おすすめ読書・書評・感想・ブックレビューブログ

年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『マスカレード・ホテル』東野圭吾

「ルールはお客様が決めるものです。昔のプロ野球に、自分がルールブックだと宣言した審判がいたそうですが、まさにそれです。お客様がルールブックなのです。だからお客様がルール違反を犯すことなどありえないし、私たちはそのルールに従わなければなりません。絶対に」

2019年1月18日(金)に公開が迫った『マスカレード・ホテル』を読みました。

以前『検察側の罪人』の映画を見に行った際、劇場で予告編を見たのですが……正直な感想として「またキムタクかよ」「しかも東野圭吾か」と思ってしまいました。

 

僕の中で東野圭吾の印象ってあんまり良くなかったですから。

量産型佳作作家という感じで。

その辺りについて詳しくは『容疑者Xの献身』の記事で触れていますので興味のある方はどうぞ。

linus.hatenablog.jp

……でまぁ、その『容疑者Xの献身』を読んでだいぶ評価が覆ってしまったんですね。

東野圭吾ってこんなすごい作品も描けるのか!と。

 

ちなみに『検察側の罪人』では木村拓哉の好演も良かったです。

「誰を演じてもキムタク」と称されるキムタクですが、昨今は自ら殻を破ろうと色んな役にチャレンジされていますよね。

検察側の罪人』はどちらかというと“キムタクらしい”役ではありましたが、映画の雰囲気にもマッチしていて非常に好感が持てました。

 

そんなわけで、僕の中でここ半年ぐらいの間に大きく印象が変わりつつあったのが東野圭吾木村拓哉でして、この二人が大きく関係する映画が年明けから公開になるとなると、とりあえず原作読んでおかなくちゃならないな、と思った次第です。

 

 

刑事がホテルマンに扮装

読んで字のごとく。

繰り返される三つの連続殺人事件に残された暗号から、次の事件が起こると予測される高級ホテルコルテシア東京に、刑事たちが送り込まれます。

刑事たちはベルやハウスキーピング等、実際にホテルのいちスタッフとして紛れながら、ホテルの警備に当たる。

そのうちフロントクラークに配属されるのが主人公の新田。

教育係である山岸に反発を覚えながらも任務を遂行しようとする新田の前で、様々な事件が起こります。

 

視覚障害者を演じる女性や、とある男を絶対に近づけないよう依頼する女、次々に理不尽な要求を突きつけるクレーマー等、新田は事件とは関連のないような問題に振り回され続けます。

しかしながら、容疑者が特定できない状況下においては、どんな小さな出来事に対しても見過ごす事はできません。新田は刑事として一つ一つの問題を追いかけつつ、一人のホテルマンとして誠実に対応すべく求められるのです。

 

 

……とまぁ、本書で秀逸なのはホテルの描き方。

きっとかなり取材をされたんだろうなぁと感嘆してしまう程、非常に細かくホテルの考え方やサービスの方向性等を描かれています。

 

部屋に入って直後「煙草臭い」と難癖をつける男性に対し、すんなりとルームアップした部屋に案内してしまうエピソードなんて本当に素晴らしい。煙草は男性自身による工作であり、男性の狙いがルームアップにあると即座に読み取った上で、要望通りにしてしまうんですね。

また、以前宿泊した際にバスルームを持ち帰った疑惑のある客とのやり取り等、非常にリアリティ溢れるものばかりでした。

 

そんなこんなの「このエピソードって本筋に関係あるの?」って思えるような事件を数々を乗り越えながら、一方でちゃんと連続殺人事件について進んで行くんですが……

 

 

以下、ネタバレ注意↓↓↓

あんまりネタバレはしたくないんですが、本書の口コミを見ていると「どうでもいいエピソードばかり」という批判が多いのが気になったので、どうしても書いておきたかったんです。

 

本書の面白さって、(↓↓↓ネタバレ注意のため白字としています↓↓↓)

 

 ①三件の連続殺人事件から四件目の事件を想定させる。

            ↓

 ②実際には連続しておらず、それぞれが個別の事件だった

            ↓

 ③……と思わせておいて、やっぱり一部は関連があった

 

……と事件が二転三転するところにあります。

 

で、それって実は、、、

 

ホテルエピソードとして挿入される話も一緒ですよね。それぞれの事件が個別で、連続殺人事件とは全く関係ないと思わせておいて、その内の幾つかが実は関連しているという。

 

この物語全体が入れ子構造のような形になっている事こそ、東野圭吾が苦心した成果だったりするんじゃないかな、と。

 

A・B・C・Dと事件を進めつつ、それぞれが関連性はないと思わせておいてCとDは同一犯。

一方でa・b・c・dと一見事件とは関係なさそうなホテルにまつわるエピソードを書いておいて、cとdは実は事件に大きく関係。

 

叙述トリックやブック・イン・ブックのようにわかりやすい形で明示されず、特に解説もない事から特に触れられる事もありませんが、きっと狙ってやったんじゃないかな、と勝手に一人で推察していまいます。

まぁ、一部の批判的な意見に沿って事件に関連するエピソードのみに絞ってしまったら犯人は丸わかりになってしまいますし不自然極まりないでしょうから、木を隠す為に森を作る必要があった、という結果論なのかもしれませんが。

個人的には非常に面白く感じたわけです。

ついでに言えば、一つ一つのエピソードもたとえ事件には関係なかったとしても、コルテシア東京や山岸をより読者に理解してもらう為には決して無駄なものではなかったと思うんですけどね。

東野さんの本は決して読みにくい文章ではないはずですし。

 

映画が観たい

出た!

と自分で書いておきながら、自分て突っ込んでしまいます。

 

映画、観たくなりましたねー。

 

つまり、良い本だったって事です。

 

容疑者Xの献身』と比べれば推理ものとしては一段落ちるかもしれませんが、よりエンターテインメント性は高いですし、映像化には向いているんじゃないでしょうか?

 

主人公とヒロイン役も個人的にはなかなか好きです。続編も読んでみたいと思います。

 

映画館で予告を見ていたばかりに、脳内ではすっかり木村拓哉長澤まさみに変換されて読んでしまいましたしね。

 

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でも、ちょっと欲を言えば、山岸役は長澤まさみじゃあないような気がするんですが……。

キムタクは当て役かっていうぐらいピッタリに感じますけど。

その他、配役もかなり豪華な様子ですし。

年明けは『マスカレード・ホテル』を観に行くので決まりかな?

 

……ちなみに年末は『シュガー・ラッシュ:オンライン』観に行く予定です笑

 

マスカレード=仮面舞踏会

忘れてました。

最後にマスカレード・ホテルの意味について触れておきます。

理由はヒロインである山岸の口から語られています。

「昔、先輩からこんなふうに教わりました。ホテルに来る人々は、お客様という仮面を被っている、そのことを絶対に忘れてはならない、と」

「ははあ、仮面ですか」

「ホテルマンはお客様の素顔を想像しつつも、その仮面を尊重しなければなりません。決して、剥がそうと思ってはなりません。ある意味お客様は、仮面舞踏会を楽しむためにホテルに来ておられるのですから」

ホテルそのものが仮面舞踏会の舞台である、という考えですね。

 

それはつまり、東野圭吾自身が本書を仮面舞踏会の舞台として描いた事に他なりません。

 

そういえば数々のホテルエピソードの中には、仮面を彷彿とさせるお客様が何人も登場しましたよね。

その中には事件に大きく関わるものもありましたし……。

本書を読んだ人であれば、「ホテルは仮面舞踏会」という言葉に頷かざるを得ないはずです。

 

タイトルのネーミングセンスにも脱帽です。

東野圭吾、スゲー時はスゲーな。

駄目な時はとにかくダメだけど。。。

https://www.instagram.com/p/BrhKGHqFsSr/

#マスカレードホテル #東野圭吾 読了2019年1月18日(金)劇場公開作品良かった。フツーに良かった。東野圭吾に対する苦手意識は完全に払拭された感じ。殺人事件が予想されるホテルにスタッフとして刑事が潜入する物語。当初は仕方なく、といったノリだった刑事も教育係となった女性と一緒に様々な出来事を乗り越え、ホテルマンとして成長していく。一方では連続殺人が二転三転の展開を見せ……ホテルと事件両面から目の離せない一気読みの作品でした。主役もキムタクのイメージぴったりかな。ただ、長澤まさみはちょっと違う印象。ともあれ映画は見に行く事に決めた!#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい.. ※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『死のロングウォーク』スティーブン・キング

「死ぬってどんなものか、わかってるつもりだ」ピアソンがだしぬけにいった。「どっちにしろ、今はわかった。死そのものは、まだ理解できてない。だが死ぬことはわかった。歩くのをやめれば、一巻の終わりだ」

翻訳書が当ブログに登場するのは珍しいですね。

今回読んだのはスティーブン・キング死のロングウォーク

スティーブン・キングといえばタイトルと主題歌いずれもたぶん知らない人はいない『スタンド・バイ・ミー』をはじめ、『IT』や『ミザリー』、『キャリー』、『シャイニング』、『ペット・セマタリー』等々、枚挙にいとまがないぐらいに数々の作品を残しているホラー作家です。

 

昔からあまり海外ものは読まないのですが、上に挙げたようなキング作品に関しては貪るように読みふけったものです。

 

ちなみに、今回読んだ『死のロングウォーク』は当初リチャード・パックマン名義で発行されました。

 

こういった事例は海外では少なくないようで、本格推理小説の大家であるエラリー・クイーンもまた、彼の代表作である『Xの悲劇』をはじめとするドルリー・レーン四部作においてバーナビー・ロスという変名を使用しています。日本だと最近では乙一中田永一の別名義などが有名でしょうか。

ライトノベル黎明期の名作・問題作として沢山の子供たちにトラウマを植え付けた異次元騎士カズマシリーズの著者である王領寺静もまた、藤本ひとみの別名義であったと知られています。

 

本来であれば「作風が大きく異なる作品を書く」等の意図があって別名義が用いられる事が多いのですが、キングの場合には少し事情が異なっています。当時の米国における出版業界では「一人につき年一冊しか本を出せない」という暗黙の了解があったので、年に複数冊を発表する場合には別名義で出さざるを得なかったのだそうです。たぶんに商業的な理由だったんですね。

 

ダーク・サイド版『夜のピクニック

久しぶりにキングの本を手にした理由は、以前恩田陸夜のピクニック』を読んだから。

2回本屋大賞、第26回吉川英治文学新人賞を受賞し、映画化もされた『夜のピクニック』は言わずと知れた恩田陸の代表作の一つですが、必ず引き合いに出されるのが本作『死のロングウォーク』なのです。

 

夜のピクニック』は全校生徒が夜を徹して80キロ歩き通す歩行祭というイベントを舞台としていますが、『死のロングウォーク』もまた、100人の少年たちが長き道のりを歩くイベントの話です。

 

夜のピクニック』と異なるのは、常に時速4マイル以上で歩み続ける事が求められ、4回目の警告を受けると同時に射殺される、という点。最後の一人になった時点でゲームは終了となり、優勝者は本人が望むどんな賞品でも受けとる事ができます。

同じような設定でありながら、『夜のピクニック』は高校生たちの心を描いた青春小説であるのに対し、『死のロングウォーク』は『バトル・ロワイヤル』の原型とも言われるいわゆるデス・ゲーム

スティーブン・キングならではのホラー小説なのです。

 

名作……ではない!?

 名作揃いのキング作品の中で、『死のロングウォーク』はあまり有名ではありません。

夜のピクニック』に引きずられる形で国内で俄かに脚光を浴びるようになった、という印象の作品。

なので内容もそう際立ったものではありません。

 

暑さや寒さ、空腹や疲労、怪我や故障といった苦しみに耐えながらとにかく歩き続け、一人また一人と脱落者が出ていくのを見守るお話。

ある者は足の痛みに耐えかねて立ち止まってしまい、またある者はゲームからの逃亡を企てて失敗したりします。ちょっとした不注意から警告を受けるケースもあるので、一つ、二つと増えていく警告に精神的に追い詰められていく様子はキングならでは。

 

しかしながら少年たちは全員見知らぬ他人同士なので、『夜のピクニック』のような背後関係も特にありません。その代り、デスゲームを通して友情や敵愾心が成立していく様子はうまく書かれています。ただ一人生き残る事がゴールという極限状態の中で、それでもお互いに助け合ってしまう彼らの心理描写については流石の一言ですね。

 

その意味でキング作品の特徴として、全般的にあまりどんでん返しや奇想天外な展開はないんですよね。一つの敵や事件といった対象に対し、主人公等の登場人物が心身ともに追い詰められていく様子が精緻に書き連ねられていくだけで。少年たちをためらいもなく銃で撃ち殺す兵士や、最高権力者である少佐に対しても、取り立てて恐怖の対象として描かれているようには感じられません。少年たちが歩き続けるように、彼らもまた死のロングウォークというゲームのいち参加者でしかない。

ホラー小説としては非常に淡白であり、新たな恐怖をこれでもかと畳み掛ける昨今のホラー・サスペンスに慣れた今の読者には物足りなく感じられるかもしれません。

 

ただし一つだけ苦言を呈しておくと、ジャパニーズ・ホラーは『リング』の貞子以来、衝撃的な映像とCGやメイクを駆使した恐ろしい風貌に偏ってしまい、一切の進化が滞ってしまっているように感じています。

どれを見ても貞子の焼き直しのような「怖いお化け」を作り出す事に注力してしまっている印象。

昨今では「ホラー映画は当たらない」といった風潮も出ているそうで、現在上映中の2018年正月のホラー映画『来る』も動員数・感想ともに低調な模様。

news.merumo.ne.jp

realsound.jp

まぁ、確かにホラー映画をわざわざ見に行こうという人は周囲でも減っているような気がします。

 

ネットで検索するとリアルな心霊動画や、お化けよりもぞっとする衝撃映像なんでいくらでも出てきますしね。

CGで作り込まれたお化け見せられても「はいはい、良くできましたね。今の技術はすごいですね」ぐらいの感慨しか抱けなかったりします。

 

そんな中、こうして改めてキングに触れるとホラーの基本ともいうべき原点が見えてくるように感じられますね。

「怖いオバケを出すだけがホラーじゃない」というか。

 

 見た事がないという人にはぜひ、『ミザリー』や『キャリー』といったキングの名作を手に取ってみていただきたいと思います。映画でもいいですし、原作なら尚良いです。『ペット・セマタリー』なんてホラーの中のホラーですよね。『シャイニング』も歴史的な名作ですし。

いずれの作品も今のホラー映像には欠かせない象徴的なシーンがあったりします。

『シャイニング』の双子や『キャリー』の真っ赤な少女なんかは特に有名ですよね。

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尚、先日リメイクされた『IT』に続き本作もまた、実写映画化に向けた製作が始まっているそうです。

www.cinematoday.jp

リメイク版や続編で話題の『IT』に続き、キング作品に再び注目が集まるのはうれしい限りです。

 

今年の年末年始はいつもよりも長い休暇になりそうですから、キングの原作&映画に浸ってみるのも良いのではないでしょうか?

 

キング原作のホラーの古典たち。

 

おすすめです。

https://www.instagram.com/p/BreE6BgFaKG/

#死のロングウォーク #スティーブンキング #リチャードバックマン ックマン 読了全米から集められた100人の少年たちが時速4マイルで歩き続ける死のロングウォーク。休憩は一切なく4度目の警告で射殺される。生き残る方法は一人になるまで歩き続けることただ一つのみ。#恩田陸 の #夜のピクニック と対比されて必ず話題に作品です。キング作品の中ではマイナーな方で内容的にも淡白でしたが、久しぶりにキングに触れてとても懐かしく感じました。#ミザリー とか #ペットセメタリー とか、また観たくなってしまった。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『夏のバスプール』畑野智美

真っ赤に熟したトマトが飛んできて、僕の右肩に直撃する。 

畑野智美『夏のバスプール』を読みました。

第23回小説すばる新人賞を受賞したデビュー作、『国道沿いのファミレス』に続く二作目。

僕にとっての畑野作品に触れるのも、『国道沿いのファミレス』に続き二作目となります。

『国道沿いのファミレス』は作者ご本人からご指摘いただいたりと、僕にとってもいろいろといわくつきの記事となっていますので、ご興味があれば読んでみて下さいね。

 

linus.hatenablog.jp

 

胸キュン青春小説

アマゾンや背表紙の紹介文は「胸キュン青春小説」

その他、様々な感想やレビューを覗くと「ど真ん中の青春小説」といった評価が多いようですね。

 

主人公である高校一年生の涼太が、通学途中に女の子にトマトを投げつけられる。

しかも二日続けて。

投げつけた相手は同じ学校に通っている事がわかり、トマトがきっかけで始まった二人の関係が日常的なやりとりやそれぞれが持つ秘密や事情を通して深まっていく。

 

物語の構造としては極めて典型的なボーイ・ミーツ・ガール(Boy Meets Girl)。

 

そこに加えられるのが高校一年生という年齢にふさわしい彼らの特殊事情。

未練たらたらの元カノや、幼馴染みと付き合う親友、登校拒否のクラスメート、小学生時代とは立場が逆転してしまった野球部員、憧れの美人教師、等々。

 

これでもかというぐらいにそれぞれの事情や思いが交錯しあい、すれ違いながら物語が紡がれていきます。

 

女の子と学校の廊下を走り回って追いかけっこしたり、自転車でニケツしたり、プールに引きずり込まれたり。

親友の部屋でコンドームを見つけてドキッとしたり。

 

誰もが頭に思い描く青春の1ページが、これでもかというぐらい本書に詰め込まれているのです。

 

少女マンガ的男子

あくまで個人的な感想ですが、畑野さんはたぶん、頭の中で登場人物を作り込んで作品を書いていくタイプなのだと思います。

その傾向は前作の『国道沿いのファミレス』でも顕著でしたが、本書にも如実に表れています。

 

主人公である涼太は「顔が女顔でかわいい」「友達がいっぱい」「不良じゃないけど生徒指導室の常連」と、完全無欠。短所は算数が苦手なのと背が小さい事。

中学校時代に二週間だけ付き合った彼女がいる。告白されて浮かれて付き合っただけで好きだったわけじゃない。手もつながずに別れた。別れも相手から告げられた。

 

要素を並べただけで、女子は歓喜じゃないですか?

 

少女漫画に登場する“ちょっとかわいい系”の理想の恋人像そのものですよね。

 

特に元カノのエピソードなんて完璧です。

全く恋愛経験がないというわけではないものの、若気の至りから来る不本意かつ短期的なおつきあい経験が一回だけ。高校一年生ぐらいの場合には「今まで全くなかった」と言うとそれはそれでみっともない感じがしますし、ほぼ無傷のおつきあい経験はむしろレアリティの向上に繋がるわけです。

この辺りの機微、畑野智美さんはよくわかっておられる。

 

実際に存在したら間違いなくクラスの人気者であろう涼太が、トマトをぶつけられたところから始まり、ミステリアスな美少女・久野ちゃんに振り回されながらも恋に落ちていく物語。

それが上に書いたような青春まっただ中で進められるわけです。

 

これは好きな人にはたまらないに違いない。

 

 

 

ただし、男である僕から読むと残念ながらちょっと女性目線で作られている事に違和感を感じずにはいられません。

 

例えば、主人公である涼太が地の文で自分の容姿について語る場面。

 

僕は女顔をしているとよく言われる。女装したら、そこら辺の女子よりもかわいい。

 

……たぶん、男性ならわかってくれるかなぁ、と。

これはね、ちょっと言わないですよ。言えない。

仮に心の中で思っていたとしても、「そこら辺の女子よりもかわいいらしい」ぐらいの他人事っぽい言い方になるかと思います。

 

でも涼太は一事が万事、こんな感じです。

男が読むと、「ない!」と顔をしかめてしまうような言動をする。

 

簡単に言うと、女性が描いた理想の男性像なんですよね。

少女漫画的。

 

悪く言うと、非現実的。

 

これは作者が異性を描いた場合、男女逆でも容易に起こりうる問題なので仕方がないとは思います。

世の中全般で見れば男性作者の人口の方が多い分、むしろ女性から「こんな女いねーよ」と絶拒されるような物語の方が圧倒的に多いでしょうし。

 

そもそも高校生の恋愛を描いた青春モノですからね。

おっさんが読むな、と言われてしまえばそれまでだったりするんですが。

 

無意識の悪意

たぶん、、、ですが本書における一番のテーマは無意識の悪意というものなんじゃないかと思いました。

 

自分の態度や言動が、知らず知らずの内に相手を傷つけてしまっていた、というもの。

そんなつもりはないのに自慢ととられていたり、下に見ていると思われていたり。

 

その最たるものがよく言われる「イジメの加害者は自分がイジメをしていたとは思っていない」というやつだったりしますが、さんざん語りつくされているネタなのでここで詳しくは掘り下げません。

 

本書において、前半は爽やかで瑞々しい理想形の青春の日々が繰り広げられるのに対し、後半からは上記のような無意識の悪意の存在が少しずつ姿を現していきます。

現実においても、無意識の悪意を相手から糾弾されるほど辛いものはありませんよね。

 

ぞわり、ぞわりと粗いやすりで心を擦られるような、読んでいて苦しく思える描写だったりもします。

 

ただ……これはちょっと書くのが躊躇われるのですが、無意識の悪意というテーマと、ボーイ・ミーツ・ガールという物語の構造の両立に、少し無理があったんじゃないかと思ってしまったり。。。

 

というのも、涼太はあくまでボーイ・ミーツ・ガールの主人公でなければならず、そうであるからには絶対的に何かしらの人間的魅力を持っていなければならないという制約が付きまといます。

 

そのため涼太の無意識の悪意を描いてしまうと、涼太の無神経さや配慮のなさといった欠点が浮き彫りになり、相対的に魅力は減少していってしまうんですよね。

 

前半部で描かれたクラスや校内でも目立ち、交友関係も広い涼太の表向きの良さが、後半ではすっかり失速してしまいます。もしかしたらこいつ、上っ面ばかりで本当の友達いないんじゃねーの? 無意識に敵作りまくる面倒くさいタイプ? みたいな。

 

後半部では恋のライバルである野球部員の一途さや男気が存分に発揮され、ライバルの評価が上がっていくので、輪をかけて涼太の評価は下がる一方なのです。

 

 

恋に障害はつきもの。壁を乗り越えるからこそ二人の恋が燃え上がる。

とはいえボーイ・ミーツ・ガールの物語における障害って基本的には本人に起因するものではないんですよね。父の病や兄弟の犯罪、両親の反対といった身内の問題だったり、〇日後に留学するといった時間・距離の問題だったり。

決して本人たちは貶めず、仮に欠点や短所があったとしても逆に人間味を膨らませる範囲で留めています。

実直だけど短気とか、真面目だけど寡黙とか、一生懸命だけどドジとか。

一見涼太も「一生懸命だけどドジ」に似通ってはいますが、周囲の反応から察するにドジを通り越してクズになりかけているのがちょっと苦しい。

一生懸命なクズはいくらなんでも苦しい。

無意識に悪意を振りまく人間が一生懸命なんですから。これは手に負えない。

 

そう考えると、物語の軸を無意識の悪意に振ってしまったのはかなり難しいチョイスでしたね。

 

それはそのまま読後感にもつながってしまいます。

 

涼太の一人称で書かれているという理由もありますが、ヒロインである久野ちゃんの心の動きがいまいちよくわからないのです。

久野ちゃんは涼太の一体どこに惹かれたのか、何に惹かれているのか。

涼太の人間性が露呈すればするほど、久野ちゃんが惹かれる理由がわからなくなる。

 

だから最終的に下されるヒロインの決断に対しても、「え、結局そっち行くの? なんで?」と。

 

恋は理屈や打算じゃない。

 

そんな恋愛を描くにしても、最終的に「そっちを選んだ」理由がちょっとよくわからないんですよね。

 

なんとなくそっちの方がフィーリングが合うから。

生理的に惹かれてしまうから。

最初から王子様と結ばれると決まっているから。

 

ボーイ・ミーツ・ガールとはいえ、そんな理由で結ばれるとしたらちょっと残念ですよね。

僕が男だからかもしれませんが、運命の王子様と当然のように結ばれる物語よりはひたむきな想いが報われる物語の方が好きです。

仮に運命の王子様と結ばれるのであれば、最初から最後までむしろ魅力が膨れ上がっていくような王子様であって欲しいと思います。

 

 

感想を書くということ

 

……うーん。

 

基本的に深く考えたりせず、頭に思い浮かんだ内容をそのままタイピングするタイプなんですが。

なんだかネガティブな内容が多くなってしまって、ちょっと自分でも困惑しています。

 

でも濁しても仕方ないですよね。

読んでいて違和感が付きまとったのは事実だし、ラストの展開が納得できなかったのも事実ですし。

 

だいぶ前に又吉さんが「自分には合わなかった。感情移入できなかったと知る事も読書の醍醐味の一つ」といった内容の話をしていました。

だから本書を読んで「僕がこう思った」と考え、こうして残す事は決して無駄な事ではないと思っています。

本書を読まなければ、そうは思わなかったわけですから。

読んだからこそ、ボーイ・ミーツ・ガールの物語の類型であったり、本書と他の物語の異なる点について考えるきっかけになったわけですし。

 

……とまぁ、言い訳がましい事をだらだら書いたりもしたのですが、正直なところ、畑野作品を読むのには勇気が要ります。

正確に言えば、こうして感想をブログに書く事に対して、とも言えますが。

 

詳しくは冒頭に載せた『国道沿いのファミレス』の記事を読んでいただければおわかりかと思いますが、実は前回この記事を書いた時に、Twitterで作者である畑野智美さん本人からアクションをいただいてしまったのでした。

 

しかも、ネガティブに描いた部分に対する「そうじゃない」というご指摘

 

ちょっとこれは恥ずかしいし、畑野さんに対しても申し訳ないしで内心困ってしまいました。

 

このブログを書いているのはほぼ自分の為であり、少なからず読んで下さる少数の読者の方のためでもあるのですが、正直なところ作者や出版社を対象としていません。ネガティブな感想が目に触れればあまり良くないのだろうな、とは思うけれど、それよりも自分の素直な感想を書きたいという気持ちの方が強いです。

 

当たり障りのない事を書いても、書いてる側も読んでいる側もつまらないだろうし、とりあえずなんでもかんでも絶賛しておこうという風潮も好きじゃないです。

 

実際に他の方のinstagramなんか見てると、ちょっとこれはいまいちだなぁと思った本に対して「涙が止まらなかった」とか書かれていたりして、それって本気で言ってんの? と思う事も少なくありません。

 

……で、僕が「これこれこういう点が残念でした」と書くと、「私も同じように思いました」とコメントいただいたりする。自分が同じ作品について投稿した時には「涙が止まらなかった」と書いていた人が、ですよ。

 

特に昨今はSNS映えが重視されているおかげで、正直な感想というものがわかりにくくなっているように感じます。

例えば話題のスイーツを食べに行って、写真を撮って、SNSにアップするとする。

そこに書く内容は「美味しい」とか「可愛い」というポジティブな内容ばかりになるわけです。

……仮に、最後まで食べきれずに途中で捨ててしまったとしても。

 

基本的に承認欲求を満たすためのツールであるSNSって「どう思ったか」よりも「どう思われたいか」の方が優先されがちです。

「話題のスイーツを食べたけど甘いし多すぎて途中で捨てた」と書いたら「いいね!」とはされないですもんね。むしろ自身に対するネガティブイメージを広める結果すら予想されます。場合によっては「食べ物を捨てるなんてけしからん!」とプチ炎上してしまうかもしれません。なのでSNSで承認欲求を満たすためには「話題のスイーツ食べたよ」という投稿をしてしまう。

 

同じように、読んだ本を「面白かった」「感動した」とコピペのように紹介してしまう。

他人に見てもらいたいのは「本の内容」ではなく、「本を読んで感情が揺さぶられるという文化的な行動をしている自分」だから。

読んだ本は基本的に全てハズレはなく、面白い本でなくてはならない。

泣けると話題の本だったけど出たのは欠伸だけ、なんて事実は書いてはいけない。あの作品で泣けないなんて冷たい人間だと思われかねない。とりあえず無難に「感動した」って書いておけばいい。

 

そういうポージングとしての感想が世の中に溢れすぎてしまっている。

 

でもこのブログや僕のSNSに関しては別に誰かから「こう思われたい」から書いているわけではなく、あくまで「僕はこう思った」を書き記すために書いているので、思った事を素直にそのまま書いておきたいと思います。

 

誰かから無意識の悪意を指摘されるのは本当に怖い事なんだけれど。

 

https://www.instagram.com/p/BrWtTJ7F0jg/

#夏のバスプール #畑野智美 読了#国道沿いのファミレスに続く二作目。主人公である涼太が通学途中にトマトを投げつけられる事から始まる #ボーイミーツガール の物語。女の子と学校中を走り回って追いかけっこしたり、自転車でニケツしたり、プールに引きずり込まれたりと青春でいっぱい。キャラクター造形をはじめ全体的に少女漫画的なのでそういうのが好きな方向けですね。女顔で背が低め、不良じゃないけど生徒指導室の常連、友達多いっぱい、恋愛経験は豊富ではないけどなきにしもあらず。そんな男の子が好きな方には余計にオススメです。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『星やどりの声』朝井リョウ

雨から身を守ることを雨宿りっていうだろう。ここは満天の星が落ちてこないようにする「星やどり」だ。

2018年も12月に入りましたねー。

毎年今ぐらいの時期に入ると、「今年はあと何冊読めるかな?」なんて考えてしまいます。

同時に考えてしまうのが間違いのない本を読みたいという事。

 

年内に読める数が限られているのであれば、できるだけハズレは避けて当たりだけを読みたい。

 

そうなると必然的に手が伸びるのが僕の中での鉄板である朝井リョウ

間違いないものを読みたい時には朝井リョウに限る、と絶大な信頼を置く作家さんです。

 

僕の朝井リョウに対する印象は以前書いた『世界地図の下書き』の記事に詳しく書いていますので、興味がある方は読んでみて下さいね。

linus.hatenablog.jp

 

茶店「星やどり」を軸に展開する六人兄弟の物語

今回読んだ『星やどりの声』は、六人兄弟の物語です。

全6章から成り立つ連作短編集で、六人それぞれの視点から各章が書かれています。

 

しっかり者の長女琴美、就職活動中の長男光彦、双子の高校三年生小春とるり、落ち着かない高校一年生の二男凌馬、常にカメラを持ち歩く大人びた小学六年生の真歩。

 

それぞれに悩みと葛藤を抱えながら生活していく六人ですが、軸となるのは喫茶店「星やどり」。

 

「星やどり」は建築家である父が母律子のために建てた店であり、母が一人で切り盛りする海の見える喫茶店

上から吊り下げられてブランコになった椅子が一つだけ用意されていたり、星の形の天窓が空けられていたりと、なかなかオシャレなお店のようです。

15人も入れば目いっぱいの小さい店にも関わらず常に客はまばらですが、女で一人で運営するのは苦労が多いと見えて、長女琴美や三女るりが時々手伝いに来ていたりします。

 

父は数年前に癌で他界してしまい、母一人を六人の子供たちが取り巻くという早坂家の三男三女親一人の環境。

 

それが、本書の舞台設定でもあります。

 

家族小説3:青春小説7

「家族もの」に分類される事の多い本書ですが、読んだ感想としては家族小説3:青春小説7といった印象でした。

 

それぞれの章で描かれるストーリーは子供たちそれぞれの個々の悩みや葛藤であって、家族に直結するものではないようです。

高校生たちは同じ高校に通い、全員が同じ町で暮らし、共通の知人や「星やどり」を通して他の兄弟たちが登場する事もありますが、各章で重要な役割を負う事はありません。

 

唯一、双子である小春とるりに関しては対比としてお互いの様子が描かれる事が多いかな、というぐらい。

 

そうした中で、各章をまたぐようにして「星やどり」であり母律子に疑念や謎が持ち上がって、長女琴美の最終章で全ては明らかになるのですが……

 

う~ん、なんだかなぁ……

 

という個人的には残念な結末だったりしました。

 

違和感の正体

違和感の理由は朝井リョウ自身のインタビューの中にありました。

読者の方に、“星やどりという喫茶店はお父さんが作ったお店だよ”ということを覚えておいてほしくて、お父さんが天井に窓を作ったこと、お店の名前を突然変えたといったエピソードは、各章で必ず言及するようにしました。そうやって子供たちがお父さんのことを思い出すっていう場面を何度も書いていくうちに、この関係性って実は結構、残酷だなって。だんだんと、これは父の呪縛から解放される話かもしれないと思うようになりました。だからああいうラストシーンになったんです。

今の僕が書いたからこそああいうラストシーンになりました | ダ・ヴィンチニュース

 

父の呪縛から解放……?

 

この言葉だけで、ちょっと衝撃ですよね。

 

繰り返し繰り返し登場する亡くなったお父さんが作った喫茶店

家族の思い出が詰まったその店を“呪縛”という言葉で表してしまうなんて。

 

ここから先はちょっとネタバレを含んでしまうかもしれないので未読の方には遠慮してほしいんですけど……

 

 

 

 

 

 

両親や配偶者が遺した店や仕事を、遺された家族が引継ぎ、立て直す家族ものって小説に限らずドラマや映画、漫画等々、昔からよくある物語の形だと思うんですよ。 

でもって必ず「遺された家族が無事引継ぎ、立て直しに成功する」「店の経営を通じて家族の絆が強くなる」みたいなお約束があったりする。

 

でも朝井リョウはそれを“呪縛”と捉えてしまった

これは読み始める前に期待されるストーリーからすると大きな違和感になってしまいますよね。

 

一応擁護しておくと、現実的には上に書いたようなハートフルな話になるケースって少ないのでしょう。

母親一人で六人もの子供たちを育てるだけでも大変だし、ましてや喫茶店の切り盛りも要求されるなんて、たった一人二人の子育てですら手を余しがちな世の母親たちは話を聞いただけでギブアップしてしまう事でしょう。

 

「死んだお父さんが建てた喫茶店だから」という理由で続けていくのって、確かに“呪縛”に等しい愚行なのかもしれません。

 

最終章で明らかにされる通り、「星やどり」は実際経営難に陥っていたようですし。

 

でもね……だとすればそこはもっときっちり描いて欲しかったですね。

 

先に全6章から成り立つ連作短編集で、六人兄弟それぞれの視点から各章が書かれていると書きましたが、お気づきでしょうか?

 

重要な母の視点がないんです。

 

本書はあくまで子どもたちの目から見た「星やどり」という視点で描かれています。

 

母であり喫茶店「星やどり」は小学生や高校生、大学生といった子どもたちの目線と捉え方、想像によって語られるばかりで、実際に店を営む母律子の考えや苦労が描かれる事はありません。

あくまでそこは読者の想像にゆだねられているのです。

 

デビュー作である桐島、部活やめるってよを彷彿とさせる描き方ですよね。

タイトルにもなり物語の主軸であるはずの桐島本人は一切登場せず、その他の登場人物の口から語られるのみ、という当時衝撃的だったあの手法が今回は母律子に対して当て嵌められていると言えなくもありません。

 

とはいえちょっと丸投げ過ぎたかな、と。

 

もうちょっと母の苦悩や心労を匂わせる場面があっても良かったんじゃないか、と思ってしまいます。

 

そんなわけで子どもたちからさんざん「父との思い出エピソード」が語られた挙句、最終的に待つのがそれって“呪縛”じゃね?という見解は結構残酷だったりするんですよね。

 

なので従来の「故人の店を家族で再建する物語」で繰り返し描かれてきた「ハートフルな家族もの」を想像していると、終盤足元をすくわれるという結果になったりします。

 

執筆当時大学四年生だし

本作は朝井リョウの三作目であり、大学四年生の頃に発表されたそうです。

大学四年生といえばまだ22歳。

社会経験もなく、当然親になった経験もありません。

 

そういう意味では、家族ものを書かせた事にちょっと無理があったんじゃないかな。

 

全体的に長男光彦以下の子供たちに関してはよく描けているように思えるのですが、作者自身より年上である長女琴美や両親に関してはリアリティに欠けているようにも感じられます。

琴美は「宝石店に勤める」と書かれていますが、そんな様子は全く感じられません。

 

最終的に「星やどり」の今後を決めていく場面も同様です。

 

店であり、事業をどうするのか。

 

そこには人手の問題よりも先に、お金の問題があったりするはずですし。

 

「星やどり」が資金難に陥るようであれば、子どもたちの生活にも影響がないはずがないんですよね。ほんのちょっとの倹約でどうにかなる話じゃないんです。鬼気迫るような、暗い影が忍び寄るはずなんです。

 

具体的に言えば、「店を手伝って盛り上げよう」なんて思う前に、「生活苦しいからそそれぞれバイトしよう」と考える方がよっぽど現実的だったりします。

大学行ってる場合じゃないから中退して働こう、とかね。

 

そういった「自分の希望を家族の為に我慢する」事を称して朝井リョウは“呪縛”と言ったのでしょうけど。

 

でも上にも書いた通り、“呪縛”にしてしまうぐらいなら、もっともっと“呪縛”らしく金銭的・精神的に追い詰められていく様をリアルに描いていった方が良かったんじゃないかな、と。

 

ただそうなると朝井リョウらしさが全くなくなってしまうんですけどね。

角田光代あたりなら“呪縛”に追い詰められて解放されていく家族の様子をリアル過ぎるぐらい描いてくれそうですが。

 

最終的にまとめると、本作に関しては朝井リョウらしさと題材、物語の方向性なんかがちょっとかみ合わなかったかな、という感想です。

期待値が高すぎたのも悪かったかもしれないけど、ちょっと残念かな。

https://www.instagram.com/p/BrRTTL0Fxe5/

#星やどりの声 #朝井リョウ 読了亡き父が作った喫茶店「星やどり」を営む母と三男三女六人の子どもたち一人ひとりの視点で書かれた6章の連作短篇集。家族もの……と言いつつそれぞれの内容は恋愛や友人、就職活動だったり家族以外のテーマが多いのかな?そこに父や家族との思い出や記憶が混ざり合ってくる感じ。ただ朝井リョウ三作目、大学生の頃に書かれた作品とあって当時の作者より年上の登場人物に難が多いかな。社会人の姉とか、母親とか、親になるという事とか。朝井リョウらしさと題材、物語の方向性なんかが噛み合わなかった印象。鉄板と信頼している朝井リョウ作品だっただけに、個人的にちょっと残念でした。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『天皇の料理番』杉森久英

「ものを食うのは、せんじつめてゆくと、口や舌でなく、魂が食うのだ。口や舌はごまかせても、魂はごまかせない。真心のこもった食べ物は、だから何ともいえぬ味がある」

今回読んだのは杉森久英天皇の料理番

集英社文庫版で上下巻の二冊組です。

 

少し前に佐藤健主演でドラマ化されていたのが記憶に残っていて、最近の作品だと思い込んでいたところ、空けてびっくり。

なんとドラマ化は三度目だったんですね。

 

初回のドラマは堺正章主演でなんと1980年の放送。

僕はまだ生まれてもいない時代。

 

更に1993年の高嶋政伸版を挟み、佐藤健版は2015年で三度目のドラマ化。

 

時代を経てもそれだけ色あせない魅力にあふれる作品なんですね。

www.youtube.com

 

問題児・秋沢篤蔵

本作の主人公は大正期から昭和期にかけて宮内省で主厨長を務めた料理人、秋沢篤蔵。

名前をはじめ、細部はフィクションという事で若干変えていますが、実在した秋山徳蔵がモデルとされています。

 

福井県越前市で生まれ育った篤蔵は生まれながらのわんぱく小僧。

背は人より低いけれど、短気で腕っぷしが強くて有名。

 

そんな篤蔵は十歳にして自ら「坊主になりたい」と言いだし、家族の度肝を抜きます。

 

本人の意志を尊重しようという両親の想いにより、一旦は寺へ入る篤蔵でしたが、悪戯が過ぎると即座に破門。

その後もよその商家に養子に出されたりしますが、一度目は両家の都合により破談に。

 

二度目は妻まで娶っておきながら、鯖江連隊の田辺軍曹から教えてもらったカツレツをはじめとする洋食の味に魅了され、料理人を志してたった一人家出をして東京に出る始末。嫁にも義理の両親にも何も告げずに失踪するという鬼畜ぶりです。

 

東京では兄の伝手から華族会館で働き始め、順調に職場にも仕事にも慣れてきたように思えますが、ずる休みをしてよそのレストランに修行に出たりしていたのがバレ、上司に追及されたところ逆ギレして暴行と、若い頃は手のつけられない問題児でした。

 

その後小さなレストランバンザイ軒で働き出しますが、ここも客と口論になってクビに。

 

失敗を重ね、一旦戻った郷里で病に伏せる兄から説教を受け、再び上京。

今度は華族会館に並び当時を代表するレストランである精養軒で働き始めます。

 

ここではグラン・シェフである西尾がフランス修業時代から書き溜めた虎の巻とも呼べるノートを盗み出すという暴挙を働きます。当然大騒ぎになり、こっそり処分する事も脳裏を過りますが、ノートを作り上げるまでの西尾シェフの苦心を思い、篤蔵は正直に名乗り出るのです。

 

西尾シェフは一緒にしまっておいたお金には目もくれず、さらに正直に名乗り出てくれた篤蔵の素直さに感心し、誰にも内緒にしたまま水に流してくれるという有名なエピソードです。

 

……とまぁ、ここまでが上巻のエピソードなんですが。

 

秋沢篤蔵、かなりの悪人ですね。

 

嫁を置いて勝手に東京に出てしまう下りなんて、およそ正気の沙汰とは思えません。

その後可愛いお嫁さんは一度は東京にやって来るのですが……その後篤蔵のとった行動もなかなかの噴飯もの。

 

島崎藤村にも匹敵する鬼畜野郎です。

 

そんなわけで、正直なところ上巻は篤蔵の幼少時代から下積み時代が描かれているのですが、読んでいて気持ち良いものではありません。

 

どこまでが現実でどこまでが架空の話か、線引きは定かではありませんが、確かにこれは秋山徳蔵名義のノンフィクションとして出すわけにはいきませんよね。

 

後半は一転、フランスへ

精養軒の料理長西尾に影響された篤蔵はフランス行きを決意します。

そこからは一転、華やかなフランス料理界へと舞台が変わるのです。

 

篤蔵が修行した店もオテル・マジェスティックからはじまり、カフェ・ド・パリ、オテル・リッツと今でも通用するような名だたる名店ばかり。

リッツといえば料理界の王様ことオーギュスト・エスコフィエのお膝元でもあります。

 

現代のフランス料理の礎を築いたと言われるエスコフィエの元で働いていたなんて……初めて知った僕にとっては大変な驚きでした。

 

また、有名な三ツ星レストランであるトゥール・ダルジャンへ行き、鴨を食べる一幕も。

 

フランス料理の輝かしい黄金時代の真っ最中である事に、本当に驚きを隠せません。

 

上巻があまりぱっとしなかっただけに、下巻に入ってからの展開には驚くばかりです。

 

そして、日本人で唯一「料理の修行のためにフランスへ渡った」第一人者でもある篤蔵は大使館から宮内省でのシェフの座を打診されます。

 

越前の暴れん坊が遂に天皇の料理番となる日が来たのです。

 

天皇の料理番としての日々

当時はまだ日露戦争が終わったばかり。

パリにいる篤蔵の元に、明治天皇崩御の一報が届いた時、篤蔵は一目もはばからず涙を流し、しばらくの間塞ぎ込んでしまい、周囲の同僚たちからは驚きの目で見られたと言います。

 

そんな時代を生きる篤蔵でしたから、他の著名なレストランやホテルからの打診や金銭上での誘惑には目もかけず、宮内省入りを決意します。

フランス仕込みのシェフという肩書があれば、望むだけの報酬が手に入った時代です。

篤蔵は金よりも「天皇の料理番」としての誇りを選んだのです。

 

今とは天皇に対する意識も違いますね。

 

天皇が日々口にする食事を準備するのが篤蔵の仕事ですが、時には英国の陸軍少将や幕僚を招いた食事会を手掛けたりもします。

 

その内容というのがとにかく贅を尽くしたもの。

 

 戦前の皇室がいかに裕福な暮らしぶりだったかをうかがい知る事ができます。

 

第一次世界大戦後には皇太子さまのヨーロッパ親善旅行に同行し、バッキンガム宮殿での晩餐会の裏側に潜入する一幕も。

 

篤蔵を通しイギリス王宮の晩餐会の荘厳さや日本とは異なるシェフの気さくさに触れ、文化の差を鮮やかに描き出しています。

 

第二次世界大戦以後は、食糧難や占領下での生活、以前と比べ質素な暮らし等、皇室にも大きな変化が訪れますが、その長い長い時代を秋山篤蔵は「天皇の料理番」として過ごしてきたのです。

 

単なる料理小説ではなく、戦前戦後の昭和の時代や空気感、天皇に対する思想等の面からも、学びの多い本と言えるでしょう。

 

 

僕の心の書『陰翳礼讃』

しかしどうしてまた本書に魅了されてしまったのかというと、僕は一時期フランス料理に興味を持って勉強していた時期があります。

当時からバイブルとして繰り返し何度も読んだのが海老沢泰久の『陰翳礼讃』

 

調理師専門学校の創始者であり、日本にフランス料理を広めた第一人者である辻静雄の半生を描く伝記小説です。

辻静雄が本場フランスに渡り、本書にも出てきたようなトゥール・ダルジャンやカフェ・ド・パリ、さらにはピラミッドやマキシムといった著名な三ツ星料理のレストランを食べ歩き、シェフやマダムたちと親交を深める様子がこれでもかと書かれています。

 

日本におけるフランス料理の黎明期に彼が残した功績と合わせて、見た事もない勾玉の料理の数々をリアルな筆致で楽しめる本でもあります。

 

これ以外に辻静雄本人も料理やワイン、フランス文化についての沢山の本を記しており、一時期は夢中になって読み漁ったものでした。

 

そんなわけで僕の中では「日本にフランス料理を広めた人=辻静雄」であって、それ以前のフランス料理は「フランス料理を真似た欧風料理(今でいう洋食みたいなもの)」と一人合点していたのですが、辻静雄よりも先にフランスに渡って料理の勉強(しかもエスコフィエの下で!)をしていた人間がいたという事実に本当に驚かされました。

 

しかもよくよく調べてみると、 秋山徳蔵辻静雄には当然ながら交流もあったようですね。

 

辻静雄著の『フランス料理の学び方』には二人の対談も収録されているそうです。

 

辻静雄本で手に入るものはほぼ全て読みつくしたような気になっていたけど、本書についてはさっぱり記憶になかったなぁ。

 

……とまぁ脱線してしまいましたが、そんな訳で本書『天皇の料理番』と先に紹介した『陰翳礼讃』は合わせて読むと日本におけるフランス料理の歴史がとてもよくわかる内容になっています。

 

時間軸的には『天皇の料理番』が先で、その後に『陰翳礼讃』ですね。

 

先駆者としての秋山徳蔵がいて、伝道師としての辻静雄がいた。

 

今風に言えば秋山徳蔵がイノベーターで、辻静雄がアーリー・アダプターでありオピニョン・リーダーだった、という感じかな。

 

どちらも素晴らしい本なので、ぜひ読んでみて下さいね。

https://www.instagram.com/p/BrMCrykFFAQ/

#天皇の料理番 #杉森久英 読了実在した料理人 #秋山徳蔵 をモデルにした伝記本本書は徳蔵の悪ガキ時代から二度の大戦を経て料理人を引退するまでの姿が描かれてます。単なる料理本としてだけではなく、現代とは異なる皇室の暮らしぶりや庶民の天皇に対する意識の違いについても窺い知ることができます。それにしても戦前からフランス料理を学びに単身フランスに渡り、エスコフィエの教えを受けていた料理人がいたとは驚きでした。正統なフランス料理を日本に持ち帰ったのは #辻静雄 だとばかり思い込んでいました。本書と合わせて #海老沢泰久の #美味礼賛 を読めば、日本におけるフランス料理の歴史がより詳しく知ることができます。どちらも優れた小説なのでぜひ読んでみて下さい。 #本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『密室殺人ゲーム・マニアックス』歌野晶午

「ただし、ここにいる四人は真相解明を放棄したわけだけど、そっちいるおたくたちは意思表示をしていませんよね。ワタクシのアリバイ崩しに興味がありますか? 傍観するだけでは物足りませんか? それではどうぞ、かかってらっしゃい。」

第10回本格ミステリ大賞を受賞した歌野晶午『密室殺人ゲーム王手飛車取り』のシリーズ三作目、『密室殺人ゲーム・マニアックス』です。

 

一般的に一作目に比べると二作目である『密室殺人ゲーム2.0』は評価が低く、三作目となる本書はさらに落ちるとされています。

まぁ「実際に犯した殺人を題材に謎解きを行う」という『密室殺人ゲーム王手飛車取り』から始まったストーリーはあまりにもセンセーショナルであった反面、回を重ねるごとに新鮮味が薄れてしまうのは仕方のない事なのかもしれませんね。

 

ましては『密室殺人ゲーム2.0』の文庫版あとがきには「『密室殺人ゲーム・マニアックス』については当初の想定外の作品であり、「2.5」とでも呼ぶべき位置づけ」というような事が書かれており、正直読む側としては

 

それを言っちゃあおしめえよ!

 

と言いたくなってしまいます。

 

つまり番外編・外伝的位置づけ……と書かれてしまうと、「じゃあ本シリーズよりは落ちるって事だよね?」と勘繰らずにはいられませんよね。

かもしれませんが……一ファンとしてはシリーズが無事終結するまで見届けないわけにはいかないでしょう。

“どんなところが番外編なのか”という点こそがむしろ本作の見どころ・読みどころなのかもしれません。

尚、第一作・第二作のブログは下記の通りです。

linus.hatenablog.jp

linus.hatenablog.jp

極力ネタバレしないように書いているつもりですが、意図せず漏らしてしまっているケースもあるかもしれませんので、未読の方にはあまりおすすめしません

 

これまで通り始まるいつもの5人組

三作目となる『密室殺人ゲーム・マニアックス』も、基本的な構造はこれまでと同様です。

ダースベイダーやジェイソン等、様々な姿に扮装した“頭狂人”、“044APD”、“aXe(アクス)”、“ザンギャ君”、“伴道全教授”という5人が、インターネット上のチャットを通して殺人事件の推理ゲームを行う展開です。

 

こうして5人揃って始まってしまう時点で、第一作目『密室殺人ゲーム王手飛車取り』を読んだ人間からすると謎かけが始まってしまっていたりするんですけどね。

 

今回もまた、「六人目の探偵士」「本当に見えない男」「そして誰もいなかった」という3つの章、3つの謎かけが用意されています。

 

一つ一つの謎の内容・解答については、ある意味では本書の“おまけ”みたいなものですので詳しくは触れませんが、第一章の冒頭、出題者である“aXe(アクス)”が当ブログの最上部で引用したような言葉を発したところから、第三作目としての新たな展開が始まります。

 

それではもう一度

 

「ただし、ここにいる四人は真相解明を放棄したわけだけど、そっちいるおたくたちは意思表示をしていませんよね。ワタクシのアリバイ崩しに興味がありますか? 傍観するだけでは物足りませんか? それではどうぞ、かかってらっしゃい。」

 

……もうおわかりですね?

“aXe(アクス)”は明らかに、5人とは「別のだれか」に向けて語りかけています。

 

つまり……

 

これまでは「選ばれた5人のお遊び」だった密室殺人ゲームが、インターネットを通じてその他不特定多数の人間に向けて発信されてしまうのです。

 

彼らの動画はネット上に公開され、実際にそれを見た嵯峨島・三坂という二人の男が、彼らの残した謎を解こうとする様子が合間合間に挿入されていきます。

 

ええと……

 

先に「前二作に比べると劣る」と書いてしまいましたが、これって

 

めっちゃ面白くないですか?

 

第一作目である『密室殺人ゲーム王手飛車取り』はあくまで5人の間だけの秘められたゲームでした。

第二作目である『密室殺人ゲーム2.0』では、第一作目の5人の映像が流出してしまい、世間に広まってしまう事で新たな展開を見せました。

さらに第三作目である本書『密室殺人ゲーム・マニアックス』では、自分たちの犯罪と謎かけを自ら発信してしまっているのです。

 

絵に描いたような正常進化ですよね。

 

手がかりだらけの映像を公開した彼らがどうなるか。

彼らの謎を追いかける嵯峨島や三坂たちがたどり着いたのは。

 

書いてるだけでものすごく面白そうです。

 

 

以下、余談

先に書いておきますが、あとは読んでも読まなくても良い内容です。

本書には直接関係のない話ですので。

 

何せ推理小説って、何を書いてもネタバレになりそうで感想が書きにくい。

 

正直上に書いたような内容も、知らないで読んだ方が楽しめるはずですし。

 

そういう意味では推理小説って、面白さを他人に広めるのが難しい題材ですよね。

 

リアル書店やネット書店でも、時たま「叙述トリック特集」とか「どんでん返しフェア」みたいな特集組んでたりして、うんざりしてしまいます。

 

そうと知って読む推理小説ほど、つまらないものないんですけど。

 

「この小説は叙述トリックがすごい作品です」なんて先に知ってしまったら、穴が空くほど文章とにらめっこしてしまいますよね。

 

この“私”って女っぽく書いてあるけど本当に女?

ちょっと待って。この“彼”ってどっちの“彼”?わざとわかりにくく書いてない?

 

そんな風に勘繰りながら読む小説ってすごくつまらないし、最終的に読み終わった後も「騙された」と悔しく思うばかりで「びっくりした」「予想外だった」みたいな本来の楽しみは味わえない気がします。

 

とはいえ、SNSなんかでも普通に「叙述トリック系の面白い本でした」みたいに100%悪意なくネタバレ感想垂れ流しちゃってる人がいたりして、もうそれに関しては交通事故にでも遭ったと思うしかないわけなんですが。

 

時々改めて、綾辻行人館シリーズを何の予備知識もなく読めた僕は幸せだな、なんて思ったりします。

https://www.instagram.com/p/Bq1aNY5lrs6/

#密室殺人ゲームマニアックス #歌野晶午 読了第10回本格ミステリ大賞を受賞した #密室殺人ゲーム王手飛車取り シリーズ三作目前作のあとがきによると当初は構想になかった2.5作目らしい巻を重ねる度に評価は右肩下がりなんだけれど、なかなかどうして、密室殺人ゲームは正統に進化を遂げていて存分に楽しめました。 ……もしかすると読んでる本人がマニアだからかな?2018年もいよいよ12月。残すところ1ヶ月で何の本を読もうか迷いどころですね。何か面白い本があれば教えて下さい。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『本のエンドロール』安藤祐介

「印刷会社は……豊澄印刷は、メーカーなんです」

 

最近年のせいか、涙もろくなってきたんですかねぇ。

 

常々「本を読んで泣く事はない」と公言しているのですが、先日読んだ『東京タワー オカンとボクと、 時々、オトン』に続き、本作は胸にぐっと迫るものがありました。

 

linus.hatenablog.jp

 

決して「泣かせる話」ではないんですよ。

大切な人が死んだり、大事なもののために自分を捨てたりとか、そういう話ではない。

 

にも関わらず、エピローグではこみ上げるものを堪える事ができませんでした。

 

先に書いておきます。

 

読んでください。

 

読むべき本です。

少なくとも僕の中では、羊と鋼の森に迫るぐらいの感動と、後をひく余韻が残りました。

 

2018年3月刊行の本書がどんな賞レースに該当するのか、ノミネートされるのか、そもそももう遅いのかわかりませんが、もし間に合うのであれば本屋大賞にはぜひノミネートして欲しい

 

出来れば次の本屋大賞の本命として堂々受賞に至ってほしい

 

そう思って止まない本でした。

 

読んでいて苦しい

主人公は豊澄印刷の営業部に勤める浦本。

彼は元々別な印刷会社で包装物の営業を担当していた中途入社組。

会社説明会で冒頭の「印刷会社はメーカーだ」という言葉を口にした事で、社内からは失笑を買います。

 

補足しておくと、本書で言う「メーカーだ」は自動車に例えればわかりやすいかもしれません。

自動車の企画や設計、販売を行うのはトヨタや日産をはじめとする「メーカー」です。

ですが自動車の部品製作や一部の組み立て工程を請け負う工場はどうでしょうか?

「メーカー」と呼べるでしょうか。

 

豊澄印刷はあくまで出版社の意向・注文を受けて実際に形にするという印刷会社です。

自分たちで本の企画や編集作業を行うわけではありません。

 

浦本の主張がどんなに的外れかは、同じ営業部のエースである仲井戸の言葉がわかりやすいです。

「文芸作品の中身を作っているのは作家や編集者です。私たちは、それを書籍という大量生産可能な形式に落とし込み、世の中へ供給するための作業工程を請け負っています。その作業工程におけるプロとしての立場に徹するべきです。」

どうやら社内の大勢は、仲井戸と同一認識と思って良さそうです。

 

どうして浦本の主張が失笑を買ってしまうのかというと、浦本は本作りに対する熱意に溢れるがため、かえって空回りしてしまうタイプなのです。

本来の営業業務から逸脱した言動をしてしまったり、出版社の無理難題をそのまま持ち帰って現場を混乱させたりと、社内からや冷ややかな目で見られています。

そんな彼だけに「印刷会社はメーカーだ」という主張は、「そんな勘違いして余計な事に首突っ込む前に目の前の仕事を完璧にやり遂げてくれよ」という反感を買ってしまうわけです。

挙句、印刷工場の責任者である野末には「伝書鳩」と呼ばれる始末。

 

出版社と社内の双方から板挟みに遭い、なんでもかんでも押し付けられる営業という辛い立場……。

浦本は毎晩遅くまで働き、休みの日にも容赦なく電話がかかってきます。

序盤は正直、読んでいて心苦しくなってきます。

 

様々な会社でよく見られる一般的な光景なのかもしれまんが……僕自身同じような立場で仕事をしていた事もあるので、浦本の気持ちが良くわかりました。

決して悪意があるわけではなく、むしろ誠意と熱意を持って取り組んでいるはずなのに、現場や会社の都合が優先されて忸怩たる思いをせざるを得ない毎日……。

 

加えて、浦本に敵対心を燃やす野末にも複雑な家庭の事情がある事も判明。

野末に関しては不運・不幸としか言えないような苦しみであったりもします。

 

もう読むのやめようかな。

 

この本ってなんだか痛々しいだけの物語なのかもしれない。

 

もうちょっと味方や理解者がいてくれてもいいのに。

 

あまりにも登場人物たちが嫌らしい人間ばかりで、浦本が可哀想になってしまい、読むのをやめようかと迷った程です。

 

でも、安心してください

本書では5つの章立てがされていますが、それぞれが登場する本のタイトルにもなっています。

簡単に言うと、五冊の本を作り上げる過程でそれぞれ問題が持ち上がり、都度周囲や運に助けられながらも苦労して世の中に本を送り出していくという物語です。

 

先に書いた通り、浦本を襲う問題は情け容赦なく、読んでいて本当に心苦しいものばかり。

ですが物語が進むにつれて、少しずつ周囲の様子も変化していくのがわかります。

最初は少なかった浦本の理解者が増え、スタンドプレーと揶揄された浦本の行動に賛同する者が出てくるのです。

そうして、最初は頑なに思えた仲井戸や野末といった人間もまた、浦本を認め、心を開き、最終的には誰よりも浦本をよく理解し、協力する仲間へと変わります。

 

一つの問題を乗り越える度に仲間が増えていく様子を見守っている内に、序盤にあったような心苦しさもいつの間にか払拭されてしまうのですが、やがて、当初は対社外・対社内という浦本の視点で描かれていた本書の根底に、もっと大きな問題が横たわっているのに気づかされます。

それこそが、登場人物たちの心を一つにしたきっかけと言っても過言ではありません。

 

 

電子VS紙

豊澄印刷もまた、電子書籍という時代の波に襲われます。

浦本は電子書籍統括営業という肩書をつけられ、積極的に電子書籍にも対応していこうという会社の方針が示されます。

そんな中、受注を伸ばし、印刷機稼働率を保つ事で電子化の波に抗おうと奔走する浦本たちでしたが、決死の抗戦むなしく、五台あるうちの一台の廃止が決定してしまいます。

 

それも、元々予定されていた入替を取りやめにしての、廃止です。

 

浦本たちは肩を落とします。

印刷工場で働く野末達の落胆ぶりはそれ以上です。

言うまでもありませんが、機械の減少はやがて現場で働く人間のリストラにも直結しかねない問題です。

 

この先、紙の本の需要はどんどん減っていってしまうのか。

いずれ電子にとって代わられてしまうのか。

紙の本の持つ存在意義とは。

 

本書の中で場面や人を変え、何度も何度も論じられるテーマ。

 

なかなか答えの出せないその問題に対し、浦本たちは幾つかの答えを導き出します。

あるいはそれらは、到底答えとは言えないかもしれません。

でも少なくとも現在の出版業界・印刷業界の立場や立ち位置を表していると言えます。

 

どうしてこんなに胸が詰まるのか

エピローグではそれまでの伏線を活かした非常に自然な形で、まるで本書の集大成のように、新たな本が生み出される過程が描かれています。

 

そこに関わった人。

関わった機械。

関わった企業。

 

沢山の人と想いの先に、一冊の本が生み出されるのだと、改めて思い知らされます。

 

自分が今手にしているこの本もまた、同じような過程を経て生まれてきたのかと思うと、感慨を抱かずにはいられません。

 

決して感動させるべく書かれたシーンではないはずなのですが、じんわりとこみ上げるものを堪える事ができません。

 

本を閉じた後も、ぼんやりと考えてしまいます。

 

自分にとって、本とはなんなのか。

紙と電子の違いとは。

これから先も、自分は紙の本を読み続けるのだろうか、と。

 

話題作……ではあるはず

講談社のページを見てみると、現在(2018年11月29日)時点で本書は第5刷との事です。

bookclub.kodansha.co.jp

また、本書の刊行に合わせてyoutubeでは専用動画まで配信される力の入れ様。

www.youtube.com

その他様々な媒体でも著者インタビュー等で取り上げられており、少なくとも注目を浴びている作品には違いありません。

xn--nckg3oobb0816d2bri62bhg0c.com

実際僕が読もうと思ったのも、Instagramのフォロワーさんの投稿を見たのがきっかけでした。

ところが……

 

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……あれ?

投稿122件ってなんか少なくないですか?

 

もう一つ人気を探るバロメーターとして、アマゾンのレビュー。

 

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……15件。

めっちゃ少ないですね。

 

今のところなんの賞レースにも入っていないので、認知度が低いのは仕方ありませんが……それにしても少なすぎるように感じます。

 

逆に言うとそう思えるぐらい良い本なんです。

 

ちょっと個人的に分析してみたんですが……もしかしたらプロモーションをしくじってるのかもしれませんね。

例えばアマゾンに書かれている内容紹介。

作家が物語を紡ぐ。編集者が編み、印刷営業が伴走する。完成した作品はオペレーターにレイアウトされ、版に刷られ、紙に転写される。製本所が紙の束を綴じ、"本"となって書店に搬入され、ようやく、私たちに届く。廃れゆく業界で、自分に一体何ができるのか。印刷会社の営業・浦本は、本の「可能性」を信じ続けることで苦難を乗り越えていく。奥付に載らない、裏方たちの活躍と葛藤を描く、感動長編。

……なんかちょっと、違うんだよなぁ、と。

間違ってはいないんだけど、実際に読んで得られた感動を代弁しているわけじゃない。

さらに輪をかけて誤解の元になっていると思われるのが、その後。

印刷・製本等業界で働く人々から大絶賛!

本ができた感動は携わった人の思いが読者に届けられたときに得られるもの。ひとりでも多くの本好きに読んでほしい本だと確信しています。【印刷営業 男】

組版って、バランスよく、美しく並べて、読みやすい状態にすること、PCやスマホで文字を打つときは気にしないですよね。この本を読むときに少し気にしてもらえたら嬉しいです。【DTP組版 女】

「本」に関わる全ての人の姿を見せてやろうというタイトルに偽り無しの本でした。この中の一つに関わってるのだと思うと不思議な感じです。【印刷機オペレーター 男】

組版、校正、印刷、製本担当者は職人です! 組版の奥深さ、校正の大切さ、職人のこだわりをお楽しみください!【生産管理部 男】

世間的に出版不況と騒がれる我が業界の縁の下を、インキ臭く描いた、異色の小説が生まれました。ヤバい本を生み出すドラマは、きっと湿し水をあなたに与えてくれます。出版社と読者の真ん中で、日夜汗まみれパウダーまみれな僕達には、いつだって刷らなければならない本がある。閉塞感の強い時代に、ちょうしよく、空気を入れたい。仕事を探す若者に、仕事に疲れたつくり手たちに、僕ら現場からオススメします。【印刷営業 男】

小口側の扇のような丸みを見てやってください……。そこに私の奥義があります。【製本工場勤務 男】

実は1枚1枚、均一な印刷される前の白紙用紙を作って届けるのにもドラマがあります!! 用紙会社の思いも届け!!【用紙代理店 男】

本書に登場するような現場で働く人たちの声を載せるというアイディアは悪くはないんですけどね。

確かにそこにも興味は持つんですよ。

しかしながらどうも本書、「業界人も絶賛する本作りについて詳しく書かれた本」というイメージがマイナスに働いてしまっている気がします。

 

確かにどんな本を読むよりも本作りについて詳細に描かれているのですが、それはあくまで本書の一要素であって本筋ではないはずなのに。

 

そういう僕もうまく説明できないのですが、上に書いてきたような「電子vs紙」みたいなテーマでもあるし、野末を通して描かれてるような「人生の悲哀」みたいなものだったりもするし。

 

もっともっと色々なものが複雑に絡まりあってすごく良い作品に仕上がっているのに、「業界人も絶賛する本作りについて詳しく書かれた本」に帰結してしまっているのがとにかくもったいないなぁ、と。

 

今頃読んだ僕が言うのもなんですが、ちょっと皆さん、一度読んでみませんか。

僕的には『羊と鋼の森』と同等クラスの良書でしたよ。

 

少なくとも決して読んで損したと思えるような本ではありませんから。

 

まだの方はぜひ読んでみて下さい。

自信を持ってオススメします。

https://www.instagram.com/p/BqwNC79FyXt/

#本のエンドロール #安藤祐介 読了ヤバいですね。すごく良い本でした。#羊と鋼の森 クラスの大物です。 ほうぼうで紹介されている通り印刷会社を軸に出版業界について書かれた本だけど、それだけではありません。人間ドラマとして、昨今の出版業界を取り巻く状況を描いた社会派小説として、本当に素晴らしい作品です。決して泣かせる為の物語ではないはずなのに、エピローグでは胸にこみ上げるものがありました。本では泣かないはずだったのに、最近は涙脆くなったのかな?読んだ後、本について、本を読む事について深く考えさせられてしまいます。インスタのタグが122件?Amazonのレビューが15件?どう考えても少なすぎる。もっと読まれて然るべき作品なはずです。今更言うのもおこがましいですが、ぜひ皆さんも読んでみて下さい。後悔はしないはずです。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。