おすすめ読書・書評・感想・ブックレビューブログ

年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『無銭優雅』山田詠美

「でも、いつか死んじゃうかもって思うと、うっとりする。おまえのこと、すごく大事にしたくなる」

「人を勝手に殺さないでよね」

「うん。ひとりでなんか死なせないよ。どうせ死ぬなら、一緒に死のう」

「ええっ!?」

「……というような気持で、一緒に楽しもう」

引き続き“大人の恋愛小説”の二作目として山田詠美の『無銭優雅』を読みました。

山田詠美作品もこれが初体験となりますが、そこも含めて楽しむべく、チョイスしました。

 

大人の恋愛(?)

登場するのは花屋に勤める斎藤慈雨と予備校講師北村栄。

42歳女と45歳男。

この二人が出会い、初めて関係を結んだところから物語は始まります。

 

始まるというよりは、そこからはただ延々と二人の生活の様子が描かれるだけなんですが。

 

ほぼエッセイに近いような軽い文体で、日々がつづられていきます。

ただとにかくこの二人……一般的に言うといわゆる“イタイ”人たち。

言葉を変えると“バカップル”だったりします。

 

お互いの出会いを“運命”と呼び、あけすけに互いを湛え、賞賛しまくる様子は赤面もの……というか、正直おぞましいものがあります。

世に多くある恋愛小説のように、美男美女の組み合わせではなさそうなのも見苦しさを倍増させます。

 

例えば慈雨の目から見ると「かわいい」という栄ですが、

「おれ……おれ、出まかせは、いっぱい言ったかもしれないけど、嘘ついてないもん。慈雨ちゃんに対する気持ちに、これっぽっちも嘘ないもん。ほんとだから!!」

もん!

40過ぎた男が語尾に「もん!」とか。。。

 

しかもこの場面、決して二人っきりではありません。

他者の目もある店内での一幕なのです。

 

……ちょっとこれは……人によるのかもしれませんけどどんびきせざるを得ません。

 

とはいえこれこそが等身大の恋愛だったりするんでしょうね。

40過ぎて色恋にうつつをぬかす男女がいちゃいちゃと。

思わず目を背けたくなるけど、現実には有り余るほどに溢れている場面なのでしょう。

 

 

既存の恋愛小説へのアンチテーゼ

そもそも本書は当時ブームを迎えていた恋愛小説へのアンチテーゼとして書かれた側面もありようですね。

なにせ序盤から栄の口を借りて、

「だって、感動的な恋愛小説って、だいたいどっちか死ぬだろ?」

という言葉が飛び出すぐらいです。

 

また、途中途中に挿入される引用文も、『風立ちぬ』を始め“死”が作品の根幹を占める感動的な恋愛小説ばかり。

 

山田詠美としては、「そんな夢みたいにキラキラしたお涙頂戴の恋愛小説ばっかり書いてんじゃねーよ。あたしが現実の男女の恋愛ってもんを描いてやるよ」と気を吐いた作品だったのかもしれませんね。

 

他の記事中でさんざん触れましたが、僕も死を描くことで愛がより際立ち、喪失感で涙を誘うというお決まりのパターン化された作品にはだいぶ食傷気味でしたので、作者のやろうとした事についてはとっても賛同します。

 

そうは言っても、アンチテーゼの結果が本作だと言われるとちょっと首をかしげてしまいます。

現実を写し出した文学作品として考えれば、アリなのかもしれませんが。

 

歴史小説を読もう

実は本書を読んでいる最中に、Kindleで遂に吉川英治の『私本太平記』を読み始めてしまいました。

たまたま時間が空いたものの、周囲にはスマホしかなく……という状況が発生し、ついに踏み切ってしまったところです。

 

まだほんの数ページしか読んでいないのですが、非常に面白く感じてしまいまして。

 

室町時代に入ろうという激動の戦乱の世の中に生きる武士たちの物語に対し、本書は40過ぎの男女が(略)……というのですっかり頭の中は『私本太平記』に移ってしまい、早く読み終えたい一心でとにかくページをめくり、文字に目を走らせたような読書になってしまいました。

 

かくなる上は、腹を決めて『私本太平記』に取り掛かろうと思います。

 

しばらくの間更新は途絶えてしまうかと思いますので、ご了承ください。

 

https://www.instagram.com/p/BuNTpAcF0K5/

#無銭優雅 #山田詠美 読了 「だって、感動的な恋愛小説って、だいたいどっちか死ぬだろ?」 と登場人物の口から言わせる通り、既存の恋愛小説へのアンチテーゼとして生まれた本作。でも主人公である42歳女とかわいげのあるという45歳男の恋愛模様というのに共感できませんでした。ある意味リアルなのかもしれないけど、正直に言えば目を背けたくなるぐらい醜悪。一言で言うとキモい。でもこういう男女も実際には世の中に溢れているはずで……。でも僕にはどうしようもなく気持ち悪く感じられて……。 これもまた文学の一つと言えるのかもしれませんね。とりあえずこれを区切りとして、しばらくの間、長い長い歴史小説の中に沈み込みたいと思います。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『恋愛中毒』山本文緒

だが、奇跡だと思っていたのは私の方だけで、夫にしてみればただ平凡な恋愛がひとつはじまって、やがて倦怠期を迎え、そして心が離れただけのことだったのかもしれない。どこにでもある、誰にでもある恋愛と同じように。特別だと思っていたのは自分だけで、救われていたのは私の方だけだったのかもしれない。

第20回吉川英治文学新人賞受賞作『恋愛中毒』を読みました。

山本文緒さんは昨年春話題になったドラマ『あなたには帰る家がある』の原作者であり、『プラナリア』で第124回直木賞を受賞した実力派作家さん。

www.tbs.co.jp

僕にとっては読むのが初めての作家さんになります。

 

……歴史小説読むって言っておいて、またまた違うジャンルの作品ですが(笑)

 

先日夢を見ました。

から不定期に見るとある女性の夢です。

僕にもそれなりに色々と恋愛経験らしきものがあるのですが、その女性とは特に恋人のような関係に発展する事もなく、手さえ触れた事がありません。それどころか想いを告げた事すらないのですが、なぜかしらずっと胸の奥に残ったままになっています。

今となっては会う事もありませんが、年に1~2回、思い出したようにLINEでやり取りを交わしたりもする、細く長い関係です。

 

多分、恋愛ってプラトニックな関係のものの方が後腐れもなく、後々長く残っていくのかもしれませんね。一度でも付き合ったり、恋人らしき関係になってしまった相手とはどうしても疎遠になってしまいます。

 

……前置きはさておき、簡単にいうとその人の夢を見て、懐かしいとともにとても切ない想いをしたんですね。久しぶりにLINEしてみようかとも思ったんですが、そこまでの気力も起きず。。。むしろそうしてジリジリ相手の事を思い出してしまうからこそ、切なさが膨らんでしまったり。。。

そんなわけで、歴史小説はひとまずおいておいて、彼女との思い出を追体験できるような大人の切ない恋愛小説を読みたいと思ったわけなんです。

 

思い立ったら行動でネットで「大人の恋愛小説」「切ない」といったキーワードで検索すると、出るわ出るわ……その中で幾つか絞り込み、実際に書店の棚と比べて手に取ったのが本書でした。

 

別れた彼女に付きまとわれる青年

本書の最初の主人公である“僕”は編集プロダクションに転職して二ヵ月。

日々一生懸命仕事をこなしていますが、一つ心配事がある。

 

というのも、以前付き合っていた彼女とうまく別れられず、彼女につきまとわれているのです。

 

前の会社を辞めたのも、別れた彼女が会社に乗り込んで来たりと迷惑を掛けた事から、辞めざるを得ない状況に追い込まれてしまったから。

今日あたり、職場を突き止めた彼女から電話がかかってくるんじゃないか……と思うと電話にすら出られなくなってしまいます。

 

会議中、乗り込んできた彼女は事務員である水無月に連れ出され、なんとか事なきを得ます。しかしながら、その後社長に呼び出された飲食店には水無月も同席しており、事の顛末を聞いた流れで“事務職のおばちゃん”こと水無月の昔話を聞くことに……。

 

……といった流れで、実は最初に主人公を務める“僕”はあくまで前置きのようなものであり、そこから始まる水無月の思い出話こそが、本書『恋愛中毒』の本筋なのです。

 

 

 

芸能人との恋に堕ちるバツイチ女性

当時、水無月は翻訳書を手掛ける傍ら、弁当屋のアルバイトで生計を立てるバツイチ女性でした。

彼女の言動から、離婚のショックから立ち直れていない様子が感じられます。

そんな彼女の目の前に、客として現れたのが創路功二郎。テレビに出演するタレントであり、数々の書籍を発表する作家でもあります。

昔から創路のファンだったという水無月は、当初こそ無関心を装いますが、「おねえさん、可愛いね」という言葉につい心を揺さぶられてしまいます。二度目に訪れた創路には、「著作は全部持っている」と告白してしまい、創路も素直に感激してくれます。

 

迎えた休日、創路が近所に住んでいると知った水無月は、散歩がてら近くまで行ってみることに。

そこで偶然にも創路に見つかり、家に上がるよう促され、勧められるままビールを飲んだと思ったら、創路は業界人らしい強引な言動で水無月を昼食に誘い、食後は仕事にかこつけてホテルへと付き合わせ、あれよあれよという間に「やられて」しまいます。

 

「うちの事務所で働けばいいよ」という創路の軽口に乗っかって就職した水無月でしたが、事務員である陽子や、唯一の所属タレントである千花もまた、自分と同じ愛人である事を知ります。

過去には愛人の自殺未遂が報道された事もある創路には、その他にも恋人や愛人の類が沢山いるようです。

陽子は千花は「自分も他に恋人を作って、依存せずにうまくやっていけばいい」と達観しているかのように諭しますが、むしろ創路にどんどんのめり込んでいってしまう水無月

 

元々相手に依存し、世話を惜しまない水無月は創路に重宝され、水無月もまた、うまく立ち回りを見せて周囲のライバル達を蹴落とすようにこっそりと暗躍します。

 

ところが大方の予想通り、腰の軽い芸能人との蜜月関係が長く続くはずもなく、やがて終わりが近づくのですが、水無月にも実は他人には言えないような事情があったのです。

 

1998年刊行

実は本書の“キモ”って最後に明かされる水無月の秘密だったりします。

そこで大どんでん返し、とまでは言いませんが、それまでの水無月の言動が違って見えたりします。

ある意味、『イニシエーション・ラブ』的とでも言いましょうか。

 

もちろんそこまで大胆なトリックではないですけどね。

ミステリでもなければ、ミステリ風味だなんて記述もありませんし。

 

加えてその水無月の秘密というのが、当時はとってもセンセーショナルだったのだと思います。

今でこそ日常茶飯事のように似たような事例を聞きますし、題材とした作品も多いので特に目新しさは感じませんが、時代背景を考えると刊行当時においてはかなり衝撃的だったんじゃないかな、と。

 

本書は恋愛小説と言いつつ、恋愛の強さや怖さ、多様さについて描かれた当時においてはやはり最先端の恋愛小説だったんだと思います。

なんとなく愛し合って、どっちか死んで……みたいなワンパターンとは一線を画した物語であるのは間違いありません。

 

ただ、僕が読みたい本の種類だったかというと、残念ながらちょっと違ったかな。。。

「大人=官能的」というんじゃなくて、「大人だからこそプラトニック」みたいな分別をわきまえた大人同士の静かな恋愛の物語を読んでみたいですね。

お互いの立場や環境を尊重して、決して想いを言葉や態度には表さないのだけど、でもやっぱり実際にはお互いに惹かれ合っていて……みたいな。

 

どこかにそんな本、ないかなぁ。

 

https://www.instagram.com/p/BuKf4CDle4-/

#恋愛中毒 #山本文緒 読了#第20回吉川英治文学新人賞 受賞作品好色家の芸能人との恋に落ちるバツイチ女性の物語。元々世話焼きな性格という主人公は芸能人に重用される一方で裏ではライバルたちを蹴落とすために権謀を駆使する。ところが蜜月関係は長く続くはずもなく、やがて終わりが近づくにつれ、彼女の本性と過去が明らかになる。最近では巷でもよく聞くし、題材としても事欠かない要素ではあるのだけど、本書が発行された当時はきっとセンセーショナルに迎えられた事でしょう。恋愛の怖さや強さ、多様さについて迫った当時としては最先端の恋愛小説だったのだと思います。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『脱・家族経営の心得―名古屋名物「みそかつ矢場とん」素人女将に学ぶ』藤沢久美

経営者を決めるとき

大切なのは、その人の能力よりも、経営者になる覚悟の有無です。

歴史小説を……と言いつつ、今度もまた180度違った本を読みました。

その名も『脱・家族経営の心得―名古屋名物「みそか矢場とん」素人女将に学ぶ』。

書名そのものですね。

名古屋名物みそかつを世に生み出し、全国に広めたという「みそか矢場とん」の女将が書かれた本です。

 

このブログをそこまで熱心に読まれている方もいないと思いますので補足しておくと、実は昨年来「事業継承」「中小企業再建」といったテーマに携わる事が多く、それに関わるようなめぼしい本も探して読んできました。

といっても実務的なビジネス書ではなく、自己啓発書にも近いような軽いものばかりですが。

ところがどっこい、やはり本の題材として書かれる企業というのは中小企業の中でも“中”に近い、むしろ地元では優良企業・大企業と呼ばれていそうなそれなりのしkっかりした企業ばかり。

僕が確認したいのはもっともっと小さい会社なんですよね。

家族経営で、零細企業で、自転車操業・どんぶり勘定が染みついてしまっているような会社。

 

そんな中で見つけたのが本書。

矢場とん」さんといえばやはりそれなりに大きな会社に思えますが、「脱・家族経営」というフレーズがいかにも僕の探しているテーマそのものじゃないですか。

余計に家族経営から始まった飲食店が店舗数を増やし、会社として大きくなっていく過程というものには非常に興味があります。

こういう観点で書かれた本って、本当に少ないんですよねぇ……。

 

家族経営最大の問題

果たして、女将は僕が望んでいた通りの問題に直面していました。

目の前に与えられるお金の誘惑に負けない体制を作らなくてはいけない。「矢場とん」は、店のお金も家のお金も同じという、昔ながらの個人商店を続けていてはダメになってしまう。

矢場とん」を会社にしなくてはいけない。

当時の「矢場とん」の従業員たちは、遅刻はあたりまえ。朝、呼びにいかないと来ない社員もいますし、無断欠勤も日常茶飯事。接客もぶっきらぼうで、とりあえず店に毎日来てくれて、時間まで働いてくれたらありがたい。そんな状況に、女将さんの危機感は募るばかりでした。

古くからある自営業者の間では、経営者が満額の給料を手にできないということは、日常茶飯事です。お店のお金と家族のお金が混在してしまい、いざ帳簿をつけようと思うと、帳尻が合いません。帳尻だけを合わせて、残ったお金が、女将さんのお給料になってしまいます。

あ~……あるあるです。

これこそが家族経営の零細企業にありがちな悩み。

 

  1. 会社と個人の財布が一緒
  2. 従業員がなあなあになっている

 

何よりも「1.会社と個人の財布が一緒」が全ての元凶なんですけどね。

 

ここからは本書からは脱線した個人的な考えになりますが、つまり、大元となっている要因を一言で言うと公私混同に尽きます。

 

混同しているのはお財布だけではなく、車や住居といった物、さらには時間までというのがありがちなパターン。

従業員にはしっかりとした勤務時間が定められているのに、社長や社長夫人は勤務時間中でも自宅の買い物に出かけたり、時には子どもの送り迎えまで憚ることなく行ってしまったり。

取締役であり経営者である社長夫婦はまだしも、そこに子や孫、親戚といった親類が入って来たりすると、公私混同に拍車がかかります。

「お母さんがやってるのに、私はダメなの?」

となり、一従業員であるはずの親類もまた、公私混同を始めてしまう。

 

そうなってくるとやっていられないのが一般の従業員。

「社長家族は好き勝手やってるのに、俺たちだけ時間いっぱいきっちり働けっていうのはおかしい」

当然ながらそう思ってしまいます。

 

社長側にも「自分たちは公私混同している」という引け目がありますから、従業員がへそを曲げて、勤務時間や態度がルーズになっても叱責できなくなってしまいます。

「だったらあんたの息子(甥っ子)はなんなんだよ」

と言い返されてしまうのがせいぜいです。

さらに「車も家も携帯も全部会社の金だろ。そんな金あるならボーナスちゃんと払え」なんて藪蛇になりかねません。

 

そうして全体的にルーズに、ルーズに……と堕落していってしまうのです。

 

経営者に求められる“品格”

本書に戻ります。

実は本書の中にも、「じゃあ具体的に何をしたのか」という点にはあまり触れられていません。

サラリーマンにとってはあり得ない「経費で落とす」という週刊ですが、商売をしていると、車も携帯電話も、経費で落とすのがあたりまえ。商売をしている人では、自宅も会社の経費で建て、社宅扱いにしているという人は少なくありません。

けれども、「矢場とん」の場合は、違います。自宅も全部、プライベートのお財布から捻出して建てました。

上記のような調子で、「おかしい」→「改善しました」と簡単に述べられるのみです。

 

実は、公私ごっちゃになった財布を分けるというのは、非常に難しいところなんですけどね。

 

跡継ぎが生計を共にする実子であれば良いのですが、生計を別にする他者(別居する親族も含む)の場合、事業相続の上で大きな問題点となってしまいます。

というのも、「会社と個人のお財布が一緒で車や家も会社の経費」という言葉には、車であればその燃料(ガソリン)が、家であれば水道光熱費から町内会費、果ては新聞まで一緒くたに同じ財布から出しているケースも多いのです。

(流石に食費は別のようですが)

 

そんな会社の経営を、仮に親戚の甥に継がせようというと、必ず問題が起こってしまうのは目に見えてますよね。

「祖父母が創業した会社とはいえ、事業承継した後も払いつづけなくちゃいけないの?

 会社で働いてもいない叔母や従兄弟のガソリン代や車の面倒まで見るの?」

ものすごく馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、こういった例が世の中にはごまんと溢れているのですから困ったものです。

 

単純に個人と会社を分けると言っても、今まで会社で払ってくれていたものを個人で負担するよう求められたら、拒絶反応が出るのは当然です。

退任して経営を手放す祖父母もまた、当然ながら収入減となるわけですから、よっぽどの貯蓄がない限り「じゃあこれからは全部自分たちで払うよ」とは言えません。収入源に加えて経費が増えるのではダブルパンチになってしまいます。

 

その辺りの細かい解決方法が本書の中に示されなかったのが残念ですが、「矢場とん」においては直系の息子さんが跡継ぎとなられた事から、比較的スムーズに移行できたのではないでしょうか。

 

結局のところ、公私混同からくる会社全体のルーズさを改善するためには、経営者自身の“品格”に依るとしか言いようがありません。

矢場とん」の女将さんのように「会社と個人を分ける」と決意をした上で、まずは経営者自身から公私を分離すべく身を正していくしかないのでしょう。

これまで会社で負担していた分が個人にのしかかったとしても、それぞれがしっかりと自立していけるよう役員報酬や給与の見直し等を始め雇用体制を修正しながら財布の分離を計っていかなければ、せっかくの事業承継も親族間に禍根を残す結果になってしまいますからね。

 

実際にそういった苦心のエピソードがたどれるような本があれば良いのですが。

もしあれば、ぜひどなたか教えて下さい。

 

今後もこういったテーマの本は読み続けていこうと思いますので。

 

https://www.instagram.com/p/BuFo7H6l5iY/

#脱家族経営の心得 #藤沢久美 読了あれ?歴史小説は?と言われそうですが、昨年から家族経営・零細企業の事業承継をテーマにしたような本を読んでいまして、ちょうど良い本が見つかったので早速読んでみました。著者は名古屋の #みそかつ で有名な #矢場とん の女将矢場とんに嫁いで以来、家族経営の異様さに危機感を持ち、取り組んできた軌跡が記されています。残念ながらあまり具体的な内容には触れられていませんでしたが、家族経営の零細企業に見られるありがちな問題点が確認されて勉強になりました。最近の世情からするとちょっとひくようなエピソードもいくつかあったけど(笑名古屋までは遠くてなかなか行く機会もないけれど、いつの日か訪れてみたいと思います。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『タルト・タタンの夢』近藤史恵

「入れたはずのフェーブが、なぜか忽然とお菓子の中から消失してしまったのだよ」

今回読んだのは『タルト・タタンの夢』

第10回大藪春彦賞を受賞した『サクリファイスで知られる近藤史恵さんの作品です。

サクリファイス』といえば自転車ロードレースを題材としたスポーツ小説であり、その代表作のイメージが付きまとって、著者に「スポーツ小説家」のイメージを持つ人も少なくないと思います。

 

ところが『タルト・タタンの夢』は一変してフランス料理店「パ・マル」を舞台とし、訪れた人々が抱える様々な問題や謎をシェフ三舟が解き明かしてしまうという推理小説

謎といっても殺人があるわけではなく、あくまで過去や現在の出来事を扱ったいわゆる日常の謎米澤穂信北村薫をはじめ、昨今では特にライトノベル界隈で多く取り扱われる形式だけに、馴染みも多いかと思われます。

 

美味しそうな料理の数々

本書は全部で7つの短編からなる短編集であり、それぞれのタイトルには『タルト・タタンの夢』をはじめ、『ロニョン・ド・ヴォーの決意』、『ぬけがらのカスレ』といった料理名または素材名がタイトルに含まれたものとなっています。

 

つまり全部で7つの料理……で済むはずもなく、挙げきれないほど沢山の料理が登場します。

そもそも冒頭からし

クレープシュゼットの青い火が、燃え上がった。

という一文から始まります。

ボッと音を立てて青白い炎が上がり、店内の視線が集まるのが目に浮かぶようです。

 

そこから大して間も置かずに、シュークルートに仔羊のグリエ、クスクスにブイヤベースといった料理名が登場。

描かれる料理の描写が詳細で鮮やか。

行間からシェフの腕前や料理の美味しさが伝わってくるようです。

 

一例として、カスレについて描かれた文章を引用してみます。

カスレは、〈パ・マル〉のスペシャリテといってもいいほどの人気料理である。

鴨と一緒に煮込むものもあるらしいが、シェフが作るのは、塩漬けの豚肉を使ったものだ。ハーブで育てられた良質の豚肉に、塩をたっぷり擦り込んで、冷蔵庫に数日間置く。そうすると、味が熟成して、旨みが強くなるらしい。

その塩漬けを茹でこぼして、塩と脂気を少し抜いた後、たっぷりのインゲン豆と、豆と同じくらいの大きさに切った野菜を一緒にとろとろになるまで煮込み、その後パン粉をたっぷりかけてオーブンで焼く。

豚肉の旨みをたっぷり吸って、とろけたインゲン豆と、香ばしくきつね色になった表面のパン粉のバランス。奇をてらった味ではないだけに、何度でも食べたくなるような料理である。

思わず唾を飲み込んでしまうような文章ですよね。

こんな調子なので、読んでいるうちについついお腹が空いてしまいます(笑)

 

もちろん細かいところを突っつけば、料理人が二人にソムリエ一人、ギャルソンが一人という構成の店で、一体どうやって休みを回すんだろうとか色々と気になる点はあるのですが、こと料理についてはとにかく美味しそうの一言につきます。

 

フランス料理に興味のある方、美味しいものに目が無い方は、ぜひ読むべきかと。

 

 

推理小説としては……

あまり多くは書きませんが、昨今の日常の謎系ライトミステリ」を思い浮かべていただければそれで十分かと思います。

  • 女優と婚約したばかりの男が体調不良に襲われたのはなぜか?
  • ガレット・デ・ロアの中に隠された陶人形はどこへ消えたのか?
  • ヨーロッパ旅行から帰国したばかりの妻が黙って家を出た理由とは?
  • チョコレート屋の詰め合わせが素数である秘密とは?

などなど。

特に謎自体にとんでもない魅力があるわけではなく、あくまで平凡なものばかりです。

ある意味こじつけ、ご都合主義的なところも多分にありますが、推理小説としての説得力としても物語としての面白さ、軽快さを優先していると考えれば十分かと。

 

ただ、ガレット・デ・ロワの下りは個人的にどうしても引っかかってしまうかな。

 

一応どんな料理なのか、レシピ動画を載せておきます。

www.youtube.com

 

要するにアーモンドクリームを包んで焼いたパイのようなお菓子です。

 

↓↓↓以下ネタバレ注意↓↓↓

(白字にしてますので読まれる方は選択してください)

 

これを傾けた状態で焼くと中に仕込まれたフェーブ(小さな陶器人形)ごとクリームが寄っていびつなパイが焼きあがる……って、ちょっと無理がありますよね。

クレームダマンドはそこまで流動的なトロトロの液状ではないはずだし、仮に多少寄ったとしても、中のフェーブが一緒に動く程にはなりえないんじゃないでしょうか。

 

仮に斜めに偏ったガレット・デ・ロワが焼きあがったとして、クリームの多いところを作った本人がせしめてしまうなんてちょっと想像しがたいですよね。

分厚くなっている方にフェーブが入っている可能性が高いのは誰が見たって一目瞭然です。

そもそもそこまで気を払わなければなかった相手である友人が目の前にいるわけですし。 わざわざ傾けて、不完全なガレット・デ・ロワを作るところまでは偶然の産物と白を切る事もできなくはないでしょうが、そこで自分が分厚いのをとってしまったら明らかな謀反行為と思われても仕方がないでしょう。

 

ちなみに僕の大好きな『大使閣下の料理人』という漫画にもこのガレット・デ・ロアが登場します。もしフェーブが入っていたら、相手と結婚を決意するという運命の一幕。

画像がないので恐縮ですが、『大使閣下の料理人』では人数分に等分するのではなく、明らかに一つだけ大きく切り分けます。女性は失笑しつつも大きなものを選び、当然のようにフェーブが登場し、見事プロポーズは成功。

大使閣下の料理人』においては非常にほほえましいシーンだったんですが、本作『タルト・タタンの夢』では自分もまた女性に想いを寄せるが為に、友人の作戦を阻止するという正反対の行動をとってしまいます。

僕はやっぱり、『大使閣下の料理人』のようなガレット・デ・ロアの使い方が好きかなぁ。

この『大使閣下の料理人』、料理漫画の中でも調理の過程や描写、料理に込める想いについて非常に良く描かれていますので、興味のある方はこちらもぜひ読んで下さいね。

 

https://www.instagram.com/p/BuDVcAVl0k-/

#タルトタタンの夢 #近藤史恵 読了歴史小説にハマった……もののひとまず口直し。フランス料理店に訪れる客が抱えた様々な謎や疑問をシェフが解き明かしてしまうといういわゆる #日常の謎 系の推理小説。とはいえ出てくる料理がどれも美味しそうで、シェフの料理の腕前も一級品。レストランもとても良さそうで実在していたとしたら絶対に行きたくなります。推理小説とはいえ謎解きメインというよりはあくまでスパイスとして謎解きが加えられている感覚なので、推理小説苦手という方にもオススメです。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『伊達政宗』山岡荘八

 人それぞれの持って生れる先天的な、運命的な、根性の中に、棟梁運というのがある。

これだけは後天的なものではないらしい。どこでどう培われてくるのか? 産れ落ちる時にはすでにこれを持つ者と、持たざる者との差がついてしまっている。

これを持つ者は、幼児のおりからいずれの群の中におかれても、その中心にのし上がる。

概して自我が強く、支配欲も、生命力も旺盛で、餓鬼大将的な陽性と、楽天性と説得力を持っている。

しばらくブログの更新が途絶えていたのには理由がありまして。。。

 

というもの、全八巻からなる山岡荘八伊達政宗を読んでいたのです。

 

作家でいえば主に司馬遼太郎、時代でいえば戦国~幕末を中心に歴史小説も色々と読んできたのですが、その中でぽっかりと空いていたのが『伊達正宗』。

その昔大河ドラマ独眼竜政宗』が一大ブームを巻き起こし、当時のバブル・団体旅行全盛時代も重なって仙台・松島のあたりに観光客が大挙して押し寄せたそうです。

それから何年後かわかりませんが、僕も幼少期に両親に連れられて青葉城跡らしき場所に行き、何が面白いんだかさっぱりわからない博物館的な展示物を見て歩いた記憶がうっすらと残っています。

 

逆に言うと、そこからずっと馴染みがないんですよね。伊達政宗

信長・秀吉・家康でいうと僕は秀吉絡みの作品を手にする機会が多かったせいか、作中にもほとんど出てきた覚えがない。

あー、一応触れておくと先日お亡くなりになられた堺屋太一さんの著書である『豊臣秀長(上・下)』はリーダーではなく名補佐役としての秀長に焦点をあてて太閤秀吉を描いた名著でした。歴史小説でありながら、ビジネス書とも自己啓発書とも思える非常に良い本。

でも家康主人公の物語ってあんまり有名なものは聞かない気がします。

それこそ山岡荘八の書いた『徳川家康(全26巻!!!)』が別格扱いで君臨するばかりで。

流石に26巻もの作品には迂闊に手は出せない……出したくないかなぁ。

 

……前置きが長くなりましたが、そんなわけで僕の頭の中にある戦国~江戸時代に欠けたピースを埋めるためにも、伊達政宗を読もうと決意したわけです。

 

 

名将から名君へ

全8冊もある超大作ともなると、ブログの書き様もなかなか困ったものです。

読んでみて再認識されたのは、伊達政宗という人物がいかに多くの逸話・エピソードを遺しているかという点。

 

もうとにかく色々あり過ぎるわけです。

それらをいちいち書いていくと、wikipediaを見た方が早くなってしまいます。

 

政略結婚の末に、実の息子である政宗に対して敵意をむき出しにする母・義姫と、弟・小次郎(竺丸)。

命を狙われた政宗は実の弟である小次郎を自らの手にかけてしまう。

血気はやる侵略の中では、父・輝宗が二本松城主・畠山義継の手によりさらわれ、その道中で死んでしまったり。

 

序盤の伊達家は不遇としか言いようのない不幸にばかり見舞われます。

 

 

信長・秀吉・家康に比べ30年遅く生まれてきた政宗は、遅れを取り戻すべくどんどん領土を広げ、会津の芦名氏を滅ぼし、名実ともに奥羽の覇者として君臨しかけますが、小田原征伐に伴って秀吉との関係が深まるに連れて少しずつ人間性が変化していきます。

 

能と才に溢れた伊達者として秀吉を手玉にとり、家康の心を見抜こうという政宗が、彼らには逆に踊らされ、見透かされてしまったりするのです。

 

秀吉に、家康にと揺れる天下の情勢を見極めつつ、上手くバランスをとりながらも、天下取りの野望を諦める事なく立ち回る政宗でしたが、家康が天下統一を果たし、江戸幕府を立ち上げたあたりからさらに変化を重ねていきます。

 

戦国の世は終わり、天下泰平を迎えたとする家康の意に共感するように、武を捨て、平和の世を作るべく努めるようになるのです。

 

そんな政宗に家康も、二代目将軍である秀忠も厚い信頼を見せ、やがて三代将軍家光の時代を迎えた後、政宗はその生涯を終えます。

その昔、師である虎哉禅師から「阿修羅の生まれ変わりか」と一喝された戦国武将・政宗は、世の中の変化に応じて平和を愛し、生活を豊かにするための名君として死んでいったのです。

 

 

関ヶ原と大阪冬・夏の陣

どうも書けば書くほど稚拙になってしまっていくような感じがして嫌になってしまうのですが、あらすじはおおよそ上のようなところとして、個人的に非常に興味深く感じたのは関ヶ原であり、大阪冬・夏の陣という天下分け目の決戦の描き方でしょうか。

 

これ、すごく面白かったですね。

 

というのも、戦いに主眼がないんです。

大概これらの決戦が物語に書かれる場合、誰がどっちについたとか、誰が誰に謀反をそそのかしたとか、とあるタイミングで誰がどう動いたのが戦に決定的な影響を及ぼした、なんて話になりますよね?

 

本書は違うんです。

 

そもそも関ヶ原も大阪の陣も、政宗あたりは「どっちが勝つか」なんてはなからわかってるんです。

勝敗なんかよりも、自分の思い描いた計略に対してどんな影響を与えるかを苦慮しながら、立ち回るのが主題になっています。

もっともっと大局から天下分け目の戦いを見ている。

 

個人的にはこれ、すごく新鮮な描き方でした。

 

これまではどちらかというと豊臣側について書かれた物語ばかり読んできましたから、故太閤への恩義や武士としての死にざまを第一に華々しく散っていた西軍側の勇士たちの一方では、冷静に戦後の処理・処遇に思いを寄せていた武将がいたなんて。

だから真田幸村もみんな、あっさり死が描かれるばかりです。

唯一木村重成については、首級を前に家康が悲しんだ、なんて一文があるだけで。

 

そういう意味では歴史の物語って、敗者の側から描いた作品が多いですよね。

どうしても敗者の方が美しく見えがちなんでしょうけれど。

 

戊辰戦争なんかも会津藩をはじめ東軍視点で描かれた作品は多いのに、西軍視点の作品はあまりにも少ないように感じています。

会津の武士たちは決死の覚悟で勝ち目のない戦いに臨んで行ったわけですが、彼らと戦った西軍の人々は何を考え、どう思ったのか。

 

かなりマイナーですが、二本松少年隊について描かれた『霞の天地』という漫画が両者の想いをかなりうまく描いてくれていますので、ぜひ一読をオススメします。

 

討ち死にした時に誰の死体かわかるようにと母に乞うて名前を刺繍して貰った少年や、戦に臨むにあたってちゃんとした刀が欲しいとせがんだ少年に対し、駆けずり回って刀を用意した両親の想い。

そうして少年たちがどんな運命をたどったのか。
涙なくしては読めません。
 
 
フィクションもいいですが、実話を元にした歴史小説もやっぱりいいですね。
ちょっとしばらく、歴史小説熱が続きそうです。
 
一度読んだ本の中でも、2020年に映画化されるという長岡藩・河合継之助を主人公とした司馬遼太郎『峠』も再読したいし。子母澤寛新撰組三部作も改めて読み返たいところ。
 
加えて先日青空文庫吉川英治作品があるのを思い出してしまったのが不幸の始まり。
そういえば源平合戦あたりって、僕の中で空白地帯なんですよねぇ。
幕末に維新の志士たちが口を揃えた「楠正成」とやらも、なんとなくイメージするばかりで詳しくは知らないという。。。
吉川英治作品は『宮本武蔵』、『三国志』を読んだのですが、『私本太平記』を読むべきか。
 
とはいえ、こちらも全13巻……読むにはちょっと覚悟がいるな。
でも無料だし、スマホで読めちゃうし、読み始めるまでのハードルは無茶苦茶低い。
 
読んじゃおうかな。
 
でもそうすると、ブログの更新はまたしばらく滞ってしまいますね。
逆に、ブログが更新されなくなったらそういうものだと解釈してください。
太平記』に手を出しちゃったんだな、と。

https://www.instagram.com/p/BuApIlhlVxq/

#伊達政宗 #山岡荘八 読了全8巻。なので読んでる内はすっかり投稿がご無沙汰になってしまいました。戦国から幕末まで色々本は読んでいるけど伊達政宗は初めて。さらによく考えてみると関ヶ原にせよ大坂の陣にせよ徳川側の視点の物語を読むのは初めてかも。伊達政宗に関してはエピソードも山ほどあって紹介しきれないぐらいたけど、関ヶ原や大坂の陣にあって戦いよりも前後の身の振り方や立ち回り方に重きを置いた書かれ方がとても新鮮でした。大坂方の武将達は決死の覚悟で戦ってるのに、政宗や家康はもつと高い視点から広過ぎる視野で世の中を捉えていたのね。やっぱり歴史小説も面白い。しばらく続いてしまいそう。青空文庫で無料で読めちゃう吉川英治……魅力的だけど手を出したらヤバいなぁ。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『獣の奏者 Ⅰ 闘蛇編 ~ Ⅳ 完結編』上橋菜穂子

「涙は悲しみの汁だ。涙がどんどん流れでれば、哀しみも、それでだけ減っていくってもんさ。おまえを、そんなに哀しませていることも、やがては、忘れられるようになる」

獣の奏者 Ⅰ 闘蛇編』から『獣の奏者 Ⅳ 完結編』までのシリーズ四作を読みました。

上橋菜穂子作品を読むのはこれが初めて。

どこかで聞いたことのある名前だなぁと思っていたら、2015本屋大賞受賞作品『鹿の王』の作者さんだったんですね。

 

なにかファンタジー作品が読みたいと思っていたところ、Instagramのフォロワーさんから『獣の奏者』をおすすめいただき、調べてみたら全四作にも及ぶ大作かつNHKでアニメ化もされた作品と知り……加えて元々曲だけは知っていたスキマスイッチの『雫』が主題歌だと知り、早速読もうと決めたわけです。

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ちょくちょくライトノベルを読んだりもしてきましたが、こういったガッツリ異世界ファンタジーな作品を読むのも久しぶり。

かなり期待を膨らませての読書となりました。

 

思ってたのと違う

いきなりですが、読み始めてすぐに、僕が期待していたような作品とは大きく異なることがわかりました。

勝手なイメージとしては『指輪物語』のような剣と魔法のファンタジーもの、と思い込んでいたのですが、本書はもう少し大人な、穏やかな作品。

 

まず主人公のエリンですが、彼女は緑色の目をした霧の民(アーリヨ)と人間との混血児。

すっごく簡単に言うと霧の民(アーリヨ)というのは妖精みたいなものですね。

本来人間と交わる事はない存在にも関わらず、禁忌を犯して人間と結ばれたがために、エリンの母は一族から追放されてしまった。

加えて瞳の色が周囲と違うが為に、エリンもまた差別的な扱いを受けていたりする。

この辺りは異世界ファンタジーではベタなハーフエルフ的な設定と言えるでしょうか。

 

そしてエリンの父というのが、闘蛇という生き物の世話をする闘蛇衆の一人。

闘蛇というのもざっくり言うと水棲のドラゴンみたいなもので、生きる兵器のように貴重な扱いを受けています。

父は亡くなり、現在はエリンの母が闘蛇衆として働き、親子二人で生活しているのですが、ある日突然、母が世話していた闘蛇が大量死してしまう。

 

罪に問われ、刑に処せられる母を助けに駆け付けたエリンは、逆に母に救われる形で見知らぬ地へと移り住む。

 

……とまぁ、序盤のあらすじとしては上記のようなところ。

 

ちなみにエリンが最初に住んでいたのは大公領で、次にたどり着いたのは真王領。

この二つはリョザ神王国の領地であり、大公というのは闘蛇を操り、敵国から自国を守る役目を負っています。

真王はリョザ真王国を建国した王の血をひく者であり、その昔、外敵を迎え撃とうという大公に対して闘蛇を操る笛を授けたとされています。

 

互いに持ちつ持たれつの関係でありながら、命がけで国を守る大公領の領民たちは、平和を唱えるだけで安穏と暮らす真王領民に不満を抱いていたりもします。

 

真王領に至ったエリンはひゅんな事から王獣という巨大な生き物に出会います。

羽の生えた巨大なオオカミのような生き物で、エリンは野生の王獣が同じく野生の闘蛇をいとも簡単に貪り食らう場面を目撃するのです。

 

やがてエリンは、大公領で育てられる闘蛇と対比するように、真王領では王獣を保護し、養っている事を知ります。エリンは闘蛇を世話していた母の姿を重ね、王獣を世話する獣ノ医術師を目指すように。

 

念願叶って王獣保護場の学舎に入舎したエリンは、傷ついた王獣の子リアンに出会い、彼女を世話する内に人が世話をする王獣たちに違和感を抱き始めます。

というもの、先の闘蛇衆にせよ、獣ノ医術師にせよ、闘蛇や王獣の世話には昔からの規則ががっちりと決められているのです。

音無し笛を使って身体の自由を奪ったり、特滋水と呼ばれる特殊配合された液体を与えたりする。

そのせいか、人に飼われている王獣は野生の王獣に比べると色褪せ、元気がないように見える事に気づくのです。

 

エリンはかつて見た野生の王獣のようにリアンを育てようと決意し、知らず知らずの内に遠い昔から定められてきた禁忌を犯していってしまいます。

決して人に懐くはずのない王獣と、心を通わせていってしまうのです。

 

……まぁ、こんなところでいいでしょうか。

 

 

全く剣と魔法のファンタジーではないですよね。

 

その先にも触れておくと、その後エリンは王獣リアンと心を通わせ、その背に乗って自由に空を飛ぶに至ります。

人に飼われる王獣は懐かない、飛ばないとされていた常識を覆す奇跡を起こしてしまうのです。

 

ですが王獣は闘蛇の天敵でもある。

闘蛇を主力部隊とする大公側から見れば、途轍もない脅威なわけです。

 

自由に王獣を飼い馴らすエリンは、本人の意思に関わらず様々な思惑を生んでしまうのです。

 

ちょうどリョザ神王国では、大公領と真王領との間で軋轢が増していた時期でもあり、やがて高まる戦禍の機運は、容赦なくエリン達を飲み込んでいきます。

そうして描かれる『王獣編』のラストは……やはり物語のラストを飾るのにふさわしい幕引きでしょう。

 

生き物の本来の生活を奪ってまで守るべき禁忌とは。

人はどうして闘わなければならないのか。

生きとし生きる全ての生物のあるべき姿とは。

 

非常に深いテーマも内包した壮大な物語である事に間違いありません。

 

ライナスの毛布

本書はそもそも『闘蛇編』と『王獣編』の二冊で完結していたそうです。

ですがその後周囲からの要望もあり、アニメ化に際して作者が物語の未完部分に気づいた事も重なって、続く『探究編』『完結編』が書かれたそうです。

 

その意味では、『闘蛇編』と『王獣編』までで一つの作品として読むべきものかもしれません。

 

『探究編』『完結編』については賛否両論多いからです。

 

ちなみに僕の感想はというと……否、とまではいきませんが、別になくても良かったかな、というのが正直なところです。

 

作者自身が「この完璧な物語の完璧さが損なわれてもいい」と書いている通り、『闘蛇編』と『王獣編』で不足していた隙間を埋め、未来を描いた物語ではあるけれども、結果として完璧さは損なわれてしまったかな。

アマゾンのレビューにある批判的な意見とほぼ同意ですが、先に書かれた二編と後に書かれた二編とでは、エリンの人間性が異なってしまった印象です。それはそのまま作者自身の変化でもあるのでしょうが、当初書いていたままその流れで書いていたら、きっとこういう風にはならなかったんじゃないかな、なんて思ってしまいます。

 

まぁ、読者や出版社が続編を強く望んだ結果がこうなってしまったわけですから、仕方のないところではあるわけですが。

 

この辺りって非常に難しいですよねぇ。

 

僕にも続編を書いて欲しいと願ってやまない作品は沢山あるんですが、書いた事で完成度が落ちる結果になるとしたら、残念ですし。

映画もそうですが、シリーズものって続編になればなるほど評価は下がっていくのが常ですしね。

実際にそうして評価を落としてしまった作品も数え上げればキリがないほどあるわけです。

 

既に完結した作品の続編を望むのは、ないものねだりみたいなものなのかもしれませんね。

あくまで個々の胸の内で夢想して楽しむものであって、それこそ願ってはいけない禁忌なのかもしれません。

 

僕のInstagramTwitterのアカウント名になっている「ライナスの毛布」も実はそんなところに関係していたりするんですけどね。

興味のある方は、以前書いた『キャラクター小説の作り方』の記事を確認してみて下さいませ。

linus.hatenablog.jp

インスタ

 

 

 

 

 

 

 

『のぼうの城』和田竜

――のぼう様

とは、「でくのぼう」の略である。それに申し訳程度に「様」を付けたに過ぎない。

安能務『封神演義』を読み、ついでに藤崎竜の漫画版『封神演義』、さらに『Wāqwāq(ワークワーク)』、『かくりよものがたり』とフジリュー作品にのめり込む内に、頭の中がすっかりファンタジー路線に切り替わってしまいました。

 

漫画を読むかたわら、同時進行で重松清『ナイフ』を読んでいたのですが、やっぱりもっとファンタジーテイストなものを読みたい気持ちが膨らんでジリジリと焦れるばかり。

 

やっとのことで『ナイフ』を読み終えたので、満を持して手に取ったのは和田竜『のぼうの城』。

2009年本屋大賞二位にして、映画化もされた歴史小説です。

www.youtube.com

ちなみにこの年の本屋大賞湊かなえの『告白』。

www.hontai.or.jp

イヤミスブームのきっかけとなった本屋大賞受賞だったかもしれず、そういう意味では手強い相手でしたね。

ただ、本屋大賞を機に『告白』を手に取った読者の方々の反応はどうだったんでしょうね。

やっぱりハッピーエンドや読後感の気持ち良い作品の方が、万人受けするんじゃないかと思ってしまうんですが。 

 

石田三成による忍城水攻め

舞台は現在の埼玉県行田市にあった忍城(おしじょう)。

太閤秀吉の軍勢が関東地方を納めていた北条氏の討伐に乗り出した事で、北条氏の支配下にあった忍城は危機に陥ります。

 

当時の城主であった成田氏長は主だった兵を連れて北条氏政の治める小田原城へ籠城。

残されたのは成田長親を筆頭に数人の家老とわずかに50人ばかりの手勢のみ。

 

一方、城攻めにやってきたのは石田三成大谷吉継長束正家と後世まで名を残す堂々の武将たち。

 

氏長は北条氏の籠城に応ずる裏で秀吉に恭順を示し、忍城に残した家臣たちには降伏を言い残したはずが……あれよあれよの間に徹底抗戦へ。

 

忍城を意外と手強いとみた三成が繰り出した秘策が、秀吉の備高松城にあやかった水攻め

僅か五日で28kmにも及ぶ長大な石田堤を築き上げ、利根川と荒川から引きこんだ水により忍城の城下は一気に水浸しに。

 

忍城は一転して窮地に追いやられますが……実は最後の最後まで落ちなかったというのがこの忍城の最大の逸話だったりもします。

この辺りは史実として残っており、決してネタバレには値しないと思いますので思い切って書いてしまいますが。

 

とんでもない人数を動員して行われた秀吉の東征軍は瞬く間に北条氏の支城を次々と落とし、北条氏の本城ですら呆気なく落城したのにも関わらず、忍城は最後まで秀吉軍の攻勢に耐えきったのです。

しかも相手は石田三成大谷吉継が率いる軍ですよ。

 

結果的には本城である小田原城が落ちた事で、忍城も開城に至るのですが……僅か少数の兵で圧倒的に数で勝る秀吉軍にどう打ち勝ったのか、驚天動地の水攻めにどう立ち向かったのかが、本書の見どころなのです。

 

 

説得力……

結果的には、残念ながら物語としては物足りないと言わざるを得ません。

三家老の奮戦ぶりや三成の水攻めは大いに読み応えがあるのですが、いかんせん、致命的な欠点となるのが本書の主役である“のぼう”こと成田長親

 

何をやるにもうまく行かず、足手まといにしかならない事からでくのぼう――略して“のぼう”と言われる長親ですが、城の配下や農民にまで「のぼう」扱いされる始末。

陰口ではなく、本人を目の前に誰もかれもが「のぼう」と呼び、彼もそれを一切気にする様子も見せずに受け入れています。

 

時代的にありえないですよね。

長親は殿様の従兄弟ですから。

 

こののぼう、序盤の描写からするととにかく駄目過ぎる

田植えの手伝いすら農民から迷惑がられる始末だというのだから、どれだけ要領の悪い人間なのかわかりますよね。

 

しかし彼が、城代として秀吉軍の使者に相対し、降伏で半ば定まっていた城内の機運を一切無視する形で「戦う」と抗戦を告げてしまったりするのです。

元より武士として無条件降伏に不服でもあった兵たちはここぞとばかりに奮起し、農民たちもまたそんな彼らに従い、戦いへの参加を決意します。

 

彼らのモチベーションとなるのが、のぼうこと長親の人望、だったりするんですが。

 

……うーん。

 

序盤の扱いを読んだ中では、どうして長親にそこまで人望が集まるのかいまいちよく理解できないんですよね。

でくのぼうで、田植えすら拒否られるほどの無能。

よく言われる「ちょっと欠点があるぐらいの方が人に好かれるよね」という話では収まらないぐらいの無能なはずなのです。

存在すら煙たがられるような無能。

足を引っ張るぐらいなら見てろ、と常に蚊帳の外に置かれるような存在。

そうなると人望が集まるどころか、普通に嫌われてしまったりするんじゃないか、と思ったりするんですが。

 

一事が万事、本書については長親の人望がフックになって物事が進んで行きますので、肝心要のその部分に説得力が欠けてしまっているのが致命的な欠陥だったりします。

 

恋愛ものの作品で、どこに魅力があるかさっぱりわからないヒロインに対して一方的に主人公が惹かれたりするいまいちな作品がよくありますが、あれに近いものがあるかもしれません。

 

ちょうど先日まで読んでいたフジリュー版の漫画『封神演義』における太公望の立場こそが、本書でいう成田長親と重なる部分が多い故に、余計に引っかかってしまったのかもしれませんね。

才覚や能のある人間が、愚者を演じつつもその実誰よりも深い計略を働かせている、という。

長親にせよ太公望にせよ、実際には賢者なのか愚者なのか判断がつかなかったりするのですが。

 

でも、少なくとも本書の長親に関しては徹底した愚者としか感じられない人物像だったはずなんですけどねー。なので要所要所で妙に賢者っぽくなられると、違和感しかないのです。こういう事ができるのなら、そもそも農民からも家臣からも「のぼう様」扱いもされてないよなーなんて。

 

もうちょっと「実はキレ者」的なエピソードが幼少期から幾つかあったりしても良かったと思ってしまいます。あくまででくのぼう扱いだったはずなのに、突然人が変わったようにキレキレになられても読者はついていけませんよ。

 

まぁでも、石田三成大谷吉継といった武将をはじめ、勇壮な三家老の活躍ぶりや、有名な水攻めエピソードも相まって、物語としては中盤を過ぎればそれなりに面白く読めてしまうのが評価の難しいところかもしれませんが。

 

今回は手近にある本の中から歴史小説を選びましたが、次はもっと本格的なファンタジーを読む予定です。

僕も楽しみですが、みなさんもお楽しみに。

 

https://www.instagram.com/p/BtW9QeKl1TI/

#のぼうの城 #和田竜 読了2009年本屋大賞2位で映画化もされた作品。秀吉の関東制圧時、石田三成や大谷吉継率いる圧倒的多数の軍勢に攻められながらも唯一落ちなかった難攻不落の忍城。窮地に陥る忍城を率いたのが城主の従兄弟であり、家臣や農民から「のぼう様(でくのぼうの意」と呼ばれる長親。忍城の予想外の抵抗に対し、三成は秀吉の備中高松城を超える壮大な規模の水攻めを画策する。三成や吉継といった豪華な登場人物と水攻めという派手な仕掛けにそれなりに読めてしまうけど、肝心ののぼう様の設定に無理も違和感もあって説得力に欠けたかなぁ。ラノベに近いノリかも。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。