おすすめ読書・書評・感想・ブックレビューブログ

年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『星降り山荘の殺人』倉知淳

和夫は早速新しい仕事に出かける

そこで本編の探偵役が登場する

探偵役が事件に介入するのは無論偶然であり

事件の犯人では有り得ない

『星降り山荘の殺人』を読みました。

初、倉知淳作品です。

 

これまでに何度か僕は新本格推理ブームの話に触れてきました。おそらく一番長々と書きなぐったのは『密室殺人ゲーム王手飛車取り』の記事かと思います。


上記記事を読んでいただければ話は早いのですが、いちいちリンクなんて踏んでられるか、という方も多いかと思いますのでかい摘まんで整理すると、僕は綾辻行人から始まる新本格推理ブームに見事嵌まり、その中でも特に歌野晶午我孫子武丸法月綸太郎と続いていく講談社デビュー組の作品を中心に読んで行きました。

 

そこから二階堂黎人麻耶雄嵩太田忠司、そして森博嗣京極夏彦といった後発組にも食指は伸びていくのですが、初期デビュー組の純然たる本格ものとは異なり、後発組は奇をてらったトリックや奇想天外な構成、キャラクター性に特化した探偵等、オリジナリティーを模索していった結果、本格推理小説たる要素は薄まり、より広く一般の人にも読まれる大衆小説化していったと感じています。

 

初期作品に心酔していた僕としては徐々に変わっていくそれらの作品が受け入れられず、かといって似たような作品になりがちな本格推理小説にも食傷気味となり、いつの間にか離れていく結果となりました。

 

ただし当時は推理小説ブームの渦中だけあって、次から次へと新星が投入されていた時期でもあります。「推理小説は読み切ったかなぁ」という個人的な感慨に反し、手も触れず、一冊も読まずに終えた作者も沢山いました。

 

今回読んだ倉知淳も、未読のまま終わってしまった作家の一人。

 

それもそのはず、主な作家をデビュー年ごとに列挙すると、

 

1987年 綾辻行人

1988年 歌野晶午法月綸太郎

1989年 有栖川有栖我孫子武丸

1991年 麻耶雄嵩

1992年 二階堂黎人

1994年 京極夏彦倉知淳

1996年 森博嗣

 

ちょうど僕が推理小説に飽き始めた時期にぶつかるのです。

しかも同年には新・新本格推理の申し子とも言える京極夏彦がデビュー。

世に巻き起こった空前の百鬼夜行ブームのさ中、ひっそりと文壇に登場していたのが倉知淳だったのです。

 

尚、本書『星降り山荘の殺人』は1997年に出版され、第50回日本推理作家協会賞(長編部門)の候補にもノミネートされています。

奇想天外のトリックはさぞかし当時の推理小説界を賑わせただろうことは想像に難くないのですが……いまいち世の中の認知度は低いままです。

 

なにせ前年1996年にはあの『すべてがFになる』を引っ提げて森博嗣が華々しくデビューしていますから。世は妖怪と理系ミステリで塗りつぶされてしまっている中では、本書のようなクローズド・サークルの探偵ものの注目度や評価が低かったのは仕方がなかったと言う他ありません。

 

だからこそ発表から20年が過ぎた今更、僕は本書『星降り山荘の殺人』を取り上げてみたいと思います。

 

 

雪の山中に取り残される一行、そこで起こる連続殺人

完全に王道路線です。

ザ・王道。

 

主人公の和夫は勤務先の広告代理店でトラブルを起こし、芸能マネージメントの部署へと転属されてしまいます。

そこでの業務はタレントのマネージャー。

女性のような美貌で注目と人気を集める星園詩郎のマネージャーとして、埼玉の山中にあるキャンプ場へと出向きます。

和夫は勤務先である広告代理店の社長と懇意にしているという不動産開発会社の社長、岩岸の求めにより、星園の他、ベストセラー作家の草吹あかねやUFO研究科の嵯峨島一輝といった顔ぶれが集まります。岩岸の所有するこのキャンプ場を、彼らのネームバリューとアイデアにより再生させたい、と言うのです。

さらにそこには、どこかの飲み屋で拾ってきたような女子大生二人組も加わります。

 

ところが翌朝、コテージの一室で岩岸が死んでいるのが発見され、未曾有の寒波によりキャンプ場は陸の孤島と化している事が判明。

岩岸を殺したのは一体誰なのか。

犯人の狙いとは。

 

明晰な頭脳を発揮し、真相究明へと乗り出そうとする星園とともに、事件を探る和夫。

しかしそこに、更なる事件が発生し――

 

……とまぁ、やっぱり王道の展開ですね。

誰もがどこかで聞いた事のあるようなストーリーです。

 

本書の特徴は、それが非常にユーモア感あふれる文章で進む点。

星園のマネージャーとして帯同したはずの和夫は、岩岸やその部下である財野からは「付き人」扱いされ、終始雑用係として酷使されます。

この“軽め”のエッセンスが人によっては大きく評価が分かれるところ。

綾辻行人島田荘司京極夏彦のような幻想的なムードや重々しい雰囲気を推理小説に求める人は、序盤から投げ捨ててしまう事請け合いです。

 

加えて物語の展開としては、王道であるが故に、非常に凡庸なんですよね。

みんなが集まり、一夜明けた朝に起きてこない人がいる→見に行ったら部屋で死んでた、なんてお約束過ぎる展開です。

ホラー映画でカップルちゃいちゃいちゃし始めたら死亡フラグな。

 

死体が見つかったにも関わらず、登場人物たちがほとんどパニックも起こさず、互いに疑心暗鬼にもならず、冷静にアリバイの供述に入ってしまう展開なども、だいぶ現実離れしています。

二日目の夜は「全員一緒に一夜を明かそう」という提案も、呆気なく却下されてしまったり。

 

終始王道の、言い換えればベタで凡庸な本格推理小説の流れに沿って物語が進みます。

 

ただし、本書の評価すべき点はそこではありません

しっかりと、ベタな本格推理小説らしからぬ驚きの展開が用意されているからです。

 

 

ネタバレが嫌いです

毎度毎度書いていますが、ネタバレが嫌いです。

許しがたいレベルです。

 

極端に言ってしまえば、僕にとって推理小説を読むというのは、初めて『十角館の殺人』や『迷路館の殺人』を読んだ時の衝撃をもう一度味わいたくて読んでいると言っても過言ではありません。 

 

なのにこのネット社会、安易にタイトルで検索しただけで、次の瞬間にはネタバレが目に入ってしまったりする。いやーホント、勘弁してほしいです。

 

毎度書いていますが、「○○トリック特集」や「驚愕のどんでん返し○選」もやめて欲しい。というかやめろ。

「○○トリック」なんてわかってたら読む楽しみ半減ですよ。

 

なので推理小説について書く時はいつも一緒ですが、詳しい内容については触れません。

何書いてもネタバレにつながっちゃう気がしますからね。

 

そういう意味で本書も、頭白紙の状態で読んで欲しい本です。

 

 

頭空っぽで読んで、素直に「騙されたー」と思えたらすごく面白かったと言えると思いますよ。

ちなみに僕も思わずtwitterでつぶやいちゃいました。

https://www.instagram.com/p/B9YV22cF94-/

#星降り山荘の殺人 #倉知淳 読了雪で閉ざされたキャンプ場で起こる連続殺人。#クローズドサークル に #足跡 にと王道中の王道をいく本格推理小説。作風が軽めなのに加え、あまりにもお約束通りでご都合主義な展開にちょっと辟易していたのですが、気を抜いていたらまんまと騙されました笑こりゃーヤバい。物語としてはともかく推理小説としてはなかなか大胆で面白い作品でした。下手に検索するとすぐネタバレ出てきちゃうのがネックですが。予備知識なしに、頭真っ白で読むべき本です。推理小説ってこういうのがあるから堪らないよねぇ。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『ぼくのメジャースプーン』辻村深月

口の中が、ものすごく、ものすごく、甘い。ぼくは、多分一生それを忘れない。

辻村深月『ぼくのメジャースプーン』を読みました。

辻村深月作品は『ツナグ』から始まり、『凍りのくじら』、2018本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』、『青空と逃げる』、『スロウハイツの神様』などを読んできました。こうして数え上げてみると愛読している作家の1人に入るのかもしれません。

 

 

ただし文句なしに素晴らしい出来栄えの『ツナグ』や、焦らして焦らして焦らした挙句の最後の畳み掛けが壮絶な『かがみの孤城』に比べると、他はちょっといまいちという印象。。。

 

それでもそこそこ読めてしまうのが彼女がベストセラー作家たる所以だとも思うのですが。

 

呪い

本書について一言で表すならば、“呪い”または“言霊”という言葉がふさわしいでしょう。

主人公であるぼくは、ある日偶然その力を使ってしまい、母親から猛烈に叱られてしまいます。

その力というのは、

 

「『なにか』をしなければ、『ひどいこと』になる」

 

という、彼が発した言葉がそのまま相手の言動を左右してしまうというもの。

 

ぼくはある日、ピアノの発表会から逃げようとしたふみちゃんに「ピアノを弾かなければ、この先ずっと思い出して嫌な思いをする」と言ってしまうのです。

彼の“呪い”にかかったふみちゃんは見事発表会で日頃の成果を発揮します。

 

ところが後日、クラスで可愛がっていたうさぎを、外部から侵入した男が殺戮するという残虐な事件が発生してしまいます。

その日、当番であったはずのぼくは風邪が原因で、ふみちゃんに代わってもらいます。

ぼくに代わってうさぎの世話をしに登校したふみちゃんは、むごたらしい事件の第一発見者に。心に傷を負ったふみちゃんは言葉を失い、自宅に引きこもるようになってしまいます。

 

そんな折、事件の犯人から生徒たちに謝罪したいという連絡が入ります。

一旦は断ろうとした学校側でしたが、ぼくは担任の先生に謝罪を受け入れるよう“のろい”をかけます。そして謝罪を受ける代表者が自身になるよう仕組むのです。

 

ぼくの仕業と知った母は、同じ力を持つ秋山先生に相談。

その日から、ぼくと秋山先生との面談の日々が始まります。

力について、力のもたらす影響について、取り留めのない話題を交えながら深く話し合いを重ね合わせる二人。

 

やがてぼくは面会当日、秋山先生同席の下、犯人に考えに考え抜いた“呪い”をかけようとするのです。

 

藤子不二雄ワールドへようこそ

ざっくり目を通しただけでもお気づきかもしれませんが、この物語は『凍りのくじら』同様、藤子不二雄の影響を大きく受けている事がわかります。トリビュート作品と言っても良いかもしれません。

 

辻村深月といえばドラえもん好きを公言し、映画『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の脚本担当をした事でも知られています。

 

 

『凍りのくじら』のように「ドラえもんのオマージュ作品」と作者自身が語った作品もありますが、本作も色濃く藤子不二雄の影響が感じられるものです。 

 

「『なにか』をしなければ、『ひどいこと』になる」

 

という“呪い”は「もしもの世界を体験できる」という『もしもボックス』に似たものを感じますし、もっと近似したところでは「ココロのスキマ」を埋めるためのサービスを提供し、それに伴う「約束事」を厳守するように促す『笑ゥせぇるすまん』とほぼ同種の能力であると言えるでしょう。

 

 

もっとも、「約束を守れない人間の愚かさ」をブラックユーモアとして描く『笑ゥせぇるすまん』に対し、本作『ぼくのメジャースプーン』ではふみちゃんという友達を想うぼくという純真な少年が力を持つ点が大きく異なりますが。

 

ぼくはその純真さ故、犯人に与えるに相応しい“呪い”とはなんなのか、そもそも力を使ってよいのかどうかを、長い長い時間をかけて葛藤し、悩み続けるのです。 

 

 

506ぺージ

長い長い時間をかけるのが悪いわけではないのですが。。。

506ページという比較的多めのボリュームの本書において、大半がぼくと秋山先生の対話に割かれているのにはどうしたって辟易してしまいます。

 

小学三年生の設定のぼくが聡明過ぎるのもその一因でしょう。

そんなに難しいところまで考えるかな?と思わざるを得ません。

 

もしかしたら時代感もあるかもしれませんね。

まるで京極堂と関口君が本筋に意味があるのかないのかわからない衒学的なあれこれを永遠に議論し続けるのにも似たペダンティックなやり取りがひたすら続いていくのです。

当時はこういった膨らませた文章が流行っていたという現れかもしれません。

 

とはいえ、今読むとやっぱり冗長に感じてしまいます。

設定は面白いんですよね。「もしも小学3年生が『笑ゥせぇるすまん』の能力を手に入れたらどうなるか(作:辻村深付)」なんて、読んだだけで嫌が応にも期待感が膨らんでしまいますもんね。

ギュッと半分ぐらいに凝縮したら『ツナグ』や『かがみの孤城』にも負けない濃厚・濃密な名作になっていた気がするのですが。

 

やはり世の中において名作と言われる作品と、そうでない作品との間にはそれなりの理由があるようです。

 

https://www.instagram.com/p/B9Qf-UuFxic/

#ぼくのメジャースプーン #辻村深月 読了辻村本はかれこれ5,6冊目になるのですが、ドラえもん好きの彼女らしく、本書も藤子不二雄エッセンスでいっぱいの本でした。主人公のぼくは「『なにか』をしなければ『ひどいこと』が起きる」という言わば呪いのような能力に気づいてしまいます。学校のうさぎを惨殺した犯人に対し、力を用いて復讐を試みるぼくでしたが、同じ能力者である秋山先生に引き合わされ、力を使うべきか、犯人にはどんな言葉が相応しいか答えを出すべく、悩み、葛藤を続けます。この力って藤子不二雄でいう『#笑ゥせえるすまん』によく似ていますよね。「心のスキマを埋める代わりに、約束を破ったら代償を負わせる」喪黒福造の能力を純真無垢な小学生が手に入れたらどうなるか。簡単に言うと、そんな本。ただ全506ページの大半が秋山先生とぼくとの禅問答のような会話に費やされたのはかなり食傷気味かなー。願わくば同じ題材をギュッと凝縮して短編・オムニバス形式にしてしまえば『ツナグ』のような名作になり得たんじゃないかな、と思ってしまいます。ちょっと惜しい。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『放蕩記』村山由佳

 それはつまり、夏帆の側のこじれた感情が、どれだけ飽和状態に達しているかという証でもある。あの母を、どうしてもうまく赦すことができない。いったい母の何を、どこを、これほど疎ましく思うのかすらよくわからない。それでも、母と父は日に日に老いていく。放っておくわけにもいかないではないか。

村山由佳の『放蕩記』を読みました。

その昔、僕自身若かりし頃に『天使の卵』に出会ったのをきっかけに、以降『BAD KIDS』や「おいしいコーヒーのいれ方』シリーズをはじめ、自身まっただ中にあった青春時代と作品の登場人物たちの青春とを重ね合わせながら読んできた作家さんです。

 

その辺の経緯は大胆な作風変更により話題となった『ダブル・ファンタジー』の記事で触れていますので興味のある方はご一読を。

 

 

 

数年ぶりに触れた村山由佳作品『ダブル・ファンタジー』で度肝を抜かれた僕でしたが、作品自体はとても面白いんですよね。

同様に官能的な『アダルト・エデュケーション』も楽しく読ませていただきました。

 

……で、本作。

 

作品の帯やあらすじ、その他著者本人のインタビュー等々で『放蕩記』が村山由佳自身の自伝的小説であるという事は知っていました。


ただ、僕のイメージって『ダブル・ファンタジー』や『花酔い』のような“性”について赤裸々なお話なんだろうな、と思っていたのです。

 

そしてその期待は、今回もまた裏切られる結果となりました。

 

赤裸々な“母との関係性”

本書で村山由佳が描くのは、自身の“母との関係性”。

これが凄いです。

 

先に紹介した作品のように、“性”についてあけっぴろげにぶちまけた時にも驚きましたが、自分の肉親との関係性をこうまで主観的かつ客観的に丸裸になるまで描き上げたのはただただ凄いの一言。

壮絶。

 

物語自体には初期の村山由佳作品のような起伏やスピード感はありません。

2人目の内縁の夫(≒ヒモ)とともに実家を訪ねたりといった日々の生活を軸に、幼少期からの母とのエピソードを交えながらそこから生まれた憎悪とも嫌悪ともトラウマとも取れる複雑な感情を小刀で刻むようにひたすらに書き込まれたという印象です。

 

ですから基本的に物語自体の面白みというものは少ないかもしれません。

 

でも……これは間違いなく文学作品なのでしょう。今まで読んだ村山由佳作品の中では、一番文学的な作品と言えるかもしれません。

自己の内面に渦巻く様々な葛藤を、綺麗に整理したり脚色したりするのでもなく、混沌とした色合いそのままに文字で表現した凄み。

 

あまりにもリアル過ぎる母への感情は、正直読んでいて嫌になります。

気分が悪いです。

母の言動全てが嫌だし、それに対する主人公・夏帆の考え方も好きになれない。

父親も嫌いだし兄も嫌い。小狡い感じの妹も嫌い。内縁の夫(≒どっからどう見てもヒモ)も当然嫌い。

出てくる登場人物全部が好きになれないという稀有な物語。

 

そんな嫌なやつらにも、時折優しさや気遣い、それぞれの人生哲学的なものが垣間見えたりします。自分勝手だったり、自己中心的だったり、正義漢ぶった匂いを感じたり、リップサービス的なものを感じたり……でもそれが本当にリアルなんですよね。

到底認められないのだけれど、ほんのちょっと共感できる部分があったりなかったり。

 

小説って、どんどん記号化が進んでいるじゃないですか?

 

Aは良い人、Bは悪い人、CはAの協力者。

CはXという要因により志を共にしている。

AとBはYという要因で仲が悪い。でもYがクリアできれば関係は改善される。

 

みたいな。

プロットの段階でそれぞれの役割や人間性が決められて、その通りに物語を演じてくれるというのがお約束になっていたり。

 

でも本作はそうではないんです。

確固たる理由があって惹かれあうわけではないし、誰が悪いとか正しいとか分けられるわけでもない。明確にきっかけや事件があるわけでもなく、複合的な要因が絡まり合うわけでもなく、いわば自然の流れとして今の関係性が出来上がってしまっている。

 

登場人物たちの間でも割り切れない、把握しきれない事情や感情が様々あって、玉虫色で混沌とした状態をそのままに描き切った本作。

 

読めば読むほどに嫌な気分にしかならないのですが、一方でそこに筆舌しがたいリアリティを感じてしまうんですよね。そうそう、こういうもんだよ。現実って確かにこうだよ、と。

 

僕的には本当に素晴らしい文学作品だと思います。

ただし、読中も読後感もとにかく良くないので、本作をまた読みたいとは思えないです。

ただただ、とてもヘビーなものを読んでしまったな、という感覚。

 

しかしながらまた村山由佳の新境地のようなものを垣間見た気がするので、彼女の作品はぜひとも読み続けたいですね。次の作品に触れるのが楽しみになります。

 

では。

 

https://www.instagram.com/p/B9A0svVlAhL/

#放蕩記 #村山由佳 読了村山由佳の自伝的作品とあり、きっと #ダブルファンタジー のような赤裸々官能的小説なんだろうと予想していたところ…… 見事に裏切られました。本書で赤裸々に描かれるのは実の母との母娘関係。二人目の内縁の夫(≒ヒモ)との日々の生活の中で、幼少期からの母親とのエピソードやそれにまつわる感情を描いていきます。この母親というのがかなりの癖者。ただし、主人公である夏帆もかなりの曲者。父親も糞野郎だし兄は似非人格者、妹は小狡賢い……と言いきってやりたいところだけれど、それぞれにはそれぞれの考えや人生観、気遣いみたいなものが垣間見えたり。。。 昨今のエンタメ小説にありがちな記号的登場人物とは正反対の、人間臭い人間たち。とにかく母との関係性が語られるばかりなので物語はともすれば単調だし、物語を読む面白みのようなものは薄いかもしれません。しかしながら、複雑で混沌とした人間関係や感情を整理したり脚色したりせず、そのままに描き切った筆力には感嘆の一言。想像よりも遥かに重い文学作品でした。ただ読んでいる最中も読後も気分は良くないので、正直なところ本作をまた読み返したいとは思えません。それよりもさらに新しい村山由佳作品を読みたいと期待させてくれる一冊でした。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい.*※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『春から夏、やがて冬』歌野晶午

私はわかった。二人は今も私の家族であり、私の一番大切なものなのだ。しかし、二人は今も私の家族でありながら、私のそばにはいない。この世のどこにも存在しない。

歌野晶午『春から夏、やがて冬』を読みました。

単行本の発行が2011年10月。

『葉桜の季節に君を想うということ』が2003年、当ブログ記事の中でも人気の『密室殺人ゲーム王手飛車取り』が2008年ですから、話題作が続いた後での作品という位置づけになります。

 

当時の歌野晶午への期待感を表すかのように、本書は第146回直木賞の選考作品にもノミネートされています。

 

 

 

結果としては先日読んだ『無双の花』の作者でもある葉室麟の『蜩ノ記』が受賞に輝いているのですが、ミステリ界の中でも異端児とされる歌野晶午の作品であり、かの有名な文学賞にまでノミネートされた作品となれば、否応にも期待は膨らみますよね。

 

 

万引き犯を見逃した理由

主人公は平田誠。50代の総合スーパー職員。

保安部長として勤める彼は、毎日のように繰り返される万引き犯1人と対峙します。

普段であれば警察への引き渡しも辞さない厳しい姿勢で臨む平田ですが、その日であった20代前半の女性・末永ますみに対しては呆気なく罪を許し、解放してしまいます。

 

後日、昼休みに店を出た平田の前にますみが姿を現し、平田に感謝を告げます。それをきっかけに、ますみは度々平田の下を訪れるように。

DV気味のチンピラ男と同棲するますみは、病院にかかるお金にさえ困るという貧窮した生活を送っています。そんなますみに、平田は気安く金を渡したり、肩代わりしたりといった親切心を見せます。

 

平田にはますみと同い年の娘・春夏がいたのです。

しかし七年前、高校二年生の時に交通事故で死んでいるのでした。

さらにその後、心身ともに病んだ妻もまた、自ら命を絶ってしまいます。

たった1人残された平田でしたが、彼の身体もまた、重大な病に侵されている事を知ります。

 

自分に残された時間は少ない、と知った平田は、ますみに失った娘・春夏の姿を重ね、生き急ぐように、彼女の世話を焼こうとするのです。

 

 

未解決事件

一方で、春夏を車ではねた犯人はまだ捕まらないまま、5年の月日が過ぎ、時効を迎えてしまっていました。

現場に残された状況から、春夏はヘッドフォンをしたまま、片手で携帯電話を操作しながら自転車に乗り、車にはねられた疑いが残っています。

ヘッドフォンについて春夏を諌めながらもまんまと逆に言いくるめられた事や、自分がプレゼントした携帯電話であった事が未だに平田の胸を苦しめます。

 

あの時、もっと厳しく春夏を叱っていれば。常日頃からきちんとしつけをしていれば、あんな事故は起きなかったのではないか。

 

悔やんでも悔やみきれない想いは、七年が経った今でも平田を際悩ませ続けているのです。

 

しかしながら本書の作者が歌野晶午である事を考えれば、未解決事件が主人公の悔恨を演出するためだけのエピソードとして終わるはずはありません。

終盤、平田の目の前に犯人の手掛かりが突然現れ――そこから物語は急展開を迎えるのです。

 

 

ミステリか、大衆小説か

本作、『密室殺人ゲーム』のようなド直球のミステリと比べると、驚くほど丁寧に心理描写が成された“読める”作品となっています。

特に平田に関わるエピソードはどれも秀逸で、平田や平田の妻の春夏の死の受け止め方や、その後の苦悩などは思わず唸ってしまいます。

家庭を顧みず仕事に忙殺される平田の一方で、家庭を一手に引き受けながらも趣味のテニススクールとを両立される妻や、父親を軽侮しながらもしっかりと議論に応じる春夏の聡明さなど、絵に描いたような幸せそうな家族が、どのような過程を経て壊れ、崩れて行ってしまったか。

全てを失い、たった1人で余生とも言うべき人生を淡々と過ごす平田が、ふとした瞬間に過去のエピソードを蘇らせる度に、読者側としても胸を締め付けられてしまいます。

 

直木賞へのエントリーも納得の出来です。

 

ただし……それだけでは終わらないのが歌野晶午

本書についての総評としては、冒頭にリンクを掲載した宮城谷昌光さんの直木賞選評によく現れていると思います。

 

「発展の可能性を感じた。つじつまあわせは無用である。不条理が残ったままのほうが、小説的奥ゆきが生ずるときがある。」

 

終盤、未解決事件に話が及んだあたりから見せる物語の展開は、ミステリファンならば夢中になって読み進めてしまうのは間違いありません。

ただし、一般的な小説として読んだ場合どうか。

言葉を選ばずに記すのであれば、「陳腐な謎解き」によってせっかく盛り上がった物語に水を差されたと感じてしまうかもしれません。

 

僕自身ミステリファンの立場としては、春夏をはねた犯人が見つかっておらず、さらに携帯電話やヘッドフォンを使用していた疑いが浮上した時点で、これらは後々何らかの形で解答が提示されるであり、伏線であると条件反射的に受け止めてしまうのですが、読了後にフラットないち読者の立場として改めて振り返ってみると、謎や伏線の回収は野暮だったかなぁと思えてしまう部分もあります。

 

そんなわけで本書の評価が分かれるのは、読者側の立場や期待するものによって変わると思うのです。

逆に言うと、一粒に二度美味しい的な楽しみ方ができる作品だ、とも言えてしまうと思うのですが。

 

死生観

最近『100日後に死ぬワニ』というTwitter漫画が話題です。

100日後に死ぬワニが、そうと知らずに日々生活している様子を描く四コマ漫画

テレビで見た人気の通販商品を「買っちゃお~」と意気揚々と電話した結果、「一年待ちです」と告げられるも注文し、「一年後が楽しみだなぁ」とわくわくするワニの下に「死ぬまであと98日」という容赦ないテロップが付けられるといった作品です。

 

 

 

ワニはあと98日で自分が死ぬ事をわかっていないんですね。

当然一年後も生きてるという前提で一年待ちの商品を注文し、期待に胸を膨らませているのです。

 

とりあえずこの先もしばらくは生きているであろう事を前提条件として、日々を無為に過ごす僕たちに対するアンチテーゼのようでもあります。

 

本書は逆に、病に侵され先は長くないと覚悟した平田が、残された時間を生き急ぐ物語であるとも言えます。

平田が死を覚悟した人間であると理解して読むのと、理解しないまま読むのとでは、彼の言動が大きく違って感じられるのです。

本書をこれから読むという方は、そんなのところにも注意を払って読んでみる事をオススメします。

 

https://www.instagram.com/p/B8fvpW5lxKb/

#春から夏やがて冬 #歌野晶午 読了#第146回直木賞 ノミネート作品スーパーの保安部長を努める平田は捕まえた万引き犯のますみを見逃してしまいます。7年前に交通事故で死んだ娘の春夏と同い年のますみに、娘の影を投影してしまったのでした。誰も羨む幸せそうな家庭が娘の死をきっかけに加速度的に崩壊していく様が、平田の回想という後日談として挿入される度にやるせない気持ちにさせられてしまいます。歌野晶午らしいミステリでありながら、死生観について考えさせられる"読ませる"小説でもありました。ただしミステリファン、歌野晶午ファンでない人にとってはミステリ要素は不要だったかなぁ。賛否が分かれるのはそのあたりが要因でしょうか。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『無双の花』葉室麟

「立花の義とは、裏切らぬということでございます」

前回の更新からまだ5日しか経っていませんから、ここ数ヶ月の中ではだいぶ早い更新になりました。

 

ずっと「読書に対するモチベーションが落ち気味」と言い続けてきましたが、ここにきてようやく快方に向かってきたようです。趣味とはいえ、そんな時もありますよね。

 

……で、読んだのは葉室麟の『無双の花』。

戦国武将立花宗茂をモデルとした歴史小説です。

 

 

西国一の無双の者

立花宗茂……正直あまり聞かない名前ですよね。

ところが、実は“戦国最強の武将”と言われていたりもします。

 

有名な逸話が本書の中にも紹介されています。

小田原城攻めの際、豊臣秀吉が集まった諸大名の前でこう立花宗茂を紹介したというのです。

 

「東国にては本多忠勝、西国にては立花宗茂、ともに無双の者である」

 

徳川家康の家臣で既に勇将として知られた本多忠勝とともに並べることで、若き立花宗茂の名は戦国武将たちの間で一気に広まったのでした。

 

この立花宗茂、元々は 九州の豊後国(現・大分県)を鎌倉時代から治める大友氏の家臣の出でしたが、大友家の重臣であった立花道雪の婿養子に入ります。

島津義久ら近隣戦国大名との争いにより苦境に立った大友氏は、当時天下人となった秀吉に支援要請。秀吉の九州征伐により島津は降伏。大友氏は豊臣家の配下として存続する事となり、立花宗茂は秀吉の九州平定に尽力。その功績を認められ、遂には一大名として取り立てられるに至るのでした。

 

以降も一揆の平定に、朝鮮出兵にと獅子奮迅の働きを見せる立花宗茂でしたが、一方で彼を取り立てた豊臣家には、秀吉の死と同時に暗雲が立ち込めます。天下を決する関ヶ原においては、豊臣から受けた恩に報いようと西軍に属しますが、西軍の総大将であるはずの毛利輝元をはじめ、豊臣家奉行の煮え切らない態度に憤り、自国の柳川領にもどってしまいます。

 

関ヶ原は呆気なく東軍の勝利で決着。西軍に組した立花宗茂には、同じ九州で徳川方についた黒田如水加藤清正が立花の征伐にと兵を挙げます。ところが、かねてより立花宗茂の武勇や人柄を知り、特に朝鮮出兵の際には命を救ってもらった恩もある加藤清正は、立花宗茂の助命にと尽力するのでした。一般的にも名だたる武将として知られる加藤清正立花宗茂のために駆けずり回ったと聞くだけで、立花宗茂が当時どのような評価をされていたのかが如実に現れているように感じられますね。

 

とはいえ西軍に組した立花家をそのまま存続させるはずもなく、所領を取り上げられた立花宗茂は浪人となってしまいます。そんな彼を打倒徳川の仲間に引き入れようと、真田幸村長宗我部盛親らが誘いますが、豊臣への義は関ヶ原で終えた、とする宗茂は断固断り続けます。逆に家康に拝謁し、徳川の配下としての道を選ぶのです。

 

家康から提示された禄高は5千石。

筑後国柳川13万2000石は僅か5000石へと減らされてしまいました。

 

間もなく禄高は10,000石となり、家康の嫡男・徳川秀忠の御伽衆に列せられますが、陸奥棚倉藩へ。

今でいうと、福岡から福島へと移された形になります。 

しかしながらこれにより、立花宗茂は再び大名としての身分に還る事ができたのです。しかも秀忠の御伽衆という名誉ある役職付。

さらにそう時を置かず三万石へと加増されます。

 

そして大阪冬の陣・夏の陣においても目覚ましい活躍を見せた立花宗茂は、 遂に筑後柳川十一万石に再封という前代未聞の沙汰を受けるに至るのです。

 

関ヶ原の戦いで西軍に加担した武将の中で、領地に戻れたたった1人の武将となったのでした。

 

 

戦国時代最強……? 

ここまでさっくり立花宗茂の半生を振り返ってきましたが……なんとなく腑に落ちない感がありませんか?

 

そうなんです。

 

戦国時代最強と言われても、その強さがいまいち伝わって来ないんです。

今まさに放送中の大河ドラマ麒麟がくる!』では明智光秀を主人公に、織田信長の義父である斎藤道三今川義元が登場。今後信長自身や武田信玄上杉謙信、そして秀吉以下、名だたる戦国武将たちが登場してくる事でしょう。

 

信長や秀吉、家康はもちろんのこと、ともに天下を獲ったわけでもなく、よくよく見てみれば局地的な争いでしかなかったにも関わらず、武田信玄上杉謙信の猛将ぶりなんかは歴史に興味のない人にも知られるところです。

 

戦国時代を紐解けば、枚挙に暇がないほど伝説的な戦いが繰り広げられています。

 

ところが、立花宗茂はどうでしょう?

「最強の武将と言われている」と言っても、「じゃあ代表的な戦いは?」「どんな活躍をしたの?」と聞かれても、ほとんど知られてしません。

 

また、本書においても関ヶ原以後を描いているため、徳川による戦後処理の中を義を全うしながら生きる立花宗茂の姿が大半です。彼が戦っている様子は、その昔大友氏の家臣として島津と戦った事や、朝鮮の役で加藤清正を救った逸話が一部取り上げられるぐらいでしょうか。

 

戦国武将たちが軒並み高く評価するほど、最強の武将と称えられながらも、いまいち立花宗茂の戦功というのは見えて来ないんですよね。

 

理由を書いてしまうと、戦国武将としては遅い生まれであった、というこの点に尽きると思います。 

立花宗茂伊達政宗黒田如水と同年齢と言います。

よく伊達政宗を指して「あと○十年早く生まれていれば」「仙台ではなくもっと京に近い場所だったら」天下人になっていただろうなどという話を聞く事があります。

政宗がまだ若い二十代の頃、会津の芦名氏と死闘を繰り広げていた頃、秀吉は既にほぼ天下を手中に収めようとしていましたから。政宗がどんなに才覚に溢れていようと、天下の動向がほぼ決まりかけていたのではどうにも打つ手がありません。

駿河には大大名となった徳川家康も控えていたわけですし。

群雄割拠の時代であればそれぞれの力関係だけで勝敗が決まったかもしれませんが、ある程度天下の趨勢が見えてきた段階において、それをひっくり返すのはたやすい事ではありませんよね。

信長・秀吉・家康が三大キャリアだとすれば、政宗は既に成熟しかかった通信産業にこれから進出しようとする楽天のような立場だったと言えるのでしょう。

 

そんなわけで、政宗と同じ年齢であった立花宗茂もまた、同じような立場であったと言えそうです。

大友家の家臣として島津と争いを繰り広げた若年の頃、秀吉はもう既に天下に王手を掛けていたわけですから。

川中島の戦いのような名勝負があったとしても、それは大局でみれば秀吉の九州平定の中のいち戦としかならず、それぞれの武将の代名詞的戦いにはなり得なかったのでしょうね。

 

また、宗茂が戦上手としての本領を発揮したのは朝鮮の役のようですが、こちらもまた、秀吉の朝鮮出兵自体が後年否定されまくっていますので、その中でどんな死闘を繰り広げようと評価はされにくいですよね。

 

政宗もあれだけ有名な戦国大名でありながら、戦に関しては会津の芦名氏との戦いがほぼ最後になるのではないでしょうか。以降は秀吉や家康に組しながら、上手く戦国の世を渡り切り、南蛮交易やら金の採掘やらに才覚を発揮した印象です。

 

なので立花宗茂もまた、戦国最強と呼ばれながら、活躍の機会に恵まれなかった武将と言えるのではないでしょうか。それが悲運かどうかはまた別の話になるかと思いますが。

 

 

立花の義と純愛と

さて、本書はというと関ヶ原以後の立花宗茂の半生を、「立花の義」と「純愛」という2つのテーマによって書き上げた作品と言えます。

 

冒頭に抜粋した「決して裏切らない」というのが立花の義。

象徴的な例として、関ヶ原後、立花宗茂をどうにかして救おうとやってきた加藤清正らは、徳川への恭順を示すために、同じく西軍に組した島津攻めの先手を務めるよう勧めます。

 

元はと言えば島津とは敵対関係にあり、宗茂にとって島津は実の父を討った仇でもあります。

しかしながら、宗茂は「朝鮮の役でともに戦った島津を討つのはできない」ときっぱりと断るのです。

 

この一例にも表れる通り、立花宗茂は終始「立花の義」を守り続けようとするのです。

 

そしてその「立花の義」こそ、妻である誾千代が父・橘道雪より言い聞かされた言葉なのです。

 

関ヶ原以後、浪人の身に落ちぶれた宗茂が再起を遂げる前に、妻・誾千代は病によりこの世を去ってしまいます。そんな中においても誾千代は宗茂の身を案じつづけ、宗茂もまた、誾千代を想い続けます。

 

無双の者、最強と名高い立花宗茂をモデルとしながらも、戦場で獅子奮迅の活躍をする姿ではなく、義を重んじ、愛に生きた立花宗茂を描いたのが本作と言えるでしょう。

 

そもそも立花宗茂という人物の一生を知りたくて本書を選んだ僕にとっては、正直ちょっと物足りないところもありますが。

 

葉室麟さんはもう亡くなってしまいましたが、直木賞を受賞した『蜩ノ記』や『散り椿』等映画化された作品も多く、人物の内面に重きを置いた作品を書かれる作家さんのようなので、より小説的に過去の歴史を楽しむ事ができるようです。

 

散り椿』は岡田准一西島秀俊の好演も話題でしたしぜひ原作も読んでみたいところですね。

 

ようやく読みたい本が出てきそうです。

 

https://www.instagram.com/p/B8ILV3HlCIO/

#無双の花 #葉室麟 読了秀吉をして「東国にては本多忠勝、西国にては立花宗茂、ともに無双の者である」と諸国大名の前で言わしめた"戦国最強"との呼び声も高い #立花宗茂 をモデルに書かれた本。ちょうど大河ドラマ『麒麟がくる』が話題ですが、立花宗茂はそこからちょっと遅れて、年代的には伊達政宗や真田幸村と同い年になります。どんなに強く、才覚に溢れていても、秀吉や家康によってほぼ天下の趨勢が決まりかけた頃に出て来た年代ですね。なので最強と言われながらも武勇伝的なエピソードは多くありません。そうですよね。九州平定に活躍しようと、朝鮮出兵で功績を収めようと、いずれも後年には秀吉の功罪として語られるばかりですし。とはいえ本書、戦場での強い立花宗茂というよりは、関ヶ原以後、豊臣に組した西国大名としてはただ一人関ヶ原以前の所領に再封されるに至った立花の義という人間性に重きを置いて書かれた物語。葉室さんは映画化された #散り椿 を始め、人物の内面に重きを置いた歴史小説が特徴的な方。お亡くなりになられたのは非常に残念ですが、残された作品はこれからも存分に楽しみたいと思います。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『暗黒童話』乙一

「そこの御嬢さん、ごきげんはいかがですか?」

鴉は気取った聲で言いました。

「だれ?だれかいるの?」

「大丈夫、あやしいものではないのです。ただ、あなたとお話がしたいだけなのですよ」

乙一の『暗黒動画』を読みました。

 

乙一は僕にとって第一印象が悪く、準じて評価もかなり低く捉えていたのですが、別名義である中田永一名義で書かれた『百瀬、こっちを向いて』をそうと知らずに読んで以来、僕の中での乙一に対する評価が180度引っくり返ったという経緯があります。

 

その辺りの経緯については『夏と花火と私の死体』や『吉祥寺の朝日奈くん』の記事にて触れていますので興味のある方はご一読を。

 

その後はそれまで敬遠していた分を取り返すように、インスタグラムのフォロワーさんからおすすめいただいた『暗いところで待ち合わせ』、その他中田永一名義である『くちびるに歌を』等々読んできましたが、どれもこれも出色の出来でした。

 

 

作家さんでは朝井リョウさん等が僕の中で「間違いのない作家」としてインプットされているのですが、乙一及び中田永一もまた同様に現在では「間違いのない作家」にリストアップされている状態です。

 

本作『暗黒童話』は最近ちょっと読書へのモチベーションが下がりきっているところもあって、なにか読みやすそうな作品をと思いチョイスした作品でしたが、読み始めてから20日近くかけてようやく読み終えるというなんとも長い読書になってしまいました。

 

ただ本に向き合っている時間が少なかっただけで、本腰を入れて読み始めてからはあっという間の一気読みとなりましたが。

 

記憶を繋ぐ目玉

『暗黒童話』という題名通り、人の言葉を話すカラスが、目を失った少女に話しかけるという不思議な設定から始まります。

カラスはパン屋の少年や老婆等、町の様々な人々からくちばしで目をくりぬき、少女に届けるようになるのです。

カラスから受け取った目玉を入れると、少女には目玉の持ち主が見てきた景色が見えるようになります。パン屋の少年の目玉が見た、パンをこねる母親の姿やブランコに乗って遊ぶ様子を疑似体験できるようになるのです。

また、花を育てるのが好きだった老婆の目玉を入れれば、目の前に色とりどりの花畑が広がります。

幼少時に目を失った少女は、二度と見ることのできない色鮮やかな世界が経験できる事に喜び、カラスもまた、そんな少女を喜ばせようと次々と新しい目玉を届けます。

しかしそれらの目玉は、町中の人々から生きたままえぐり出されたものなのです。

 

……といったものが、プロローグに代わって「アイのメモリー」と名付けられた作中作。物語の中に登場する絵本『暗黒童話』の中の一作品。

 

本編では菜深という少女が、不幸にもだれかの傘にぶつかって左目を失うシーンから始まります。

菜深が失ったのは左目だけではなく、その時の衝撃で記憶すら失ってしまうのでした。

両親は菜深のために、どこからから手配した左目を移植。

菜深は視力を取り戻す事が出来ますが、記憶は戻らず、以前の菜深とは別人のような変わってしまった彼女は、学校や両親とも馴染めない日々を送ります。

 

そんな中、菜深は時折、夢を見るようになります。

睡眠中の夢ではなく、ふと目にした何かがトリガーとなって記憶が呼び起されるような、不思議な白昼夢。

夢が繰り返される頻度が増え、やがて菜深は、その夢は移植された左目が見てきた光景だと気づきます。菜深は何が引き金となってどんな夢を見たのか、都度記録を残すようになります。自らの記憶を失った菜深にとって、左目のもたらす夢はまるで自分自身の記憶のようにかけがえのない意味を持つようになるのです。

 

そうして菜深は、両親や学校から逃げるように、旅に出る決意をします。

左目のもたらす夢の場所を、実際に訪ねるのでした。

 

 

グロ注意

上記がざっくりとしたあらすじですが、ご覧の通り、目が持ち主の記憶を繋ぐというダーク・ファンタジーな風味の物語となっています。

序盤からカラスが少年の目玉をくり抜いたり、といった場面が出てくるのですが、物語が進むにつれ、グロテスクな描写はどんどんエスカレートしていきます。

かなり控え目に書いていますが、実際にはものすごくグロいです。

 

グロさの度合いで言えば綾辻行人の『殺人鬼』や平山夢明の『独白するユニバーサル横メルカトル』に匹敵するものがあります。

 

もっと比喩的に言ってしまうと臓物系

 

駄目な人は極端にダメでしょうねー。

僕は嫌いではないんですが、読んだ後に胃のあたりがムカムカしてしまうのは避けられません。

 

 

乙一らしさ

結局のところ、乙一作品を読むにあたって読者が期待するものって“乙一らしさ”という点に終始すると思うのです。

簡単に言うとミステリ風味

その中でも倒錯系というか、アリバイやら密室トリックといった物理的な謎解きではなく、もっと読者そのものを煙に巻くような仕掛けだったりするかと思います。

あんまり書くとネタバレになってしまうので自重しますが。。。

 

その意味では、本作でも十二分に楽しめるものと思います。

移植された左目が見てきた光景を白昼夢として見ることができ、それを現実に確かめに行くわけですから。

君の名は。』にも通じる大きな謎をフックに、物語はぐんぐん進んで行きます。

 

そうして迎えた終盤では、物語の盛り上がりとグロ描写の苛烈さに合わせて、乙一の持ち味である倒錯性によってしっかりと読者を煙に巻いてくれます。あとがきにある通り、本作は乙一が初めて書いた長編作品だそうですから、最初からこんな構成が出来たのかと思うと感心しきりです。

 

今回は僕自身のモチベーションがあまり良くなくて、時間をかけて飛び飛びに読み進めたような形になってしまいましたが、最初からあまり休まずに読んでいたらもっと楽しめたんじゃないかな、と若干後悔が残るぐらいには終始息切れせず、最後まで引っ張ってくれる良作でした。

 

グロ描写が苦手でなければ、ぜひお試しを。

 

https://www.instagram.com/p/B78FwQIFmr-/

#暗黒動画 #乙一 読了読書へのモチベーションただ下がりの中、読みやすく間違いなさそうな作品をと思い選んだ作品。記憶を失った少女に移植された左目が、目に映ったモノをトリガーに元の記憶を呼び起こす。少女は左目の記憶を頼りに、持ち主の生きていた土地を尋ねるというダークファンタジー。長々と20日もかけて読んでしまったけど本腰入れてからはほぼ一日で一気読みで、ダラダラ読んでいたのを後悔する面白さ。乙一らしい仕掛けもあって、ほんのりハートフルな要素もある良作でした。ただしそれを上回るほどに強烈なグロ&グロ&グロ描写。綾辻行人の『殺人鬼』か平山夢明の『独白するユニバーサル横メルカトル』に匹敵するグロさでした。グロが苦手でなければおすすめです。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『君の名残を』浅倉卓弥

――行けども悲しや行きやらぬ君の名残をいかにせん

新年初にして、久しぶりの記事です。

浅倉卓弥『君に名残を』。

 

映画『君の名は。』以後、一時タイムリープものに嵌まり、筒井康孝の『時をかける少女』や半村良戦国自衛隊』、古典名作と言われる広瀬正『マイナス・ゼロ』等々を読み漁っていた時期があるのですが、その延長線上で手に入れ、積読化していた本です。

君の名は。』が2016年ですか。

流石に手に入れたのはそれよりもだいぶ後の事ですが、我ながら長々と積読化してしまったものです。

 

それには一つ訳があり、本書は簡単に言うと、高校生の男女が平家物語の世界にタイムスリップしてしまうというタイムリープもの。

 

ところが僕自身、平家物語に関して全く教養がない。

戦国時代や幕末の小説は無数に読めど、それ以前というのはなかなか食指が伸びなかったのです。

さて、全く知識がない中で『君に名残を』を読んで楽しめるのかどうか。

であれば、まず先に原本となる『平家物語』等々を読む必要があるのではないかと考えたわけです。

 

そんなわけで他の小説も読みながら、吉川英治の『私本太平記』を読み、その後『新・平家物語』にチャレンジしていました。

私本太平記』が13章、『新・平家物語』24章と、今まで読んだ中では『会津士魂』『続・会津士魂』に次ぐ超々大作でしたので、昨年の大半はこれらを読んだような結果になってしまいました。

しかしながらこれらを読む中で、幕末にさんざん楠木正成尊王の象徴のように崇められ、大して足利尊氏が逆賊と罵られるに至った経緯であったり、漫画やアニメなどにもさんざん転用されてきた義経鵯越えや壇ノ浦、屋島の戦いにおける那須与一の逸話、弁慶が泣きながら義経を棒で打つ勧進帳等々、およそ平安から室町幕府成立に至るまでの流れやエピソードについても学びなおせたように感じています。

 

そうして予備知識もしっかりと蓄えた上で、満を持して『君に名残を』に取り掛かりました。

 

武蔵坊弁慶巴御前

冒頭は剣道に勤しみ、お互い惹かれ合う高校生の男女が登場します。

男の名は武蔵。

女の名は友恵。

ある雨の日に二人は赤い雷に襲われ、目が覚めた時にはそれぞれ別の見知らぬ場所にいます。

 

友恵が目覚めた先は、駒王丸をはじめとする少年たちが躍動する山の中。

やがて友恵はその場所が木曽と呼ばれる地域であり、駒王丸はやがて木曽義仲と呼ばれる武人に成長する少年だと気づきます。

友恵が現代で身に着けた剣術は少年たちのかなうところではなく、駒王丸は友恵に剣を教わり、やがて元服した後には友恵を自らの妻として貰いたいと申し出ます。

 

もうお気づきですね?

 

女ながらにして自ら刀を手に木曽義仲に並んで戦場に建つ女武者、巴御前の誕生です。

 

一方で武蔵はというと、人里離れた山野の中で親のいない少年少女を養う1人の老僧の下へとたどり着き、彼らとともに日々を過ごしていきます。

しかしながら、そこへ現れたのは鎧兜に身を包んだ武者たち。

彼らは源氏の祖である源義朝の血をひく子どもを探し、やってきたのです。彼らの探す駒王丸はいませんが、老僧をはじめ少年少女たちは無残にも殺戮されてしまいます。

間一髪一命を取り留めたのは武蔵の他、静という少女1人のみでしたが、二人で彷徨ううちに静は何者かによってさらわれてしまいます。

武蔵は静を探して京へと上り、大きな橋のたもとで武者たちを襲います。

 

そこへやってきたのが少年牛若。

牛若の家臣となった武蔵は、やがて武蔵坊弁慶と名乗るようになります。

 

あと1人、四郎という少年もいるのですが、正直なところ彼は話の本筋にあまり関係ないどころか、いてもいなくても良かったんじゃないかと思われる程度の存在ですのでとくには触れません。

 

 

彼らが呼ばれた理由、そしてその先の運命とは?

本書の主題はまさにこれですよね。

どうして武蔵と友恵という二人がタイムリープしてしまったのか。

誰が、なんのためにそうしたのか。

この先二人を待ち受ける運命がどうなるのか。

 

知っての通り、弁慶も巴御前も史実(とされている内容)に基づけば、幸福とは言えない未来へと突き進んでしまう事になります。

木曽義仲は呆気なく討ち死にしてしまいますし、弁慶は義経とともに平泉で果ててしまうのですから。巴御前もまた、木曾義仲没後は消息不明とされています。

果たして武蔵と友恵も、史実に沿った運命に進んでしまうのか。

 

過去へタイムスリップする物語においては必ず避けては通れない命題ですよね。

戦国自衛隊』では主人公がいつの間にか織田信長の役目を果たしているという事に気づかされます。歴史を変えようとしてもどこかで辻褄が合わされてしまう。歴史は帰る事ができない、というのが『戦国自衛隊』の答えでした。

 

さて、本書『君に名残を』はどうなったか。

 

その答えは未読の方のためにも伏せておきたいとは思うのですが

……まーぶっちゃけ、肩透かしです。

 

作者の頭の中では上に挙げた主題に対し、明確な答えを示したつもりなのかもしれませんが。

上下巻合わせて1000ページも費やしたとは思えないぐらい、読者としては残念な内容でした。

 

以下悪口

とにかく文章が読みにくいです。

最初の内は特に、場面が次々切り替わって誰の視点で何を言っているのか戸惑う事も多々。

 

武蔵や友恵の視点を中心に描けばまだよかったのでしょうが、度々周辺人物たちにも支店が飛ぶのが余計に混乱に拍車を掛けます。

そもそも周辺人物の視点で書いちゃったら本作の意味がないわけです。現代人の視点で過去を語るからこそ面白みが出てくるはずなのですが、当時の人々の視点で物語が動いている間は劣化版平家物語にならざるを得ないわけです。

 

実際本書は、その情報いらなくね?このエピソードいらなくね?といった内容が大半を占めます。

まさしく『平家物語』を圧縮・コピペしたような内容であったりして。

 

一つ一つの出来事に武蔵や友恵の意志や行動が反映してくるのであれば面白くもなりそうなものですが、彼らはあくまで武蔵坊弁慶であり、巴御前としての立場をなぞるものでしかありません。それじゃタイムリープした意味なくない? 作品として何を書こうとしているのかボケ過ぎてない?

 

木曽義仲が平家追放後、逆に京を追われるに至っては「私と一緒に逃げよう」と言い出す始末。そこまで至っても征夷大将軍たる義仲を駒王丸呼ばわりし、周囲の諸将の誰よりも側にいる割に、いつまでも愛だの恋だのの話から離れようとはしません。

沢山の命を奪い、奪われ、苦しい想いをさせたはずの家臣や仲間たちに対する想いが語られる様子は全くないのです。

 

その後も、どうにもピントのズレたような心理描写ばかりが進みます。

 

戦国の世に移り、友恵も武蔵も戦乱を通して数限りない命を奪ってきたにも関わらず、自らの仇討には固執し続けたり。

友恵は義経こそ義仲の仇と恩讐に燃え、武蔵もまた、その昔自身が過ごした山里を襲ったのが平知盛だと判明すると、何を先おいても仇討ちを果たそうと燃えます。

 

その辺って、戦争している内にもう少し意識が変ったりしそうなものですけどね。自分たちも大量虐殺繰り返してるわけですから。持ちつ持たれるというわけではありませんが、じゃあ自分はどうなんだと自己を顧みるような場面があってしかるべきかと。

 

何よりも残念なのは、この時代の人々と繋がっていく様子がほとんど見られないところです。友恵は義仲と、武蔵は義経とのみそこそこ心を通わせていきますが、周囲の人間と打ち解けたり、友情を築いたりといった様子がありません。

一方でタイムリープ前の武蔵や友人にはいつまでも心を惹かれていたり。

2人とも高校生でタイムリープしていますから、終盤は同じぐらいの月日を過去で過ごしている計算になります。それでもまだ、高校生時代の人間関係にのみ捉われ、生まれ変わってもまた同じ場所で……みたいな感覚って、ちょっと理解できません。

学生として一緒に学校に行ったり部活動したり、といった現代の生活に比べれば、文字通り生死を潜り抜けるような日々を過ごしている過去においては人間同士の結びつきも強固なものになりそうなものですが。

 

ましてや同時に過去にタイムリープさせられたとはいえ、十年以上会う事のなかった相手と再会したからといって、周囲の誰よりもその相手に肩入れしてしまうなんていうのも想像できないんですよね。高校の同級生と三十超える歳になって再会して、しかも時代が違うとなれば容姿だってお互い気づきえないぐらい変わっていて当然だと思います。

 

この辺までくれば読んでいる人も少ないでしょうからネタバレしちゃいますけど、過去に武蔵と友恵が招かれた理由が剣の技術のため。彼らが未来から運んできた800年かけて磨かれた剣術が、義仲と義経を強くした……なんて言われましても。

高校生の彼らがほんの数年で学んだ剣術で天下が左右されるなんて。

 

とにもかくにも最後まで見届けようと読んだ本でしたが、肩透かしでしかなかったですね。

 

こういう本をオススメしちゃう書評サイトとかって、ちょっとどうかと思います。

https://www.instagram.com/p/B7FwFJQlz-2/

#君の名残を #浅倉卓弥 読了現代の高校生男女が平家物語の時代に移ってしまうタイムリープもの。名作という噂を聞きつけ、まずは予備知識を蓄えようと新・平家物語なんていう長い長い作品まで読んで挑んだ作品だったのに。もの凄く残念な結果に終わってしまいました。過去へのタイムリープものの醍醐味って、決められた未来に対してどう立ち向かうか、現代人たる主人公たちがその時代をどう感じるか、その時代で生きる上でどう変わっていくか、なんのためにその時代に飛ばされたのか等などが醍醐味だと思うんですが。武蔵・友恵というそれぞれの名前が歴史上の人物に結びついたところからはただただ歴史をなぞっただけの感じになっちゃいましたね。言いたいことはたくさんあるけどキリがないのでこのへんで。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。