ダイヤの鳥籠に入った小鳥と、大空を自由に飛べる小鳥、どっちの方が幸せだと思う?
『崩れる脳を抱きしめて』を読みました。
こちらも先日読んだ『星の子』と同じ第15回2018年本屋大賞ノミネート作品で、その時大賞を受賞したのは辻村深月さんの『かがみの孤城』でした。
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上の二作はどちらも良い作品でしたね。
『かがみの孤城』については「個人的には本屋大賞を獲ってもおかしくない作品」なんて書いた予想が的中してしまったし。
……で、まぁ本作。
はっきり言って合いませんでした。
しかも残念な事に僕にとっては憤りを覚えるタイプの作品だったんですよねぇ。
本来だと細かくああだこうだ書かずに次に進みたいところなのですが、今年の残り僅か、今年最後のハズレ作品として、ちょっと細かく「何がダメなのか」分析を試みてみたいと思います。
本作及び知念実希人ファンの方はスルーして下さいね。
喪失系感動物語
最近またブームなんでしょうか?
安易に量産され過ぎてませんか?
不治の病に侵され、残り僅かな余命を懸命に生きるヒロイン。
当ブログでも何度も描いてきていますが、これって堀辰雄の『風立ちぬ』を筆頭に擦られまくっているネタなんですよね。
しかも『風立ちぬ』をはじめ、過去に名作と呼ばれる作品が多いのも玉にキズ。
セカチューの略語でも知られる片山恭一『世界の中心で愛を叫ぶ』であったり、中村航『100回泣くこと』であったり。
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でもって最近で一番のヒット作と言えば、コレになるでしょう。
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こういった物語についての考察は、上の『君の膵臓をたべたい』の記事でさんざん書かせていただきました。
こういった物語は基本的にストーリーも似通ってきます。
- 出会いから始まり、二人が親密さを増し、お互いに相手の重要さを認識。
- 盛り上がる感情と反比例するようにやがて訪れる彼女の死という逃れられない運命に苦悩。
- 愛を語る上でこれ以上ないカンフル剤として「病」を利用し、あとは死後の喪失感を描く。
ざっくりこんな感じです。
死を描くことで愛がより際立ち、喪失感で涙を誘うというお決まりのパターン。
本書もまた、研修医である主人公が実習先としてやってきた病院で、ユカリと名乗る一人の女性患者と出会うところから始まります。
ユカリの病名はグリオブラストーマ(悪性脳腫瘍)。
余命は僅か数ヶ月。悪化すれば今すぐ死んでもおかしくない時限爆弾。
二人は出会い、お互いを知り、わかりあう事で次第に惹かれていって……ってもうお決まりのパターンだから説明も想像も面倒ですね。
本書はミステリの体裁を取り入れつつも、下敷きとしては上記のようにさんざん擦られまくった物語の構造を題材としているのです。
天真爛漫系ヒロイン
……で、これもまた最近の流行りなんでしょうか?
余命宣告を受けたヒロインが妙に溌剌・天真爛漫にふるまっていたりします。
その最たるものが『君の膵臓をたべたい』なのかもしれませんが。
ただ僕、『キミスイ』に関しては決して悪い評価はしていなくて、むしろ肯定的な立場をとっています。
詳しくは『君の膵臓をたべたい』の記事を読んでいただきたいのですが、『キミスイ』はああ見えて実は、テンプレから踏み出そうとしたオリジナリティーに溢れる作品だったりするからです。
ヒロインが末期患者とは思えない振る舞いを許されるのも、医学の進歩という理由づけが成されています。
現実社会において、末期癌の患者の多くは緩和ケア病棟でモルヒネをはじめとする薬剤を投与されながらベッドの上で最期を迎えて行きます。
『キミスイ』で描かれていたのは従来の緩和ケアから進化し、それまで同様の日常生活を送りながら最期を迎える事が出来るパラレルワールドを前提としていたのです。
……さて、本書ではどうでしょう?
腫瘍が脳幹部にまで浸潤しているため手術不可能と判断、放射線療法を受けるが効果は少なく、中止となる。七月、緩和医療を目的として当院に店員。現在、鎮痛剤により頭痛はコントロールできているものの、抑鬱症状が強い。
ある程度の年齢になって、周囲で似たような病状の方を目にした経験があったりすると、上のような状況の患者さんが一体どのような状態にあるか、想像できるかと思います。
そもそも「緩和治療を目的」とする患者さんがどんな状態にあるかって、想像するだけで胸の痛い話だったりするんですが。
著者である知念実希人さんもまた現役医師であるそうですから、知らないはずはないんですよね。僕たちよりもよっぽど詳しいはず。
でも、知っている上であえて無視しているのかな?
とにかくそんな患者さんが若い医師と楽しく会話したり、時に喧嘩をしたり、ましてや「長い黒髪」「すっと通った鼻筋と長いまつ毛」「柔らかそうな髪がふわりと揺れる」といった形容が似合うような状態であるはずがないんです。
もっと言えば、一目惚れに等しいようなトキメキを抱かせるような状態ではあり得ない。
読み始めの前提条件からあまりにもリアリティーが欠落してしまっている事で、一気に読み手のモチベーションを急落させられてしまいます。
フィクションとはいえリアリティーが必要条件なのは言うまでもありません。
村田沙耶香さんの『消滅世界』のような突拍子もない設定の作品が受け入れられるのも、あくまで「こういう世界だったら人間ってこういう風になるかも」という共感できるリアリティーがあってこそです。
「脳に悪性腫瘍があるけどそれ以外には特に問題ないからピンピンしてる。その代わり、破裂したら即死ね。尚、痛みがないのは痛み止めのおかげ。時代設定は現代」
という状況は、現実感をもって想像できる設定でしょうか? そういう状況だとしたら、本人の肉体や精神はどんな状況でしょうか? 本書のような状態になり得ますか?
僕には信じられません。
例えそれがフィクションだとしても、成立しえる条件にあるとは思えません。
記号的登場人物
これも最近のラノベ界隈ではよく見られる傾向ですね。
登場人物たちが記号的で、リアリティーが欠落するとともに感情移入ができない。
この記号的、という表現をもう少し詳しく説明すると、レッテル貼りと言い換える事もできます。
例えば主人公。
医者だと言いますが、物語の中で医者らしい振る舞いや考え方、もっというと医者らしい生活感のようなものが一切感じられない。
医者を目指す理由も金のため、金にがめつい性格と説明されますが、やはりこれも彼の言動からはほとんど感じる事ができない。
“医者”“金にがめつい”といったレッテルが貼られ、そういう配役として動くから成立しているだけで、らしさがないんです。
舞台で例えれば、若く美しい女優が“おばあさん”という名札を付けただけでおばあさん役を演じるようなもの。役作りは一切なく、メイクもセリフ回しも全てが若い女性そのものでしかないのに、“おばあさん”という名札がついていて“おばあさん”の役を演じているから、一応物語は成立する。でも、観客側はどうにも不思議なものを見るかのような複雑な気分で舞台上を眺めている。
そんなちぐはぐさ。
主人公に限らず、終末期にあるはずのヒロインも同様です。
病院の他の登場人物も全てが同じ。
記号的にそれぞれがそれぞれの役に就いているだけで、さっぱりリアリティーが感じられない。
もっと簡潔に書くと「人間が描けていない」という結論になるんですかねぇ。
なので本来であれば死を目前に控え、非常にナーバスであるはずのヒロインが主人公に惹かれた理由にもさっぱり共感が持てないんですよね。
そんな魅力、どこにあったっけ?
本人は「本当の恋をしたことがない(←これもレッテルの一つ)」と言いつつ、過去には相手が勝手に寄ってきたそうですから、ルックスはそれなりなのでしょう。
とはいえ、ヒロインと主人公の交わした会話の中で、それほどまでにお互いを惹き付けるものがあったとは思えません。
その後も象徴的なやりとりがあったようにも感じられません。
なし崩し的に、“運命”という名の予定調和的に、お互いが惹かれあっていくだけです。
そういう物語だから、配役だから二人は恋に落ちた。
ここにも記号的な役割を演じる主人公たちの様子が現れているように感じます。
ミステリ要素
ちなみに本書は恋愛小説でもありますが、ミステリ小説でもあるようです。
そもそも知念実希人さんはミステリ作家みたいですね。
謎は大きく二つ、前半と後半に用意されています。
ただ……その内容に関してはどうしようもない程に、辻褄合わせ感の強いものです。
先に結論ありきで組み立てているのが丸わかりの中途半端さ。
どうしてそんな面倒な事をしたの? もっと他に方法あるよね? それって一歩間違えたら気づかれないままで終わったかもしれないよね? 追い詰められた人間がそんな一か八かの賭けみたいな手段とる? その理由ってかなり適当じゃない?
もうなんか読んでて疑問点でいっぱいになってしまって。。。
かといって『イニシエーション・ラブ』や『葉桜の季節に君を想うということ』のように読み返して確認するようなものでもなく、ただただ説得力に欠くというか、辻褄合わせ感が強いというか。
文章もすごく稚拙で全部に目を通すのが面倒になってきますしね。
ええ、正直だいぶ読み飛ばしてしまいました。
どうでもよい文章が多すぎるので。
会話文で
「Aです」
「A?」
「AはBですから」
「Bだって?」
みたいな繰り返しって小説の作法としてあまりよろしくないとされていますよね。
あとは「ああ、はい」「はい?」「え」といった反応だけのセリフも多様すべきではない。
地の文で意図の伝わらない情景描写が多いのも問題。同じ住宅を描く場合でも、住人の経済状況を描きたいのか、住宅のデザイン性を描きたいのか、何を描きたいのかによって描写は変わるべき。「築45年」という形容が何を意図したものなのか伝わらなければ、それは不必要な文章でしかない。そういう謎の意図のわからない文章が多すぎる。
別に文学作品を求めているつもりではないのですが、そういった表現が文章をつまらなくし、読むモチベーションを奪うという事はよく理解できました。
流行の先にあるもの
不況と言われる出版業界ですが、ライトノベルは売れているようです。
行きつけの本屋さんでも、ライトノベルの棚はどんどん拡張されています。
各出版社とも、大人の向けのライトノベルレーベルをどんどん立ち上げているようです。
とはいえ、そもそも若年層の本離れが叫ばれ、漫画を含めた本を読んでいるのはアラフォー世代以降なんていう記事もどこかで目にした事があります。
本書のような作品は、一体どういう層に売れているんでしょうね?
本屋大賞にノミネートされるぐらいですから、一定の支持層を獲得しているのは間違いないのだと思いますが。
会話を中心とし、読みやすいライトノベルは確かに手に取りやすいのかもしれませんが、そういう本が売れているという状況に関しては首をひねらざるを得ません。
ライトノベルと言っても、文章や世界観がしっかりと作り込まれている本も少なくないですからね。
一方で、期待水準を大きく下回るような作品が多いのも確かです。
もちろん、昔からヒドイ作品はありましたけどね。ラノベでいえばあ〇ほりさとるとかあかほ〇さとるとかあかほり〇とるとかね。
まぁ、彼は彼で「ちゅどーーーーーーーーーーーん!」みたいな擬音を小説内で堂々と使うという、大きな礎を残していたりもしますし。
脱線しましたが、やはり僕が感じてしまうのは「プロモーションに振り回されている」ケースがあまりにも多すぎるんじゃないか、という点。
書店でも目に付く棚で仰々しく扱ってもらえればやはり実売数に影響しますよね。
内容以前の部分で勝負がついてしまっているケースって、圧倒的に多い。
まぁ今の小中学生は幼い内からネットに触れて育っている分、選択眼というのは非常に優れたものをもっていると感じますので、これから世の中はまだまだ変わっていくのでしょうけど。
彼ら、本当にどこから仕入れたかわからないような音楽や動画を楽しみまくってますからね。テレビやマスコミといった従来の媒体とはかけ離れたところでトレンドが生まれ、消費されている時代に入ってきています。
レコード大賞なんて言ったって、誰もありがたがらない時代ですもんね。
やがて各出版社の賞レースや本屋大賞もまた、形骸化してしまうのかもしれませんね。
#崩れる脳を抱きしめて #知念実希人 読了これが本屋大賞にノミネートされている理由がわからない。今年最後の合わない本。合う合わないの次元にも至ってないというか。あー残念。次に読む本こそ今年最後になるだろうから、そっちに期待。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。