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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『また、同じ夢を見ていた』住野よる

「人生はプリンみたいなものってことね」

「どういう意味だい?」

「甘いところだけで美味しいのに、苦いところをありがたがる人もいる」

 

先日読んだ『君の膵臓をたべたい』に続き、二作目の住野作品となる『また、同じ夢を見ていた』です。

正直『膵臓』は事態が動き出す中盤以降まではどうにも退屈で、主人公とヒロインの掛け合いシーンや文章も洗練されているとは言いがたく、苦しい読書でした。

終盤に入ってからは序盤の綿密な描き込みが奏功し、結果的には読んで良かったと思えた作品です。

linus.hatenablog.jp

そんなわけでいまいち住野よるという作家の真価を計りかねていたので、二作目へのチャレンジとなります。

 

可愛げのない主人公

本書は小柳奈ノ花という小学生の女の子の一人称で書かれています。

そのため地の文はです、ます調でちょっと読みにくいと感じられます。

それよりも問題なのはこの主人公の性格。

可愛げがないんです。

あのね、先生は私がふざけてあーいうことを言ったと思っているのかもしれないけれど、私には私なりの計算があって、もっと言えば勝算まであったのよ

冒頭からこんな調子で、小生意気で敏い性格が存分に発揮されています。

彼女の得意技は落語の謎賭けのように物事を例えること。

 「人生とは冷蔵庫の中身みたいなものだもの」
 「んだ、そりゃ」
 「嫌いなピーマンのことは忘れても、大好きなケーキのことは絶対に忘れないの」

いやはや、生意気です。

彼女は自分が賢い事を自覚しており、その上で同級生たちを「馬鹿なクラスメイト」と当然のように見下します。

とにかく全く可愛げがないのです。

この時点で読むのを止める方もいるようです。時間と費用を投じて物語を手にするからには、誰しもが好感を持てたり、自己投影できるキャラクターの本を読みたいはずですから。

正直、僕もちょっと嫌悪感を感じました。

でもこういう時こそ一旦頭をクリアにして考えてみるべきです。

作者だって何も好んでいやらしい性格の主人公を描くわけはない。

あえてこういった性格のキャラクターを描いているのだとしたら。

それが作者の狙いであるとするならば、狙い通り嫌悪感を抱かせるのは「上手い」という事に他なりません。

事実、読み進めるに従って主人公の性格は物語を進める上で重要なファクターとなっている事がわかってきます。

 

三人と一匹の友達

主人公には友達がいません。

学校では馬鹿なクラスメイトたちの他は、主人公と同じく読書が好きという荻原君にだけは好んで接触します。

あとはちょっと頼りないけど絵を描くのが好きな桐生君ぐらい。

なので学校が終わると、一人で遊びに出かけます。

彼女の友達は一匹の猫。

「南さん」、「アバズレさん」、「おばあちゃん」という三人の大人だけ。

女子高生の「南さん」とはある日たまたま出かけた廃墟で出会います。名づけの理由はスカートにそう刺繍してあったから。

「アバズレさん」は猫が瀕死状態で転がっているのを助けたのが縁で知り合いました。夜になると季節を売る仕事に行くという、表札に「アバズレ」と描かれた女性。

「おばあちゃん」は丘の上の木の家に住んでいて、いつも美味しいマドレーヌをご馳走してくれます。

学校では嫌われ者の主人公ですが、三人はとても親身に、彼女に対して接してくれます。

そんなある日、学校で「幸せとは」という課題を出されます。

主人公は隣の席の桐生君と幸せについて相談しつつ、三人の大人たちに幸せの意味について尋ねます。


童話か、自己啓発

物語は両親が仕事でほとんど家にいない主人公の家庭の事情や、桐生君を襲う事件を介して進んで行きますが、基本的なテーマは「幸せとは」という疑問になろうかと思います。

正論で周囲を困惑させ、正しいはずなのに疎外されてしまう主人公という善と悪の逆転した構図や、ほのぼのとした日々の情景、ですます調の語り口から、どことなく童話や児童小説を連想させられてしまいます。

または、翻訳の自己啓発書に近いと思わされます。

チーズを求めて鼠たちが冒険するチーズはどこへ消えた?のイメージにも繋がります。

本書ではチーズの代わりに「幸せとは」という答えを探して主人公が行動を続けるのです。

でも、ある程度まで読み進める事でやがてブレイクスルーが訪れます。

これは童話でもしょうもない自己啓発でもなく、かなり考えて作りこまれた小説であるという事を思い知らされるのです。

ちょっとした謎解き要素も含まれていますが、ほとんどの読者は中盤で作者の意図しているところが想像できてしまう事でしょう。

「南さん」、「アバズレさん」、「おばあちゃん」という仮の名前がついた人々が何者なのか。

それがわかってくる事で、主人公の可愛げのない性格に込められた必然性も理解できるようになります。

ある意味では陳腐な仕掛けかもしれません。

でも、非常によく出来ています。

同じようなテーマを思いついたとしても、しっかりと作品として確立させ、成立させたものは少ないんじゃないでしょうか?

せいぜい藤子不二雄あたりの短編で似たような構造を扱っている程度かと。

加えて、特筆すべきは『君の膵臓をたべたい』よりも格段に文章力が向上している点です。

『君の膵臓をたべたい』ではあまりにも荒さが目立ち、それが序盤の読み辛さを助長していましたが、本作ではその辺りはほぼ解消されています。

しっとりとした読後感も味わえ、僕的には名作と名高い『君の膵臓をたべたい』よりも良かったと思います。


薔薇の下で

最後に一つだけ、ネタバレをしておきます。

というもの作品の大筋に関わる部分ではなく、ある意味ではあってもなくても良いような謎ですので、特にネタバレしたところで物語の面白さに影響はないと思われたからです。

読んだ人にはわかりますが、本書の一番最後は「薔薇の下で」という一文で結ばれるんですね。

これ、前後の文章にもノーヒントなので、きっと前に出てきた何かのキーワードなんだろうとは思うんですが、探すのもなかなか難しいんです。

結果、どうにも消化不良を起こす結果となってしまうんです。

なので答えをこちらに書いておきます。

答えは本書の56ページ。本文中にあります。

いくつかしてくれた南さんのお話の中で一番素敵だなと思ったのは、英語で「薔薇の下で」というのは「秘密」という意味だというお話です

わかりましたか?

「秘密」ですね。

種明かしをしてみると、正直「なあんだ」という感じです。

こういうあってもなくても良いような仕掛けは、なくしても良いと思うんですけどねー。

https://www.instagram.com/p/Bgrx1W5nzcV/

#また同じ夢を見ていた #住野よる 読了#君の膵臓をたべたい 以来の住野作品です。小学生の女の子が主人公なだけにですます調の童話のような語り口が読みにくい上、この女の子がとにかく可愛げがない。小生意気で周囲の人間を小馬鹿に見下す。学校には友達と呼べるような相手は存在せず、その代わりに一匹の猫と「南さん」「アバズレさん」「おばあちゃん」という三人の友達がいます。小学生で「幸せとは?」という課題を出されたのを期に、女の子は三人の友達に「幸せ」の答えを求めます。 ……といった童話か自己啓発か、という内容に最初は戸惑いました。でも途中から作者の意図に気づいた途端、物語の性質ががらりと変わる。可愛げのない主人公の性格にもちゃんと必然性がある。心地よい読後感で、個人的には『膵臓』よりも楽しめました。 #本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい ※ブログも更新しましたのでよろしければご覧になって下さい。プロフィール画面のURLからどうぞ。

『陸王』池井戸潤

どんなシューズを履くかは、最終的にオレたち選手が決める。俺たちは、あんたたちの宣伝のために走ってるんじゃないんだよ。オレたちは、自分の人生のために走ってるんだ。

テレビドラマ化もされた池井戸潤の人気作陸王です。

足袋作り百年の老舗「こはぜ屋」が会社存続を賭けてランニングシューズの開発に挑むという物語。

地方の零細企業が奮起するビジネス小説であり、悩める実業団ランナーのスポーツ小説であり、著者お得意の狐狸の巣のような銀行小説でもあります。

池井戸潤の作品はこれまでにも半沢直樹シリーズ等を読んで来た経験もあり、まぁ間違いないだろうなというのが読む前からの予感でした。

不思議な事に大筋すらわからないまま読み始めて数ページで、予感が正しかったと感じる事ができました。

あ、間違いない小説だな、という感じです。

 

リアルな人間模様を描く群像劇

さて本書は足袋屋が作るランニングシューズ『陸王』を巡る物語なのですが、主軸はとにかく“人”です。

足袋という先細り産業の将来と日々の資金繰りに悩むこはぜ屋の二代目社長、宮沢が主人公。

このままではいずれ遅かれ早かれ会社は立ち行かなくなってしまうと悩む宮沢は、銀行員の勧めもあり新規事業を始められないものかと頭を悩ませます。

そんな中、たまたま立ち寄ったスポーツ店で着想を得、ランニングシューズの開発を思いつくのです。

すぐに製作に取り掛かりますが、すぐさま問題が生じます。

まずはソールの問題。

ラソンシューズとしては地下足袋で使用しているような生ゴムでは駄目。もっと軽くて丈夫な素材が必要になる。

そこで窮地の間柄である地銀の担当者坂本から紹介を受け、新素材シルクレイの特許を持つ飯山を探します。

会社が倒産した後、行方をくらましていた飯山を見つけ出し、紆余曲折の上で協力を得る事に成功します。

顧問としてシルクレイのマシンとともにやってきた飯山の補佐に付いたのは息子の大地。

大地は大学卒業後、就職活動に失敗し、現在はこはぜ屋の仕事を手伝いながら就職活動を続けるという困った息子ですが、シルクレイの開発に就いて以来徐々に成長していく姿が見えてきます。

問題は出来上がった「陸王」を誰に履いて貰うか。

そこで浮上するのが元箱根駅伝選手で、現在は実業団に所属しながらも故障に悩んでいる茂木。

茂木には大手スポーツメーカーのアトランティスがサポートに就いていますが、怪我で走れない茂木への態度は露骨に悪化していきます。

そんな会社の姿勢にこれまた不満を抱えていたのが、アトランティスのシューフィッターである村野。

やがて村野は上司と口論の末アトランティスを辞めてしまいますが、こはぜ屋との出会いにより、『陸王』の開発に協力する事となります。

上記の通り、本書には沢山の人物が現れます。

まだまだ紹介しきれない登場人物もいます。

アトランティスの社員や地銀の支店長など、池井戸小説の代名詞とも言うべき「悪いキャラ」も出てきます。

特筆すべきはその誰もがモブキャラではない、という点です。

一人ひとりが人間として悩みや葛藤を抱き、時には過去を悔いたり、未来に夢を描きながら、『陸王』の下で混ざり合っていくのです。

だから本書には、無駄な場面というものが一つも存在しません。

物語を進める上ではストーリーを進める為にとってつけたかのようなエピソードが混ざったり、突然名もなきキャラクターが現れたりといった事が往々にしてありますが、本書にはそれがないのです。

読む側にとっても細部まで無駄なく、楽しく読む事ができます。

これは改めて考えると、実はとてもすごい事だと思います。

裸足感覚ブーム

いきなり脇道に反れますが、僕は読書以外にもマラソンや登山を趣味としています。

早くはありませんが、フルマラソンハーフマラソンなどの大会に出たり、近隣の山々に登ったり、過去にはトレイルランニングの大会に挑戦したこともありました。

なので読む前から本書を楽しむ為の素養みたいなものが整っていたことになります。

こはぜ屋はビブラム社の『ファイブフィンガーズ』にヒントを得て、足袋の特性を生かした「裸足感覚のランニングシューズ」に活路を見出します。

実際に裸足感覚のランニングシューズのブームがあったのは数年前。

ビブラム社だけではなく本書中にも名前が登場したニューバランスの『ミニマス』、ナイキの『フリー』と、続々と裸足感覚をウリにしたランニングシューズが登場しました。

ランニング雑誌などでも常に裸足をテーマにした特集が組まれ、実際にマラソン大会などに裸足で参加する人々も多くいました。

また、本書の中にも登場するタラウマラ族について書かれた『Born to run』も裸足ランニングを語る上では欠かせない教科書として、多くのランナーが手に取るベストセラーとなりました。

ただ、脚光を風靡した裸足シューズも、残念ながら現在ではかなりの下火となってしまっています。

 

正しさは個々人の中に

本書で語られている通り、裸足感覚が持て囃されたのは「それこそが人間本来の走りである」からという理由からでした。

過保護なシューズで走り続けるのは人間本来の走りにそぐわない。

クッションが少なく、爪先と踵の高低差を出来る限り廃した裸足感覚シューズで走ることにより、走るために必要な本来の筋肉が鍛えられ、走力アップに繋がり、故障の予防にも繋がる。

足の裏全体をつくのではなく、前足部のみで着地しそのまま地面から飛び立つようなベアフットランニング、裸足ランこそが正しいフォームである。

そんな理論が業界を席巻したんですね。

それが正しかったかどうかは未だに証明はできません。

実際にマラソン大会の上位を独占するケニア選手なんかは、明らかに前足を利用したベアフットランニング走法で走っています。

ただし、実際に裸足ランを試したランナーの中には、逆に怪我を誘発してしまったり、故障に悩んだ選手も少なくありません。

裸足で生活してきたタラウマラ族とは異なり、現代の日本人はソールで保護されたシューズに履き慣れていますから、いきなりクッションの少ないシューズに履き替えて長い距離を走ろうとすれば無理が生じることもあります。

また、これは実際に履いてみればわかる事ですが、ソールの薄い靴は非常に疲れます。

僕も一時期ナイキの『フリー』を履いていた時期がありますが、同じ時間歩いただけで、足の裏の疲労は明らかに大きいものでした。普段使っていない筋肉を使うからなのでしょう。

ソールが薄く爪先と踵の高低差が少ないという意味では、コンバースアディダスのファッション系テニスシューズも同じ事がいえます。もっとわかりやすい例をあげれば、ビーチサンダルがまさに好例でしょうか。

長い距離を歩けばわかります。疲れるんです。

裸足感覚シューズが正しいかどうかはわかりません。ですが、ブームが過ぎ去った今、下火になってしまっている理由はわかります。

結局シューズって個々人に合うか、合わないかなんです。

合わないシューズはやはり売れなくなってきます。一度は買っても、リピートはしない。

そういう事だったんでしょうね。

 

今一番のブームは厚底シューズ

今マラソン界で一番話題となっているのは裸足ランとは対極にある厚底シューズです。

下の写真をご確認下さい。

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東京マラソンで日本人一位となった設楽悠太選手が履いているのはナイキの『ズーム ヴェイパー フライ4%』。

かかと部分で厚さ三センチメートルという、従来の常識を覆す厚底が特徴です。

ソールにカーボンファイバープレートを挟む事で、より反発力を得られる設計になっているのだそうです。

福岡国際マラソンで日本人トップとなった大迫傑選手も、同じシューズを履いています。

dime.jp

数年でシューズのブームやトレンドは大きく変わってしまうものですね。

もしかしたら数年後の陸王もまた、厚底のランニングシューズに生まれ変わっていたかもしれません。

https://www.instagram.com/p/BgpanxrnxEn/

#陸王 #池井戸潤 読了テレビドラマ化もされた人気作。流石ですね。読み始めてすぐに間違いないと確信を抱きました。百年続く老舗足袋屋がランニングシューズを作る物語ですが、怪我で不振のランナーのスポーツ小説でもあり、個性的な銀行マンが敵に味方にと躍動する著者お得意の銀行小説だったりもします。でも実際には群像劇ですね。様々な人々が過去の悩みや未来への希望など色々な葛藤と迷いの中で『陸王』の下に集う群像劇。誰一人としてモブキャラは存在せず、細部まで無駄なく楽しめました。裸足感覚シューズは今となってはブームも下火となり、過去のトレンドとなってしまっているんですけどね。その辺りはブログでても。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい ※よろしければブログも読んで下さい。リンクはプロフィールからとなります。

『本日は、お日柄もよく』原田マハ

世の中に、早ければ早いほどおいしいものが、三つあります。一、ボージョレ・ヌーヴォー(ふむふむ)。二、『吉原家』の牛丼(爆笑)。三、結婚(ほぉ~)

ごめんなさい。

最初にお詫びしておきます。

TwitterやらInstagram原田マハの名前を目にする機会が増え、一度読んでみようと思い手に取った本書『本日は、お日柄もよく』でしたが、結果から書いてしまうと僕には合いませんでした。

以降はかなり辛辣に自分の感じたところを書き連ねています。

なので彼女のファンの方はここで読むのをやめていただいた方が良いかと思います。

 

“スピーチライター”!?

本書は結婚式や政権演説などのスピーチの原案を考えるスピーチライターという職業を題材にした作品です。

20万部を売り上げるという大ヒットとなった本作。

インタビューの中で著者は「当時話題になっていたオバマ大統領候補のスピーチ」に影響を受けて本書を書き始めたと述べています。

www.oricon.co.jp

確かにオバマ大統領のYes we can!」「Change!」といった言葉は日本でも話題になりました。

彼の背後にも、若干27歳のジョン・ファブローをはじめとするスピーチライターがいた事は周知の事実となっています。

現在では実際に政治家や実業家にはスピーチライターはなくてはならない存在とも。

そんな背景はよく理解した上で本書を読み始めたところ、結婚式でおもむろに始まるスピーチライターのスピーチで、びっくりしてしまいました。

それが冒頭の引用。さらに下記の言葉へと続きます。

そして、年月を重ねれば重ねるほど、深いうまみを増してくるものが、三つあります。一、愛情(おお~)。二、人生(おお~)。そして三、結婚です

実はこの前段階に退屈のあまり主人公が目の前のスープ皿に顔面を突っ込んでしまうという可哀想な祝辞を披露する社長がいたのですが、僕にとっては社長とスピーチライターの彼女の話の違いがさっぱりわかりませんでした。

結婚式で「三つ」とか言い出す時点でものすごくつまらないスピーチなんですけど。。。

結婚式の祝辞の定番、「お袋」「給料袋」「堪忍袋」の三つの袋並の寒さです。

加えて台詞の間に入る(おお~)という表現の浅さ。

いやいや、ならないよ。普通にポカーンだよ。

加えてこの一流スピーチライターさん、初めて会った主人公に対して先に挨拶した社長の駄目だしを容赦なく行います。

これに対して切れ味が鋭いなんて思える方がどうかしていますよね。主賓は新郎新婦やご両家にとっても大切なゲストです。忙しい中わざわざ時間を割いて二人に向けたはなむけの言葉まで用意してくれているのです。それを全否定するわけですから。学生が校長の挨拶に影で悪口を言うのとは話が違います。性格が悪いどころで済む話ではなく、どこか欠落しているとしか思えません。

そもそも結婚式の挨拶なんて型どおりでつまらないもの、不慣れで可哀想なぐらいガチガチなものがほとんどですから。プロのスピーチライターであれば「不慣れな社長さんだったのね」で済ませられるはずです。

この時点でかなり嫌な予感はしていたのですが、結局最後まで不安は払拭されないまま、読み終える事になりました。

 

リアリティーの希薄さ

説得力を演出する場面で肝心の説得力を得られないまま、物語は進みます。

主人公が友人の結婚式でスピーチを頼まれ、前出のスピーチライターに師事を仰いだのをきっかけに、主人公はライターに弟子入りします。

ちなみに友人の結婚式でのスピーチは大成功。

その場にいた政財界の皆様や会社のお偉いさん方にも大好評の出来となりました。

これも正直僕には良さがわかりません

結婚式の友人スピーチではよくある涙涙のスピーチでしかありません。

しかしそれが目に留まり、主人公は会社の創業80周年を記念するブランディングプロジェクトチームに大抜擢されます。

友達の結婚式でスピーチしただけなんですけどね。

それがブランディングって。

こうして要所要所で勘所が掴めないまま、強引なご都合主義でストーリーが進められてしまうのです。

Amazon等での口コミでも「漫画」という指摘が多いですが、いまどきの漫画の方がしっかり作りこまれていると思います。

 

小説に政治の世界は難しい

更に主人公は縁あって政治の世界へと足を踏み入れます。

亡き政治家の後釜に幼馴染が二世議員として立候補する事になるのです。

当然のごとく、二世議員のスピーチライターを仰せつかる主人公。

ちなみに設定としては自民党民主党政権交代選挙

幼馴染は民主党の要職を務め、志半ばで他界した大物政治家の息子という立場です。

当該選挙区が今回の選挙の要になると、序盤から両党の党首が応援に駆けつける凄まじい状況。

そんな重要選挙区のスピーチライターを、何の実績もない主人公が務めるなんて。

現実感はどんどん希薄になってしまいます。

極めつけは街頭演説のシーン。

長いので引用は控えますが、ただ淡々と候補者の演説内容がテキスト本文として書かれています。

結果、主人公をはじめとする関係者は涙々に感動するわけですが。

なんというか……クドいんです。

まさしく“演説”なんです。

作者は政治家のスピーチとかあまり聞かないんでしょうか? 街頭演説で声を張り上げる姿とか、知らないんでしょうか?

本作ではスピーチで「何を言うか」に重きを置き過ぎているように思えます。

重要なのは「何を言うか」ではなく、「どう感じてもらえるか」ですよね。

「内容」よりも「印象」なんです。

正直内容なんて二の次です。実際の選挙で辻立ちともなれば、とにかく顔と名前を覚えて貰って、その上で少しでも好印象を持ってもらえれば御の字なんです。

「何を言うか」よりも「どう言うか」であり、立ち居振る舞いや空気感のようなものの方が間違いなく重要なんです。

場合によっては途中でスピーチを投げ出して、目の前の聴衆一人ひとりと握手を交わし、直接声を掛けるぐらいの演出の方が心に残る場合もあります。

オバマ大統領のスピーチについても上に出てきたような鍵となるフレーズを繰り返し用いるという点は間違っていませんが、より重要なのは喋り方であり、立ち居振る舞いでした。オバマ大統領は内容の他にも話す早さや間の取り方、身振り手振りから視線のあり方まで、まさに一挙手一投足まで研究を重ねていたと言います。

だからみんな覚えているのはYes we can!」「Change!」ばかり。オバマが何を言っていたかなんて、今さら話題にもなりません。それよりも、ひと言ひと言区切るように言葉を発し、その度に真摯な目で聴衆に視線を向ける、オバマ氏の語りかけるような演説姿勢のほうが記憶に残っていることでしょう。

「内容」よりも「印象」なんです。

誰にでもわかりやすいキャッチーなフレーズに加え、とても好感の持てる良い印象を残せたからこそ、オバマ氏は大統領に当選したんです。

そういった極め細やかな部分の描写が、本書には絶望的に欠けています。

昨今では選挙であってもなくても全国で遊説を繰り返す自民党小泉進次郎氏も、スピーチのコツとして「その地域ならではの話題を最初に持ってくる」事をあげていました。

ご当地グルメや史跡、自然等、その地域ならではの話題を持ち出すことによって、まず最初に聴衆の好感と共感を得るのだそうです。

○○が美味しかったね、○○が素晴らしかった、感動したけど皆さんはどうですか、と語りかけるのです。

その際には方言や訛りを真似して披露する事もあります。

突然慣れない政治の話題や選挙の話をしても聴衆は置き去りにされてしまいますから、最初にぐっと惹き付ける事で相手に聞く準備を整えて貰うんですね。

話の内容がどうでも良いとはいいませんが、言いたいことを聞いてもらえるようになるまでの間に、膨大なテクニックと労力が科せられているのです。

本書ではどうでしょう?

相手の候補がこう言った。だからこっちはこう言い返す。

某掲示板で「論破した」とはしゃぐ輩と同レベルにしか感じられません。

正しい事を言ったから支持を得られるなんて、単純な世界じゃないですよ。


クライマックスの決起大会においても、二世議員はひたすら「私は」を繰り返します。

自分の妻を襲った事件や亡き父の話ばかりです。

おそらく会場の大部分を占めるであろう亡き父の地盤を固めてきた地元の支援者たちに対しては、あっさりとした感謝が述べられるに留まります。

今回、この選挙戦出馬のお話をいただいたときも、最初は固辞するつもりでした。二世議員と言われるのは居心地が悪い。色眼鏡で見られるのもいい気分ではない、と思ったのです。けれど、何かを動かすためには、誰かが動かなければ始まらない。それが自分だとして、どうしていけないのか。そう気がついたのです。

いま、こうして、今川篤朗の息子として、また、民衆党の一候補として、皆さまがたの前に立っていることを、私は誇りに思います。私の妻の夫であることを誇りに思います。私を支えてくださる支持者のかたがたの友人であることを、ふるさと・神奈川県民であることを、この国の、日本の国民であることを、誇りに思います。そして、このつたないスピーチを聴くために、わざわざこの場所に足を運んでくださった皆さまがたおひとりおひとりを、心から誇りに思います。

どうでしょう?

僕は父の代から続く支援者だとすれば、かなり物足りなく感じると思います。

二世議員と言われるのが嫌だったから敬遠してたけど、自分がやるべきだと気づいた」そうです。

きっと彼の裏では必死に擁立の準備を進め、出馬を鼓舞すべく走り回った支援者が数多くいるはずなのですが、その人たちは完全に無視されているように感じませんか?

党首討論の場で民衆党の党首が繰り返し「私たち」と称し、国民の一人という立場を貫き通した姿を絶賛した下りはすっかり忘れ去られています。

野党とはいえ亡くなった幹事長の息子が立候補したのです。期待感や熱意は想像を絶するものがあるでしょう。

候補者はまず最初に、何を先置いても、彼らにお礼と感謝を述べるべきではありませんか?

「亡き父の衣鉢を背負って未熟ながら自分が立つ。父亡き後も応援してくれてありがとう。支えてくれてありがとう。皆さんの期待を一身に背負って頑張ります。よろしくお願いします」

常識的にはそこが一番だと思うんですけどねー。

ところが彼は「自分の妻が大変な目に遭った。実際に経験してみて自分にも初めて実感が湧いた。だから改革を志した」とか言い出す。

いやいや、完全に裸一文から始まった候補者じゃないんだからさ。

親父さんを支え続けてきた支援者の皆さん、ずっこけちゃいますよ。

 

ましてや本書に書かれている政策の話についてもかなり怪しいネットの怪情報に振り回されたネトウヨの安易な政策論が平気で振りかざされる。

フィクションとはいえ、仮にも現実世界を舞台にしているのだからこういった滅茶苦茶を書くのはどうかと思います。

戸川猪佐武さんのような政治小説の大家は、ただただ政治家の思想と言動を写実的に書き記すに留めていました。本書を読んで、その意味がよくわかったつもりです。

小説家は簡単に自分の政治観のようなものを表現の場に反映すべきじゃないのですね。

しっかりとした知識に裏打ちされない場合、さらにとんでもない物語になってしまうという事がよくわかりました。

 

他の作品も読みます

話題の原田マハさんの本を読んでみたのですが、結果としてはかなりがっかりでした。

包み隠さずに言えば腹立たしいぐらいです。

ただ、一作で全てを断じてしまうのはあまりにも大人気ないですから、別の作品も読んでみるつもりです。

もし何かおすすめがあればご教示ください。

最後に、もし本ブログを読んで不愉快になってしまった方がいたとすれば心よりお詫び致します。

あくまで個人的な感想ですので、ご容赦いただければ幸いです。

https://www.instagram.com/p/BghrzpAlXsj/

#本日はお日柄もよく #原田マハ 読了絶望的に合いませんでした。TwitterやInstagramではよく見る作家さんだけに、かなり多くのファンがいらっしゃるのかと思いますので、正直な感想を書くのが怖いぐらい。思いの丈は全てブログに書き記しました。ファンの方は読まないで下さいね。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい ※ブログはプロフィールのリンクをご参照下さい。

 

 

 

『君の膵臓をたべたい』住野よる

私も君も、もしかしたら明日死ぬかもしれないのにさ。そういう意味では私も君も変わんないよ、きっと。一日の価値は全部一緒なんだから、何をしたかの差なんかで私の今日の価値は変わらない。

住野よるさん、人気ですね
TwitterInstagramのTLを見ていても、住野よるさんの著作を見ない日はないように感じています。
その中でも本書『君の膵臓をたべたい』は著者のデビュー作であり、映画化に続き間もなくアニメ化も控え、その勢いは衰えを知らないという様子です。

元々電撃大賞に応募して落選した作品を「小説家になろう」のサイトにアップしたところ、出版に至ったのだとか。

近年新たな作家排出先として話題の「なろう作家」筆頭といったところでしょうか。

なんとあの『鋼と羊の森』と2016年の本屋大賞を争った末、二位に終わっているんですね。

linus.hatenablog.jp

両者とも読んだ僕の感想としては「『鋼と羊の森』は相手が悪かった」としか言いようがありません。

あれは近年稀に見る傑作ですし。


あれ、これってどこかで……

「僕」は病院でたまたま「共病文庫」というタイトルの文庫本を拾います。

膵臓の病に冒され、余命が長くない事を記した日記。

それを取りに戻ってきた相手は、クラスメイトの山内桜良だった。

共病文庫と彼女の病を知るのはクラスの中で「僕」たった一人。

それまでは友人もおらず一人で小説の世界に入り浸っていた僕は、桜良の「死ぬ前にやりたいこと」に付き合う羽目になり、焼肉やスイーツバイキングを食べに行き、二人で旅行に出かけ……今までは経験して来なかった様々な体験を通し、次第に心を通わせ、成長していく。

なんとなく読み始め、話のアウトラインが見えてきた段階で既視感が生まれます。

あれ、これってどこかで……

そうです。これは僕がさんざん貶してきた片山恭一セカチュー(世界の中心で愛を叫ぶ)』であり、中村航『100回泣くこと』であり、古くは風立ちぬから見られる物語の構造と一緒じゃないですか。

linus.hatenablog.jp

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拭えないテンプレ感

こういった物語は基本的にストーリーも似通ってきます。

  • 出会いから始まり、二人が親密さを増し、お互いに相手の重要さを認識。
  • 盛り上がる感情と反比例するようにやがて訪れる彼女の死という逃れられない運命に苦悩。
  • 愛を語る上でこれ以上ないカンフル剤として「病」を利用し、あとは死後の喪失感を描く。

ざっくりこんな感じです。

死を描くことで愛がより際立ち、喪失感で涙を誘うというお決まりのパターン。

『君の膵臓をたべたい』もまた、予想される展開が続きます。

読むのが苦痛になるぐらい、当たり障りのない日常描写がこれでもかというぐらいに続けられるのです。

意味はわからずともとにかく謝る。怒っている人に唯一にして最大の効力を発揮する行動をとることを僕は厭わない。

俗に言う中二病の塊のような主人公に自己投影が出来るか、底抜けのように明るく天真爛漫とした桜良に感情移入できるかでこの作品の評価は大きく変わるでしょう。

アマゾンをはじめとする口コミでも低評価の多くはこの辺りに集中しているように思えます。

ラノベだった、と評価する向きも少なくありません。

正直なところ、読む側の年代を選ぶ作品であるのは間違いありません。

上記のようなキャラクター像に加え、高校生にも関わらずあまりにも無垢で純真な二人のやり取りにどこか非現実感を感じてしまう人も少なくないでしょうから。


実はオリジナリティーの塊

否定的な意見ばかり書いてきたように思われるかもしれませんが、実は僕個人としては本作は良い方に評価しています。

テンプレ、と上に書きましたが、明らかにテンプレを“外し”て来ているところも多いんですね。しっかりとオリジナリティーが盛り込まれた作品なのです。

わかりやすいところで膵臓の病にも関わらず医学の進歩でヒロインは日常生活を送る事ができる」という点でしょう。

そのため他の似た作品に見られたような、ヒロインが心身ともに病に冒され行く悲壮感は非常に少なめです。

桜良の明るさを通し、その裏に隠された死への思いを読者に自分で想像させるという新しい描き方をしています。

また、桜良の死についても詳しくは書きませんが、他の作品とは異なる意外性が用いられています。

予定調和的に死に至る運命、というものを考えさせられてしまいます。

生きるということ、死ぬということ。

これまでのテンプレ小説よりは新たな切り口で、深く掘り下げていると思うのですがいかがでしょう?

セカチューなんかよりはよっぽど面白いと思えたのですが。


映画版が見たい

2017年夏、本作は映画化されました。

主演は北村匠海浜辺美波北川景子小栗旬のダブル主演。

www.cinemacafe.net

www.youtube.com

ダブル主演?

ちょっと待て下さい。

大人になった主人公のシーンなんて、原作には無かったぞ。

 桜良の死から12年経過し、“僕”が母校の教師となった現在と、桜良と一緒に過ごした学生時代の2つの時間軸を交差させながらストーリーが紡がれていく

なんじゃそりゃ???

???です

でもまぁ、確かに原作はひたすら二人であーだのこーだのという展開が続いてあまり動きはありませんから、未来の姿を入れて展開に動きを出すのはありかもしれません。

小栗旬なら演技力にも心配はないですしね。

今度見てみます。

また、2018年にはアニメ化も決定。

www.cinra.net

www.youtube.com

こちらも公開が楽しみですね。

https://www.instagram.com/p/BgZ2O0IlHA3/

#君の膵臓を食べたい #住野よる 読了Amazonのレビュー見るとセカチュー、ラノベと批判も多いけど、少なくともセカチューとは違います。#世界の中心で愛をさけぶ ど #100回泣くこと は似たような作品だけど、本作はちゃんとオリジナリティが明確です。長くなるので詳しくはブログに書きますけど。ただ #中2病 でラノベっぽい軽さは否めないかな。主人公に自己投影できるか、ヒロインに感情移入できるかで感想は大きく変わる事でしょう。後半まで主人公とヒロインの他愛のない日常が続くので、彼らに嫌悪感を覚えれば苦痛で仕方がなくなります。正直僕もあまり感情移入はできなかったので、むしろ一気読みしてしまいました。間を空けたら余計に間延びしそうでしたから。でもそうして最後まで読めばやはり感動もありましたし、これまでのテンプレ作品に一捻り加えたラストには唸りました。なるほど、これは面白い。話題になるだけある。#小栗旬 が大人になった主人公を演じるという劇場版も見たくなりました。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ#読書好きな人と繋がりたい#本好きな人と繋がりたい ※ブログも見てね。リンクはプロフィールから。

 

『蜜蜂と遠雷』恩田陸

 世界はこんなにも音楽で溢れているのに

本作蜜蜂と遠雷の主人公の一人、栄伝亜夜の台詞です。
実はこの言葉、だいぶ序盤で出てきます。
単行本39ページ。栄伝亜夜の登場直後の事です。

読書ノートに書き取るために貼っていた付箋を読後見返して、初めて気づきました。

思わず「なんだ、最初から気づいてたんじゃん」と呟いてしまいます。

ちゃんと序盤から伏線を張り巡らせていた作者にも、脱帽です。

第156回直木三十五賞第14回本屋大賞のダブル受賞作品。

 と思わず呟いてしまうほど、熱中して読みふけってしまった作品でした。

 


第6回芳ヶ江国際ピアノコンクール

上記のピアノコンクールが小説の舞台です。

第一次から第三次までの予選を経て、本選まで。約二週間に及ぶ長い戦い。

敢えて「戦い」という言葉を使いましたが、ここに書かれているのは間違いなく「戦い」です。

ピアノコンクールという舞台設定の為なんとなく認識がズレてしまいますが、実は物語の構造としては非常にオーソドックスな形態です。

  • とある「大会」を舞台に「選手」たちが「戦いを繰り広げる。
  • 「選手」の中には雑草型から天才肌、エリートまで多種多様なキャラクター。
  • 勝負の行方を混乱させるダークホースの存在。

皆さんの頭の中にも何がしかの作品が思い浮かんだかもしれません。

主にそれはスポーツや格闘技を主題にしたものが多いかもしれませんが、意外と名作だったりするのではないでしょうか?

蜜蜂と遠雷』もそんな構造を利用して書かれた作品です。

面白いのは間違いありません。


四人の主役

芳ヶ江国際ピアノコンクールには90名が参加しますが、その中で主役級として扱われるのは下記の四人

「栄伝亜夜」
 消えた天才少女。マネージャーであり指導者であった母の死とともに表舞台から姿を消した。
 名門私立音大の学長に見初められ、再びステージに立つ。

マサル・カルロス・レヴィ・アナトール」
 名門ジュリアード音楽院に所属する優勝候補。

「高島明石」
 楽器勤務のサラリーマン。年齢制限ぎりぎりでコンクールに最後の勝負を賭ける。

「風間塵」
 養蜂家の父を持ち各地を点々とする少年。伝説の音楽家ユウジ・フォン・ホフマン唯一の弟子。

それぞれがそれぞれの想いを抱いてコンクールに挑みます。

とりわけ異彩を放つのは風間塵でしょう。

物語は無名の新人である彼が芳ヶ江国際ピアノコンクールの選考オーディションに登場するところから始まります。

審査員の常識を覆す演奏を見せ、彼がユウジ・フォン・ホフマン唯一の弟子である事が明かされます。

登場の段階から、彼は「他とは違う存在」であると示されるわけです。

しかしながらその後の物語は亜夜・マサル・明石の三人のそれぞれの視点へと、目まぐるし視点を変えながら進んでいきます。

特に多いのは明石であり、亜夜の視点でしょうか。

明石は上で言う「雑草型」の苦労人です。他の天才やエリートに対し、一般人の延長線上のキャラクターとして彼が描かれているように感じられます。

意外と重要なのは明石ともう一人、亜夜の付添い人として登場する

彼女もまた、彼らとは一歩距離を置いた読者に近い視点で物語を語ってくれます。

亜夜・ユウジ・塵の三人はコンクールを争うライバル同士でありながら、日が進むに連れて交友を深め、いつの間にか友達同士のような仲の良さを見せ始めます。

この子たちは、自分たちがどんなにめぐまれているか分かっているのだろうか
自分に音楽の才能が本当にあるのかどうかと悩み、日々長時間の練習をして、それでもミスするかうまく弾けるかと胃の痛い思いをして眠れぬ夜をすごし、おのれの平凡さに打ちのめされながらも音楽から離れることができない無数の音楽家の卵たちの気持ちが。

奏は、自分がひどく冷静な気持ちで二人を見ていることを自覚していた。海辺で感じたような天才たちへの羨望や寂しさもあるのだが、どこかで奇妙な憐憫めいたものを覚えていることも承知しているのだ。天才たちへの無邪気さ。天才でない者の感情の綾、機微といったものが分からないことへの憐れみだろうか。

奏や明石がいるからこそ、現実離れした天才たちと読者とのバランスを上手くとってくれているように感じます。


成長の物語

序盤に物語の構造分析をしてしまいましたので、ある程度予想されてしまうところではありますが、「戦い」でありながら、戦いの内容よりもむしろ登場人物たちの成長を描いた作品です。

主役となる四人もですし、奏をはじめ周囲の人間もそう、審査する立場である音楽家たちも同様です。

二十日間のコンクールを通し、それぞれが想い、それぞれが成長を重ねていきます。

特に亜夜の成長は目覚しいものです。

元「消えた天才少女」として迷いの中コンクールの舞台に立った亜夜は、風間塵の自由奔放なピアノに触発され、その度ごとに大きな飛躍を見せます。

コンクールの合間に描かれる風間塵とのセッションの様子は、物語の一つの山場と読んでも過言ではないでしょう。

四人が主役と書きましたが、読み進めていく内に確信を抱きます。

真の主役は栄伝亜夜、彼女だ、と。

逆にちょっと物足りないのはマサルでしょうか?

天才肌の亜夜や塵に対し、日常的な人間性にも優れた正統派のピアニストとしての立ち位置で描かれているようですが、あまりにも型に嵌まり過ぎてしまって、マサルに関しては音楽に対する思いや人生観のようなところまでは深く書き込まれず、その為ちょっと薄いキャラクターになってしまっているような感が否めません。

もう少しマサルにも悩みが葛藤、劣等感みたいなものがあっても良かったと思うんですけどね。

そこまで書いたらただでさえ厚い本書がさらに分厚くなっちゃうか。


音を外に連れ出す

風間塵が師であるホフマンの言葉として繰り返し持ち出すのが「音を外に連れ出す」というテーマです。

彼はコンクールに勝つことよりも、そちらを重視しているようにも見えます。

本選まで残っても彼にとってのメリットは「ピアノを買ってもらえる」という事だけですからね。

そんな彼のピアノに刺激を受けるのが栄伝亜夜。

彼女もまた、風間塵とは違ったアプローチかもしれませんが「音を自然に返す」事を意識し、最後の最後にその真理にたどり着きます。

本来、人間は自然の音の中に音楽を聴いていた。その聞き取ったものが譜面となり、曲となる。だが、風間塵の場合、曲を自然のほうに「還元」しているのだ。かつて我々が世界の中に聞き取っていた音楽を、再び世界に返している。それが、彼の独特の音と、譜面に書かれている音符であるのに不思議と即興性をかんじさせるところに繋がっているのだろう

終盤、風間塵はピアノで亜夜に語りかけます。

おねえさんなら、一緒に連れ出してくれると思ったんだけどな。
あたしが?
うん。音楽を世界に返してくれるって。

それまでにも風間塵はなぜか栄伝亜夜にだけ心を開き、親近感を抱いているような素振りを見せます。

どうして彼女だけが特別なのかが、冒頭の引用に繋がります。

亜夜は最初から、「世界に音楽が溢れている」事を知っていたんです。

そんな亜夜だからこそ、塵は心を開き、一緒に音楽を世界に返してくれる仲間として認めていたのでしょう。

正直、これは読書ノートを書くために読み返して初めて気づいた事です。

読み返さなければ、どうして塵がそこまで亜夜を認めたのか気づかないままだったでしょう。

読み返すって、やっぱり大事。


恩田陸は心理描写が素晴らしい

僕にとって恩田作品はこれで三作目となります。

一作目はデビュー作である『七番目の小夜子』

綾辻行人『Another』に影響を与えた事でも有名な作品。

linus.hatenablog.jp

そしてもう一作は映画化もされた『夜のピクニック』。

特に後者は心理描写が秀逸でした。

何せ歩行祭という24時間歩き通すイベントが舞台ですから。

基本的には歩き続けるだけで、その中で同級生たちとのやり取りや自分の中での心模様を描いた作品。

ですがらクライマックスを迎えた時のカタルシスは本当に心地よいものです。

そうそう、この展開を待ってたんだよ、と。

もし良ければこちらもご覧になってみて下さいね。

■『七番目の小夜子』

■『夜のピクニック

https://www.instagram.com/p/BgX3tLcl6ZS/

#恩田陸 #蜜蜂と遠雷 読了いやぁ、良かったですね。#第156回直木賞 #本屋大賞 #w受賞 は伊達じゃありませんね。休む暇が見つからない程熱中して読みふけってしまいました。ピアノコンクールが舞台であることを別にすれば、エリートや天才、雑草の努力家が入り乱れるコンテストに無名の新人が現れ、勝負の行方を混乱させるという至ってよくある物語の構造なんですが。恩田陸さんは以前 #本屋大賞 を受賞した #夜のピクニック といい、心理描写がとにかく秀逸。それぞれの人物がみんな個性的で、一人ひとり全員に入れ込んでしまう不思議な感覚でした。お願いだからみんな勝ってー、全員優勝でいいよもう、的な。結果に関しては個人的にはちょっと残念だったけど、まぁ仕方ないか、と割り切っています。多分次にまた競い合うような事があれば結果も変わってくるでしょうし。とてもとても良い本でした。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ #読書好きな人と繋がりたい#本好きな人と繋がりたい ※毎度ですがブログもご覧になって下さい。プロフィールにリンクがあります。

 

『海の見える理髪店』荻原浩

青色の絵の具の塗り残しに見える入道雲が屋根の上で両手を広げている。誰かをハグしようとするみたいに。

僕は実は、荻原浩という作家を非常に苦手としています。

とは言っても読んだ事があるのは処女作である『オロロ畑でつかまえて』ぐらい。

かの作品の(僕的にはくすりとも笑えない)ユーモアと現実離れした安っぽい漫画のような世界観に全くついて行けず、それ以来彼の作品を手に取る事はありませんでした。

つい最近『神様からひと言』を読みましたが、それもどうやら第155回直木賞を取ったらしいという情報を受け、とあるブログで紹介されているのを見て、なんとなく手に取った、というのが実情です。

インスタグラムには『神様からひと言』の感想を載せていますが、

 

本作はたまたまとある書評ブログで紹介されていた事もあり手に取ってみました。直木賞も取った作者だし、作風も変わってるかもしれませんし

結果……あんまり変わってないですね笑

www.instagram.com

 

……とまぁ、結構マイナスな感想を残しています。

ただ、『神様からひと言』も2002年の作品ですからね。『オロロ畑でつかまえて』で第10回小説すばる新人賞受賞を受賞し、デビューしたのが1998年。どちらかというと初期の作品です。

 

デビューからかれこれ20年。

淘汰の激しい出版業界で沢山の作品を発表し続け、山本周五郎賞山田風太郎賞といった賞も受賞されています。そして遂には直木賞まで。

第155回直木賞を受賞したという本書『海の見える理髪店』はきっと僕の知らない荻原浩を感じられるはず。

そう思い、手に取りました。

三度目の正直です。

 

6話の短編集

表題作『海の見える理髪店』を全6話の短編集となっています。

連作短編とは異なり、それぞれの作品に繋がりはありません。完全に独立した作品です。

「海の見える理髪店」

大物俳優や政財界の名士が通いつめたという伝説の床屋。とある事情により都内から海の見える田舎へと店を移したその場所に、主人公の僕が訪れるというもの。

「いつか来た道」

家を出て十六年。弟に求められて母親に会いに帰ってきた主人公。絵描きを生業とし、昔からあれこれと口うるさい母親と再会するものの、以前とは違う母親の姿に気づくに連れ、主人公の心持ちも変化をしていく。

「遠くから来た手紙」

仕事ばかりの夫と口うるさい義母に反発し、子供を連れて実家に帰った祥子。弟夫婦が生活を築く中で自分の居場所を確保しようともがきながらも、心中では夫が迎えに来る事を心待ちにしている。そこに夫からのメールがとどくのだが……。

「空は今日もスカイ」

親の離婚で母の実家に連れられてきた茜は、家出をして出会ったフォレストとともに海を目指す。ビックマンとの出会いとフォレストの体に隠された秘密。

「時のない時計」

父の形見を修理するために時計屋に足を運ぶ。話好きな店主から昔話を聞かされる内に、父との思い出を少しずつ思い出していく。

「成人式」

五年前に事故で死んだ中学三年生の娘。その悲しみを引き摺ったまま日々を過ごしてきた夫婦の下に、娘宛の成人式のカタログチラシが届く。憤慨する夫婦であったが、二人は娘の代わりに成人式に出席する事を思いつく。振袖と袴を身に着けて、だ。

 

感想から言ってしまうと、表題作である「海の見える理髪店」はびっくりするぐらい良かったですね。ほぼ店主の一人語りと、それを聞く僕の心理描写で構成されていますが、いつものユーモアが一切封印されているのがとても良かったです。

また、物語が進むに連れて「もしかして……」と読者に一つの関係性を匂わせ、終盤のちょっとした台詞で確信を抱かせます。残った僅か数行の中から読み取る事の出来る意味や余韻が心地よい読後感を生み出します。その辺りのバランス間がとにかく上手い。本当にびっくりしました。

 

続く「いつか来た道」もまた、同じような雰囲気を持つ作品です。母親との辛く苦々しい思い出の中に、母娘にしか分かり合えない絆の強さのようなものを感じさせられます。俗に言う“行間を読ませる”作品といえるでしょう。

 

ところが個人的には、「遠くから来た手紙」「空は今日もスカイ」「成人式」に関してはああ、いつもの荻原浩が出た……と思えてしまって、ちょっと拍子抜けしてしまいました。コメディというかブラック・ユーモアというか皮肉というか。この軽さが良いという人がいるのもわからないではないんですけどね。僕的には苦手な作風です。

 

残る「時のない時計」については両者の中間といったところ。行間を読ませるような作品でありながら、時折ブラック・ユーモアめいた台詞も混じったり。とっても良い作品だと思うので、ストレートに王道の文学小説として書いていただけるときっともっと楽しめたんじゃないかと思うんですが。

 

加えてもう一つ驚いたのは、冒頭の引用のような豊かな表現が多かった事。

こういった独特な表現を用いる作家だとは思っていませんでした。

アスファルトに降り注ぐ日射しはまるで黄金色の針だ 

こういう表現をするイメージじゃないんですよね。

この辺りも知らない間に、荻原浩という作家が進化を続けていた成果なのかもしれないと思いました。

 

直木賞は短編? それとも本全部?

本作を読むと、「直木賞とったのって結局最初の「海の見える理髪店」という短編? それとも本まるごと全部が対象?」という疑問を持たれる方も少なくないと思うのですが、答えは「本丸ごと全部が大賞」です。

直木賞を紹介した日本文学振興会のホームページにも

新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)のなかから、最も優秀な作品に贈られる賞です

とありますので、『海の見える理髪店』は単行本として受賞をしたんです。

尚、直木賞に関しては選評の概要も公開されていますので、こちらを見ていただくとより受賞理由も明確になると思います。

prizesworld.com

それにしても他の候補者の評価が低いですね。

大人気作家である湊かなえ米澤穂信も総じて低評価です。

今回の作品に限られるかもしれませんが、選評を見るにつけ“文学”としては評価しにくいという評価であったという事がわかります。

 

さて、今回の『海の見える理髪店』は前段階での苦手意識に反し、なかなかの満足感でした。

Twitterのフォロワーさんからは「新刊の『海馬の尻尾』が面白いらしい」と情報をいただいていますので、いずれそちらも読んでみたいと思います。

https://www.instagram.com/p/BgSQCGglrl2/

#海の見える理髪店 #荻原浩 読了#第155回直木賞 受賞作表題作「海の見える理髪店」から始まり「いつか来た道」「遠くから来た手紙」「空は今日もスカイ」「時のない時計」「成人式」という6つの短編集。荻原浩には苦手意識があったのですが「海の見える理髪店」は目を覚めさせられるぐらい楽しく読みました。終盤にぽつりと浮かぶ疑問を確信へと繋げ、ラストて締めくくる流れが本当に秀逸。また、「いつか来た道」も良かったです。「成人式」や「空は今日もスカイ」みたいなブラックユーモアが交じる軽快な作品は相変わらず苦手ですが。でも荻原浩へのイメージはだいぶ良い方に覆されました。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ#読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい ※毎度の事ですがブログもアップしています。よろしければプロフィールのリンクからご確認下さい。

『羊と鋼の森』宮下奈都

 

森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音がする。夜になりかける時間の、森の匂い。 

冒頭の一文を読んで、「あっ、これは……」と思いました。

初めて入るレストランに一歩足を踏み入れた瞬間、この店はきっと自分によく合う店だと感じてしまうあの感覚に似ています。

その人が鍵盤をいくつか叩くと、蓋の開いた森から、また木々の揺れる匂いがした。

ああ、そうか。

ピアノ=森なんだ。

そう気づいた瞬間、予感は核心に変わりました。

この本は、「当たり」だ。

 

瑞々しく、色彩豊かな文章

羊と鋼の森第13回本屋大賞を受賞した話題作です。

第154回直木賞の候補にも挙がりましたが青山文平『つまをめとらば』を前に惜しくも落選となってしまいました。

物語は主人公である外村君が高校二年生の時に、体育館のピアノを調律にやってきた板鳥さんの調律した音から“森”を感じるところから幕を開きます。

序章とも言えるその短い一小節を読んだ段階で、多分僕は外村君が受けたのと同じような衝撃を受けました。

宮下奈都の書く文章から、僕もまた“森”を感じたのです。

クレヨンと色鉛筆で優しく、丹念に色を重ねたような瑞々しく色彩豊かな森とピアノの風景が、頭の中に浮かびました。

非常に静かで動きの少ない場面にも関わらず、外村君の胸の中で稲妻なのか竜巻なのかとんでもない衝撃と興奮が襲っている様子がよく伝わってきます。

 

後はもう、ただただ楽しい読書でした。

素晴らしい文書を書く作家が、どんな物語を展開していくのかだけを追いかけて行けば良いだけでしたから。

 

 

調律師としての成長と運命的な双子との出会い

外村君は調律師になると心に決め、板鳥さんに弟子にして欲しいと志願しますが断られ、代わりに勧められた専門学校に通い調律師として江藤楽器店に戻ってきます。

そこからが本編の始まりです。

尊敬してやまない板鳥さんは留守が多く、外村君の指導をしてくれるのは柳さんという七つ上の先輩。他に秋野という四十過ぎで毎日定時で帰る家庭持ち。

丁寧で優しい柳さんと、言動が投げやりで棘と影を感じさせる秋野さんは、アメとムチの表れのように対照的に書かれます。

時には掠めるように板鳥さんとも会い、その都度重要な示唆を与えてくれる場面も。

物語中で時間はあっという間に一年、二年を過ぎ、外村君は先輩たちに囲まれる中で日々調律師として成長していきます。

 

そんな中出会うのは、柳さんの客先である由仁と和音という双子の姉妹。

明るく活発な由仁と控えめで大人しい和音は、弾くピアノも対照的。柳さんや周囲は由仁のピアノが素晴らしいと褒めますが、外村君だけは和音のピアノから由仁にはない“森”を感じ取ります。

 

気難しい客にぶつかったり、何のいわれもないのに予定をキャンセルされたり、様々なピアノに出会い、成功と失敗を重ねる外村君。一方で双子にも事件が発生し、ピアノから距離を置かざるを得ない状況へと陥ってしまいます。

 

事件を通し、外村君と双子はさらに成長を遂げます。

 

物語の概要としてはざっくり上記のようなところです。

全編通して穏やかに、外村君の調律師としての日々やそれを通しての所感、葛藤を描いています。

特にとんでもない事件やどんでん返しが巻き起こるわけではありません。

本書に低評価を付ける方にはその辺りを「つまらない」とされる向きが多いようですが、残念です。そういう物語ではない、というだけの問題です。その辺りの見方については下記中村文則『銃』のブログに細かく言及しましたので、興味があればご一読ください。

linus.hatenablog.jp

 

お気に入りの文章抜粋

僕は読書ノートをつけています。

その中で気に入ったり、心に残る場面があればそのまま書き取るようにしているのですが、本書の中で気に入った部分をご紹介したいと思います。

なだらかな山が見えてくる。生まれ育った家から見えていた景色だ。普段は意識することもなくそこにあって、特に目を留めることもない山。だけど、嵐が通り過ぎた朝などに、妙に鮮やかに映ることがあった。山だと思っていたものに、いろいろなものが含まれているのだと突然知らされた。土があり、木があり、水が流れ、草が生え、動物がいて、風が吹いて。

ぼやけた眺めの一点に、ぴっと焦点が合う。山に生えている一本の木。その木を覆う緑の葉、それがさわさわと揺れるようすまで見えた気がした。

濱野さんの話が僕の身体にするりと入り込んで、僕の中の柳さんの身体をひとまわり大きくした。

汚れているように見えた世界を、柳さんはゆるしたんだろうか。それとも、ゆるされたんだろうか。

「ピアノで食べていこうなんて思ってない」

和音は言った。

「ピアノを食べて生きていくんだよ」

努力をしていると思わずに努力をしていることに意味があると思った。努力していると思ってする努力は、元を取ろうとするから小さく収まってしまう。自分の頭で考えられる範囲内で回収しようとするから、努力は努力のままなのだ。それを努力と思わずにできるから、想像を超えて可能性が広がっていくんだと思う。

その辺に漂っていた音楽をそっとつかまえて、ピアノで取り出しているみたいだ。

どれも作品の空気感を象徴するような場面・比喩ばかりだと思います。

まだまだ沢山あるのですが、紹介仕切れませんので一部に留めています。

ぜひ素敵な文章についても意識しながら読まれて下さい。

 

雰囲気は羽海野チカ似!?

個人的な感覚ですが、読んでいて目に浮かぶ情景や各キャラクターの性格のようなものが、羽海野チカさんの漫画を彷彿とさせられました。

『はちみつとクローバー』や『3月のライオン』等、大ヒット作を連発している人気作家です。

(↑共感して下さる方がいらっしゃれば嬉しいです)

僕は彼女の漫画も好きなので、本書にもがっちり惹き込まれてしまいました。

それにしても、これ程までに自分にフィットする作家さんを今まで未読だったのが本当に悔やまれます。

出来るだけ早く他の作品も手にとってみたいところです。

……そんな事言って、次々読みたい作品が増えていってしまうのが悩みの種ですが。

 

https://www.instagram.com/p/BgNJrSGFLaB/

#羊と鋼の森 #宮下奈都 読了当たりです。最初の数ページ読んだだけで「これは当たりだ」っと思える稀有な作品との出会いでした。物語としては主人公が調律師と出会い、自身も調律師を目指し、務めた楽器店でのエピソードや成長をまとめたもの。そう起伏のあるものではありませんが、全体に漂う空気感や色彩の豊かさが僕にはとても心地良く感じられました。#はちみつとクローバー や #3月のライオン の著者である #羽海野チカ さんの漫画にも似た雰囲気を感じます。新しい出会いに感謝しつつも、こんな素晴らしい作家さんを今まで読まなかったのが悔やまれます。早く他の作品も読みたい。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ ※ブログも更新しています。プロフィールのリンクからご確認下さい。

 

 

追記

映画見てきました

劇場版『羊と鋼の森』見てきましたよー。

hitsuji-hagane-movie.com

youtube等で事前公開されていた予告を見て想像はしていましたが、想像以上に原作の世界観を忠実に再現した素晴らしい映画でした。

特に最初の板鳥さんとの出会いのシーンで、静寂の中鳴り響くピアノの音は鳥肌ものです。

柳さんが鈴木良平さんという配役のせいで若干体育会系気質に見えたり、秋野さんがより意地悪な人物として描かれていたりといった差異もありますが、受け入れられない程ではありません。

何よりも三浦友和さん演じる板鳥さんはカッコ良すぎです。

原作で感動したという人は見に行く事をおススメします。

ただし、“音”に非常に繊細な映画で、上映中は物音を立てるのもはばかられるような緊張漂う雰囲気ですので、ご注意を。

https://www.instagram.com/p/BkFkH4tnukQ/

#羊と鋼の森 見てきました読書垢なので本以外はあげないようにしていたのですがあまりにも良かったので勢いで投稿しちゃいます原作の雰囲気そのままの素晴らしい出来でした特に最初の板鳥さんとの出会いで、体育館にピアノの音が響くシーンは鳥肌モノですとにかく音にこだわった映画で迂闊に物音も立てられない雰囲気でした尚、原作未読の同行者には「ちょっと難しいお話だったかな」とちょい不評だった模様ですが、原作読んだ方にはぜひ劇場で音と映像と合わせて楽しんでもらいたいですね。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ#読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい #宮下奈都