なにもいらないと思っていた。そんなふうに一緒にいるだけで手に余るほどだったのにいつの間にか欲望が現実の距離を追い越して、期待したり要求したりするようになっていた。どんどん贅沢になっていたんだな、と思った。
島本作品は2018年の12月に『ファーストラヴ』を読んで以来、二作目となります。
『ファーストラヴ』は第159回直木賞受賞作ということで手に取った作品だったのですが、今読み返しても当時のイライラが思い出されるぐらい、辛辣な感想を書いています。
ファーストコンタクトとなった『ファーストラブ』がいまいちだった事もあり、『ナラタージュ』も実はだいぶ前に買っておきながら、なかなか食指が伸びず積読化していました。
最近推理小説が続いていたのでちょっと趣向を変えてみようとようやく手に取ってみたわけです。
『ファーストラブ』の感想を一言で表すならば「作者とわかりあえなかった」。
物語の構成や主題、登場人物全てにおいて、いっさいの感情移入や共感を覚えない稀有な作品でありました。
そんなわけで期待値としてはかなり低い……初対面の印象が「苦手」だった人にもう一度会いに行くような、そんな気分で本読書は始まったのです。
OBとして高校の演劇部に参加する大学二年生
大学二年生の春、高校時代の演劇部の恩師・葉山から主人公の泉に一本の電話が入ります。
現役演劇部の部員数が少なくなってしまったので、OBである泉たちに手伝って欲しいという依頼です。
泉は同じOBである志緒や黒川、さらに黒川の大学の友人である小野とともに、後輩たちの舞台の参加者として、定期的に練習を始める事になります。
……というのがざっとしたあらすじ。
一方で物語の多くは、泉と二人の男性との関係に費やされる事になります。
1人は小野。
人当りが良く、誠実そうな彼は泉に一目惚れし、少しずつ彼女との距離を縮めようとさりげない言動を繰り返します。
しかしながら、泉の視界の中に小野が入る事はありません。
あくまで友人として小野と接する泉の目は、恩師である葉山に向けられたままなのです。
※以下ネタバレ※
推理小説ではないのでネタバレ覚悟で書いてしまいます。
未読の方でネタバレを避けたいという方はここで引き返すようお願いします。
教師と教え子との禁断の恋
まーこう見出しに書いてしまうと下世話なラブロマンスものになってしまいますが。。。
基本的には相思相愛になってしまった教師・葉山と元生徒・泉の恋愛を描いた作品です。
これがまぁ……ビンビン刺さるんですよ。
教師として、また、他の理由からも泉に好意を打ち明けるわけにはいかない葉山の辛さもわかりますし、そんな葉山に惹かれる泉の気持ちもよくわかるんです。
でもって本作、ここがすごく重要な点だと思うんですが、決して綺麗な恋愛作品ではないんです。
物語の表面だけなぞっていくと、「理想の教師像・葉山」と「一途で純真な泉」の綺麗な恋愛っぽく見えるんですが、決してそうではない。
だって間違いなく葉山はポンコツです。教師という身分でありながら、必要以上に女生徒を気にかけてしまう時点でポンコツでしょう。ましてや私物を貸したり、二人きりで散歩をしたりといった行動を泉が在学中にもしていたようですから、かなり倫理観というか、危機意識に欠けているのは間違いないです。
さらに、「想いを抑えきれない」のも泉のようでいて、実際のところは葉山です。
後輩の演劇を手伝ってくれ、と電話をしてきたのも葉山ですし、以降も要所要所で葉山の側から重要なアプローチを仕掛けてきています。小野君との関係が破たんするに至ったきっかけも、葉山からの電話なのは間違いありません。
まだ二十歳そこそこの泉が盲目的に恋に走ってしまうのは仕方がない事だと思えるのですが、三十歳を過ぎ、さらには結婚歴(←実際には歴ではなく現在進行形)もある男が衝動的な行動をとってしまうのはかなり人間性に欠陥を抱えているとしか言いようがありません。
一方で泉もまた、だいぶ欠陥を抱えた人間です。
彼女は「異性に勘違いさせてしまう」性質をナチュラルに備えたヤバい子。小野君なんて、気の毒でしかありません。多分、小野君の立場になったら男はみんな泉に恋をしてしまうし、「イケるかも」と思ってしまうのも大いに納得です。
さらに葉山と別れを告げた側から小野君に誘われるまま旅行に出かけたり、葉山に対するような情熱的な想いではないと自覚しながらも小野君と付き合うあたり、かなり自己中心的なようにも感じられます。まぁもちろん、誰しも似たような経験はあったりするんですが。
葉山を忘れさせてくれる優しいナイト役だったはずの小野君は、若気の至りで失恋直後の女性になんて手を出してしまったがために、地獄の苦しみに味わう羽目になります。いわゆる“嫉妬狂い”ですね。
泉は本当はまだ葉山が好きなんじゃないか、という疑心暗鬼から半永久的に解放されない、という地獄です。
地獄から逃れようと盗み見た泉の携帯や手帳には、逆に葉山への想いが残っていてさらに苦しむ事になります。自分が愛した相手のはずの泉にまで、苦しみのあまり逆上するような狂いよう。
あ~、あるある笑
旦那や彼氏の鞄や財布や携帯を覗いても、 そこに君らの幸せは絶対にないよ。
と言ったのは確か島田紳助だったか。
小野君は世の男性陣にとってありがちな最悪のパターンにすっかり嵌まってくれます。
というより、泉と小野君のような関係が現実にどれだけ繰り返されてきた事か。
なので小野君に関してはネットで「クズ」的な扱いが目立つのですが、個人的には非常によく共感できたりします。
そうして最終的に泉は再び小野君に別れを告げ、憔悴している葉山の下へ駆けつける事を選ぶわけです。
この登場人物たちのポンコツさがあまりにも現実味を帯びていて、まーとにかくグイグイ刺さるんですよね。
全くもって綺麗な恋愛ではない、という点が特に刺さった原因かと。
ラストは個人的には残念
えーと、あとは自論になってしまいますが。。。
僕は自身の経験的に、「何もなかった(=プラトニックのまま)相手の方が気持ちを引きずる」と思っています。
一度付き合ったり、それなりに関係を築いた相手に関しては、破たんした後はそう振り返る事もないんですよね。再び同じ相手とヨリを戻したいな、とはあまり思わない。お互い離れている間に変わる部分もあるでしょうけれど、芯の部分で別人になるわけではないですし。不満があっていったん中断したセーブデータから再びやり直すっていうのはちょっと現実的じゃないですよね。
なので、かえって「何も始まっていない」相手との方が、想いを馳せやすいのです。
中学生時代に好きだった人、とかね。
綺麗なままの思い出として残っているからこそ、大事だったりするんだろうなぁ、と。
そういう意味で本書、最終的に葉山が理性を保ちきれなかったあたりが残念です。
気持ちはわかりますけどね。「据え膳食わぬは男の恥」みたいな言葉もありますし。
でもそこで事に及んでしまったら終わりなんだよなぁ、と苦々しく思わざるを得ません。
最後に、泉が共通の知人から葉山が自分とのツーショット写真を大事に持っていた事を知らされて感涙するシーンがありますが、あれもね……プラトニックなままの関係を貫いておけば綺麗だったんだろうでしょうけど。
下世話に言い換えてしまうと「一発やった教え子(不倫)の写真を肌身離さず後生大事に持っている教師」って鳥肌半端ない。これはヤバい。
プラトニックで良かったんですよねぇ。相思相愛をお互い感じながらも、ギリギリの線一歩手枚で踏みとどまれば美しく追われたと思うんですが。
ちなみに映画版もいまいち評判は良くなかったみたいですね。
まだ観ていませんが、二時間ドラマに仕立ててしまうとおそらく「教え子に手を出すゲス不倫イケメン教師」のポンコツ具合や「その気もないのに男に身を任せる泉の軽さ」がより際立ってしまうのではないでしょうか。
誤解のないように書いておくと、その辺りのポンコツさってすごくリアリティーに溢れていて、だからこそ物凄く胸に刺さる文学作品になっているんですが。
ただエンターテインメント作品として一般向けに提供するには、逆にマイナス要素になってしまいますよね。
映画版だけでも、プラトニック路線で脚本を書き直したら『君の膵臓をたべたい』ぐらにの評価にはなっていたんじゃないかと思うんですが。
……で、なんとも批判とも賞賛ともつかない駄文になってしまいましたが。
結論としては滅茶苦茶胸に刺さって共感しまくりの面白い作品でした。
『ファーストラブ』の時のわかり合えない感は払しょくされたように感じます。
早くも他の作品を読みたい気持ちでいっぱいです。
『Red』が話題作のようですが、とりあえず目についたところから読んでいこうと思います。