「ルールはお客様が決めるものです。昔のプロ野球に、自分がルールブックだと宣言した審判がいたそうですが、まさにそれです。お客様がルールブックなのです。だからお客様がルール違反を犯すことなどありえないし、私たちはそのルールに従わなければなりません。絶対に」
2019年1月18日(金)に公開が迫った『マスカレード・ホテル』を読みました。
以前『検察側の罪人』の映画を見に行った際、劇場で予告編を見たのですが……正直な感想として「またキムタクかよ」「しかも東野圭吾か」と思ってしまいました。
僕の中で東野圭吾の印象ってあんまり良くなかったですから。
量産型佳作作家という感じで。
その辺りについて詳しくは『容疑者Xの献身』の記事で触れていますので興味のある方はどうぞ。
……でまぁ、その『容疑者Xの献身』を読んでだいぶ評価が覆ってしまったんですね。
東野圭吾ってこんなすごい作品も描けるのか!と。
「誰を演じてもキムタク」と称されるキムタクですが、昨今は自ら殻を破ろうと色んな役にチャレンジされていますよね。
『検察側の罪人』はどちらかというと“キムタクらしい”役ではありましたが、映画の雰囲気にもマッチしていて非常に好感が持てました。
そんなわけで、僕の中でここ半年ぐらいの間に大きく印象が変わりつつあったのが東野圭吾と木村拓哉でして、この二人が大きく関係する映画が年明けから公開になるとなると、とりあえず原作読んでおかなくちゃならないな、と思った次第です。
刑事がホテルマンに扮装
読んで字のごとく。
繰り返される三つの連続殺人事件に残された暗号から、次の事件が起こると予測される高級ホテルコルテシア東京に、刑事たちが送り込まれます。
刑事たちはベルやハウスキーピング等、実際にホテルのいちスタッフとして紛れながら、ホテルの警備に当たる。
そのうちフロントクラークに配属されるのが主人公の新田。
教育係である山岸に反発を覚えながらも任務を遂行しようとする新田の前で、様々な事件が起こります。
視覚障害者を演じる女性や、とある男を絶対に近づけないよう依頼する女、次々に理不尽な要求を突きつけるクレーマー等、新田は事件とは関連のないような問題に振り回され続けます。
しかしながら、容疑者が特定できない状況下においては、どんな小さな出来事に対しても見過ごす事はできません。新田は刑事として一つ一つの問題を追いかけつつ、一人のホテルマンとして誠実に対応すべく求められるのです。
……とまぁ、本書で秀逸なのはホテルの描き方。
きっとかなり取材をされたんだろうなぁと感嘆してしまう程、非常に細かくホテルの考え方やサービスの方向性等を描かれています。
部屋に入って直後「煙草臭い」と難癖をつける男性に対し、すんなりとルームアップした部屋に案内してしまうエピソードなんて本当に素晴らしい。煙草は男性自身による工作であり、男性の狙いがルームアップにあると即座に読み取った上で、要望通りにしてしまうんですね。
また、以前宿泊した際にバスルームを持ち帰った疑惑のある客とのやり取り等、非常にリアリティ溢れるものばかりでした。
そんなこんなの「このエピソードって本筋に関係あるの?」って思えるような事件を数々を乗り越えながら、一方でちゃんと連続殺人事件について進んで行くんですが……
以下、ネタバレ注意↓↓↓
あんまりネタバレはしたくないんですが、本書の口コミを見ていると「どうでもいいエピソードばかり」という批判が多いのが気になったので、どうしても書いておきたかったんです。
本書の面白さって、(↓↓↓ネタバレ注意のため白字としています↓↓↓)
①三件の連続殺人事件から四件目の事件を想定させる。
↓
②実際には連続しておらず、それぞれが個別の事件だった
↓
③……と思わせておいて、やっぱり一部は関連があった
……と事件が二転三転するところにあります。
で、それって実は、、、
ホテルエピソードとして挿入される話も一緒ですよね。それぞれの事件が個別で、連続殺人事件とは全く関係ないと思わせておいて、その内の幾つかが実は関連しているという。
この物語全体が入れ子構造のような形になっている事こそ、東野圭吾が苦心した成果だったりするんじゃないかな、と。
A・B・C・Dと事件を進めつつ、それぞれが関連性はないと思わせておいてCとDは同一犯。
一方でa・b・c・dと一見事件とは関係なさそうなホテルにまつわるエピソードを書いておいて、cとdは実は事件に大きく関係。
叙述トリックやブック・イン・ブックのようにわかりやすい形で明示されず、特に解説もない事から特に触れられる事もありませんが、きっと狙ってやったんじゃないかな、と勝手に一人で推察していまいます。
まぁ、一部の批判的な意見に沿って事件に関連するエピソードのみに絞ってしまったら犯人は丸わかりになってしまいますし不自然極まりないでしょうから、木を隠す為に森を作る必要があった、という結果論なのかもしれませんが。
個人的には非常に面白く感じたわけです。
ついでに言えば、一つ一つのエピソードもたとえ事件には関係なかったとしても、コルテシア東京や山岸をより読者に理解してもらう為には決して無駄なものではなかったと思うんですけどね。
東野さんの本は決して読みにくい文章ではないはずですし。
映画が観たい
出た!
と自分で書いておきながら、自分て突っ込んでしまいます。
映画、観たくなりましたねー。
つまり、良い本だったって事です。
『容疑者Xの献身』と比べれば推理ものとしては一段落ちるかもしれませんが、よりエンターテインメント性は高いですし、映像化には向いているんじゃないでしょうか?
主人公とヒロイン役も個人的にはなかなか好きです。続編も読んでみたいと思います。
映画館で予告を見ていたばかりに、脳内ではすっかり木村拓哉と長澤まさみに変換されて読んでしまいましたしね。
でも、ちょっと欲を言えば、山岸役は長澤まさみじゃあないような気がするんですが……。
キムタクは当て役かっていうぐらいピッタリに感じますけど。
その他、配役もかなり豪華な様子ですし。
年明けは『マスカレード・ホテル』を観に行くので決まりかな?
……ちなみに年末は『シュガー・ラッシュ:オンライン』観に行く予定です笑
マスカレード=仮面舞踏会
忘れてました。
最後にマスカレード・ホテルの意味について触れておきます。
理由はヒロインである山岸の口から語られています。
「昔、先輩からこんなふうに教わりました。ホテルに来る人々は、お客様という仮面を被っている、そのことを絶対に忘れてはならない、と」
「ははあ、仮面ですか」
「ホテルマンはお客様の素顔を想像しつつも、その仮面を尊重しなければなりません。決して、剥がそうと思ってはなりません。ある意味お客様は、仮面舞踏会を楽しむためにホテルに来ておられるのですから」
ホテルそのものが仮面舞踏会の舞台である、という考えですね。
それはつまり、東野圭吾自身が本書を仮面舞踏会の舞台として描いた事に他なりません。
そういえば数々のホテルエピソードの中には、仮面を彷彿とさせるお客様が何人も登場しましたよね。
その中には事件に大きく関わるものもありましたし……。
本書を読んだ人であれば、「ホテルは仮面舞踏会」という言葉に頷かざるを得ないはずです。
タイトルのネーミングセンスにも脱帽です。
東野圭吾、スゲー時はスゲーな。
駄目な時はとにかくダメだけど。。。