やかな常識人というイメージ。

 

本書の最大の謎は、聖人君子のような瑠依と柳原が見た目以外はサイコパスな浩介と香折に入れあげてしまうという点にあります。

瑠依と柳原は本当に一途に恋人の事を想い続けるのです。

 

一方で浩介はといえば瑠依に向かっても平然と「香折は大事な人」と言い切り、関係を解消したりする素振りすら見せません。納得の行かなさそうな瑠璃への提案が「今度4人で食事をしよう」です。あまつさえ4人揃った場でも香折と仲良さげな様子をこれでもかと見せつけたりします。通常の神経であれば怒り狂いそうなところですが、瑠依はそれすらも許容し、受け入れた上で浩介に身も心も捧げようと尽くします。

 

さっぱり意味がわかりません。

 

僕は社内闘争に敗れた浩介をあっさり見放して去っていく、瑠依の打算高い本性を期待していたのですが、それすらもありません。瑠依は本当に最初から最後まで、浩介に純愛を捧げ続ける天女なのです。

そんな瑠依を捨ててまで、香折が大事だと想い続ける浩介。

こんなの作者の思い込み・打算以外に説得力のある理由なんて皆無でしょう。

 

 

香折も同様で、柳原を恋人と言いつつも、少し苦しくなるとすぐに浩介を頼ってしまいます。瑠依に配慮するような雰囲気もなくはありませんが、その割にきっぱり身を引くわけでもないのだから、さっぱりわかりません。

それでも柳原は甲斐甲斐しく香折を愛し続けます。

ホント、そこまで男たちを虜にする香折の魅力とは見た目以外に一体何があるのか。

作者の設定の力、としか言いようがありません。

 

時代性……なのか

小説というものは大なり小なり書かれた時代を反映するものです。

時代を超越すると言われる本格推理小説の古典、さらにクローズドサークルものだったとしても、登場人物の言動等に時代性はどうしても現れてしまいます。

 『一瞬の光』で描かれるエリートサラリーマン浩介の姿とは、もしかしたらまさしくそういうものなのかもしれません。

 

 

口説こうという女性を前に自分がいかにモテる男かを講釈したり、チンピラに暴力でやり返したり、高級外車で高級レストランに出入りし、一回で百万もの家具を買い揃えたり、高級ワインを惜しげもなく開けたり、理想的な女性像が家柄も頭脳も容姿にも優れた上、料理も万能な才色兼備の超人だったり。

 

僕にはいまいち想像できないのですが、きっと昭和のトレンディドラマ的なあれこれが人々の心を刺激した時代もあったのでしょう。

 

……と思って発行年を調べてみたら、単行本の初版が2000年。

 

2000年ってまだそんな時代だったかなぁ?

 

いずれにせよ作者とは感性が合わなさそうなので、もう作品を手に取る事はないと思います。

僕よりももっともっと年齢が上の世代の人だったら、もしかしたら楽しめるのかな?

 

https://www.instagram.com/p/B41bg3WF4d4/

#一瞬の光 #白石一文 読了派閥抗争の渦中にあるエリートサラリーマンが女子大生と出会い、それぞれに恋人を持ちつつもお互いに強く惹かれ合うようになるという話。この二人の恋人というのがスゴいんです。特に瑠衣という女性は容姿端麗・才色兼備・一流企業務めで家柄も良く料理もプロ級というスーパーマン。彼女はどんな目にあってもひたすら純愛を捧げます。ところが主人公とヒロイン役というのが、見た目が良いだけのサイコパス。全く持って共感できません。時代性もあるかもしれませんが暴力は振るうし嘘はつく。自分の事は棚に上げる。もうヤバいヤバい。そんな男女関係が高級外車に高級レストラン・高級ワイン尽くしで、セックスが日常会話のごとく溢れる劣化版島耕作のような世界観で繰り広げられます。文章にもやたらと豪華さ、凄さを形容する言葉が目立ち悪い意味で重厚に。ほとんど読み飛ばしても差し支えないレベル。ここ数年でもワースト何位かに入るヤバい本でした。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『ネジ式ザゼツキー』島田荘司

「すっかり全部さ。大きな地震が起こり、ルネスのネジ式のクビがゆるゆると回って、マーカットさんの目の前で、実際にころりと落ちたということになる。そう考えるしかないんだ」

ものすごく久しぶりに島田荘司を読みました。

僕は元々講談社が打ち出した“新本格推理ブーム”が大好きなのは、『密室殺人ゲーム王手飛車取り』の記事にも書いた通りです。

linus.hatenablog.jp

講談社創元推理文庫から次々とデビューする新本格ミステリ系の作家はもちろん、『十角館の殺人』に登場したエラリイ・クイーンやアガサ・クリスティーといったミステリ黄金期の古典作品も読みました。

しかし当時は松本清張の切り開いた社会派推理小説がまだまだ書店の棚を幅を利かせていた時代。地方の小書店の中でお目当ての本を見つける事は至難の業に等しい上、インターネットもキュレーションサイトもないのでそもそも本格推理小説と言ってもどんな本がオススメなのかすらわからない時代でした。

宝探しのようにまだ見ぬ作品を探していく中で、一つの指針ともなったのが島田荘司の著書である本格ミステリー宣言』でした。

 

そこで語られる島田荘司本格ミステリ観や、綾辻行人法月綸太郎らが文壇デビューするに至った経緯、新本格ミステリの成り立ち等々は興味深いものばかりで、まさしくバイブルのようにして読み込んでいたものです。

 

ですので僕の中で島田荘司はある意味では“教祖”とも言える立ち位置へと昇華されていったのでした。

実際に『占星術殺人事件』や『暗闇坂の人喰いの木』は読みごたえもあり、本格ミステリの王道とも呼べる内容で、当時は本当に心酔しきっていたものです。

 

 

ところが新本格派の作家さんたちに見られた傾向として非常に“遅筆”というものが挙げられます。発売された作品をある程度読んでしまうとすぐさま打ち止めとなり、ようやく新刊が出たかと思えば雑誌掲載分をまとめた短編集ばかり。

そうこうしている内に“新本格ミステリブーム”の鎮静化が置き始め、個人的にも名探偵・密室・謎重視の淡白な物語といった画一的な推理小説に飽きが来てしまい、推理小説そのものとともに島田荘司からも離れてしまいました。

 

以後、いまいち新刊の話題も耳にしないまま現在に至ってしまいましたが……新本格の旗手たちがそれぞれ新たな境地を切り開いている中、“教祖”たる島田荘司のその後の姿を見てみようと思い、たまたま目についた本書『ネジ式ザゼツキー』を手に取った次第です。

 

安楽椅子探偵

簡単に言うと、いわゆる安楽椅子探偵ものです。

本格ミステリ風にカタカナ表記で言うと“アームチェア・ディテクティブ”

 

推理小説の多くは探偵が事件のその場に居合わせたり、または事後に現場に足を運ぶ形で推理を試みますが、安楽椅子探偵は現場に赴くことなく、文字通り椅子に座った状態で、伝聞や資料を下に謎を解いていくのです。

十角館の殺人』に登場したバロネス・オルツィの代表作『隅の老人』シリーズが先駆けとも言われています。

シャーロック・ホームズにも似たような話はありますね。

その他、個人的に好きな北村薫の『円紫さんと私』シリーズだったり、テレビドラマにもなった『謎解きはディナーのあとで』も安楽椅子探偵ものと言えそうです。

最近はこの辺のラノベ推理小説でよく使われているイメージかもしれません。

 

ところが安楽椅子探偵ものの最大の難点というのが、動きが少ないというもの。 

探偵自身は伝聞で事件の全容を知るケースが多い為、基本的に事件は事後となります。ですから推理小説でありがちな「次に誰が襲われるか、もしかしたら自分たちにも身の危険が迫っているかも」といったスリルもなく、誰かの回想シーンが中心となる事で、物語のスピード感や起伏がなくなってしまうのです。

 

なので個人的にはできるだけ短編でやって欲しい手法だと思っています。

 

本書はそんな安楽椅子探偵の設定で600ページ超の超長編に挑んでしまった作品。

さて、どんな結果になるか……。

 

記憶喪失の男と鍵となる不思議な童話

事件は脳科学者となった(いつの間に!)御手洗潔の下に、エゴンという記憶喪失の男がやってくるところから始まります。

エゴンは会う度に御手洗と初対面であるかのような挨拶を交わし、毎回同じような他愛もない会話を交わします。

彼の記憶を辿る手がかりとなりそうなのは、エゴンが書いた『タンジール蜜柑共和国への帰還』という童話のような不思議な物語のみ。

 

全く何の手がかりにもならないようなところから御手洗は推理の糸口を見つけ、少しずつエゴンの記憶を紐解いていくのですが……

 

これって一体なんの話? 

 

ぶっちゃけわけわからないんですよね。

 

これが例えば「記憶をなくした少女の右手に血まみれのナイフが握られていた」みたいなところから始まるベタな物語であれば話は早いのですが、そもそもエゴンって誰? なんでこの人の記憶を探りたいの? という一番重要な理由づけがないまま話が始まり、進んで行ってしまうのでさっぱり入り込めない。

 

名探偵の前に記憶喪失の男を登場させたら、そりゃ記憶探るだろー的なお約束を元に強引に話が進められていってしまいます。

さらにそこに島田荘司にありがちな物語と関係があるんだかないんだかも不明な衒学的なあれこれが肉付けされ、ただでさえ冗長に感じているところに『タンジール蜜柑共和国への帰還』を読まされるに至ってはもうさっぱり意気消沈。なんでこんな謎文章読まないといけないの?と。

 

もちろん、最後にはとんでもない謎と解決が待っているかもしれない。

エゴンの記憶も面白くもない空想童話もそれらの重要な材料かもしれないとはわかっているんですが、推理の材料でしかない文章ってとにかく読むのが苦痛。

 

「どうやら猿人の発掘に関わっていたっぽいぞー」

 

なんて新たなヒントが浮上してきても、なんでこの人の記憶を探りたいの?というそもそもの理由が欠落しているため、さっぱり興味を持てないんですよね。

どんなに推理を展開されても、こちら側としては全く乗り気になれないという。

 

どうやら過去に起きた殺人事件と関わりがあるらしいという事が明らかになってくる中盤以降、ようやく推理小説らしき匂いがしてきます。

ただまぁ、それとてぶっちゃけどうでも良くない?とか思えてしまえたり。。。

 

赤の他人じゃ駄目だ

ここまでブログを書き進めてきて、本書に決定的に欠けている点に気づきました。

記憶喪失から始まってそこから導き出される様々な過去の事件について、どうして興味を持てないのか。

 

冒頭になんでこの人の記憶を探りたいの?というそもそもの理由が欠落していると書きましたが、もっと言えば利害関係者でもなんでもない赤の他人の過去とか事件とか全くもってどうでもいいって事です。

逆に言うと、登場人物たちに感情移入できるような関係性が欲しいんです。

 

御手洗潔の友人だとか知人だとか恋人だとか、それらの人のつながりでもいいです。

具体例を挙げれば、過去に『 暗闇坂の人喰いの木』と『水晶のピラミッド』と『アトポス』に登場したヒロイン役・松崎レオナとかね。

 

読者が「この人を助けてあげて欲しい」「救って欲しい」と思えるような対象がいて、その人のために活躍するからこそ、名探偵は名探偵なんです。 

 

どこかから連れて来られた赤の他人の記憶や過去の出来事をああでもないこうでもないと推理されたところで、読者が興味を持てないのは当然です。

 

暴れん坊将軍』や『水戸黄門』のような勧善懲悪ものを例にとれば、単純明快です。

金さんや黄門さまは、自ら一般社会の中に入り込んで、その中で出会った市民の窮地を救うために、悪と戦います。

出会ったばかりタイミングでは、市民は根っからの善人ばかりではなく、時には金さんや黄門さまに無礼な言動をぶつけたり、愚かな行動をとったりする事もあります。しかし、やり取りを交わす中で、改心や成長したり、金さんや黄門さまと心を通わせ、ひいては視聴者との間にも親近感のような関係性が構築されていきます。

そこに出会いがあり、関係性が構築されているからこそ、視聴者も彼らを「悪い奴らを懲らしめて助けてあげて」と思えるわけです。

 

この構造から「一般社会の中に入り込み、心を通わせる」という出会いの場面を除いてしまったらどうでしょう?

 

最初から見ず知らずの町人が金さんや黄門さまに「助けて下さい」とやって来て、話を聞いたり調査を重ねたり……最終的に悪い商人が白洲に引き出されて首を刎ねられそうになりますが、温情措置により許しを得、改心を誓う。

 

……面白いですかね?

 

島田荘司は従来の固定化された本格ミステリの既成概念を打破しようと色々と試行錯誤しているようですが、本作に関してははっきり大失敗と言えるでしょう。

 

世界を舞台にインターネットを駆使し、や古代遺跡発掘・スペースコロニービートルズ等々、様々な要素を詰め込む事で、従来の推理小説から大きく飛躍したスケール感は素晴らしいと思うのですが、スケール感を大きくしたからといって傑作につながるわけではないですよね。

 

昨今ではどんどんスケールが大きくなっていく傾向にあるようですが、どこかで一度「閉ざされた山荘」的な本格推理小説の原点に立ち返ったような作品にも挑戦して欲しいものです。ページ数も400ページぐらいにまとめて。

 

実際に、最近はラノベ系・奇抜系の推理小説推理小説風味の何かが大量生産されるばかりで、ど真ん中を突くような王道ミステリは久しく見ていない気がします。

そんな今だからこそ、需要はある気がするんですけど。

講談社さん、原点に立ち返って『新・新本格ミステリ』的なムーヴメントをもう一度仕掛けてみて貰えませんかねぇ。

ラノベ全盛の今じゃあ難しいのかな。

 

https://www.instagram.com/p/B4oDYqpFWjm/

#ネジ式ザゼツキー #島田荘司 読了#新本格推理 の教祖と勝手に思っている島田荘司の作品を久しぶりに読みました。しかしながら #安楽椅子探偵 #アームチェアディテクティブ ものは長編には向きませんね。島田荘司お馴染みのスケールの大きな衒学的あれこれとも結びついて、なんとも冗長的な物語でした。やっぱり名探偵は赤の他人の依頼に応える医師のような役割ではなく、当事者として悪と戦うヒーローであって欲しいと改めて思います#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『ひらいて』綿矢りさ

無駄に生きてるんだ、もう無駄にしか生きられないんだ。

長い長い『新・平家物語』の読書を終えた後、本棚にたくさんある積読本から選んだのは綿矢りさの『ひらいて』でした。

 

綿矢りさで読んだ事があるのは2001年に当時17歳という最年少タイ記録で第38回文藝賞を受賞した『インストール』。

それから記憶に新しいところではかなり変わった女性の自己中心的な(?)陶酔的な(?)一風変わった恋愛模様を描いた『勝手にふるえてろ』。

勝手にふるえてろ』は個人的にはかなり面白く読みました。

本作もまた、『勝手にふるえてろ』と同じ匂いを感じさせる1人の自己陶酔型少女の恋愛を中心としたお話です。

 

モテ系女子と地味系男子

本書の主人公である愛は華やかで見た目もよく、モテるタイプの女の子。

彼女が恋した男子というのが、クラスでは存在感の薄い地味系男子。

彼は都内でも最難関と呼ばれる大学を目指す秀才でもあります。ただし、日常風景を見る限り友達も少なく、運動神経もあまりよくなさそう。

それでも彼女は、いつの頃からか彼に惹かれるようになってしまいます。

 

ある日、彼が学校でみんなから隠れるようにして手紙を読むシーンに遭遇する愛。

ひゅんなことから夜中に学校に忍び込むに至った愛は、彼の机から隠されていた手紙を盗み出します。

元そこに書かれていたのは、恋人からのラブレターを思わせる内容でした。

美雪、という署名に元クラスメートの顔を思い出す愛。

愛は疎遠になっていた美雪に近づき、彼との関係をそれとなく聞き出そうと試みます。

 

 

少女マンガかと思いきや……

途中までは、上に書いた通り少女マンガを思わせるようなベタな学園ラブコメなんですよね。

 

ところがどっこい←

 

途中から愛が想像をはるかに超える言動をはじめ、物語は斜め上の展開を見せるのです。

 

いやはや、めちゃくちゃびっくりですね。

ずっと憎んだり憎まれたり殺したり殺されたり権謀渦巻く平安時代の話を読み続けていただけに、こういう爽やかな青春ものもガラリと気分が変っていいなぁ、なんてのほほんと読んでいたのですけれど。

 

何やら雲行きが怪しくなってきて以降は、目を離せなくなってしまってすっかり夢中に読みふけってしまいました。

 

要許容力・要寛容性

個人的には一気読みするぐらい面白い物語でしたが、『勝手にふるえてろ』同様、登場人物の思考や人間性にかなり偏りが見られるため、読む人によっては拒絶反応が出そうなのは避けがたいところ。

事実、読後にAmazonのレビューを見てみると低評価のものも多いです。

内容も予想通り、思考や人間性に対する拒絶反応を示すものが大半を占めているようです。

 

物語の登場人物である以上、個性的である方が面白いと思うんですけどね。

このぐらい滅茶苦茶だと読者側の想像力を超えてくるので、先の読めない面白さも楽しめますし。

 

物語に順当さを求める人が多い事も承知はしていますが、「エンタメ色強い登場人物とストーリーを文学作品らしい密度の濃い文章」で書きあげるのが綿矢りさなのだと思っています。

私の笑顔はちょうど、いま穿いているソックスの刺繍。表側の真白い生地には、四つ葉のクローバーの刺繍が施されているが、裏返せば緑色の糸がなんの形も成さず、めちゃくちゃに行き交い、ひきつれているだけ。

衝動的に行動してすぐに衝動的に謝る人間は、反省が足りないから、また同じことを繰り返す。

朝井リョウもそうですけど、日常生活における着眼点とか、それを文章化する能力が凄過ぎます。

普段からこんな風に物事を見ているのだろうなぁ、と思うと感心しかありません。

 

けど綿矢りさがもっと大衆受けする平々凡々な物語を書いたら、きっと直木賞本屋大賞に輝くような作品になると思ったりもするんですけどね。

彼女の書く物語って良い意味でも悪い意味でもアクの強い、奇人変人ものが多くなってしまうので。

 

主演・松岡茉優

上にリンクを貼った『勝手にふるえてろ』の記事に詳しく書きましたが、僕は松岡茉優が好きです。

勝手にふるえてろ』は彼女が主演で映画化されましたが、どうも綿矢りさ作品と松岡茉優の親和性って異常に強いと感じます。

松岡茉優は今でこそ人気女優の地位を築いていますが、どこか他の女優さんとは異なる狂気性というか異常性を感じるんです。

常に無理してキャラを作って演じて、一向に素の人間性を見せない感じ。

どうも本人すら、自分の真の姿なんてわからない。わからないどころか、わかろうとする事すら放棄してしまった人から感じる開き直った感といいますか。

 

その辺りの狂気性が、綿矢りさ作品が感じさせる異常性と非常にマッチするんです。

 

なので本作『ひらいて』も勝手な脳内イメージでは主演・松岡茉優で変換して読んでいました。

内容的に本作の映像化は絶対無理だと思いますけどね。

 

https://www.instagram.com/p/B4UKzz7F6eB/

#ひらいて #綿矢りさ 読了新・平家物語からの口直しとして読み始めたつもりが、なんとまぁとんでもない本だったことかモテ系女子な主人公がクラス非モテ系男子に恋したところ、彼宛に書かれたラブレターを盗み見してしまう。相手は1年生の頃のクラスメート。主人公は二人の関係を確かめるため彼女に近づきます。 ……が。ここまではよくある少女漫画風の青春恋愛ものなんですが、ここから主人公の取る言動が斜め上を行くトンデモ展開。思わず夢中に一気読みしてしまいました。読む人によっては拒絶反応が避けられない綿矢りさ本にありがちな偏った人間性や思考回路に彩られた作品ですが、個人的にはそれこそが物語を面白くしているところだと思っています。朝井リョウにも負けず劣らずの卓越した描写力も素晴らしい。これも松岡茉優主演で映像化して欲しいな。絶対ムリだけど。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『新・平家物語』吉川英治

栄枯盛衰は天地のならい、栄々盛々はあり得ないこと。勝つは負ける日の初め、負けるはやがて勝つ日の初め――

ようやく終わりました。

長らくブログの更新も途絶えていましたが、その原因であった吉川英治『新・平家物語』を読み終える事ができました。

読み始めたのが7月10日。4ヵ月近くかかっての読了です。

 

とにかく長かったです。

 

そもそも『平家物語』ってなんぞや? というところから始まった本読書。

僕の頭にあったのは上記のような、教科書で習った知識+漫画その他で見覚えのある代表的なシーンぐらいで、それぞれがどんな時系列で、どんな歴史背景があったかなんてさっぱりわからなかったんですよね。

一回ぐらい、平安から鎌倉に至るいわゆる『平家物語』に描かれたような時代を舞台とした作品を読んでみるのもいいだろう、そのためには吉川英治の『新・平家物語』が一番良さそうだという考えから手を出してみたものの、予想以上に長い読書になりました。

 

大ざっぱな分類

本作は1950年から1957年まで「週刊朝日」に連載された作品。

1.ちげぐさの巻から24.吉野雛の巻まで24章から構成されています。

現在では吉川英治歴史時代文庫版が全16巻、新潮文庫版全20巻として販売されているようです。

 

平家と源氏、さらに公卿やら皇族やらでとんでもない数の登場人物が出てくるのですが、主に主人公格と呼べそうなのは平清盛木曽義仲源頼朝源義経の4人。

その区分けについてはざっくりですが、

 

1~13 平清盛

14~16 木曽義仲

4、9、10、17~24 源義経

4、8、12 源頼朝

 

というような形に分かれています。

 

さらに脇を固める重要人物として、罪無き市民に寄り添い続ける医師・阿部麻鳥や無頼の僧侶・文覚、平家に取り入る商人・赤鼻の伴卜、欧州平泉の金売り吉次、そしてある意味では諸悪の根源とも言えそうな後白河法皇が挙げられます。

 

麻鳥はその時代における庶民の暮らしぶりや心情を表すという非常に重要な役割を持ち、伴卜や吉次は清盛と公卿、平家と源氏といった各勢力の間を渡り歩き、結びつけながら相互の関係性を描いています。

 

歴史認識を深める

と書くとすごく勉強した感がありますが、正直頭の中は整理しきれていません。

登場人物も出来事もあまりにも多過ぎますよね←

保元の乱があって平治の乱があって、その間に天皇だけでも鳥羽から崇徳、近衛、後白河から二条へと移り、以後も高倉、六条を経た後がようやく、壇ノ浦に消えた安徳天皇とまぁ次々変わります。

その度に御側役である公卿も入れ代わり立ち代わり。

清盛も後鳥羽上皇法皇と手を結んだり敵対したりと繰り返し。

一回通して読んだくらいで整理するのは無理ですね。

ある意味「ブログを書く」というアウトプットを通して多少なりとも頭の中が整理されていく感はありますが、足かけ4か月読み進めてきた一大長編だけあって、時系列や登場人物がすっきり整理整頓される事はきっと今後もまずないだろうと半ば諦めかけています。

 

でも、ぼんやりとではありますが平安末期から鎌倉設立までの様子がこれまでよりは認識できたように感じています。

さらに以前読んだ鎌倉末期から室町初期までの『私本太平記』と合わせて、ようやくこれまで苦手だった戦国以前の物語が繋がりました。

 

以前から積読化している浅倉卓弥『君の名残を』にも手をつけられそうです。ちょっと食傷気味なのでしばらくは歴史ものから離れようとは思いますが。

 

最後に、各巻ごとのおおよそのあらすじを載せます。かなり大ざっぱですが、いずれ記憶の糸を辿る際の道標にでもなりますように。

それにしても約4か月かかる全16冊分の電子版が99円で買える時代。

もし興味があれば、みなさんも是非チャレンジしてくださいね。

 

あらすじ 

 

1.ちげぐさの巻

平安時代末期、公卿文化が隆盛を極めた藤原時代の名残りを残す中、地下人(ちげびと)とよばれた武士階級の中に生まれた若き清盛が、遠藤盛遠(=後の文覚)、佐藤義清(=後の西行法師)、源義朝ら同世代の武士たちと送る苦悩と鬱屈の青春時代から、生涯の伴侶となる時子を妻として六波羅に居を構えるまで。

 

2.九重の巻

信仰と武力を後ろ盾に猛威を振るう山門仏教勢力が、強訴のために担ぎ出した神輿に一矢を射た有名な逸話をはじめ、徐々に武士として頭角を現してゆく清盛の破天荒な生きざまが明らかとなる。また、保元の乱前夜までの崇徳院後白河天皇との皇位継承争いを軸に、藤原忠通藤原頼長摂関家の対立、源義朝源為義の源氏の対立、平清盛平忠正との平家の対立といった混乱模様。

 

3.ほげんの巻

ついに保元の乱が始まり、源氏と源氏、平氏平氏、皇族と皇族の肉親同士が敵味方に分かれた壮絶な戦いの模様と、戦後の過酷な処分、そして流刑となり非業の死を遂げた崇徳上皇の顛末。さらに時代は平治の乱へと突入してゆく。

 

4.六波羅行幸の巻

平治の乱に臨んで決定的に敵対状態となった源平両氏。信西の信頼を得た清盛を筆頭に平氏が勝者として中央政界に進出してゆく一方、敗者の源氏は没落してゆく。源義朝は死に、清盛は遺された頼朝と牛若を助命するという平家にとって最大の汚点を残してしまう。

 

5.常盤木の巻

清盛と常磐との恋の顛末、一方、皇家では二条天皇の恋による“二代の后”問題が世を騒がせる。また、出家してそれぞれ西行、文覚という僧となった清盛の朋輩、佐藤義清と遠藤盛遠のその後も描かれている。そして清盛は、厳島神社造営への宿願を抱く。

 

6.石船の巻

太政大臣に任ぜられた清盛を筆頭に、その子弟も続々官職を得て公卿、殿上人となり、平時忠をして「平氏にあらずんば人にあらず」と言わしめたほどの全盛期にさしかかる。さらに清盛は輪田の泊(現神戸港)を国際貿易港とすべく、築堤工事にとりかかる。

 

7.みちのくの巻

鞍馬寺で稚児として15歳まで成長した牛若は、藤原秀衡の部下である金売り吉次によって奥州平泉に招かれることになる。その際、一旦身を隠した京都で母の常磐と再会し、後に側室となる白拍子の静との運命的な出会いを果たす。また、陸奥への道中、那須余一や佐藤継信・忠信兄弟など、後に草の根党と呼ばれる多くの仲間たちと出会う。

 

8.火乃国の巻

伊豆に流されて18年、31歳になった頼朝は、この地で多くの後の御家人や、幕府創設後の要人となる僧文覚とも出会う。また、行く先々で色恋沙汰を招く頼朝は、北条時政の娘、政子と恋仲になっていた。父・時政の意向により政子は他家へ嫁ぐことになるものの、頼朝に心酔する北条家の家臣たちにより奪回される。

 

9.御産の巻

後白河法皇を中心に平家打倒の陰謀をめぐらした「鹿ケ谷会議」が発覚、事件後、鬼界ヶ島に流された俊寛。清盛の娘徳子は高倉天皇中宮となり、後の安徳天皇を出産。平家はついに天皇家と姻戚関係となる。一方、平泉を抜け出して紀州に現れた義経は平家の追捕に追われ、ふたたび都へ上る。

 

10.りんねの巻

近江の堅田に身を寄せていた義経は、仲間の窮地を救うために自ら平時忠へ出頭する。ここで義経と時忠は互いに心を通わせてゆくことになる。さらに、五条大橋では弁慶も登場。一方、以仁王源頼政らによって平氏打倒の挙兵準備が着々と進められる。

 

11.断橋の巻

以仁王源頼政らによる反乱を制圧した清盛は、福原への遷都を決意。一方、頼朝は北条時政らを味方につけて目代屋敷を襲撃し、蜂起したまでは良かったが、平家方の追捕によって窮地へ追い込まれてゆく。

 

12.かまくら殿の巻

伊豆で敗れた頼朝は、関東を平定して体勢を立て直し、鎌倉の府の建設を進める。そして黄瀬川で弟の義経と初めて対面する。一方、都を京都に戻した清盛は、大規模な追討軍を差し向け、富士川で源平両軍の直接対決となる。

 

13.三界の巻

頼朝のいとこ義仲は、幼少時に源義朝と対立した父義賢を討たれるが、木曾の中原兼遠によって保護され養育される。成長した義仲は、兼遠の子(樋口兼光今井兼平巴御前)らを臣とし、以仁王の令旨に応じて挙兵する。そして都では、いよいよ清盛最期の時を迎える。

 

14.くりからの巻

清盛を失い宗盛を総領とした平家は、都へ迫りつつある義仲軍を迎え撃つべく大軍を差し向けるが、倶利伽羅峠篠原の戦いで壊滅的な打撃を受け敗走。入洛への足固めとなる大勝利に勢いづく義仲だが、その背後は常に鎌倉の頼朝に脅かされていた。

 

15.一門都落ちの巻

木曽軍入洛を目前にして、平家は幼帝安徳を奉じて西国で再起を図るべく都を落ちる。入洛した義仲は朝日将軍という称号を与えられ、源行家とともに平氏追討と京中守護の任にあたる。九州にも安住の地を得られず屋島に拠点を置いた平家を追って義仲は山陽道に兵を進める。 

 

16.京乃木曽殿の巻

義仲をめぐる女性関係は、巴・葵・山吹に冬姫を加え、ますます複雑化。皇位継承への介入や都守護の不首尾などで後白河の信任を失った義仲に対して、頼朝は範頼と義経の軍を差し向ける。義仲は法住寺殿を襲撃し後白河法皇を監禁するという挙に出るが、宇治川の戦い義経軍に敗れ、最期を迎える。 

 

17.ひよどり越えの巻

平家は西国で勢力を巻き返し、屋島から福原に拠点を移していた。後白河は源氏に平家追討と三種の神器奪回を命じ、範頼、義経が軍を進める。義経は世に「ひよどり越えの逆落とし」といわれる奇襲作戦によって一気に攻勢をかける。平家はこの戦いで多くの公達が命を落とし、また清盛の五男重衡は生捕られてしまう。 

 

18.千手の巻

一ノ谷の戦いで生捕られた重衡はやがて鎌倉へ送られることとなる。頼朝は重衡の人物に感心し、厚遇するとともに千手という女性を与える。二人は短いながら幸せな日々を持ったが、平家滅亡後、重衡は南都焼討の罪で東大寺の使者に身柄を引き渡され、斬首される。

 

19.やしまの巻

一ノ谷、ひよどり越えで大きな痛手を受けた平家一門は、幼帝安徳を擁して四国の屋島に拠点を築いていた。一方、先の合戦での目覚ましい戦果にもかかわらず、鎌倉の頼朝からはなんらの恩賞も与えられなかった義経に、再び平家追討の令が下る。義経は嵐を冒して四国に渡り屋島を急襲、陸上を追われた平家はついに海上に漂い出ることになる。 

 

20.浮巣の巻

屋島合戦でもっとも有名な、那須与一が扇の的を射る場面からこの巻は始まる。援軍を加え強大化してゆく陸上の追討軍に対して不利と見た海上の平家軍は、最後の望みを長門国彦島とりでに託して西へ西へと向かう。また、平家内部では教経をはじめとした主戦派と、ひそかに和平を図る時忠との対立が深まっていた。 

 

21.壇ノ浦の巻

源平合戦の最終章、壇ノ浦の戦いを描く。義経紀伊国伊予国などの水軍を味方につけた大船団を率いて攻め寄せる。一方、彦島を出撃した平家軍は知盛を大将として迎え撃つ。潮流の読みあいや御座船の偽装など、両将の知略を尽くした戦いの末、安徳天皇を抱いた二位尼建礼門院など、平家の人々は次々と入水して命を絶つか生捕りとなり、ついに平家滅亡の時を迎える。 

 

22.悲弟の巻

梶原景時など周囲の讒言の甲斐もあって、平家追討に大功を成した義経を頼朝は警戒し遠ざけるようになり、ついには鎌倉から刺客を差し向け夜討ちをかけ、さらにみずから率いて大軍を発動させる。義経は頼朝との戦いを避けて西国落ちを決意するが、大物ノ浦から出航した途端に大嵐のため難船し、摂津に押し戻されてしまう。そして鎌倉方の追捕から逃れるため吉野山中に逃げ入る。 

 

23.静の巻

吉野山中で義経一行と別れた静はついに捕えられ、取り調べを受けるべく母とともに鎌倉に送られる。静は義経の子を身ごもっていた。義経は後白河による頼朝へのとりなしを最後の望みとして逃亡を続けるが、接触の機会を得られないまま、佐藤忠信ら股肱の臣を次々と失ってゆく。また、悪運強く生き延びてきた新宮十郎行家も、ついに呆気ない最期を迎える。 

 

24.吉野雛の巻

すでに都に居所を失った義経は、藤原秀衡を頼ってわずかな郎党を伴い奥州平泉へ向かう。途上の安宅の関では、関守富樫泰家と弁慶による問答『勧進帳』の様子も描かれる。奥州の地で約二年の平和な日々を送っていた義経だが、ある日、頼朝の手まわしによって追討の勅命を受けた泰衡(秀衡の子)の襲撃を受ける。義経に続いて同じく弟範頼を討った頼朝もやがて没し、源平が血みどろに戦った時代の区切りを迎える。 

 

随筆 新平家

『新・平家物語週刊朝日連載時に月いちで書いていた(らしい)エッセイをはじめ、『新・平家』に関連する旅行記などと取りまとめたもの。連載中の読者や編集者、周囲とのやり取りをはじめとするエピソードが楽しめる。

 

腐化する生命の方が私には好ましい。すべて消えてなくなるものが美しいし、いとしい。花だってそうだ。平家だってそうだ。 

https://www.instagram.com/p/B4PAaPclP5I/

#新平家物語 #吉川英治 読了7月に読み始めて4ヶ月。ようやく読み終えましたよ。とんでもなく長い長い物語でした。特に時代背景が飲み込めていない中で次々登場人物が現われる序盤は四苦八苦。名前も似たような人物ばかりだし聞きしに勝る読みにくさ。清盛の晩年に入る中盤ぐらいからようやくエンジンがかかり始め、個人的には木曽義仲のあたりが一番のピーク。そこから主人公を義経にバトンタッチして以降は、聞き覚えのあるエピソードは多いもののいまいち物語自体にはのめり込めず……。 やはり不可解なのは頼朝の仕打ち。どうして平家討伐の功労者である義経を討たなければならなかったのか。法皇に近づき過ぎたから?三種の神器を紛失してしまったから?義経の苦悩はこれでもかと書き込まれる反面、頼朝の心情はいまいち謎に包まれた中ではっきりとせず……ただただ義経があわれなだけでした。でも読み終えてすっきり。これでようやく紙の本に戻れます。ブログもインスタも更新できるようになるかな?#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。