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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『君の名残を』浅倉卓弥

――行けども悲しや行きやらぬ君の名残をいかにせん

新年初にして、久しぶりの記事です。

浅倉卓弥『君に名残を』。

 

映画『君の名は。』以後、一時タイムリープものに嵌まり、筒井康孝の『時をかける少女』や半村良戦国自衛隊』、古典名作と言われる広瀬正『マイナス・ゼロ』等々を読み漁っていた時期があるのですが、その延長線上で手に入れ、積読化していた本です。

君の名は。』が2016年ですか。

流石に手に入れたのはそれよりもだいぶ後の事ですが、我ながら長々と積読化してしまったものです。

 

それには一つ訳があり、本書は簡単に言うと、高校生の男女が平家物語の世界にタイムスリップしてしまうというタイムリープもの。

 

ところが僕自身、平家物語に関して全く教養がない。

戦国時代や幕末の小説は無数に読めど、それ以前というのはなかなか食指が伸びなかったのです。

さて、全く知識がない中で『君に名残を』を読んで楽しめるのかどうか。

であれば、まず先に原本となる『平家物語』等々を読む必要があるのではないかと考えたわけです。

 

そんなわけで他の小説も読みながら、吉川英治の『私本太平記』を読み、その後『新・平家物語』にチャレンジしていました。

私本太平記』が13章、『新・平家物語』24章と、今まで読んだ中では『会津士魂』『続・会津士魂』に次ぐ超々大作でしたので、昨年の大半はこれらを読んだような結果になってしまいました。

しかしながらこれらを読む中で、幕末にさんざん楠木正成尊王の象徴のように崇められ、大して足利尊氏が逆賊と罵られるに至った経緯であったり、漫画やアニメなどにもさんざん転用されてきた義経鵯越えや壇ノ浦、屋島の戦いにおける那須与一の逸話、弁慶が泣きながら義経を棒で打つ勧進帳等々、およそ平安から室町幕府成立に至るまでの流れやエピソードについても学びなおせたように感じています。

 

そうして予備知識もしっかりと蓄えた上で、満を持して『君に名残を』に取り掛かりました。

 

武蔵坊弁慶巴御前

冒頭は剣道に勤しみ、お互い惹かれ合う高校生の男女が登場します。

男の名は武蔵。

女の名は友恵。

ある雨の日に二人は赤い雷に襲われ、目が覚めた時にはそれぞれ別の見知らぬ場所にいます。

 

友恵が目覚めた先は、駒王丸をはじめとする少年たちが躍動する山の中。

やがて友恵はその場所が木曽と呼ばれる地域であり、駒王丸はやがて木曽義仲と呼ばれる武人に成長する少年だと気づきます。

友恵が現代で身に着けた剣術は少年たちのかなうところではなく、駒王丸は友恵に剣を教わり、やがて元服した後には友恵を自らの妻として貰いたいと申し出ます。

 

もうお気づきですね?

 

女ながらにして自ら刀を手に木曽義仲に並んで戦場に建つ女武者、巴御前の誕生です。

 

一方で武蔵はというと、人里離れた山野の中で親のいない少年少女を養う1人の老僧の下へとたどり着き、彼らとともに日々を過ごしていきます。

しかしながら、そこへ現れたのは鎧兜に身を包んだ武者たち。

彼らは源氏の祖である源義朝の血をひく子どもを探し、やってきたのです。彼らの探す駒王丸はいませんが、老僧をはじめ少年少女たちは無残にも殺戮されてしまいます。

間一髪一命を取り留めたのは武蔵の他、静という少女1人のみでしたが、二人で彷徨ううちに静は何者かによってさらわれてしまいます。

武蔵は静を探して京へと上り、大きな橋のたもとで武者たちを襲います。

 

そこへやってきたのが少年牛若。

牛若の家臣となった武蔵は、やがて武蔵坊弁慶と名乗るようになります。

 

あと1人、四郎という少年もいるのですが、正直なところ彼は話の本筋にあまり関係ないどころか、いてもいなくても良かったんじゃないかと思われる程度の存在ですのでとくには触れません。

 

 

彼らが呼ばれた理由、そしてその先の運命とは?

本書の主題はまさにこれですよね。

どうして武蔵と友恵という二人がタイムリープしてしまったのか。

誰が、なんのためにそうしたのか。

この先二人を待ち受ける運命がどうなるのか。

 

知っての通り、弁慶も巴御前も史実(とされている内容)に基づけば、幸福とは言えない未来へと突き進んでしまう事になります。

木曽義仲は呆気なく討ち死にしてしまいますし、弁慶は義経とともに平泉で果ててしまうのですから。巴御前もまた、木曾義仲没後は消息不明とされています。

果たして武蔵と友恵も、史実に沿った運命に進んでしまうのか。

 

過去へタイムスリップする物語においては必ず避けては通れない命題ですよね。

戦国自衛隊』では主人公がいつの間にか織田信長の役目を果たしているという事に気づかされます。歴史を変えようとしてもどこかで辻褄が合わされてしまう。歴史は帰る事ができない、というのが『戦国自衛隊』の答えでした。

 

さて、本書『君に名残を』はどうなったか。

 

その答えは未読の方のためにも伏せておきたいとは思うのですが

……まーぶっちゃけ、肩透かしです。

 

作者の頭の中では上に挙げた主題に対し、明確な答えを示したつもりなのかもしれませんが。

上下巻合わせて1000ページも費やしたとは思えないぐらい、読者としては残念な内容でした。

 

以下悪口

とにかく文章が読みにくいです。

最初の内は特に、場面が次々切り替わって誰の視点で何を言っているのか戸惑う事も多々。

 

武蔵や友恵の視点を中心に描けばまだよかったのでしょうが、度々周辺人物たちにも支店が飛ぶのが余計に混乱に拍車を掛けます。

そもそも周辺人物の視点で書いちゃったら本作の意味がないわけです。現代人の視点で過去を語るからこそ面白みが出てくるはずなのですが、当時の人々の視点で物語が動いている間は劣化版平家物語にならざるを得ないわけです。

 

実際本書は、その情報いらなくね?このエピソードいらなくね?といった内容が大半を占めます。

まさしく『平家物語』を圧縮・コピペしたような内容であったりして。

 

一つ一つの出来事に武蔵や友恵の意志や行動が反映してくるのであれば面白くもなりそうなものですが、彼らはあくまで武蔵坊弁慶であり、巴御前としての立場をなぞるものでしかありません。それじゃタイムリープした意味なくない? 作品として何を書こうとしているのかボケ過ぎてない?

 

木曽義仲が平家追放後、逆に京を追われるに至っては「私と一緒に逃げよう」と言い出す始末。そこまで至っても征夷大将軍たる義仲を駒王丸呼ばわりし、周囲の諸将の誰よりも側にいる割に、いつまでも愛だの恋だのの話から離れようとはしません。

沢山の命を奪い、奪われ、苦しい想いをさせたはずの家臣や仲間たちに対する想いが語られる様子は全くないのです。

 

その後も、どうにもピントのズレたような心理描写ばかりが進みます。

 

戦国の世に移り、友恵も武蔵も戦乱を通して数限りない命を奪ってきたにも関わらず、自らの仇討には固執し続けたり。

友恵は義経こそ義仲の仇と恩讐に燃え、武蔵もまた、その昔自身が過ごした山里を襲ったのが平知盛だと判明すると、何を先おいても仇討ちを果たそうと燃えます。

 

その辺って、戦争している内にもう少し意識が変ったりしそうなものですけどね。自分たちも大量虐殺繰り返してるわけですから。持ちつ持たれるというわけではありませんが、じゃあ自分はどうなんだと自己を顧みるような場面があってしかるべきかと。

 

何よりも残念なのは、この時代の人々と繋がっていく様子がほとんど見られないところです。友恵は義仲と、武蔵は義経とのみそこそこ心を通わせていきますが、周囲の人間と打ち解けたり、友情を築いたりといった様子がありません。

一方でタイムリープ前の武蔵や友人にはいつまでも心を惹かれていたり。

2人とも高校生でタイムリープしていますから、終盤は同じぐらいの月日を過去で過ごしている計算になります。それでもまだ、高校生時代の人間関係にのみ捉われ、生まれ変わってもまた同じ場所で……みたいな感覚って、ちょっと理解できません。

学生として一緒に学校に行ったり部活動したり、といった現代の生活に比べれば、文字通り生死を潜り抜けるような日々を過ごしている過去においては人間同士の結びつきも強固なものになりそうなものですが。

 

ましてや同時に過去にタイムリープさせられたとはいえ、十年以上会う事のなかった相手と再会したからといって、周囲の誰よりもその相手に肩入れしてしまうなんていうのも想像できないんですよね。高校の同級生と三十超える歳になって再会して、しかも時代が違うとなれば容姿だってお互い気づきえないぐらい変わっていて当然だと思います。

 

この辺までくれば読んでいる人も少ないでしょうからネタバレしちゃいますけど、過去に武蔵と友恵が招かれた理由が剣の技術のため。彼らが未来から運んできた800年かけて磨かれた剣術が、義仲と義経を強くした……なんて言われましても。

高校生の彼らがほんの数年で学んだ剣術で天下が左右されるなんて。

 

とにもかくにも最後まで見届けようと読んだ本でしたが、肩透かしでしかなかったですね。

 

こういう本をオススメしちゃう書評サイトとかって、ちょっとどうかと思います。

https://www.instagram.com/p/B7FwFJQlz-2/

#君の名残を #浅倉卓弥 読了現代の高校生男女が平家物語の時代に移ってしまうタイムリープもの。名作という噂を聞きつけ、まずは予備知識を蓄えようと新・平家物語なんていう長い長い作品まで読んで挑んだ作品だったのに。もの凄く残念な結果に終わってしまいました。過去へのタイムリープものの醍醐味って、決められた未来に対してどう立ち向かうか、現代人たる主人公たちがその時代をどう感じるか、その時代で生きる上でどう変わっていくか、なんのためにその時代に飛ばされたのか等などが醍醐味だと思うんですが。武蔵・友恵というそれぞれの名前が歴史上の人物に結びついたところからはただただ歴史をなぞっただけの感じになっちゃいましたね。言いたいことはたくさんあるけどキリがないのでこのへんで。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『小さな会社★儲けのルール』竹田洋一・栢野克己

なにはともあれエンドユーザーにできるだけ近づき、接近戦を目ざそう。 

しばらくぶりですが、今回読んだのは『小さな会社★儲けのルール』。

以前読んだ『小さな会社の稼ぐ技術』と同様、栢野克己氏の著書であり、中小零細企業がとるべきランチェスター戦略を生かした経営手法について書かれた本です。

まぁあんまりブログウケはしそうになり本ではありますが、出版不況が叫ばれる昨今において2002年の初版以降増刷に増刷を重ね、新版として2016年に刷新した後もさらに増刷、増刷。

実は実は、その界隈ではベストセラーにもなるバイブルとして知られています。

 

 

言うまでもない事ですが、世の中に会社と呼ばれるものが数多くあります。それと同じ数だけ、社長や経営者と呼ばれる人たちも沢山います。

割合で言えば、中小零細企業の経営者の方が圧倒的大多数となるのです。

その中で順風満帆・わが社はうまく行きすぎて何の悩みも苦しみもないという会社になるとほんの一握り。

どこの中小零細企業も、必死で目の前の仕事を消化しつつ、日々将来の不安に怯えているのが現状でしょう。

 

そんな経営者に向けられた沢山の指針が、この本には書かれているのです。

 

ランチェスター戦略とは

詳しく書いてあるサイトや本はたくさんあるのでそちらをご覧いただくとして、当ブログを読んでくださっている方の為に簡単に言うと、“弱者の兵法

元々は戦争における数・道具・距離等の要素が及ぼす勝敗への影響を数字化した考え方なのですが、ビジネスへと転換されて以後はほぼ上記のような意味で使われています。

 

同じ人数でも相手よりも兵器が優れている場合、損害は小さくて済む。人数が多ければさらに存在は小さくなる。大人数かつ優れた兵器で、相手から離れた位置から攻撃できればこれは一方的な虐殺ですが、戦果としては快勝・大勝利と言えるでしょう。

 

これを小規模事業者と大企業の構図に当て嵌めるとどうなるか。

 

莫大な人数で高品質低価格な商品を、ありとあらゆるメディアに広告を投下して絨毯爆撃のように、日本全国・世界規模で攻め進んで行く大企業に、小規模事業者が立ち向かう術はあるのか。

 

あります。

 

簡単に言うと、“一対一の局地戦に持ち込む”という事ですね。

漫画やドラマで見た事があるでしょう。大量の敵に追われている主人公が密林や袋小路の奥にあえて逃げ込み、一対一に持ち込むシーン。まさにあれがそうです。

 

ビジネスで言えば、“営業エリアを極限まで絞り込む”という事に該当するでしょうか。

 

全国的な知名度や情報量では太刀打ちできないかもしれませんが、自分の住んでいる町では大企業に匹敵する知名度を確保する事は可能です。情報量においても、絞り込まれたエリア内においては、インターネットや大企業の抱えるビッグデータにはないような微細なものまで精通する事ができます。

 

さらに重要なのは、“武器を絞り込む”という点。

局地的な一対一の白兵戦に持ち込んだところで、あれもこれもと道具を抱えていてもどれも使いこなせないのでは意味がありません。

刀ならば刀、鎗ならば鎗と、自分が自信を持って戦いに臨める武器に絞り込んで、戦いに出るのです。

 

事業も同様で、あれもできます、これもできます、なんでもありますでは大企業やインターネットに太刀打ちできるはずがありません。

なんでもありますをウリにしてきた大手百貨店ですら、閉店・廃業が続く時代です。

エリア同様、販売する商品(技術)はできるだけ絞り込んで営業する。

 

本書の中では障碍者に特化した旅行代理店や、すそ上げ専門に特化した洋服リフォーム店、短髪専門の理髪店などが挙げられています。

 

さらに客層を絞り、営業戦略にも小規模事業者ならではのアナログ的手法があったり……と様々なアイディアが紹介されています。

 

侮るなかれ

本書に書いてある事は、一消費者としてみればごくごく当たり前の事ばかりです。

商品を絞り、エリアを絞り、対象を絞り、大手がやりたがらないアナログ的な手法で営業する。

 

一見しただけだと、こんな事すらわからないような会社はつぶれた方が良い、なんて思ってしまうかもしれません。

 

でも、そうとも言い切れないのです。

なぜかと言えば、実際には真逆な経営をしている会社の方が圧倒的に多いからです。

 

地方からわざわざ首都圏・大都市圏に向けて人手と手間を掛けて営業しているような中小零細企業はゴマンとあります。

商品を絞る=売るものが少なくなる=客が減ると恐怖から、逆に商品を増やしていってしまう会社の方が多いのも事実です。

 

間違いなくこの商品に絞った方が良い、と実績や経験、社内外からの情報からわかりきっているにも関わらず、既存の商品に携わる人々や思い出といったしがらみに縛られ、動き出せない企業ばかりなのです。

もしかしたら大手企業の方がそういった傾向は強いかもしれませんね。明らかに不採算事業にも関わらずストップする事ができず、最終的に会社の社運を左右するほどの巨額損失を計上してしまうケースはここ最近でも枚挙に暇がありません。

 

いち消費者として見れば一目瞭然なのですが。

自分が当事者になってみると、眼が曇ってしまうというのが実情なのかもしれません。

 

自分が現在置かれた立場、とっている行動が、傍目に見ても間違いのないものなのかどうか。

そういった客観的な観点を維持するためにも、本書のような本を読む事は必要なのかもしれませんね。

 

https://www.instagram.com/p/B6b-DmslzHU/

#小さな会社儲けのルール #竹田陽一 #栢野克己 読了以前読んだ #小さな会社の稼ぐ技術 同様、中小零細企業がとるべきランチェスター戦略について書かれたベストセラー。商品を絞り、エリアを絞り、対象を絞り、大企業がやりたがらないアナログ的な営業で地域一番店を目指す。いち消費者としてみればごくごく当たり前でむしろ反するような会社って一体何考えてんの?と思いがちなんですが。意外と会社の中に入ってみると、できなかったりするんですよねぇ。これまでの歴史とか経験とか人とか思い出といったしがらみが邪魔して、絞るどころかどんどん広げる方に行ってしまったり。自戒の意味も含め、客観的な観点を維持していく意味でも、時々こういった本を読むのは必要だと感じました。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『炎の経営者』高杉良

しばしば「私は損をしてでもこの仕事はやります」というふうな表現をする人の話を聞くが、損を続けて事業が成り立つわけのものでなく、現在損をしていても、将来その欠損を補って大きく利潤をもたらす目標があってこそ事業が成り立つことは、いまさら私が言わなくとも当然のことである。

経済小説の大家、高杉良の『炎の経営者』を読みました。

 

過去にもたびたびブログ記事にしていますが、僕は同じく経済小説の旗手である城山三郎作品が好きです。


それから海老沢泰久さんも好きですね。

記事として書いたのは上記の『F1地上の夢』だけですが、辻調理師専門学校の創業者である辻静雄について描かれた『美味礼賛』はこれまでの人生の中で何度も繰り返し読み返したバイブルでもあります。

 

高杉良に関しては、以前に取り上げたのはワタミグループの創業者渡邉美樹について書かれた『青年社長』。

今でこそブ○ック○業のイメージの強いワタミですが、野心と情熱を持って飲食経営に打ち込む渡邉美樹が重ねてきた苦労や失敗も包み欠かさず書かれているとあって、非常に興味深く、さらにワタミに対するイメージも少なからず変えられる良書でした。

残念ながら城山三郎海老沢泰久も既にこの世の人ではなくなってしまっていますので、今も尚新たに執筆活動を続けれられている高杉良は他に代えがたい存在でもあります。

 

日本石油化学のパイオニア

本書の主人公は八谷泰造。

大阪の小さな町工場から始まり、世界的な石油化学工業『日本触媒』を築き上げた伝説の経営者です。

 

戦前戦中から始まる本書の日本はまだまだ世界から技術的に遅れをとっており、産業技術といえば欧米各国から技術を教わるような時代。

そんな中で八谷は石油化学という分野に希望を見出し、国産の独自技術にこだわって事業を展開していきます。

 

知り合いの知り合い、といったレベルの大企業の経営者を電車の中で待ち伏せて資金提供を直談判してみたり、旧満州鉄道の技術者を大量採用したりと、金に糸目をつけず、なりふり構わずといった風情で技術開発と事業の拡大に勤め、三井・住友・三菱といった旧財閥系の企業と比較されたり、小さな会社が国産技術にこだわるのは無謀だと揶揄されたりしながらも、着実に実績と成果を重ねて成功していきます。

 

世界の中でもトップクラスに位置する現在の石油化学工業の黎明期がこうして築かれていったと知るのにも適しているかもしれません。

 

途中工場で死亡事故が起きたりといった失敗もありますが、基本的には全てがあまりにも純情にうまく行きすぎて、読んでいる側としては社歴年表を文章化して読まされているような味気無さすら感じてしまうところが玉にキズ、でしょうか。

 

昔剛腕・今老害

八谷泰造という人物は昭和の日本男児をそのまま絵に描いたような人物。

一心不乱に仕事に打ち込み、部下や取引先とも豪快に渡り合いながら、麻雀やゴルフに誘い出したり、ある時は従業員の宿舎に押しかけてみたりと快活な日本男児です。

 

一方で娘たちには一階の自分たちの寝室をふすま一枚隔てた部屋しか許さず、何かと言えば小言で縛り付ける頑固親父の姿もまま見られます。長男が第一志望に再チャレンジするための浪人を申し出ても、許さん、こっちの大学に行けの一点張り。

糖尿病を発病しても食事制限は在宅時のみ。

会食やイベントとなれば病気の事などいざ知らず、好き勝手に食い、制限されているはずのアルコールも飲みます。

 

身を案じた妻が自宅からウイスキーを隠そうものなら探し出し、返せ返さぬの押し問答。

 

病はやがて入院を勧められるほどに悪化しますが、社長の身ではそれもままならないとして断り続けます。

糖尿病の悪化が影響してか、時折繰り返される心臓発作。身辺に看護師をつけ、薬剤や注射を処方して乗り越えていきますが、ほんの少しの距離の歩行すら困難になるほどに体は病に蝕まれていってしまいます。

 

それでも入院しようとはしません。

家族が止めようが部下が止めようが、社内外の行事に出席し続けようとします。

 

予想通り、最後は自身の机に座ったまま心不全に襲われ、呆気なくこの世を去ってしまいます。

 

炎の経営者と言えば聞こえは良いですが、八谷泰造を現在に蘇らせたとしたら“老害”と呼ばれるのは間違いありません。

一方で、命を惜しむことなく、ただただ石油化学の発展に尽力し続けた姿は幕末の維新志士たちの姿と重なるものがあります。

 

今の日本があるのは、彼らのような日本男児の無謀とも言える生き様のお陰かもしれませんね。

 

https://www.instagram.com/p/B563zTrlrVZ/

#炎の経営者 #高杉良 読了#城山三郎 にも似た #経済小説 #ノンフィクション 作品。主人公は日本触媒の創業者である八谷泰造。名だたる大企業が欧米諸国の技術に頼り切る中で、小さな町工場から国産にこだわり石油化学工業を発展させてきた伝説の経営者です。戦前〜戦後の伝説的人物だけあって人生を仕事に捧げ、病に侵されようとも身体を労ろうともせず、禁止されているアルコールを摂取し続けて最終的には社長室のデスクで亡くなるという破天荒ぶり。妻や子ども達にも従順さを押しつけ、最後まで妥協しない暴君ぶりを見せつけます。現代日本では老害扱いは間違いありませんが、命を惜しむことなく情熱に尽力し続けるその姿は幕末の維新志士に通じるものがあるようにも感じられます。今の日本は彼のような古き良き(悪き?)日本男児によって作られてきたのだと改めて思わされました。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『雪月花黙示録』恩田陸

「行くわよ、フランシス」

「ええ、ジュヌヴィエーヴ」

「一回、こういうのやってみたかったのよね」

「月に代わっておしおきよ(二人でハモる)」

のっけから妙な会話を引用してしまいましたが。

映画公開でも話題になった『蜜蜂と遠雷』でお馴染み恩田陸さんの作品『雪月花黙示録』を読みました。

蜜蜂と遠雷』の映画、良さそうですよね。

www.youtube.com

亜夜役の松岡茉優マサル役の森崎ウィン、明石役の松坂桃李と、よくぞここまでハマった配役をしてくれたというものです。

まぁ明石役はもうちょっと年長者でも良かったかなと思わなくもないですが。

 

そのせいか、最近当ブログの中でも『蜜蜂と遠雷』に良く似た恩田陸作品である『チョコレートコスモス』のPVが伸びています。


さらに、恩田陸のもう一つの代表作である『夜のピクニック』に引きずられてか、それに似たデスゲーム系のホラー小説『死のロングウォーク』の記事も妙に見られるようになっていたり。

 

 

やはり映画や原作を読んだ人たちが、あの感動や興奮を味わいたいと『蜜蜂の遠雷』に似た恩田陸作品を探しているのでしょうね。

 

だからというわけではないのですが、恩田陸作品を読みました。

 

まぁ、、、ところが……。

 

冒頭の引用文を読んで嫌ぁな感じをした人もいるのではないかと思うのですが。

悪い予感はまさしく大当たりでした。

 

和風アクション×SF

物語はミヤコと呼ばれる都市を舞台としています。

冒頭から蘇芳と萌黄という二人の少女が突然竹刀で打ち合うような展開から始まり、登場人物たちは古き良き日本の武を重んじるような世界なのだという事がわかります。

 

彼女たちが通うミヤコの最高学府、光舎では会長選挙が始まります。

光舎の会長選挙はミヤコ全体の権力者を決定する伝統的なイベントでもあるそうです。というのもミヤコは後者で学問を究める若者たちを中心に自治権が発達し、その周囲に町が発展する形でこんにちの姿を築き上げてきたから、という謎ロジック。

 

会長選挙には蘇芳と萌黄と同じ春日家から、現職の紫風という少年が立候補し、連覇を狙います。他には改革派から1人と、帝国主義者に近いと噂される及川道博。

道博はほぼ同名の某タレントをイメージしてか、派手好きなアイドル風の自意識過剰少年であり、女子生徒から黄色い声援を集める一方で、蘇芳には積極的にアプローチを掛けていたりします。

 

紫風の屋敷が襲撃を受けたり、立会演説会では紫風が刺客に襲われたり。

蘇芳が竹藪の中で謎のダイオードロボット(≒今でいうVR的なもの?)に襲われたり。

道博はUFO型の乗り物に乗って空を飛びまわったりもします。

 

まぁとにかく蘇芳を中心に、SF的近未来世界の中で女子高生が剣を持って大暴れするような和風ファンタジーものなのです。

 

恩田陸はシンプルなものを読め

↑が全てですね。

 

恩田陸作品には当たりハズレがあります。

それもかなり。

 

蜜蜂と遠雷』や『夜のピクニック』のように最初から最後までうまくまとまるものもあるのですが、張り巡らされた伏線が最後まで回収されずに放り捨てられてしまったり、詰め込み過ぎた要素がまとまりきれずにとっ散らかったままになってしまったり、昭和の漫画やBLものを彷彿とさせるような作者の趣味に走り過ぎてしまったり、といった作品も多いのです。

 

本書は上記のような恩田陸の悪いところを集約してしまったかのような作品でした。

 

ミヤコを中心とした都市、という設定からまず無理がありましたし、帝国主義との対立構造についてもいまいちピンと来ないまま。ミヤコの中で彼らがどうして剣の道に重きを置いているのかや、発達しているはずの近代科学との関係性といったものも説明のないままに物語だけがぐいぐい進められてしまいます。

 

やたらと昭和のアイドル的なキャラクターを演じる及川道博を初め、登場人物たちもステレオタイプを切って貼ったかのような記号的な人物ばかり。主人公格である蘇芳はやたらと酒を愛し、酒を欲しがるという一体どこを狙ったか理解しかねるようなキャラクター造形も。

 

SFであったり、剣であったり、色々と盛り込み過ぎてしまった結果、収まりが付かずに破たんしてしまったようにしか思えません。アマゾンのレビューなどでは「ラノベ」などと悪い意味で切って捨てているものも見受けられますが、昨今のラノベ界のクオリティの高さを考えると、「ラノベ」と呼ぶのも憚られます。

強いて挙げれば勢いで書き出して勢いで書き上げた「なろう小説」といったところでしょうか。

 

ちょっと悪く書き過ぎてしまったかもしれませんが、一つだけ言えるのは恩田陸作品に関しては「シンプルなものを読め」という事。

 

蜜蜂と遠雷』=ピアノコンクール

夜のピクニック』=夜通し歩き続ける歩行祭

チョコレートコスモス』=演劇オーディション

 

こういうシンプルなものほど、恩田陸の良さは発揮されると感じます。

 

そこに超能力やSF、ミステリといった要素が複合的に加わってくると、どうもまとまりきれずに破たんしてしまう傾向にあるように思えます。

蜜蜂と遠雷』でも感情移入しやすい明石や亜夜に比べ、ちょっと神秘的なニュアンスを取り入れた風間塵のエピソードは浮いている感じがしましたし。

 

とはいえまだまだ恩田陸作品の全てを読んだわけではないですからね。

既に積読もありますし。

また他の本も読んで、良いものがあればご紹介したいと思います。

 

 

https://www.instagram.com/p/B5W2MvSFiPU/

#雪月花黙示録 #恩田陸 読了UFOを乗り物にしVRロボットが襲いかかる中、女子高生が剣で戦う和風SFアクション。恩田陸にしては珍しい題材なのですが正直企画倒れ。ちょっと褒めるところが難しいぐらい残念な本でした。色々と当たり外れも激しい恩田陸ですが、読むのをやめたくなったのはこれが初めて。ブログにも書きましたがやっぱり恩田陸はシンプルな話を書いた方がいいですね。コンテストとかオーディションとか夜通し歩くだけのイベントとか。SFとか超能力とか謎解きとか扱う要素が多くなると作品の質が落ちる傾向にあると感じます。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『一瞬の光』白石一文

白石一文『一瞬の光』を読みました。

通常当ブログの最上部にはその本の特徴的・印象的な一文を引用するという形を取っているのですが、本書に関しては何度も何度も見返して探したのですが、結局どうしても該当しそうなところが見当たらないので省く事にします。

 

だって無かったんですよ、本当に。

 

派閥抗争×二男二女の恋愛模様

大企業社長の腹心を務めるエリートサラリーマン橋田浩介が主人公。

異動したばかりの人事部では反体制派の上司がいたりとちょっとしたストレスはあるようですが、社長の姪を恋人に持ち、基本的には順風満帆。

そんな彼が、男に絡まれているところを助けた縁で、女子大生・中平香折と出会う事になります。

異常に怯えを見せる香折には壊れた家族環境があり、浩介は彼女の就職活動を支援したり、新しいマンションを提供したりと親身に世話を焼くように。

 

香折には彼氏がおり、浩介との間には肉体関係のないプラトニックな関係が続きますが、同時に浩介は恋人である瑠依と親密さを増し、香折もまた新たな彼氏を見つけます。

しかしながら、それでも浩介と香折は互いに特別な関係を続けようとします。

 

一方で浩介の属する現社長派にも看過できない事件が発生し、浩介は派閥抗争の大きな波へと立ち向かう事になります。

 

あらすじだけ読むと、そこそこ面白そうに思えるんですけどね……

  

 

小説版『島耕作』(劣化)

簡単に言うとコレでした。

ただし、現行版『島耕作』ではありません。

連載開始当初の『課長島耕作』です。

 

  • 大企業における派閥抗争
  • 執拗なラブシーン
  • ドンペリや高級外車のバブリー感

 

幾つか要素だけ抜き出しただけでも島耕作感がありますね(笑)

 

社長にも愛人がいて、その腹心の上司にも愛人がいたり。

上司と愛人との揉め事にまで主人公が奔走したり。

そういえばこんなの、ずっと昔に島耕作で読んだっけな……なんて既視感がぬぐえませんでした。

 

しかしながら『島耕作』は現在も連載が続く指折りの人気作品でもあります。

その人間模様や象徴的なシーンの多さには舌を巻くものがあります。

登場人物の中にはかなり破天荒なキャラクターも多いですが、それが逆に味となり、登場人物たちの盛衰を感情移入しながら見守った読者も少なくないでしょう。

 

翻って本書を見た場合、“似た系統の作品”だけに劣化具合がより鮮明になってしまいます。

本書の登場人物たちも破天荒ではありますが、感情移入するどころか敬遠したくなるようなサイコパスばかりなのです。

 

 

サイコパスな主役男女

そもそも香折との出会いからしてヤバい

バーで飲んだ帰りに、路地の暗がりでもみ合う男女を浩介が見かけるところからスタート。

仲裁に入った浩介は、即座にためらいもなく男の腕をねじ上げ、腹部に膝蹴りを食らわせるという大立ち回りを演じます。

 

いやいや、大企業の現役エリート社員が暴力はいかんでしょ(笑)

 

その後、香折との関係が始まるのですが、この導入部がかなり強引

浩介がなぜ香折を放っておけなくなってしまったのかという理由がかなりおざなりなので、突然ほぼ見ず知らずの女子大生の世話を焼き始める主人公の行動に戸惑いを隠せません。

家賃のほぼ半分を自らが負担する形で引っ越しを手伝うに至っては、正気の沙汰とは思えなくなってきます。一部上場企業のエリートというのは、課長クラスでも30代でも月々数万円をポンと出せる程の給料を貰えているのでしょうか?

 

本書は浩介の一人称で書かれていますが、自分について説明する際のなんら衒いのない形容にも必見です。

女性というのは、私にとっては自然に近づいてくるものだった。自分から近づいたことはなかった。せいぜい選択する程度で、好きになられて好きになった。だが、私はいつも思っていた。どうして彼女たちはこんな私を好きになるのだろうかと。

 

私は子どもの頃からずば抜けた秀才として通してきた。

 

鼻につくどころの騒ぎじゃありませんね。

さらに、かつての恋人恭子との二回目のデートではこんな会話も

 

「橋田さんの方こそ、彼女はどんな方なんですか」

「さあ、沢山いるから、何て言っていいか分からない。学生の頃から付き合ってる人もいるし、仕事先で知り合った人もいるし、それに女子大生もいるしね。その子は銀座の店でアルバイトしてて、つい最近知り合ったんだけどね」

「へえ、そんなにいっぱいの人と付き合ってるんだ」

「まあ、付き合ってるってわけでもないけど。時々呼び出して飯食ったり、セックスしたりするってとこかな。それにしたって忙しいしね。たまに時間ができたらって感じ」

 

……これが狙っている女性との二度目のデート時の会話だというのだから、正気が疑われますよね。

そうかと思えば、友人の遠山が死んだ後、その妻である千恵が半年後に再婚をしようとした際には、たった半年で他の男と暮らすなんて、と激昂したり。。。

 

自意識過剰で自分には甘い癖に、他人には厳しいという最悪の人間性なのです。

 

更に、最初に香折に絡んだマスターを組み伏せて後も、カラオケボックスでちょっかいを掛けてきたチンピラ少年を路上で執拗に暴行したり、自分を裏切った社長にナイフを突きつけて暴行した挙げ句土下座を強要したりと、やたらと刃傷沙汰を好む側面もあったりします。

 

腕っぷしが強い=格好いいというかなり古臭い世界線の上で作られた物語のようです。

 

さらに、香折というヒロインがかなりの曲者

DV被害に遭うばかりか現在も実の兄に着け回されるというかなり複雑な家庭環境を抱えているのですが、浩介にやたらと信頼を寄せたかと思えば彼氏がいたり、さらにいつの間にかその彼氏とは別れて新しい彼氏ができていたりと、驚きの尻軽ぶりを見せます。それも香折の部屋を訪れていた浩介と、やってきた新しい彼氏がばったりご対面して、初めて知るような顛末。

DVの事は初めて浩介に話したと言ったかと思えば、過去の恋人にも話してきた事が明るみになったり。全く信用のおけない虚言癖が疑われるような一貫性のない発言にも驚かされます。

 

読めば読むほど、どうして浩介が香折を大切に思えるのか謎が深まるばかりです。

放っておけないと言う意味がわかりません。

DVの家族から逃げ回り、言い寄る男には次々と体を許し、さらに嘘をつきまくるというかなりヤベーやつとしか思えないのです。

香折の長所と呼べそうなところどうやら見た目が良いらしい、という点ぐらい。

そのルックスを武器に次々と男を引き寄せては、嘘や気のある素振りで翻弄する魔性の女としか思えません。

 

さらに浩介・香折の最大の被害者が、彼らの恋人である瑠依と柳原。

瑠依は社長の姪であり、お嬢様育ち。学生時代に雑誌の表紙を飾る程に容姿端麗で、浩介に負けずとも劣らない大企業務め。料理が大好きで献身的に浩介のお世話をしてくれます。しかもエッチです。

 

柳原もまた頼りなさげではありますが、大企業勤務で学生時代にはラグビーを経験。彼もまた甲斐甲斐しく香折に寄り添おうとします。外見上はあまり触れられませんのでそう優れてもいないのかもしれませんが、至って穏やかな常識人というイメージ。

 

本書の最大の謎は、聖人君子のような瑠依と柳原が見た目以外はサイコパスな浩介と香折に入れあげてしまうという点にあります。

瑠依と柳原は本当に一途に恋人の事を想い続けるのです。

 

一方で浩介はといえば瑠依に向かっても平然と「香折は大事な人」と言い切り、関係を解消したりする素振りすら見せません。納得の行かなさそうな瑠璃への提案が「今度4人で食事をしよう」です。あまつさえ4人揃った場でも香折と仲良さげな様子をこれでもかと見せつけたりします。通常の神経であれば怒り狂いそうなところですが、瑠依はそれすらも許容し、受け入れた上で浩介に身も心も捧げようと尽くします。

 

さっぱり意味がわかりません。

 

僕は社内闘争に敗れた浩介をあっさり見放して去っていく、瑠依の打算高い本性を期待していたのですが、それすらもありません。瑠依は本当に最初から最後まで、浩介に純愛を捧げ続ける天女なのです。

そんな瑠依を捨ててまで、香折が大事だと想い続ける浩介。

こんなの作者の思い込み・打算以外に説得力のある理由なんて皆無でしょう。

 

 

香折も同様で、柳原を恋人と言いつつも、少し苦しくなるとすぐに浩介を頼ってしまいます。瑠依に配慮するような雰囲気もなくはありませんが、その割にきっぱり身を引くわけでもないのだから、さっぱりわかりません。

それでも柳原は甲斐甲斐しく香折を愛し続けます。

ホント、そこまで男たちを虜にする香折の魅力とは見た目以外に一体何があるのか。

作者の設定の力、としか言いようがありません。

 

時代性……なのか

小説というものは大なり小なり書かれた時代を反映するものです。

時代を超越すると言われる本格推理小説の古典、さらにクローズドサークルものだったとしても、登場人物の言動等に時代性はどうしても現れてしまいます。

 『一瞬の光』で描かれるエリートサラリーマン浩介の姿とは、もしかしたらまさしくそういうものなのかもしれません。

 

 

口説こうという女性を前に自分がいかにモテる男かを講釈したり、チンピラに暴力でやり返したり、高級外車で高級レストランに出入りし、一回で百万もの家具を買い揃えたり、高級ワインを惜しげもなく開けたり、理想的な女性像が家柄も頭脳も容姿にも優れた上、料理も万能な才色兼備の超人だったり。

 

僕にはいまいち想像できないのですが、きっと昭和のトレンディドラマ的なあれこれが人々の心を刺激した時代もあったのでしょう。

 

……と思って発行年を調べてみたら、単行本の初版が2000年。

 

2000年ってまだそんな時代だったかなぁ?

 

いずれにせよ作者とは感性が合わなさそうなので、もう作品を手に取る事はないと思います。

僕よりももっともっと年齢が上の世代の人だったら、もしかしたら楽しめるのかな?

 

https://www.instagram.com/p/B41bg3WF4d4/

#一瞬の光 #白石一文 読了派閥抗争の渦中にあるエリートサラリーマンが女子大生と出会い、それぞれに恋人を持ちつつもお互いに強く惹かれ合うようになるという話。この二人の恋人というのがスゴいんです。特に瑠衣という女性は容姿端麗・才色兼備・一流企業務めで家柄も良く料理もプロ級というスーパーマン。彼女はどんな目にあってもひたすら純愛を捧げます。ところが主人公とヒロイン役というのが、見た目が良いだけのサイコパス。全く持って共感できません。時代性もあるかもしれませんが暴力は振るうし嘘はつく。自分の事は棚に上げる。もうヤバいヤバい。そんな男女関係が高級外車に高級レストラン・高級ワイン尽くしで、セックスが日常会話のごとく溢れる劣化版島耕作のような世界観で繰り広げられます。文章にもやたらと豪華さ、凄さを形容する言葉が目立ち悪い意味で重厚に。ほとんど読み飛ばしても差し支えないレベル。ここ数年でもワースト何位かに入るヤバい本でした。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『ネジ式ザゼツキー』島田荘司

「すっかり全部さ。大きな地震が起こり、ルネスのネジ式のクビがゆるゆると回って、マーカットさんの目の前で、実際にころりと落ちたということになる。そう考えるしかないんだ」

ものすごく久しぶりに島田荘司を読みました。

僕は元々講談社が打ち出した“新本格推理ブーム”が大好きなのは、『密室殺人ゲーム王手飛車取り』の記事にも書いた通りです。

linus.hatenablog.jp

講談社創元推理文庫から次々とデビューする新本格ミステリ系の作家はもちろん、『十角館の殺人』に登場したエラリイ・クイーンやアガサ・クリスティーといったミステリ黄金期の古典作品も読みました。

しかし当時は松本清張の切り開いた社会派推理小説がまだまだ書店の棚を幅を利かせていた時代。地方の小書店の中でお目当ての本を見つける事は至難の業に等しい上、インターネットもキュレーションサイトもないのでそもそも本格推理小説と言ってもどんな本がオススメなのかすらわからない時代でした。

宝探しのようにまだ見ぬ作品を探していく中で、一つの指針ともなったのが島田荘司の著書である本格ミステリー宣言』でした。

 

そこで語られる島田荘司本格ミステリ観や、綾辻行人法月綸太郎らが文壇デビューするに至った経緯、新本格ミステリの成り立ち等々は興味深いものばかりで、まさしくバイブルのようにして読み込んでいたものです。

 

ですので僕の中で島田荘司はある意味では“教祖”とも言える立ち位置へと昇華されていったのでした。

実際に『占星術殺人事件』や『暗闇坂の人喰いの木』は読みごたえもあり、本格ミステリの王道とも呼べる内容で、当時は本当に心酔しきっていたものです。

 

 

ところが新本格派の作家さんたちに見られた傾向として非常に“遅筆”というものが挙げられます。発売された作品をある程度読んでしまうとすぐさま打ち止めとなり、ようやく新刊が出たかと思えば雑誌掲載分をまとめた短編集ばかり。

そうこうしている内に“新本格ミステリブーム”の鎮静化が置き始め、個人的にも名探偵・密室・謎重視の淡白な物語といった画一的な推理小説に飽きが来てしまい、推理小説そのものとともに島田荘司からも離れてしまいました。

 

以後、いまいち新刊の話題も耳にしないまま現在に至ってしまいましたが……新本格の旗手たちがそれぞれ新たな境地を切り開いている中、“教祖”たる島田荘司のその後の姿を見てみようと思い、たまたま目についた本書『ネジ式ザゼツキー』を手に取った次第です。

 

安楽椅子探偵

簡単に言うと、いわゆる安楽椅子探偵ものです。

本格ミステリ風にカタカナ表記で言うと“アームチェア・ディテクティブ”

 

推理小説の多くは探偵が事件のその場に居合わせたり、または事後に現場に足を運ぶ形で推理を試みますが、安楽椅子探偵は現場に赴くことなく、文字通り椅子に座った状態で、伝聞や資料を下に謎を解いていくのです。

十角館の殺人』に登場したバロネス・オルツィの代表作『隅の老人』シリーズが先駆けとも言われています。

シャーロック・ホームズにも似たような話はありますね。

その他、個人的に好きな北村薫の『円紫さんと私』シリーズだったり、テレビドラマにもなった『謎解きはディナーのあとで』も安楽椅子探偵ものと言えそうです。

最近はこの辺のラノベ推理小説でよく使われているイメージかもしれません。

 

ところが安楽椅子探偵ものの最大の難点というのが、動きが少ないというもの。 

探偵自身は伝聞で事件の全容を知るケースが多い為、基本的に事件は事後となります。ですから推理小説でありがちな「次に誰が襲われるか、もしかしたら自分たちにも身の危険が迫っているかも」といったスリルもなく、誰かの回想シーンが中心となる事で、物語のスピード感や起伏がなくなってしまうのです。

 

なので個人的にはできるだけ短編でやって欲しい手法だと思っています。

 

本書はそんな安楽椅子探偵の設定で600ページ超の超長編に挑んでしまった作品。

さて、どんな結果になるか……。

 

記憶喪失の男と鍵となる不思議な童話

事件は脳科学者となった(いつの間に!)御手洗潔の下に、エゴンという記憶喪失の男がやってくるところから始まります。

エゴンは会う度に御手洗と初対面であるかのような挨拶を交わし、毎回同じような他愛もない会話を交わします。

彼の記憶を辿る手がかりとなりそうなのは、エゴンが書いた『タンジール蜜柑共和国への帰還』という童話のような不思議な物語のみ。

 

全く何の手がかりにもならないようなところから御手洗は推理の糸口を見つけ、少しずつエゴンの記憶を紐解いていくのですが……

 

これって一体なんの話? 

 

ぶっちゃけわけわからないんですよね。

 

これが例えば「記憶をなくした少女の右手に血まみれのナイフが握られていた」みたいなところから始まるベタな物語であれば話は早いのですが、そもそもエゴンって誰? なんでこの人の記憶を探りたいの? という一番重要な理由づけがないまま話が始まり、進んで行ってしまうのでさっぱり入り込めない。

 

名探偵の前に記憶喪失の男を登場させたら、そりゃ記憶探るだろー的なお約束を元に強引に話が進められていってしまいます。

さらにそこに島田荘司にありがちな物語と関係があるんだかないんだかも不明な衒学的なあれこれが肉付けされ、ただでさえ冗長に感じているところに『タンジール蜜柑共和国への帰還』を読まされるに至ってはもうさっぱり意気消沈。なんでこんな謎文章読まないといけないの?と。

 

もちろん、最後にはとんでもない謎と解決が待っているかもしれない。

エゴンの記憶も面白くもない空想童話もそれらの重要な材料かもしれないとはわかっているんですが、推理の材料でしかない文章ってとにかく読むのが苦痛。

 

「どうやら猿人の発掘に関わっていたっぽいぞー」

 

なんて新たなヒントが浮上してきても、なんでこの人の記憶を探りたいの?というそもそもの理由が欠落しているため、さっぱり興味を持てないんですよね。

どんなに推理を展開されても、こちら側としては全く乗り気になれないという。

 

どうやら過去に起きた殺人事件と関わりがあるらしいという事が明らかになってくる中盤以降、ようやく推理小説らしき匂いがしてきます。

ただまぁ、それとてぶっちゃけどうでも良くない?とか思えてしまえたり。。。

 

赤の他人じゃ駄目だ

ここまでブログを書き進めてきて、本書に決定的に欠けている点に気づきました。

記憶喪失から始まってそこから導き出される様々な過去の事件について、どうして興味を持てないのか。

 

冒頭になんでこの人の記憶を探りたいの?というそもそもの理由が欠落していると書きましたが、もっと言えば利害関係者でもなんでもない赤の他人の過去とか事件とか全くもってどうでもいいって事です。

逆に言うと、登場人物たちに感情移入できるような関係性が欲しいんです。

 

御手洗潔の友人だとか知人だとか恋人だとか、それらの人のつながりでもいいです。

具体例を挙げれば、過去に『 暗闇坂の人喰いの木』と『水晶のピラミッド』と『アトポス』に登場したヒロイン役・松崎レオナとかね。

 

読者が「この人を助けてあげて欲しい」「救って欲しい」と思えるような対象がいて、その人のために活躍するからこそ、名探偵は名探偵なんです。 

 

どこかから連れて来られた赤の他人の記憶や過去の出来事をああでもないこうでもないと推理されたところで、読者が興味を持てないのは当然です。

 

暴れん坊将軍』や『水戸黄門』のような勧善懲悪ものを例にとれば、単純明快です。

金さんや黄門さまは、自ら一般社会の中に入り込んで、その中で出会った市民の窮地を救うために、悪と戦います。

出会ったばかりタイミングでは、市民は根っからの善人ばかりではなく、時には金さんや黄門さまに無礼な言動をぶつけたり、愚かな行動をとったりする事もあります。しかし、やり取りを交わす中で、改心や成長したり、金さんや黄門さまと心を通わせ、ひいては視聴者との間にも親近感のような関係性が構築されていきます。

そこに出会いがあり、関係性が構築されているからこそ、視聴者も彼らを「悪い奴らを懲らしめて助けてあげて」と思えるわけです。

 

この構造から「一般社会の中に入り込み、心を通わせる」という出会いの場面を除いてしまったらどうでしょう?

 

最初から見ず知らずの町人が金さんや黄門さまに「助けて下さい」とやって来て、話を聞いたり調査を重ねたり……最終的に悪い商人が白洲に引き出されて首を刎ねられそうになりますが、温情措置により許しを得、改心を誓う。

 

……面白いですかね?

 

島田荘司は従来の固定化された本格ミステリの既成概念を打破しようと色々と試行錯誤しているようですが、本作に関してははっきり大失敗と言えるでしょう。

 

世界を舞台にインターネットを駆使し、や古代遺跡発掘・スペースコロニービートルズ等々、様々な要素を詰め込む事で、従来の推理小説から大きく飛躍したスケール感は素晴らしいと思うのですが、スケール感を大きくしたからといって傑作につながるわけではないですよね。

 

昨今ではどんどんスケールが大きくなっていく傾向にあるようですが、どこかで一度「閉ざされた山荘」的な本格推理小説の原点に立ち返ったような作品にも挑戦して欲しいものです。ページ数も400ページぐらいにまとめて。

 

実際に、最近はラノベ系・奇抜系の推理小説推理小説風味の何かが大量生産されるばかりで、ど真ん中を突くような王道ミステリは久しく見ていない気がします。

そんな今だからこそ、需要はある気がするんですけど。

講談社さん、原点に立ち返って『新・新本格ミステリ』的なムーヴメントをもう一度仕掛けてみて貰えませんかねぇ。

ラノベ全盛の今じゃあ難しいのかな。

 

https://www.instagram.com/p/B4oDYqpFWjm/

#ネジ式ザゼツキー #島田荘司 読了#新本格推理 の教祖と勝手に思っている島田荘司の作品を久しぶりに読みました。しかしながら #安楽椅子探偵 #アームチェアディテクティブ ものは長編には向きませんね。島田荘司お馴染みのスケールの大きな衒学的あれこれとも結びついて、なんとも冗長的な物語でした。やっぱり名探偵は赤の他人の依頼に応える医師のような役割ではなく、当事者として悪と戦うヒーローであって欲しいと改めて思います#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『ひらいて』綿矢りさ

無駄に生きてるんだ、もう無駄にしか生きられないんだ。

長い長い『新・平家物語』の読書を終えた後、本棚にたくさんある積読本から選んだのは綿矢りさの『ひらいて』でした。

 

綿矢りさで読んだ事があるのは2001年に当時17歳という最年少タイ記録で第38回文藝賞を受賞した『インストール』。

それから記憶に新しいところではかなり変わった女性の自己中心的な(?)陶酔的な(?)一風変わった恋愛模様を描いた『勝手にふるえてろ』。

勝手にふるえてろ』は個人的にはかなり面白く読みました。

本作もまた、『勝手にふるえてろ』と同じ匂いを感じさせる1人の自己陶酔型少女の恋愛を中心としたお話です。

 

モテ系女子と地味系男子

本書の主人公である愛は華やかで見た目もよく、モテるタイプの女の子。

彼女が恋した男子というのが、クラスでは存在感の薄い地味系男子。

彼は都内でも最難関と呼ばれる大学を目指す秀才でもあります。ただし、日常風景を見る限り友達も少なく、運動神経もあまりよくなさそう。

それでも彼女は、いつの頃からか彼に惹かれるようになってしまいます。

 

ある日、彼が学校でみんなから隠れるようにして手紙を読むシーンに遭遇する愛。

ひゅんなことから夜中に学校に忍び込むに至った愛は、彼の机から隠されていた手紙を盗み出します。

元そこに書かれていたのは、恋人からのラブレターを思わせる内容でした。

美雪、という署名に元クラスメートの顔を思い出す愛。

愛は疎遠になっていた美雪に近づき、彼との関係をそれとなく聞き出そうと試みます。

 

 

少女マンガかと思いきや……

途中までは、上に書いた通り少女マンガを思わせるようなベタな学園ラブコメなんですよね。

 

ところがどっこい←

 

途中から愛が想像をはるかに超える言動をはじめ、物語は斜め上の展開を見せるのです。

 

いやはや、めちゃくちゃびっくりですね。

ずっと憎んだり憎まれたり殺したり殺されたり権謀渦巻く平安時代の話を読み続けていただけに、こういう爽やかな青春ものもガラリと気分が変っていいなぁ、なんてのほほんと読んでいたのですけれど。

 

何やら雲行きが怪しくなってきて以降は、目を離せなくなってしまってすっかり夢中に読みふけってしまいました。

 

要許容力・要寛容性

個人的には一気読みするぐらい面白い物語でしたが、『勝手にふるえてろ』同様、登場人物の思考や人間性にかなり偏りが見られるため、読む人によっては拒絶反応が出そうなのは避けがたいところ。

事実、読後にAmazonのレビューを見てみると低評価のものも多いです。

内容も予想通り、思考や人間性に対する拒絶反応を示すものが大半を占めているようです。

 

物語の登場人物である以上、個性的である方が面白いと思うんですけどね。

このぐらい滅茶苦茶だと読者側の想像力を超えてくるので、先の読めない面白さも楽しめますし。

 

物語に順当さを求める人が多い事も承知はしていますが、「エンタメ色強い登場人物とストーリーを文学作品らしい密度の濃い文章」で書きあげるのが綿矢りさなのだと思っています。

私の笑顔はちょうど、いま穿いているソックスの刺繍。表側の真白い生地には、四つ葉のクローバーの刺繍が施されているが、裏返せば緑色の糸がなんの形も成さず、めちゃくちゃに行き交い、ひきつれているだけ。

衝動的に行動してすぐに衝動的に謝る人間は、反省が足りないから、また同じことを繰り返す。

朝井リョウもそうですけど、日常生活における着眼点とか、それを文章化する能力が凄過ぎます。

普段からこんな風に物事を見ているのだろうなぁ、と思うと感心しかありません。

 

けど綿矢りさがもっと大衆受けする平々凡々な物語を書いたら、きっと直木賞本屋大賞に輝くような作品になると思ったりもするんですけどね。

彼女の書く物語って良い意味でも悪い意味でもアクの強い、奇人変人ものが多くなってしまうので。

 

主演・松岡茉優

上にリンクを貼った『勝手にふるえてろ』の記事に詳しく書きましたが、僕は松岡茉優が好きです。

勝手にふるえてろ』は彼女が主演で映画化されましたが、どうも綿矢りさ作品と松岡茉優の親和性って異常に強いと感じます。

松岡茉優は今でこそ人気女優の地位を築いていますが、どこか他の女優さんとは異なる狂気性というか異常性を感じるんです。

常に無理してキャラを作って演じて、一向に素の人間性を見せない感じ。

どうも本人すら、自分の真の姿なんてわからない。わからないどころか、わかろうとする事すら放棄してしまった人から感じる開き直った感といいますか。

 

その辺りの狂気性が、綿矢りさ作品が感じさせる異常性と非常にマッチするんです。

 

なので本作『ひらいて』も勝手な脳内イメージでは主演・松岡茉優で変換して読んでいました。

内容的に本作の映像化は絶対無理だと思いますけどね。

 

https://www.instagram.com/p/B4UKzz7F6eB/

#ひらいて #綿矢りさ 読了新・平家物語からの口直しとして読み始めたつもりが、なんとまぁとんでもない本だったことかモテ系女子な主人公がクラス非モテ系男子に恋したところ、彼宛に書かれたラブレターを盗み見してしまう。相手は1年生の頃のクラスメート。主人公は二人の関係を確かめるため彼女に近づきます。 ……が。ここまではよくある少女漫画風の青春恋愛ものなんですが、ここから主人公の取る言動が斜め上を行くトンデモ展開。思わず夢中に一気読みしてしまいました。読む人によっては拒絶反応が避けられない綿矢りさ本にありがちな偏った人間性や思考回路に彩られた作品ですが、個人的にはそれこそが物語を面白くしているところだと思っています。朝井リョウにも負けず劣らずの卓越した描写力も素晴らしい。これも松岡茉優主演で映像化して欲しいな。絶対ムリだけど。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。