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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『魔界都市〈新宿〉』菊地秀行

魔界都市」とは何か?

かつて、その名を「新宿」といった。 

菊地秀行の『魔界都市〈新宿〉』なんてものを読んでみました。

この後膨大な作品を刊行する事になる菊地秀行の処女作であり、発行は1982年。

発行元である朝日ソノラマ社は今から十年以上前に廃業し、会社清算してしまっています。

でもその昔、菊地秀行をはじめ清水義範などを中心に“ジュブナイルSF”というジャンルを築き、当時の少年(←大きな少年もいたのかな?)達の心をがっちりと掴んで離さなかった時代があるそうです。

ちなみに「ジュブナイル」という言葉には「ティーンエイジャー向け」「少年少女の」といった意味がありますので、簡単に言うと今でいう「ラノベ」のはしりみたいなジャンルであり、出版社だったんですね。

ファミコンの初代『ドラゴンクエスト』の発売が1986年、『ロードス島戦記』や『風の大陸』、『フォーチュンクエスト』といった角川スニーカー文庫富士見ファンタジア文庫ライトノベルレーベルを確立した作品が出てくるのが1987年以降ですから、菊地秀行栗本薫笹本祐一と並び、ライトノベルの黎明期を築き上げた作家たちと言えるかもしれません。

ライトノベル初期というとあかほりさとるに代表される「エロと俺ツエー、擬音語だらけの中身のない小説」というイメージもありますが、それ以前の上記黎明期の作品はジュブナイルと言いつつ、大人向けと言っても過言ではない重厚な世界観としっかりとした文章が特徴だったりもします。

何せ、児童書と一般小説の間に位置するようなジャンルって、当時はなかったでしょうからね。

そういう意味では今でいうラノベを読みたいという人たちは、こぞって菊地秀行をはじめとする数少ないジュブナイル小説を読んでいたと推察されます。

以後の漫画や小説にも多大な影響を与え続けるという『魔界都市〈新宿〉』。

前置きが長くなりましたが、以下にご紹介します。

 

魔界都市とは

当ブログを読んでくださっている人というのはおそらくある程度読書に親しんでいる方がほとんでしょうから、「魔界都市」という言葉に聞き覚えや見覚えのある方も少なくないと思います。

ざっくり説明すると

魔震(デビル・クエイク)”と呼ばれる謎の大地震によって瞬時に壊滅し、これに伴い発生した亀裂によって外界と隔絶され、怪異と暴力のはびこる犯罪都市となった東京都新宿区の別名

という事になります。

新宿区だけが外界と隔絶されて、とんでもない別世界になってしまっているのです。

中にはエスパーや人造人間等の不思議な能力を持った人間(しかもほぼ悪人)が巣食い、それ以外にも科学や突然変異によって生まれた巨大で凶暴な生物が跋扈しています。

特に巨大化した生物たちが恐ろしい。

両頭の巨大な犬猫なんていうのはかわいいもので、突然頭上から降ってきた巨大なヒルカップルがミイラ化されたり、酔っ払いの上に降ってきたミミズみたいなやつが耳や鼻から入り込んで人体を乗っ取ったりします。

グロいことこの上ない。

ですが、簡単に言うと「なんでもあり」な舞台なのです。

何が起こっても、何があってもおかしくない。

エスパー的な念動力に襲われる事もあれば、霊的な力に襲われる事もある。かと思えば、一般的な殴る蹴る、刺す、打つといった暴力だって存在します。

小説を書く上ではこれ以上はないというぐらい魅力的な世界。

それこそが「魔界都市」であり、菊地秀行の様々な作品・シリーズを生み出す源泉となっているのです。

大塚英志の作品に登場する「終わらない昭和」も同様ですが、一旦作り出したひとつの世界観から次々と連鎖的に作品を生み出すのって、もしかしたらこの辺りの世代の方々の特徴だったりするんですかね?

井坂幸太郎作品のように、作品同士がつながっているのってファンにとっては嬉しかったりもしますが。

 

魔界都市〈新宿〉の話

どうも説明が多いですね。

本書『魔界都市〈新宿〉』は菊地秀行の処女作であり、「魔界都市」が初めて登場する作品でもあります。

地球連邦首相の暗殺をたくらむ魔道士レヴィ・ラーと、主人公である十六夜京也との戦いを描いた作品。

十六夜京也は女の子にモテる一般的な高校生ですが、その実、亡き父から授かった阿修羅と呼ばれる木刀を受け継ぐ“念法”の使い手。

この“念法”というのがなかなかの万能薬で、物理的に作用する事もあれば、前述した超能力や霊能力といった超現実的な力に対抗する事のできる唯一の手段であったりもします。

阿修羅を一振りすれば、周囲を取り囲んでいた亡者の魂を根こそぎ吹き飛ばしたりできてしまうのです。

ヒロイン役には首相の娘であるさやかという女の子が登場。

レヴィ・ラーと倒す為に魔界都市へ潜入した京也とともに戦おうと、後を追います。

さやかの武器は合気道と指に嵌められたレーザー・リングだけという無防備さ。

ところが、この無防備さこそが物語の潤滑油になっていたりもするのです。

行く先々でさやかは襲われたり、さらわれたりしますが、これこそが京也の行動を加速させる原因になっていたり。

最初は足手まといと煙たがる京也でしたが、さやかは不思議な力で、人々の協力を招いたりしながら事態を解決していきます。

最近では聞かなくなってきましたが、王道PRGの定番である“慈愛の力”的な存在であると言えばわかりやすいでしょうか?

吉川英治宮本武蔵』でいう“お通”の存在にも似ているかもしれません。

宮本武蔵』も本質的にはお通と武蔵を巡るドタバタ活劇のようなものですものね。

心優しい性格である“お通”が優しさに付け込まれ、騙されてあちらこちらに振り回される中で様々な事件が起こり、いつの間にか武蔵も巻き込まれている、という繰り返し。

本書も「レヴィ・ラーを倒す」という目的を除けば、『宮本武蔵』と似たような物語の構造になっていると言えるかもしれません。

 

きっかけは『魔界都市ハンター』

この本を読むきっかけとなったのは漫画本である『魔界都市ハンター』。

https://www.instagram.com/p/BeQHleenvL5/

 

だいぶ昔に少年チャンピオンに掲載されていた漫画らしいですね。

かなり昔、親戚の家で読んだのを思い出して一気読み。

こちらも十六夜京也が登場する作品なんですが、『魔界都市〈新宿〉』シリーズのスピンオフ作品的な位置づけなんでしょうね。

魔界都市に現れた〈神〉をめぐり、世界の破壊を企む『闇教団』と防衛庁所属の『超戦士』が戦う物語。本作の主人公でもある十六夜京也が主役でありながら、脇を固める牧師や超戦士たちの個性が強すぎて癖になる作品です。

レヴィ・ラー対十六夜京也という本作に比べ、様々な立場や人物の思いが交錯し、より深みのある作品に仕上がっていると思います。

たぶん僕に限らず、この漫画で『魔界都市』を知ったという人は少なくないのでしょうね。

だいぶ上の世代の人たちにはなりますが。

 

そして『魔界都市ブルース』シリーズへ

ちなみに『魔界都市〈新宿〉』は本作と、続いて刊行された『魔宮バビロン』の2作で留まっています。

以降は秋せつらを主人公とした『魔界都市ブルース』シリーズが中心となっているようです。

尚、『魔界都市ブルース』にも本作に登場したドクター・メフィストが登場しています。

僕はそちらは全く読んだ事がないのですが。

 

 

……と思いきや、2008年からいつの間にか続編の刊行が進んでいたようですね。

2008年『騙し屋ジョニー』、2010年『牙一族の狩人』、2011年『地底都市〈新宿〉』、2013年には『狂戦士伝説』と続々と発表されたようです。

 

まぁでも正直、シリーズものってある程度の巻数で完結をみたいですよね。

魔界都市ブルース』並みにあまりにも長く続いてしまうと……ちょっと読む気が無くなってしまうのは僕だけでしょうか?

今のところ手を出そうとは思えないかもしれません。

https://www.instagram.com/p/Bm9vO5fHWJY/

#魔界都市新宿 #菊地秀行 読了1982年発行の #ジュブナイル SF小説今の #ラノベ のはしりのようなものとはいえ世界観も文章もしっかりしていて読み応えあり菊地秀行の処女作であり、数々の物語の舞台となった魔界都市を生み出した物語以前ご紹介した #魔界都市ハンター と同じ主人公 #十六夜京也 だったりもしますなかなか楽しめました#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい ..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認下さい。

『夏を拾いに』森浩美

あの夏を息子と拾いに行くのも悪くない。いや幸せだ。

早速タイトルのネタバレしちゃいましたが。

森浩美『夏を拾いに』です。

和製スタンド・バイ・ミーと噂の本作。

だいぶ前に買ってから長い間積読化していたのですが、ようやく読むことができました。

ちなみに最近では積読もTsundokuとして海外に広まりつつあるとかなんとか。 

 

www.j-cast.com

トヨタ式のKaizenが世界に広まって久しいですが、Tsundokuも市民権を得られるんでしょうか?

まーどうでもいい世間話ですね。

 

世知辛い現在の“私”が息子に語る“あの夏”

冒頭は山手線から井の頭線へと乗り換える“私”の描写から始まります。

40半ばを過ぎ、加齢を感じる男は常務から大阪転勤を持ちかけられる。改札を出た矢先、塾の階段から降りてくる息子を目撃。中学受験へ向けて、五年生の夏休みを夏期講習に費やす息子も、それを促す妻もどことなく冷たく、和やかさはほとんど感じられない。

どんな言葉をかけても煙たがるばかりの息子が、ふとしたきっかけで“私”の発した「不発弾探しの思い出」に食いつく。

そうして“私”は息子に対し、“あの夏”の思い出を語り始めます

 

昭和46年、小学5年生の“私”

当時の“私”こと“僕”は東京中央電気という大企業が鎮座する地方の小さな町に住んでいました。

土地の人はチューデンと呼ぶその企業に多くの住民が支えられ、“僕”の両親もまた、チューデンの製品を入れる段ボールの会社を営んでいました。

“僕”はいつも雄ちゃん、つーやんの幼馴染み二人とともに、毎日を過ごしています。

三人は周囲とは少しだけ違っていて、いつも何か楽しい事を探しています。

一学期の終業式には、中庭にあるひょうたん池をジャンプで飛び越えるという試みを表明し、大勢の生徒たちが見守る中、失敗して泥だらけになった挙句、先生たちにはこってりと怒られたりします。

美人で憧れの先生がいたり、鼻に強烈なデコピンをする怖い先生がいたり、暴力で有名な上級生がいたり。

どことなく懐かしく、哀愁が漂う昭和の小学生の世界が広がっています。

 

自由研究は不発弾探し

正直言って物語に起伏の少ない本書ですが、一番の芯となるテーマが不発弾探しです。

ある時、祖父から戦争当時の空襲の話を聞いた“僕”は、自由研究に不発弾を探すことを思いつきます。

大量の磁石で地中に埋まった不発弾を探知するため、チューデンの敷地内に潜り込んで不良品のスピーカーから磁石を集めたり、作った探知機で森の中を探索したり。

鼻につく転校生の高井君も仲間となり、4人は町の中を探検しまくります。

その合間にも、「遊んでばかりいないで仕事を手伝え」という親との言い争いや、上級生の悪ガキ矢口たちとの争いなど、僕たちには常に様々な困難や葛藤が待ち構えています。

まさしく少年たちの青春を描いた“和製スタンド・バイ・ミー”と言えるのかもしれません。

 

ちりばめられた「昭和」

昭和46年を舞台としているだけあって、本書の中には当時を思い起こさせるようなエピソードがたくさん登場します。

「マッハ」

「ゴーゴーゴー」

土曜の夜はテレビを見るのに忙しい。『巨人の星』『仮面ライダー』それに『キイハンター』。『8時だョ!全員集合』がなくなってしまったのは残念だけど……。

夏休みの間、午前中にアニメが放送される。ほとんど毎年同じものだったけど、『宇宙怪人ゴースト』や『大魔王シャザーン』がお気に入りで、特に『チキチキマシン猛レース』に登場するブラック魔王のお気に入りの相棒のケンケンという犬の笑い方が好きだ。クラスでも真似する者が多かった。

雄ちゃんの自転車は5段変速ギアの最新のもので、電子フラッシャーと呼ばれるウインカーやスピードメーターフォグランプ、そして後輪の両サイドにはバッグまでついている。

世代が違うので僕にはピンと来ませんが、同じ時代を知る人が読めばわくわくしてしまうのかもしれませんね。

“世代が違うので”というのが意外とネックで、本書には当時を知る人であれば共感できそうなエピソードがたくさんあるんですよね。

ただし、そうでない場合……というのがちょっと問題。

約500ページに及ぶボリュームはセリフも多く、全体的に文字数も少な目でそこまで難解ではないのですが、いかんせん冗長に感じられるのは否めません。

ストーリー的にもそんなにハラハラドキドキ、という感じでもないですしね。

スタンド・バイ・ミーのように列車に轢かれそうになったり、ヒルに襲われたりといった冒険シーンでもあればちょっとは違うのでしょうが。

世界観としてはスタンド・バイ・ミーと比べるとちょっと小さい。

良くも悪くも、当時の少年たちの“あの夏”をリアルに描いた作品、と言えるのかもしれません。

彼らが成長した姿が、冴えないサラリーマンである点も含めて。

著者の書きたいテーマというのは、物語終盤で大人になった“私”の独白という形で表れています。

下記の文章に共感を覚えたら、読んでみるのをおすすめします。

たとえくだらなくても、その何かを探すことが重要なのだ。“野放し”にできれば、子どもたちもバーチャルな世界から抜け出して、創意工夫を覚えるに違いない。ところが公園で遊ぶことさえ危険な世の中になってしまった。神隠しなどという迷信には、どこかドキドキするようなものがあったのだが、出没するのが変質者や通り魔では、心躍る響きはない。過保護なのは分かっている。しかし命を取られては泣くに泣けない。ゲーム機を買い与え、家に閉じ込めておくことが一番安全な方法とは。我が子のみならず、この国の子どもたちが不憫に思える。

 

 

SMAPの作詞家!?

森浩美の文庫が、売れに売れている。2008年12月に文庫化された短篇集『家族の言い訳』は軽く15万部をオーバー。2009年9月に文庫化された短編集『こちらの事情』も順調に版を重ね、2冊併せて25万部を突破したという。

あとがきで文芸評論家の細谷氏いわく、どうやら著者の作品はかなり売れているらしい。

正直あまり聞かない作家名だけど、僕の認識が足りないだけで実は有名な人だったりするんだろうか?

不思議に思って検索してみると……ありましたよwikipedia

見てびっくり!

 

森浩美 - Wikipedia

 

作家というより、作詞家だったのね。

しかもSMAPの『$10』とか『SHAKE』とか『青いイナズマ』とか!

個人的にはブラックビスケッツの『STAMINA』『Timing』『Relax』がツボだったりするんですが。

めちゃくちゃ有名な歌の歌詞書いてる人だったんですねー。

なんだかもうすっかり小説よりも何よりもそっちの方面の人としてインプットされてしまいました。

https://www.instagram.com/p/Bm0pMsrHOHE/

#夏を拾いに #森浩美 読了小学5年生の夏休み、不発弾を探して街中を駆け巡る少年たち舞台は昭和46年。当時の流行や遊びのノスタルジックな雰囲気でいっぱいです。同じ世代を生きた人たちにはきっとたまらない事でしょう。ただ正直世代から外れた側からすると……ストーリーはほとんど起伏もないし、冗長感は否めないかなそれよりも森浩美さんって、SMAPの青いイナズマやSHAKEの作詞家でもあるのね。そっちの方が驚きです。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認下さい。

『町工場の娘』諏訪貴子

「会社は大丈夫だから!」

思わず、そう叫んだ。

父は私の目を見つめたままの姿勢で息を引き取った。64歳だった。

お盆を挟みすっかりご無沙汰していましたが、しばらくぶりの更新です。

読んだ本は町工場の娘

昨年NHKでドラマ化された話題の女性社長のドキュメンタリーであり、自著でもあります。

www6.nhk.or.jp

 

主婦から社長に

舞台となるのはダイヤ精機

著者である諏訪貴子さんは社長である諏訪保雄さんの娘さん。

諏訪家は元々兄と姉、末っ子の貴子という三人兄弟でした。

ところが跡取りとして期待されていた兄は幼い頃に夭逝。

貴子はまるで兄の生まれ変わりのよう男勝りな性格でのびのびと育ちます。

社会人になってからは二度、父に乞われてダイヤ精機に入るのですが、二度とも父の保雄自身の手により解雇されてしまいます

経営を立ち直すためにはリストラが必要と訴える貴子に対し、従業員は何があっても守るべきという父との対立により、貴子自身が解雇されてしまうのです。

「お前、明日から来なくていいから」

そっけない言葉でクビを宣告される貴子。

初代社長だった諏訪保雄さんはかなり昔気質な性格だったようですね。

その様子は、貴子が大学卒業後に大手企業に勤めた際にも散見されます。

「お客様からの誘いは絶対に断るな」

父の言いつけ通り貴子は誘われるがまま、飲み会やカラオケ、ゴルフと少ない給料を工面して参加し、水道や電気が泊められてしまうほどの困窮生活を送ります。

部屋にあるのはお米だけだが、炊くことすらできない。仕方なく、生の米をジャリジャリ食べた。

年頃の女性とは思えない生活ぶりですね。

そんな厳しい父保雄さんですが、一方ではフェアレディZを買い与える親バカな一面もあったりします。その後明らかになりますが、3億円ほどの売上しかない町工場にも関わらず、社長秘書や運転手がいたそうですから、やはりあくまで昔気質の職人肌タイプで、経営には向いていなかったのかもしれません。

やがて父保雄が病に倒れ急逝。

後継者は決まっておらず、会社の幹部たちも及び腰。

姉夫婦はどうも最初から候補には入らなかったようで、白羽の矢が立ったのは貴子と、エンジニアである貴子の夫。

しかしながらその時、貴子の夫には渡米の話が浮上し、保雄が倒れたのはまさに家族全員で渡米へ向けて準備を進めていたその矢先でした。

夫は迷いを浮かべるものの、苦慮の末、現在の仕事を取ると決断。

メインバンクからの後継者の催促や、幹部社員たちからの懇願を受け、貴子はダイヤ精機の社長に就任する事となるのでした。

 

就任直後の混乱

周囲の後押しを受け、二代目社長に就任したはずの貴子でしたが、その矢先に出鼻をくじかれる事件が起こります。

「大丈夫なのか? お前、本気で頑張らなきゃダメだぞ」

就任の挨拶に出向いた取引銀行において、支店長から投げつけられた言葉でした。

憤慨する貴子でしたが、なんとか父の葬儀の手伝いの約束を取り付けます。

ところがこの一件により、銀行との仲はこじれてしまいます。

葬儀を終えて早々に、今度は支店長がダイヤ精機にやってきますが、その内容はなんと合併を持ち掛けるものでした。

急ごしらえで社長の座に就いた貴子に対し、銀行は全く信用を持っていなかったのです。

度重なる仕打ちに奮起し、再建を決意する貴子。

就任一週間にして、リストラを断行するのです。

これには社長就任を要請していたはずの幹部社員ですら「何てことをするんだ、このやろう」と食って掛かります。

父が亡くなった後、幹部も含め、社員の多くは私に「社長になってほしい」と言った。だが、それはあくまでも“お飾り”のつもりだったのだろう。私が形だけ社長のいすに座ってさえいれば、自分たちは今まで通り日々の仕事を粛々とこなしていく。会社が成長することはなくても、自分たちの生活を守ることぐらいは可能だろうという感覚だったはずだ。私に「経営してほしい」とは思っていなかったのだ。

なんという生々しい話でしょう。

思わず、うんうんと頷いてしまいます。

現場に残された社員の気持ちも、自分がお飾りだと気づいた貴子の気持ちも、どちらもよくわかります。

しかし貴子はあくまで経営者として、ダイヤ精機の再建へと自ら能動的に行動していくのです。

 

手探りの会社再生

まず貴子は『3年の改革』を打ち出し、実際に様々な手を打って行きます。

この内容こそが本書のキモと言えるところでしょう。

製造の現場ではよく言われる「5S」の徹底から始まり、「悪口会議」と名付けた活動、一人ひとりの社員に寄り添う為のコミュニケーション等、試行錯誤を繰り返していきます。さらに設備の更新や生産管理システムの構築、ITの導入等々。

やがて念願であった社員旅行の夢も叶えます。

 

人材の確保

続いて問題となるのが昨今そこかしこで叫ばれている人材の確保。

個人的にはこの辺りの話が「さすがだな~」と思いました。

このままでは狙い通りの人材確保ができない。そこで、20~30代の若手社員を集めてプロジェクトチームをつくった。若者が「ダイヤ精機に応募してみよう」と思うためにはどんな工夫をすれば良いか、アイデアを出し合った。

ホームページの手直しやパンフレットの作成に当たっては、10~20代の若者の「親」を意識した。若者が「この会社に応募してみよう」と思った時、最後にその背中を押すのは親だ。親に「この会社なら入社しても大丈夫」と安心してもらい、後押ししてもらうための仕掛けを考えた。

ほとんどの中小企業の場合、経営者や現場が思い描く「こういう人が欲しい」という人材像をそのまま求人情報としてハローワークなり求人情報誌なりに掲載し、マッチにする人材が現れるのを待つ、というのが古くから続く人材確保の考え方だったりするわけです。

どころが諏訪社長の場合、経営者や現場が思い描く「こういう人が欲しい」という人材像に向けて会社側を変えようとしたんですね。

一見同じようですが、全く正反対の考え方であり行動です。

完全に蛇足になってしまいますが、マーケティング的な考え方においても、企業側が開発した製品を消費者に売り出す「プロダクトアウト」という考え方と、市場で求められている製品を開発して売り出そうという「マーケットイン」という考え方があります。

旧来の企業の求人方法が前者であるとすれば、諏訪社長のやり方は後者であると言えるでしょう。

今時、「こういう人が欲しい」と言ったって簡単には集まるはずありませんからね。

人材不足が叫ばれて久しいですが、よく原因として上げられるのは“少子化”ばかり。

それに加えて忘れてならないのは“情報化”の問題です。

以前に比べて求職者の目に触れる求人情報の数は飛躍的に増えています。それこそインターネットを使えば日本全国の様々な求人情報が見つかりますし、求人元がどんな会社なのかも簡単に検索する事ができます。

求人誌や求人チラシの少ない情報を元に応募していた時代は終わったんです。

商品を買う時に商品のスペックや口コミ、製造先・販売元を調べるのと同じように、求職者も求人の条件や内容、求人先の口コミ等を調べるのは当たり前ですよね。

調べた際にホームページが存在しなかったり、さっぱり会社の実像が見えて来なかったら、見放されてしまっても仕方ありません。

しかし、自分が探そうとしていた情報がちゃんとホームページに載っていたら、きっと会社に対する信用度は上がるはずです。加えて魅力的と思える内容であれば、応募してみようという気持ちは強くなるのではないでしょうか?

こんな点からも、諏訪社長が非常に時代を見極めながら事業を進めている事がわかります。

 

そして“町工場の星”へ

ダイヤ精機は2010年に「大田区『優工場』に選ばれます。

続いて「勇気ある経営大賞」で優秀賞、東京都中小企業ものづくり人材育成大賞で奨励賞を受賞します。

なかなか大きな賞は獲得できなかったダイヤ精機ですが、その活動は着実に人々の間に広がり、2013年には雑誌日経ウーマンが選ぶ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」に諏訪貴子社長が輝きます。

これがきっかけとなり、諏訪貴子の名は“町工場の星”として一躍有名になったのでした。

本書にはその考え方が行動がぎっしりと詰まっています。

読書ノートも久々にびっちりなのですが、最後に諏訪貴子社長の考えが一番現れていると思えた一文を抜粋したいと思います。

中小企業の社長は「何でも屋」だ。営業もやる。経理もやる。情報収集もする。広告塔にもなる。10年間、社長業を続けてきて、社長は「考える人」であると同時に、「動く人」であるべきだと考えている。

「考える人」でもあり、「動く人」でもある「何でも屋」。

これこそが会社を再建させた社長の姿なのでしょうね。

https://www.instagram.com/p/BmrpCw_H-vx/

#町工場の娘 #諏訪貴子 読了2013年に #ウーマンオブザイヤー に輝き、 #町工場の星 と呼ばれる #ダイヤ精機 2代目社長の物語昨年は#nhk10 でドラマ化もされたそうです父の急逝を受けて会社を引き継いだ女社長の会社再建の全てが濃厚に詰まった一冊です。非常に為になる話ばかりでした。詳細はブログにて。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ #読書好きな人と繋がりたい#本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認下さい。

『風神の門』司馬遼太郎

京から八瀬までは、三里ある。高野川をさかのぼって、洛北氷室ノ里をすぎると、にわかに右手の叡山の斜面がせまり、前に金毘羅山がそびえて、すでに山里の感がふかい。

冒頭の一文です。
いかにも司馬遼太郎といった雰囲気で懐かしさすら覚えてしまいます。
一時期はアホみたいに読み漁っていた時期もあったんですけどねー。
調べてみたら2014年に読んだ『城塞』以来ご無沙汰だったみたいです。
そこからだいぶ空いて昨年末に笹沢左保の『真田十勇士』全5巻を読んで以来、時代小説自体から離れていたんですね。

https://www.instagram.com/p/BdNP4cDnmJg/

考えてみると『城塞』真田十勇士『風神の門』豊臣家の最期を描いているという点では一緒です。
そもそも『風神の門』を買った理由も『真田十勇士』を読んだ後で、「他に真田十勇士について書かれた小説ってないのかな?」と思ったのがきっかけなんですが。

購入してから実際に読むまでだいぶ長々と積読化してしまっていたようです。
それでは、改めて本書について触れていきましょう。

伊賀忍者霧隠才蔵

本書『風神の門』の主人公は伊賀忍者霧隠才蔵
同じく真田十勇士の一人であり甲賀忍者である猿飛佐助と並び、日本を代表する忍者の一人と言っても過言ではありません。
しかしながら真田十勇士ではリーダー格である猿飛佐助に比べると、些か見劣りするのも正直なところ。
真田十勇士を取り扱った物語や劇、ドラマ等は世の中にたくさんありますが、いつだって中心でスポットライトを浴びるのは猿飛佐助であり、そのライバルとして、光に対する影として存在するのが霧隠才蔵でした。
前出の笹沢左保版『真田十勇士』ではまさに佐助の影として人知れず暗躍した後、意外と呆気ない最後を遂げたり。。。
興味のある方は、笹沢左保版もぜひ読んでみていただきたいと思います。

 

そんな霧隠才蔵を主役に据えたというのは司馬遼太郎ならではの英断。
ある意味では司馬遼太郎が贈るダーク―ヒーローもの、と言えるかもしれません。

 

物語を彩る三人の女性

時代小説といえばお決まりかもしれませんが、本書にも重要な役目を担う女性が登場します。
まずは淀殿の侍女である隠岐
淀殿の侍女であり、大阪の家老大野修理治長の妹である彼女は、佐助達と行動を共にし、大坂の為に腕に覚えのある男たちを集めようと流浪の旅をしています。
ひょんなことから隠岐を知った才蔵は、名前も顔も知らない彼女を探して菊亭大納言の屋敷に忍び込みます。
そこで出会うのが菊亭大納言の三女である青子
隠岐かと思ったら人違いだった」と大迷惑をこうむる青子ですが、持ち前の純真さと好奇心旺盛な性格から、才蔵を慕うようになってしまいます。
才蔵も青子に対して愛情らしきものを持ち始めた頃、青子は他ならぬ隠岐たちの手によってさらわれます。
青子を探す才蔵の前に立ちふさがる野党。
赤子の手をひねるように成敗した才蔵は、野党に捉えられていた女性を発見します。
この女性がお国
お国に対しては才蔵は並々ならぬ肉欲を発揮し、あっという間に我が物にしてしまいます。
その後もお国に対しては卑猥とも言えるような大胆な行動も要求します。

そんなわけで、本書は真田十勇士と並行して大坂夏の陣までの霧隠才蔵を描いているのですが、物語の節々でこの三人の女性たちが代わる代わる存在感を放ち続けるのです。

 

佐助と才蔵、伊賀と甲賀の対比

猿飛佐助と霧隠才蔵の二人がよく「光と影」として描かれるというのは上でも触れましたが、それでは本書において、司馬遼太郎は二人の対比をどのように描いたのでしょう?

一つ目は、「群れる甲賀と孤高の伊賀」という対比。
甲賀忍者は頭領である佐助を筆頭に、組織だって行動するのが特徴です。
全国各地に甲賀忍者は生息していて、ひとたび声を掛ければ様々な情報を交換しあったり、武力蜂起に転じたりもします。
一方で、才蔵のいる伊賀忍者は孤高です。
そもそも才蔵以外に伊賀忍者と思われる人間はほとんど現れません。
あくまでたった一人、一匹狼として行動するのです。

さらに二つ目は「義で動く甲賀と金で動く伊賀」という対比。
猿飛佐助を中心する甲賀忍者は、忍びというよりは武士に近いように書かれています。
主君に忠誠を誓い、義の為に行動します。組織があり、上下が存在します。
しかし才蔵は違います。
誰かに仕える、という考えを持ちません。
あくまで個として、己の思うがままに生きようとするのです。
彼らを動かすのは金だけなのです。
とはいえ、才蔵は真田幸村に“男惚れ”して佐助たちと行動をともにするようになりました。

本来は忍びとして才蔵の姿の方がスタンダードと言えそうですが、一方の雄である佐助を武士の延長・常識人として描くことによって、才蔵の偏屈さ・忍者らしさを際立たせたと言えそうです。

 

また一時は真田幸村を通して大坂方に身を置いたはずの才蔵は、戦後にこんな感想を漏らしています。

 

徳川が勝ち、豊臣がほろびるのも天名であろう。この城にきて、そのことがよくわかった。腐れきった豊臣家が、もし戦いに勝って天下の主になれば、どのように愚かしい政道が行われぬともかぎらぬ。亡びるものは、亡ぶべくしてほろびる。そのことがわかっただけでも、存分に面白かった。

 

大坂冬の陣、夏の陣というと真田幸村後藤又兵衛といった豪傑と比して、淀君大野修理を頂点とする豊臣方の無能な采配が取り上げられがちですが、司馬遼太郎は最後まで第三者としての立場を貫いた才蔵の目を通して、大坂方の腐敗を語らせたかったのかもしれませんね。

 

司馬作品=バッドエンド?

名作の多い司馬作品ですが、読んでいて一つだけ気がかりな点があります。
それは……

そのほとんどがバッドエンドである

という点。
実在した歴史上の人物を題材としている作品が多いので、仕方ない面もあります。
新選組しかり坂本龍馬しかり、読んでいるうちに感情移入してしまって、なんとか生き延びて欲しいと願う事も少なくないのですが……残念ながら彼らの最期は最初から決まっていたりするのです。
歴史そのものが盛者必衰。
本人は天命を全うしても、すぐさま子孫の代で滅亡してしまったり。
なかなかハッピーエンドとはならないのが難しいところです。
ところが本書の良い点というのは司馬作品にしては明確にフィクションであるという点。
そりゃあそうですよね。
霧隠才蔵なんて忍者はフィクションでしか描けませんから。
なので、詳しくは書きませんが他の司馬作品に比べるとなんとも清々しいエンディングとなっています。
たまにはこういう爽やかな司馬作品も良いですね。

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#風神の門 #司馬遼太郎 読了しばらくぶりの司馬作品であり時代小説。調べでみたら司馬遼太郎は2014年以来らしい前はアホみたいに読み漁ってたんだけどな風神の門は #真田十勇士 の一人 #霧隠才蔵 を主人公にした作品で、関ヶ原以後〜大阪冬の陣、夏の陣までを描いています。他とは違う #猿飛佐助 との比較や次々と登場する魅力的に女性キャラ等、司馬作品にしては珍しく読後感も清々しいフィクションでした。久々の #時代小説 、いや〜堪能しました。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい ..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認下さい。

『太陽のパスタ、豆のスープ』宮下奈都

自然にしていればいい。ちゃんと黄色を選べたんだから。そのうち頭がゆるんで、身体も心もゆるんでくるよ。それまでは、ひとつずつゆっくり作業するといいかもしれないね。慌てることないよ、あすわはあすわだから。

 第13回本屋大賞を受賞した羊と鋼の森でがっちり僕の心を掴んでしまった宮下奈都さんの『太陽のパスタ、豆のスープ』です。

ちなみに『羊と鋼の森』は公開されてすぐに劇場版も観てきました。

原作レイプ”と詰られる映像化作品も多い中、羊と鋼の森』は原作の空気感を忠実に再現した素晴らしい映画でした。

詳しくはこちらのブログをどうぞ。

linus.hatenablog.jp

 

この出会いから「宮下奈都ってすごい!」「他にはどんな作品書いてるの?」と僕の宮下奈都探訪が始まりました。

と言っても読んだのはまだ下記の『たったそれだけ』1冊だけですが。

linus.hatenablog.jp

『たったそれだけ』は一人の男性の失踪が、彼に関わる6人の人間たちにどのような影響を与えたかを描いた6話の連作短編集。

羊と鋼の森』の衝撃に比べてしまうと物足りなさは否めませんが、するすると頭に入ってくる文章は秀逸でした。

 

そうして遂に手にした3冊目が本書『太陽のパスタ、豆のスープ』

デビュー作であるスコーレNo.4』と並び、宮下奈都の初期の代表作の一つに挙げる声も多いようです。

それでは、内容をご紹介しましょう。

 

ドリフターズ・リスト

本書は主人公である明日羽が婚約者から破断を申し渡されるところから始まります。

結婚式の日取りも決まり、周囲への連絡もあらかた済んだ段階での婚約解消。

きっと彼にはどうしても引っ掛かってしまう何かがあったのでしょう。

憔悴する明日羽の元へやってくるのが叔母のロッカさん。

明日羽とは一回りぐらい年が離れるるものの独身生活を謳歌しているロッカさんは、明日羽に「やりたい事を書き出す」ように促す。

それこそが“ドリフターズ・リスト”。

本来の意味で言うとドリフターズ(=漂流者)なので、漂流者の指針となるようなリストの事らしいのですが。

ひょんな事から明日羽はドリフターズ・リストを書き出し、一つ一つ実現していこうと思うようになります。

まずは引っ越しから始まり、髪を切り、エステに行き……。

子どもの頃からの友人で性同一性障害を抱える京(男の女の子)やロッカさん、さらに会社の同僚である郁ちゃんといった人々に囲まれ、家族に支えられながら生活していくうちに、明日羽のドリフターズ・リストはどんどん修正され、書き足されていきます。

最終的には……

  • きれいになる
  • 毎日鍋を使う
  • やりたいことをやる
  • ぱーっと旅行をする
  • 新しく始める

見ただけじゃさっぱり意味がわからんけど(笑)

 

そうしてようやくリストが手放せないモノへとなりつつあった頃に、二度目に出かけたエステで、オーナー兼エステティシャンの桜井さんから水を差されてしまいます。

 

リストなんてやめたほうがいい。リストって反面教師なのよ。たとえば、克己って書く人は、自分を克服していない人。今日やれることを明日に延ばすなって書く人はいつも明日に延ばしちゃう人でしょう。自分の気になっていること、自分にはできないことを上げるのね。つまり、不可能リストなの。そのリストに書かれているのはすべてあなたの弱点だってこと。ほんとうに大事なこと。どうしても守りたいものは口に出したり紙に書いたりしないほうが賢明なんじゃないかしら。

 

 不可能リスト!!!

 

強烈な言葉です。

その時の明日羽の心境を表す様子がこちら。

不可能リスト。――静かな雨が、窓の外の景色をねずみ色に変えていた。

 

これこそ宮下奈都らしい表現ですよね。

心に影が差すような心境を上手に表現されています。

 

こういうのを探すのが、大好きなんだ。

 

そうして迷った末、リストから距離を置く事を決めた明日羽に、ロッカさんはあっさりと、

「あほらし」

「なんで」

「買い被りすぎ」

「何をよ」

「リストをよ。リストにしがみついてるのやめたほうがいいって」

「ええっ」

なんて言い放ったりします。

ロッカさん、良い性格です(笑)

でもこうしてリストから解放される頃には、明日羽の生活にも少しずつ変化が訪れていたりして。

その辺りの詳細については実際にご自身の目でご確認下さい。

 

魅力的なキャラクター

改めて思い起こしてみると、『羊と鋼の森』も魅力的なキャラクターが多かったですよね。

板鳥さんをはじめ、柳さんや秋野さんといった個性溢れる調律師の皆さん。

柳さんの彼女の濱野さん。

和音と由仁の双子。

文章の綺麗さに意識が向かってしまいがちですが、登場人物たちの魅力も『羊と鋼の森』の人気の一つなのでしょう。

 

本書にも負けず劣らず、魅力的なキャラクターが多数登場します。

叔母のロッカさんは最初から最後まで明日羽の一番の友人(?)としてとびきり強い個性を発揮していますし、幼馴染みで性同一性障害の美容師・京も明日羽の親友としてここぞという場面に登場してくれます。終盤にかけて明日羽の視野を広げてくれる会社の同僚・郁ちゃんも本当に女性らしく、実際に存在していたら男女問わず多くの人に親しまれそうなキャラクターです。明日羽の両親や、万年フリーターかと思いきやしっかりと夢を抱えている兄の存在も忘れてはなりません。明日羽を奈落の底へと突き落とした張本人である元婚約者の譲さんだって、なかなかどうして見どころのある青年です。

 

そういう意味じゃ、婚約破棄の痛手から立ち直る物語にしちゃあ、ちょっと周囲に恵まれ過ぎなんじゃないの? という気がしないでもありませんが。

 

本書を読む際には、宮下奈都のキャラクターメーカーとしての手腕もぜひ堪能していただきたいと思います。

 

『世界地図の下書き』朝井リョウ

いじめられたら逃げればいい。笑われたら、笑わない人を探しに行けばいい。うまくいかないって思ったら、その相手がほんとうの家族だったとしても、離れればいい。そのとき誰かに、逃げたって笑われてもいいの。

僕の中での鉄板、朝井リョウです。
本書『世界地図の下書き』は少し前から積ん読化していたのですが、読書も進まず、ブログも書けずというここしばらくの停滞感を抜け出した今、ようやく手にするに至りました。

ここしばらくなかったぐらい本が読みたい。

その想いに間違いなく答えてくれるであろう作者が、僕の中では朝井リョウなのです。

朝井リョウとの出会い

デビュー作桐島、部活やめるってよはタイトルにもなっている桐島自身は登場せず、登場人物たちの口から伝聞的に語られるのみという試みが秀逸でした。
それよりも鮮烈だったのは、思春期の高校時代におけるスクールカーストや陰と陽の描き方。こんなにもあの時代の空気感を表現できる朝井リョウってすごい、と素直に思いました。

反面、文章の初々しさは隠しようようもなく……面白い作家が出てきたなあ、ぐらいの感覚でした。

そんな朝井リョウの評価が一変したのは直木賞を受賞した『何者』
誰もが胸の奥に隠し持っているドロリとした感情を生々しく描き出してしまったその手腕に、頭を殴られたような衝撃を受けました。
まさかあの『桐島』の作者がこんなにも成長を遂げているだなんて。

そこからは『もう一度生まれる』『チア男子!』『武道館』と読んできましたがどれも期待を裏切らない面白さでした。
linus.hatenablog.jp

そうして僕の中で朝井リョウはすっかり鉄板として位置付けられるようになったのです。

朝井リョウ初の児童文学

本書『世界地図の下書き』直木賞を受賞した『何者』の後に出版された本です。
しかも第29回坪田譲治文学賞受賞作品
坪田譲治文学賞岡山県が制定した文学賞で、「大人も子どもも共有できる優れた作品」をテーマとしていますが実態としては児童文学に近い傾向があります。
重松清が『ナイフ』で受賞している他、角田光代や梛月美智子、瀬尾まいこ中脇初枝といったそうそうたるメンバーが受賞しています。
とはいえ、直木賞を獲ってから坪田譲治文学賞を狙ったのは朝井リョウが初めて。

上記のような経緯から、本書は児童文学を思わせるような雰囲気漂う作品となっています。

児童養護施設で暮らす五人の子供たち

物語は主人公の小学三年生の太輔が児童養護施設「青葉おひさまの家」で暮らし始めるところから始まります。
同い年の淳也とその妹で一年生の麻利、事ある度にママの話ばかりする二年生の美保子、一人だけ年上でみんなのまとめ役の中学三年生の佐緒里。
みんな元気な子どもかと思いきや、話が進むにつれてそれぞれに様々な事情や悩みを抱えている事が明らかになっていきます。
太輔もまた、ある日突然両親を事故で失った上、引き取ってくれた親戚の家に馴染めずに施設にやってきた子なのです。
表向きには健気に振る舞いつつ、裏に秘めた想いや出来事が少しずつ明るみになって行く様子は、朝井リョウの得意な手法ですね。
『チア男子!』で最後の最後に全員の素顔が暴かれていく様は圧巻でした。本書でも似たような手法が用いられていると言えますが……大きく違うのは本書は「逃げる」事をテーマに書かれている点。

小さな子どもたちが、自らの想像力で、今いる場所から逃げる、もとい、自分の生きる場所をもう一度探しに行く、という選択をする物語。そんな物語を書き、『逃げる場がある』という想像力を失いかけている誰かに届けたいと思いました

とは著者である朝井リョウ自身の言葉。
太輔たちは様々な出来事に見舞われていきますが、それはよくある児童向けの漫画のように乗り越えるべき壁、成長の糧としての存在ではなく、叶うことのない夢、避けるべき困難として彼らの前に立ち塞がるのです。

決して胸がすくような青春小説とはいえません。
むしろほろ苦く、現実と向き直させられる物語と言えるかもしれません。

願いとばし

本書の中における重要なイベントとして「願い飛ばし」が挙げられます。
火を灯した無数のランタンを空に飛ばすという一大イベント。
小学校三年生の大輔は佐緒里と一緒に見に行く約束をしたにも関わらず、残念ながら約束は反故されてしまいます。
その後は「願い飛ばし」自体が財政上の理由などにより休眠状態に。
どんなものかというと……
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これ!
見たことのある人も多いと思います!
塔の上のラプンツェル』に出てきたワンシーン!
とっても幻想的ですよね。
ちなみに日本でも同じようなお祭りを新潟県津南町で開催しています。
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その様子がこちら↓↓↓
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www.youtube.com
津南では冬に行っているのに対し、作中では夏休み中のイベントとして語られていますから季節感は異なりますが、津南の雪まつりにヒントを得ている事は疑う余地もありませんね。

やがて大輔たちはとある理由から「願い飛ばし」と復活させようと企てます。
先に「ほろ苦く、現実と向き直させられる物語」と書きましたが、色々な苦難や壁にぶつかりながらも、一生懸命に生きようとする大輔たちの姿に胸を打たれずにはいられません。

お気に入りの文章抜粋

僕は読書ノートをつけています。
その中で気に入ったり、心に残る場面があればそのまま書き取るようにしているのですが、朝井リョウは特に独特の比喩表現や、思わず「そうそう」と共感してしまうような些末な記憶の文章化に長けているので、残す文章が多くなってしまいます。
本書の中で気に入った部分をご紹介したいと思います。

七月の夕方、山の向こう側にある太陽が、むきだしの肌をちりちり痛めつける。地面に伸びるホウキの柄の影を見て、自分はいまこんなにも長いものをもているはずはない、と太輔は思った。

いきなり自分の名前が出て、太輔はひゅっと心臓が持ち上がった気がした。

一年生の麻利は、黄色い帽子の白いゴムを噛む癖があるらしい。汗が染み込んだゴムはとてもしょっぱい味がすることを、太輔は知っている。

約束ね、という佐緒里の声が、お母さんの声と混ざって、頭の中で溶けた。

九月一日、土曜日の午後四時過ぎ。レーザービームのかたまりのような太陽が、ちょうど目線の位置にある。

五人だけでここにいると、まるでここが、世界の中心のような気がしてくる。ここから、世界の何もかもがすべて、始まっていくような気がする。

小さな宇宙の中にいるみたいだ。グラウンドをぐるりと取り囲むようにして、カメラのレンズが並んでいる。そこらじゅうで、太陽をまるごと反射したレンズがぎらっと光る。まるで宇宙の中でふわふわと踊っているようだ。

誰かが踏み固めた雪は、まるで硝子のように硬い。

「てことは、お姉ちゃん、どこにもいかへんってこと?」
「ちゃう」
 ちゃうよ、と淳也がもう一度言った。
「どこにもいかへんのやなくて、どこにもいけへんてことや」

泉ちゃんは負けない。その声を聞いていると、心臓に、ゆっくりと、針を差し込まれていくような気持ちになる。

雲のないオレンジ色の宇宙が、どかんとそこにある。とてもとても、広い。

いかがでしょう?
朝井リョウの他の作品に比べると、少し児童文学を思わせる言い回しや表現が多いようにも感じます。
否応なく現実を突きつけられ、読んでいる最中はいたたまれなく、切なくなるような物語ですが、読後感としては決して絶望や失望というわけではないんです。
不思議と頑張って生きなくちゃと思わせられる作品ですので、ぜひ読んでみて下さい。

しつこいようですが朝井リョウ、鉄板ですよ。

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#朝井リョウ #世界地図の下書き 読了ここしばらく本も読めずブログも書けない日々が続いていましたがようやく一区切り。反動のようにやたらと本を読みたい衝動に駆られ、選んだのはやっぱり朝井リョウでした。本書は #何者 で #直木賞 を受賞した後の作品であり #坪田譲治文学賞 の受賞作品でもあります。朝井リョウにしては児童文学っぽい雰囲気でいっぱいの作品。今いる場所から逃げる、もとい、自分の生きる場所をもう一度探しに行く、という選択をする物語という本書は児童養護施設を舞台にしており、何らかの事情で親のいない生活を送る主人公たちには沢山の困難に襲われます。選択肢は立ち向かう、戦うというものばかりではなく、背を向ける、逃げるというものもある。でもそれは、本書の中には明確な言葉としては示されないけれど諦めとも同意だったりもする。なんとも切なくていたたまれない、でも読み終わってみると一生懸命生きようと思わせられる不思議な本。深いです。手に汗握る楽しさとは無縁かもしれませんが、ぜひ一度読んでみて下さい。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい ..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認下さい。

『ヒトリシズカ』誉田哲也

なんとも静かな、深夜の住宅街。
その闇間に消えた、一人の少女――。
俺はそのとき、まだ本当の闇の深さというものを、知らずにいたのかもしれない。

誉田哲也です。
警察ものです。
僕のブログやInstagramを見てくれている方の中にはひょっとしたらお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、特に好き嫌いなく何でも本を読むと言っておきながら、実は僕が避けがちなジャンルというのが一つだけあります。
それが警察もの。
僕の読書好きを加速度的に決定づけたのは綾辻行人をはじめとする新本格推理ブーム”というやつで、本格推理小説といえば「密室」「名探偵」という固定概念に縛られていた当時、「本格推理小説のバイブル」的な紹介文が目に入り、たまたま手に取った本が松本清張の『点と線』でした。
読んでみてびっくり。
「密室」「名探偵」も存在しなければ、最初から犯人らしき人物は特定されていて、刑事が足を使って手掛かりを集めて回り、最終的に容疑者のアリバイを看破するという火曜サスペンス劇場そのもののような展開
『点と線』がどれだけ名作で、その後の文壇にどれだけ大きな影響を与えたかなんて知りもせず、考えもしなかった当時、それ以降はいわゆる“社会派推理小説”や“警察もの”は徹底して避け続けたのでした。
現在もなお、その時の名残りが残っていて、なんとなく警察ものの小説は避けてしまう体質になってしまっているのです。

しかしながら本作ヒトリシズカはのっけから交番勤務の巡査部長が主人公を務める“警察もの”だったりします。
にも関わらず本書を選んだのはひとえに誉田哲也だったから」と言えるでしょう。
数々の映像化作品も生み出す人気作家である誉田哲也ですが、作風としては警察を舞台にしたものが多いようです。
ただし、その中で異色とも呼べる作品があるんですね。
それこそが僕の大好きな『武士道シリーズ』!!!

武士道シックスティーン』『武士道セブンティーン』『武士道エイティーン』『武士道ジェネレーション』と続く剣道女子二人を主人公とした青春小説です。
これが僕は大好きで、『武士道シックスティーン』を読み始めたのをきっかけに、翌日にはさっさと『武士道セブンティーン』『武士道エイティーン』を追加で購入して一気読みしてしまったぐらい嵌まった作品でした。
『武士道ジェネレーション』に関してはどうも評判がよろしくないようなので、未読のままだったりするのですが。

 

ともかく『武士道シリーズ』で自分好みの作品を書く作家さんだとは認識していましたので、なんとなく違う本も読んでみようとチャレンジしてみた次第です。
さて、その『ヒトリシズカ』の感想はというと……

 

一人の少女を軸とした6話の連作短編

第一話の『闇一重』は巡査部長の木崎の視点で始まります。
近所で起こった殺人事件の現場に駆け付けると、そこにはすでに先輩の大村の姿が。
事件を追う中で、13歳の伊藤静加という少女の存在が判明します。

続けて第二話『蛍蜘蛛』に移ると、主人公は同じ警察の中でも生活安全課の山岸に代わります。
突如起こった殺人事件の捜査に応援として駆り出される山岸。
捜査を進める中で、被疑者の知人として山岸の行きつけのコンビニエンスストアでアルバイトをする少女が上がってくる。
少女は少し前に、ストーカー被害を訴えに山岸の元を訪ねていたのだ。
彼女の名前は「澤田梢」。
しかし、やがて「澤田梢」は実在しない人物である事が判明する。

……といった具合に物語は進んでいきます。

問題なのは構造があまりにも複雑な事。

一話目と二話目では登場人物はほとんど重なりませんし、発生する事件も別であれば、事件同士のつながりも不明。
そもそも時系列が同時なのか、前後しているのかすらわからないままなのです。

続く第三話『腐屍蝶』では、第一話に登場した静加の父から娘の捜索を依頼された探偵の青木が主人公となります。
青木は静加の遺体にたどり着くものの、どうやらそれは静加とは別人のようだと悟る。
一方、同時に請け負っていた浮気調査で南原という男を追っていたところ、相手に勘づかれて捕まってしまう。
命の危機に晒され、薄れ行く意識の中で青木が最後に見たのは、南原と行動を共にする静加であった。

さらに第四話『罪時雨』では静加の父である伊東が主人公。
いきつけの床屋の店主から、姪が同姓している男から暴力を受けていると相談される。
その姪の子どもこそが、静加だった。

……冷静に見直してみると、第四話は時系列として一番最初のエピソードである事がわかります。
『蛍蜘蛛』の前の話なんですね。

つまり本来は第4話→第1話→第2話→第3話→第5話→第6話という時系列なわけです。
ここでの逆転が、全体を通しての作品通しのつながりや物事の時系列をよりわかりにくくしているように感じます。

第5話では南原宅で銃撃戦が発生。南原を含む5人が死傷したが、その場にいたはずのアキという女性と南原の娘のミオが行方をくらましてしまう。
アキはきっと、伊藤静加であり澤田梢であり……彼女にはいったいどれだけの数の名前があるのでしょう?

そして最終の第6話へと及び、物語は完結に至るわけですが……。


実験的、としか言いようのない作品

……という他ないわけです。
そもそも一体何が書きたいのかが伝わってきません。
伊東静加という少女が幼少から家庭環境に問題を抱えた結果、歪んだ人格が形成されてしまい、人を殺めたり貶めたりする事に一切の躊躇すら覚えない人間が出来上がってしまう。
中学時代に犯した殺人をきっかけに、名を変え、居を変えて点々としながらも他者を傷つけ続ける。
最終話では人道に外れたはずの伊藤静加に、唯一人間の情のようなものが垣間見られたりするわけですが……作者が書きたかったのは悪鬼のような伊藤静加の生きざまなのか、それとも最後に描かれた人としての情なのか。
はたまた時系列や登場人物を入り乱れさせる事で、読者のミスリードを誘うパズル的な手法だったのか。
僕の理解力が乏しいせいかもわかりませんが、本書に関しては誉田哲也の遊び心や探求心が詰まった極めて実験的な作品を言えるのかと思います。

ここしばらく仕事で立て込み、以前書いていた転職活動でも立て込んでしまいまして、すっかり読書どころではなくなってしまっていたのも作品に入り込めなかった一因だったりもします。
本を読むのは昼休みのほんの20~30分程度、という断片的な読書が続いていましたから。
一気通貫で読んでしまえばもう少し頭の中で整理しながら読めたのかもしれませんけど。

それにしても『武士道シリーズ』とはだいぶ趣の違う作品でした。
できれば『武士道シリーズ』的な青春ものも書いて欲しいところなんですけどねー。
次に誉田作品を読むとすれば、『疾風ガール』にでもチャレンジしてみたいと思います。

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#ヒトリシズカ #誉田哲也 読了一人の少女を中心とした全6話の #連作短篇集 とはいえ一話ごとに主人公も違えば事件の相関性もほとんどなく、時系列もバラバラとあって頭の中を整理するのが大変でした。特にここのところずっと一日せいぜい20〜30分しかとれないような断片的な読書が続いていましたので、余計に作中に入り込めず。刑事もの、警察もので有名な誉田哲也ですが、やはり僕的には #武士道シリーズ のような青春ものの方が合うようです。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ#読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい ..※ブログも更新しました。プロフィールのリンクよりご確認下さい。