おすすめ読書・書評・感想・ブックレビューブログ

年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『スロウハイツの神様』辻村深月

 漫画の神様と呼ばれる手塚治虫氏の住んでいたところに、彼を慕って若い漫画家が集まり、住み始める。藤子不二雄や、石ノ森章太郎や、赤塚不二夫や、今では信じられないくらい豪華な顔ぶれの漫画家たちが、一つ屋根の下に住んで、そろって漫画を描いていた。今ではもう伝説のように語られる有名な話。 

スロウハイツの神様を読みました。

僕の記憶に間違いがなければ『ツナグ』『凍りのくじら』『かがみの孤城』『青空と逃げる』に続いて五作目の辻村深月作品となります。

 

『ツナグ』は再読するほど気に入った作品ですし、『かがみの孤城』も読んだ後で本屋大賞受賞を予感させた作品でした。『青空を逃げる』も傑作とは言い難いものの、仏に楽しめた作品。『凍りのくじら』はちょっと微妙だったけど。

 

当たり年と思えた昨年に比べ、今年に入ってから選択する作品はいずれも小粒……なんとか間違いないものを読みたいなぁ、と思って選択したのがほうぼうで見かける事も多い本書でした。

 

トキワ荘インスパイア

辻村深月さんが藤子不二雄好きなのは有名な話。

本書は藤子不二雄好きなら有名なトキワ荘を舞台にした作品を書こう、と思い書かれた作品だそうです。

 

中心となるのは脚本家の赤羽環。

彼女はチャンスをつかみ、すでに一人の脚本家としての地位を確立させようという抜きんでた存在。

環が祖父から譲り受け、めぼしいメンバーを集めた舞台が、トキワ荘ならぬスロウハイツです。

 

 

漫画家の卵狩野と映画監督を目指す長野、長野の恋人で画家の卵すみれ、高校時代からの環の親友である円屋。

そして、中高生に絶大な人気を誇る小説家チヨダ・コーキと彼の敏腕編集者黒木。

 

以上六人が、スロウハイツの住人。

ある時には絶望や挫折を織り交ぜ、互いに支え、励まし合いながら夢を追い求める共同生活を描いた作品です。

 

謎・謎・謎

メフィスト賞で作家デビューしたという辻村深月らしく、物語の中には様々な謎が含まれています。

 

大人気作家チヨダ・コーキによく似た偽物作家の登場などはその最たるものでしょう。

鼓動チカラを名乗るその作家は、チヨダ・コーキが連載している作品とほぼ同じような設定で同じような物語を描きます。

しかしある時から、鼓動チカラはチヨダ・コーキを追い抜いてしまいます。

偽物であるはずの鼓動チカラの物語が、チヨダ・コーキを先行してしまうのです。

 

似たような能力を持つ似たようなキャラが鼓動チカラの作中で死んだ後、それをなぞるようにチヨダ・コーキの作品でも死んでしまう。

 

鼓動チカラは誰なのか。

どうしてチヨダ・コーキの物語を先行できるのか。

 

その他にも幾つもの謎があるのですが……こうして読み終えた後で振り返ってみると、ほぼ全てチヨダ・コーキに関係するものばかりだったりするんですよね。

 

物語の終盤には一番の大ネタとも言える、物語の大本に関わる伏線回収のお披露目があったりするんですが、それもまたチヨダ・コーキに関わっていたり……。

 

そうなってくると、残念ながらこう思わざるを得なくなってしまうんですよね。

 

そもそもいなくても良い人物、なくても良いエピソード、多すぎない?

 

 

 

 

感想:若い

とにかく若いです。

何って書いている辻村深月自身が若い。

 

調べてみたら2007年の作品。

作者が20台半ばの頃に書かれた計算になります。

 

そんなわけで、随所に若さが溢れた作品なのです。

 

 

……ぶっちゃけ言うと、さっぱり何言ってるかわかんねーという感じ。

 

 

そもそも設定からしてよくわからない。

どうしてこの七人なのか。

何を書きたい物語なのか。

 

以前大塚英志『キャラクター小説の作り方』の記事でも紹介しましたが、

また、もう一つ重要な点として、一つ一つの要素の必然性について触れています。

ただ単に「左右の目の色が違うゴーストバスターの少年が戦うお話」と「左右の目の色が違うがゆえにゴーストバスターにならなければならなかった少年が葛藤しつつ戦うお話が全く違うのはわかりますよね。「左右の目の色が違うこと」というキャラクターの要素と「ゴーストバスターをする」というドラマの骨格が自然に結びついていることが大切なわけです。その手続きを怠らなければ、そこにはもう「物語」が成立しかけているはずです。 

こんなふうにぼくの作品でもどうにか上手くいった作品は主人公の外見的、身体的な特徴(多重人格とか全身が人工身体とか)がその主人公のその後の行動、つまり「物語」に自然に結びついているのです

この“必然性”が見えないんですよね。

 

ある意味でこの物語は環とチヨダ・コーキがマストで必要ではありますが、他の人々が主要登場人物に肩を並べる必然性は全く感じられません。

 

にも関わらず視点がしょっちゅう変わる。めまぐるしく変わる。

今この段階での視点が誰のもので、誰の気持ちを表しているのか把握するのが結構な手間で、読んでいて眩暈が起こりそうな程。

その人の視点で語るそのエピソードが本当に必要なのか、疑問に思えてなりません。

 

でもって時系列もぼんぼん変わる

肝心なところを一片に明かさず、後から改めて書いたりする。

小説においては常套手段なのだろうけれど、あまりにも多用されるとストレスになる。

 

視点が変わり、突如過去のとあるタイミングに変わる。

 

この視点は誰?

これはいつの話?

さっきまでと同じ流れ? それとも回想?

 

読んでて滅茶苦茶ストレスが溜まって、物語がすんなり頭に入って行ってくれません。

 

でもって出てくる登場人物たちが全員困ったちゃんばかり。

「自立しろ」と意見を押し付けたり、創作者のはずなのに「感情を表したくない」と言ってみたり。

ある年代のばっちり嵌まる世代の人間が読めば尖ってると思えるのかもしれないけれど、僕が読むにはちょっと遅すぎたかもしれません。

 

彼らにさっぱり感情移入ができない。

彼らが大成する姿が想像できない。

 

とにかくダメですね。

読んでいて苦痛でしかなかった。

 

最後の最後における伏線回収はなかなかの読み応えだったけれど、前述のようにそれは物語全体に広がるものではなく……じゃあやっぱり、その人たちだけの物語で良かったよねじゃね、と。

流石に上下巻で900ページ弱のボリュームを読ませる程のものではないですね。

 

かがみの孤城』も終盤の伏線回収で一気に畳み掛ける作品でしたが、良く似た構成にも関わらず大きく差がある作品と言っても良いでしょう。

 

まぁ辻村深月といえどもデビュー間もない頃の初期作品はやっぱり苦しいよなぁ、なんて改めて思わせてくれる読書でした。

https://www.instagram.com/p/Bsu3kqwltp7/

#スロウハイツの神様 #辻村深月 読了いろいろなところで良く見かける作品。今年に入っていまいちな読書が続いていたので辻村深月作品から有名そうなものをチョイス。結果……失敗。複数の登場人物それぞれの過去や現在を追いながら、いくつかの謎を散りばめつつ、最終的に一気に伏線回収して物語を収束させるという意味では『かがみの孤城』によく似た構成ではあるのだけど。ボリュームも多いし。逆に言うと、こういう作品を経たからこそ『かがみの孤城』が書けたのでしょうね。今年はいまいちな読書が続くなぁ。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『人魚の眠る家』東野圭吾

「他の多くの国では、脳死を人の死だと認めています。したがって脳死していると確認された段階で、たとえ心臓が動いていたとしても、すべての治療は打ち切られます。延命治療が施されるのは、臓器の提供を表明した場合のみです。ところが我が国の場合まだそこまで国民の理解が得られていないということもあり、臓器提供に承諾しない場合は、心臓死をもって死とされているのです。極端な言い方をすれば、二つの死を選べるということになります

昨年末に全国公開された人魚の眠る家を読みました。

 

僕の東野圭吾に対する評価は既に何度か書いてきた通りかなり低いものでした。

単刀直入に言って、東野圭吾に対する僕のイメージは『量産型佳作作家』というものです。

とにかく次々と作品を発表し、どれもそれなりの話題作となるものの、実際読んでみるとそこまで感動も感慨もなく……。

しかしながら大きな“ハズレ”も少ないため、突出した読みやすさとメディアの販売促進でもって次々と消費されていく量産型の作家さん。

linus.hatenablog.jp

こういった認識が、『容疑者Xの献身』を読み、『マスカレード・ホテル』を読む中でだいぶ変わり、「とりあえず話題になった作品は読むべき」というところまで変わりました。

 

となると必然的に、『人魚と眠る家』は避けられませんよね。

ちなみに本書は東野圭吾デビュー30周年記念作品でもあるそうです。

否が応でも期待が高まります。

 

突き付けられる二つの死

ある日突然、長女の瑞穂がプールで溺れたと連絡が入ります。

慌てて病院に駆け付けた夫婦は、医者から脳に重大なダメージが残った、と告げられます。

 

肉体的には一命をとりとめたものの、脳の損傷は著しく、意識の回復は見込めない……いわゆる遷延性意識障害植物状態に陥ってしまっていたのです。

 

臓器提供を前提とした脳死判定をもちかける病院側に対し、夫婦は一度は承諾するものの、握った娘の手が微かに動いたように感じられた事から、直前になって脳死判定を拒否します。

 

瑞穂は死んでいない……決して回復するはずがないと言われた植物状態の娘とともに生きる生活が、その日から始まったのです。

 

 

残された家族と周囲の人々の苦悩の物語……?

瑞穂の両親は、別居状態にありました。

父和昌の浮気が原因で、既に離婚まで秒読みという段階に至っていたのです。

 

そのタイミングで起きてしまった事故……。

 

あの日、瑞穂をプールに連れて行っていたのは祖母の千鶴子でした。

自分の不注意が瑞穂を不幸を招いたと千鶴子は後悔に際悩まされます。

 

ここから、眠り姫のような娘と周囲との長く苦しい葛藤の日々が描かれる……ものだと、僕は思いこんでいました。

 

 

 

ところが

 

 

 

物語は思いもよらぬ方向へと進んでいきます。

 

 

電気仕掛けのフランケンシュタイン

和昌の経営するIT系機器メーカー、ハリマテクスは医療分野での技術開発に乗り出しており、脳と機械との融合の研究を進めていました。

 

具体的には視覚障碍者の脳に直接信号を送る事で障害物の存在を知覚させたり、手足の動かない麻痺状態の患者の脳から直接信号を送って、機械の手を動かさせたりするのです。

 

そんな中、和昌は横隔膜ペースメーカーという技術の存在を知ります。

心臓のペースメーカーのように、機械の力で横隔膜を動かす機械です。

この機械の力を借りれば、植物状態の瑞穂も人工呼吸器の力を借りることなく生活する事ができるようになります。

 

そして実際に、和昌と妻の薫子は手術に踏み切るのです。

 

これにより、瑞穂は自宅での看護が可能になりました。

もちろん薫子一人の手には余りますが、責任をだれよりも感じている祖母の千鶴子が残りの自分の人生の全てを瑞穂に捧げる、と協力してくれます。

 

さらに和昌は、自社の技術をも瑞穂に利用しようと考えます。

部下の技術者である星野を自宅に送り込み、瑞穂の身体に電気信号を送る事で、強制的に手足を動かそうとするのです。

 

こうして瑞穂は自らの体で手足を動かす事ができるようになり、定期的に運動する事で衰えた身体も少しずつ元の姿を取り戻し、傍目には眠っているだけの少女のようになっていきます。

 

しかしそんな瑞穂を見た和昌の父・多津朗は

「人の身体を電気仕掛けにしてしまうなんて、神を冒涜しているような気がする」

と拒絶反応を示します。

薫子は多津朗に食って掛かり、発言を諫めますが、この辺りから薫子の様子はどんどんおかしくなっていきます。

 

また、技術者である星野もまた、先輩から次のように言われます。

「でもさ、相手が脳死患者の場合はどうなんだ? 意識はないんだろ? もう戻ることもないんだろ? そんな患者の手足をコンピューターや電気信号で動かすって、どうなんだ? 俺にはフランケンシュタインを作ろうとしているようにしか思えないんだけどね」

 

彼らの反応は、至って正常なものでしょう。

 

瑞穂は一切自らの意思を持たないにも関わらず、薫子たちの意思により機械の力で呼吸をし、身体を動かす電気仕掛けのフランケンシュタインのようになってしまうのです。

 

 

イメージと違い過ぎる

下に、Amazonの内容紹介を転載します。

答えてください。

娘を殺したのは私でしょうか。

 

東野圭吾作家デビュー30周年記念作品。

人魚の眠る家

 

娘の小学校受験が終わったら離婚する。

そう約束した仮面夫婦の二人。

彼等に悲報が届いたのは、面接試験の予行演習の直前。

娘がプールで溺れた――。

病院に駆けつけた二人を待っていたのは残酷な現実。

そして医師からは、思いもよらない選択を迫られる。

 

過酷な運命に苦悩する母親、その愛と狂気は成就するのか。

愛する人を持つすべての人へ。感涙の東野ミステリ。

 

……やっぱりもうちょっとハートフルというか、脳死状態の娘を軸に家族それぞれの苦悩や葛藤を描いた物語を期待していたんですけど。

 

 

まさかフランケンシュタインの話になろうとは。

 

 

……正直、ひいてしまいました。

 

一応補足しておくと、決してそればかりではないんです。

一番最初に引用したような二つの死に関わる問題をはじめとする日本の臓器提供を取り巻く状況や最新の医療技術は非常に興味深いものですし、ある意味では脳死状態を受け入れられない家族の愛」のかなり極端な表現としてフランケンシュタインが行われるわけですし。

 

愛する人のために、人はどこまで尽くせるか。

どこまで狂えるか。

 

そんなものを書きたかったのだと思います。

 

ただ東野圭吾さんの受け入れられなかった作品として『秘密』があるのですが、それと似たような拒絶反応が出てしまうんですよね。

『秘密』の時にも、うら若き娘の身体を夫婦で好き勝手弄んでいるようにしか感じられず、「こんな親ありえない」という拒絶反応が先に来てしまって僕はちっとも楽しめなかったんですが。

 

今回の夫婦もまた、あまりにも現実離れし過ぎてしまっているように感じました。

 

『天空の蜂』や他の作品でも思うのですが、東野さんって親子を描くのがあまりお上手ではないように感じます。お子さんの存在は明言されていませんが、たぶん子供のいらっしゃらない方なんだろうな、なんて思ってしまうのです。

 

なのでガリレオのような独身貴族を中心にした物語の方が、すっきり嵌まったりする。

 

東野作品を読む場合、家族ものは敬遠した方がいいのかもしれませんね。

https://www.instagram.com/p/BsmK4ullGZf/

#人魚の眠る家 #東野圭吾 読了東横30周年記念作品・劇場公開作品とあって読んでみました。脳死状態の娘の介護を通しながら家族や周囲の公開や苦悩を描くホームドラマかと思いきや。ちょっと想像の斜め上の展開で唖然としてしまいました。しかも個人的にはあまり好ましい展開ではない。東野圭吾さんって家族を描くのが苦手な印象。『秘密』も僕には受け入れられなかった。こんな親いないよって。ガリレオみたいな独身貴族を描く方が嵌まるみたいですね。あ、ちなみに連休中また山に登って来ました。天気も良くて海もキレイに見えて、気持ち良かったですよ。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『i(アイ)』西加奈子

「この世界にアイは存在しません。」

西加奈子さんの『i(アイ)』を読みました。

本当は年末年始かけてじっくり『サラバ!』を読んでみたいと思っていたんですが、計画と読みが狂ってしまい、年が明けた今になって『i(アイ)』の方から手をつける事に。

ちなみに僕にとってはは初の西加奈子作品です。

さて、吉と出るか凶と出るか。

著名な作品を多数出している作家さんだけに、良い出会いになる事を願うばかり。

 

アメリカ人の父と日本人の父を持つシリア人・アイ

主人公の国籍はアメリカ。

父・アメリカ人。

母・日本人。

本人はというと、シリア人。

 

裕福なアメリカ人夫婦の元で養子として育てられたのが主人公のアイ。

 

……もうのっけから混沌としていますね。

 

彼女は幼少時代をアメリカのニューヨークで過ごし、中学進学のタイミングで日本にやってきます。

人種の坩堝たるアメリカではいまいち馴染む事ができず、閉鎖的で没個性的な日本での生活に居心地の良さを感じるアイ。

しかしそれも長くは続かず、行く先々で悩みと葛藤を抱える事になります。

 

アメリカ人でもなく、日本人でもなく、かといってシリア人でもない自分のアイデンティティ

 

簡単に言ってしまうとそんなところですが……アイは他にも、裕福な家庭に貰われた自分の幸福は、もしかしたら他の誰かの不幸と引き換えになっているのではないかという意識に常に脅かされていたりします。

 

その他本書には、人種や国籍だけではなくセクシュアリティや果ては原発事故まで、様々なテーマが内包されています。

 

どうしようもないねじれ

西加奈子さんはイラン ・テヘラン生まれのエジプト・カイロ育ちという非常に国際的というか現代的な経歴をお持ちの方で、であるからこそこんなにも世界観の大きな作品が書けるのだと思います。

 

ただ、僕は生まれ育ちも地方の純日本人で、外国人を目にする機会はあっても自分が会話をしたり何かを一緒にするような機会はまだまだ少ないのが実情です。

驚かれる事も少なくないのですが、これまでの人生で一度も日本を出た事すらありません。

 

そういう人間からすると、どうしようもなく次元の違う話に感じてしまい、どこか違う世界の物語としか受け止められませんでした。

 

ネットやメディアから聞きかじった知識だけでもって、「そうやって他人に引け目を感じたりするのって日本人だけじゃないの? アメリカで生まれ育ったアイが日本に来る前からそんな風に考えたりするの?」なんて疑問に思えてしまったり。

 

見知らぬ他人の勧誘をきっかけに反原発デモに参加する軽さが許せなく思えてしまったり。しかもあまり深く考えずに主張よりも行動している事実に突き動かされている感じがあまりにも軽薄に思えてしまったり。

 

東日本大震災で多少なりとも被災と呼べる経験をした身としては、世界各国で起こる事故や天災、紛争の犠牲者に対して胸を痛めるアイに対して、偽善的と感じてしまうところもあったり。

 

一方では、そんな風に世界の出来事に対して憂いたり悲しんだりして受け止められる人々っていうのも実在するんだろうな、と思うと妙に後ろめたさみたいなものを感じたり。

 

でもやっぱり、最終的に深いところでは理解できないし、主人公のアイやその他の登場人物に共感する事はできないのです。

 

あまりにも今までの僕の人生と本作に書かれている世界が違い過ぎていて、そのほとんは僕の経験の少なさ、僕自身の世界観の小ささに寄与するものなのだろうと思いつつも、やはり自分と同じ世界線の上に広がっている物語だとは思えない。

 

僕とこの作品とは、どうしようもなくねじれの位置にあるとしか言いようがありません。

 

 

この先どうしよう

僕実は、西加奈子という作家に結構期待してたんですよねぇ。

サラバ!』もかねてから読みたいと思ってきた作品でもあるし。

 

でもこれだけ世界観の違いを見せつけられてしまうと、他の作品に手を出すのは非常に憚られます。

 

興味はありつつも、近づいたら不幸になると予感できてしまう、あの感じ。

 

合わないとわかっていても惹かれてしまう異性に似ているかもしれません。

 

自分には全く理解できない相手だからこそ、妙に惹かれるものがあるのかも。

 

この先、西加奈子作品をどう扱っていいのか、すごく微妙ですねー。

とりあえずしばらくは時間を置くべきか。

めちゃくちゃ薄くて軽そうな作品でもう一回試してみるか。

 

 

あーでも書いていたら、『i(アイ)』もメチャクチャ良い本な気もしてきました。

自分にはない感性を刺激してくれるのって、すごく魅力的ですもんね。

 

ちょっと時間を置いたら、やっぱりまた西加奈子さんの違う本を読みたくなる気がする。

 

なんとも評価し難い、難しい作家さんです。

https://www.instagram.com/p/Bsk_A4_l3uN/

#i #アイ #西加奈子 読了初めての西加奈子本。いずれ #サラバ! を読んでみたいと思っていただけに期待していたのだけど…… 日本で生まれ育ち、海外に渡った経験もない僕にはちょっと合わないみたいですね。共感できないというより、全く別の遠い世界の話に感じてしまいました。とはいえ妙に惹かれるところもあったり。。。あまりにも自分の感性からかけ離れすぎているからこそ、知りたい、感じたいと思えてしまうところも。なんとも評価しがたい難しい本でした。とりあえず西加奈子からはいったん距離を置こうかな。ほとぼりされた頃にまた読みたくなる気がします。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『絶望ノート』歌野晶午

オイネプギプト様、是永雄一郎を殺してください。 

最近妙に『密室殺人ゲーム』の記事へのアクセスが増えていたりするのですが、何かあったのでしょうか?

特に心当たりはないのですが。

linus.hatenablog.jp

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……だからというわけではないのですが、今回は歌野晶午作品の中から『絶望ノート』を選びました。

 

一番上の『密室殺人ゲーム王手飛車取り』 の記事にも書いた通り、歌野晶午については初期作品しか読んだ事がありません。

そこから『葉桜の季節にきみを想うということ』を読み、『密室殺人ゲームシリーズ』を読み……と話題作は読んできたのですが、次に何を読むべきかがいまいちピンと来ない。

 

そんな中でネットで検索すると、結構な頻度でこの『絶望ノート』が出てくるんですよね。

まぁ、歌野晶午らしく賛否も両論あるわけなんですが。

 

願いが叶えられるノート

主人公である太刀川照音は中学三年生。

容姿に劣り、勉強や運動でも劣り、極度のあがり症で家は貧乏という恵まれない星の下に生まれてきたかのような不幸そのものの少年。

父は息子に「ショーン」という名前を付ける極度のジョン・レノンおたくで一切働こうとしない。

母は朝から晩まで働くことで、たった一人の収入で家計をやりくりしています。

 

特にこの父親というものが曲者。

ジョン・レノンに憧れるだけでなく、その昔は自らもバンドを組み、ジョン・レノンになりきったかのように外見を真似、他人と会う際には家の中でもサングラスを欠かせないという変人ぶり。

 

彼の存在が一家を貧困に貶め、息子のイジメを助長していると言っても過言ではありません。

 

何も見えない将来に絶望した彼は、神様どうかぼくにしあわせをくださいと祈った。何度祈ったことだろう。

 しかし何も起きなかった。一度として神様は降りてこなかった。

 彼はだから、新しい日記帳の表紙に「絶望」と記し、救いを求めて、日々、心の叫びを叩きつけることにした。

 

そんな生活の中で照音が生み出したのが、『絶望ノート』。

彼の日記にはその名前のせいで子供の頃から「タチション」というあだ名をつけられた事やカツアゲ、万引きの強制や闇サイトへの書き込み等、様々なイジメが描き込まれています。

 

日記の中で照音はオイネプギプト様という神様を宿した石を得、毎日石に向かって祈るようになります。

自らをいじめるクラスメートを殺してくれ、と願うのです。

 

そうしたある日、実際にクラスメートの身に不幸が訪れます。

 

絶望ノートに書かれた願いが、叶い始めるのです。

 

『デ〇ノート』のパクリ?

……伏せるまでもありませんね。

本作はあの人気漫画である『デスノート』と設定がよく似ています。

 

ノートに書かれた相手が死ぬ。

 

似てるというかそのままです。

 

正直僕も本書に対して抱いていた印象って「パクリらしい」という事だけで、であるならば逆に歌野晶午がその設定を使ってどんな物語を仕上げたかこの目で確認してやろうという、半ば興味本位で手に取ったに等しいんですが。

 

結果として、読んで良かったと言えます。

だって全くもって別物と言い切る事ができますから。

 

 

 

『絶望ノート』は推理小説である

これは歌野晶午が書いているのだから当然過ぎるのですが。

 

『絶望ノート』は推理小説です。

 

デスノート』のようなホラーやファンタジーではありません。

ちゃんと現実世界を舞台に書かれた物語です。

 

しかも推理小説の王道であるフーダニット(誰が)、ハウダニット(どうやって)はもちろん、ホワイダニット(なぜ)の謎も含んでいます。

更にノートに書かれた相手に次々と不幸が襲い掛かっていく状況というのは、杉江松恋が「ミステリの新潮流」と言うホワットダニット(何が起きているのか?)に他なりません。

 

フーダニット(誰が)、ハウダニット(どうやって)、ホワイダニット(なぜ)、ホワットダニット(何が起きているのか?)という全ての種類の謎を盛り込んだ全部乗せの贅沢な推理小説というのが、『絶望ノート』の正体なのです。

 

犯人当てという推理小説における“王将の謎”を排する事で稀有な物語が出来上がった『密室殺人ゲーム』シリーズと比べると対照的な作品になると言えるかと思います。

 

……で、面白いかどうか

推理小説としては前述のように面白いんですけどね。

小説=読み物としてどうなのかというと、これがまた微妙。。。

 

はっきり言ってしまうと、かなり退屈

 

というのも、照音少年の書く日記(絶望ノート)の分量がかなり多い上、中学生が書いているという設定もあってかなりどうでも良い記述が多いのです。

単純に骨子だけを集めたら半分にも満たないんじゃないかというぐらい、読んでも読まなくても差し支えないような文章が多い。それが読んでいてわかるだけに、読み飛ばしてしまいたい気持ちをぐっと堪えながら読んでいくのがなおさら苦痛でした。

 

それでいて謎解きは終盤で結構呆気なく、しかも名探偵が一から十まで細かく説明するかのごとく一気にまとめて解放される為、ちょっと味気ない感じもしたり……。

 

やっぱり人気になる作品と比べると、落ちてしまう印象が残るのは致し方ないですね。

でも謎それぞれはなかなか魅力的だし、解答も歌野晶午らしい複雑さなので推理小説好きなら一読して損はないと思います。

あんまり書くとネタバレになっちゃうから、これ以上は書きませんけどね。

https://www.instagram.com/p/Bscg-iZlRH4/

#歌野晶午 #絶望ノート 読了ノートに書かれた相手に実際に不幸が降り注ぐという #デスノート のパクリ疑惑もある作品でも実際には #フーダニットから #ホワットダニット まで色んな謎が盛り込まれた贅沢な推理小説でした。とはいえ物語として読んで面白いかと聞かれればそれはまた別の話。。。 特に照音少年の書く日記がねぇ。中学生という設定だから仕方ないかもしれないけどどうでもいい記述が多過ぎて辟易。ページ数も多いし。謎と解答は悪くないだけに、推理小説好きな人向けになっちゃうかなぁ。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』七月隆文

「ぼくたちはすれ違ってない。端と端を結んだ輪になって、ひとつにつながっているんだ」 

 年明け早々にアップした『みかづき』は2018年内から読み始めた本だったので、厳密に言うと本作が今年初めて読んだ本、という事になります。

ぼくは明日、昨日のきみとデートする

2016年12月に福士蒼汰小松菜奈主演で映画化もされた人気作品です。

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SFチックな恋愛もの

簡単に言うと上記のようなお話。

 

大学生の高寿はある朝通学途中の電車の中で、一目惚れをしてしまう。

驚く程順調に二人は再会を果たし、デートを重ね、恋人になるも……彼女には重大な秘密があって。。。

 

……とまぁすごく典型的なボーイ・ミーツ・ガール(Boy Meets Girl)の物語なんですが、『君の名は。』を彷彿とさせるSFチックな要素も含まれていて、なかなか面白い。

やっぱり恋の障害は本人たち以外の部分に設けないとダメですよね。

以前の記事に書いたそんな指摘が再確認できた作品でもありました。

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また、本書については「文章が稚拙」をはじめとする批判も多く見受けられますが、秀逸なのは「徹底した凡庸さ」なのでしょうね。

村山由佳の初期作品にも見られた定番に定番を重ねたような凡庸さ

けど凡庸さも徹底すれば大きな武器になる、という事でしょう。

 

極めてシンプルに、ベタな恋愛ものとしての王道を踏襲してくれています。

 

作品や文章に深みや味わいを求める人にも物足りないかもしれませんが、消費すべきエンタメの一つとして楽しむ分には非常に優れていると感じました。

 

HY

年末年始、一週間ほどの休暇があったのですが、その間にデスクに向かっている時間が多くありました。

訳あって自宅でも学習する日が増えてきています。

 

勉強しながらPCにぶち込んでいた音楽を適当にシャッフルして聴いていたのですが、その時にふと流れてきたのがHYの曲だったんですね。

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こんな曲を聴いていたところ、先に紹介したような村山由佳の『天使の卵』や昔読んだ甘酸っぱい恋愛小説なんかを思い出してしまい、なんとなく手に取ったのが本書でした。

 

音楽にも合っていて、いい感じに楽しめました。

 

音楽×小説

僕は時々、小説を読みながら「この本にはどんな音楽が合うだろうか」なんて考えたりします。

以前米澤穂信の『インシテミル』を読んていた時にはCTSの『○△□』をひたすらヘビーリピートして聴いていました。

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最近アクセスが増えている『密室殺人ゲーム王手飛車取り』のシリーズに合わせているのはbanvoxですね。特に『Let's go』のドロップがこういう謎解きゲームの混沌さにはよく合います。

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逆に静かにじっくり読みたい作品なんかだと、カーペンターズのアルバムあたりをBGM代わりに低めの音量で流したりするんですが。

 

あんまり歌詞の多い曲やポップな曲は小説に合わせるのは難しいですね。

恋愛小説にHYスキマスイッチは定番化していますが。

 

今回のように先に音楽ありきで、それに合わせる作品を考えるなんていう事もあったりするわけです。

なんのこっちゃ、という感じかもしれませんが。

https://www.instagram.com/p/BsXOuIMF1IT/

#ぼくは明日昨日のきみとデートする #ぼく明日 #七月隆文読了勉強しながらPCの音楽シャッフルして聴いていたところ流れてきたのが #HY の #ijustdoitforyouで、それに合う本を探していたら本書に当たりました。大学生の主人公が通学途中に一目惚れ。順調に恋に発展するものの彼女には秘密があって……という典型的な #ボーイミーツガール の物語加えて #君の名は を彷彿とさせるSFチックな設定も。ベタで定番な物語ではあるものの、徹底した凡庸さがかえって心地良かったかな。文章や物語に厚みや深みを求める人には向かないかもしれません。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『みかづき』森絵都

「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです」 

2018年最後の締め括りとして選んだのは、森絵都さんの『みかづき』でした。

 

2017年本屋大賞では『蜜蜂と遠雷』に次ぐ二位にランクイン。

www.kinokuniya.co.jp

更に来春からはNHKでドラマ化も決定!

 

www.cinra.net

加えて元々僕の森絵都さんに対する評価って、こんな感じ。

森絵都という作家は、うまい。

それが僕の印象。

童話作家出身だけあって難解な言葉や言い回しを使わず、とっても読みやすく優しい文章。それなのに頭に浮かぶイメージはとても鮮烈。どうしてこんな文章が書けるんだろうと不思議になる。

上記は以前書いた『つきのふね』の記事からの抜粋ですが、御覧の通り、とにかく信頼が厚い作家さんなんです。

 

 ひとつ前に読んだ本がちょっといまいちで……だからこそ余計に、最後には間違いない本を選びたいと思っているさ中、『みかづき』を選んだのはある意味必然でした。

 

 親子3代続く教育一家の大河ドラマ

時は昭和35年

小学校で用務員として働く大島吾郎はひょんなことから勉強について行けない子たちに補修を行うようになります。

吾郎の才能を見出した千明は彼に開校する塾の経営者となるよう半ば強引に誘います。

それはつまり、シングルマザーで娘を抱える千明と家庭を築く事でもあります。

 

自身の起こした不祥事により学校にいられなくなった吾郎は千明とともに塾の経営へと乗り出します。温和で教えるのが上手な一方で経営にはからきし弱い吾郎と、授業は吾郎に及ばないが経営に強い千明とのタッグは上手く作用し、塾の経営は少しずつ軌道に乗り始めます。

 

ところが出だしこそ好調なものの、すぐさま同業者との争いが活発化し、千明が吾郎には一切の相談もせずに別の塾との共同経営を持ち出した辺りから二人のすれ違いが始まり、やがて吾郎は妻である千明の手により塾長の座から追われる結果に。

 

そこから吾郎が中心であったはずの物語は千明が中心に回りはじめ、塾は拡大路線へ。さらに次女の蘭が経営に参画。蘭は千明譲りの強引で勝気な性格で千明とはまた異なる塾運営へと踏み出そうと躍動します。

 

最終的に千明の孫である一郎が登場。一郎は塾に通えるだけの経済力を持たない家庭の子供を対象に、ボランティアによる無償の教育サービスを立ち上げようとします。

 

上記のような親子三代、50年にも及ぶ教育とのかかわり合いが時代ごとの教育本心や世相を絡めながら、濃厚な密度で描かれているのが本書なのです。

 

面白いか、面白くないか 

 ……とはいえ、結構読むのに時間がかかってしまったんですよねぇ。

読み始めたのが12月28日で、あんまり本気になってしまうと翌年までもたないと思ってスロースタートで読み始めた事もあったのですが。

予想外に年末年始が慌ただしく、読書の時間が取れなかったり。。。

 

でもやっぱり一番の理由は、いまいち物語に入り込めなかったんですよねぇ。

 

塾や教育とテーマにいまいち興味が持てなかったのか?

決してそういうわけではなかったと思うんですが。

 

最大の原因は、とにかく作品全体が“暗い”という事。

 

森絵都さん、一体どうしちゃったの?と思えるぐらい雰囲気が暗い。

 

最初の主人公である吾郎や長女の蕗子と、物語の中ではどちらかというと善人的立ち位置の人々が早々とフェードアウトしてしまって、千明や蘭といった野心的な人間が中心になってしまったのが要因かと思いますが。

 

まぁ決して善悪と簡単に色分けはできないんですけどね。吾郎に任せていたら塾は続かなかったかもしれないし、リアルな世の中的にも経営に弱い善人なんてカモにしかなりませんからね。

現実的に考えれば、千明や蘭が主導権を握るのは妥当なのかもしれませんが。

 

それでも戦後50年を描いた500ページ近い大作を読むのであれば、やっぱりハートフルで温かい愛のある物語を読みたいかなぁ、なんて思ってしまいます。

 

決して本作が冷たいわけではないんですけどね。

 

あと、もしかしたらですけど、森絵都さんって少年少女を主人公にした作品の方が上手いんじゃないかなぁなんて疑念も生まれてしまいました。

これはあくまで僕の中の疑問なので、これから他の作品も読んで確かめなければなんとも言えませんけど。

 

みかづき』タイトルの意味

最後に、『みかづき』のタイトルの意味について書いておきます。

作品序盤で千明の口から、作品そのものを表すかのような言葉が発せられています。

「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです」

学校教育に対して不信感を抱く千明は、それに対する存在として塾を立ち上げようと志しています。

 

そして終盤に登場するのがこちらの文章。

「常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない」

序盤では塾を月になぞらえましたが、その月は決して満月ではなく、満ちようと努力を続ける三日月である、と言うのです。

 

森絵都さんらしさが発揮された非常に豊かな表現に感じられますね。

 

ただ月とはいえ、やっぱり全体的に暗い感じなのはどうなのか。

千明をはじめ、吾郎にしても娘たちにしてもあんまり幸せそうじゃないんだよなぁ。

人生を楽しんでいる感じでもないし。

 

その辺が朝ドラじゃなくて土曜ドラマ枠になってしまった理由だったりするのかなぁ。

 

ちょっと森絵都さんらしくないように感じました。

  

https://www.instagram.com/p/BsKdGjSluN8/

あけましておめでとうございます。遅くなりましたが今年最初の投稿です。#みかづき #森絵都 読了2018年最後に読み始めた本。2017年の本屋大賞で #蜜蜂と遠雷 に次ぐ二位に収まった作品。昭和36年から始まり、親子三代に渡って教育に関わる家族の物語。朝ドラ化も夢じゃないぐらい壮大な大河ドラマ。 ……にも関わらず、いまいち本に入り込めず結局年明けの今までかかってようやく読み終える事に。最初の主人公の五郎だったり、長女の蕗子だったり、魅力的な人物に限って虐げられてしまう印象が。憎まれっ子世にはばかる的な。感情移入しきれなかったのはその辺が原因かな?#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『崩れる脳を抱きしめて』知念実希人

ダイヤの鳥籠に入った小鳥と、大空を自由に飛べる小鳥、どっちの方が幸せだと思う?

『崩れる脳を抱きしめて』を読みました。

こちらも先日読んだ『星の子』と同じ第15回2018年本屋大賞ノミネート作品で、その時大賞を受賞したのは辻村深月さんの『かがみの孤城』でした。

linus.hatenablog.jp

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上の二作はどちらも良い作品でしたね。

かがみの孤城』については「個人的には本屋大賞を獲ってもおかしくない作品」なんて書いた予想が的中してしまったし。

 

……で、まぁ本作。

 

はっきり言って合いませんでした。

しかも残念な事に僕にとっては憤りを覚えるタイプの作品だったんですよねぇ。

 

本来だと細かくああだこうだ書かずに次に進みたいところなのですが、今年の残り僅か、今年最後のハズレ作品として、ちょっと細かく「何がダメなのか」分析を試みてみたいと思います。

 

本作及び知念実希人ファンの方はスルーして下さいね。

 

喪失系感動物語

最近またブームなんでしょうか?

安易に量産され過ぎてませんか?

不治の病に侵され、残り僅かな余命を懸命に生きるヒロイン。

 

当ブログでも何度も描いてきていますが、これって堀辰雄風立ちぬを筆頭に擦られまくっているネタなんですよね。

しかも『風立ちぬ』をはじめ、過去に名作と呼ばれる作品が多いのも玉にキズ。

セカチューの略語でも知られる片山恭一『世界の中心で愛を叫ぶ』であったり、中村航『100回泣くこと』であったり。

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でもって最近で一番のヒット作と言えば、コレになるでしょう。

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こういった物語についての考察は、上の『君の膵臓をたべたい』の記事でさんざん書かせていただきました。

こういった物語は基本的にストーリーも似通ってきます。

  • 出会いから始まり、二人が親密さを増し、お互いに相手の重要さを認識。
  • 盛り上がる感情と反比例するようにやがて訪れる彼女の死という逃れられない運命に苦悩。
  • 愛を語る上でこれ以上ないカンフル剤として「病」を利用し、あとは死後の喪失感を描く。

ざっくりこんな感じです。

死を描くことで愛がより際立ち、喪失感で涙を誘うというお決まりのパターン。

本書もまた、研修医である主人公が実習先としてやってきた病院で、ユカリと名乗る一人の女性患者と出会うところから始まります。

ユカリの病名はグリオブラストーマ(悪性脳腫瘍)。

余命は僅か数ヶ月。悪化すれば今すぐ死んでもおかしくない時限爆弾。

 

二人は出会い、お互いを知り、わかりあう事で次第に惹かれていって……ってもうお決まりのパターンだから説明も想像も面倒ですね。

 

本書はミステリの体裁を取り入れつつも、下敷きとしては上記のようにさんざん擦られまくった物語の構造を題材としているのです。

 

天真爛漫系ヒロイン

……で、これもまた最近の流行りなんでしょうか?

余命宣告を受けたヒロインが妙に溌剌・天真爛漫にふるまっていたりします。

 

その最たるものが『君の膵臓をたべたい』なのかもしれませんが。

ただ僕、『キミスイ』に関しては決して悪い評価はしていなくて、むしろ肯定的な立場をとっています。

詳しくは『君の膵臓をたべたい』の記事を読んでいただきたいのですが、キミスイ』はああ見えて実は、テンプレから踏み出そうとしたオリジナリティーに溢れる作品だったりするからです。

 

ヒロインが末期患者とは思えない振る舞いを許されるのも、医学の進歩という理由づけが成されています。

現実社会において、末期癌の患者の多くは緩和ケア病棟でモルヒネをはじめとする薬剤を投与されながらベッドの上で最期を迎えて行きます。

キミスイ』で描かれていたのは従来の緩和ケアから進化し、それまで同様の日常生活を送りながら最期を迎える事が出来るパラレルワールドを前提としていたのです。

 

……さて、本書ではどうでしょう?

 

腫瘍が脳幹部にまで浸潤しているため手術不可能と判断、放射線療法を受けるが効果は少なく、中止となる。七月、緩和医療を目的として当院に店員。現在、鎮痛剤により頭痛はコントロールできているものの、抑鬱症状が強い。

 

ある程度の年齢になって、周囲で似たような病状の方を目にした経験があったりすると、上のような状況の患者さんが一体どのような状態にあるか、想像できるかと思います。

そもそも「緩和治療を目的」とする患者さんがどんな状態にあるかって、想像するだけで胸の痛い話だったりするんですが。

 

著者である知念実希人さんもまた現役医師であるそうですから、知らないはずはないんですよね。僕たちよりもよっぽど詳しいはず。

 

でも、知っている上であえて無視しているのかな?

 

とにかくそんな患者さんが若い医師と楽しく会話したり、時に喧嘩をしたり、ましてや「長い黒髪」「すっと通った鼻筋と長いまつ毛」「柔らかそうな髪がふわりと揺れる」といった形容が似合うような状態であるはずがないんです。

もっと言えば、一目惚れに等しいようなトキメキを抱かせるような状態ではあり得ない。

 

読み始めの前提条件からあまりにもリアリティーが欠落してしまっている事で、一気に読み手のモチベーションを急落させられてしまいます。

 

フィクションとはいえリアリティーが必要条件なのは言うまでもありません。

村田沙耶香さんの『消滅世界』のような突拍子もない設定の作品が受け入れられるのも、あくまで「こういう世界だったら人間ってこういう風になるかも」という共感できるリアリティーがあってこそです。

 

「脳に悪性腫瘍があるけどそれ以外には特に問題ないからピンピンしてる。その代わり、破裂したら即死ね。尚、痛みがないのは痛み止めのおかげ。時代設定は現代」

 

という状況は、現実感をもって想像できる設定でしょうか? そういう状況だとしたら、本人の肉体や精神はどんな状況でしょうか? 本書のような状態になり得ますか?

 

僕には信じられません。

例えそれがフィクションだとしても、成立しえる条件にあるとは思えません。

 

 

記号的登場人物

これも最近のラノベ界隈ではよく見られる傾向ですね。

登場人物たちが記号的で、リアリティーが欠落するとともに感情移入ができない。

 

この記号的、という表現をもう少し詳しく説明すると、レッテル貼りと言い換える事もできます。

 

例えば主人公。

医者だと言いますが、物語の中で医者らしい振る舞いや考え方、もっというと医者らしい生活感のようなものが一切感じられない。

医者を目指す理由も金のため、金にがめつい性格と説明されますが、やはりこれも彼の言動からはほとんど感じる事ができない。

“医者”“金にがめつい”といったレッテルが貼られ、そういう配役として動くから成立しているだけで、らしさがないんです。

 

舞台で例えれば、若く美しい女優が“おばあさん”という名札を付けただけでおばあさん役を演じるようなもの。役作りは一切なく、メイクもセリフ回しも全てが若い女性そのものでしかないのに、“おばあさん”という名札がついていて“おばあさん”の役を演じているから、一応物語は成立する。でも、観客側はどうにも不思議なものを見るかのような複雑な気分で舞台上を眺めている。

そんなちぐはぐさ。

 

主人公に限らず、終末期にあるはずのヒロインも同様です。

病院の他の登場人物も全てが同じ。

記号的にそれぞれがそれぞれの役に就いているだけで、さっぱりリアリティーが感じられない。

 

もっと簡潔に書くと「人間が描けていない」という結論になるんですかねぇ。

 

なので本来であれば死を目前に控え、非常にナーバスであるはずのヒロインが主人公に惹かれた理由にもさっぱり共感が持てないんですよね。

そんな魅力、どこにあったっけ?

本人は「本当の恋をしたことがない(←これもレッテルの一つ)」と言いつつ、過去には相手が勝手に寄ってきたそうですから、ルックスはそれなりなのでしょう。

 

とはいえ、ヒロインと主人公の交わした会話の中で、それほどまでにお互いを惹き付けるものがあったとは思えません。

その後も象徴的なやりとりがあったようにも感じられません。

なし崩し的に、“運命”という名の予定調和的に、お互いが惹かれあっていくだけです。

 

そういう物語だから、配役だから二人は恋に落ちた。

 

ここにも記号的な役割を演じる主人公たちの様子が現れているように感じます。

 

 

ミステリ要素

ちなみに本書は恋愛小説でもありますが、ミステリ小説でもあるようです。

そもそも知念実希人さんはミステリ作家みたいですね。

謎は大きく二つ、前半と後半に用意されています。

 

ただ……その内容に関してはどうしようもない程に、辻褄合わせ感の強いものです。

先に結論ありきで組み立てているのが丸わかりの中途半端さ

 

どうしてそんな面倒な事をしたの? もっと他に方法あるよね? それって一歩間違えたら気づかれないままで終わったかもしれないよね? 追い詰められた人間がそんな一か八かの賭けみたいな手段とる? その理由ってかなり適当じゃない?

 

もうなんか読んでて疑問点でいっぱいになってしまって。。。

かといって『イニシエーション・ラブ』や『葉桜の季節に君を想うということ』のように読み返して確認するようなものでもなく、ただただ説得力に欠くというか、辻褄合わせ感が強いというか。

 

文章もすごく稚拙で全部に目を通すのが面倒になってきますしね。

ええ、正直だいぶ読み飛ばしてしまいました。

どうでもよい文章が多すぎるので。

 

会話文で

「Aです」

「A?」

「AはBですから」

「Bだって?」

みたいな繰り返しって小説の作法としてあまりよろしくないとされていますよね。

あとは「ああ、はい」「はい?」「え」といった反応だけのセリフも多様すべきではない。

地の文で意図の伝わらない情景描写が多いのも問題。同じ住宅を描く場合でも、住人の経済状況を描きたいのか、住宅のデザイン性を描きたいのか、何を描きたいのかによって描写は変わるべき。「築45年」という形容が何を意図したものなのか伝わらなければ、それは不必要な文章でしかない。そういう謎の意図のわからない文章が多すぎる。

 

別に文学作品を求めているつもりではないのですが、そういった表現が文章をつまらなくし、読むモチベーションを奪うという事はよく理解できました。

 

流行の先にあるもの

不況と言われる出版業界ですが、ライトノベルは売れているようです。

行きつけの本屋さんでも、ライトノベルの棚はどんどん拡張されています。

各出版社とも、大人の向けのライトノベルレーベルをどんどん立ち上げているようです。

 

とはいえ、そもそも若年層の本離れが叫ばれ、漫画を含めた本を読んでいるのはアラフォー世代以降なんていう記事もどこかで目にした事があります。

本書のような作品は、一体どういう層に売れているんでしょうね?

本屋大賞にノミネートされるぐらいですから、一定の支持層を獲得しているのは間違いないのだと思いますが。

 

会話を中心とし、読みやすいライトノベルは確かに手に取りやすいのかもしれませんが、そういう本が売れているという状況に関しては首をひねらざるを得ません。

ライトノベルと言っても、文章や世界観がしっかりと作り込まれている本も少なくないですからね。

一方で、期待水準を大きく下回るような作品が多いのも確かです。

 

もちろん、昔からヒドイ作品はありましたけどね。ラノベでいえばあ〇ほりさとるとかあかほ〇さとるとかあかほり〇とるとかね。

まぁ、彼は彼で「ちゅどーーーーーーーーーーーん!」みたいな擬音を小説内で堂々と使うという、大きな礎を残していたりもしますし。

 

脱線しましたが、やはり僕が感じてしまうのは「プロモーションに振り回されている」ケースがあまりにも多すぎるんじゃないか、という点。

 

書店でも目に付く棚で仰々しく扱ってもらえればやはり実売数に影響しますよね。

内容以前の部分で勝負がついてしまっているケースって、圧倒的に多い。

 

まぁ今の小中学生は幼い内からネットに触れて育っている分、選択眼というのは非常に優れたものをもっていると感じますので、これから世の中はまだまだ変わっていくのでしょうけど。

彼ら、本当にどこから仕入れたかわからないような音楽や動画を楽しみまくってますからね。テレビやマスコミといった従来の媒体とはかけ離れたところでトレンドが生まれ、消費されている時代に入ってきています。

レコード大賞なんて言ったって、誰もありがたがらない時代ですもんね。

 

やがて各出版社の賞レースや本屋大賞もまた、形骸化してしまうのかもしれませんね。

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#崩れる脳を抱きしめて #知念実希人 読了これが本屋大賞にノミネートされている理由がわからない。今年最後の合わない本。合う合わないの次元にも至ってないというか。あー残念。次に読む本こそ今年最後になるだろうから、そっちに期待。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。