おすすめ読書・書評・感想・ブックレビューブログ

年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『よるのばけもの』住野よる

夜の時間、黒い粒をまとって六本の足を囃し八つの目をぎょろつかせる姿。

昼の時間、人間の姿をしてみんなからずれまいといじめに加わる行動。

それとも、いつも心の中に巣くって生きている、矢野さんが信じたような僕を覆い隠してしまうほど大きく育ったこの黒いもの。

どれのことだ。

化け物って、本当はなんのことだ。 

 『君の膵臓をたべたい』『また、同じ夢を見ていた』に続く住野よる作品です。

今春以降、『君の膵臓をたべたい』の実写版映画が地上波で初公開されたり、『また、同じ夢を見ていた』が文庫化されたりといった恩恵を受けて、実は当ブログでも一、二を争うPV稼ぎ頭だったりしています。

住野よるラノベ的な読みやすい文章と、一見ベタなストーリーからひと捻りもふた捻りも加えた意外性が、ファンを集める秘訣だと思っているのですが。

 取り急ぎまだ読んだ事のないという方は、下記のブログをご参照ください。

linus.hatenablog.jp

linus.hatenablog.jp

 

ある日突然、ばけもの化

主人公はある夜、突然ばけものに変化しました。

夜な夜なばけものに変化する自分の体に戸惑いながらも、深夜の徘徊へと繰り出します。

そんな中で、ふと向かった深夜の学校の教室で、会うはずのないクラスメートに会ったのでした。

彼女の名は矢野。

元々変わり者としてクラスで浮いていた彼女は、とある事件をきっかけにいじめに発展し、現在ではクラス中からのけ者にされるという非常に微妙な立場の人間でした。

ところが矢野はばけものの正体が主人公である事を見抜き、その上で「また、明日」と促します。

そうして夜な夜なばけもの化した主人公と、クラスの変わり者矢野との“夜休み”の時間が繰り返されるようになるのです。

 

フランツ・カフカ『変身』

 冒頭にも書いた通り、住野よる一見ベタなストーリーからひと捻りもふた捻りも加えた意外性を描くのが上手な作家だと思っています。

『君の膵臓をたべたい』では古くは堀辰雄の『風立ちぬ』から続く“死を描くことで愛がより際立ち、喪失感で涙を誘うというお決まりのパターン”をベースに一捻り加える事で、より現代的な新しい物語へと昇華させました。

ベタにベタを重ねてベストセラーとなりつつもどこか陳腐な『世界の中心で愛を叫ぶ』『100回泣くこと』に比べると、既存の物語の構造を生かして大いに成功したと言えると思います。

 また、続いて発表した『また、同じ夢を見ていた』についても、自分の未来の姿に出会う中から学びと教訓を得て、本来向かうはずであった未来を変えていくという物語は、藤子不二雄をはじめ、特に漫画やアニメの世界を中心に繰り返し使用されていた物語の構造だと感じています。

このように住野よるは既存の物語の構造やテーマをうまく作り変えて新しい物語を作り出す能力に長けているのです。

 

そこで本書『よるのばけもの』ですが、やはりすぐに思い浮かぶのはフランツ・カフカの『変身』でしょう。

『変身』はある日突然、巨大な幼虫のようなものに変身した男が主人公です。

家族は当初は驚き、嘆き悲しみますが、やがて幼虫を家族として愛そうと試みます。

しかし男が幼虫に変身してしまったその日から、他の家族の生活も少しずつ狂い始めてしまい、いつしか家族に忌み恨まれる存在となってしまうのです。

“幼虫に変化する”というのはある意味象徴的な例であって、変化は「事故による身体の不自由」等と同じようにとらえる事もできます。

ある日突然、些細な出来事をきっかけに家族の生活が一変し、本人は何一つ非のある行動はしていないにも関わらず、疎まれ、厄介者になってしまう可能性があると暗に考えさせてくれる作品です。

とはいえ、本書『よるのばけもの』の主人公はずっとばけものでいるわけではありません。

彼がばけもの化するのは、夜の間だけ。

それに対比する存在として描かれるのが、昼間と同じ姿・性格で表れるクラスメートの矢野なのでしょう。

 

誰もが持つ二面性に気づかせてくれる物語

十代の学生時代、誰しもが幾つもの顔を持つのではないでしょうか。

学校と家で人格が違う、なんていうのはよく見られるケースかと思います。

主人公もまた、昼間は他のクラスメートとともに矢野を無視し、時と場合によっては矢野を嫌っているという立場を実際に言動に表したりもします。

しかし、実際に胸の中では後悔を抱き、夜の学校で矢野本人に対して謝ったりもする。

そんな主人公に、矢野はあくまで昼夜同じ“矢野”として対峙します。

 

夜の学校で矢野を相対する中で、主人公は矢野の“変わらなさ”にも気づき、昼間クラスメートと歩調を合わせる自分と、夜は矢野に対して懺悔を繰り返すような自分に次第に戸惑いを抱いていくのです。

 

確かに、よくある事ですね。

 

仲間内での空気感を優先して、本来であれば好意を抱いている相手に心ない言葉を投げかけてしまったり。本音と建て前の間で葛藤し、苦しむのは思春期ならではの悩みといえるのかもしれません。

 

主人公もまた、葛藤と悩みを繰り返します。

ばけものなのは夜の自分。

しかし本当の意味で化け物なのは、クラスメートの顔色を伺って偽りの自分を演じる昼の自分なのでは。

 

本書はそんな誰もが持つ二面性に気づかせてくれる話なのです。

 

重い雰囲気と苦い後味

イジメに合うクラスメートと、本音と建て前に苦しむ自分。

そんなテーマで進められる本書の雰囲気は、なんと言っても暗いです。

矢野は常に笑顔を絶やさず、元気な様子なのですが、補え切れないほど暗鬱とした雰囲気が支配しています。

ましてや空気を読み過ぎるがために思ってもいない言動を繰り返す主人公の姿には、自身の経験を投影してしまって痛々しい程に感じられてしまうかと思います。

 

はっきり言って、前ニ作とは趣きが大きく異なります。

 

爽快感はありません。

 

ラストには人それぞれの捉え方もあるでしょう。

よくやった、これからも頑張れと温かい気持ちになる一方で、胸を大きく占めるのは主人公のこれからを案じる不安ではないでしょうか。

 

読んだ後で感想を述べあうような本ではなく、自身の心の中で静かに反芻を繰り返すようにして味わうべき物語なのかもしれません。

 

 僕は嫌いじゃありませんけどね。 

 

https://www.instagram.com/p/BonQ0k6HHem/

#住野よる #よるのばけもの読了夜な夜なばけものに変身してしまう主人公が夜の学校で出会ったのはクラスでイジメに遭っているクラスメート。昼と夜とで姿と言動を使い分ける主人公に対し、彼女は昼も夜も同じように相対します。本当にばけものなのは夜の自分なんかではなく、クラスメートの顔色をうかがって偽りの自分を演じる昼間の自分なのではないか。誰しもが思春期に経験のある自分の二面性についての悩みを描いた作品。ただしテーマがテーマなだけに物語全体を通して雰囲気は暗いです。後味も良くはない。感想を言い合うというよりは、読み終わった後で一人じっくりと反芻すべき物語なのかもしれません。僕は嫌いじゃないです。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。 

『下町ロケット2 ガウディ計画』池井戸潤

「自分たちがやるべき事も満足にやらないで発注者を疑う。可能性を全て検討した上で、科学的根拠をもって指摘するのが本来のやり方だろう。中途半端な仕事をしておきながら、その尻を相手に持っていく。そんなことをされちゃあ、相手だっていい迷惑だ」

先日読んだ『下町ロケット』シリーズの二作目、下町ロケット2 ガウディ計画を読みました。

linus.hatenablog.jp

当ブログをお読みの方はご存じの通り、僕は「池井戸潤には外れがない」という持論を持っていますので、今回も特に不安も心配もなく、安心して読むことにしました。

 

ロケットに続く新たな計画――ガウディ計画

物語は佃製作所に日本クラインという大手企業から人工心臓のバルブ製作を持ちかけられるところから始まります。

社内会議の結果、試作に乗り出す事になりますが、この日本クラインという会社が曲者……と言っても池井戸作品の場合、大概相手は一癖も二癖もある相手ばかりなのですが。

開発チームに抜擢され、バルブの試作を重ねる中里でしたがなかなか思うような結果が出ません。

試行錯誤を繰り返し、苦しむ中里は設計の問題を挙げますが、佃からは冒頭の言葉があっけなく一蹴されてしまいます。

そんな中現れたのは“元NASA”という華々しい経歴を持つ椎名を社長とするサヤマ製作所。

椎名は中里に対してヘッドハンティングを仕掛けた上、日本クラインに近づき、人工心臓の案件を横からさらってしまいます。

さらに前話にてやっと解決した帝国重工のロケットのバルブまで受託しようと暗躍。

佃製作所は一気に窮地へと追いやられてしまいます。

 

一方で、人工心臓プロジェクトはアジア医科大学貴船教授、日本クライン、サヤマ製作所の力で進められていきます。

問題点はサヤマ製作所に移った中里が進めるバルブの品質のみ。

ここでも中里は思うような結果が出せず、苦悩する事になります。

そもそも人工心臓貴船の発案ではなく、弟子である市村が編み出したアイディアを横取りしたものでした。

市村教授は現在では北陸医科大学へと移り、地元のサクラダと手を組み、人工弁の開発に取り組んでいます。

そこには元・佃製作所の一員である真野の姿もありました。

真野から人工弁開発の話を持ちかけられた佃は、開発に乗り出す事になります。

この人工弁プロジェクトこそが本書のタイトルでもある『ガウディ計画』。

しかし貴船教授は再び、市村教授の進めるガウディ計画にも魔の手を伸ばします。

協力すると持ちかけたものの断られると、今度は医療機器の審査機関であるPMDAに掛け合い、徹底した妨害工作へと乗り出すのです。

サクラダの開発資金をめぐる問題もあり、審査機関からも相手にされず、すっかり暗雲が立ち込めるガウディ計画でしたが、そんな最中、人工心臓臨床試験中だった患者が死亡するという事故が起こり……事態は大きく進展を見せます。

 

違和感

 

……あれ?

 

読み始めて間もなく、違和感に襲われました。

ポッと出のサヤマ製作所が佃製作所の主要取引先である帝国重工や日本クラインと難なく繋がりを得たり、一村の元に真野がいたりと、御都合主義な面はある程度目を瞑れば良いのですが……。

 

問題は物語そのもの、というよりは文章の完成度ですね。

池井戸作品の中でも下町ロケットシリーズは登場人物も多いので仕方ない面もあるのですが、こんなにも小刻みに場面が切り替わりましたっけ?

2ページも持たずに次々と視点が切り替わるのは、非常に違和感がありました。

さらに問題なのはその内容……

日本クラインとの打ち合わせは、その日の午後三時から、アジア医科大学内の会議室で開かれていた。

真野と連絡を取ったのは、その日の午後九時過ぎのことである。

佃が、福井を訪ねたのは、予定通り、その一週間後のことであった。鯖江にある毎日スチールの工場で打合せをこなし、その後市内に一泊。「ぜひ、サクラダさんの工場を観てください」、という真野の勧めもあって、翌日、市内にあるサクラダを訪ねた。

上記は幾つかの節の冒頭文の引用。

 

……なんか、説明文っぽくないですか?

 

物語って基本はプロットと呼ばれる要点だけで出来た骨組みのようなものがあって、そこに肉付けして行ったり、場合によっては時間軸を前後させたりして作り上げていくものだと思うんですが、そのプロットをそのまま読まされてる感があるですよね。

 

言い換えると、非常に台本っぽい。

セリフの前に(……場面は学校。A子とB子が対峙。物陰から見守るC子)みたいに簡潔に書かれている場面描写を彷彿とさせます。

 

……これってもしかして、未完成作品じゃないか?

 

原因は新聞・ドラマ同時進行……?

下町ロケットwikipediaには『下町ロケット2』の説明としてこう書かれています。

2015年10月18日からTBS系の日曜劇場でテレビドラマ化された。10月3日から朝日新聞に連載された『下町ロケット2』が、6話からの「ガウディ編」として映像化され、新聞連載とテレビドラマの同時進行で描かれた。

下町ロケット - Wikipedia

 

……間違いありませんね。

 

原因はこれだ!!!

 

新聞連載しつつドラマ撮影をするからには、ある程度のアウトラインが固まっていなければなりません。

でなければ途中でそれぞれが別の話になってしまいます。

 

ですから小説としては未完のまま新聞連載やドラマ撮影の脚本にとどんどん展開されてしまい、そうこうしている内に熱が冷めない内に単行本の出版をしなければならず……

 

結果としてほぼプロットそのまま・脚本レベルの作品になってしまった。

 

……という感じでしょうか?

 

ちなみにそれでもそれなりに楽しんで読めてしまうのが池井戸作品の凄さだったりするんですが。

第145回(2011年上半期)直木賞を受賞した前作『下町ロケット』と比べてしまうと、粗さと物足りなさが際立ってしまいますよね。

 

心配なのは続編

半沢直樹シリーズを超えるヒット作となった下町ロケットシリーズですが、続編となる第3弾下町ロケット ゴースト』が2018年7月20日に、第4弾下町ロケット ヤタガラス』が2018年9月28日に刊行されています。

2018年10月14日からのドラマ第3弾スタートに合わせて、続けざまの発表となったようです。

www.tbs.co.jp

www.youtube.com

世界の果てまでイッテQ!』でお馴染みのイモトアヤコさんをキャストに迎えたりと、放送前から早くも注目を集めています。

 

ただねぇ……。

 

2冊続けて刊行かぁ……。

 

インターバルたった二か月かぁ……。

 

原作本に関しては、正直ちょっと嫌な予感しかしないんですよね~。

https://www.instagram.com/p/Bof-KdVHRks/

#下町ロケット2ガウディ計画 #池井戸潤 読了#下町ロケットシリーズ 2作目前回のロケットのバルブに続き、今度は人工心臓や心臓の人工弁といった医療分野に進出していくお話となります。池井戸潤は基本的に何読んでも外れはないし、今回も…… ……と思いきや、なんかいまいちじゃないですかね?登場人物多いのはわかるけど場面はコロコロ変わるし文章は説明っぽいし、どことなく脚本っぽい仕上がり。もしくは肉付けしきれていないプロット読まされてる感じ。それでもそれなりに面白く読めちゃうのが池井戸潤なのはスゴいんですけど。第一作目に比べると粗っぽいし物足りないかなぁ。間もなくテレビドラマもスタート。それに合わせて続編も文字通り次々と刊行されているけど、できれば時間かけて丁寧に仕上げて欲しいものです。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『スコーレNo.4』宮下奈都

広くなったり細くなったりしながら緩やかに流れてきた川が、東に大きく西に小さく寄り道したあげく、風に煽てられて機嫌よくハミングする辺りに私の町がある。父の父の父の代あたりまでは、川上で氾濫してよく堤防を決壊させたと聞くけれど、そんな話が冗談に聞こえるほど、いつも穏やかな童謡のように流れていく川と、そこに寄り添うような町。私はここで生まれ育った。田舎だと言われたらちょっとむっとするけれど、都会かと言われれば自ら否定しそうな、物腰のやわらかな町だ。 

 ……どうでしょう?

上記の引用は本書『スコーレNo.4』の序盤で、主人公である麻子の暮らす町を説明する一節です。

 

ぞわぞわっとしませんか?

 

文章から浮かぶパステル画のような穏やかな風景や、全体に流れる柔らかな雰囲気。

 

羊と鋼の森と同じですよね?

linus.hatenablog.jp

 

「同じ作者が書いたんだからそりゃそうだ」と笑われてしまいそうですが、なかなかどうして、同じ雰囲気や匂いを感じさせる作品ってなかったりします。

事実僕は、第154回直木三十五賞候補、第13回本屋大賞受賞作として話題となった『羊と鋼の森』を読んで以後、同じような興奮を味わいたくて『誰かが足りない』、『太陽のパスタ、豆のスープ』と手に取ってきましたが、いずれも秀作ではあるものの『羊と鋼の森』には及ばず、といった印象でしかありませんでした。

linus.hatenablog.jp

linus.hatenablog.jp

 

途中映画化された作品も見て、「原作に忠実で凄い!空気感まで再現してる!」と感動したものの、そうなると余計に同じような感動を味わえる作品を読みたくなります。

 

そうして手に取った四作目が、本作『スコーレNo.4』。

 

ついに見つかりました。

ようやく声を大にして言うことができます。

 

『鋼と羊の森』の後は『スコーレNo.4』読もう!

 

と。

 

スコーレ=学校(≒学びの場)

本書は四つのスコーレ(章)に分かれています。

中学生、高校生、商社に就職したものの靴店への出向、商社に戻ってから、と主人公である麻子の過ごした学びの場に合わせて、四部構成となっているのです。

麻子は代々続く古道具屋(=骨とう品店)。

厳格な祖母と母、父、そして七葉と紗英という二人の妹とともに暮らしています。

七葉は器量がよく、機転が利いて可愛げがあるという三拍子揃った妹で、姉である麻子が引け目を感じる程。

紗英は「鈴を振り振り歩くみたいににぎやかな子」と宮下奈都らしい形容の通り、周りまで明るくするような笑顔の子。

しかしながら紗英は年が離れていることもあり、「お豆さん」……つまり、“特別扱い”されているようです。

一方で麻子と七葉は、まるで双子のように仲睦まじく暮らす様子が描かれています。

第一章は厳格な家や同級生たちとの生活を描きながら、主に妹である七葉との関係に主軸を置いているようです。

中学一年生といえば多感な時期であり、“恋愛”といった言葉が自分たちの手の届くものとして認識されるようになってくる頃。

麻子の友人もお目当ての男の子が毎朝公園でジョギングしている、と聞けば麻子に一緒に公園でジョギングしようともちかけたり、帰りに部活を覗こうと誘ったりします。

そんな中で不意に麻子は、一人の男の子に今まで感じた事のない特別なものを感じてしまいます。

明確に名言はされませんが、麻子が“恋”というものを初めて知った瞬間だったのでしょう。

初恋に浮かれ、些細な事で一喜一憂を繰り返す麻子でしたが、七葉は姉の変化を敏感に感じ取っているでした。

七葉は、昨日の私を見ただけで何かに気づいた。それは七葉がすでにその何かを知っていたからだ。私は七葉が知ったときに気づいてあげられなかった。今のまままで、七葉が知っていることに気づきもしなかった。

 

もうなんかね、いちいち分析するのが野暮ったく感じてしまいます。

何よりも作者がコツコツと編み物を編むようにして紡いだ物語の上質さに対し、自分の言葉の陳腐さが身に染みてしまいますし。

年の近い姉と妹の関係というのが、すごくリアルに描かれていますね。

僕は男兄弟なので姉妹の間柄って想像する事しかできないのですが、実際に姉妹を持つ女性であればまた感じ方は変わるのでしょうか?

第一章は麻子の初恋と家であり家族との関係性、とりわけ次女七葉との対比が強く描かれています。

 

七葉との違いがさらに明瞭になるのが、第二章です。

高校に入学した麻子の家に、異分子が混ざり込みます。

従兄である槇が、近所の大学に進んだのをきっかけに度々麻子の家に出入りするようになるのです。

年上の槇に対し、淡い恋心を抱くようになる麻子。

土曜日になると槇と一緒に、映画を見に行ったりするようになります。

槇はまた、七葉の家庭教師も引き受ける事になります。

想いを胸に秘めたまま、穏やかに日々を過ごす麻子でしたが、七葉が高校の合格発表を見に行った夜、一つの事件が起こり……

子どもの頃は双子のように身近に感じていた妹の存在が、はっきりと明確に自分とは異なる人間だと認識される。

そんなエピソードかもしれません。

 

そしてなんと言ってもイチオシなのが第三章

得意教科である英語を活かし、輸入貿易を主とする商社に就職した麻子でしたが、入社して直後、輸入した靴を販売する靴屋に出向させられてしまいます。

本社からの出向である新入社員という毛色の違う立場に加え、元々靴やファッションに興味もなく、情熱もない麻子の性質が災いし、配属された直後から職場で浮いてしまう麻子。

大した仕事もできず、専門用語がわからないと先輩に叱られる、暗澹たる日々が続きますが、ある日先輩に勧められて店の中から自分に似合う靴を一足選び、履く事で麻子の靴に対する印象が一変させられます。

たった一足の靴が、私の世界を変える。靴に対する見方がぐるりと回転し、同時に私も回転したのだろう。違う場所からのぞく世界は、ちゃんとそれにふさわしい、今まで見たこともなかったような顔を向けてくる。靴をもっと、もっともっと知りたいと思った。

靴の素晴らしさ、重要さ、奥深さといったものを理解した麻子は、「靴が好きになる」のです。

好きこそものの上手なれ、という言葉通り、その日から麻子はめきめきと仕事を覚え、上達していきます。なかなか頭に入らなかった専門知識もぐんぐん吸収していきます。

 

……ここで突然ですが、何かに似ていませんか?

 

靴屋”を舞台に、“靴の販売員”たちが“靴に対する想い”を抱きながら成長していく物語。

 

羊と鋼の森』、ですよね!

 

ピアノの魅力に目覚め、虜になった状態で調律師の道を選択した外村君に対し、麻子は不本意ながら靴屋に配属されてしまうという点は異なりますが、先輩とのやり取りをきっかけに靴の魅力に目覚めたり、一心不乱にその道を究めようと突き進んでいく様は、やはり羊と鋼の森』とよく似たものを感じないわけにはいきません

 

 

真摯に努力を重ね、成長を続ける麻子が一体どんな変化を遂げるのか。

そこはぜひ本書を読んでご確認いただきたいと思います。

 

続いて本書のラストを飾るのが第4章。本書の書名でもある『スコーレNo.4』です。

本社に戻った麻子は「仕事ができない」と揶揄され、靴屋とは異なり顧客の顔が見えない距離感に戸惑いながら働き続けるものの、そんなさ中にイタリアへの買い付け出張を命じられます。

同行するのは麻子の所属する皮革課とは全く異なる線維課の原口課長と茅野さん。

「ぱっとしない」「駄目」と先輩からは切って捨てられる二人が、出張先では補ってあまるほどのタフさを発揮します。

特に何かと麻子の面倒を見てくれるのは茅野さん。そうして旅先で同じ時間を過ごしていく内に二人の距離は縮まり、小さな出来事をきっかけに急接近する事に。

最終章は有川浩を思わせるベタ甘な展開ではありますが、実家に帰った麻子を迎え、成長した七葉、紗英の三姉妹の様子が描かれるラストが非常に印象的なものになっています。

 

丁寧なだけで何が悪い

面白いもので、小説というものは読む人によって合う合わないが出てしまいます。

僕にとっては先に読んだ『天地明察』伊坂幸太郎が合わない作品、作家に該当します。

本書についても、やはり「つまらない」とする声はあるようです。

物語が躍動するように次々と展開する物語と望む人にとっては、淡々と日常が描かれる“だけ”という単調さが「つまらない」所以となってしまうようです。

羊と鋼の森』に大しても同じような批判はありましたよね。

 

本書の巻末解説は文芸評論家の北上次郎さんですが、非常に的確な表現をされています。

派手なところは一つもなく、ケレンたっぷりの仕掛けもなく、丁寧に描いているだけだが(これがいちばん難しいのだが)、そのことによってヒロインの青春が見事に立ち上がってくる。静謐で、素直で、まっすぐだから、現代では目立ちにくいが、しかしこの長編を読み終えると、希望とか善意とか夢、そういう前向きなものを信じたくなる。それを背景に隠していることこそ、この長編の最大の魅力といっていい。

あまりにも腹落ちし過ぎて、この解説が全て、と言いたくなってしまいます。

派手なところも、ケレンたっぷりの仕掛けもありません。

そういうものを読みたい場合には別の作品をどうぞ。

織物を紡ぐように丁寧に、丁寧に描かれた物語を読みたいという方は、ぜひ読んでいただきたいと思います。

しつこいようですが『羊と鋼の森』が良かったという人は、絶対に読んでくださいね。

もちろん宮下奈都の他の作品もオススメですよ。

https://www.instagram.com/p/BoNd6N5Hnm-/

#スコーレno4 #宮下奈都 読了#羊と鋼の森 を読んで以来、似たような穏やかな興奮を味わいたくて宮下作品を読んできましたが、ようやく見つけました。丁寧に、丁寧に、ただひたすら丁寧に、糸を紡ぐようにして綴られた言葉の数々が、自分自身が実際に見た風景であるかのように、自分が体験した出来事のように浮かび上がらせてくれるあの感じ。派手さもハラハラドキドキもありませんが、読んだ後で穏やかな余韻に包まれるような読後感が味わえる本です。羊と鋼の森を読んで良かったという人は絶対に読んでみて下さい。自信を持ってオススメします。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『天地明察』冲方丁

もしかすると暦とは、一つに、人々が世の権威の所在を知るすべなのかもしれない。

初めての冲方丁作品です。

天地明察

この作品って、個人的にはとんでもないヒット作という印象があります。

受賞した賞だけでもこの通り。

昔からその物の価値を保証するものとして「折り紙つき」「お墨つき」なんて言われたりしますが、つき過ぎなぐらい付けられています。

映画化もされ、ラノベ作家デビューの冲方丁の名前を一気にスターダムへとのし上げた作品と言えるかもしれません。

 

元々時代小説・歴史小説の類は嫌いではなかったので、いずれ読もう、読もうと思いながらなかなか機会に恵まれずにいましたが、今回満を持して読んでみる事にしました。

 

あらすじ

本作の主人公は安井算哲

碁打衆と呼ばれ、大名や将軍家を相手に碁を打つ名門の一家に生まれます。

父の名を受け継ぐ二代目でありながら、偉大な兄安井算知に気を遣って渋川晴海という別称を名乗り、同じ碁打衆の名門である本因坊家の若手・同策に勝負を持ちかけられても、のらりくらりと逃げ回るような体たらく。

晴海は碁打衆の家人としての役割も果たしますが、彼の頭の中には碁よりも算術が占めているようです。

ある日、絵馬に問題を記し奉納するという算額奉納を見に出かけた先で、ほんの一寸の間に自分が頭を悩ませていた問題を解いてしまった天才とすれ違うところから、晴海の算術への傾倒が加速化していきます。

一方ではその才覚を認められ、全国各地を巡って星の緯度経度を観測する測地隊へ参加する事となります。

これをきっかけに、晴海と星との長年に及ぶ戦いが始まるのです。

 

脇を固める豪華なキャラクターたち

時は江戸、四代将軍家綱の時代。

江戸時代といえばその成り立ちである初代家康、二代目秀忠、三代家光の後は天下泰平、逆に言えばつまらない時代が続くと思われがちです。

物語になるのももっぱら幕末が多いですし。

ところが本書には、徳川時代の数少ない名優たちが登場するのです。

一人は保科正之

三代目将軍家光の異母弟にして、会津松平家の藩祖。日本史上、屈指の名君との呼び声も高い人物です。

幕末の会津藩において、松平容保が何かにつけて保科正之の残した教えを持出し、判断に困った際の心のよりどころとしていたのは様々な文献・物語に示されているところでもあります。

渋川晴海は前出の兄との関係から会津藩に出仕しており、彼を支える偉大過ぎる存在として保科正之が登場しています。

二人目は水戸光圀

水戸黄門のモデルとして有名な、常陸水戸藩の第2代藩主。

彼は非常に先進的な考えの持ち主で、かつ血気盛んな“傾奇者”として描かれています。

その強烈な個性から、『光圀伝』という彼を主人公にした物語も誕生しています。

 

本書の面白さ

ここまではほぼ当たり障りなく書いてきたつもりなんですが……本書の面白さはというと、正直よくわからないのです。

安井算哲というキャラクターは真面目過ぎるぐらい真面目だったり、算学に熱狂的すぎる程熱を上げてしまったり、個性的なキャラクターではあるのですが、そこに感情移入できたり、人間味みたいなものが描けているかというとちょっと疑問。

色々なエピソードが五月雨的に絡まりあって一つの『天地明察』という書を成しているのですが、それぞれが有機的に結びついているかというとそれも疑問。関孝和との算学をめぐるエピソードなどは安井算哲の人間性を表すためには良いけれど、後半まで長々と引っ張るほど重要なものではなかったのでは?

上記は一例ですが、刀の差し方や江戸における米ぶくれの文化など、あまり本筋には関係のない薀蓄がちょくちょくと挿入されるのも集中力を散逸されます。どこもこれもwikipediaコトバンクからコピペしたような内容だったりするし。

 

とかく全体的に読みづらく、流れに乗りにくい文章でした。

 

とにかく感情移入がしにくい。

 

主人公とともにハラハラドキドキしたり、主人公の行く末を案じたりというのが物語の醍醐味だったりすると思うのですが、いまいち安井算哲が置かれた状況や心情がつかみにくいんですよね。

どうやら窮地に陥っているようなんだけれども、読んでいる側はその量感・質感といったものが掴めず、ただただ傍観者のように安井算哲がおろおろするのを見守るばかり。逆に何かが上手く運んだらしく算哲が涙するようなシーンでも、他人事のようにしか感じられなかったり……。

元々そこまで複雑な物語の構造ではないのですが、いまいち関連性のはっきりしないエピソードを林立してしまったが為に、安井算哲自身の人物像がよくわからない人間になってしまっているのではないでしょうか?

碁も算術も改暦もどれに対しても真剣味も能力も欠いているようにしか感じられず、そのふわっとした生き様が物語そのものの不安定さにつながっているように感じました。

 

簡単に言うとどこが面白いの?と。

 

もっと言うと何が描きたいの?と。

 

だって安井算哲が成し遂げた改暦という事業を通して、彼の生き様を書きたいというような話であれば、いらないエピソードだらけなんですよ。

 

“えん”なんていうヒロインなんて全く存在理由もないし。

碁にまつわるあれこれについても、本筋と関係ないのなら軽く触れる程度でいいじゃん、と。

安井家と本因坊家の勝負とか、いちいち書く必要もない。

 

なんでこんな重箱の隅を突くような駄目出しをするかというと、妙なところで細部を書きまくった一方で、一番重要なはずの改暦へと至る終盤はそれこそwikipediaまとめサイトかと言わんばかりの簡素な文章で片づけられてしまうのです。

 

詳しくは書きませんが、「実は晴海はこの日に向けてこれやこれやこんな準備をしていました」→「一気に流れが変わって無事改暦が採用されました」といった具合の乱暴さ。

 

いくらなんでもそりゃないよー。

大して難解な本ではないとはいえ、上下巻読みづらいのを我慢して一生懸命読んできたんだからさ。

 

『光圀伝』も個人的には気になっていたんですけどね。

本書を読んだ後は、ちょっと読もうとは思えないかな、なんて。

 

本屋大賞は玉石混交」なんて言われますが、その言葉を生んだのが本書を選んだ2010年と、よく2011年の『謎解きはディナーのあとで』のような気がするのは、あながち間違いではないのだと思います。

 

色々といわくつきの映画

まだ記憶に新しいところですが、2012年9月公開で映画化されています。

主演岡田准一、ヒロインに宮崎あおいという配役。

www.youtube.com

映画版は岡田君の迫力もあってか、どうも小説版よりも楽しめそうな予感がします。

 

が……!!!

 

有名な映画なだけに大ヒットしたという印象があったのですが、どうやら調べてみると実際には全くの逆だったようです。

news.livedoor.com

326スクリーン……つまり全国津々浦々のほとんどの映画館で上映されたにも関わらず、興行収入10億円……。

今なら“爆死”と切り捨てられるレベルでしょうね。

ちなみに本作の“有名度”はこんな事件とも無関係ではないと思われます。

www.excite.co.jp

直前に主演俳優の“ゲス不倫”報道がなされた事で、良くも悪くも映画に注目が集まってしまった印象です。

もしかしたら当時の岡田准一ファンからそっぽを向かれた結果が、低調な興行成績に表れたのかもしれませんが……。

そんなお二人、2017年12月についにめでたくゴールインを果たしています。

www.nikkansports.com

さらに5月には妊娠まで!

今秋出産予定との事なので、もう間もなく誕生するのかもしれません。

 

……一応、本作『天地明察』を語るにあたっては触れずにいられない話題かと思いましたので書いてきましたが、個人的には岡田准一宮崎あおいともに大好きな俳優さんたちです。

岡田君といえばもう間もなく『散り椿』の公開も迫っています。

www.youtube.com

どうも『天地明察』の撮影を経て、時代劇役者としての道が開けたような側面もあるようですね。

散り椿』もぜひ映画館で観たいところなんですが、先日『検察側の罪人』を観てきたばかりなので……とりあえず家で『天地明察』のDVDでも観ようかな。

 

あ、ちなみにインスタの写真は先日至仏山に登った際、山頂で撮影してきたものでした。

尾瀬至仏山というシチュエーションに合うのは手持ちの中ではこの本以外にありえないと思ったんだけどなぁ。

ちょっと残念な読書でしたね。

 

https://www.instagram.com/p/BoIzrMeHGYM/

#天地明察 #冲方丁 読了#第31回吉川英治文学新人賞#第7回本屋大賞 受賞作品かなり有名な作品だからめちゃくちゃ期待して読んだのにえーすごく残念な読書になってしまいました。なお写真は先日 #至仏山 の山頂で撮った写真#尾瀬 の大自然の中で読むのに一番相応しいのは手持ちの中では本書しかないと選びに選んで持っていった本書でした。いやー残念。これが代表作だとすると冲方丁はもう読まないかも#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『チョコレートコスモス』恩田陸

 

本当に、役者という商売は面白い。舞台は面白い。同じホンでも、やる人間でこんなに違ってきてしまう。

興奮冷めやらぬまま、キーボードを叩いています。

さて、この感動をどう記したら良いものか。

今回読んだのはチョコレートコスモス

第156回直木三十五賞、第14回本屋大賞のダブル受賞した蜜蜂と遠雷

第2回本屋大賞、第26回吉川英治文学新人賞をダブル受賞した夜のピクニック

……等で知られる恩田陸の作品です。

 

蜜蜂と遠雷』を読んだら『チョコレートコスモス』を読め!

蜜蜂と遠雷』で初めて恩田陸に触れたという人が、「他に何かおすすめの作品はあるかな?」と検索した時にヒットするのが上記の『夜のピクニック』と並び、本書『チョコレートコスモス』ではないでしょうか。

本屋大賞も受賞し、恩田陸の代表作の一つともされる『夜のピクニック』と並んでチョコレートコスモス』が推薦される理由……それは“演劇”の“オーディション”を題材にした上、『蜜蜂と遠雷』と非常によく似た物語の構造となっているから

 

実は物語の構造としては非常にオーソドックスな形態です。

  • とある「大会」を舞台に「選手」たちが「戦いを繰り広げる。
  • 「選手」の中には雑草型から天才肌、エリートまで多種多様なキャラクター。
  • 勝負の行方を混乱させるダークホースの存在。

皆さんの頭の中にも何がしかの作品が思い浮かんだかもしれません。

主にそれはスポーツや格闘技を主題にしたものが多いかもしれませんが、意外と名作だったりするのではないでしょうか?

蜜蜂と遠雷』もそんな構造を利用して書かれた作品です。

 

蜜蜂と遠雷』のブログで、僕は上記のように分析しました。

linus.hatenablog.jp

本書『チョコレートコスモス』もまた、オーディションを舞台に多様な女優たちが火花を散らす戦いの物語なのです。

 

天才・佐々木飛鳥

蜜蜂と遠雷』では風間塵という一人の天才がダークホースとなり、作中における強烈なスパイスとしての役目を果たしました。

チョコレートコスモス』で言わば風間塵の役割を果たすのが、大学一年生・若干18歳の佐々木飛鳥

彼女は全く舞台の経験もないにも関わらず、とんでもない才能を見せつけます。

卓越しているのは模写の能力。

初めて会う人物の仕草や表情、醸し出す雰囲気や空気感までも、そっくりそのまま模写してしまうのです。

彼女はちょっとした興味から大学の劇団に参加し、初舞台で見せた強烈な演技力から、とあるオーディションに参加する事となります。

それは新国立劇場こけら落としに用意された、伝説的な巨匠・芹澤泰二郎の舞台。

芸能界から大御所と呼ばれる女優や実力派の若手女優、評価急上昇中のアイドル等が参加するオーディションに、素人である佐々木飛鳥が参戦するのです。

 

オーディションに参加する女優たち

オーディションには数々の女優たちが参加しています。

彼女たちの中で選ばれるのは僅かに2人。

芹澤泰二郎の舞台では主演として2人の女優を軸とする事を予定しており、その為のオーディションなのです。

本書の中で実際に登場するのは佐々木飛鳥に加え、以下の3人。

 

 『岩槻徳子』

   往年の映画スターであり大女優。

 

 『安積あおい』

   新人ながら女優としての才能を見せるアイドル。

 

 『宗像葉月』

   非常に評価の高まりつつある芸能一家生まれの二世女優。

 

この辺りの配役がなかなかの絶妙さ。

徳子は大女優ならではの落ち着きで、言わば王道・スタンダードな演技を見せますし、あおいは若さを目いっぱい発揮してある意味向こう見ずな立ち回りを演じます。葉月は彼女たちとも違い、若手実力派としての個性的に演じてくれるのです。

 

同じ舞台を、彼らがどんな風に特徴的に演じるか。

 

この辺りの描写の卓越さは『蜜蜂と遠雷』に通じる部分があろうかと思います。

一人一人の演奏が終わる度、次はどんな演奏をしてくれるんだろう、なんて本を読んでいるのも関わらず、実際にコンサートホールにいるような気分でページをめくり続けましたもんね。

 

チョコレートコスモス』でもあれと同じ興奮を味わえるんですよ。

 

そして本来は一番最初に触れるべきなのかもしれませんが、彼らとは少し違った立場で当初より物語をけん引するのが、東響子

彼女もまた葉月同様に役者一家に生まれ、物心ついた時には当たり前のように舞台に立ってきた演劇界のサラブレット。生まれ持った美貌に加え、人気、実力とも若手随一と言われるスター

彼女は別の舞台であおいと共演し、彼女の才能に舌を巻くと同時に、芹澤舞台のオーディションに参加するというあおいに嫉妬します。そして呼ばれもしないオーディション会場へと足を運ぶのです。

演劇界のサラブレット、という異名にそぐわぬ、プライドをかなぐり捨てたなりふり構わぬ行動に、つい彼女の味方にならざるを得ません。

響子は上の三人の演技を目の当たりにし、芹澤泰二郎監督自身にオーディションを受けさせてくれるよう懇願しますが、「無駄なオーディションはやらない」とピシャリとはねのけられてしまいます。

しかし、迎えた二次オーディション。

芹澤は響子に別の役目を打診するのです。

 

恩田陸はスロースタート

物語が盛り上がってくるのは一次オーディションが始まる物語後半から。

それまでの約300ページや響子とあおいの舞台上での関係性や、飛鳥の演劇デビュー等、彼らの人間性やこれまでの人生を描いた言わば伏線が中心となります。

その間は冗長さが否めず、正直読むのが捗りません。

これって『夜のピクニック』にも見られたんですけど、恩田陸の特徴というか癖なのかもしれませんね。基本的に前半は盛り上がりに欠けるのです。

しかし、一時オーディションが始まると物語に一気に火が点きます。

やめ時を見誤ってしまい、ついついどこまでも夢中になって読み続けてしまうような状態です。

もしかしたら本作の評価がいまいちなのって、そんなところにもあったりして。

 

拭えない時代感・未熟さ……

本書は2004年6月から約1年強の間、『サンデー毎日』で連載されていた作品です。

夜のピクニック』が 2004年5月までの連載でしたから、直後に書かれた作品と言えるかもしれません。

蜜蜂と遠雷』が2009年4月からですから、約5年の月日が流れている事になります。

そういう意味では、ところどころ“古さ”が目立つんですよねぇ……。

 

これは『ドミノ』にも見られた傾向なんですが、ところどころで地の文に、作者というか天の声の“語り”的なものが入ってきたりするんです。

 

そろそろこの辺りで、佐々木飛鳥なる少女がいったいどんな人間なのか、彼女の側から語っておく必要があるだろう。

 

よく言えば司馬遼太郎なんかではよく見られる語り口です。

でも最近の小説ではすっかり見られなくなったと感じています。

こういう語り口が出るだけで、妙に“昭和感”が出てしまうというか……。

今はこういった前置き無しに、ストレートに書き始めますよね。もしかしたら無駄な文章として、編集さんにカットされてしまうのかもしれません。存在しなくても普通に成立しますから。

 

その他、『蜜蜂と遠雷』の完成度と比べてしまうと、どうしても“アラ”が見え隠れしてしまいます。

佐々木飛鳥があまりにも生まれ持っての天才過ぎるので、もう少し風間塵的なエピソードや後ろ盾が欲しいとか、他の登場人物に関してもちょっと弱いように感じられたり、とか。飛鳥と同じ劇団員である巽や新垣が一般人の目線の役割を果たしますが、彼らの役割を考えると人物造形としてはもっと薄めで十分なんじゃないか、とか。序盤から視点がころころ変わるから混乱する、とか。

今から数年前の作品なんで仕方がないのでしょうが……。

 

でも、もし本作を今の恩田陸が書き直したら、とんでもない作品が出来上がったりして。

 

なんてついつい考えてしまったりしました。

 

でもさらに深く突き詰めると、本作『チョコレートコスモス』の構造をほぼそのままに、中身を変えて新たに書き直したのが『蜜蜂と遠雷』と言えるのかもしれません。

 

未完の続編『ダンデライオン

とにかく熱中してしまい、幸せな読書時間を味わわせてくれた本書でしたが、あとがきによると作者の中では『ダンデライオン』、『チェリーブロッサム』と続く三部作なのだそうです。

しかし、ダンデライオン』は連載していた雑誌の廃刊により、中断状態となっているそうな。。。

構想はほぼ出来ているのでしょうから、描き下ろしでもなんでもぜひ続けて欲しいところです。

今の恩田陸ならば、きっとどこの出版社でも連載再開を受け入れてくれると思うのですが。

でも……『蜜蜂と遠雷』がブレイクしてしまった今となっては難しいのかな?

完成度で劣る『チョコレートコスモス』の続編よりは、『蜜蜂と遠雷』の続編なりアナザーストーリーの方が需要高そうですもんね。

いずれにせよ恩田陸は意外と多作家でまだまだ未読の本もたくさんありますので、それらを読みながら気長に待ちたいと思います。

少なくとも本書を読んだ事で、僕の中での恩田陸の評価はまた一段と高まりました。

早く別の作品を読みたいですね。

とりあえず積読本にネバーランドがあったから、手始めはそれになるかな。

こうご期待!

linus.hatenablog.jp

linus.hatenablog.jp

https://www.instagram.com/p/Bn5a9zbndmH/

#チョコレートコスモス #恩田陸 読了#蜜蜂と遠雷 と似た物語として次に読むべき本に挙げられる事も多い作品。舞台のオーディションを題材に、ベテランや実力派の若手女優、無名の新人がしのぎを削る物語です。蜜蜂と遠雷に比べると前半半分は冗長だったり、完成度で劣るのは否めませんが、先の展開が気になって読むのがやめられなくぐらいには夢中になってしまいました。まさに蜜蜂と遠雷と同じ。恩田陸、やっぱりいいなぁ。他の本もどんどん読もう!#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい. .※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『山女日記』湊かなえ

そろそろ私も、新しい景色を切り取りに行こうか。 

 先日の北村薫『八月の六日間』に続き、“ガチじゃない”ゆるめの登山ものとして定評のある湊かなえ『山女日記』を読みました。

イヤミスの女王”として不動の人気を誇る湊かなえですが、僕が読んだのはデビュー作の『告白』『白ゆき姫殺人事件』

後者の方は以前ブログにも書いています。

かなり簡素な内容ですけど……。

linus.hatenablog.jp

 

正直なところ、やっぱりわざわざ時間を削って読むからには“読後感”にこだわりたく、出来れば“後味が良い”のが望ましいところ

バッドエンドよりはハッピーエンドの方が好ましいし、よっぽどの理由がない限り、リドル・ストーリーよりはしっかりと結末まで書いて欲しい。

 

そういう意味ではイヤミス”って微妙な立ち位置ですよね。

読んで嫌な気持ちになったり、後味の悪さを楽しむミステリーのこと

後味の悪さ保証の物語って……。

人気の理由が今一つわからなかったりします。

 

そんなわけで、話題の作家さんとは知りつつも、湊かなえをはじめ“イヤミス”と言われる作家の本はあまり手に取らないのですが。

本作は“登山”の本ですからね。

 

しかも聞くところによると『八月の六日間』と並んで、“ガチじゃない”ゆるめの登山ものとして有名らしい。

 

さてさて、“イヤミスの女王”がどんな爽やかな物語を書いてくれるのか。

そう期待して、ページをめくりました。

 

7つの山、7様の登山者

本書では各章のタイトルそのものが妙高山火打山槍ヶ岳利尻山・白馬岳・金時山・トンガリロと山の名前になっています。

内容はタイトルとなった山の山行。

 

連作短編とまではいきませんが、それぞれの物語や登場人物が少しずつリンクしていたりします。

 

例えば第一話の妙高山に登場する律子と由美。

二人は同じデパートの同僚ですが、一緒に行くはずだったにも関わらず病気でドタキャンしてしまった舞子は、第六話の主人公だったりします。

続く第二話ではお見合いイベントで出会った男性・神崎と火打山を目指す美津子が主人公ですが、時系列としては第一話と繋がっています。第一話では主人公だった律子と由美が、第二話では脇役として物語に花を添えています。

続く第三話では、律子と由美、舞子の同期三人組に登山のアドバイスをした先輩・しのぶが主人公に。

第四話・第五話ではそれぞれ妹と姉が主人公に。

第六話では、第一話の妙高山に律子・由美と一緒に行くはずだった舞子が主人公に。

 

……といった具合に完全な連作短編とは言えませんが、それぞれがどこかで繋がっている、という構成になっています。

 

 舞台となる山はそれぞれ百名山だったり、ビギナー向けの入門用として有名な山だったりしますが、山自体に関する描写は極めて少な目。

では何が物語の主軸となっているかというと……主人公たちの頭の中、という事になります。

 

山登りの最中、女たちの頭を占めるもの

主人公たちは実に様々なことに思いを巡らせます。

ただし、本作において彼女たちが主に考えているのは“男”“結婚”の話がほとんど

第一話では彼氏との結婚を目前に控えたものの、暗に同居を匂わせられてしまった律子が、結婚をすべきか、やめるべきかと悩み続けます。一方で由美は職場の上司と不倫中。しかもその上司は律子たちが仲人をお願いした相手。

 

律子はそんな由美に対して嫌悪感を露わにします。

不倫そのものに対する嫌悪感に加え、「もしも相手が自分の彼氏だったら……」などと妄想を膨らませて怒りを増幅させるあたりは、だいぶヤバい人です。

しかもガンガン本人に向けてぶつけます。

 

「りっちゃん、わたし、もうダメ」

「じゃあ、引き返したら」

ここならそうした方がいいはずだ。牧野さんが教えてくれた回避ルートにすら到着していないのだから。

「え? いや、そういうのじゃないから。お水飲んで、ちょっと休憩したら大丈夫」

「あ、そう」

まぎらわしい。

 

ギスギスし過ぎでしょ笑

 

不倫は擁護できないにしても、いくらなんでも由美がかわいそう過ぎます。

しかもなりゆきとはいえ、一緒に山登りに来ている相手なんですけどねー。

だったらもっと早い段階で同行を断るべきだと思うんですけど。

なんとなく彼女のキャラ的に、置き去りにされたとしても他の登山者に拾われて、かえって楽しく過ごしてしまいそうな感もあったりします。

 

続く第二話で主人公を務める美津子はバブリー世代のアラフォー独身さん。お見合いイベントで出会った神崎に誘われ、登山に来ています。

こちらもせっかく神崎が用意した高級なコーヒーに「酸味が強いのが少し苦手」と言い放ちゴディバのチョコレートには「チョコレートはゴディバじゃないと嫌っ! という女だと思われているのだろうか」と過剰なコンプレックスを抱く女性だったりします。

 

山に連れてきたのは、わたしを変化させたかったのではない。自分の勇姿を見せたかっただけなのだ。見た目はパッとしない自分に、ガスバーナーを上手に扱い、とんぼ玉を上手に作れるからと寄ってきた女に、さらなる得意なことを見せつけて、すごい、と言わせたいのだろう。

 

……なんですかこの自己中心的な考え方。

神崎さんすごく良い人なんですけどねー。

どうしてこんな女性を選んだんでしょう?

 

更に続く三話目では、しのぶさんがそれはもう酷い目に遭います。

彼女はただ一人で山登りに来ただけなのですが、そこで出会ったのが老齢の男女二人組。夫婦かと思いきや、初めての山登りという木村さんが、たまたまロビーであった本郷さんにお願いする形で一緒に行動する事になったのだという。

この二人がとにかくヒドい。

ベテランであろう本郷さんは何かにつけてダメ出しを加え、求めてもいないアドバイスをしようとします。

 

「きみの荷物はとても少なそうだが、ちゃんと水は二リットル用意しているのかね」

「ありますよ」

「じゃあ、飲んだ方がいい」

本郷さんに言われて、仕方なく水を飲む。

 

まぁ登山あるあるですが、確かによく山にいるおじさんです笑

本人は親切心で言っているつもりなのでしょうけど、こういう人と一緒になってしまうと面倒で仕方がありません。

 

しかしながら、本郷さんに輪をかけてどうしようもないのが木村さん。

彼女は初めての登山にも関わらず、本郷さんの弟子でもあるかのように彼の教えを盲信し、しのぶさんを見下すのです。

 

「お二人とも、よかったらこれを飲んでください」

リュックから錠剤の入った袋を取り出して渡す。

「なんだね、これは」

アミノ酸です」

「きみはそんなものを飲んで山に登っているのか。自然を相手に、己の体力を正面からぶつける真剣勝負の場で、薬の力を頼るのはいかがなものかと思うが」

「そうよね、なんだかフェアじゃないような気がするわ」

「水を飲みましょう」

本郷さんがそう振り返り、足を止めた。木村さんはごくごくと喉を鳴らして水を飲んでいる。

「あなたも水を飲むのよ」

木村さんに言われ、欲しくもない水を口に含む。

ミヤマオダマキだな、これは」

本郷さんが言い、木村さんが復唱しながらメモを取る。そして、私を見上げた。

「あなた、どうしてメモを取らないの。せっかく本郷さんが調べてくれたのに。あなたもこの花の名前を知らなかったんでしょ」

「いや、興味ないので」

「まあ……。花に興味がない人がこの世にいるなんて、信じられないわ」

 

いや、こんなやつら放っておけよ!

 

たまたま登っている最中に出くわしただけで、律儀に一緒に付き合う意味がわかりません。

こんな不愉快な人たちに付き合う必要はないでしょう。

せっかくの休日に、時間も費用もかけてやってきた山で、わざわざ不愉快な思いする必要なんてないんです。

 

イヤミス”ならぬ“イヤ女”たちの物語

本作は、一言でまとめると上記のようになろうかと思います。

どの話にも、一癖も二癖もある、ものすごく嫌な人たちが登場します。

なのでどの話を読んでも、基本的に読後感が良くないです。

 

ああ、これが湊かなえか……。

 

と思い出してしまう後味の悪さ。

話としてはすっきりまとまっているものも少なくないんですけどね。

そこに至るまでのやり取りが人間性を疑うようなヒドいものが多いので、「最後に仲直りしました」的な締め括りをされても「どうだかなぁ」といまいち腹落ちできなかったり。。。

 

山登りを舞台に、女性たちの人生の一部を描こうとしたのでしょうが、それにしてもほぼ一様に“結婚”、“男”といったテーマばかりなのは、狙ってそうしたのか。

 

俗にいう“毒女”さんたちの『山女日記』とでも言うべきか。

 

最初に北村薫の『八月の六日間』と並ぶ“ガチじゃない”ゆるめの登山ものと書きましたが、どちらをおすすめするかと聞かれれば、断然北村薫を推したいと思います。

 

人にもよるかもしれませんが、登山って一人でも大人数でももっと気軽に、楽めるものですから。

 

……本当にこの本読んで、山登りしてみたくなる人、いるのかな?

 

至仏山に行ってきました

『八月の六日間』のブログにも書いていた通り、9/17(月・祝)の連休最終日、山登りに行ってきました。

linus.hatenablog.jp

目指したのは尾瀬至仏山

これまでにも尾瀬福島県側である燧ケ岳・会津駒ヶ岳平ヶ岳田代山帝釈山などには登ってきたのですが、今回は満を持して、初めて反対側である群馬県側から登ってきました。

f:id:s-narry:20180918090519j:plain

ところが御覧の通り、ずっと雲に包まれているような悪天候でさっぱり視界は晴れず、ちょっと残念な登山になってしまいました。

コーヒーは飲んだけれど、飲みながら読書なんていう優雅な時間を過ごせるような状況では全くなく……

f:id:s-narry:20180918090440j:plain

 

ただし、『山女日記』に登場するトリカブトの花が最盛期を迎えていて、とっても綺麗でした。

僕も初めて見たのですが、こんな不思議な形をしているんですね。

ソラマメのような、人間の鼻のような特徴的な形。

雨の中でしたけど、緑の中に群青色が鮮やかでした。

 

これからの季節は暑さも和らぎ、紅葉も少しずつ進んできます。

皆さんもぜひ一度登山に出かけてみて下さいね。

低い山でも、山頂でコーヒーを飲んだり、カップラーメンを食べるだけでもとっても気持ちが良いですよ。

https://www.instagram.com/p/Bn2QBhZHNu5/

#山女日記 #湊かなえ 読了7つの山における7つの短編集。それぞれの話は登場人物や職場、持ち物などで緩く繋がっており、連作短篇にも似た構成となっています。登山というよりは主人公となる女性たちの人生の一部を描いたという感じ。なので登山に関する描写よりも彼女たちの内面に重きを置かれています。#イヤミスの女王 らしく登場する女性たちが一癖も二癖もある嫌な女ばかり笑やたらと"男""結婚"ばかり考える #毒女 たちの山日記といった風情です。後味も全体的に悪し。良く言えば湊かなえらしい本。個人的には登山はもっと楽しんで欲しいかな。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『密室殺人ゲーム2.0』歌野晶午

あのさ、オレ様は殺しただけなの。検屍はしていないから、死因なんてわからねーよ。いちおう殺害方法を説明しておくと、最初に後頭部をガツンガツンと何回か殴って、やつはそれで床に倒れて動かなくなったんだけど、念のため胸を数回刺した。頭と心臓、どっちが直接の死因になったんだろうね。

のっけから清々しいぐらいの猟奇的なセリフを取り上げました。

「ザンギャ君らしい」と前作『密室殺人ゲーム王手飛車取り』を読んだ人ならば思わずほくそ笑んでしまう一幕です。

『密室殺人ゲーム王手飛車取り』を読んだのは僅か10日ほど前の話なのですが、非常に気に入ってしまい、そう間をおかずして続編の『密室殺人ゲーム2.0』を手に取りました。

ちなみに『密室殺人ゲーム王手飛車取り』を読んだ際のブログはこちらです。

linus.hatenablog.jp

取り留めもなく「新本格推理」であり「歌野晶午」の話に終始していますが、興味がある方は読んでみてください。

 

再び繰り広げられる殺人推理ゲーム

無灯火の自転車で走行していて警察に職務質問を受ける不審な男。

ほぼ同時刻、女子大生が賃貸マンションの一室で死んでいるのが発見される。

事件を受けて再び任意聴取に呼び出された男は、自らの犯行と認めつつも、動機については「ゲームである」と供述し、メモ用紙に謎の数字の羅列を記したまま、黙秘に入ってしまった。

 

……といったプロローグから始まり、次のページの中央に記された、

 

Q1 次は誰が殺しますか?

 

という見出しで本作は始まります。

そうしてお馴染みの“頭狂人”、“044APD”、“aXe(アクス)”、“ザンギャ君”、“伴道全教授”という5人が登場。事件についての考察を始めます。

 

ところがどうやら、本事件に関しては5人ではない他の人間による犯行らしい。

 

その点がタイトルにもつけられた「2.0」たる所以。

 

本書の扉にも書かれているのですが、「2.0」とは「Web2.0」からきています。

Web2.0とはティム・オライリーという人が提唱した概念であり、ウェブの新しい利用法を指す言葉として2005年頃から急速に広まったそうです。

Web 2.0 - Wikipedia

結局定義が曖昧なまま自然消滅してしまったようですが、本書においてはティム・オライリーが当初に唱えていた下記のような考えを下敷きにしているようですね。

 

旧来は情報の送り手と受け手が固定され送り手から受け手への一方的な流れであった状態が、送り手と受け手が流動化し誰でもがウェブを通して情報を発信できるように変化したウェブを「Web 2.0 」とする。

 

つまるところ、前作『密室殺人ゲーム王手飛車取り』を経て、『密室殺人ゲーム2.0』で起こっている事態というのは……

 

彼ら以外にも、殺人ゲームに興じる模倣犯が他出している

 

という現象に他なりません。

 

もうゾクゾクッとしちゃいますね。

 

しかしながら前作では大きな謎を残したまま終わってしまいましたから、我々読者の一番の興味はそこに尽きます。

 

5人はまだ健在だった。

殺人ゲームは続いていた。

 

というだけで既にワクワクが止まりません。

ただ、「5人揃っている」というのがポイントだったりもするんですが。

 

どうして全員いるのか。

前作との時系列はどうなっているのか。

 

彼らとともに推理ゲームに身を投じつつ、我々読者は、一方で作者との推理ゲームを進めるという展開になります。

 

何書いてもネタバレ

前作のブログでも書きましたけどね。

 

……書けないですよ。推理小説の感想とか。

何書いてもネタバレになっちゃいますもん。

 

物語の構成としては、基本的には前作を踏襲しています。

 

Q1の『次は誰が殺しますか?』こそ他者の犯行を題材としていますが、Q2ではお馴染み伴道全教授の軽い問題が楽しめます。

「場つなぎに軽めの問題を出しておったのだよ」

「ああ、いつもの脱力系」

「癒し系」

「どんな問題よ?」

この辺りの掛け合いも前作同様で面白いです。

 

そしてQ3ではザンギャ君の猟奇的な事件。Q4では頭狂人の倫理感に問われる事件。Q5ではaXeの雪密室と、それぞれが個性的な事件を披露し、最後のQ6は044APD。

彼は前作同様、5人の中では抜きんでた推理力を持つ実力者として位置づけられています。

他の4人が意気込む中、044APDは物語のトリを飾るにふさわしい事件を起しますが……。

 

見誤ったかな?

正直なところ、前作に比べると「新鮮さ」や「面白さ」という点においては肩透かしな面は否めません。

それもそのはず、2作目となる本書では登場人物たちが起こす殺人推理ゲームと並行して、前作から続く大きな“謎”について、実質的には作者と読者間の推理ゲームが展開しているのです。

 

ある意味では我々読者の一番の興味は後者にこそあると言っても過言ではありません。

ただ推理ゲームだけだとしたら、どうしたって前作を超える作品にはなりませんからね。

何かしらとんでもないネタを仕込んでいるのだろうと身構えながら読み進めているわけです。

 

ところが、その“謎”については物語の半ば過ぎで、あっけなく解説されてしまうのです。

 

……あれ、これでネタバレ終わり?

 

首を捻ってしまうような淡白さ

 

もしかしたらもう一回、二回ぐらいのどんでん返しがあるんじゃないか。

歌野晶午ならやりかねない。

 

そう思って読み進めていくんですが……ちょっと残念な終わり方になってしまいましたね。

 

ただしあとがきによると元々本書は三部作で考えられていて、しかも現在刊行されている『密室殺人ゲーム・マニアックス』については当初の想定外の作品であり、「2.5」とでも呼ぶべき位置づけなのだとか。

 

それ次第では『密室殺人ゲーム2.0』の評価も大きく覆されてしまうかもしれませんし。

 

解説 杉江松恋を見たら当たりと思え!

本書の解説は杉江松恋です。

個人的には彼の名前を見た時点でガッツポーズ。

 

何せ杉江松恋の解説は非常に質が高いからです。

 

以前に読んだのは藤ダリオの『出口なし』でしたが、「フーダニット、ハウダニットホワイダニットと続いてきたミステリの新潮流がホワットダニットだ」とする論考は非常に興味深いものでした。

従来の推理小説の謎としては「Who=誰がやったのか?」「How=どうやったのか?」「Why=なぜやったのか?」というものが主流でしたが、昨今では綾辻行人『another』などにみられる「What=何が起きているのか?」という謎がトレンドになってきている、というもの。

『出口なし』自体は作品としてさほど良いとは言い難いのですが、巻末の杉江松恋の解説は一読の価値があると思っています。

 

少し長いですが一例を挙げましょう。

おもしろいのは彼らの間に「密室とアリバイはトリック界の飛車と角であり、ネタを考えるにあたってはどうしてもその二つに頭が行きがちになる」という認識があることだ。「犯人当て」はミステリーにおける「王将」の謎だが、このゲームにおいては犯人=出題者という前提があるためそれを問題にすることができないのである。逆に、その限定があるからこそ他に類例のない設問が創造できたのだと言うこともできるでしょう。

 参加者たちの出題は、やむをえず「飛車」と「角」を取りに行こうとするものと、それ以外の喜作に走ろうとするものに二極化している。(~~中略~~)だからといって「飛車」「角」ばかりに気を取られていると出題者にしてやられる。中には「王将」をだしに使って「飛車」を取るようなトリックが紛れているからだ(だから『王手飛車取り』)。

『密室殺人ゲーム王手飛車取り』の意味について、これほど簡潔で明瞭な解説はありませんよね。

作品名の意味について、理解しないまま読み終えてしまっていた読者も多かったと思います。

正直、僕もそうでした。

本のタイトルなんて色んなパターンがあるから、「ゲームっぽい感じが王手飛車取りかな?」なんて適当に納得したり。

 

……そんなわけで、本書は作品としては前作『密室殺人ゲーム王手飛車取り』に劣りつつも、巻末には杉江松恋の解説というなかなか豪華なおまけもついています。

ぜひ併せて読んでみて下さい。

https://www.instagram.com/p/Bnr8a_5nJAG/

#密室殺人ゲーム2.0 #歌野晶午 読了前作 #密室殺人ゲーム王手飛車取り を読んで僅か10日あまり早速続編を読んでしまいました今回も頭狂人、ザンギャ君、aXe、伴道全教授、044APDといった面々は健在で殺人推理ゲームを繰り広げます。いや、むしろ前作のラストを考えると健在なのが謎だったりするのだけどしかも今度は模倣犯らしき連中まで出現。頭狂人たちの推理ゲームを楽しみながら、前作で残された謎について、作者との推理ゲームも同時進行で進めざるを得なくなります。ところが……読み終えての満足度としては前作の方が圧倒的に上かな?ただし解説が #杉江松恋 で今回もとても興味深い解説を書かれています。それも合わせれば十分満足。次は #密室殺人ゲームマニアックス だな。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。