おすすめ読書・書評・感想・ブックレビューブログ

年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『のぼうの城』和田竜

――のぼう様

とは、「でくのぼう」の略である。それに申し訳程度に「様」を付けたに過ぎない。

安能務『封神演義』を読み、ついでに藤崎竜の漫画版『封神演義』、さらに『Wāqwāq(ワークワーク)』、『かくりよものがたり』とフジリュー作品にのめり込む内に、頭の中がすっかりファンタジー路線に切り替わってしまいました。

 

漫画を読むかたわら、同時進行で重松清『ナイフ』を読んでいたのですが、やっぱりもっとファンタジーテイストなものを読みたい気持ちが膨らんでジリジリと焦れるばかり。

 

やっとのことで『ナイフ』を読み終えたので、満を持して手に取ったのは和田竜『のぼうの城』。

2009年本屋大賞二位にして、映画化もされた歴史小説です。

www.youtube.com

ちなみにこの年の本屋大賞湊かなえの『告白』。

www.hontai.or.jp

イヤミスブームのきっかけとなった本屋大賞受賞だったかもしれず、そういう意味では手強い相手でしたね。

ただ、本屋大賞を機に『告白』を手に取った読者の方々の反応はどうだったんでしょうね。

やっぱりハッピーエンドや読後感の気持ち良い作品の方が、万人受けするんじゃないかと思ってしまうんですが。 

 

石田三成による忍城水攻め

舞台は現在の埼玉県行田市にあった忍城(おしじょう)。

太閤秀吉の軍勢が関東地方を納めていた北条氏の討伐に乗り出した事で、北条氏の支配下にあった忍城は危機に陥ります。

 

当時の城主であった成田氏長は主だった兵を連れて北条氏政の治める小田原城へ籠城。

残されたのは成田長親を筆頭に数人の家老とわずかに50人ばかりの手勢のみ。

 

一方、城攻めにやってきたのは石田三成大谷吉継長束正家と後世まで名を残す堂々の武将たち。

 

氏長は北条氏の籠城に応ずる裏で秀吉に恭順を示し、忍城に残した家臣たちには降伏を言い残したはずが……あれよあれよの間に徹底抗戦へ。

 

忍城を意外と手強いとみた三成が繰り出した秘策が、秀吉の備高松城にあやかった水攻め

僅か五日で28kmにも及ぶ長大な石田堤を築き上げ、利根川と荒川から引きこんだ水により忍城の城下は一気に水浸しに。

 

忍城は一転して窮地に追いやられますが……実は最後の最後まで落ちなかったというのがこの忍城の最大の逸話だったりもします。

この辺りは史実として残っており、決してネタバレには値しないと思いますので思い切って書いてしまいますが。

 

とんでもない人数を動員して行われた秀吉の東征軍は瞬く間に北条氏の支城を次々と落とし、北条氏の本城ですら呆気なく落城したのにも関わらず、忍城は最後まで秀吉軍の攻勢に耐えきったのです。

しかも相手は石田三成大谷吉継が率いる軍ですよ。

 

結果的には本城である小田原城が落ちた事で、忍城も開城に至るのですが……僅か少数の兵で圧倒的に数で勝る秀吉軍にどう打ち勝ったのか、驚天動地の水攻めにどう立ち向かったのかが、本書の見どころなのです。

 

 

説得力……

結果的には、残念ながら物語としては物足りないと言わざるを得ません。

三家老の奮戦ぶりや三成の水攻めは大いに読み応えがあるのですが、いかんせん、致命的な欠点となるのが本書の主役である“のぼう”こと成田長親

 

何をやるにもうまく行かず、足手まといにしかならない事からでくのぼう――略して“のぼう”と言われる長親ですが、城の配下や農民にまで「のぼう」扱いされる始末。

陰口ではなく、本人を目の前に誰もかれもが「のぼう」と呼び、彼もそれを一切気にする様子も見せずに受け入れています。

 

時代的にありえないですよね。

長親は殿様の従兄弟ですから。

 

こののぼう、序盤の描写からするととにかく駄目過ぎる

田植えの手伝いすら農民から迷惑がられる始末だというのだから、どれだけ要領の悪い人間なのかわかりますよね。

 

しかし彼が、城代として秀吉軍の使者に相対し、降伏で半ば定まっていた城内の機運を一切無視する形で「戦う」と抗戦を告げてしまったりするのです。

元より武士として無条件降伏に不服でもあった兵たちはここぞとばかりに奮起し、農民たちもまたそんな彼らに従い、戦いへの参加を決意します。

 

彼らのモチベーションとなるのが、のぼうこと長親の人望、だったりするんですが。

 

……うーん。

 

序盤の扱いを読んだ中では、どうして長親にそこまで人望が集まるのかいまいちよく理解できないんですよね。

でくのぼうで、田植えすら拒否られるほどの無能。

よく言われる「ちょっと欠点があるぐらいの方が人に好かれるよね」という話では収まらないぐらいの無能なはずなのです。

存在すら煙たがられるような無能。

足を引っ張るぐらいなら見てろ、と常に蚊帳の外に置かれるような存在。

そうなると人望が集まるどころか、普通に嫌われてしまったりするんじゃないか、と思ったりするんですが。

 

一事が万事、本書については長親の人望がフックになって物事が進んで行きますので、肝心要のその部分に説得力が欠けてしまっているのが致命的な欠陥だったりします。

 

恋愛ものの作品で、どこに魅力があるかさっぱりわからないヒロインに対して一方的に主人公が惹かれたりするいまいちな作品がよくありますが、あれに近いものがあるかもしれません。

 

ちょうど先日まで読んでいたフジリュー版の漫画『封神演義』における太公望の立場こそが、本書でいう成田長親と重なる部分が多い故に、余計に引っかかってしまったのかもしれませんね。

才覚や能のある人間が、愚者を演じつつもその実誰よりも深い計略を働かせている、という。

長親にせよ太公望にせよ、実際には賢者なのか愚者なのか判断がつかなかったりするのですが。

 

でも、少なくとも本書の長親に関しては徹底した愚者としか感じられない人物像だったはずなんですけどねー。なので要所要所で妙に賢者っぽくなられると、違和感しかないのです。こういう事ができるのなら、そもそも農民からも家臣からも「のぼう様」扱いもされてないよなーなんて。

 

もうちょっと「実はキレ者」的なエピソードが幼少期から幾つかあったりしても良かったと思ってしまいます。あくまででくのぼう扱いだったはずなのに、突然人が変わったようにキレキレになられても読者はついていけませんよ。

 

まぁでも、石田三成大谷吉継といった武将をはじめ、勇壮な三家老の活躍ぶりや、有名な水攻めエピソードも相まって、物語としては中盤を過ぎればそれなりに面白く読めてしまうのが評価の難しいところかもしれませんが。

 

今回は手近にある本の中から歴史小説を選びましたが、次はもっと本格的なファンタジーを読む予定です。

僕も楽しみですが、みなさんもお楽しみに。

 

https://www.instagram.com/p/BtW9QeKl1TI/

#のぼうの城 #和田竜 読了2009年本屋大賞2位で映画化もされた作品。秀吉の関東制圧時、石田三成や大谷吉継率いる圧倒的多数の軍勢に攻められながらも唯一落ちなかった難攻不落の忍城。窮地に陥る忍城を率いたのが城主の従兄弟であり、家臣や農民から「のぼう様(でくのぼうの意」と呼ばれる長親。忍城の予想外の抵抗に対し、三成は秀吉の備中高松城を超える壮大な規模の水攻めを画策する。三成や吉継といった豪華な登場人物と水攻めという派手な仕掛けにそれなりに読めてしまうけど、肝心ののぼう様の設定に無理も違和感もあって説得力に欠けたかなぁ。ラノベに近いノリかも。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『ナイフ』重松清

洗面所の鏡に、ナイフを持った私が映る。笑っている。私は人を殺せる。ナイフを持っている私は、その気にさえなれば、いつでもだれかを殺せる。

今回読んだのは重松清『ナイフ』です。

本作は第14回(1998年) 坪田譲治文学賞受賞作品でもあります。

 

重松清の名前はよく目にしていて、ファンの方も多いと聞くのですが、不思議と縁のない作家さんです。

以前に『流星ワゴン』を読んだ覚えはあるのですが、内容に関してはさっぱり思い出せず……amazon等であらすじを読めば「ああ、そんな話だったかな」とは思うのですが、あらすじに書いている以上の事は全く思い出せない。

 

そういうわけでいまいち手ごたえというか、食指が伸びない作者でもあります。

 

とはいえ本書『ナイフ』は重松清作品の中でも多く取り上げられていたような気がして、多数の積読本の中から今回読んでみる事にしました。

 

イジメを題材にした5つの短編集

僕、てっきり長編作品だと思い込んでいたのですが、短編集だったんですね。

表題作『ナイフ』はその内の一作でしかない。

 

ちなみに一作目は『ワニとハブとひょうたん池で』というお話。

主人公の女子中学生ある日突然「あんた、今日からハブだから」と言い渡されます。

最近では聞かなくなりましたが、“ハブ”とは「仲間はずれ」に近い言葉

クラス全員からハブにされ、自殺を強要するような手紙が自宅のポストに投げ入れられたり、学校に置いてある持ち物が壊されたり、汚されたりといった嫌がらせが繰り返され、その度に、傷つき、悲しみながらも一方で強がり、虚勢を張って何でもないと自分に言い聞かせるように、日々を乗り越えていく主人公。

 

……まー、憂鬱な話ですね。

 

二作目の『ナイフ』では主人公が父親へと変わります。

ある日突然息子の様子がおかしくなり、妻とともに様子を探ると、どうやらイジメに遭っているらしいという事がわかる。

父親の遺伝のせいか、身長が小さい事に起因しているらしい。

担任の教師は「イジメでなくイタズラだ」と言い張り、むしろ息子自身が部活動で後輩に暴力を振るっていると明かす。

同級生から受けるイジメのストレスを、後輩にぶつけているのか。

 

そんな中で父はある日ナイフを手に入れます。

お守りのようにナイフを肌身離さず持ち歩く事で、自分が強くなったような気分になり、気が大きくなる父。

ところがそれは周囲に対する高圧的な態度として現れ、会社の部下や周囲の人間から疎まれたりします。

 

やがて父は息子がイジメに遭う場面に遭遇し、ポケットの中でナイフを握りしめたまま、イジメっこである不良たちに詰め寄りますが……。

 

 

……とまぁ、こんなところでやめておきましょう。

 

 

以下三作。『キャッチボール日和』『エビスくん』『ビタースィート・ホーム』のいずれも、上記のようなイジメにまつわる話です。

読んでいてどんどん陰鬱になってしまいます。

 

一点付け加えておくとすれば、ナイフを手にした事で気が大きくなるという『ナイフ』の物語は以前読んだ中村文則の『銃』を想起させた、という点でしょうか。

linus.hatenablog.jp

もちろん『銃』の方が圧倒的に後から発表されてますが。

 

イジメ(※昭和の)

これは作者の年齢や発行された時期(1997年)からいって仕方のない事ですが、本書に登場するイジメの数々には(※昭和の)という注釈が欠かせません。

 

現代においてはイジメもSNS等を駆使したより陰険なものに姿を変えていると警鐘を鳴らされていますが、文字情報とはいえ改めて前時代的なイジメに触れてみると、これはこれで非常に気分の悪いものです。

 

何よりも今ではあまり見られない「直接的な暴力」が多い

 

公衆の面前でたたいたり、殴ったりといった暴力はもちろんだし、目の前で物を壊したり、汚したりといった暴力もあります。酷いものになると、みんなが注目する中で自慰行為を強制されたり……といった描写も。

 

こういうのって最近では減っているんですよね。

昔よりもさとい子供たちは、あまりにも加害者と被害者の構図が明確過ぎるこういったイジメを避けるようになっています。むしろこういった暴力を振るう子は「空気が読めない」「理解できない」存在としてかえって孤立してしまったり。

 

だからこそ余計に、文字情報とはいえ読んでいて快でしたね。

 

ここに書かれているようなイジメの数々は、今現在であれば教師や周囲が止めて当然の行為ですから。それらが公然と行われ、周囲も受け入れてしまっているという状況に対しては理解しがたい嫌悪感しか生まれません。

 

もちろん、特攻服を着た上で、違法改造した車に乗って暴走するような新成人が未だに存在するわけですから、今もまだ日本のどこかにはこういったイジメが起こっているのかもしれませんけど。

 

嫌悪感=つまらない ではない

補足しておくと、決してつまらなかったわけではありません。

終始嫌悪感ばかりが先に立ってしまい、楽しく心地よい読書にはなりませんでしたが、こうして改めて振り返ってみると、読んでよかったと思います。

 

確かにこういう時代は、あったんですよね。

 

先日教師が生徒を殴った動画がネット上で出回り、一時は教師を非難する声が集まりましたが、次第に事実関係が明らかになるに連れて生徒側が教師の暴力を誘発したとして、逆に生徒側が叩かれる炎上騒ぎになりました。

 

動画を使って、しかも撮影した一部だけを切り取って自分たちに都合よく印象操作を行うとは、イジメも本当に巧妙になったものです。

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上記はメディアを通す事で被害者と加害者が逆になるという有名な風刺画ですが、Web 2.0以降、全ての人々が情報の受け手ではなく送り手となる事で、メディアが行っていたような印象操作を高校生が駆使する時代になってしまったのだと、改めて実感します。

 

昔は直接的な暴力に対してのモラルが低く、公然と暴力を振るわれた。

現代では暴力のリスクが高まり、よりわかりにくい形で相手を傷つける手段が発達している。

 

 

どちらの方が良い、悪いと一概には言い難いですが、色々と考えさせられる読書になりました。

 

……うーん、、、深い。

 

https://www.instagram.com/p/BtUbsHZFuEM/

#ナイフ #重松清 読了イジメにまつわる5つの短編集。とはいえ今から約20年前の作品だけあって、イジメと言っても現代とは性質が大きく違う。簡単に言うと、非常に直接的。かつ、暴力的。叩いたり殴ったりはもちろん、物を壊したり汚したり。みんなの前で辱めを受けたり。あまりにも被害者と加害者が鮮明過ぎて今ならすぐさまニュースになるようなものばかり。それだけに読んでて非常に気分が悪い。嫌悪感しかない。読むのが苦痛。だからといってつまらないわけではない。今となっては受け入れられない当時の空気感や時代を感じるには非常に良い本。ただすごく苦痛。嫌な気分になる。でも良い本。うーん、難しい。。。 #本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『封神演義』安能務

――歴史とは現実に何が起こったかではない。何が起きたか、と人々が信ずることだ――

封神演義を読みました。

読むのはかれこれ十年以上ぶり。

その昔、一度だけ読んだことがありますので一応再読という形になります。

 

一度だけ読んだというのも、男性の方ならばご存じかもしれませんが、ジャンプで連載されていた封神演義がきっかけです。

 くどくど書く必要もなく、おそらく日本において『封神演義』を広めたのは上の藤崎竜の手による漫画の影響によるものがほとんどでしょう。

 それ以前から僕は作者である藤崎竜(以下フジリューが大好きだったので、ついに始まった大型連載『封神演義』にはすぐさま嵌まってしまったのです。

 

ちなみにフジリューは色々と作品を出していますが、僕個人としては初期作品の方がおすすめです。

『ワールズ』というデビュー当時の作品をまとめた短編集はどの作品も魅力的でこれまでに何度となく読み返していますし、初めての連載となった『サイコプラス』も大好きで、こちらも数えきれないほど読みました。

少年誌らしからぬ繊細な絵と幻想的な物語が特徴となった、いずれも従来の愛・努力・友情をテーマにしていた当時のジャンプでは異色ともいえる作品です。

フジリューファンでなくとも、ぜひ一度は読んでいただきたい作品の一つです。

 

……そんなわけで『封神演義』に嵌まった僕が、原作となった小説に手を出すのは必然でもありました。

 

しかしながら読んでみてびっくり。

 

コミックスとは大きな違いが沢山あるのですが……それについては後ほど。

 

封神演義』とは

詳しくはwikipediaを見ていただければ早いんですが。

 

中国の王朝が殷から周に変わる革命について書かれた物語です。

殷の紂王を周の武王が討つわけですが、その周の後にできたのが秦であり、秦の後に迎えたのが漢。

漢が成立する過程に生まれたのが『項羽と劉邦』の話で、漢が滅亡してからの戦国の時代こそが『三国志』の舞台である三国時代であったりします。

 

なので三国志よりも、劉邦よりももっともっと昔

西暦でいうと紀元前1000年よりももっと前という途方もなく古代の時代を舞台としています。

 

日本で言う神話の時代にも近い話なので、『封神演義』の中には偉い仙人や道士、妖怪といった奇妙な力を持った者たちが次から次へと登場するのが本書の面白いところ。

彼らは宝貝と呼ばれる秘密兵器を使い、戦いあうのです。

 

それらはさながら現代でいうミサイルやレーダー、火炎放射器や爆弾、さらには催涙ガスや細菌兵器のようなものまで。

 

SF小説のような強力・凶悪な武器が飛び交う様は、読者の心を惹き付けて止みません。

 

 

封神計画=365人の大量死

また、その戦いの真の目的というのが、仙人以下・人間以上の中途半端な能力を身に着けてしまった者たち三六五位を新たに作る神界に封じようというもの=封神計画

周の武王を支え商周革命を果たしつつ、偉い仙人達が天数と称して計画した封神計画を実行するのが、本書の主人公である太公望なのです。

 

ここで問題なのが、神に封ずるためには一度死んで魂になってもらわないといけないという点。

 

つまり、封神演義』とは神となるべき365人が死ぬ物語でもあるのです。

 

なので上・中・下と1500ページに及ぶ長編にも関わらず、ばったばったと人が死にます。

なにせ365人ですからね。単純計算で5ページに1人以下の割合で死ぬ事になります。

 

とはいえ実際には後半に連れて使者が加速度的に増えていきますので、死ぬ時にはいきなりごっそり死んだりします。

そのせいかわかりませんが、本作で描かれる“死”は非常に、いや、異様に淡白です。

 

一時は物語の重要人物かと思われた人物ですら、「一道の魂魄が封神台へ飛ぶ。」というあっさりとした文章でもって死を表されてしまいます。

漫画のフジリュー版『封神演義』を先に知った人間からすると、ものすごく重要でファンも多いようなキャラですら、あっさり死んでしまうのが衝撃的だったりします。

 

特に武成王黄飛虎をはじめ、黄天化・黄天祥といった黄一族は悲惨の一言。

僕は三人とも好きだったので、初めて原作の死亡シーンを目にした時には衝撃過ぎて放心状態に陥ってしまいました。「えー、ここで死ぬの? っていうかこんなあっさり死ぬの?」みたいな。

 

さらに悲惨なのが、序盤は黄飛虎を大いに支えた四大金剛の黄明・竜環・呉謙の三人。

彼らは終盤に現れた大巨人鄔文化に「あるいは踏み潰され、あるいは排扒木の餌食となった」人々の一人として名前を連ねるだけです。

もっと言うと残りの四大金剛周紀や黄天禄なんていつの間にか死んだ事にされているし(↑いくら探しても死に際が見つからなかったのでご存じの方がいれば教えて下さい)

 

しつこいようですが、何せ黄一族は悲惨だな、と。

原作・漫画版ともに序盤から見せ場も多く、惹き付けられるキャラクターが多いだけに残念な限りです。

 

その点、フジリューの漫画版はそれぞれにしっかりと見せ場が設けられていたりしますので、その辺りは流石だな、と思います。

原作読んでから漫画を読みなおすと、フジリューよくやってくれた!と手をたたきたくなります。 

 

 

漫画『封神演義』が好きならどうぞ

簡単に言うとそんな感じでしょうか。

漫画の方は完結してもう何年も経ちますが、ゲームになったり、アニメ化されたりと根強く生き残っているようです。

www.tvhoushin-engi.com

 

hhe-sc.com

 

そういった派生作品から改めて『封神演義』に触れたという方もいることでしょうから、漫画版が好きだという方はぜひ原作本にも触れていただきたいと思います。

 

かくいう僕も、実は上のスマホアプリの広告に触発されて、今回の再読に至った経緯があります。

 

漫画版・原作版、ぜひ読んでみていただきたいです。

小説版の淡白差には、おそらくずっこける事は請け合いですが。

 

ちなみに漫画『封神演義』の原作とされる安能務版もまた、中国伝来の正規版に比べるとかなりの改変が成されているそうです。

 

あくまで『封神演義』を下敷きとした安能務の“小説”として楽しむべきものらしいですね。

 

その辺りに関しては詳しくは触れませんので、興味のある方はググってみて下さいね。

漫画⇔安能版⇔完訳版の違いなど、かなり詳細に調べ、まとめてくれている人も多いみたいですから。

調べれば調べる程沼に嵌まるって事ですね。

 

僕は流石にそこまでは……という事であくまでフジリューファンの立ち位置で満足しておきます。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bs_9LNll0ip/

#封神演義 #安能務 読了最近再アニメ化、アプリゲーム化と話題の #藤崎竜 版封神演義の原作本。かくいう僕もアプリの広告を見て思い出し、久しぶりに読んでみることに。相変わらず死の書き方が異様なほどにアッサリしてますね。重要キャラたちが呆気なく死んでいく事だけは覚えていたのですが、改めて読むとそりゃないだろっていうぐらい残念な死に方。その点 #フジリュー の漫画版はちゃんと見せ場作ってくれてましたから流石です。元々藤崎竜は大好きな漫画家なので今度は改めて漫画版や他の未読の作品も読みたいと思います。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『スロウハイツの神様』辻村深月

 漫画の神様と呼ばれる手塚治虫氏の住んでいたところに、彼を慕って若い漫画家が集まり、住み始める。藤子不二雄や、石ノ森章太郎や、赤塚不二夫や、今では信じられないくらい豪華な顔ぶれの漫画家たちが、一つ屋根の下に住んで、そろって漫画を描いていた。今ではもう伝説のように語られる有名な話。 

スロウハイツの神様を読みました。

僕の記憶に間違いがなければ『ツナグ』『凍りのくじら』『かがみの孤城』『青空と逃げる』に続いて五作目の辻村深月作品となります。

 

『ツナグ』は再読するほど気に入った作品ですし、『かがみの孤城』も読んだ後で本屋大賞受賞を予感させた作品でした。『青空を逃げる』も傑作とは言い難いものの、仏に楽しめた作品。『凍りのくじら』はちょっと微妙だったけど。

 

当たり年と思えた昨年に比べ、今年に入ってから選択する作品はいずれも小粒……なんとか間違いないものを読みたいなぁ、と思って選択したのがほうぼうで見かける事も多い本書でした。

 

トキワ荘インスパイア

辻村深月さんが藤子不二雄好きなのは有名な話。

本書は藤子不二雄好きなら有名なトキワ荘を舞台にした作品を書こう、と思い書かれた作品だそうです。

 

中心となるのは脚本家の赤羽環。

彼女はチャンスをつかみ、すでに一人の脚本家としての地位を確立させようという抜きんでた存在。

環が祖父から譲り受け、めぼしいメンバーを集めた舞台が、トキワ荘ならぬスロウハイツです。

 

 

漫画家の卵狩野と映画監督を目指す長野、長野の恋人で画家の卵すみれ、高校時代からの環の親友である円屋。

そして、中高生に絶大な人気を誇る小説家チヨダ・コーキと彼の敏腕編集者黒木。

 

以上六人が、スロウハイツの住人。

ある時には絶望や挫折を織り交ぜ、互いに支え、励まし合いながら夢を追い求める共同生活を描いた作品です。

 

謎・謎・謎

メフィスト賞で作家デビューしたという辻村深月らしく、物語の中には様々な謎が含まれています。

 

大人気作家チヨダ・コーキによく似た偽物作家の登場などはその最たるものでしょう。

鼓動チカラを名乗るその作家は、チヨダ・コーキが連載している作品とほぼ同じような設定で同じような物語を描きます。

しかしある時から、鼓動チカラはチヨダ・コーキを追い抜いてしまいます。

偽物であるはずの鼓動チカラの物語が、チヨダ・コーキを先行してしまうのです。

 

似たような能力を持つ似たようなキャラが鼓動チカラの作中で死んだ後、それをなぞるようにチヨダ・コーキの作品でも死んでしまう。

 

鼓動チカラは誰なのか。

どうしてチヨダ・コーキの物語を先行できるのか。

 

その他にも幾つもの謎があるのですが……こうして読み終えた後で振り返ってみると、ほぼ全てチヨダ・コーキに関係するものばかりだったりするんですよね。

 

物語の終盤には一番の大ネタとも言える、物語の大本に関わる伏線回収のお披露目があったりするんですが、それもまたチヨダ・コーキに関わっていたり……。

 

そうなってくると、残念ながらこう思わざるを得なくなってしまうんですよね。

 

そもそもいなくても良い人物、なくても良いエピソード、多すぎない?

 

 

 

 

感想:若い

とにかく若いです。

何って書いている辻村深月自身が若い。

 

調べてみたら2007年の作品。

作者が20台半ばの頃に書かれた計算になります。

 

そんなわけで、随所に若さが溢れた作品なのです。

 

 

……ぶっちゃけ言うと、さっぱり何言ってるかわかんねーという感じ。

 

 

そもそも設定からしてよくわからない。

どうしてこの七人なのか。

何を書きたい物語なのか。

 

以前大塚英志『キャラクター小説の作り方』の記事でも紹介しましたが、

また、もう一つ重要な点として、一つ一つの要素の必然性について触れています。

ただ単に「左右の目の色が違うゴーストバスターの少年が戦うお話」と「左右の目の色が違うがゆえにゴーストバスターにならなければならなかった少年が葛藤しつつ戦うお話が全く違うのはわかりますよね。「左右の目の色が違うこと」というキャラクターの要素と「ゴーストバスターをする」というドラマの骨格が自然に結びついていることが大切なわけです。その手続きを怠らなければ、そこにはもう「物語」が成立しかけているはずです。 

こんなふうにぼくの作品でもどうにか上手くいった作品は主人公の外見的、身体的な特徴(多重人格とか全身が人工身体とか)がその主人公のその後の行動、つまり「物語」に自然に結びついているのです

この“必然性”が見えないんですよね。

 

ある意味でこの物語は環とチヨダ・コーキがマストで必要ではありますが、他の人々が主要登場人物に肩を並べる必然性は全く感じられません。

 

にも関わらず視点がしょっちゅう変わる。めまぐるしく変わる。

今この段階での視点が誰のもので、誰の気持ちを表しているのか把握するのが結構な手間で、読んでいて眩暈が起こりそうな程。

その人の視点で語るそのエピソードが本当に必要なのか、疑問に思えてなりません。

 

でもって時系列もぼんぼん変わる

肝心なところを一片に明かさず、後から改めて書いたりする。

小説においては常套手段なのだろうけれど、あまりにも多用されるとストレスになる。

 

視点が変わり、突如過去のとあるタイミングに変わる。

 

この視点は誰?

これはいつの話?

さっきまでと同じ流れ? それとも回想?

 

読んでて滅茶苦茶ストレスが溜まって、物語がすんなり頭に入って行ってくれません。

 

でもって出てくる登場人物たちが全員困ったちゃんばかり。

「自立しろ」と意見を押し付けたり、創作者のはずなのに「感情を表したくない」と言ってみたり。

ある年代のばっちり嵌まる世代の人間が読めば尖ってると思えるのかもしれないけれど、僕が読むにはちょっと遅すぎたかもしれません。

 

彼らにさっぱり感情移入ができない。

彼らが大成する姿が想像できない。

 

とにかくダメですね。

読んでいて苦痛でしかなかった。

 

最後の最後における伏線回収はなかなかの読み応えだったけれど、前述のようにそれは物語全体に広がるものではなく……じゃあやっぱり、その人たちだけの物語で良かったよねじゃね、と。

流石に上下巻で900ページ弱のボリュームを読ませる程のものではないですね。

 

かがみの孤城』も終盤の伏線回収で一気に畳み掛ける作品でしたが、良く似た構成にも関わらず大きく差がある作品と言っても良いでしょう。

 

まぁ辻村深月といえどもデビュー間もない頃の初期作品はやっぱり苦しいよなぁ、なんて改めて思わせてくれる読書でした。

https://www.instagram.com/p/Bsu3kqwltp7/

#スロウハイツの神様 #辻村深月 読了いろいろなところで良く見かける作品。今年に入っていまいちな読書が続いていたので辻村深月作品から有名そうなものをチョイス。結果……失敗。複数の登場人物それぞれの過去や現在を追いながら、いくつかの謎を散りばめつつ、最終的に一気に伏線回収して物語を収束させるという意味では『かがみの孤城』によく似た構成ではあるのだけど。ボリュームも多いし。逆に言うと、こういう作品を経たからこそ『かがみの孤城』が書けたのでしょうね。今年はいまいちな読書が続くなぁ。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『人魚の眠る家』東野圭吾

「他の多くの国では、脳死を人の死だと認めています。したがって脳死していると確認された段階で、たとえ心臓が動いていたとしても、すべての治療は打ち切られます。延命治療が施されるのは、臓器の提供を表明した場合のみです。ところが我が国の場合まだそこまで国民の理解が得られていないということもあり、臓器提供に承諾しない場合は、心臓死をもって死とされているのです。極端な言い方をすれば、二つの死を選べるということになります

昨年末に全国公開された人魚の眠る家を読みました。

 

僕の東野圭吾に対する評価は既に何度か書いてきた通りかなり低いものでした。

単刀直入に言って、東野圭吾に対する僕のイメージは『量産型佳作作家』というものです。

とにかく次々と作品を発表し、どれもそれなりの話題作となるものの、実際読んでみるとそこまで感動も感慨もなく……。

しかしながら大きな“ハズレ”も少ないため、突出した読みやすさとメディアの販売促進でもって次々と消費されていく量産型の作家さん。

linus.hatenablog.jp

こういった認識が、『容疑者Xの献身』を読み、『マスカレード・ホテル』を読む中でだいぶ変わり、「とりあえず話題になった作品は読むべき」というところまで変わりました。

 

となると必然的に、『人魚と眠る家』は避けられませんよね。

ちなみに本書は東野圭吾デビュー30周年記念作品でもあるそうです。

否が応でも期待が高まります。

 

突き付けられる二つの死

ある日突然、長女の瑞穂がプールで溺れたと連絡が入ります。

慌てて病院に駆け付けた夫婦は、医者から脳に重大なダメージが残った、と告げられます。

 

肉体的には一命をとりとめたものの、脳の損傷は著しく、意識の回復は見込めない……いわゆる遷延性意識障害植物状態に陥ってしまっていたのです。

 

臓器提供を前提とした脳死判定をもちかける病院側に対し、夫婦は一度は承諾するものの、握った娘の手が微かに動いたように感じられた事から、直前になって脳死判定を拒否します。

 

瑞穂は死んでいない……決して回復するはずがないと言われた植物状態の娘とともに生きる生活が、その日から始まったのです。

 

 

残された家族と周囲の人々の苦悩の物語……?

瑞穂の両親は、別居状態にありました。

父和昌の浮気が原因で、既に離婚まで秒読みという段階に至っていたのです。

 

そのタイミングで起きてしまった事故……。

 

あの日、瑞穂をプールに連れて行っていたのは祖母の千鶴子でした。

自分の不注意が瑞穂を不幸を招いたと千鶴子は後悔に際悩まされます。

 

ここから、眠り姫のような娘と周囲との長く苦しい葛藤の日々が描かれる……ものだと、僕は思いこんでいました。

 

 

 

ところが

 

 

 

物語は思いもよらぬ方向へと進んでいきます。

 

 

電気仕掛けのフランケンシュタイン

和昌の経営するIT系機器メーカー、ハリマテクスは医療分野での技術開発に乗り出しており、脳と機械との融合の研究を進めていました。

 

具体的には視覚障碍者の脳に直接信号を送る事で障害物の存在を知覚させたり、手足の動かない麻痺状態の患者の脳から直接信号を送って、機械の手を動かさせたりするのです。

 

そんな中、和昌は横隔膜ペースメーカーという技術の存在を知ります。

心臓のペースメーカーのように、機械の力で横隔膜を動かす機械です。

この機械の力を借りれば、植物状態の瑞穂も人工呼吸器の力を借りることなく生活する事ができるようになります。

 

そして実際に、和昌と妻の薫子は手術に踏み切るのです。

 

これにより、瑞穂は自宅での看護が可能になりました。

もちろん薫子一人の手には余りますが、責任をだれよりも感じている祖母の千鶴子が残りの自分の人生の全てを瑞穂に捧げる、と協力してくれます。

 

さらに和昌は、自社の技術をも瑞穂に利用しようと考えます。

部下の技術者である星野を自宅に送り込み、瑞穂の身体に電気信号を送る事で、強制的に手足を動かそうとするのです。

 

こうして瑞穂は自らの体で手足を動かす事ができるようになり、定期的に運動する事で衰えた身体も少しずつ元の姿を取り戻し、傍目には眠っているだけの少女のようになっていきます。

 

しかしそんな瑞穂を見た和昌の父・多津朗は

「人の身体を電気仕掛けにしてしまうなんて、神を冒涜しているような気がする」

と拒絶反応を示します。

薫子は多津朗に食って掛かり、発言を諫めますが、この辺りから薫子の様子はどんどんおかしくなっていきます。

 

また、技術者である星野もまた、先輩から次のように言われます。

「でもさ、相手が脳死患者の場合はどうなんだ? 意識はないんだろ? もう戻ることもないんだろ? そんな患者の手足をコンピューターや電気信号で動かすって、どうなんだ? 俺にはフランケンシュタインを作ろうとしているようにしか思えないんだけどね」

 

彼らの反応は、至って正常なものでしょう。

 

瑞穂は一切自らの意思を持たないにも関わらず、薫子たちの意思により機械の力で呼吸をし、身体を動かす電気仕掛けのフランケンシュタインのようになってしまうのです。

 

 

イメージと違い過ぎる

下に、Amazonの内容紹介を転載します。

答えてください。

娘を殺したのは私でしょうか。

 

東野圭吾作家デビュー30周年記念作品。

人魚の眠る家

 

娘の小学校受験が終わったら離婚する。

そう約束した仮面夫婦の二人。

彼等に悲報が届いたのは、面接試験の予行演習の直前。

娘がプールで溺れた――。

病院に駆けつけた二人を待っていたのは残酷な現実。

そして医師からは、思いもよらない選択を迫られる。

 

過酷な運命に苦悩する母親、その愛と狂気は成就するのか。

愛する人を持つすべての人へ。感涙の東野ミステリ。

 

……やっぱりもうちょっとハートフルというか、脳死状態の娘を軸に家族それぞれの苦悩や葛藤を描いた物語を期待していたんですけど。

 

 

まさかフランケンシュタインの話になろうとは。

 

 

……正直、ひいてしまいました。

 

一応補足しておくと、決してそればかりではないんです。

一番最初に引用したような二つの死に関わる問題をはじめとする日本の臓器提供を取り巻く状況や最新の医療技術は非常に興味深いものですし、ある意味では脳死状態を受け入れられない家族の愛」のかなり極端な表現としてフランケンシュタインが行われるわけですし。

 

愛する人のために、人はどこまで尽くせるか。

どこまで狂えるか。

 

そんなものを書きたかったのだと思います。

 

ただ東野圭吾さんの受け入れられなかった作品として『秘密』があるのですが、それと似たような拒絶反応が出てしまうんですよね。

『秘密』の時にも、うら若き娘の身体を夫婦で好き勝手弄んでいるようにしか感じられず、「こんな親ありえない」という拒絶反応が先に来てしまって僕はちっとも楽しめなかったんですが。

 

今回の夫婦もまた、あまりにも現実離れし過ぎてしまっているように感じました。

 

『天空の蜂』や他の作品でも思うのですが、東野さんって親子を描くのがあまりお上手ではないように感じます。お子さんの存在は明言されていませんが、たぶん子供のいらっしゃらない方なんだろうな、なんて思ってしまうのです。

 

なのでガリレオのような独身貴族を中心にした物語の方が、すっきり嵌まったりする。

 

東野作品を読む場合、家族ものは敬遠した方がいいのかもしれませんね。

https://www.instagram.com/p/BsmK4ullGZf/

#人魚の眠る家 #東野圭吾 読了東横30周年記念作品・劇場公開作品とあって読んでみました。脳死状態の娘の介護を通しながら家族や周囲の公開や苦悩を描くホームドラマかと思いきや。ちょっと想像の斜め上の展開で唖然としてしまいました。しかも個人的にはあまり好ましい展開ではない。東野圭吾さんって家族を描くのが苦手な印象。『秘密』も僕には受け入れられなかった。こんな親いないよって。ガリレオみたいな独身貴族を描く方が嵌まるみたいですね。あ、ちなみに連休中また山に登って来ました。天気も良くて海もキレイに見えて、気持ち良かったですよ。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『i(アイ)』西加奈子

「この世界にアイは存在しません。」

西加奈子さんの『i(アイ)』を読みました。

本当は年末年始かけてじっくり『サラバ!』を読んでみたいと思っていたんですが、計画と読みが狂ってしまい、年が明けた今になって『i(アイ)』の方から手をつける事に。

ちなみに僕にとってはは初の西加奈子作品です。

さて、吉と出るか凶と出るか。

著名な作品を多数出している作家さんだけに、良い出会いになる事を願うばかり。

 

アメリカ人の父と日本人の父を持つシリア人・アイ

主人公の国籍はアメリカ。

父・アメリカ人。

母・日本人。

本人はというと、シリア人。

 

裕福なアメリカ人夫婦の元で養子として育てられたのが主人公のアイ。

 

……もうのっけから混沌としていますね。

 

彼女は幼少時代をアメリカのニューヨークで過ごし、中学進学のタイミングで日本にやってきます。

人種の坩堝たるアメリカではいまいち馴染む事ができず、閉鎖的で没個性的な日本での生活に居心地の良さを感じるアイ。

しかしそれも長くは続かず、行く先々で悩みと葛藤を抱える事になります。

 

アメリカ人でもなく、日本人でもなく、かといってシリア人でもない自分のアイデンティティ

 

簡単に言ってしまうとそんなところですが……アイは他にも、裕福な家庭に貰われた自分の幸福は、もしかしたら他の誰かの不幸と引き換えになっているのではないかという意識に常に脅かされていたりします。

 

その他本書には、人種や国籍だけではなくセクシュアリティや果ては原発事故まで、様々なテーマが内包されています。

 

どうしようもないねじれ

西加奈子さんはイラン ・テヘラン生まれのエジプト・カイロ育ちという非常に国際的というか現代的な経歴をお持ちの方で、であるからこそこんなにも世界観の大きな作品が書けるのだと思います。

 

ただ、僕は生まれ育ちも地方の純日本人で、外国人を目にする機会はあっても自分が会話をしたり何かを一緒にするような機会はまだまだ少ないのが実情です。

驚かれる事も少なくないのですが、これまでの人生で一度も日本を出た事すらありません。

 

そういう人間からすると、どうしようもなく次元の違う話に感じてしまい、どこか違う世界の物語としか受け止められませんでした。

 

ネットやメディアから聞きかじった知識だけでもって、「そうやって他人に引け目を感じたりするのって日本人だけじゃないの? アメリカで生まれ育ったアイが日本に来る前からそんな風に考えたりするの?」なんて疑問に思えてしまったり。

 

見知らぬ他人の勧誘をきっかけに反原発デモに参加する軽さが許せなく思えてしまったり。しかもあまり深く考えずに主張よりも行動している事実に突き動かされている感じがあまりにも軽薄に思えてしまったり。

 

東日本大震災で多少なりとも被災と呼べる経験をした身としては、世界各国で起こる事故や天災、紛争の犠牲者に対して胸を痛めるアイに対して、偽善的と感じてしまうところもあったり。

 

一方では、そんな風に世界の出来事に対して憂いたり悲しんだりして受け止められる人々っていうのも実在するんだろうな、と思うと妙に後ろめたさみたいなものを感じたり。

 

でもやっぱり、最終的に深いところでは理解できないし、主人公のアイやその他の登場人物に共感する事はできないのです。

 

あまりにも今までの僕の人生と本作に書かれている世界が違い過ぎていて、そのほとんは僕の経験の少なさ、僕自身の世界観の小ささに寄与するものなのだろうと思いつつも、やはり自分と同じ世界線の上に広がっている物語だとは思えない。

 

僕とこの作品とは、どうしようもなくねじれの位置にあるとしか言いようがありません。

 

 

この先どうしよう

僕実は、西加奈子という作家に結構期待してたんですよねぇ。

サラバ!』もかねてから読みたいと思ってきた作品でもあるし。

 

でもこれだけ世界観の違いを見せつけられてしまうと、他の作品に手を出すのは非常に憚られます。

 

興味はありつつも、近づいたら不幸になると予感できてしまう、あの感じ。

 

合わないとわかっていても惹かれてしまう異性に似ているかもしれません。

 

自分には全く理解できない相手だからこそ、妙に惹かれるものがあるのかも。

 

この先、西加奈子作品をどう扱っていいのか、すごく微妙ですねー。

とりあえずしばらくは時間を置くべきか。

めちゃくちゃ薄くて軽そうな作品でもう一回試してみるか。

 

 

あーでも書いていたら、『i(アイ)』もメチャクチャ良い本な気もしてきました。

自分にはない感性を刺激してくれるのって、すごく魅力的ですもんね。

 

ちょっと時間を置いたら、やっぱりまた西加奈子さんの違う本を読みたくなる気がする。

 

なんとも評価し難い、難しい作家さんです。

https://www.instagram.com/p/Bsk_A4_l3uN/

#i #アイ #西加奈子 読了初めての西加奈子本。いずれ #サラバ! を読んでみたいと思っていただけに期待していたのだけど…… 日本で生まれ育ち、海外に渡った経験もない僕にはちょっと合わないみたいですね。共感できないというより、全く別の遠い世界の話に感じてしまいました。とはいえ妙に惹かれるところもあったり。。。あまりにも自分の感性からかけ離れすぎているからこそ、知りたい、感じたいと思えてしまうところも。なんとも評価しがたい難しい本でした。とりあえず西加奈子からはいったん距離を置こうかな。ほとぼりされた頃にまた読みたくなる気がします。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『絶望ノート』歌野晶午

オイネプギプト様、是永雄一郎を殺してください。 

最近妙に『密室殺人ゲーム』の記事へのアクセスが増えていたりするのですが、何かあったのでしょうか?

特に心当たりはないのですが。

linus.hatenablog.jp

linus.hatenablog.jp

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……だからというわけではないのですが、今回は歌野晶午作品の中から『絶望ノート』を選びました。

 

一番上の『密室殺人ゲーム王手飛車取り』 の記事にも書いた通り、歌野晶午については初期作品しか読んだ事がありません。

そこから『葉桜の季節にきみを想うということ』を読み、『密室殺人ゲームシリーズ』を読み……と話題作は読んできたのですが、次に何を読むべきかがいまいちピンと来ない。

 

そんな中でネットで検索すると、結構な頻度でこの『絶望ノート』が出てくるんですよね。

まぁ、歌野晶午らしく賛否も両論あるわけなんですが。

 

願いが叶えられるノート

主人公である太刀川照音は中学三年生。

容姿に劣り、勉強や運動でも劣り、極度のあがり症で家は貧乏という恵まれない星の下に生まれてきたかのような不幸そのものの少年。

父は息子に「ショーン」という名前を付ける極度のジョン・レノンおたくで一切働こうとしない。

母は朝から晩まで働くことで、たった一人の収入で家計をやりくりしています。

 

特にこの父親というものが曲者。

ジョン・レノンに憧れるだけでなく、その昔は自らもバンドを組み、ジョン・レノンになりきったかのように外見を真似、他人と会う際には家の中でもサングラスを欠かせないという変人ぶり。

 

彼の存在が一家を貧困に貶め、息子のイジメを助長していると言っても過言ではありません。

 

何も見えない将来に絶望した彼は、神様どうかぼくにしあわせをくださいと祈った。何度祈ったことだろう。

 しかし何も起きなかった。一度として神様は降りてこなかった。

 彼はだから、新しい日記帳の表紙に「絶望」と記し、救いを求めて、日々、心の叫びを叩きつけることにした。

 

そんな生活の中で照音が生み出したのが、『絶望ノート』。

彼の日記にはその名前のせいで子供の頃から「タチション」というあだ名をつけられた事やカツアゲ、万引きの強制や闇サイトへの書き込み等、様々なイジメが描き込まれています。

 

日記の中で照音はオイネプギプト様という神様を宿した石を得、毎日石に向かって祈るようになります。

自らをいじめるクラスメートを殺してくれ、と願うのです。

 

そうしたある日、実際にクラスメートの身に不幸が訪れます。

 

絶望ノートに書かれた願いが、叶い始めるのです。

 

『デ〇ノート』のパクリ?

……伏せるまでもありませんね。

本作はあの人気漫画である『デスノート』と設定がよく似ています。

 

ノートに書かれた相手が死ぬ。

 

似てるというかそのままです。

 

正直僕も本書に対して抱いていた印象って「パクリらしい」という事だけで、であるならば逆に歌野晶午がその設定を使ってどんな物語を仕上げたかこの目で確認してやろうという、半ば興味本位で手に取ったに等しいんですが。

 

結果として、読んで良かったと言えます。

だって全くもって別物と言い切る事ができますから。

 

 

 

『絶望ノート』は推理小説である

これは歌野晶午が書いているのだから当然過ぎるのですが。

 

『絶望ノート』は推理小説です。

 

デスノート』のようなホラーやファンタジーではありません。

ちゃんと現実世界を舞台に書かれた物語です。

 

しかも推理小説の王道であるフーダニット(誰が)、ハウダニット(どうやって)はもちろん、ホワイダニット(なぜ)の謎も含んでいます。

更にノートに書かれた相手に次々と不幸が襲い掛かっていく状況というのは、杉江松恋が「ミステリの新潮流」と言うホワットダニット(何が起きているのか?)に他なりません。

 

フーダニット(誰が)、ハウダニット(どうやって)、ホワイダニット(なぜ)、ホワットダニット(何が起きているのか?)という全ての種類の謎を盛り込んだ全部乗せの贅沢な推理小説というのが、『絶望ノート』の正体なのです。

 

犯人当てという推理小説における“王将の謎”を排する事で稀有な物語が出来上がった『密室殺人ゲーム』シリーズと比べると対照的な作品になると言えるかと思います。

 

……で、面白いかどうか

推理小説としては前述のように面白いんですけどね。

小説=読み物としてどうなのかというと、これがまた微妙。。。

 

はっきり言ってしまうと、かなり退屈

 

というのも、照音少年の書く日記(絶望ノート)の分量がかなり多い上、中学生が書いているという設定もあってかなりどうでも良い記述が多いのです。

単純に骨子だけを集めたら半分にも満たないんじゃないかというぐらい、読んでも読まなくても差し支えないような文章が多い。それが読んでいてわかるだけに、読み飛ばしてしまいたい気持ちをぐっと堪えながら読んでいくのがなおさら苦痛でした。

 

それでいて謎解きは終盤で結構呆気なく、しかも名探偵が一から十まで細かく説明するかのごとく一気にまとめて解放される為、ちょっと味気ない感じもしたり……。

 

やっぱり人気になる作品と比べると、落ちてしまう印象が残るのは致し方ないですね。

でも謎それぞれはなかなか魅力的だし、解答も歌野晶午らしい複雑さなので推理小説好きなら一読して損はないと思います。

あんまり書くとネタバレになっちゃうから、これ以上は書きませんけどね。

https://www.instagram.com/p/Bscg-iZlRH4/

#歌野晶午 #絶望ノート 読了ノートに書かれた相手に実際に不幸が降り注ぐという #デスノート のパクリ疑惑もある作品でも実際には #フーダニットから #ホワットダニット まで色んな謎が盛り込まれた贅沢な推理小説でした。とはいえ物語として読んで面白いかと聞かれればそれはまた別の話。。。 特に照音少年の書く日記がねぇ。中学生という設定だから仕方ないかもしれないけどどうでもいい記述が多過ぎて辟易。ページ数も多いし。謎と解答は悪くないだけに、推理小説好きな人向けになっちゃうかなぁ。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。